冥王来訪(ハーメルン投稿版) 作:雄渾
一方、KGBでは、シュミット事件の余波による粛清の嵐が吹き荒れていた。
マサキは、日本総領事館の手配したセダンの後部座席に座って、ハンブルグよりボンに向かっていた。
「情報によれば、ソ連指導部は君を
左隣に居る、ドブネズミ色の背広姿をした会社員風の男は、瞑想している彼の方を向く。
その声に気付いた彼は、一瞬顔を傾けた後、正面を見据える。
「別に構わないさ。俺は奴等に向かって、ピストルを撃つのだからな」
「えっ」
マサキの発言に、男は心胆を寒からしめる。
「その弾には、
そういうと、
マサキは、仰天して驚く男の様を見ると、満面の笑みを浮かべながら続ける。
「今回の話が、嘘か誠か。確かめに行くのではない。殺しに行くのさ……、ソ連指導部を」
唖然とした男は、ふと被っている中折帽の
「共産党指導部という頭が消し飛べば、ソ連という体は死ぬ」
喜色をみなぎらせた彼の発言に、車中は凍り付いた。
「本当の悪人と取られかねない発言をするとは、意外だね」
スナップ・ブリムの帽子を持ち上げ、不敵の笑みを浮かべる彼に脱帽して、見せつけた。
男の降参の意思を示す様を見て納得したかのように、マサキは一頻り哄笑した。
「俺はもとより善人などではない……」
マサキは、拳銃を懐中に仕舞うと、『ホープ』の紙箱より紙巻きたばこを抜き、火を点ける。
「この世界の文明程度であれば、BETAへの対抗は苦慮するであろう……。
それ故、ソ連がこの俺の力を求めているのは分かる」
セミアメリカンブレンドのタバコ葉の味わいを感じながら、紫煙を燻らせる。
「もっとも、俺を一度ならず殺そうとしようとした相手とは話し合いなど出来ぬ」
ホープの蜂蜜風の味付けを愉しみ
「間違ってはいなかろう……」
薄気味悪い笑みを浮かべる男の面に、目一杯紫煙を吹きかけた。
男は、紫煙に軽く
「ほう、君なりのソ連政府への答えかね」と応じる。
その言葉に、マサキは思わず顔を
「好きにしろ」と
苛立ちを表すように、煙草を灰皿に投げ入れ、再び瞑想の世界に戻った。
帝国・京都
日暮れになる頃、洛中*2にある
差出人はハンブルグの日本総領事館で、中には数十冊に及ぶドイツ語の文書その他には、食べきれぬ量のグミキャンデーとクマのぬいぐるみ。
この贈り物を目の当たりにしたミラ・ブリッジスは、細面の匂い立つような
「
感に堪えない面持ちになると、
「私のこんな思いだけで、貴方の深い愛には、どうして
と一人
その様を見た女中から、悲哀の涙かと心配され、
「若奥様、ああ、お可哀そうに……」と声を掛けられるほどであった。
異国の貴公子に
一人庭に出ると、夫への思いを胸に抱きながら、満天の星空を眺めていた。
翌日、二条の帝都城に、黒塗りの高級車で、参上する者があった。
濃紺の色無地を纏った白皙の美女は、篁夫人のミラ・ブリッジス。
遠く知らぬ異国の地とはいえ、ただ待つ事しか出来ぬ事に焦りを感じた彼女は、文書を下げて
「殿下はどちらにおいでか」と、茶坊主に訊ねる見慣れぬ白人に、御座所は一時騒然となる。
後に、山吹の衣を許された名家の関係者と分かった際は、
奥御殿の住人は、それとなく
普段表に出ない
「夫、祐唯から送られた物に政府文書と思しきものが大量にあり、その相談の為に、殿下の所へ拝謁に仕りました」と答える。
御台所は、思わず、痛いほど彼女の手をにぎりしめ、
「要らぬ苦労をおかけしました」と感激された。
ミラは、その言葉に恐縮しながら、
「
そして、
篁夫人により、持ち込まれた文書はドイツ語でタイプ打ちされており、形式から東ドイツの物であることが判明した。
住所氏名のほかに職業や血液型、個人的な政治信条や指向まで記されていた。
内容から類推するに、
事情を精査した後、彼等は動く。
帝国陸海軍や外務省関係者まで呼んで、翻訳作業に取り掛かる準備をする。
一か月程で仮翻訳を済ませることを目標に、その日より情報省内に臨時の部署を設けた。
ハンブルグ郊外でF4戦術機の完熟訓練をしていた篁祐唯は、急遽領事館へ呼ばれる。
彼を待っていたのは、夫人が帝都城に持ち込んだ文書に対しての尋問であった。
強化装備を脱ぎ、勤務服に着替え、73式小型トラック*7に乗ると、領事館に向かう。
幌が張られた四人乗りの車中で、後部座席に座る綾峰に問うた。
「どの様な用件で呼び出されたのか……、皆目見当が付きません」
3尺近い軍刀を杖の様にして腰かけ、軍帽を目深に被った綾峰は目を見開き、不安げな面持ちの彼の方を向く。
「俺が判る事は、ただ事ではないと言う事だよ」
そう告げると、再び目を瞑った。
彼は前を振り向くと、背凭れに身を預けた。
アウトバーンを飛ばしてきた彼等は、すぐさま領事室に呼ばれる。
敬礼を終えた後、総領事が腰かけるよう促してきた。
直ぐには帰れそうにはない事を悟った彼は、ゆっくり腰かけ、出された茶と菓子を勧められると一礼をして軽く口に含む。
総領事は、懐中より紙巻きたばこを出すと火を点け、紫煙を燻らせながら、彼に尋ねた。
「奥方にドイツ土産を送ったのは確かかね」
彼は、目の据わった総領事の顔を見ながら話す。
「小官が、家内に
ですが、何故その様な事をお尋ねになられるのですか……」
「何を……」
右手で髪を撫でる。
「ハリボー*9というクマのキャンデーとテディベアのぬいぐるみですよ。
シュタイフ*10社のクマのぬいぐるみは本場ですから……」
領事の顔から笑みがこぼれる。
「初々しい夫婦だね、実に結構」
悠々と煙草を燻らせる。
「……とすると、君はシュタージファイルのことは知らぬと言い張るのかい」
その言葉に唖然となり、全身の血の気が引くような感じがした。
「自分は……」
蒼白い顔の篁が言い終わらぬうちにドアが開かれ、扉の向こうに野戦服姿の木原マサキが立っていた。
悠々と姿を現し、腕を組んで、不敵の笑みを浮かべている彼を、綾峰が眼光鋭く睨む。
「どうした、木原」
マサキは、不敵の笑みを浮かべ、彼等に向って、
「ソ連の小国に対し恫喝も辞さぬ態度……、何れは世界大戦に発展する」
そして満面に喜色をみなぎらせて、高らかに笑いだし、
「貴様等も態度をはっきりすべきだ……。
そこで弛んだ日本社会を鍛え直す為、少しばかり細工させてもらった」と言い放つ。
困惑する彼等を尻目に、呵々と哄笑を上げながら部屋を後にした。
ソ連・ハバロフスク
ここは、ハバロフスクのKGB本部。
最上階にある長官室で、二人の男が密議を凝らしていた。
「たった一人の人間……、それも
窓辺より、ハバロフスク市街の景色を眺めながら、KGB長官は応じた。
「それで済むのかね」
「申し訳
釈明の機会が与えられた男は、カフカス方言の、グルジア訛りの強いロシア語で返す。
蒼白い顔をした男は、東欧KGBの諜報責任者で、表の肩書はドイツ民主共和国
「しかし、東西ドイツでの工作は多大な益を党に
投入した工作員の秘密組織網、BETA侵略に遭っても健在です」
額から流れ出る汗を、懸命に拭き取る。
「東欧から引き揚げても、良い頃合いじゃねえんですかねぇ」
KGB長官は蔑むような目つきで、彼の方を振り向くとグルジア語できつく返した。
「その、木原という男を
木原マサキ誘拐事件は、結末から言えば国際関係に多大な影響を及ぼした。
チェコスロバキアやポーランドは表立って外交官追放という形で、反ソの姿勢を内外に示すという行動に出る。
かつてソ連軍に国土を蹂躙されたハンガリーに在っては外交使節団の追放ばかりではなく、ハバロフスクに対し、最後通牒とばかりに大使館を引き上げてしまったのだ。
もっとも、駐留ソ連軍が、ベルリンで行動しなかった事も影響があろう。
赤軍とKGBの亀裂は、この事件を結果として日に日に増していった。
暫しの沈黙の後、長官は何時もの如く能面の様な表情で応じた。
訛りの無い流暢なロシア語で、諦めたかのように話す。
「国外のドイツでは、貴様がKGBのトップだが、ソビエト国内では違う。
ただの末端にしか過ぎぬのだよ」
再び、正面の窓を見据える。
「帰って来ぬであろうな」
後ろ手に腕を組んで、背を伸ばす。
「常々、私に話してくれたではないか……。戦争というのは負けたら御終いだと言う事を」
ちらりと、顔を背ける。
「露日戦争の結末がどうであったか、憶えているかね」
正面から振り返り、男の方に体を向ける。
「君の様な敗北主義者……、東欧諜報責任者の地位は、後進に道を譲り給え」
「お待ち下せえ、ア、アニキ」
額に青筋を張って、怒りをあらわにして言い放つ。
「
40年来の老チェキスト*11を冷たくあしらう態度から、男の運命は既に決まっていた。
「今一度、機会を頂けねえでしょうか……」
それでも猶、一縷の望みをかけて懇願した。
「必ず木原を抹殺して、東欧の組織を立て直して見せます」
すると、静かにドアが開く。
悲愴な面持ちをした男が振り返ると、彼に自動拳銃を向けて立つ数人の男達が居た。
「き、貴様!」
「貴様呼ばわりは
その俺が、あんたの最期を見届けてやるんだよ」
不敵の笑みを浮かべたKGB第一総局長は、拳銃の銃把を握りしめ、
「消えてくれるか」
「待ってくれ、俺はソ連外交の要の……」
大使の弁明が終わらぬ内に、引き金を引く。
自動釘打ち機の様な音が響き、東独大使の男は倒れ込み、着ていた背広より、血が
「任務に失敗した……、防諜組織としての示しを付けるために死んでくれ」
脳天に向け、二発の銃弾を撃ちまれると、男は言い返す間もなく、こと切れた。
木原マサキ襲撃事件失敗への対応は、政治局会議で事前に決定していた。
KGBは、東独大使館関係者250人を既に拘束し、主だった官僚と高級将校は、粛清、下士官兵は、最前線送り。
大使は、尋問中に《自殺》、同地のKGB幹部も死亡した状態で《発見》、その様な筋書きで、事態は動いていたのだ。
「引退すると言えば、楽に殺した物を……」
下卑た笑みを浮かべた男は、消音装置を分解し、銃を背広の腰ポケットに仕舞う。
「木原が何が目的か分かりませんが……、最もどうでも良い話です」
すっと、長官の左脇に移動した。
「我等、
長官は、その発言に耳を疑った。
「奴等の乗った汽車や船ごと、爆弾で吹き飛ばす。実に簡単でしょう」
長官は左脇に居る第一総局長の顔を覘く。
「本気かね」
男は、驚きの表情を浮かべる長官には目を呉れず続ける。
「実に簡単な仕事です」
男の発言に呆れた長官は、室内電話を取ると3桁の数字を押した。
「第7局破壊工作対策課に繋げ」
そう告げると、受話器を勢い良く置いた。
間もなく、カーキ色の開襟野戦服に身を包んだ男が長官室に入り、彼等に敬礼をする。
「お呼びでしょうか、同志長官」
大佐の階級章を付け、ソ連軍では珍しいつば付きの野戦帽を被り、紐靴を履く男。
彼は第7局破壊工作対策課長で、KGB特殊部隊『アルファ』の司令官であった。
「消してほしい人物がいる」
「誰を」
能面の様な顔をした大佐の方を振り向く。
「木原マサキと氷室美久の二名だ……」
長官が、ふと漏らす。
「同志大佐、木原は手強い。気を付けて任務にあたり給え」
第一総局長は、不敵の笑みを浮かべつつ、
「すでに東ドイツの組織は壊滅した……。
君達がしくじれば、奴を汽車ごと爆弾で消そうと思っている」と述べる。
真剣な面持ちで、大佐は答えた。
「では私の行動は、西のプロレタリア人民と社会主義諸国の同胞の命を救うと……」
長官は、眼光鋭く彼を見つめる。
「その通りだ」
そう言い放つと、男達は乾いた声で哄笑した。
ご感想お待ちしております。
タグに関して
-
死亡キャラ生存タグ
-
原作崩壊タグ
-
架空戦記タグ
-
東西冷戦タグ
-
不要