冥王来訪(ハーメルン投稿版)   作:雄渾

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 突然の襲撃を受け、ソ連の首都は、大混乱に陥った。
夜陰に紛れて、マサキは鎧衣(よろい)を逃がす。
精鋭・ヴォールク連隊に囲まれた、ゼオライマーの運命は如何に……。


燃える極東

 夜陰に紛れて、マサキ達はゼオライマーが居る市街地の反対の場所に向かった。

船着き場の有るアムール川*1の方に歩みを進める。

遠目にソ連の巡邏(じゅんら)隊を認めた時、背負うM16自動小銃を握ろうとするも、鎧衣(よろい)に止められた。

 一瞬驚く彼の目の前で、折り畳み銃床のカラシニコフ自動小銃を出す。

何処から持ち出したのであろうか……、そんな彼の疑問より早く発砲する。

単射で素早く巡邏隊の兵士の脳天を撃ち抜くと、彼の左手を強く、引っ張り物陰に隠れた。

友軍の銃器で狙撃された彼等は混乱し、その場で警戒態勢を敷く。

 男は懐中より望遠鏡のような物を取り出して、周囲を見回す。

携帯式の暗視装置であろうか……

その様な事を考えていた彼の耳元に右手をかざし、

「今のうちに駆け抜けるぞ。木原君」と囁いて、その場から駆け出すようにして逃げた。

 

 

 マサキは、鎧衣と共にアムール川の河畔に居た。

重装備の儘、駆け抜けた事で着ている戎衣(じゅうい)*2は汗で肌に張り付き、所々色が変わっている。

 水筒を取り出し、水が滴り落ちるのを気にせずに一飲みし、タオルで顔を(ぬぐ)い、深く深呼吸する。

上着を鳩尾(みぞおち)まで(はだ)けると、男の方を振り向かずに、

「鎧衣よ、貴様の事だ。ソ連側から中共まで川を泳ぐぐらい造作も無かろう。しかも今は夏。

凍えて死ぬ心配はあるまい」と告げると、鎧衣は、不敵の笑みを浮かべ、

「ほう、船着き場まで連れてきたと言う事は、中共党幹部と渡りを付けろと……」

「支那をまるで庭の如く知っている貴様なら、どうとでもなるであろう」

懐より、紙巻きたばこの「ホープ」を取り出し、金属製のガスライターで火を点ける。

マサキが、悠々と紫煙を燻らせる様を、男は、オーバーのマフポケットに手を突っ込んで眺め、

「いやいや、結構、結構。では北戴河(ほくたいが)*3まで出掛けてよう」

 鎧衣は、意味深な言葉を残し、すっと夜霧の立ち込める船着き場へと、消えた。

男の姿を見送りながら、煙草を深く吸い込む。

深く息を吐き出した後、側溝に向かって放り投げると、ほぼ同時に、彼の姿は消えた。 

 

 

 マサキは、ゼオライマーの操縦席に転移すると、一人思い悩んだ。

暫し、目を閉じて、過去の追憶に旅立つ……

 元の世界のソ連・極東のシベリアを思い浮かべる。

真夏は摂氏40度を超え、真冬は氷点下40度以下。年間の温度差が摂氏百度に達する過酷な環境。

 採掘する機具も流通手段も不十分なこの地では、資源の採掘を、人力に頼らざるを得なかった。

そこで目を付けたのが、囚人である。

シベリアの地は、帝政時代以来、政治犯や国事犯、軍事捕虜の流刑地。

開発の為に、この地の開発で流された血は、如何(いか)程であったろうか。正直、想像すらつかない。

 1918年に、ボリシェビキ一派が、暴力でロシア全土を占拠すると、囚人の意味は変化する。

無辜(むこ)の市民や農民といった、政治とは全く無関係な人々まで、その定義は拡大した。

政治的に危険視された人物は、その九族*4に至るまでこの自然の監獄に送り込まれる。

帝政時代はシベリアに向かう政治犯に対して、時折(ときおり)心優しき土民は、暖かい差し入れや心づくしをしたがそれさえ禁止された。

 1945年から1946年にかけ、百万を超す日本人抑留者*5は、満洲よりこの地に連れ去らわれた。

囚われ人は仮設の住居さえなく、薄い夏用天幕で凍える原野に放り出された。如何に過酷であったかを物語る事例であろう。

 

 はっと目を見開き、機内の観測機器を見ると、接近する40機余りの機影……、恐らくソ連赤軍の戦術機。

モニターに映る地上を走るBMP-1歩兵戦闘車やBTR-70装甲車は、ざっと見た所で20台以上。

雨霰(あめあられ)と飛び交う弾丸やミサイル……、戦車や自走砲から放たれる断続的な砲撃。

地響きのような重低音が響き渡り、砲弾の幾つかはゼオライマーの装甲板に直撃し、機体を振動させる。

 T-64戦車の自動装填装置とは、これ程の物か……

ついつい一技術者として、ソ連赤軍の戦車性能に関心を持ってしまう。

だが今は戦闘中……、気を取り直して椅子に深く座り直す。

 

「美久、メイオウ攻撃の準備をしろ。出力は通常の30パーセントで行く」

操作卓のボタンを押し、即座に射撃体制に入れる様、準備を進める。

「なぜ、出力を抑え気味で斉射されるのですか……。通常時の出力でも可能です」

グッと操縦桿を引き、推進装置を全開にして跳躍し、赤軍戦車隊の上空に出る。

「小賢しい蠅どもに全力を掛けるほど、天のゼオライマーは安っぽいマシンではない」

 マサキの考えとしては、ソ連赤軍の部隊を(なぶ)(ごろ)しにする心算(つもり)であった。

機体の奥底に居る美久は、その搭載されている推論型AIでマサキの思考を読み解こうとする。

人間の知的能力を超越した電子頭脳で、彼が何を思っているか分かったのであろうか……

それ以降、押し黙ってしまう。

美久の様を見て、マサキは、満面に喜色をめぐらせ、

「この冥王の力の前に、消え去るが良い。塵一つ残さずな……」と告げた。

 

 勢い良く、垂れ下げていたゼオライマーの両腕を上げ、胸部にある大型球体の前にかざす。

胸部にある球体が輝き出すと同時に手の甲に付いた球体も、煌めきを増してゆく。

周辺に広がっていく強烈な閃光……、ゼオライマーの必殺技・メイオウ攻撃。

その刹那、一筋の光線が地表に向かって通り抜け、爆風が吹き抜ける。

強烈な吹き上げ風が機体に覆い被さり、破片が宙を舞う。

 依然として距離を取り続ける戦術機部隊……

空調を利かせた操縦席に座りながらも、操縦桿を握る手まで汗ばんで来た。

何とも言えぬ興奮に身震いしているのであろうか、そう思う。

 この様な形で、生の喜びを、ありありと実感するとは……

思わず、不敵の笑みを浮かべる。

 やがて東の空が(しら)み始めると、攻撃の惨禍(さんか)が表に出始める。

塵一つなく戦車隊が消え去った機体周辺……。その様子を上空で見ながら、マサキはコックピットの中で哄笑した。

 

 

 その頃、ハバロフスク市内は、混乱の嵐に包まれた。

突如現れた天のゼオライマーへの恐怖から、われ先にと逃げ出す党関係者とその家族。

役所はごった返し、国営企業など公共施設も、群衆に職場を荒らされる。

混乱する市内は、最初の内は、交通警察と内務省(MVD)軍将校が対応していた。

だが直ぐに混乱の渦に飲み込まれ、(とどこお)りを見せ始める……

 制御を失った市民は、次第に順番争いの為、乱闘騒ぎをはじめた

遠目でその様子を見ていた軍に、反抗するものが出始めると状況は一変した。 

 混乱するMVDと警察の対応を見かねてであろうか、何処(いずこ)より現れた応援部隊。

彼等は、KGB直属警備隊の部隊章を付け、数台の重機関銃を引っ張って来た。

 隊長と(おぼ)しきKGB少佐の制服を着た男が飛び出してくると、周囲を見回し、一通り現場を確認した後、こう告げた。

「こうなっては仕方が有るまい。非常手段に出る」

付近を警備する内務省軍将校や警察幹部が集められ、KGB少佐からの檄が飛ぶ。

「宜しいか、諸君!たとえソビエト市民*6と言えども躊躇してはいかん。

ここでの敗走を止めねば、我が軍は何れや崩壊するであろう。只今より、配置に付け」

小銃を槊杖(さくじょう)で簡単に手入れした後、弾倉を付ける。

迫撃砲には弾が込められ、ベルトリンクが付いた重機関銃の槓桿(こうかん)を勢い良く引く。

「一斉射撃!」

雷鳴の様な音が周囲に響き渡ると同時に、濛々と立ち上がる白煙と粉塵.

降り注ぐ弾丸によって避難民の群れは、(たちま)阿鼻叫喚(あびきょうかん)(ちまた)と化した。

 

 噴煙が晴れると、斃れた人の群れから唸り声が聞こえはじめ、KGB少佐は、歩み出て、

「これより、反革命分子を処断する。部隊は前へ」と、マカロフPM拳銃を振う。

横たわる屍の大部分は五体(ごたい)のどこかを失っており、僅かに息の有るものもそうであった。

()って逃げ出そうとする者を見つけるや否や、件のチェキストは銃を向けた。

自動拳銃の遊底(ゆうてい)が前後すると、哀れな逃亡者は冷たい(むくろ)になり果てる。

「ソビエト市民なら、銃を取って日本野郎(ヤポーシキ)と戦うべきではないのかね」

怒気を含んだ声で、男はまだ息のある人間を選び出すよう兵に指示させる。

血の海から連れ出された人事不省の避難民に向けて、再び、銃声が鳴り響いた。

 

 

 一方のゼオライマーはと言えば、ソ連赤軍の戦術機隊に囲まれていた。

「かかれぇ!日本野郎(ヤポーシキ)の横腹を突くのだ。

如何に堅牢な機体とは言えども、横入れされては踏みとどまることも出来まい」

号令をかけた指揮官機が右腕を背面に回して、77式近接戦用長刀を背中の兵装担架から抜き出す。

指揮官自ら長刀を振るい戦う姿勢を見せれば、円居(まどい)は奮い立つ。

推進装置を全開にした30機余りの軍勢が、怒涛の如く突進してきた。

 突撃砲に、装弾数2000発の弾倉が差し込められると、隙間無くゼオライマーに向けられる。

仁王像の如く起立する、天のゼオライマー。

全長50メートルの機体は、前面投影面積の高さゆえに狙いやすく、格好の標的。

 如何に強固な次元連結システムがあっても、パイロットは生身の人間……。

人海戦術でマサキの体力や気力を奪い、ゼオライマーの鹵獲や殲滅を狙う。

 

「自走砲と戦車隊は前へ、日本野郎(ヤポーシキ)を撃ち竦め、其の間に奴が首を取るのだ」

戦術機部隊が動くより早く、攻撃ヘリの一群がゼオライマーに奇襲をかける。

 羽虫の呻る様な音を立てて近づく攻撃ヘリコプターMi-24「ハインド」

ある時は低く、ある時は高く、獲物を狙う鷹其の物。機銃が呻り、ミサイルが轟音と共に飛び交う。

後より続くは100台以上のT-54/55、T-64戦車と、2S1グヴォズジーカ 122mm自走榴弾砲。

落雷の様な轟音が、段々と、ゼオライマーに近づいて来る。

 薄く全面に張り付けたバリア体によって、そのすべてを凌いでいる事に美久は疑問を持った。

一思いにメイオウ攻撃で灰燼に帰せばよいのに……

やはり秋津マサトの肉体を乗っ取った際、精神が幾分か取り込まれた為か……

あの心優しい青年の気持ちが忍人(にんじん)*7・木原マサキに変化を与えたのであろうか。

コックピットの中で、椅子に深く座り込む男の事をモニター越しに眺めていた。

 

 犠牲をいとわぬソ連軍の挺身攻撃……、狙いはパイロットの戦意喪失か。

マサキは、既にソ連軍参謀本部潜入の時からの疲労が、出始めていた。

数時間に及ぶ逃避行は、彼の肉体から体力を削り取るには十分であった。

 操縦席に項垂(うなだ)れていた彼は、段々と気怠(けだる)くなる肉体を奮い立たせるべく、興奮剤を飲む。

僅かに残った水筒の水を飲み干すと、布製の入れ物ごと空の容器を放り投げた。

「この俺としたことが……、奴等の計略に乗せられるとはな」

 

 一瞬、油断を見せたゼオライマーに、赤軍兵は吶喊をかける。 

「全機射撃許可、 撃て!」

指揮官の号令の下、一斉射撃が開始された。

30機余りの戦術機はゼオライマーを囲むや否や、雨霰と弾丸を浴びせかける。

微動だにせず佇む白亜の巨人に向け、火を噴く20ミリ突撃砲。

 

「奴の武装は両手に付けられたレーザー砲2門!接近して一刀のもと切り捨てれば勝算はある!」

連隊長がそう叫ぶと跳躍し、長刀を振るいあげ、切り掛かる。

脇から第一中隊長も同様に薙ぐようにして、ゼオライマーの左側から剣を打ち付ける。

 いくら自分達より優勢な敵とはいえ、指呼(しこ)の間に入られては、ご自慢の光線銃も使えまい……。

連隊長はそう考えて、切り掛かかる。

一瞬射撃が止むと、二機のMiG-21 バラライカは飛び掛かった。 

 ゼオライマーは両手を上げると、手甲で長刀を押さえつける。

鈍い金属音と共に、一瞬火花が飛び散る。

次元連結砲の照準をを合わせ、射撃してきた。

敢て直撃させず、牽制するかのように光線を放つ。

 そこは精鋭・ヴォールク連隊の強兵……。

光線をするりと避けると、左手に持った突撃砲を至近距離でぶっ放した。

残弾表示が0になるまで打ち付けると、下部に備え付けられた105㎜滑腔砲が咆哮(ほうこう)を上げる。

殷々(いんいん)とした砲弾は、連続した轟音を響かせ胸部装甲に直撃。

白亜の機体は、漠々たる煙塵(えんじん)に包まれる。

 あの業火と噴煙の中に在っては、操縦士は、生きてはいぬだろうと想像した。

連隊の衛士は、誰も彼もが、血走った眼を火線に曝し、汗ばんだ手で操縦桿を握りしめる。

随伴歩兵たちは、茶色の戎衣を纏った身体を震撼させていた。

日は登り気温は上昇しているのに……、まるで雹にあったかのように寒気を感じさせる存在。

 今にも50メートルもあろうかと言うの鉄の巨人が、推進装置を全開に突っ込んで来やしないか。

そんな怖れを抱かせたからだ。

 はたして、その恐怖は、現実のものになった。

周りを取り囲んでいた噴煙が晴れると、白亜の機体を日光が照らす。

ゼオライマーの全体は塗装の禿げた所も無ければ、頭部の角飾りも欠けたところも見当たらない。

息をつく暇もないくらい激烈を極めた、突撃砲の斉射を受けたというのに……

 

「中々歯ごたえのある敵になりそうだな……」

マサキは不敵な笑みを浮かべると、推進装置の出力調整を行う。

通常の5分の一以下に目盛(めも)りを合わせると、戦術機の方に突っ込む。

 右手の拳を繰り出し、次元連結砲を咆哮させる。

閃光が光ったかと思うと、周囲の物をなぎ倒す勢いで連隊長機に衝撃波が直進する。

一瞬にして連隊長機は吹き飛ばされる。

「連隊長!」

爆散こそ免れるも、跳躍ユニットは衝撃波の影響で使えなくなってしまった。

 

 その様を見ていたマサキは一瞬俯くや、くつくつと喉の奥で押し殺すように笑い声をあげ、

「この木原マサキを(もてあそ)ぶとは、なかなかの者よ。面白い。楽に死ねると思うなよ……」

横に90度振り向くと、左側から切りかかって来た第一中隊長機目掛け、次元連結砲を放つ。

長刀を持つ右前腕部を吹き飛ばした。

 

「火線に付け!」

号令と共に、突撃砲が轟音を上げながら、再び火を噴いた。

 一列に並んだBM-21 グラートが、発射音を奏でながら、ロケット弾を次々に斉射する。

この発射装置は、世界最初の自走式多連装ロケット砲、82mm BM-8の系譜をひく。

最前線にあるドイツ国防軍兵士の心胆を(さむ)からしめた、オルガンに似た発射音。

『スターリンのオルガン』と恐れられた。

 機銃で払われても払われても突撃してくる、天のゼオライマー。

恐怖に、(おのの)いた衛士が、

「こいつぁ、化け物だ!」と、悲愴な、叫び声をあげた。

今まで戦って来たBETAは、物量こそ赤軍を圧倒するも、最後には押しとどめることが出来た。

ミサイル飽和攻撃、光線級吶喊(レーザーヤークト)、戦略爆撃機による空爆……。

硬い殻を持つ突撃級など、自走砲の榴弾で背面から打ち抜けたものだ。

 しかし、この日本野郎(ヤポーシキ)は違う。

砲火の嵐どころか、ミサイル飽和攻撃も物ともせず、全てを睥睨(へいげい)する様に(そばだ)つ。

 

 ここで退けば、ソ連赤軍全体の士気に影響を与えるのは必須……。

連隊長は、管制ユニットの中で、深い溜息をついた。

どこか、死を受け入れた、あきらめに似た溜息であった。

 我等が敗退すれば、18に満たない子供に銃を担がせて送り込むほかはない……。

中ソ国境に居る蒙古駐留軍を引き抜くにも限界がある……。

男は、女子供までかき集め、衛士の訓練を始めたソ連赤軍の様を、密かに(うれ)いていたのだ。

 

 現在ソ連赤軍の青年志願兵はほぼ尽きようとしており、300万人の兵力維持はとても厳しい状態。

非スラブ人の中央アジアやカフカスに在っては、15歳まで徴兵年齢を下げていた。

 1918年のボルシェビキ革命以来、急激に識字率の向上を果たしたロシア社会。

僅か50年余りで、すさまじい勢いの少子化が進んでいた。

1945年に終えた大祖国戦争*8によって、2700万人の成年人口を(うしな)ったのも大きかろう。

 女子教育の普及や婦人参政権を始めとする婦人の社会進出は、ロシア女性の価値観を変容させるに十分であった。

またスターリンの死後、1955年に堕胎罪の廃止も少子化を勧める遠因になった。

 その様な状況にあっても、ソ連政権は婦女子や年少者の徴兵を止めなかった。

理由は、実に単純である。 

思想的に未熟な少年兵は、思考操作や洗脳を施すのに労力がかからないからである。

そう言った理由から、ソ連赤軍は少年兵への依存度を高めていくことになった。

 

「第二中隊は、戦闘指揮所の要員と共にウラジオストックにまで下がれ……」

突如として第43師団の本部より、指令が入る。

 第二中隊は、確かグルジア人の政治局幹部の子息が居る部隊……

自分達は捨て駒になって、幹部の息子を逃がせという指示か……

だが、我らが犠牲になって、このゼオライマーという、マシンを手に入れれば……

社会主義国、ソ連の輝かしい栄光の歴史は、再び全世界を照らすであろう。

そう考えなおすと、最後の吶喊をかけた。

 

 

 ここは、市外のはずれにある建物の中に佇む、五十搦(ごじゅうがら)みの男。

鳥打帽(ハンチング)に灰色の背広服*9……、何処にでも居るロシアの田舎百姓といった風采(ふうさい)をし、

「なあフィカーツィアよ。俺の(せがれ)と一緒にウラジオくんだりまで行く話……。

了承してくれるであろう」と、壁際に直立する赤軍兵に向かって、声を掛ける。

 

 声を掛けられたのは、小銃を担いで直立する白人の婦人兵。

年の頃は、二十歳(はたち)くらいであろうか、マカロフ拳銃を帯びている所から将校と分かる。

透き通る様な色白の肌に碧眼。淡黄蘗(うすきはだ)色の髪はゴールデン・ポニーテール*10

婦人兵用の軍帽に、白樺迷彩(ベリョーズカ)*11(まと)った彼女は、何処か戸惑った表情で、

「ですが……」と、男の言葉に、返した。

感じる不安を抑える様に、右肩に担ったAKM自動小銃*12の吊り紐を、きつく掴む。

 男は、カフカス訛りの強いロシア語を、優しい口調で、

「野郎はクソ真面目だが、英語も上手いし弁も立つ。

贔屓目に見ても、グルジア人に生まれた事が惜しいくらいさ。

既に師団長には俺から話を通してある」と、滔々(とうとう)と語り始めた。

そして、混乱に乗じ、密かに自分の子息と彼女を避難させることを、告げてきたのだ。

「俺は、常々、君に、あの男と所帯を持ってほしいと思ってたのよ。

最悪、太平洋艦隊でサハリン*13にまで落ち延びるってのも悪かねえなぁ」

神妙な面持ちで、懐中より、一枚の封書を取り出し、

「こいつは、俺からウラジオの党関係者に当てた手紙だ」

フィカーツィアは、封書を両手で恭しく受け取る。

党幹部あての親書を持ったまま、固まる彼女を尻目に、男は話し続け、

「政治局に出入りする人間が書いたものであれば、奴等も無下には扱うまい……」

右の食指と中指に挟んでいた口付きたばこを口に近づけると、咥えた。

「なぜ、ここまでの事を……」

男は、茶色の瞳で彼女を伺うと、頬を緩ませた。

 

 男は、そっと彼女の両手を握るや、改まった口調で、

同志(タワリシチ)ラトロワ。俺は君の気に入ってたのだよ。

君の様な、聡明で(うるわ)しいスラブ娘の事を気に入らぬ男は居まい。

そんな唐変木(とうへんぼく)が居たら、一度会って見たいものだ。

どうせ偏執な男色家(ホモセクシャル)か、色気狂(きちが)いであろうよ」と、言いやった。

「お心遣い、有難う御座います……」

ラトロワは、そう言って深々と頭を下げ、戸外へ向かって駆けて行った。

走り去る彼女の背に向かって、

小倅(こせがれ)の事は頼んだぞ!」

と、告げるや、懐中よりマッチを取り出し、紫煙を燻らせながら、彼女の姿を見送った。

*1
ユーラシア大陸の北東部を流れる全長4,368キロメートルの河川。支那側呼称は、黒龍江(こくりゅうこう)

*2
戦闘服や軍服の事。元来は鎧兜を指す言葉であった。

*3
河北省秦皇島市に位置する渤海(ぼっかい)湾沿いの避暑地(ひしょち)。毎夏、そこで中共幹部の秘密会議が開かれる

*4
九つの親族。支那の古典に準拠すれば、男系血統に関して言えば、高祖、曽祖(そうそ)、祖父、父、自分、子、孫、曽孫、玄孫(げんそん)の9代をいう

*5
一説によれば、272万人の日本人抑留者の内、37万人がこの地で落命した

*6
ソ連時代、市民という言い方は非常に他人行儀な言い方であった。基本的に同志を意味するТоварищ(タワリシチ)や親しみを込めて愛称で呼び合った。

*7
むごい事を平気で行う人。残忍な人

*8
第二次大戦のソ連側名称

*9
ソ連では背広が百姓や漁師の作業着として使われた

*10
高めの位置で髪を束ねるポニーテールの事

*11
КЛМКと呼ばれる勤務服の上から着るつなぎ服と上下分離式の二種類があった

*12
従来のカラシニコフ小銃の生産性を、カラシニコフ博士自身が改良した物。1959年採用

*13
樺太の露語名称




2022年12月以降は、隔日投稿から週一投稿にさせて頂きます。

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