冥王来訪(ハーメルン投稿版)   作:雄渾

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 悲劇の敗戦から30有余年。
ソ連隷属下にある東ドイツ。
国を憂う青年将校・ユルゲン・ベルンハルト中尉。
彼はそれ迄避けていた東ドイツ政界に身を乗り出した。
全ては愛する女性の為に……。



(ひさめ)

 さて、視点を転じてみよう。

 この物語のもう一人の主人公であるユルゲン・ベルンハルト。

彼は、東ドイツの軍事組織である、国家人民軍航空軍*1中尉。

 BETA戦争の為、航空戦力が削減され、やむなく地上軍*2へと転属している身であった。

そんな彼は今、国家人民軍地上軍の戦術機部隊である第40戦術機実験集団の隊長。

 ソ連救援のため、東ドイツよりはるか東にあるウクライナのドンバス地方に来ていた。

ウクライナに展開する国家人民軍第一戦車軍団と戦術機実験集団に呼び出しがかかった。

 当該部隊の指揮官、参謀は、急遽帰国の途に就き、ベルリンへ向かった。

彼らは首都に着くなり官衙(かんが)に招かれ、そこで驚愕の事実を知らされる。

 東独の首脳部の口から伝えられたのは『中共政権による単独でのハイヴ攻略』

独力で中共がハイヴ攻略をした……。

 その話は、わずか数日の間に国際報道に乗り、全世界を駆け巡る。

欧州戦線にて前衛を務める東欧諸国の青年将校達に、衝撃が走った。

 

 帰京して数日たったある夜、ベルリン郊外の然る屋敷。

とあるSED*3党中央委員の私宅に、二人の男が呼ばれていた。

屋敷の主人は、青年時代から党大会に参加し、新進気鋭の議会委員として、有名な男。

「よく来てくれたな、二人とも」

 人民軍地上軍の軍服姿の男たちが部屋に入る。

 壮年の男が敬礼をすると、脇にいる男も少し遅れて敬礼をした。

壮年の男の名前は、アルフレート・シュトラハヴィッツ*4

 機甲科*5を示す桃色の台座の上に、将官を示す金糸と銀糸が織り込んだ肩章。

 金属製の星形章の数から少将。

胸には略綬と職務章を付け、年のころは40代半ば。

若干日焼けしており、最前線で戦っていることが一目で判る。

 生地は、艶やかな灰色で質の良いウールサージ。

体に合った仕立ての良いで、恐らくテーラーでのカスタムメイドであろう。

 青年は、ユルゲン・ベルンハルト*6

水色の台座の航空軍肩章で、銀糸の刺繡模様から尉官。

 肩章に輝く菱形の金属製星形章の数から中尉。

陸軍と同じ灰色のサージで出来た将校用の軍服を着ている。

 隣の男と比して、生地の質が幾分が落ちることから、判るのは既製品であろう事。

美丈夫と呼んでも差し支えない男で、年のころは20代前半。

輝くような金髪に、碧眼、青白く美しい肌の青年であった。

「此方こそ御招き頂いて有難う御座います。自分は……」

屋敷の主人は、不敵の笑みを浮かべると遮るように言う。

「知っているよ。

噂の婿殿だろう。アーベルの奴が居たら面白かったな」

ベルンハルト青年は反論した。

「待ってください。自分はまだ独身で、彼女とは結婚はしていません。

たしかに友人以上の関係ではありますが、誤解なさらないで下さい」

 興奮した様子のベルンハルト青年を、主人は宥めた。

「まあ、待て。その話は追ってするから、これを見ろ」

主人は、青年と脇にいるシュトラハヴィッツに一枚のB3判の封筒を渡す。

「これは……」

複数の写真と独文の報告書と、英字新聞の複写が挟んであった。

(なんで「南華早報」*7、何故、西側の新聞が……)

 隣を振り向くと、40がらみの男が熱心に資料を読んでいる。

「実はな、支那でのハイヴ攻略。未確認だが、西側の新兵器が使われたらしい」

 左手で、椅子に腰かける様に促された彼等は、着席した。

屋敷の主人はその様子を見届けると座り、奥に向かって茶を催促する様、呼びかける。

まもなく暖かい湯の入ったヤカンと、急須に茶碗が盆に載せられ運ばれる。

「お待たせしたな、フランスの茶しかなかったんだけど良いかね」

 青年は驚いた。

フランスの有名茶葉、フォション*8

缶を裏返してみると、先頃より手に入りにくいセイロン*9製の茶葉。

続いて運ばれてきた、白磁の皿には、直径15センチもあろうかというクッキーが10枚ほど並んでいた。

「なんでもベルンハルト君、西側の茶葉が好きだそうだね。

君の好みに合うかは知らんが、味わってくれ」

 彼は驚いた。

自分は既に目の前の男にとっては、丸裸寸前の状態であることに。

「話を戻そう。

すでに諸君も報道で知っているとは思うが、先日、中共がハイヴを単独攻略をした。

我が国も様々な筋からの情報でも、それが裏付けられた……。

なんでも超大型の戦術機による空爆で、ハイヴを粉砕したらしい事まで分かった」

 シュトラハヴィッツ少将が口を開く。

「超大型ですか」

 彼に主人が写真を差し出し、

「この写真を見たまえ」

 撮影日時は不明ではあるが、横倒しの状態でコンテナ船に乗る戦術機の姿が映っていた。

縮尺から考えると50メートル近い巨大な全長。

 武装は見えるところにはないが、恐らく別積みしてあるのだろう。

「こんな物を、何時の間に……。

この混乱の前に、10年に及ぶ文革で数千万が被害にあったと聞き及んでいます。

彼らに、その様な工業力があったとは、思えませんが……」

 屋敷の主人は、脇からフランスたばこを出す。

右手で封を切り、箱から一本抜き取る。

 縦型のオイルライターを取り出し、火を点けた。

恐らく、オーストリア製のライター、イムコ(IMCO)であろう。

紫煙を燻らせると、静かに語り始める。

「実は、未確認の情報だが、西側の新兵器らしい。

最終的に、天津港から日本の神戸港に運ばれた」

 ベルンハルトは、驚いたような声で尋ねた。

「じゃあ、支那は独力ではなく、日本に助力を求めたというのですか! 

今頃になって他国に援軍を求めるなど、虫が良すぎではありませんか。

その様な我田引水(がでんいんすい)は、許されるものではありません」

 主人は彼を宥めた。

「まあ、落ち着き給え」

 ユルゲンに、紙巻きたばこの箱を、右手で差し出す。

ジダン*10の文字が見え、フランスの有名な黒タバコであることを理解した。

 このような物を自在に手に入れる立場であること、自分の地位の高さを見せつけるためであろう。

それとなく目前の男は、彼に説明しているのだ。

「君、たばこは吸うか」

ユルゲンは、右手で(さえぎ)った。

「自分は吸いません。それに……」

 たばこの箱を、シュトラハヴィッツ少将の方へ向ける。

シュトラハヴィッツは、彼の右手から自分の右手にタバコの箱を受け取った。

「宇宙飛行士になりたいんだろう。20代じゃないか。

夢をあきらめるは、まだ早い。

たしかに体が資本だ。

だからこそ君の様な男に、この動乱を生き残ってほしい」

 ユルゲンは、主人に黙って会釈した。

シュトラハヴィッツはタバコを3本取ると、胸ポケットからマッチの木箱を取り出した。

 其の内の一本に、マッチで火を点け、吸い始める。

タバコの箱を机の上に、静かに置いた。

「マホルカ*11と違って癖が少ないですな。

 でもラタキア*12やバージニア*13のような吸いやすさはないですな」

 目前の人物は、自分のもてなしを大層気に入ったようだ……

男は喜びながら答えた。

「なあ、旨いだろう。この独特の風味が癖になる。

 気に入ったなら、また来た時に用意してやるよ」

 彼は、男の顔を見ながら答える。

顔は正面を向くも、どこか遠くを見るような目で、何か寂しさを感じているような表情であった。

「兵達に吸わせたかったですな……」

 おそらく戦場で戦死した兵士たちへの手向けた言葉であろう。

そのことは、色々他人の気持ちに疎いユルゲンでさえ、理解できた。

 暫しの間、場は静まった。

再び現実に戻すように、ユルゲン青年が男に問うた。

「よろしいでしょうか」

 男は頷いた。

「お話というのは、その支那情勢の事ばかりではないでしょう。本心を聞かせてもらえますか」

 男は目を瞑り、白いフィルター付きのタバコをゆっくりと吸う。

ゆっくりと紫煙を吐き出すと、語り始めた。

「ぶちまけた話をいえば、君等に、我々の派閥に入ってほしい。

《おやじ》も年を取り過ぎた。

この辺りで何か、起死回生の策を採らねば、我が国は消える」

 男の話を、彼は熱心に聞き入った。

「そこでだ。

今回の欧州全土を巻き込んだミンスクハイヴ攻略作戦の帰趨(きすう)は、我が国の将来に掛かっている。

成功すれば、西側へ、より良い条件を引き出す切っ掛けに為るやもしれん」

 タバコを、ゆっくりと灰皿に押し付ける。

「実はな、国家保安省(シュタージ)の一部の極左冒険主義者共が策謀を巡らせていてな、なんでも青年や大学生を誘致しているらしい」

彼等は、この発言に驚いた。

「そういった話を、聞いたことはないか」

無言の彼等に代わって、男はなおも続ける。

「戦術機部隊を作って、連隊*14を拡大強化する案を省内で纏めていると聞く」

 シュトラハヴィッツ少将は、二本目のタバコに火を付けながら答えた

「我々にそれを潰せと……」

「あくまで噂だよ。

俺が《おやじ》の《家》に、《遊び》に行ったときに、小耳に挟んだのだよ」

 彼等は、一通りの話を聞いて理解した。

《おやじ》とは、この国の最高指導者の事を謙遜した表現であり、《家》とは何かしらの施設か、府庁であろうことを……。 

 男は冷めた茶を飲み終えると、再び話し始めた。

「噂だが」

そう置きした後、真剣な表情で語った。

「なんでも一部の極左冒険主義者共、露助の茶坊主*15と、褐色の野獣*16とかいう、綽名の優男を中心に大学や青年団*17の中に入ってきて、男狩り*18を始めた」

 男は、白磁の皿に手を伸ばして、大きいクッキーを掴み取る。

「青年団は俺の島だ。島に黙って入ってきて食い荒らされては困る。

それ故、人民の軍隊である人民軍の将校に、《陳情》しているのだよ」

 高級幹部特有の言い回しに、シュトラハヴィッツ少将の目が鋭くなる。

今の一言は、政治的に危うい発言……。

「それは、どのような立場でだ」

 クッキーを弄びながら、男は答える。

顔は、背けたままであった。

「党中央委員の意見としてだ」

 シュトラハヴィッツ少将は、火のついたタバコを灰皿にそっと置いた。

その態度から、彼は少将が静かに怒っているのを悟った。

「党中央委員会の意見としてか」

 クッキーを割りながら、なおも続ける。

「それは君の判断に任せる」

 シュトラハヴィッツ少将は、両肘を机の上に突き出すように座って、答える。

机の上に置いた両手が握りしめられていく。

「脅しかね」

 灰皿の吸い殻へ、種火が移り燻り続ける。

部屋は、天井の方に煙で空気が白く濁ったようになっている。

「要望だよ」

 そういうと男は、クッキーを食べ始めた。

食べ終わると、こちらを見ながら話し始めた。

「つまり、君達がそれなりの結果を示さないと、あの茶坊主共にこの国は滅茶苦茶にされると言う事だよ」

 ベルンハルトは腕時計を見た。時刻は午後10時半。

せっかくの帰国だ……。そう悩んでいると、男が声を掛けた。

「妹や、愛する《妻》に逢いたかろう、今夜はお開きだ。

明日、親父さんを連れてきなさい。

如何しても外せない話が有るからと伝えて置いてくれ」

 彼は、その一言を聞いて一瞬戸惑ったが、理解した。

《親父さん》とは精神病院に幽閉されている実父ヨゼフ・ベルンハルトではない。

 おそらく将来の岳父アーベル・ブレーメ*19であることを……

その様な思いを巡らせていると、少将が右肩に手を置いた。

「一旦帰ろうではないか」

 彼は立ち上がり、少将と共に敬礼する。

ドアを開けると、軍帽を被って屋敷を後にした。


 翌日、早朝に改めてベルンハルト達は屋敷を再訪した。 

館の主人とアーベル・ブレーメは、ベルンハルト達を置いて10分ほど室内で密議を凝らす。

興奮した様子で、部屋から出てくると外で待っている二人を呼んだ。

「二人とも来給え」

 屋敷の主人は彼らを食卓に案内した。そして椅子に腰かけるとこう告げた。

「まだ朝の6時前だ。

軽く飯ぐらい()ってからでも、遅くはあるまい」

 食卓には湯気の立ったソーセージと厚く焼いたパン、そして豆のスープが並んでいた。

全員が座ると再び口を開く。

「朝早く呼んだのは、昨晩の話を彼に伝えるためだ。

 いくら保安省に近い、経済官僚とはいえ、売国奴共のことは見逃すことは出来んよな」

彼はアーベルを一瞥する。

「さあ、喰え。冷めてしまうぞ」

「で、保安省の連中をどう抑えるのですかな」

 コーヒーを飲みながら少将は尋ねた。

「まずは、穏便な方法で行く。

まさか、クーデターなんて大それたことをやる必要はない。

あまり焦り過ぎるのは良くないぞ、シュトラハヴィッツ君」

 灰皿を机に並べながら、

「多少時間は掛かるが、中央委員会に根回しをしなくてはならない」

 彼はそういうと少将にタバコの箱を手渡す。

少将は軽く会釈をすると、数本のタバコを抜き取り、彼に返した。

 館の主人は、タバコの箱を回し終える。

そして、もの言いたげな表情をしている少将の方を向いて、彼に発言を促した。

「と言う事は」

男は眉一つ動かさず聞く。覚悟したかの様に告げた。

「《おやじ》に、隠居してもらうのさ」

 その場にいる全員の表情が凍り付く。

彼は真新しいゴロワーズ*20のタバコを開けながら、続ける。

「その為に、軍には協力してもらいたい。前線の君達にこの事を話したのは訳がある」

 そういうとシガレットホルダーを取り出し、両切りタバコを差し込む。

覚悟したかのように、ベルンハルトが尋ねた。

「つまり穏便な方策が、駄目であった時……」

屋敷の主人は、タバコに火を付ける。

「みなまで言うな」

 ゆっくりとタバコを吹かす。

そして、天井を仰いだ。

「まずは、《表玄関》から入って、茶坊主共を掃除しなければなるまい。

駄目だったら《裏口》から入る方策を用意して置けば良い」

「ですが……」

 彼は、青年の方に顔を近づける。

「ベルンハルト君。

君は、政治家には向かんな」

 そういうと笑いながらアーベルの方へ顔を向けた

「君が惚れ込むのも分かるよ。こんな好青年を鉄火場には置いておけんな」

 吸っていたタバコを右手でホルダーから外しす。

ホルダーを左手に挟んだまま、思い付いたかのように手を叩いた。

「なあ、身を固めなさい。

年頃のお嬢さんを、何時(いつ)まで待たせる気だね」

 ベルンハルトの目が泳ぐ。

色白の端正な顔は赤く染まり、気分は高揚している様だ。

「自分はまだ……」

 男は、新しいタバコをホルダーに差し込みながら話し続けた。

「妹さん達のような若い婦女子を前線には送りたくない。

その気持ちは私にも判る。

しかし、昨今の国際情勢の下では……。

何れ、動員令が下って前線へ出さざるを得なくなるやもしれん。

それに、なんでも戦術機の訓練学校にいるそうではないか」

 ユルゲンは、たちまち精悍な顔つきになり、男に尋ねた。

「何を、(おっしゃ)りたいんですか」

 男はマッチを取り出し、ゆっくりとタバコに火を点けた。

「婦人はね。

結婚すれば、前線勤務の免除を条件とする案を、中央委員会の議題にしようかと思ってね。

まあ、イスラエル辺りでは実施されている方策。

だから、わが国でも同様の策を取り入れても問題はない……、と考えている」

 男の話の内容から、彼は、既婚婦人兵の前線勤務免除が確定済みなのを確信した。

タバコの灰をゆっくりと灰皿へ落すと、彼の方を向いた。

「私はね、君の様な好青年が独り身で戦死するようなことを減らしたいと考えている。

仮に家族が居れば、考え方も変わるだろうと」

 彼は驚きながら、周りをうかがった。

アーベルは、今までに見た事のない優しげな表情で見返してきた。

シュトラハヴィッツ少将は新しいタバコに火を付けながら、真剣にこちらの話を聞いている。

「甘く幻想的な考えかもしれんが、君の様な男を見ていると、年甲斐も無く其の様な夢を見たいと思えてしまうわけだよ」

そう告げると、タバコをゆっくりと外すと右手で灰皿に押し付け、火を消した。

「なあ、アーベル、シュトラハヴィッツ君。そうであろう」

 二人は深く頷いた。少将の顔が綻んだのが見える。

彼も、やはり一人の父親であろう……。

 将官ゆえに政治的発言は慎んでいるが、やはり愛する娘の事を思う人間なのだと。

冷徹な鉄人ではないと言う事を、あらためて認識した。

男は、冷めた茶を飲み干すと、再び、彼に向かって話し始めた。

「君は、我が国の独自外交だ、武器輸出による国際的地位の確立だの、言っているそうだがね。

それは、無理な話だよ」

ベルンハルトは、再び尋ねた。

「なぜですか。

今ソ連の力が弱った時に……」

 男は、再びタバコに火を点けた。彼の顔を見ぬまま、喋る。

「我が国はソ連の後ろ盾があったからこそ、ある程度社会主義圏で、自由に振舞え、西側に影響力を行使しえた」

 下を向いていた顔を、起こし、

「その後ろ盾が無くなれば、どうなる。

この民主共和国は、恐らく20年も持たずに消え去るやもしれん。

チェコやハンガリーでの反動的な運動が盛んになれば……。

何時か、この国に飛び火する……」

 何時になく真剣な表情で、彼の顔を見つめながら。

「農業生産品や工業生産品もソ連から滞っていて、社会生活を何とか維持できるかも怪しくなりつつある。

だからこそ……」

 シュトラハヴィッツ少将が声を遮る。

「西側に近寄ると……」

男は、少将の方に振り向いた。

「いや、違うな。《挙国一致》体制で乗り切るんだよ」

黙っていたアーベルが答えた。

「どういうことだね」

 左手で灰皿を引き寄せ、ホルダーからタバコを外す。

右手に燻るタバコを持ちながら、問いに答える。

「非常時と言う事で占領地(トライゾーン)に協力を申し付けるのさ」

 彼は呆れ果てた様な表情で、男を見た。

「今更、その様な古い理論を……」

 男は、右手でタバコを静かに消した。

「遣るしか有るまい。

そしてそれを交渉材料にすれば、軟着陸できる方策があるはずだ」

 ベルンハルトは、背筋を伸ばしたまま、再び尋ねた。

「仮に挙国一致の統一が成っても、社会主義のシステムを内包したまま、統一を図ると言う事ですか」

 屋敷の主人は驚いた顔をしながら、彼を凝視した。

「詳しく話してくれ」

 彼は、断りを入れてから話した。

「思い付きですがね……。

自分が空想するのですが、国土の統一はなっても、両方の社会システムを維持したまま、穏便に時間をかけてどちらかの体制をとるか……

あるいは、片方の制度に移行する期間を設けるべきかと……」

 彼は、横目で、周囲を見る。

シュトラハヴィッツ少将は、熱心にタバコを吸いながら聞いている。

アーベルは腕を組んで、深く椅子に腰かけている……。

 男は前のめりになって、問うてきた。

「つまり、一国に統一した後、2つの制度で、運営すると」

彼は、身じろぎせず話す。

「そうです」

 男は、背もたれに寄り掛かる。

目を閉じて一頻り悩んだ後、こう言った。

「西ドイツのブルジョア選挙*21で前衛党*22が議会を支配するようになれば、上手く行くやもしれん」

 アーベルが組んでいた手をほどき、ひじ掛けに手をかけて身を起こす。

そして男の方を向き、囁く。

「ワイマールの悪夢を再び見ろというのかね……」

男は、鋭い眼光で返した。

「向こうの情報はこっちに筒抜けだから、上手く操縦できるさ」

 ベルンハルトは恐る恐る尋ねた。

「仮に、ブルジョア選挙で上手くいっても、民主集中制*23の問題で、行き詰りそうですが……」

 二人は唖然(あぜん)とした。

タバコを吸い終えた、シュトラハヴィッツ少将が静かに低い声を掛ける。

今までに聞いたことのない声の低さであった。

「それ以上の話は、中央委員会であんた等がやって呉れ。

俺達は、軍人だ。命令や陳情を受け入れるのみ」

 男は少将の一声に驚いて、冷静さを取り戻した。

「たしかにそうだな。茶坊主共を片付けるのを優先にしよう。

捕らぬ狸の皮算用をしても目先のBETA、売国奴共にケジメをつけないと話が前に進まないしな」

 アーベルが、勢い良く椅子から立ち上がった。

「それではお(いとま)させてもらうよ」

それに続いて、青年と少将も立ち上がる。右手で、机に置いた軍帽を持ち上げる。

「俺の方で可能な限り動いてやるよ。茶坊主共が、娘さんには手出しさせない様にな」

彼は男に右手を差し出し、男も応じて強く握手する。

「頼む。あの様な奴らの毒牙になど……」

 青年と少将は、軍帽を被り、身なりをを整え、敬礼をする。

返礼の敬礼をして、ドアから出ていく彼らの姿が見えなくなるまで、その姿勢でいた。

 そして、走り去る自動車を見送ると、こう呟いた。

「ああ、あのいけ好かないおかま野郎を退治してやる機会だ。

有効活用させてもらうよ」

時刻は午前7時前だった。

*1
空軍

*2
陸軍

*3
Sozialistische Einheitspartei Deutschlands,ドイツ社会主義統一党

*4
カティア・ヴァルトハイムこと、ウルスラ・シュトラハヴィッツの実父

*5
戦車部隊の事

*6
アイリスディーナ・ベルンハルトの5歳年上の実兄、ベアトリクス・ブレーメの恋人

*7
South China Morning Post、サウスチャイナモーニングポスト。香港の日刊英字新聞。1903年11月6日創立

*8
FAUCHON.1886年創立のフランスの食品メーカー。レストラン・ホテル事業も展開

*9
スリランカの雅称

*10
Gitanes.1910年発売のフランスたばこ

*11
ソ連時代からあるロシアタバコの一種。

*12
オリエント葉のタバコを蜜で燻製した物。名前の由来は今日のシリア共和国ラタキア地方より。主な産地はシリア・キプロス

*13
糖度の有る一般的なタバコ葉。主な原産地は米国バージニア州

*14
フェリックス・ジェルジンスキー衛兵連隊

*15
エーリヒ・シュミット

*16
ハインツ・アクスマン少佐。国家保安省中央偵察管理局

*17
自由ドイツ青年団

*18
スカウト

*19
ベアトリクス・ブレーメの実父

*20
Gauloises.1910年発売。黒タバコが特徴的なフランスたばこ。ジタンと並び、欧州では現在も一般的な銘柄。サルトルが愛飲したで有名。

*21
普通選挙

*22
共産党、社会主義政党のこと

*23
プロレタリア独裁




 お待たせしました。原作キャラクター登場回です。

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