冥王来訪(ハーメルン投稿版)   作:雄渾

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 ユルゲンは、生き別れた母メルツィーデスと、再会する。
そして、母の口から両親の離婚の真相を告げられるのであった。


慈母(じぼ) 後編(旧題:先憂後楽)

 ユルゲンは母の顔を見た途端、胸が締め付けられた。

思い出したくないのに、かつての家族の団欒(だんらん)が頭をかすめてしまう。

 母は、すでに四十路(よそじ)は越えてはいるが、蠱惑(こわく)と思える艶美(えんび)は、少しも(いろ)()せていなかった。

この圧倒的な妖艶(ようえん)の前に、あの国家保安省(シュタージ)工作員、ダウムも魅了(みりょう)されたのであろうか。

一層(いっそう)(あや)しいまでの皮膚の白さと、金糸のごとき、美しく長くまっすぐな髪が(きら)めいて見える。

 彼女の娘であるアイリスディーナに、あの忍人(にんじん)、木原マサキが、頬を熱くして、(こころ)(さわが)すのも、兄ながら理解できる気がした。

妖艶(ようえん)な母と、楚々(そそ)たる妹では全く雰囲気が違うが、やはり、その()えた美貌(びぼう)は、どこかこの世の人とも思えぬ感じもしないでもない。 

 

 「この際だから、(あら)(ざら)い、聞いてみたらどうなの」

肘掛椅子に座るベアトリクスは、鬱勃(うつぼつ)とした表情のユルゲンに問いかけた。

「すまない。気にはなっていたが……」と、(おさ)(づま)の肩に、手を置いて、メルツィーデスを睨み、

「アンタに一つ尋ねたい。なんで俺達を捨てて、あんな間夫(まぶ)の元に(はし)ったんだ」

と、目の前の女に、瞋恚(しんい)を明らかにした。

「それは、貴方たちを庇うために、ダウムを頼ったのよ」

母の衝撃的な告白に、ユルゲンは唖然(あぜん)とした。

 

 メルツィーデスの告白を、心の中で反芻(はんすう)していたユルゲンは、その衝撃から立ち直れずにいた。

「母さん!」

アイリスディーナの呼びかけを制し、メルツィーデスは、沈黙するユルゲンの方を向き、

「彼と話がしたいの。ベルンハルトの家族には酷い事をしたから」

にべもなく言い放つと、淡々(たんたん)と語り始めた。

「ヨゼフが、貴方がたの父がなぜ、国家保安省(シュタージ)に付け狙われたか。本当の事を話しましょう。

あの人は、先ごろ亡くなったアンドロポフKGB長官に目を付けられてたの……」

 

 すでにお忘れの読者もいるかもしれないので、説明する。

メルツィーデスの話に出て来る、KGB長官とは、マサキと少なからず因縁のある人物であった。

 シュタージ内部のKGB工作員、エーリッヒ・シュミットの叔父(おじ)であり、東ドイツ首脳暗殺を(たくら)み、幾度(いくど)となく工作隊を送り込んだ張本人。

 また、ゼオライマーに核攻撃を指示した責任者でもあり、ハバロフスク空港で、剣を(ふる)って、マサキと壮絶な一戦を交え、彼に殺された人物である。

 

 

「丁度、22年前の今頃に、なるかしらね……。

ハンガリーで、ソ連の軍事介入*1で政変があったのを覚えている?

いいえ、あなたはまだ2歳になったばかりだったからね」

脇で聞いていたザビーネが、同調する様に、

「奥様、あの時、わたくしも娘の頃*2でしたが、よく憶えてますわ。

買い出しに行った西ベルリン*3では、それこそ酷い騒ぎでしたの。

連日連夜、オーストリーに亡命する人々の話が、西ベルリン経由で漏れ伝わってきましたわ」

「ザビーネさん、私はハンガリーに、主人とユルゲンといたから、詳しい経緯は知ってます」

と、メルツィーデスは、軽くあしらって、

「あの人は、軍事介入が決まった後、蛮勇(ばんゆう)を振るって、ソ連大使館に単身乗り込んでいったの。

そこで、駐ハンガリーソ連大使に、意見したの」

「何て?」

「正確な所は知らないけど、何でもこういったそうよ。

『ソ連がハンガリーでやったようなことは帝国主義国がやってきた事と同じである』と」

「あの恐ろしいKGBが、よく許しましたこと!」

「どういう経緯で帰って来たかは知らないけど、でも、それ以来、目を付けられたのは確かよ。

ソ連からも、KGBからも」

メルツィーデスは、押し黙るユルゲンの頬を()でながら、

国家保安省(シュタージ)の前の長官のミルケ、知ってるでしょ」

「……」

「彼は、ベルリンで2人の警官殺しの後、ソ連に逃げてKGBに拾われた男よ。

そんな人間だから、ソ連の操り人形で、モスクワの許可が無ければ何にもできない人だった」

母の面は、色蒼く()めて、いつの間にか(むせ)(ごえ)になっていた。 

 

 母が、何かを語ろうとしているのは、分かる。

しかし、ユルゲンには、彼女の気持ちが判らなかった。

何時しか、怒りより戸惑いの感情が強くなっていき、

「何が言いたいんだ」と、初めて強い姿勢で、ものをいった。

「もう少しで終わるから待っていて」

「……」

「その後、ハンガリー大使だったアンドロポフが、67年にKGB長官の地位に就いたの。

私から言えることは、これだけよ」と、彼女は思いきったようにあふるる涙と共に言った。

 

 

 ユルゲンは、その一言で、目の前が真っ暗になるようであった。

1967年と言えば、父と母の離婚した年である。

あの憎い間夫(まぶ)、シュタージ職員のダウムが、眉目(びもく)秀麗(しゅうれい)(かんばせ)をほころばせ、母に言い寄った年でもある。

母の話を勘案(かんあん)すれば、父はハンガリー大使だったアンドロポフの恨みを買っていた。

そして、KGB長官の就任祝いとして、シュタージが忠誠心を示す貢物(こうもつ)として差し出すべく、父母を(おとし)めたと、伝えたかったのだと。

 今、精神病院の暗い病室の中で、恍惚(こうこつ)としている父が、よもや、その様な大陰謀に巻き込まれていたとは……

たまらない憐愍(れんびん)がわいて、彼はメルツィーデスの脇に座る。

「そんな事情があったとは……(ゆる)して下さい」と、彼は、四十路(よそじ)を超えた母を抱きしめた。

幼き日、母の胸の中で泣き喚いたように、体中で慟哭(どうこく)した。

 

 

 

 夜が()ける中、アイリスディーナは一人、フリードリヒスハイン人民公園まで来ていた。

母の衝撃的な話を聞いて、信じられず、制服姿のまま、家を飛び出してしまったのだ。

兄や、護衛のデュルクが探しに来るだろうが、何も考えられないほど憔悴(しょうすい)しきっていた。

 すると、そのときである。

「どうした。年頃の娘がこの様な時間に出歩くとは、いくら社会主義独裁の国でもあぶないぞ」

ふいの声に驚く間もなく、そっと抱きすくめられた。

「暴力など受けたらどうする。俺だから良かったものの……」

 

 声の主は、木原マサキだった。

着古しの詰襟の上から、黒色の脹脛(ふくらはぎ)丈のコートを羽織って、紫煙を燻らせていた。

 今回の訪問は、連絡を取った訳ではない。つい衝動的に、来てしまったのだ。

アイリスディーナへの想いは、日が経つに連れ、強く激しくなってきている。

それを一旦制御する為に、マサキは、彼女の元を訊ねたのであった。

 彼は、着ているウールのオーバーを脱ぐと、アイリスディーナの肩にかけ、

「どうだ、温かいだろう」と、手を引いて、パンコウ区の方に進む。

「どうして……」

「別れのあいさつに来た。俺は明日、ハンブルクを()って、ニューヨークに行く。

その前に、お前の顔を(おが)んでおきたかったからさ」

 

 彼のそうした態度が、ふとアイリスディーナを不安にさせたのかもしれなかった。

急に、碧海のような青色の瞳に涙さえ差し()んで。

「……」

「どうやって来たか、理由は聞かんのか……、フフフ」

マサキは、アイリスディーナの方を向かずに、

「何、驚くべき事ではない。次元連結システムの一寸した応用さ」

と、言った後、顔を彼女の方に向け、じっと碧海のような瞳を見て、

「俺の方でも、女遊びにかまけていられなくなってきてな。

だからアイリス。暫し、お前の所には顔は出せん」と言いやった。

彼の視線が耐えきれず、アイリスディーナは視線を落とした。

胸の奥で、高鳴る鼓動に惑わされながら、歩みを進める。

なんと声を掛けてよいのか、どの様な態度を取ればよいか、彼女には解からなかった。

一週間前なら何ともなかったのに、頬を紅潮させるような羞恥(しゅうち)を覚える。

 

マサキは、おもむろに、ホープの箱を取り出し、タバコを口に咥え、

「この先、俺は月と火星に居るBETA退治の為、新兵器の開発に入る」

と、その場の雰囲気を、変えるような事を口走った。

 暫しの沈黙の後、アイリスディーナは、顔を上げ、

「まだミンスクハイヴ攻略から日が浅いのにですか……お疲れも()え切らぬ内に」

どことなく悲しげな表情の、マサキの瞳を再びとらえると、

「しかたがない。これが科学者というものだ。軍人と言うものだ。

この木原マサキは、木や石で出来た像では、ない。

身体の疲れも辛いが、お前との別れはもっと辛い。だが一度、自ら望んで軍籍に身を置いた立場」

「ええ……」

マサキの声に動揺はなかった。いつも以上に落ち着いていた。

「出来れば、お前には軍から身を引いて欲しい。

あのような剣の中に身を置いて欲しくない。まだお前は花開かぬ青いつぼみだ。

暖かい春の日差しも、花を咲かせるような夏の太陽も、実を()らせる秋も知らない。

願えば、どんなことでも出来る。

兄の為とか、こんな傾いた国の為とか……

その様な戯言で、軍に残って、衛士などという、馬鹿げた事をする必要はない。

女の一生を、そんな一時の自己満足の為に、棒に振る様な必要は無かろう」

 

 かつてないほどの昂ぶりが、アイリスディーナの胸に一気に押し寄せて来る。

それまで一部の隙も見せていなかったマサキの、秘密の部分を垣間見た感じだ。

 脇から見つめていると、マサキの苦悩が良く伝わって来る。

細く長い指で、ガスライターを操作しながら、火を点け、紫煙を燻らせる。

「男は、この世に生まれて以来、己の大義に、己の正義に(じゅん)じるのが宿命。

俺も、俺自身の野望の為に、あえて、(つるぎ)の中に身を置き、魑魅(ちみ)魍魎(もうりょう)どもと戦っている」

マサキは、静かにうつむいた顔を上げ、

「だが、女は違う。

(いく)千年の歴史の中で、(こころざし)(じゅん)じて死んでいった男達を横目に見ながら、その命を長らえて来た」

 アイリスディーナは、不思議とマサキに恐怖を覚えなかった。

それより彼をより一層生身の人間と感じて、その様に魅了されていた。

「何時しか許され、その命を(まっと)うしてきた。また許される存在なのだ。

だから、高い理想のために働くなどではなく、どの様に生きるかを考えるべきではないか」

と、どこかあどけなさの残るアイリスディーナの表情を見つめ、(にわ)かに彼女を抱き寄せる。 

「もう少し、女らしく自由に生きてみよ」

咄嗟に、彼女のうけたマサキの唇は、炎のように熱かった。

*1
1956年のハンガリー動乱

*2
独身時代を指す言葉

*3
東ドイツ国民は、1961年まで自由に西ベルリンに貸し出しに行けた




 ご意見、ご感想お待ちしております。

少しばかり淡泊だったので、アイリスディーナの心情描写を追加しました。

増やしてほしい話の内容や描写に関して

  • 原作キャラの心情描写
  • 戦闘描写
  • 恋愛関係
  • 1970年代の政経関係
  • 原作から変わった部分の説明
  • 現状維持
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