冥王来訪(ハーメルン投稿版) 作:雄渾
彼の米国留学を前に、軍上層部は動く。
ユルゲンの身辺警護の命を受けた、マライ・ハイゼンベルクの運命は……
ここは、東ドイツ、ポツダム。
ゲルトウにある国家人民軍参謀本部の一室。
東ドイツの兵権全てを預かる、この場所にマライ・ハイゼンベルクは呼び出されていた。
冬用コートの代わりに着て来た綿入り服の上着を脱いで、勤務服姿で待っていると、
「よく来てくれたね」と、声が掛かる。
慌てて敬礼した先に居たのは、参謀総長に、ハイム将軍であった。
「まあ、椅子にかけ給え」
参謀総長とハイムは、軍帽を脱ぐと、椅子に腰かけ、
「君には頼みたいことがある」と告げた。
マライは、腰かけるも、クッションの利いた椅子に戸惑いながら、膝に上着を掛けて、
「同志大将、どの様な事でしょうか」と、タイトスカートを押えながら、訊ねる。
参謀総長は、落ち着いた声で話し始めた。
「同志ベルンハルトが米国に留学するのは知っていよう」
「はい」
「実は、同志ベルンハルトと一緒に米国に行って貰いたい。
その際、隠密作戦として、夫婦に偽装してほしい」
「えっ」
答えに詰まって、恥じらっているマライに向かって、顔を向ける。
「これは、同志議長からのお申しつけなのだよ」
そうしてハイム将軍は、詳しい経緯を話し始めた。
ベアトリクスの父、アベール・ブレーメは、全てを政治に
東ドイツの官界では、そう噂され、秘かに
また、彼の父の代より、ソ連と関係し、党幹部として
家族関係もそうではないか、妻はおろか、娘ともろくに口を利かない
家族すら政治の道具に使い、娘すらも国家の為に差し出す、
実際は、通産官僚として恐ろしいほど忙しく、家に帰る暇も無かっただけであった。
彼自身は、娘に護衛を付け、何不自由の無い様にさせてやるこそが愛情だと考えていた。
だが、それを娘に
そんな彼も今になって、娘・ベアトリクスの事を心配しだした。
一番はBETA戦争が一段落し、
流入してくると恐れたソ連からの難民は、バルト三国とポーランドに収容所を作り、そこで留め置かれた。
そして、BETAの恐怖から、東ドイツ国民の逃亡に関し、
ただ、内部への監視は引き続いてはいるも、シュミットの乱で、人材が払底した影響は計り知れない。
二番目は、
東ドイツをソ連の
徐々にであるが、強烈な思想統制も、ソ連への
最後に、ベアトリクスの妊娠である。
この事で、アベールは、密かに
なんで、妊娠した娘を、秘密警察という、その様な
いくら、忍人とは言えども、自分の娘と孫は
その愛の深さは、彼女がユルゲンと共に行くはずだった渡米留学にも影響した。
まだ妊娠安定期*1にも入らない娘を、米国に送り出す等とはと、議長に
『
そう、自分とシュトラハヴィッツ将軍に行ってきたのだと、語った。
「まあ、次官には初孫であるし、娘さんもまだ長期出張などで耐えられる体ではないから……」
「それで、わたくしが……」
「君も知っての通り、同志ベルンハルトは大変な
とにかく彼はモテる。
「はい」
「そこで、ここは一つ、君に護衛任務に就いて欲しいのだよ」
「……護衛任務ですか」
何を思ったのか、参謀総長が立ち上がり、執務机の方に向かう。
引き出しから、ファイルを取り出し、老眼鏡で眺めながら、
「同志ハイゼンベルク。君を見込んで頼んでいるのだよ。
君は、婦人兵にしては、
何も、通信兵としての実務ばかりではない。
拳銃やシモノフ半自動銃の操作も
顔を上げた、参謀総長は、目をほころばせる。
「その上、衛士になる転属申請も、しているそうじゃないか」
マライは、手を振った。
「いえ、いえ、わたくしには出来ません」
「ブレーメ嬢が怖いのか。その辺は本人を呼んで、私が説得する」
参謀総長は、不安げにするマライをよそに、自信満々に答えた。
ベアトリクスが参謀本部に乗り込んで、珍しく
「あの方の恐ろしさを
彼女は、ユルゲンと親しくなればなるほど、ベアトリクスの監視がたえず身にそそがれているのに気づいた。
あの赤い瞳に灯した、ユルゲンへの燃え盛る愛情が、
忘れもしない、あの、天のゼオライマーのパイロット、木原マサキ。
彼が、ベルンハルト邸を訪問した、その日以来、彼女の
「まあ、どっちにしろ、まだブレーメ嬢は19にもならぬ娘御だ。何かあったら私がかばうよ」
そう言って、笑みを浮かべるハイム将軍に不安を覚えながら、マライは自我を抑えた。
「わかりました」
この場で参謀総長や軍上層部と争うのは愚かである。争って勝てっこない。
少なくとも自分は、この国家と軍隊に
ベアトリクスの様な小娘、アイリスディーナの様な
今、命令された任務を無事
アイリスディーナの見合いや、ベアトリクス一人の内心などは問題でない。どうにでもなる。
そのどうでもいい事に、議長のご
愚かしさよと、ようやく、身の内で落ち着かせる雰囲気を作り上げていた。
さて翌日。
ベルリンのシェーネフェルト空港*3は見送りの人でごった返していた。
9月の第3火曜日に開催される国連総会に向け、議長が出発する為である。
空港のロビーに来た、ユルゲンのいでたちといえば。
新たに仕立てた外出服の肩と袖にある階級章は、真新しい大尉の物。
上等な灰色のウールサージ製の折り襟の上着に、
センタープレスの
両手には、大きめのジュラルミン製のアタッシェケースを二つ下げていた。
「お前たちもこんな所まで見送りに来なくていいのに」
ユルゲンは困惑したような声を出し、アイリスディーナとベアトリクスの方を向く。
彼女たちの装いもまた、
ベアトリクスは、ウール製の紺のノーカラージャケットに、同色のひざ下まであるワンピース。
肌色のストッキングに、黒のかかとの低いパンプス姿。
ウェーブのかかった腰まである長い黒髪を、頭頂部で結って、奇麗に纏めていた。
夜会巻きと呼ばれる髪型であった。
一方、アイリスディーナは、黒のフラノ製のマキシ丈のロングコート姿。
大きめの襟に、ダブルブレストで、同色のベルトを後ろでリボン結びにしていた。
中は、白のハイネックセーターに、紺のロング丈のプリーツスカート。
足元は、黒革の、膝まである編み上げのブーツ。
金糸のような美しく長い髪は、何時ものように風にたなびかせなかった。
色合いこそは地味であったが、使っている生地や履いている靴の上質な革。
首より下げたネックレスや宝飾品、持っている有名ブランドのハンドバックや腕時計。
何よりも、二人の
またユルゲン自身も、この世の物とも思えぬ
「兄さん、忘れ物は」
ユルゲンは、アイリスディーナの
「昨日の夜の内に確かめたし、
これはまずいと、妻のベアトリクスはすぐ
「大丈夫よ。もうこの人は大尉だから。士官学校を出たばかりの、その辺の新品の少尉と違うわ」
と軽く笑いながら、アイリスをあしらうと、
「向こうに付いたら、一度連絡をくれれば良いわ」と、袖をつかんだ。
瞳の奥に
レッドブラウンのアイシャドーをくっきり入れ、透明感のある赤い目を
形の良い唇には、ダークレッドの口紅をさし、
この若妻は、ソ連留学の時もそうだが、
彼女の男まさりな気強さも、その胸の深い所は別にして、知らぬ人には
ユルゲンは、じっと無言のまま、彼女の
しばらくして、ユルゲンは、かたくなっていたアイリスを落ち着かせようと、
「心配するな、アイリス。俺もお前も
ニューヨークの
これには、アイリスディーナも一瞬考えて、押し黙ってしまう。
再び口を開くと、彼女は兄に対する心の中にある不安を打ち明けた。
「ハーレム*8の黒人街やクイーンズ*9の
おもわずユルゲンは失笑を漏らした後、口を開く。
「
たしかにコロンビア大学のキャンパスはマンハッタン島にあるが……」
さっきとは打って変わって、
「住むのは、ニューヨーク郊外の地区だ。
そこに、民主共和国名義で借り上げた宿舎がある。
何なら、隣のニュージャージー*11に、誰かと一緒にルームシェアして住むさ」
「今の所、一番危険なのは兄さんですからね。CIAやFBIが近づいてこないとも限りませんし。
彼等の
まだ納得もできず、言いつのろうとするアイリスディーナの事をユルゲンは抱きすくめる。
「大丈夫だって、安心しろよ。平気、平気だから」
興奮を隠さないアイリスディーナを、やさしく諭すように続けた。
「俺には、心強い、お目付け役が付いているし。
逆に、アイリス。お前が心配だよ。
10月から研修が終わった後、来年1月からどこに行くんだっけ」
「誰ですか、兄さんにつく護衛は」
兄は笑って答えなかった。知らない様だった。
「ヤウクさんもカッツェさんも、アメリカには行きませんよ。
ヤウクさんは、兄さんたちと別行動で、一人英国で、サンドハースト士官学校留学ですし。
それに、カッツェさんは、私と一緒にコトブス県*12の
基地司令は、ハンニバル大尉。
ですから、兄さんは安心して、ニューヨークで勉学に励んでください。
手紙は、出来るだけ書きますので……」
アイリスディーナの
「わかった」
二人の声が途切れると、後ろに佇むマライが、左袖の内側に付けた腕時計を覗く。
灰色のタイトスカートの外出服、黒色のストッキングとパンプス姿で、待っている様子だった。
「では、ユルゲン君。そろそろ出発のお時間が……」
「今行く。少し待っていてくれ」
ユルゲンは、つい
するとまた、軍靴の足音がして、出発の時間が近い事を告げた。
間もなく、軍帽を
「ユルゲン、そろそろ奥方様と別れは終わりにして。議長がお呼びだ」
「では、行こうか。ヤウク」
軍帽を被りなおす*13と、
貴賓室の中では、紫煙を燻らせた*14議長が、首相や外相と話し込んでいた。
聞き耳を立てていると、
ハイム少将が、ユルゲンの後ろに立っているマライに目を向けると、
「一応、大使館から護衛が着くことに、なっているが……
私のほうで、同志ハイゼンベルク少尉を、君の護衛につけるよう手配した」
「同志将軍、ありがとうございます」
そうは答えた物の、ユルゲンは、自身の胸のざわつきに驚いていた。
そんな疑問を頭に浮かべていると、ハイム将軍は深い溜息をついて、
「失礼だが、君は抜けている所があるな。
今度の留学は海の向こうのアメリカだ。ソ連の様においそれと助けることが出来ん。
だから、ハイゼンベルク少尉に護衛任務に就いてもらう。
彼女と一緒に暮らしてもらって、留学を無事終えてきて欲しいのだ」と小声で述べた。
「えっ、そんな」
「美人は嫌いか」
「いや、小官も美人は好きですが、今の話と何の関係が」
「同志議長が、君が、
今の言葉が、何処か耳の遠くへ、消えてしまいそうな感じがする。
わずか1週間ほど前に、アイリスディーナの
その内、遠くの議長や閣僚からの視線を感じた彼は、一度
「はい」と
「これって、
過ぎていく機窓の
衝撃的な命令を受けてから、国防大臣からの訓示も、政治将校から生活指導もみんな吹き飛んでしまった。
議長の傍に呼ばれて話した内容もさっぱり覚えてはいない。
警護とはいえ、マライを四六時中側に置くなんて……どうしようもなく恥じ入っていた。
何処か
二人にない、マライの、何とも
そんな所が、周囲の気を引いたのだろうか。
ハンニバル大尉と、彼女が付き合っているという、怪しげなうわさも流れた。
大尉も枯木ではない。ないどころか、40代の性も盛んなはずである。
自然、マライの立ち振る舞いや匂いには、ふと心を奪とられても、おかしくはない。
だが、事実無根だった事は、昨日の事の様に思い出せる。
恐らく、シュタージに目を付けられていた大尉の妻を
彼と、妻の関係は問題なく続いている様だ。
何より、アクスマンが
第一戦車軍団は、戦術機を扱うため、独自の通信隊を抱える関係上、婦人兵が他の部隊より多かった。
若い男女が同じ屋根の下にいる為か、何かしら
上層部から期待されていたベアトリクスが
彼女の
そんな事もあって、軍団は、恋多き場所と
軍全体から、やっかまれているせいでもあろうが、事実だった。
『これで、俺がマライに心を捕らえられたりしたら……』
ユルゲンは一人で赤くなりながら、マライに向きそうな視線を、無理に窓に向けた。
マライは、ユルゲンからの
ユルゲンのそばで、
ベアトリクスやアイリスディーナの情景描写を、だいぶ増やしました。
ご意見、ご感想お待ちしております。
増やしてほしい話の内容や描写に関して
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原作キャラの心情描写
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戦闘描写
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恋愛関係
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1970年代の政経関係
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原作から変わった部分の説明
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現状維持