冥王来訪(ハーメルン投稿版) 作:雄渾
GRUの長年の宿敵KGBをマサキの手で潰させる計画を実行することにした。
その頃KGBは、日本政府に恨みを持つテロリストが近づいた。
駐レバノン・ソ連大使館での密議は、その日の内に、GRU部長の耳に伝わる。
色を失った参謀総長は、机の上に有るマグカップを取って、熱いグルジア茶を呷る。
「木原は、まだニューヨークに居るのだな」
参謀総長の問いかけに、青白い顔色をして、部長は応じる。
「マンハッタン島にある総領事館にあって、準備をしてると聞き及んでおります」
「
「私も、同様に案じて居ります」
迷うときではない。
また迷っている暇もない。
「やはり、手段は一つだ」
いつもは冷静な参謀総長が、顔をしかめて、GRU部長をにらみつける。
そんな表情にただならぬものを感じて、GRU部長は怖じ気づいた。
「KGBの計画をつぶし、氷室を木原の下に返すおつもりですか」
「氷室の居場所を明かし、KGBを差し出せば……いくら木原といえども、満足しよう」
あらためて、あたりの将校たちは、体の真底から、異様な恐怖につかれたような声を発した。
「エッ!何を望まれるのですか」
説明すれば説明するほど、墓穴を掘るような感覚に参謀総長は
万事休して、彼は口走った。
「ゼオライマーを手に入れる。
そのためには、木原がどうしても必要なのだ」
いまや取る途はそれしかないとは分っていたが。
今更の如く、多年破壊工作に励んで来た諜報員ですら、身の毛がそそけ立って来るものとみえる。
「断れたら、殺す。もちろん、我らの手にゼオライマーが入ってからだがな」
側近の誰も彼もが、うろたえている。
「BETAの侵略によって、太陽系の命運は
地球を、ロシア民族を残さねば、ソビエト連邦の光も、社会主義の夢も
ときに、GRU部長」
「はっ」
「音楽学校*2卒業の衛士を呼びたまえ」
部長は、室内電話で秘密回線に連絡を入れた。
間もなく、
空色の肩章に中尉を示す菱形星章、胸には衛士の証である銀色のウイングマーク。
「同志、かけたまえ」
参謀総長の言葉にうながされて、彼女は席に着いた。
ゴールデンポニーテールで結った腰まで届く銀髪に、スカイブルーの瞳。
「部長から話は聞いたと思う」
シガレットケースから、細く巻いたマホルカ*3を取り出して、火をつける。
彼女は歴戦の兵らしく、麻紙を使った手巻きタバコを愛用していた。
今日でも、ソ連、東欧圏で、婦人の喫煙は珍しいことではなかった。
東ドイツでは婦人の約3割近くが喫煙し、より娯楽の少ないソ連では約半数が喫煙していた。
ただ、マホルカよりも、外国たばこのマルボーロといった軽い吸い口のものが好まれていた。
「KGBが木原のパートナーを誘拐したのは事実だ。その回収をやってもらいたい」
かかる指図は、補佐するGRU部長こそがすべきだったが、参謀総長自ら声をかけた。
「急いでいるのは、月面からのBETAの再侵攻の危険が迫っているからでね」
紫煙を燻らせながら、静かに訊ねた。
「どこへ行けばいいんですか」
参謀総長は、GRU部長に目配せした後、
「レバノンだ」
と言い終わると、彼女に資料を渡す。
「ゼオライマーのサブパイロット、
彼女をKGBの秘密基地から脱出させ、セルブスキー研究所長を消しなさい」
「同志大将。かしこまりました」
と、椅子を机のわきへずり退けて、敬礼の姿を
「このソフィア・ペトロフスカヤ、完璧に実行いたしましょう」
彼女が口にした名は、
ここは、地中海に面する中東の大国、シリア。
この地は、ソ連にとって、なんとしても抑えたい拠点の一つであった。
BETA戦争によって弱体化したソ連は、隣国*4、NATO加盟国のトルコと、親米の帝政イラン。
二大強国を前にして、指導部は震えあがっていた。
無論、帝政時代から、トルコとイランはロシアの宿敵である。
幾度となく干戈を交え、勝てなかったロシアは、様々な秘密工作を仕掛けた。
19世紀末までには、クリミア・ハン国や、カフカス地方、果てはイランの影響力の強い中央アジアまで、その版図に収めた。
1920年代には、アマーヌッラー・ハーン*5を支援し、積極的にアフガン紛争に参加した。
ハビーブッラー・カラカーニー*6により、アマーヌッラー・ハーンは廃位され、その野望は
その様な苦い経験が、ソ連にはあったのだ。
だから、英米とイスラエルの目が光っているトルコやイランで活動をしなかった。
シリアやイラクといった影響下にある国に、支援という形で多数の軍事顧問団を派遣した。
もっとも、史実の中東戦争やレバノン紛争の際も、ソ連政府は、数千人の人員を送り込んだ。
エジプトやシリアの依頼を受けたという形で、ソ連軍事顧問団は、防空部隊や
消耗戦争*7の際、ソ連軍パイロットは、エジプト軍の戦闘機でイスラエル軍と戦った。
さて、シリアの首都ダマスカス近郊にあるメッツェ空軍基地。
そこの一室に、ソ連軍の将校が集められ、密議が凝らされていた。
彼らは、シリアに派遣されたソ連軍の戦術機部隊の将校と、政治将校であった。
肘掛椅子に腰かける、杉綾織の熱帯服姿の陸軍大尉は、机より顔を上げる。
正面に立つ白髪のアブハズ人の少佐に向かって、翡翠色の瞳を向けて、
「KGBが捕らえたゼオライマーの女衛士……。
赤軍やGRUが関わらずとも、よい案件ではありませんか。
仲介役を申し出ているヨルダンを通じ、人質を返せば、済む話では」
上質なトロピカルウール製の熱帯勤務服を着たアブハズ人は、
遮光眼鏡を外すと、正面に立つ若いグルジア人の大尉を見ながら、
「グルジアの党書記を務めた、御父上のご尊名を汚したくはあるまい」
と、能面のような表情をしたまま、答えた。
黒髪のグルジア人青年将校は、男をきつくねめつける。
「何、私を懲罰にかけるだと」
思い人の様子を、フィカーツィア・ラトロワは、黙って見守る。
脇に立つ、副隊長と一緒に、直立不動の姿勢で、注視していた。
政治将校は、顎に手を当てながら、室内を数度往復した後、
「もしもだ。そのようなことになれば、つまらんであろう。
悪いことは言わん。GRUの計画に協力せよ」
両手を広げて、男に同意を求めた。
「馬鹿な。参謀本部が、この私を懲罰にかけるものか。
第一、ソ連のことを思えばこそ……」
椅子より身を乗り出して、反論した。
政治将校は、彼に顔を近づけて、強い口調で言い放つ。
「とらえた女兵士を餌にして、木原を殺し、KGBがゼオライマーを手に入れれば」
「手に入れるという保証はあるのかね」
政治将校は畳みかける様に続ける。
「手に入れないという保証も、又、無い」
大尉は、自嘲するような笑みを浮かべ、
「フフフ、なるほど。つまり、危険な
「その通りだ。KGBを倒し、ゼオライマーを赤軍が手に入れる。まさに一石二鳥」
半ばあきらめたかのように、言い放つ。
「その話は、了解した。
ただし今の我々は、レバノン政府の許可がなければ、シリア領空からレバノンに侵入することはできない。
そのことだけは、忘れないでほしい」
政治将校の説得を受けた大尉は、一頻り思案した後、電話で戦術機部隊に待機命令を出す。
中隊長室を後にし、シリア側と話し合いに行く際、駆け込んできたラトロワに止められる。
「中隊長、ぜひ聞いてほしい」
カーキ色の熱帯服姿の彼女を一瞥した後、碧眼を見つめながら、
「悪いが時間がない。歩きながら話してくれないか」
そう告げると、立ちふさがる彼女の右わきから通り抜ける。
ラトロワは振り返ると、すぐに先を進む男を追いかけて、
「率直に言う。出撃をやめてくれないか」
男は立ち止まると、彼女のほうを振り返って、驚愕の表情を見せる。
「なんだって!どういうことだ」
「出撃をすれば、相手の思うつぼだ。
いたずらに犠牲を増やすより、ほかに方法はあるはずだ」
男は、首を横に振る。
「いや、いかにフィカーツィアの意見でも、それだけは聞けないな」
ラトロワの表情が変わったことに気が付いた大尉は、じっと見つめる。
「亡くなった御父上の名誉が、大切なことはわかる。
懲罰が実施されるかも、わからないし……
それに無駄に戦わずとも、上層部の不興を買わないで済む方法が、ほかにある」
彼女の深い憂慮の念をたたえた
そこに後ろから、政治将校が現れて、
「もっと大切なことが、あるのだ」
思わず絶句したラトロワと男は、直立不動のまま、政治将校に顔を向ける。
「母なる祖国ソビエトの大地を荒らしたBETAとハイヴを消し去った、天のゼオライマー。
あの無敵の超マシンを、KGBに奪われる事になってからでは遅い。
断じて、KGBに、渡すわけにはいかない」
苦しい思いに押しつぶされそうな彼女は、思わず基地の外に駆け出していた。
忘れもしない、あの恐ろしいゼオライマーの攻撃。
ソ連極東の巨大都市が、一台の戦術機の攻撃によって、一瞬にして灰燼に帰したのだ。
しかも、前線からはるか後方で、安全だと思われていた臨時首都で行われた、白昼の大虐殺。
死を覚悟して、BETAの溢れる支那に近い蒙古駐留軍に送り出した弟のほうが安全。
それに、首都で政治局員候補として勤めていた思い人の父があっけない最期だったのも、受け入れられない事実だった。
自分があの時、戦って止めていれば、変わったのだろうか。
「ソビエト社会主義の旗の下、全人類が団結すれば、いずれはBETAに勝てる」
いくら、党指導部が作った大嘘と分かっていても、信じて戦ったものが大勢いる。
ソ連の社会主義建設のために、純粋にその燃える血潮をたぎらせて、散っていった幾千万の勇者たち。
長い戦争で見知った顔が消えていくのは、今に始まったことではない。
鋼鉄の意思をもって、『ファシスト』枢軸国と戦ったソ連政権。
あの4年半も続いた『反ファシスト』の『大祖国戦争』も、勝ち抜いたが、その傷跡は30年以上が過ぎた今も癒えていない。
幼い頃から散々聞かされた政治プロパガンダで、『ソ連は独力で戦って勝った』とされたが、それも今回の戦争で嘘だということが分かった。
ソ連は米国からの食糧購入をBETA戦争前からしていたし、今自分が乗り回しているMIG-21ももとはといえば、米国のF4ファントムの改良版。
着ている被服も、履いている軍靴も、米国からの
結局、自国では、何の技術も設備もない。
あるのは、資源と生産力のない人間と、国費を懐に入れる腐敗役人だけ。
東ドイツやポーランドと敵対した今、
一度その様な生活を覚えると、昔に戻るのはかなり厳しい。
今、GRUが引き込もうとしている相手は、口のきけない怪獣、BETAではない。
木原マサキという、生身の青年科学者だ。
いくら、侍という、野蛮な戦士とはいっても、人間なのだから。
彼の愛した女は、東ドイツの戦術機部隊隊長の妹だという。
だから、決して話し合いに応じない相手ではないことは、確かだ。
どうすれば、引き込めるのだろうか……
ラトロワの胸は、悲壮感で張り裂けそうだった。
さてその頃、KGBといえば。
今回の誘拐作戦で相手を混乱させるべく、複数の国家間をまたぐ
だがそのことは、彼らの足並みを乱す原因にもなった。
中東で打倒イスラエル、打倒西側を掲げるパレスチナゲリラのもとに日本を追われて逃げ込んでいた共産主義を掲げるテロ集団がいた。
そのグループは、美久誘拐事件を聞きつけて、パレスチナゲリラを訓練していたKGB将校に話を持ち込む。
「同志大佐、氷室を理由にして、日本政府から金と人員を
網走刑務所に収監中の
「なに、身代金と人材リクルートということかね」
「3億ドルほど要求して、1億ドルずつ分けませんか。
ハバロフスクがなくなって、同志大佐もだいぶ物入りでしょうし」
「フフフ、帝国主義者どもが集めた金で、帝国主義者を退治するのか。よかろう」
「ではさっそく準備いたします」
KGB大佐は日本人テロリストがいなくなった後、悪霊を追い払うかのごとく罵った。
「薄汚い
椅子の背もたれに倒れ掛かった後、しばし物思いにふけった後、
「猿同士のいがみ合いか。これは面白くなってきたぞ」
机から陶器製のパイプを取り出し、シリア名産の「ラタキア」を詰める。
ゆっくり火をつけると、紫煙を燻らせながら、
「木原め、必ず血祭りにあげてやる」と、満面の笑みを浮かべた。
CreateWater様、bennet様、神移様、ダルビロ様、ご評価有難うございました。
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(アンケート期間は第5章終了まで。一番多い結果を採用させていただきます)
作者に書いてほしい話に関して(暁の連載にも影響します)
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