冥王来訪(ハーメルン投稿版)   作:雄渾

89 / 210
 西ドイツ第二の都市、ハンブルク。
(いにしえ)のハンザ同盟の町に住まう、東独からの亡命者、ホーエンシュタイン家。
 同家の義子(ぎし)、テオドール・エーベルバッハ少年は、義妹との平凡な日々を過ごしていた。


(ゆが)んだ冷戦(れいせん)構造(こうぞう)
赤毛の少年


 自由ハンザ都市ハンブルクは、西ドイツの北部に位置し、人口180万人の町。

エルベ川沿いの同地は、古くからハンザ同盟の中心都市として、ドイツ経済の要衝(ようしょう)である。

 その為、先の大戦において、連合軍の激しい空襲を受け、貴重な文物と多くの人命を失った。

しかし、欧州有数の港町である同市の再建は、戦後間もなくからなされ、その戦火の跡も忘れ去られるほどであった。

 また、日本との関係も深く、1950年代後半から1970年代にかけて、日本企業が進出した。

同地に進出した日本企業は100を超え、在留邦人は、2000人以上。

現在でも、毎年5月にはアルスター湖畔で花火大会を開催している。

 

【挿絵表示】

 

 ハンブルク市は、貿易、航空機関連を基幹産業とし、また多国籍企業の拠点でもある国際都市。

その為か、トルコ人労務者や、東欧から引き揚げ者を多く抱え、戦後ドイツの縮図であった。

 

 近代ドイツでは、常に労働力の不足が深刻な社会問題であった。

帝政時代より外人労働者を東欧から呼び寄せてはいたが、繰り返された敗戦のたびに、彼らは帰国し、定住しなかった。

 戦後復興を支えたのは、「被追放者(アウスジードラー)」と呼ばれる存在である。

第三帝国の敗戦によって、外地から引き揚げてきた「在外ドイツ人」と、その子孫であった。

 ソ連の支配を受けた衛星国では、その支配層にあたったドイツ系住民の扱いは悲惨を極めた。

ポーランド、ハンガリーなどから、追放の憂き目に遭った数百万人が、西ドイツに流入。

1950年の統計によれば、その割合は、全人口の16パーセントに上ったという。

 

 また東ドイツからの労働力は、1950年代初頭の西ドイツの経済発展の立役者の一人だった。

その数は「在外ドイツ人」やイタリア人の季節労働者よりも多く、1961年の壁建設まで300万人が来ていた。

 1958年の農業の集団化以降、毎年20万人の農民が西ドイツに逃亡した。

そのことは、東ドイツを支配する独裁党のSEDに衝撃を与えた。

 1961年に西ドイツとの融和政策を進めていたソ連の反対を押し切って、国境沿いに鉄条網を引いたのは、このことが原因といっても過言ではない。

1964年に西ドイツが身代金制度を作り、東ドイツから亡命希望者を買い取るまで、その亡命は非常に困難なものであった。

 

 

 人民の監獄たる社会主義から逃れてきた彼らは、反共宣伝のために西ドイツ政府に大いに利用された。 

 西ドイツは、東ドイツからの亡命者を手厚く保護した。

住宅や就労の支援、教育や年金制度に、民間の支援団体の援助。

ポーランドやハンガリーの社会主義圏から落ちのびてくる「被追放者(アウスジードラー)」も同様だった。

 

 東ドイツから亡命したホーエンシュタイン一家も、その例に漏れなかった。

男女二人の子供の両親である、トーマスとマレーネの夫妻。

 彼等は、劇作家とは違う職業を斡旋(あっせん)されて、就業していた。

社会主義化していく東ドイツの暮らしになれた為、戸惑いこそしたものの、この自由社会に順応していった。

 

 ホーエンシュタイン一家の遠縁にあたり、その養子でもある、テオドール・エーベルバッハ。

 半年前に東ドイツから一家で亡命した彼は、このハンブルクの町の学校に通い、日々を過ごしていた。

楽しみといえば、通学路沿いに立つ、キオスク*1を覗きながら帰るだった。

東ドイツから亡命した一家の生計は安定したものではなかったし、菓子などを簡単に買える身ではなかった。

 だが、一度食べたあの味は、忘れがたいものであった。

きれいな模様のついた包装紙にくるまれた菓子やチョコレート。

硬く、ぼそぼそとした食感の、東ドイツ産の菓子と違って、はっきりと甘く、卵や牛乳もふんだんに使ってあって、食べ応えがあり、彼も()みつきになるほどであった。

 

 後ろから付いてきた義妹(いもうと)の、リィズ・ホーエンシュタインに向かって、

「コカ・コーラも、何回も飲むと()きるもんだな。

向こうにいるときは、あの苦いコーラしかなかったから、毎日飲みたいって思ったけど……」

 東ベルリンでも、コカ・コーラやファンタなどは売ってはいたが、高価だった。

大体が「インターショップ」という外貨建ての店のみで、西ドイツマルクを持たない庶民は買えなかった。

 

 リィズは、まじまじとテオドール少年の顔をながめて言った。

「お兄ちゃんと、こうしてハンブルクの街を歩いて学校に通うのが……。

まるで、夢を見ているようで……」

「いまだに、信じられないのか」

「どうして、こんなところまで来ちゃったんだろうかって……」

 古着のラングラーのスリムジーンズ「936」をぴっちり着こなした両足は、ウットリするほど奇麗だった。

いつの間にか、妹の体つきがぐんと大人びてき始めたことに、テオドール少年は歩きながら気づいた。

「そういえば、リィズ。

先生から、ギムナジウムに進むよう、推薦された話はどうした」

 義妹(いもうと)のリィズは、非常な語学の才覚があった。

すでにエーベルバッハ少年が養子に来た頃から、露語*2の成績優秀な事で教職員たちから褒められているほどだった。

 西ドイツに来てからも、同じだった。

少し前に、英語の点数が優秀であることを教頭に目を付けられて、かなり熱心にギムナジウムの推薦を受けていたのである。

「私はちょっとわかんないって……答えちゃったけどね。

今のまま、家族みんなで、暮らせればいいかなって」

 彼女の幸せは、ギムナジウムの進学などより、兄と平々凡々に暮らす事であった。

 

 西ドイツは、全国民に画一的な教育を推進する単線式の学校制度の東ドイツとは違い、帝政時代から続いている複線式の学校制度が維持されていた。

 初等教育に当たる4年制の基礎学校の卒業の際に、教員によって進路を選択された。

成績優秀者はギムナジウム、中くらいの成績の人物は実科学校、劣等生は5年制の基幹学校。

 基幹学校に行った人物は、基本的に大学試験資格がなく、筋肉労働者への道しかなかった。

基幹学校から大学に行くには、実科学校に編入し、さらにギムナジウムに入学せねば、受験資格である卒業資格(アビトゥーア)が得られなかった。

 そして上級学校への進路を険しくさせたのは、基礎学校に入った時点からある留年制度であった。

日本で言えば小学校にあたる基礎学校の1年生で留年などをしてしまうと、そこから評価を回復するのは非常に困難であった。

 

 テオドールは照れを隠すように、頭を掻きむしりながら述べた。

「まあ、俺はBMWのセールスマンか、自動車修理工とかで、いいかな。

学があって、ヘンに頭の固い女より、可愛いお姉さんにお近づきになれたら……」

 あのKGBと並び立つと人民におそれられた秘密警察「シュタージ」もない西ドイツ。

テオドールにとって、西ドイツの自由はまぶしかった。

 

 リィズは、笑いながら、エーベルバッハ少年の冗談に応じた。

「もう、お兄ちゃんは変態さんね」

その姿は、いつにもまして蠱惑(こわく)的で、妖しげであった。

 

 

 

 

 

 

 

 東ドイツ人にとって、西ドイツは、文字通り堕落(だらく)した、資本主義の世界。

正に聖書の一説に書かれた、廃頽(はいたい)的な文化の咲き誇るソドムの町だった。

ラジオやテレビからひっきりなしに聞こえる、煽情(せんじょう)的な報道に、淫靡(いんび)な歌詞の音楽。 

 町中に立つキオスクには、「PLAYBOY」や「Penthouse」と言った写真週刊誌が並ぶ。

それは、東ドイツの法で禁止されていたきわどい姿の裸婦(らふ)が掲載された、猥褻(わいせつ)な週刊誌。

 屋台の奥には、そのほかに、タブロイド紙、何十種類もの紙巻煙草、手巻きタバコと巻紙。

ナチス時代の健康政策を「抑圧的」と反省し、喫煙や飲酒も東ドイツより自由だった。

 ガラスの冷蔵ショーケースには、米国製の炭酸飲料とともに、冷えたビール。

特に米国製のバドワイザーや、瓶詰のペール・エールが、ぎっしり詰められていた。

ドイツ製のビールは、常温で飲む習慣が強かったので、冷蔵ケースに入れず、店頭販売した。

 

 法で組織的な売買春が禁止されている日本とは違って、西ドイツでは売春は事実上合法だった。

 ハンブルグやケルンといった、大都市部に置かれた歓楽街、通称『飾り窓』。

そこでは、劣情(れつじょう)をかき立てる下着姿の娼婦(しょうふ)が、窓より半身を乗り出して、街を歩く青年を手招きする。

 色街(いろまち)の入り口には、厳重な門があって、屈強な男が立っていた。

18歳以下の男性と娼婦以外の女性は入場が禁止されており、大抵の場合は見えるところに派出所がおかれていた。

 また、決まりきったように、ソーセージの屋台があった。

そこには、()であがったばかりのフランクフルトソーセージ*3や、焼きたてのカレーソーセージ。

なみなみと容器に入ったケチャップやマスタードなどが、これ見よがしに置かれていた。

 

 ハンブルクの犯罪率は、統計によれば、西ベルリンやボンに比して、非常に高かった。

 裏通りに行けば、米国文化や英国の文化にかぶれた不良青年たちがたむろする地区があった。

彼らのいでたちといえば、革のジャンパー、古着のフランネルシャツに、色褪せたジーンズ姿。

頭をモヒカン刈りにそり上げ、純金製の耳飾りや首飾りをつけ、街を徘徊していた。

 夜になると、いずこから現れる、麻薬を売る闇の商人。

阿芙蓉(あふよう)覚醒剤(かくせいざい)といった麻薬のみならず、LSDやMDMAなどの錠剤状の向精神薬。

ヒッピーに人気のマリワナを低価格で売りさばき、青少年たちを悪の道に引きずり込んでいた。

 薬事犯の発生件数*4は、1963年の80件から漸増し、1969年以降は急増、1972年には1541件。

この様に、ハンブルクは商都であり、また西ドイツで一番犯罪が多発する、魔都でもあった。

 

 

 だが彼が、道を踏み外し、不良へと転落しなかったのは、義妹(いもうと)の支えがあったからである。

 この可憐で、聡明な少女、リィズ・ホーエンシュタイン。

同い年の彼女の愛のおかげで、エーベルバッハ少年は、人知れず救われたのだ。

*1
トルコ語のköşk、東屋(あずまや)を指し示していた言葉に由来し、そこから小規模な商店を差す言葉になった

*2
東独の公用外国語はソ連の隷属化に置かれた関係で、露語であった。仏語と英語は第二外国語で基本的に希望者のみだった

*3
本場ドイツのフランクフルトソーセージは茹でて食べる専用のソーセージ

*4
警視庁編、『昭和48年版 犯罪白書』より参照




 今回から、暁連載分の第六章に代わります。

 暁、ハーメルン両方で、読者リクエストの多かった、テオドール・エーベルバッハの登場です。

 今後も、アンケート等で読者要望をいたしますので、お楽しみにお待ちください。

 18禁外伝のほうもよろしくお願いします。
『ベアトリクス・ブレーメの淫靡な夢』(ユルゲン主人公の成人指定のお話です)
https://syosetu.org/novel/289469/


感想欄も、一言頂けたら励みになります。
(暁の方でも構いません)
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。