冥王来訪(ハーメルン投稿版)   作:雄渾

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 キルケがあった謎の東洋人、木原マサキ。
彼女は国家のためにマサキに近づくも、物おじしない彼に興味を持つ。
一方マサキも、キルケを西ドイツ工作への足掛かりにすべく、彼女に近寄った。


ライン川の夕べ 後編

  軍楽隊の(かな)でる音楽の中、ドイツ軍将校団の表情は優れなかった。

皆一様に暗い表情を浮かべ静かに酒を飲んでいた。

 そんな中、二人の男が、夜会の端の方で話をしていた。

「なあ、あれが噂に聞くゼオライマーのパイロットか」

脇にいる黒髪の偉丈夫(いじょうふ)は、金髪の髪を短く刈上げた男に応じる。

「ああ、あの20そこそこの青年将校だが、先頭に立ってBETAの中に切り込んでいったらしい」

「大分浮かぬ顔をしている様子だな」

「何かあったのだろう」

「なあ、バルク。君はどう思う?」

「隊長、何がです?」

 

 金髪の髪に、緑色の目をした、将棋の駒の様な顔の男。

彼の名は、クラウス・ハルトウィック上級大尉。

常に屈託(くったく)を顔に浮かべ、女にもてたことのなく、けっして誇大な話はしない。

 ただ大尉の身の上でありながら、 西ドイツ軍の戦術機隊長であった。

戦術機部隊を、米軍の協力を得て一から立ち上げた人物である。

世人は、『現代のグーデリアン将軍』と、彼の事をそやした。

 

 黒髪に、茶色い瞳をした、鬼瓦のような顔の偉丈夫は、ヨアヒム・バルク大尉。

戦術機部隊立ち上げ時からのメンバーで、優秀な衛士だった。

だが、彼の好色(こうしょく)行状もすこぶる派手で、上層部の手を焼かせた。

 

 

「バルクよ。我々の作戦は成功したんだろう。

なのに、この暗さは何だ」

「……」

バルクは、グラスに入ったワインを一気に飲み干すと小さくため息をつく。

「まぁ、なんというか……正直こんな気分では酒も美味(うま)くないですね」

「ふむ、確かにそうだな。私も全く同じ気持ちだよ」

 

 二人はしばし、感慨にふけった。

既にソ連もKGBも弱体化した。残すは火星と月に居るBETAだけなのだ。

宇宙怪獣BETAの巣を、元から退治せねばならないのは、分かってはいる。

 だが、場所がいかんせん遠い。

地球外なのだ。

 しかも、その巣には恐らく奴らの前線基地の一つがあるのは間違いないのだ。

今更ながら、何故人類はこの手遅れになるまで放置してしまったか?

 

「我々は本当に勝ったと言えるんでしょうか?」

 バルクの言葉に、男は(かぶり)を横に振ると、グラスに残ったワインを飲みほす。

彼は、グラスをテーブルに置くと、バルクに向かってこう言った。

「いや、まだだ。奴らが居なくならない限り、勝利とは言えまいよ」

まっすぐ正面を見つめる緑色の目には、どこか愁いを帯びていた。

 

 

 キルケの興奮は、未だ冷めやらなかった。

「家やお祖父(じい)さまのためとはいえ、蛮人(ばんじん)の住まう見知らぬ場所に……

極東(きょくとう)(はな)小島(こじま)などには、行きたくありません」

キルケの激情を込めた訴えに、シュタインホフ将軍は彼女の両手をつかみ、(さと)す様に話しかけた。

「キルケ、博士はわざわざボンにまで来てくれたのだよ。

それを、お前は何と言う事をしてくれたのだ……訳を教えておくれ」

祖父のしずかな瞳は、やがてしげしげとキルケの面を見まもっていた。

「私は、たしかにゼオライマーという機体が、わが国に必要なのは十分理解しているつもりです」

 彼女は、乾いた唇をなめた。

もう何を語っても大丈夫と、思ったものであったらしい。

「でもあの男から、何かうすら寒いような、不気味(ぶきみ)なものを(おぼ)えるのです……」

それ以上言葉が出なかった。

彼女も思うところがあったのであろう。

 

 キルケの背後から、低い男の声がした。

御令嬢(フロイライン)、君の言う事はもっとだ。だが若いゆえに、君は日本人の本当のおそろしさを知らぬ」

 キルケが振り返ると、そこには、背広姿の矍鑠(かくしゃく)とした老人が立っていた。

こうもり傘の柄のように曲がった持ち手の杖を持ちながらも、ピンと伸びた180センチを超える背筋。

年齢にそぐわぬ厚い胸板と隆々(りゅうりゅう)とした肉体からは、この男が只者でないことを感じさせた

 

 シュタインホフ将軍たち、将校団は整列をすると一斉に敬礼をした。

男は国防軍式の敬礼を返した後、再びキルケの方を振り返る。

「いささか昔の話をするのだがね……日本人は一旦怒らせると簡単には怒りを解かない。

こんな話、まだ君にはすこし難しかろう」

あいまいな表情をするキルケの方を向くと、笑い顔を見せた。

 

「どういうことですの。言っている意味が分かりませんが……」

「私はね、台湾に亡命した蒋介石(しょうかいせき)政権の軍事顧問を務めていたことがある。

なので、日華事変(にっかじへん)にかかわり、国府軍の実態を知っている。

我らによって近代化され、200万の精兵を誇った(そん)逸仙(いつせん)*1の政府軍。

そんな彼等が、わずか20万もいない日本軍によって上海(シャンハイ)から蹴散らされ、(みじ)めに重慶(じゅうけい)の山奥まで落ちのびた話をさんざん聞かされたものだよ」

そういうと、男はキルケに、ドイツの軍事顧問団の長い歴史を語り始めた。

 

 

 支那へのドイツ軍事顧問団とは、中独関係の戦前から続く秘密工作である。

時代は、第一次大戦の敗戦にさかのぼる。

ドイツは国内の赤化革命によって、その戦争を中止せざるを得ず、本土決戦を回避した。

皇帝の退位やソ連との講和で一定のけじめを付けたが、国土は無傷で、多数の兵力が残される結果になった。

 ベルサイユ講和会議において、厳しい賠償を請求されたドイツは国軍を縮小せざるを得なかった。

だが、賠償の支払いのためには外貨が必要だった。

そこで目を付けたのが、軍事顧問団、今風にいえば、人材派遣業である。

まず手始めにソ連赤軍の近代化をし、中南米の戦争に参加した後、帝政時代からつながりの深い支那に軍事顧問団として参加した。

中独合作の名目で秘密裏に送り込まれていたドイツ軍事顧問団は、1930年代末まで続いた。

 

 第二次大戦の敗戦により解体した国防軍(ヴェアマハト)の将校たちは、再び海外に活路を求めた。

第一次大戦後に海外に軍事顧問団として参加した(ひそみ)(なら)って、エジプト、独立直後のシリアなどへ出掛けた。

 国共内戦で台湾に落ちのびた国民革命政府軍は、ソ連によって支援され組織化された人民解放軍に敗れ去った。

そのことを反省し、かつての敵国である日本に秘密裏に頼った。

 富田直亮を代表とする、非公式の日本人軍事顧問団。

83名の彼等は、富田直亮の支那名、白鴻亮から白団(パイダン)と名乗った。

金門島防衛などの一定の成果を上げ、国府軍の増強を成功させた。

 彼らの活躍を見た西ドイツ軍は、1963年より再び秘密裏に軍事顧問団を組織して、退役扱いにした将校たちを送り込んだ。

正式名称を「明德專案連絡人室」というもので、それが世に言う「明德小組(ミンティグルッペ)」である。

 

 

 

 

「閣下、失礼ですが……。

あの恐ろしい科学者、木原を説得し、われらの陣営に引き込むことが出来ましょうか……」

「いや、できる!」

 老人は、思わず、満身の声でいってしまった。

「わがドイツ、6000万国民のために、その身を捧げてくれまいか」

杖をもって、大地を打ち、老人は、キルケに深々と頭を下げた。

 

 その言葉を聞いた瞬間、キルケの体が一瞬震えた。

シュタインホフ将軍は、力なく垂れている孫娘の両腕を右手で握りしめると、

「キルケ。わしからも頼む。この通りじゃ」

老将軍は、肩を震わせ、枯れた声で語った。

 

 キルケは、ちょっと、うつ向いた。

(たま)のような涙が(ゆか)に落ちる。

「軍学校の門をくぐったときから、すでにこの身は祖国のためと覚悟はしておりましたが……」

だが、やがて面を上げると、告白を始めた。

「喜んで、お引き受けいたしましょう」

周囲が驚くほどに、きっぱりいった。

 そして、覚悟のほどを改めて示す。

「もし、失敗いたしましたら、その時は、笑って死にましょう。

この世にふたたび、女の身を受けて生まれては来ません」

 凛々(りんりん)とした態度になると、両肩の露出したロマンチック様式のドレス姿のキルケは立ち上がる。

足首まである水色のドレスの長い裾を持ち上げて、慇懃(いんぎん)膝折礼(カテーシー)をして見せた。

 

キルケが出ていくのを待ちかねていたように、男は後ろに待ち構えていた将校団を呼び寄せる。

「このBETA戦争の時代にあって、我らは、本当の自立を得たのかね」 

男の前に歩み出たシュタインホフ将軍は、しいて語気に気をつけながら、

「国際外交という場は、敗者には残酷(ざんこく)な世界ですから……」

「我らもこのままいけば、三度(みたび)敗者になるのだよ、シュタインホフ君」

 男の言葉は、敗戦の恥辱を知る者には苦しかった。

シュタインホフとしても、すでにヴァルハラで待つ戦友を想うことも、それを心の底に(かく)していることも、はらわたの千切れる様な思いだった。

「ソ連が弱体化した今、いずれは欧州の地から米軍も去ろう。

そして、いやおうなしに自立化が求められる。

その為には、核抑止力に匹敵する戦力が必要なのだよ」

男の言を聞いたシュタインホフは、愁然(しゅうぜん)としたきりであった。

「しかし連邦軍(ブンデスヴェア)は前方展開において米軍に攻勢打撃力を依存してきた軍事編成……。

また国民感情として現段階での核保有も、核搭載の原子力潜水艦も厳しかろう。

BETAに対しても核攻撃は最初のうちだけで、奴らも光線級という対策をしてきた。

ソ連の様に特別攻撃隊をもって核爆弾を送り届けるにしても、敵の数が多すぎる……」

 

 

 

「対外戦争の禁止という原則を掲げるボン基本法26条に準拠した、連邦軍の専守防衛姿勢。

そして、あらゆる核戦力の製造と持ち込み、配備を禁止した非核三原則……

この政策を変えぬ限り、わがドイツ民族は米ソから、いや、敗戦のくびきから自立できまい」

 

 ボン基本法とは、1949年5月8日に制定された西ドイツの暫定憲法の事である。

憲法制定の日、5月8日とは、ドイツ第三帝国が城下(じょうか)(ちかい)を受け入れた日でもあった。

 我々の世界の日本国憲法が制定されたのは、1947年11月3日である。

11月3日は、明治大帝の御誕生日、つまり天長節の日であった。

憲法典一つ見ても、日独の扱いは、これほどまでに違っていたのだ。

 

 男は、このとき火のごとき言を吐いた。

「このままいけば、民主主義が残って国が亡びるという状況が眼前に広がろう……」

シュタインホフはじめ、人々もそれに打たれて二言となかった。

 

 

 さて、マサキといえば。

大広間の端の席で、白銀たちと酒を酌み交わしていた。

「それより博士、もう少しでダンスが始まるのですが……

どうしますか」

と、白銀は、マサキの顔いろを見ながら言った。

「しかし、暢気(のんき)な連中だ。

宇宙怪獣との戦争中だというのに、ダンスパーティなどとは」

すると、(あん)(じょう)、彩峰は不快の色をみせて、

東独指導部(ノーメンクラツーラー)の令嬢と(たわむ)れていた貴様が言える立場か」

と、マサキの顔を目で(はじ)いた。

「それより彩峰よ、美久はどうした。さっきから姿が見えないが……」

氷室(ひむろ)君なら、(さかき)の事を、あれの(めかけ)と一緒に抱えて控室の方に下がったぞ」

「肝心な時にいないとは、本当に使えぬ女、ガラクタだよ」

「博士、いくら氷室さんと男女の仲とはいえ、それは言い過ぎではありませんか」

 白銀の言う事にも、一理ある。

マサキも、これはすこし自分の方が悪く取りすぎていたかと思った。

「勘違いするな!

俺と美久は、男女の仲などという簡単な関係ではない」

 

 ゼオライマーの最大の秘密。

それは、氷室美久が、次元連結システムを構成する部品である、と言う事である。

形状記憶シリコンの皮膚に(おお)われ、推論型AIという電子頭脳のおかげで、まるで人にしか見えない。

そんな彼女が、アンドロイドであることは秘中の秘であった。

 マサキにとって、確かに前の世界から来た唯一のパートナーであることは間違いなかった。

だが、自分の作った芸術作品の一つであることは、彼にとって疑いのない事実である。

 だんだんと酒で思考が衰え、理性が薄れてきたのを実感したマサキは、

「それに美久との話は、もうお終いだ。せっかくの酒がまずくなろう」

と、その話題から逃げるようなことを言う。

 マサキの屈託(くったく)を気にせずに、白銀は尋ねた。

「それより博士、さっきから西ドイツの将軍のお嬢さんが来てますが……。

声をかけてやった方が」

 

 

 ちらりと、キルケを一瞥(いちべつ)する。

くっきりとした彫りの深い美貌(びぼう)は、どことなく華やかな感じを受ける。

確かにスリムで小柄ではあるが、胸や腰などの全体的なバランスは本人が言うほど悪くはない。

「やはり女は、あの様に(うれ)いを(たた)えた顔が美しい……」

 キルケを見るよう促して、開口一番、周囲を驚かせるようなことを口走る。

アイリスディーナの件で周囲に迷惑をかけたのにもかかわらず、悪びれる様子もない。

「そう思わぬか」

マサキのそんな言葉に、白銀は、彩峰と顔を見合わせ、

「え、それは……」

と、たがいの戸まどいを、ちょっと笑顔のうちに溶かしあった。

 

 いつものマサキらしからぬことをいう様に、感動しきった口調である。

先ほどのスコッチウイスキーで頭が(しび)れているのだろうか。

 白銀は思わず、人目もはばからずにため息をついた。

マサキの言動は、幾多(いくた)の死線の乗り越えてきた工作員の心を戸惑わせるほどであった。

 

 

諸々(もろもろ)ありがとうございました。彩峰大尉殿。

改めて自己紹介いたします。

ドイツ連邦軍のキルケ・シュタインホフです。

日本に関し、いっこう不案内な若輩者(じゃくはいもの)ではございますが、今後ともよろしくお願いします」

と、彼女はまず彩峰を拝して、あいさつを先にした。

「ねえ、ヘル*2・木原……、さっきのお()びでなんだけど、踊らない」

マサキは、磊落(らいらく)に応じる。

「すまぬが、俺は、踊りが不得手(ふえて)でな……」

一応マサキに気を使って、愛想(あいそう)良く受け答える。

「その辺は、将校の私がリードしますから……」

 脇で見ている白銀たちは、ハラハラしていた。

キルケの横顔が傍目(はため)に見てひきつっているのが分かるほどであったからだ。

 キルケからの誘いを鼻先でせせら笑いながら、追い打ちをかけるようなことを口走る。

「くどい!」

キルケは彫りの深い顔を真っ赤にさせながら、叫んだ。

「失礼しました」

その場を収めるべく、白銀は立ち上がって、立ち去ろうとするキルケの右腕をつかむ。

御嬢様(フロイライン)、僕でよければ」

その際、左手に持ったグラスをマサキに渡して、広間の中央にエスコートしていった。

 

 マサキは気の抜けたシャンパンを飲んでいると、彩峰が肩をたたいた。

「木原よ」

 礼装姿の彼は、そういうとマサキの左肩から手を離す。

マサキは振りかえって、彼の方を向く。

じっと、彩峰の真剣な顔を見つめた。

「一つ忠告してやる。こういう場での、女からの誘いは受けるものだ」

そういうと、唖然(あぜん)とするマサキの前から去っていった。

 

 

『この宴席の場を壊すような真似(まね)も、考え物か』

 そう思いながらマサキは、アイスペールから取り出した冷えたビールをグラスにあける。

グラスを持ったまま、ゆっくりと白銀の方に進み、バドワイザー・ビールを進めた。

「なあ、白銀よ。バドワイザーでも飲まぬか」

 

 白銀はマサキから渡されたビールを貰うと、即座にその場を後にする。

開いた右手で、キルケの右腕をつかむなり、

「俺のようなつまらぬ男と踊って、後悔したなどと申すなよ」

そのまま、滑るようにして、広間の方に導いていった。

 

 

 二人は、周囲の喧騒も気にならぬほど、軍楽隊の演奏に合わせ、陶然(とうぜん)と踊っていた。

空色のロマンチックスタイルのドレスの裾を(ひるがえ)しながら、キルケはマサキに顔を近づける。

彼の耳元で、そっと(ささや)きかけた。

「あなたの事をなんて、お呼びすれば、良いかしら。

博士(ドクトル)、それとも特務曹長(オーバー・シュターバー)*3……」

娘御(フロイライン)よ、俺は、普通(ただ)の日本人で、つまらぬ男さ」

「フロイラインじゃなくて、私には、キルケという名がございます」

「初対面の俺に……名など教えてしまってよいのか」

それを聞いたキルケは、大きな目をキラキラとかがやかせながら、熱っぽく尋ねる。

「どうして」

「知らぬ男に名を教える。

つまり男女の名を知るというのは、それ以上の事を望んでいるといっても過言ではないのだぞ」

その言葉に心をくすぐらされるも、キルケにはあまりにも現実離れしているように感じた。 

「まあ、俺だから良いものの、それくらい大変な事なのだよ」

マサキは、にこやかに答えていた。

 

 

 間近でキルケを(なが)めるていると、その魅力に引き込まれそうになる。

透けるような色白の肌は、光沢できらめく長い黒髪を一層引き立たせた。

「怪獣やタルタル人*4(たわむ)れるのが好きな田夫野人(でんぷやじん)とばかり思ってけど……」

 キルケは陶然とした目で、マサキを熱心に見入る。

長い睫毛(まつげ)を、時折(ときおり)上下に揺らしながら、

口説(くど)き文句も、中々のものね」

「お前が、そうさせたのではないか」

マサキは、そんなキルケの答えを、一笑に付した。

 

 性格はきついし、口も飛びぬけて悪い。

しかし、(くや)しいほどに(すこぶ)()きの美人なのだ。

 正直に言えば、キルケに半ば期待しているところがある。

マサキは、そんな自分に驚いていた。

 

 だんだんと踊るうちに、キルケは鼓動の高まりと全身の血が熱くなっていく様に戸惑っていた。

ときめきとも取れる様な、不思議な感覚に陥っていくことに。

 ひっきりなしに鳴り響く、軍楽隊の演奏に熱狂してしまったのだろうか。

いや、それは違う。

なぜならば、今宵(こよい)曲目(きょくもく)は、ロンドンで流行っているパンク音楽などではなく、18世紀の古典音楽(クラシック)

静かな音色で興奮するのは、目の前にいる謎めいた男に引き込まれたのに、相違ない。

 この漆黒の髪と深い琥珀色(こはくいろ)の目をし、恐ろしいほどに傲慢(ごうまん)な男。

キルケに対して決して謙遜(けんそん)したり、(おもね)ったりしない青年将校は初めてだった。

 自分が負い目に感じている出自を(かえり)みずに、好き勝手振舞う。

その様に、だんだんと()かれていくのを彼女は実感していた。

 

『いま、裸のままの自分を受け入れてくれる男は、西ドイツに、いや欧州の社会にいようか』

 キルケが内心に(いだ)いた、不思議な感情。

彼女自身には、それが(あわ)い恋心なのか、尊敬であるのか、それとも憧憬(しょうけい)であるか。

判別が、つかなかった。

 

 

 

「木原は、律義(りちぎ)な男とみえる」

 遠くから二人の様子を見ていたシュタインホフ将軍は、すっかり()れこんだふうだった。

『西ドイツ軍の衛士たちにくらべて、その人品も劣らず、ずっと立派だ』

などと彼はマサキをより高く値ぶみしていた。

 

 上機嫌なシュタインホフは、日頃よりかわいがっているバルクたちを呼び寄せると、

「ここだけの話だが」

と、キルケに関するいろんな機微を、予備知識として洩らしてくれた。

 いま政府の方では、米軍が開発中の新型爆弾で、もちきりだという。

新型爆弾の配備が実現するまでの間、空白期間を埋めるためにゼオライマーを使う。

 それにあたって、設計者の木原博士の機嫌を取るために、女性を仕立てる。

特に、娘*5や若い人妻(ひとづま)などをすすめることになっている。

だが、まだそれぞれ人選中で、情報機関が、働き出すまでにはいたっていない。

「木原博士は……、本当に、よい機会に、ご訪問にあったものといってよい。

ボンにおいでなさったら、ぜひ、キルケを推挙(すいきょ)申し上げるつもりでおった」

老将軍はそんなことまで言ったりした。

 

 バルクは、たまらない不安を、シュタインホフに()らした。

「じゃああれですか。

ゼオライマー獲得のために、将軍は、お孫さんを(ささ)げようっていうんですか。

あんまりじゃ、ありませんか」

 不快をしめすように、バルクは語尾を強めた。

ともなっていた微笑は微笑にならない顔に、(ゆが)みを作った。

いつも気にならないバルクの鬼瓦のような顔が、こんなにも老将軍の眼にかなしく見えたことはなかった。

「しかし参ったな。こういう時にユングの奴でもいればな」

「君の同級生の、アリョーシャ・ユング嬢か。

たしか彼女は、連邦情報局員で、東ベルリン勤務だったよな」

「はい。彼女は常設代表部の職員として東ベルリンにいましたが、今は外務省に出向し……」

 

 バルク大尉の発言に出てくる常設代表部。

その機関は、東ドイツにおける西ドイツの外交業務をする事務所である。

 名こそ「ドイツ連邦常設代表部」であるが、その実態は西ドイツ大使館であった。

また東ドイツ当局も、事実上の大使館と認めていた。

 これには理由があった。

1968年にウルブリヒトら指導部が決めた憲法が原因である。

1968年憲法第8条の条項、特に統一の要件にこう書かれたためである。

「ドイツ民主共和国とその国民は、民主主義と社会主義を基礎として統一されるまで、二つのドイツ国家が徐々に和解することを目指す」

第8条が制定された時点で、東西ドイツの問題は解決済みという立場を取っていたのだ。

 

老将軍は、注意ぶかく、窓のそとを見て。

「外務省だって。それで、どこに……」

「米国の、ニューヨーク総領事館に勤務しております……」

「なぜだね」

バルクは少し戸惑ったのみでなく、老将軍のいつもにない怖い顔つきも、ふと気にかかった。

「東の戦術機隊長、ベルンハルト中尉がニューヨーク総領事館の武官を務めています。

彼との接触を(はか)る目的で……」

 

 それまで黙っていた、ハルトウィック上級大尉が口を開く。

「例の色男(いろおとこ)!ユルゲン・ベルンハルトか」

 バルクの直属上司である彼は、同じような立場であるユルゲンに対抗意識を持っていた。

自分になくて、彼にあるもの。

 (うらや)むような金髪に、人を引き付ける様な、(うれ)いを(たた)えたスカイブルーの瞳。

ギリシャ彫刻のごとしと形容(けいよう)できる、()りの深い美貌(びぼう)であった。

 

 

 一言のもとに、ハルトウィックはその人物までをけなし去った。

「BNDは、東の美丈夫(びじょうふ)を誘い込むのに、デートクラブの真似事(まねごと)までするのかね。

それでは、赤匪(せきひ)の連中がやっている色仕掛け工作と何も変わらぬではないか!」

一層(いっそう)バルクは、慇懃(いんぎん)に答える。

「ごもっともです」

 なにがおかしいのか、いつまでも肩をゆすっているふうだった。

さすがの彼もあきれていたのか。

「…………」

ふと黙った。ハルトウィックがである。

 

 やがて、ハルトウィックは、ぷっつり言った。

「自由社会を守る組織が、なぜそのよう汚い仕事に従事するのか、理解できぬ」

人をそしるおのれにも、嫌厭(けんお)をおぼえてきたように。

*1
欧米で一般的な孫文の号。日本では(そん)中山(ちゅうざん)の方が有名

*2
Herr.ドイツ語の男性への敬称。もとは支配者や領主を指し示す言葉であった為、東ドイツでは忌避された

*3
Oberstaber.Oberstabsfeldwebelの短縮形で、上級幕僚下士官、准尉官を意味する

*4
Tartar。韃靼人のドイツ語。原義はモンゴル人の事であるが、ロシア人への蔑称でもある

*5
独身の女性を指し示す言葉




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マサキの恋愛路線に関する質問

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