HFルートの途中でもし士郎がキャスターを助けていたらというお話 作:ふりかけ@木三中
「あの男と士郎を二人きりにして、本当によかったのでしょうか?」
言峰と士郎を残し、聖杯のもとへとたどり着いたセイバーが不安げに後ろを振り返る。
「あの神父の真意は私にも分からないけれど、今の坊やに勝てるほどの力があるようには見えなかったわ。あなたの鞘も坊やが持ったままだし、問題ないとは思うけれど……」
キャスターとて不安が無いわけではないが、今の士郎にはアーチャーの腕から得た投影技術とセイバーの宝具から得た再生能力がある。例えサーヴァント相手であっても十分に渡り合えるはずだ。
「それよりこちらも手早く仕事を終えてしまいましょう――イリヤフィールと大聖杯のリンクの切断及び、アンリマユの除去を開始するわ」
キャスターが宙に浮かぶイリヤの体に触れ、さらにその奥底の大聖杯の術式の解析を行う。
「貴女の宝具で簡単にできるものではないのですか?」
「リンクの切断やアンリマユの除去はできるでしょうけど、イリヤスフィールや大聖杯にどんな影響が出るか分からない。この後、聖杯はまだ必要なのだからそんな危ない橋は渡れないわ」
キャスターは説明をしながらも、聖杯の術式に介入するようにその指を宙でなぞる。幾重にも重なった複雑な術式を、複雑に絡まった糸を解くように丁寧に解除していく。
数分ほどそうしていただろうか、セイバーが緊張の面持ちで見つめる横でキャスターはピクリと指を止めて、イリヤを……その背後に浮かぶ『孔』を睨みつける。
「ッ‥‥やはり妨害はあるわよね、セイバーを連れてきたのは正解だったわ」
「この泥は……」
『孔』からドロドロと黒い泥が流れ落ちる。それはかつて、桜が使役した影と同質にしてより凝縮されたモノ。
その泥が、じわりじわりとキャスターとセイバーへ迫る。
「アンリマユ……まだ産まれてもないのに、一丁前に反抗しようというの……セイバー、私は作業にかかりきりで手が離せない。対処は任せるわ!」
「文字通りの露払いというわけですか……分かりました」
言葉と共に、セイバーは自らの聖剣を構える。
「ハァ――――!!」
たった一振りで迫りくる泥がその剣圧によって吹き飛ばされる。まるで透明な防波堤でもあるかのように泥の流れをせき止めて見せる。
だがしかし、それは一瞬の均衡だ。『孔』から生み出される泥は文字通り無尽蔵、じわりじわりと圧倒的な質量を持ってセイバーへと迫る。セイバーも負けじと、魔力を放出しつつ剣を振るうが僅かに飛び散った滴が、払いきれずに足元に流れる泥が、 少しずつその身を穢す。
「クッ――」
「セイバー!」
「私のことは構いません!キャスターは聖杯の方を早く!」
キャスターに言葉を返す間にも泥はその総量を増していき、僅かながらもセイバーの身を侵してゆく。
悪神によって穢れた杯からこぼれた呪い。その量は僅かなれども、白紙を染めるインクのようにセイバーの意識へと染み込んでいく。
―――力を
これは……?
―――再び黒き聖杯の力を我が手に
耳に響くのはセイバー自身の声音
気づけば、セイバーの五感は正常な感覚を失い、意識は深い闇の中へと陥っていた。
「ッ―――」
そして、その視界に見るはずのない存在をとらえる。
銀の髪と凍えるような金の瞳、そして黒く染まり切った聖剣を携えた自らの姿。
悪しき聖杯に染まった己の姿が対峙するかのように目前に立っていた。
「未だに未練があると言うわけですか――」
冷ややかにこちらを見つめるもう一人の自分を前に、セイバーは自嘲するように嘆息する。
あぁ……これはきっと自らの弱さが見せた幻影だ。
「かつて私は――影に呑まれ、その身と心を黒き聖杯へと捧げた」
罪を懺悔するようにセイバーは自らの過ちを語る。
「サーヴァントとして、臓硯に逆らえなかった言うこともある。だが――それ以上にあの時の私は充足感を覚えていたのだ、聖杯の膨大な魔力に、黒き力にその身を任せることに」
サーヴゥントという存在は生身の人間以上に聖杯の泥の影響を受ける。
穢された体、歪められた精神、その中で、あの時にセイバーが感じたのはほの暗い悦びだった。
そして、今、あの時と同じ黒い甲冑を纏った騎士が口を開く。
「力が必要だ……ブリテンの救済、その願いを叶える力が」
黒い騎士から発せられる冷ややかな、しかし力強い言葉。
「邪魔者どもは全て消え去った。残るサーヴァントはキャスターと私のみ……さぁ、今こそ聖杯をこの手に」
……キャスターは今、聖杯の浄化にかかりきりだ。
そうで無くてもセイバーの力があれば、キャスターを切り伏せ聖杯を今すぐにでも手中に収めることは容易いだろう。
「聖杯はアンリマユによって汚染されている。だが……それをキャスターに浄化させる必要など――ない。確かに汚染された聖杯では歪められた願いしか叶えられないがそれはあくまで『過程』の話、願いを変えるという『結果』に変わりはない。願望器としての力に不足は無いのだ」
その言葉はセイバー自身の中に潜む心の闇なのか……あるいは消されまいとするアンリマユの甘言なのか……
「そう力だ……力さえあれば、より良きブリテンの滅びや選定の儀のやり直しなどといった、まどろっこしい願いをくべる必要もない……その圧倒的な力で外敵を全てうち滅ぼし、騎士どもを隷属し、民を管理すればいい。徹底的な力の統治の元でブリテンを今日まで栄えさせることさえ……決して不可能な話ではない」
かつてブリテンが滅んだのは自らに中に甘さがあったからだ、その甘さを捨てるには汚染された聖杯の歪みはむしろ好都合だと黒き騎士王が語る。
セイバーは、そんな彼女をただじっと見つめている。
「聖杯を我が手に、さぁ願いを叶えよう」
誘いの言葉と共に差し出された白い腕、セイバーはちらりとそれを一瞥したが、静かに目を閉じると彼女に――己自身に向けて静かに語りだす。
「私は未だ――迷いばかりだ、貴女のセリフもただ悪神の誘いというだけではなく、私の中にある弱さ――未練でもあるのでしょう。そして、一度はその誘惑に負け、私はシロウに刃を向けてしまった」
かつて、間桐臓硯の策によって影にその身を呑まれた時、泥によって彼女の心身は黒く染まった。
それは、サーヴァントを喰らわんとする泥の性質だけでなく、聖杯の力に目が眩み、悪神の誘いに乗ってしまったが故なのだろう。
「聖杯にかけるべき願い。まだ――私自身、どうすれば良いのか答えが出たわけではない。だが――1つ決めたことがある」
そうして騎士王は黄金の剣を握りしめる。
「答えを出すためにお前の手は借りない、結論は私自身が決める、そしてその責も私が背負うべきものだ――」
一閃
訣別の言葉と共に放たれた聖剣のきらめきが、自らの幻影を打ち払う。
「――――」
それと同時に、目の前の景色が夢から覚めたように現実のモノへと戻る。
セイバーのもとへと押し寄せていた泥は薙ぎ払われ、『孔』からももはや新しく泥がこぼれ落ちてくることは無かった。
「よく持ちこたえてくれたわセイバー!こっちもこれで……完了よ!」
キャスターの背後に幾重にも重なった複雑な魔方陣が浮かび、それが溶けるように空にぽっかりと空いた『孔』へと流れ込む。
それと共に黒い太陽のような禍々しい光を放っていた『孔』は透き通るような光を発し、しばし後にその『孔』は塞がるようにシュルシュルと収束する。
「イリヤスフィール!」
力場を失い、重力に従い落ちてきたイリヤをセイバーが受け止める。
「怪我はありませんか?」
「えぇ……聖杯の浄化とリンクの切断は上手くいったみたいね」
『孔』が閉じ、すっかり日も落ちて暗くなった空を見上げながらイリヤが呟く。
「おーい、セイバー、キャスター無事かー!」
そうして、しばし呆けていた三人であったが叫び声に振り返る。
「シロウ、そちらも無事だったのですね」
「あぁ、そっちも首尾よくイリヤを助けられたみたいだな」
ほっと安堵したような士郎の姿、途中で合流したのか凛と桜もその後ろに控えている。
「全員、大きな怪我はなさそうだな……よかった……イリヤも怖い思いをさせてすまなかったな」
「別に、どうせシロウがくると思ってたし、セイバーとキャスターまでいるんだから大した恐怖ではなかったわ」
そんな会話をしつつ、士郎がキャスターに目線を向ける。
「アサシンは遠坂と桜が倒してくれた、これで残るサーヴァントはセイバーとキャスターだけだ」
「そう……アーチャーの方は姿を現したかしら?」
「……やっぱり、アーチャーと私の契約を切ったのはキャスターだったのね、えぇもう消滅したわ。慎二の奴はもうこんな危険なとこに居たくないとか言って帰っちゃったけど……にしても、臓硯への伏兵として隠したかったのは分かるけどアーチャーのことはマスターである私には知らせておいて欲しかったわね」
「黙っていたことは謝るけれど、こうするのが一番坊やを強くするのに手っ取り早いだろうというアーチャーの発案よ……私もこんな裏技じみた方法があったとは彼に言われるまで考えていなかったわ。そもそも、こんな奇妙なめぐりあわせでもない限り不可能だもの」
そう呟いてキャスターは士郎の左腕をチラリと一瞥する。
「……坊やの方はあの神父を倒せたのかしら?」
「あぁ……あのあと少し話をしたけど、もともと聖杯と心臓が繋がってたとかでキャスター達が聖杯を浄化しただろうタイミングで事切れたよ」
「ふぅん、話ね……まぁいいわ。あの神父も消えたなら今度こそ、これで……邪魔者はいなくなった、というわけね」
バーサーカー、ライダー、ランサー、アサシン、アーチャー……そしてイレギュラーな存在であったギルガメッシュ。
彼等は皆消滅し、警戒すべきマスターであった間桐臓硯と言峰綺礼もすでにこの世にはいない。
「第三の聖杯もすでに大聖杯への接続は完了しているわ……」
ローブの下から、黄金の杯……新たなる小聖杯を取り出しその表面を指でなぞる。
「他のサーヴァントを倒し、顕現した聖杯を浄化する。それが最初の夜に私たちが交わした契約」
バサリとキャスターはローブを翼のように広げ、その身を月夜へと羽ばたかせる。
「そして――今ここに契約は達成された」
右手に錫杖を、左手に聖杯をかかげ、青い瞳が士郎とセイバーを見下ろす。
邪魔者はいなくなり、舞台は整った。
同盟は白紙に戻り、聖杯戦争はあるべき姿に立ち戻る。
「さぁ……殺し合いを始めましょう」