借りていた書籍を図書館へ返して校舎を出ると、太陽の熱気が私を襲った。
戦車道の全国大会が終わってから随分経ったような気がしていたが、季節は夏のまま。上着を着るにはまだ早い。
鞄から下敷きを取り出してひらひら顔を扇いでみたものの大した効果はない。
仕方なしに、ワイシャツの腕をまくって歩を進める。
10分ほど歩いてようやく目的の戦車倉庫が見えたところ、前方から甲高い騒ぎ声が聞こえてきた。
この様子は、おそらくエスカレーター組の連中だろう。
「きっと甘い匂いのするところにいらっしゃるはずだ!」
「いーや、蝶を追いかけてどこかへ行かれたのかもしれないぞ!」
「一刻も早く見つけてさしあげないとっ!」
「私はボカージュの方へ行く! 君たちは向こうだ! さあ行くぞっ!」
「……あー」
どうせろくでもないことが起きているに違いない。
今すぐ回れ右をしたいところだったのだが「安藤。遅かったね」と、同じ編入組のチームメイトに見つかってしまった。
「……ちょっと用があってな。何があったんだ?」
「マリー隊長が現れないんだよ。いつもならこの時間帯は、ほら、そこでケーキを頬張ってるだろう?」
そう言って彼女はルノーFTのてっぺんを指さす。仰る通りだ。
「ま、きっと今回も隊長の気まぐれだろうけどね。放っておけば良いかと思うんだけど、連中がうるさくてさ」
「はは、連中はそうだろうな」
隊長の気まぐれだろうと何だろうと、愚直に従ってしまうのが奴らの駄目なところだ。
見れば、エスカレーター組の人間は今も戦車倉庫の中を数人で探し回っている。
先ほどよりも数が減っているのは、おそらく隊長を捜して学園艦中へ散っていったのだろう。
「馬鹿らしいから、私らは勝手に練習を始めるよ。安藤はどうする? 参加してくれるとありがたいんだけど」
「うーん、そうだな」
一筋の風が吹き、少しだけ思案。
「いや、やめておこう。連中と喧嘩になりそうだからな」
親指でエスカレーター組の奴らを示してやる。
いつものパターンなら、そろそろ業を煮やして我々も無理矢理に隊長捜索隊へ駆り出される頃合いだろう。
苦々しい顔で「あぁ……確かに」と呟くチームメイトに、ふっと笑みを返してやる。
「そういうわけだから、私はしばらく身を隠す。隊長はいくら捜しても構わないが、私のことは捜してくれるなよ」
「安藤……もう少し編入組のリーダーとして責任感を持ってほしいものだけどね」
「これでもやることはやってるつもりだ。お前こそ、エスカレーター組との喧嘩は御法度だぞ。わかっているよな?」
「もちろん、わかってるさっ!」
本当かね、という言葉を飲み込み、彼女へ背を向ける。
「まぁ、それなら練習頑張れよ」
そう言葉を残すと、私はひらひらと手を振って戦車倉庫を後にした。
◇ ◆ ◇
周囲は、驚くほどに静かだった。
蝉の鳴く木々。揺らめく陽炎。
ソミュアのハッチから顔を出して市街地の方を見やると、西洋風のマンションの影からもくもくと灰色の煙が吹き出ている。
あの煙がどの車輌のものかなど、確認するまでもなく察せられる。
『聖グロリアーナ女学院の、勝利っ!』
当然の結果だ。
試合が始まる前からわかっていた。
眼下で「くそっ」と悪態をつくチームメイト達は、現実が見えていない。
我々の戦略や戦術の、どこに勝機があった?
いや、そもそもの話、戦略や戦術など我々にあったのか?
市街地に陣を張るエスカレーター組の連中を置き去りに、我々編入組だけで敵フラッグ車を急襲することの、どこに戦術と呼べる部分がある?
試合が始まる前から負けているのだ。
これほど負け戦と呼ぶに相応しいものもない。
「……なんて、非難する立場じゃないな、私は」
編入組とエスカレーター組の戦争は遙か昔から行われてきた。
あいつらとは根本から相容れない。
編入組の誰もがそう思っている。
同学年も後輩も先輩も、二つ上の先輩もそのまた上の先輩も、誰もが思っていることだ。
編入組の努力を蔑ろに、見下すだけ見下してこちらの意見をまったく聞き入れない。そんな相手をどう信用しろというのか。
対立する編入組とエスカレーター組のなかで、その争いに関与せずにいたのは、マリーだけだった。
彼女だけは、我関せずという様子でにこにことケーキを頬張っていた。甘やかされていたのもあろうが、そもそも、争いの理由が理解できていない様子だった。
『どうしてそんな無駄なことにエネルギーを使うの~?』なんてな。
――しかし正解は、きっとマリーの方なのだ。
頭では理解できている。
チームが分裂している状態で、対戦相手と渡り合おうなんて無理な話だ。
勝利を収めるには、奴らと手を組むしかない。
奴らを正しくチームメイトと認識して、共に敵と戦うしかないのだ。
こんな簡単なこと、気付いているのはきっと私だけではない。
マリーは言わずもがな。同じ二年、エスカレーター組の押田というのも気付いている節はある。
いつかに「せっかく我々が歩み寄ってやろうというのに」なんて枕詞を遣っていたからな。
「安藤。安藤」
「……あぁ、どうした?」
チームメイトに呼びかけられ、返事をする。
「どうしたじゃない。試合は終わったんだ。戦車を降りるぞ」
見れば、大破したソミュアを運ぼうと回収車が隣に駐められていた。
運転席の女性が怪訝な目を向けている。
「すみません」
彼女へ頭を下げると、私は名残惜しくもソミュアを降りた。
◇ ◆ ◇
「安藤ーっ!」
私の名を呼ぶ声に、げんなりとしてしまう。
何度も何度も耳にした声だ。この声を聞いてろくな事があった試しがない。
振り返り、声の主――押田の顔を確認すると、私は返した。
「安藤と呼ぶな。安藤くん、だろう。押田くん」
互いに呼び捨てはするなとのお達しがあった。
気にくわなくともルールはルール。守るべきだろう。
「君はまた、そんなことを言っている場合かっ! マリー様がいなくなったのだぞ! まさか知らないのか!」
……一瞬いらっとしてしまったが、こいつもそれだけマリー隊長を心配しているということだろう。
反論の言葉を押し止め、冷静に冷静に、短く言葉を返す。
「知っている。だからどうした」
「それでどうしてこんなところをほっつき歩いている! 君は野良犬でなく飼い犬だろう! 主人がいなくなれば必死に捜し回るのが飼い犬の役目だぞ!」
「なんだと……?」
飼い犬? 私がか?
「言わせておけば貴様っ! 飼い犬は貴様の方だろう! 主人の命令に従うことしかできない、木偶の坊がっ!」
「木偶の坊だとっ!? よくそんな言葉を口にできたものだ! 木偶の坊というのはまさに君のことじゃないかっ!」
「はっ! 視野が狭いと自分のことを省みることもできないんだなっ! まったく、哀れな貴族様だっ! 無知で世間知らずで頭が固いっ!」
「なにぃいい……っ! 下品で野蛮な田吾作の分際で、身の程をわきまえることもできないのかっ!」
「貴様のそういう上から目線の物言いが何よりも醜悪だというんだっ! 我々がどれだけ尽力しても貴様らがそれでは」
――と、そこでふいに我に帰った。
不毛だというのはわかっているというのにな。
まったく、止める者がいないと際限なく罵り合ってしまう。
「押田くん」
がみがみと目の前で喚き散らす押田の顔に言葉を放ってやる。
すると向こうも同じく我に帰ったのか、表情を変えて「む」と短く口にする。
「このままではキリがない。終わりにしよう」
「そうだな。君の言う通りだ。安藤くん」
「あぁ、それじゃあな」
落ち着いたところで彼女の元を去ろうとすると、背後から「待ちたまえ、安藤くん!」と呼び止められた。
「口喧嘩になってしまったせいで誤魔化されたが、君にもマリー様の捜索はしてもらうぞっ!」
「編入組だろうとエスカレーター組だろうと関係はない!」
……口うるさい奴だな、本当に。貴様らに事情があるのと同様に、私にも事情があるのがわからないのか。
若干の怒気混じりに、私は彼女へ言葉を返した。
「元よりそのつもりだよ」
◇ ◆ ◇
実力が伴っていないわけではない、と思う。
戦術も戦略もあったものじゃない我々の突撃ではあったが、それでも敵車輌の撃破を成し遂げてはいる。
轟音は耳をつんざき、飛び散る火花が目に眩しく、がむしゃらに砲撃を命じると、ちょうど上手い具合に火花の中心――クルセイダーへと命中したのだ。
クルセイダーの暴走や運に助けられたものの、きっとチャンスをものにするだけの地力はあったのだろう。
そんなことをチームメイトにぽつぽつと話せば、彼女らは「無論、当たり前のことだね」と頷いた。
自信があるというのは、良いことだ。
戦車道連盟印の軍用トラック(の荷台)を降りると、そこでは上級生達が最後の大喧嘩を繰り広げていた。
すでに三年生は引退が決まっている。この夏の大会が、彼女らの引退試合だったのだ。
そりゃあ普段の喧嘩にも熱が入ろう。
――とはいえ。
「貴様らの怠慢が招いた結果だろうがっ!」
「君らの努力が足りなかったんじゃないのかっ!? 他人に責任を押し付けるのはやめろっ!」
「はあぁあっ!? それはこちらの台詞だ木偶の坊がっ!」
「我々が木偶の坊なら君らは猿山の猿だっ! この蛮族がっ!」
学園艦の中ならいざ知らず。ここは戦車道全国高校生大会の会場で、つまるところ公衆の面前なわけだ。
そこでこんな醜態を繰り広げるというのはまぁ、少なくとも我が校の面子に泥を塗る行為なのは間違いない。
……こうして俯瞰的に眺めると、我々がどれだけ先輩諸氏に影響を受けてきたかがよくわかるな。
「貴女たちっ! この期に及んで何をしているのっ!?」
と、これはすでに我が校を卒業して久しい、遠い先輩のお言葉だ。
大学選抜の一員――アズミ先輩。ふわりと持ち上げた後ろ髪が特徴的だ。
3年前……いや4年前だったか?
ともかく、彼女の在籍していたBC自由学園黄金時代には、全国大会でベスト4にも入ったと聞く。
そりゃあ彼女から見れば、我々の姿は思わず叱りつけたくなるほど情けなくも映ろう。
今の今まで言い争いを繰り広げていた三年生達も、アズミ先輩の言葉にはさすがに押し黙るしかないらしい。
大人しくばつの悪そうな表情で彼女の叱責を受けている。
彼女らから目線をずらすと、いつの間にやら、マリーがルノーFTに腰掛けてもくもくとケーキを口に運んでいた。
視線の先は三年生らに向いている。
好物のケーキを食べているというのにつまらなそうな表情を浮かべる彼女が気になり、私はそっと気付かれぬよう近付いてみた。
――きっと、同じくルノーFTに腰掛けていた祖父江や砂部にも聞こえていたことだろう。
私は確かに、彼女の囁きを耳にした。
「……くだらないわ」