「そこに掛けて」
アズミ先輩の元へ赴くと、どこから調達したのかガーデンチェアが二脚並んでいた。
アズミ先輩はその片方へ腰掛け、もう片方を右手で示している。
私が「失礼します」と腰をおろすと、アズミ先輩はすぐさま話を切り出した。
「さて、貴女を呼んだのは、他でもない、貴女が編入組の次期リーダーに任命されたからよ」
アズミ先輩の言い回しに違和感を覚える。
「……任命された、というのはアズミ先輩が選んだのでなく」
「そ。三年生の先輩方の選定ね」
「私も貴女たち一人一人をよく知っているわけじゃないし、ここまで先輩面しておいてなんだけど、そもそも私が口を出せる領分ではないし」
「とはいえ、試合での様子を見ていると、妥当だと思うけどね」
――試合での様子。
「それは褒めていただいていると受け取っても?」
「もちろん褒めてるのよ。編入組のリーダーとして胸を張って良いと思うわ」
アズミ先輩ほどの人にそこまで言われれば悪い気はしない。
「ありがとうございます」と私は素直に礼を言った。
「ま、本当は編入組とエスカレーター組のリーダーを別々に用意するのもおかしな話なのだけどね。そこはウチの気風と解釈しておきましょう」
「気風とは……物は言いようですね」
「そうかしら」
とぼけた調子でアズミ先輩は答える。
「ちなみに、エスカレーター組のリーダーは誰です?」
「押田って子よ」
あぁ、なるほど。確かに奴はエスカレーター組の連中からの信頼が厚いようだし、奴らの中では知恵の回る方だ。
それに、根っからの貴族様らしく、人一倍、我々編入組のことを嫌っているようだしな。
そういう意味でもエスカレーター組のリーダー向きだろう。
「露骨に彼女への嫌悪感を出すわね、貴女……」
「そうですか」
「気付いてないの? 改めた方が良いわよ」
……ううん。そこまで顔に出ているのか。
自分では気に留めていなかったが、アズミ先輩が言うなら事実なのだろう。
ひょっとすると、これが諍いの原因の一端になっているのかもしれないな。
なるべく気を付けるとしよう。
思案に耽っていると、アズミ先輩が「話を戻すわよ」と挟む。
「それで、単刀直入に訊きたいのだけど、貴女、BC自由学園内の対立について、どう思ってる?」
「対立というのは、編入組とエスカレーター組の?」
「他にないでしょう」
他になくとも、言葉にするとしないのでは随分と違う。
「――我々とて、好きで連中と対立しているわけではありません」
「現状のままではBC自由学園が勝利を収めることはないでしょう」
「戦車道においても、その他においても」
「だから対立などない方が良いだろうとは、思っています」
「これまで喧嘩をやめようとは思わなかったの?」
「何度もやめようとはしましたが、仕方がないのです」
「こちらがどれだけ譲歩しようと奴らが我々を見下す態度を改めないのですから」
「あの、世間知らずの大馬鹿共が――」
「はいはい、そこまで」
アズミ先輩が両手をぱんぱんと叩く。
それで、頭に血が上っていたことに気付く。
あぁ、またやってしまった。
「ばつが悪そうな顔してるわ。自分が――いえ、自分も悪いって自覚はあるのね」
返す言葉もなく「すみません」と私は頭を下げる。
「勝利をおさめるためには、どうしたら良いと思う?」
その問いへの答えは考えるまでもない。
「我々が、変わらなければいけません」
「だったら、変わりなさい」
間髪入れずにアズミ先輩が言う。
「言うのは簡単ですが、しかし――」
「あら、なにもやるのも簡単だなんて思ってないわ。でもやるの。そしたら勝てる。先輩からの経験則よ」
知ってるでしょう? なんて言いたげに、アズミ先輩はにやりと笑う。
アズミ先輩はBC自由学園黄金世代の筆頭だ。
編入組とエスカレーター組との禍根は古くから受け継がれてきたもの、あの時代にだってあったはず。
その状態で全国大会のベスト4まで登り詰めたというのは――つまり、彼女は成し遂げたのだ。
「……でも、どうやって」
「あの頃と今とじゃ状況が違うし、同じ方法は通用しない。でも、あの頃にはなかったものが今はあるでしょう?」
マリー。と、アズミ先輩は彼女の名を呼ぶ。
「次代の隊長はマリーよ。あの子が、編入組とエスカレーター組の戦争を止める」
「……マリーが?」
「ええ。あの子は全部わかってる。貴女と同じように、BC自由学園の悪習に気付いてる」
「そのことを表に出そうとはしないけどね」
「貴女も、少しは心当たりがあるんじゃない?」
――そう、そうだ。
確かに私はマリーの本心に触れている。氷のように冷たい、彼女の激情に気付いている。
アズミ先輩の指摘は、きっと正しい。
甘いだけが彼女の本質ではない。
もしかしたら、BC自由学園の誰よりも、マリーは学園の悪習を憎んでいるのかもしれない。
けれど熱意だけでは出来ないこともある。
我々が自分達の理性だけでは喧嘩をやめられないように。感情を抑えられないように。
「マリーに、止められますか」
「貴女たちが、協力してくれさえすればね」
あの子、あれですごいのよ。
アズミ先輩はそう挟んで、言葉を続ける。
「貴方たちに必要なのは、編入組にもエスカレーター組にも縛られない、超越した存在」
「それがマリーよ。あの子が頂点に立てば、きっと貴方たちも自分を俯瞰的に眺められる」
「あの脳天気さに、喧嘩が馬鹿らしくなるからですかね?」
「まあ、そういう効用もあるかもしれないけど」
私がとぼけてみせると、アズミ先輩はそう言って笑った。
そして瞬間、表情を僅かに険しくし、「でも」と言葉を続ける。
「そんなお姫様を続けるのにも、いつか無理がくるわ」
お姫様を続ける……?
「マリーが無理して演技をしているような言い方をしますね。彼女はあれを素でやっていそうですが」
「それでもよ。自分を貫くっていうのも、簡単じゃないの」
そう断ずるアズミ先輩の言葉には、どうも納得がいかない。
「彼女は、それほど弱くは見えませんよ」
だからそう返してやると、さらに先輩は言葉を繋げた。
「弱くはない。けれど、見た目ほど強固でもないわ」
「……そんなもんですかね」
自分の方がよりマリーを理解できているとでも言うつもりだろうか。
いや、私も別に彼女を深く知っているわけではないが、付き合ってきた時間ならこちらの方が長い。
「――ふうん?」
ふいにアズミ先輩が目を細める。
「意外と、あの子への情が厚いみたいね」
「他のエスカレーター組の奴らと比べて、我々を面罵することはないですからね。少しくらいの情を持つのは当然でしょう」
――見透かしたような言葉を遣うのが何となく気に障って、そうまくし立てると、アズミ先輩は微笑と共に返した。
「それなら、忘れないで。きっといつか、あの子には貴女が必要になるから」
「半ば崇拝気味に内側から彼女を支えるエスカレーター組の子たちでなく、外側に立った貴女でなければ気付けないこともあるの」
気付く……?
「申し訳ないのですが、仰っている意味がよく――」
言いかけた私を「今は」とアズミ先輩が制す。
「あんまり私の言葉は理解できなくても構わないわ」
「でも、決して忘れず、あの子に無理が来た時に思い出してくれれば良い」
「冷静になって、よく考えて」
「貴女たちと同じように、エスカレーター組の子たちにも、マリーにも、事情がある。信念がある」
「…………」
アズミ先輩の言葉はやはり馴染みづらく、耳にしても、私の中に風は吹かなかった。何の音も聞こえなかった。
けれど、そこまで言うのであれば、胸に刻みつけようとは思った。深く深く、そしてはっきりと。
――やがて、その時が来た時のために。
◇ ◆ ◇
失踪の理由に思い当たる頃には、私は彼女の元へと辿り着いていた。
マリー隊長は、学園艦の地下に設置された巨大水槽を見下ろし、通路に置いたチェアの上でケーキを頬張っている。背の高いモンブランだ。
黙々と黙々と、ただただ甘味を口へ運ぶ彼女の姿は、いつかの試合後の光景を思い起こさせる。
「隊長、随分と手間をかけたぞ。少し迷惑が過ぎる」
私が声をかけると隊長は「あら、奇遇ね?」と顔を向ける。
とっくのとうに気が付いていたくせに、白々しいことだ。
「まったく、こんなところで何をしている」
「ケーキを食べているの」
「そういう意味の言葉ではない」
「じゃあ、どういう意味なのかしら?」
「戦車道の練習を放って逃亡するのはやめろ、という意味だ」
「良いじゃない、たまにはこんなのも」
……押田とはまた違う意味で話が通じない。
間髪入れず、ずばずば見当違いの言葉を返してくる。
――いや、しかしそれも、きっと彼女の本心を語っているわけではないのだ。
「隊長は『たまには』と言うが、実際、逃亡を今日限りにするつもりもないのだろう」
私が言うと、そこで初めて隊長は「ふうん?」と短い反応だけを返した。
「他の連中は隊長の気紛れだと思っているようだが、そうではないんだろう」
「貴女はそういう種類の人間ではない」
「脳天気な仮面を被って自分を隠しているが、確固たる信念がある」
「…………」
沈黙は、続きを促しているのだろう。
「だから初めは、我々を試しているのかと思った」
「編入組とエスカレーター組とでチームワークを発揮して自分を見つけられるか確認しているのかと」
そこで隊長は「そんなことするはずないじゃない」と嘯く。
するだろう、貴女は。
「だが、今日のは、違う」
「…………」
「わざわざ艦内まで降りて、人目のつかない場所で一人ケーキを頬張るだなんて――本当に、ただの逃亡だ」
「だから、そう言ってるでしょう?」
にこやかに答え、隊長はスプーンでケーキを口に運ぶ。
私は、そんな彼女の表情を変えてやりたくて言葉を続けた。
「怖かったんだろう」
隊長の動きが、ぴたりと止まった。
「なるほど、正解だったか」
笑みの消えたその横顔は、まるで感情を殺した能面のようだ。
「編入組とエスカレーター組との禍根を壊す」
「そのために夏の大会が終わって以降、隊長は数々の手を打った」
「我々はエスカレーター組と同じ釜の飯を食べているし、押田を『押田くん』と呼ぶ羽目にまでなっている」
隊長は、無表情のままでケーキにスプーンを刺す。
「その甲斐あってか、最近では以前ほどの喧嘩はなくなった」
「今日だって、エスカレーター組の協力なしではここへ辿り着けなかったかもしれない」
「変化は訪れつつある」
「良かったじゃない」
隊長がケーキを口に運ぶ。
「でも、隊長は、その変化が怖かったんじゃないか?」
「…………」
「これも当たりか」
隊長は、眉をひそめて、少しだけ唇を尖らせる。
まるでむくれた子供だ。
「アズミ先輩は隊長のことを『編入組やエスカレーター組を超越した存在』とか言っていたが――実際のところ貴女はエスカレーター組の、最も深いところに属している」
「代々受け継がれてきたものを肌で感じているはずだ」
環境は人を作るという。
それに倣って考えれば、マリーに我々への偏見がないのは、奇跡ともバグとも呼べる出来事だ。
「編入組とエスカレーター組との対立がなくなれば、貴族と庶民の垣根が破壊されかねない。まさに革命だ」
我々に事情があるように、彼女にも事情がある。
本当は、ただそれだけの、簡単なことなんだ。
「私は編入組の先輩諸氏に触れてきた」
「隊長も、エスカレーター組の先輩諸氏に触れてきた」
「それぞれ受け継いできたものがある」
「他からはどれだけ醜く滑稽に映ろうと、かけがえのないものばかりだ」
「それらを全て破壊してしまって、本当に良いのだろうか」
「……隊長がいくら変化を望んでいようとも、一方でそう思ってしまうのは、きっとおかしなことじゃない」
私の言葉に反応を示さないのは、正解なのか外れなのか。
どちらにせよ本音を語ってくれる相手ではない。
けれど、これまで一緒に戦車道をやってきた仲だ、
私と隊長の間にも、多少なりとも積み上げてきたものはあるだろう?
言葉で語らずとも、反応で理解できる部分はあるはずだ。
見当違いのことを私が言っているのならば、彼女の表情はもっとつまらなそうなものになるはず。
憂いを帯びた目元に、その色はない。
ならばこれは、正解だ。
「自分で先導しておいて、いざとなれば怖くなって逃げるだなんて――まったく、強いのか弱いのかわからないな、隊長は」
隊長がケーキを食べ終える。空になった皿を床へ置く。
遠い目をして、ふっと吐息と共に言葉を漏らす。
「これから、どうしようかしら」
これから。
……これから?
その言葉はつまり、まだ逃亡を続けるつもりなのか。
迎えに来ただけじゃ、まだ駄目なのか。
まだ革命を怖がっているのか。
なんのために、エスカレーター組の連中でなく、わざわざ私が来たと思っているんだ。
本当に世話の焼ける隊長だ。
「隊長は、誤解をしている」
私が言うと、マリー隊長は不思議そうにこちらへ首を向けた。
私はその目を正面から捉えて言葉を続ける。
そちらだって、少しは理解する努力をしてほしいものだ。
「良いか。確かに変化はある。編入組とエスカレーター組との禍根は消える。我々の諍いはなくなってゆく。そうなるべきだとも思う」
けれど。
「けれどな、全てが変わってしまうわけじゃない。変わるものもあるし、変わらないものだってある」
例えば、私は昼食にエスカルゴ定食なんて選ばないし、押田も編入組の寮では暮らさない。
マリー隊長だって、ずっとルノーFTのてっぺんでケーキを食べ続ける。
「残るものは確かにあって、でも、どこかが変わらなければ前には進めない」
「隊長だって、そう思ったから夏の大会からずっと指揮を執ってきたのだろう?」
恐れがあるのは理解できる。
ただ、それでもだ。
「大丈夫。少なくとも私は――編入組は、これまでずっとそうやって生きてきた」
「受験戦争を勝ち抜いた我々は、変化を恐れない。ものともしない」
最後まで言ってやらなければ伝わらないかもしれない。
少し不服ではあるが、私は言葉を続けた。
「そんな連中が貴女の部下になるんだぞ」
もう一言だけ。
「それでもまだ、怖いのか?」
そこで隊長に、僅かな動きがあった。
口角をほんのりと持ち上げ、目を細める。
「安藤」
――彼女に名を呼ばれたのは、これが初めてのことだ。
徐々に徐々に、隊長は表情を変える。
そしてやがて、玩具を見つけた子供のように、満面の笑みで嬉しそうに言葉を吐く。
「それじゃあ、学園艦の上まで抱っこしてくれる?」
…………。
あぁ、まったく。
私の言葉に納得したかと思えば、すぐにこれだ。
気紛れでわがままで、それでこそウチの隊長だな。
私はため息と共に言葉を返した。
「自分の足で歩いてくれ。肩くらいなら貸すから」
返答はすぐにあった。
「ふふ、仕方ないわね」
そう言って隊長は、お手とばかりに右手を差し出す。
押田の言葉通り、まるで飼い犬になったかのようで業腹ではあるが、たまにはよかろうと、私はその手を取り引っ張り上げてやった。
「ありがとう」
隊長は、小さくそう口にした。
普段よりも数段小さな声で、聞き取れるギリギリの音量だった。
それで私も少しは報われた思いがして、こちらは普段よりも大きな声で「どういたしまして」と彼女へ返してやった。
すると隊長は再び唇を尖らせ、それが面白くて、私は「はは」と声に出して笑った。
「…………?」
「あら?」
ふいに、静かだった艦内に音の反響するのが聞こえた。
ぽつぽつとこちらへ喧噪が近付いてきており、見れば欄干沿いにこちらへ駆けてくる集団がある。
「いたぞっ! あそこだっ!」
「マリー様っ!」
「受験組に先を越されたぞ!」
「奴が先に捜索をしていたのだ、今回は仕方がないだろう!」
隊長捜索隊――エスカレーター組の連中だ。
本当に騒々しいな……。
ようやく顔が認識できるくらいの距離まで近付いたというところで、先頭の押田が安堵した表情で「マリー様、ご無事ですかっ!」と訊く。
隊長へ目をやると、「私は何も言わないわ」とばかりに意味深な視線を返されたので、代わりに私が答えてやった。
「無事だよ。革命が起ころうと、何が起ころうとな」
押田は「それが君の悪い癖だぞ」と眉をひそめた。