異聞帯系企画SSまとめ   作:子無しししゃも

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泥槍過去編
暗い


泥に沈む

「いつもありがとう、可愛いわが子」

 

 ……深淵の底で、変わらぬ日常通りの番をしていた時の事だった。

 珍しく母さんが外に出て、私に話しかけてきた。

 

「同じ蛇の神。わたしの娘。あなたはわたしによく似ていますね」

 

「……ふふ、まさか。そういうのは、ラフムの方が似合う。あの愛らしい様と言ったら」

 

 私のようなガサツな女が、淑やかな母さんと似てるなんて思えなかった。

 どちらかといえば、弟の方がそれに相応しいと思った。

 

 かわいいラフム。私の、大事な双子の弟。

 あの子だったら、母さんと並んでもきっと見劣りせず様になるだろう。

 

「もちろん、あの子もですが……あなたも、そうですよ」

「いや、だから」

「ほら、そうやって薄く笑っている顔も、わたしにそっくり」

 

 でも、母さんはどうしても私を誉めたかったみたいで。

 私が認めないと見るや、しつこく繰り返してくる。

 

「も、もう! 母さん!」

 

 鏡が無くてよかったと思う。この時の自分の顔はこの髪みたいに赤くなっていただろうから。

 でも、悪い気はしなかった。

 

「ふふ、こんなに似てるなら……あなたは優しい子だから、見たことはありませんが――」

 

 幸せな記憶だった。

 そしてそれから少し経って。

 

 

 私の愛する弟は、死んだ。

 母さんに、殺された。

 

 

 事の起こりは、当時の私からすれば特段大したことの無い話だった。

 人間を、大洪水で滅ぼす。

 久方ぶりに招集を受けたため、深淵を出て議会に参加した時の議題がそれだった。

 

 人間。エンキが母さんに作ってもらったとかいう、神のまがい物。

 それがどうやら目障りな事をしだしたそうだった。

 深淵の門番である私には、地上の出来事は関わりないこと。

 

 だが、被造物が創造主に逆らうなど、あってはならない事だ。

 害虫を駆除するようなもの。

 それに、反対する事などないだろう。

 多数決を取る段になり、そう判断した私は賛成を投じた。

 

 ……当時の私は、人間という存在に対してそのような認識を持っていた。

 魔術師殿にこれを打ち明ければ、軽蔑されるだろうか。

 それでもいつかは、伝えられると良いのだが。

 

 弟も、私に続くように賛成を投じた。

 それが自分の意見でなく私が票を投じた側だから、という理由が透けて見えたから、お前はもう少し自分の意見を持てと叱ろうとしたのだけど。

 

「だって、姉さんの判断はいつも間違ってないと思うから」

 

 そう言われて、私は何も言えなかった。

 その後の話は、このシュメルの地の神の全員が知る事だ。

 

 人間を滅ぼす事が、多数一致で決定し。

 そして、反対派の神の筆頭であった母さんは怒りに狂い、私たちの全員に戦いを挑んだ。

 天地を割る戦いの果てに母さんの神核を砕き、深淵に沈めるという形で決着が付き。

 多くの神が傷ついたが、人間も予定通りの大洪水で滅びて。

 これで終わったと安堵していたその時、母さんは異形と化して深淵の底より蘇った。

 

 

 戦う力を持っていなかった弟は、逃げる最中に蘇った母さんに飲み込まれたのだという。

 原初の海、侵蝕海洋。異界の神の力を喰らいさらに増したその権能は、神の肉体すら一瞬で侵し溶かす。

 弟は、欠片も残らなかったのだと私に伝えてくれた神は言っていた。

 

 涙を零し、狂ったように叫び。

 静止の声を振り切り、止めようとする神を何柱か叩きのめし、私は崩壊した世界の海を駆けた。

 

 どれだけの時間が経ったのかはわからない。

 その果てに、私の目の前にはかつて母と呼んだ怪物とその背後に控える神としての器、巨大な鯨が在った。

 

 目の前の怪物は、憎しみと怒りに歪んだ表情で私を見ていた。

 淑やかで、落ち着いていて。いつも微笑んで私たちを見ていた時とはかけ離れたその表情。

 

 普段であれば、私はそれを見て悲しくなっただろう。

 だが、今はただ心底からわき続ける怒りだけが脳裏を埋めていた。

 

 ふざけるな。何が母親だ。この化物が。

 貴様は取り返しのつかない罪を犯した。私の弟を。愛する人を。全てを掛けても惜しくない存在を、奪ったんだ。

 

 だというのに、なんだその顔は。貴様が怒りをぶつける権利など。

 

「殺してや―――」

 

 裂帛の気合と共に、槍を構える。

 

 まるで、開戦の合図のように。化け物の背後の真体が、瞼を開く。

 水鏡のような虚無の瞳に、私の姿が、その顔が、表情が、映って。

 

――――あなたは優しい子だから、見たことがありませんが。きっと。

 

 私の体は、硬直した。

 恐怖ではない。目の前の敵がどんな恐ろしい存在かは相対する前から知っていた。弟の仇に、臆する理由は皆無だった。

 魔物が、私を呑まんと口を開く。

 体は、動かない。

 

 これが私の死の間際の記憶だ。

 意識が途切れる、数秒前に。

 

――――きっと、怒っている顔もわたしによく似ているのでしょうね?

 

 私は、取り返しのつかない罪を犯した事を、悟った。

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