沈泥のランサーVS金星のランサー(前編)
強い女対決
正中線を頭から股に割断せんと振るわれた大槍が、破壊神に迫る。
――そしてその一撃は空を切り、金星のランサーが足場としていた住居を一撃の元に解体した。
「名を聞こうか、異邦の侵略者」
一撃が回避されたことに即座に反応し、槍を構え直し静かに問う、沈泥のランサー。
「ハハ! 下級神のヘビっころは下品だな! 名乗る時は格下からって知らねえのかよ!?」
「侵略者に名乗る名は……いや、そうだな」
一つ隣の民家に飛び移り、体の所々に藍の鱗を生やした敵対者を見下す金星のランサー。
その挑発の言葉に、沈泥のランサーは渋面をするも、納得したように頷く。
「我が名は■■■。暗き深淵の海の門番を務める者だ」
「よくできたじゃねえか、褒美だ」
名乗りをあげた沈泥のランサーに襲い来るのは、返礼ではなく瓦礫の残骸。
「金星の神、トラウィスカルパンテクトリ様だ! 恐れ慄き首を垂れるんだな!!」
その不意打ちの直後に名乗るや否や、金星のランサーは土煙を視界の盾に肉薄し、槍を突き出す。
沈泥のランサーは脇腹へ向け突き抜かれたその槍の軌道を柄で逸らし、追撃への牽制の意も込めて大槍を横薙ぎに振るう。
だがその動作の起こりの瞬間、金星のランサーは一瞬で槍を引き下げ宙へと跳び上がった。
まるで行動を読んでいたかのような対応の速さに沈泥のランサーは槍を止めようとするが、一手遅かった。
振るうはずだった軌道の中ほどで停止した大槍。
その上に曲芸のように着地した金星のランサーの槍が、左肩へと突き立てられる。
高位の神が振るった一撃。
宝具でこそないが、それは並みの生命体……それこそ同じ神の類であったとしても、貫通どころか肩ごと周囲の骨肉を抉り飛ばされてもなんら不思議ではない破壊力を持つだろう。
「温い」
だが、その一撃は肩口を貫通すらしない。
沈泥のランサーの体表を覆う鱗を数枚抜きはしたが、そこで停止したのだ。
直後、攻撃後の隙を突き反撃として振るわれるのは、左腕による単純極まりない拳打。
その一撃を掠める距離で回避しながら、金星のランサーは槍を引き抜き離脱する。
「うざってえなオイ! 硬さだけはいっちょ前かよ!」
その一撃が与えた結果に金星のランサーは内心で納得し、しかしその表情は表には出さない。
完全に片腕を取る勢いで一撃を加えた。
にも関わらず、刺さっただけ?
最初の不意打ちの時から感じていた事だが、まともな硬さじゃない。
気配からして、相手自体はあまり高位の神ではない様子。
だが、時折神気が二重になって感じ取れる。
仮定の域は出ないが、おそらく複合神性の類だろう。
さてさてどう料理してやったものか。
何年振りになるかは覚えちゃいないが、これだから戦争ってやつは止められない。
金星のランサーは愉快そうに笑い、目の前の敵を好奇の目で見据える。
「……何を笑っている。そんなに戦争が好きか?」
忌々しい。その相手の様子を見て、沈泥のランサーは侮蔑の目を向けながら考える。
この世界の守護者として、長い時を生きてきた。
戦争は嫌いだ。
友が、家族が、守るべき人間たちが傷つく。
故に、ここで自分が敗北する事は許されない。
だから、抜け目なく相手を分析する。
貫通こそしなかったが、己の鱗を何枚か穿たれた。
……並みの破壊力の一撃ではあり得ない事だ。
それだけの力があり、さらに先の攻防。
自分の動きの先を読まれ、さらにまともな反撃のタイミングを与えてもらえなかった。
相手は、強い。
その不遜な態度に見合うだけの磨き抜かれた武練が備わっている。
さらに、神としての本領、宝具や権能といったものも見せていない。
さて、いかに情報を引きずり出し、隙を作って致命の一撃を叩き込んだものか。
ああまったく、これだから戦闘というものは――
「何笑ってるだと? てめえも同類だろうが。鏡見たことねえのか?」
そこで相手の聞き捨てならない言葉に意識を奪われ、沈泥のランサーは表情に不快感を露わにする。
同類だと? 貴様のような傲岸な神と、同類などと。
いや、待てと一度思考を止める。
先ほど考えを巡らせていた時の自分は、どのような表情をしていただろうか。
……そんな事は今はいい。そんなわけがない。
沈泥のランサーは自分に言い聞かせるように思考を打ち切り、言葉は不要とばかりに突貫する。
純粋な筋力、耐久性ではこちらに分がある。
必要なのは、いかに致命の一撃を加えるチャンスを作り、かつそれを逃さないか。
その好機は、意外なほどに早く訪れた。
「そこだ!」
一合、二合と打ち合い、筋力の差で押し負け金星のランサーは槍を取り落とす。
ここだ。
勝機を認識した沈泥のランサーは相手の命を奪うため大振りの一撃を振るう。
「そこってどこだよザコ!」
だが、その一撃は身を屈めた金星のランサーにあっさりと回避される。
そこまでならば問題ではない。
打ち合っての感覚として、武器を持たない相手の筋力はこちらの命を奪えるほどではない。
仕切り直し次の機会を狙うとしよう。
その算段だった。
しかし、瞬き一度の間に、金星のランサーの手には輝く光で構成された槍が一本握られていた。
『目覚めの投擲(トラウィスカルパン・アトゥール)』。
金星のランサーの宝具であるそれは、不幸や悲劇、負の感情が込められた光の槍。
誤算だった、と沈泥のランサーは頬をひきつらせる。
あの槍……宝具かは不明だが、自分の肉体を貫通するだけの威力がある可能性は否めない。
その判断の元、迎撃を放棄し彼女は背後に跳ぼうとし。
突如脚を滑らせ、姿勢を大きく崩した。
「……!」
額に汗を浮かせ、足元を見る。
そこにはこの地を襲撃した鬼の死骸、血に塗れた肉片が踏みつぶされ薄く引き伸ばされた姿を晒していた。
「無様だな! 運もねえってか!?」
姿勢を立て直す隙もなく、沈泥のランサーの腹に光の槍が突き立つ。
先ほど彼女を襲った不幸。
それは、退いた足元に偶然滑りやすい肉片が転がっていたというただの偶然ではあるが、同時に必然的に起こった偶然とも言えるものだった。
金星。アステカにおいて不幸や厄災を司る凶兆の星。
金星のランサーは名の通り、この星を司る神である。
そんな彼女が持つ権能が、これだった。
『明けの明星』と呼ばれるそのスキルは、金星が象徴するあらゆる不幸を他人に付与する事を可能としている。
たった一度の偶然の要素の介在で勝敗が左右される実力が拮抗した強者同士の闘争において、認識の範囲外から突如襲い来る不幸というのは致命的な影響をもたらす。
「ぐ……ぁ……!」
事実、この戦いにおいてもそうであった。
金星のランサーにより突き立てられた光の槍に、沈泥のランサーはがくりと膝を付く。
腹を貫通されているなどの致命的なダメージは無い。
だが、その目からは困惑と絶望に光が消えかけ、全身は小刻みに震えている。
『目覚めの投擲』は物理的な破壊に重きを置いた宝具ではない。
その本質は、不幸の象徴たる金星神の権能にある。
槍を受けた相手は、自らが体験した不幸の数々がフラッシュバックし、未来に訪れるかもしれない悲劇に怯える事となるのだ。
高い対魔力を持つ相手には効果が薄いが、金星のランサーには本来よりも多大な効果を与えているように見て取れる。
おそらく、過去に大きな悲劇や不幸でもあったのか、未来に心配事があるのか。
とはいえ金星のランサーにとってそのような事情など知った事ではない。
それを加味しても、長く動きを封じる事はできないだろう。
「ったく……手間取らせてくれたなァ!」
「がっ……!?」
……だから、ここで手早く殺す。それができなくとも可能な限り消耗させる。
地に膝を付き低い位置となった沈泥のランサーの顔に、金属の防具で威力を増した膝蹴りがめり込む。
鼻から血が零れ出し、顔に上向きで叩き込まれた強かな一撃により本人の意思と関係なく無理やりに浮き上がる体。
よろめくその体は背後に下がろうとするが、金星のランサーがそれをさせるはずもなく。
光の槍の一本が、右足の甲を貫通し沈泥のランサーを地面に縫い留める。
最後に、金星のランサーは先ほど取り落とした自身の槍を拾い上げ、相手の目に狙いを定めた。
いかに堅牢な肉体であろうとも、眼窩は鍛えようもなく防御も難しい人型生物の急所である。
ここを穿って、おしまいだ。
「……ま、暇つぶしになるぐらいにゃマシだったな」
金星のランサーは必殺の突きを、繰り出し。
「つれない事を言ってくれるなよ金星の」
相手の目に光が戻った事を認識した時には、攻撃を中断するには遅すぎた。
瞬間的に首を傾けた相手に、必殺の突きは空を裂くだけとなる。
「て、めぇ……!」
防御行動に移る対応時間を得るには、今の両者の距離は近すぎた。
脚に槍を突き刺すため、確実に眼窩を貫くため、距離を詰めた事が仇となった。
「つぁっ……!?」
金星のランサーの頭に、天然の鈍器……沈泥のランサーの頭が勢いよく打ち付けられる。
両者の頭部から血が流れだし、それだけにとどまらない出血は視界を赤へと染める。
「破壊神だったか? 『下級神のヘビっころ』一匹破壊できないのだな、アステカの神は」
視界に火花が散りふらつく金星のランサーに投げかけられたのは、挑発の言葉。
それに、少しだけ口端を歪め。
「舐めてんじゃねえぞクソブスがぁぁぁ!!」
金星のランサーは怒りのままに吠える。
身に満ちた怒りと自身の誇りにかけて、その拳を相手の顔面に向けて叩き込む。
「く、く……ハハハハハ!」
鈍い音と共に沈泥のランサーへと突き立った拳。
だがその反応は、何かの枷が外れたかのような笑い声。
同時に反撃の回避に移ろうとした金星のランサーは、自身の右足が何か重しのようなものに潰され動けない事に気付く。
「ぐ……このクソデブ……!」
それは、沈泥のランサーの左足だった。
相手が力を込めている事を加味しても、明らかに神一柱の重量ではない。
「石板のような体型よりはマシだ……!」
悪態に悪態で返し、金星のランサーの腹に拳が突き刺さる。
臓腑を全て吐きそうな衝撃に金星のランサーは体を折り曲げ、しかし何とか持ちこたえ。
「ハハハハ! ぶっ潰してやんよザコが!!」
「く、くく……! こちらの台詞だ金星!!」
お互いに、歯を見せ、瞳孔の開いた目で笑う。
もはや神としての品位など、どこかに置いてきた様子で。
目の前の敵、ただそれだけを見据え、二柱の神は喰らい合う。
拳を受け、大槍を回避してなおその余波を受け、骨が潰え肉は千切れる。
光の槍に、黒曜の槍に貫かれ、鱗がひしゃげ骨ごと肉を削ぎ落とされる。
だが、止まらない。止まれない。
そこには、神としての、一個人の人格としての譲れない誇りがあったのだろう。
しかし、それ以上に、ごくごく単純に。
自身という強者を殺し得る戦争が、戦闘というものが――。
全身を赤に染めてなお、2柱の神は口に三日月を作りながら戦意に満ちた目で互いを見つめる。
沈泥のランサーは考える。
戦争は嫌いなのだと言った。その言葉に偽りなどない。
……ただまあ、そう言われてしまうと否定できない程度には。
相手以外の他人を巻き込まず、存分に自身の武を試せる戦闘は、その。
嫌いじゃないと言ったらそんなレベルじゃないだろうとつっこまれてしまう程度には、隠しきれないくらいに好きだった。
だから、中々に口惜しい。
これが、終わってしまうのが。
「……私の勝ちだ」
「……あぁ?」
頭から伝ってくる血を拭いながら、沈泥のランサーは獰猛な笑みを浮かべた。
その言葉の意味を理解できず、金星のランサーは今度こそトドメを差してやる、と一歩前に踏み出そうとし。
足を泥に取られ転倒した。
「っ、クソッ……!」
何たる無様。
苛立ちに思考を埋めながら、金星のランサーは立ち上がろうとし、しかし足を拘束され動けない。
そこで初めて気付く。
足元のそれが、ただの土でない事に。
「……無駄だ。既にこの周囲一帯、我が領域も同じだからな」
先ほどの意匠返しだ、と笑いながら、沈泥のランサーは足元の泥を槍で突く。
『淵底蔓延る沈泥の澱(シルト・エ・アブズ)』。
沈泥の二つ名の通り、イラクのランサーが宝具として持つそれは、神代の泥を周囲に展開するものだった。
相手の足を奪い、長時間触れ続ければ霊基を侵蝕する泥。
自身に有利な布陣を展開できる一方で、ランサーの神気を纏うそれは魔力の感知によって容易に展開の状況を把握され、回避もされやすい。
特に、戦闘における立ち回りや判断力に長けた金星のランサーを相手取った時には。
だが、足場が固められている状態を完璧に隠蔽できる戦場があるとすれば?
周囲には、民やオアンネスくん、鬼といった生命の死体。
その体や流れる血は、神性を含んだ魔力を放つために地面が神代の泥に組み替えられている状態を覆い隠す。
だから、気付けなかった。
天に輝く金星を、泥沼の蛇が巻き捕らえる。
「待て、待て……やめろ……!」
己の頭に向けられた、鋭い槍の穂先。
迫りくる死を見て、金星のランサーは焦燥と共に静止の言葉を繰り返す。
足を泥に奪われ、相手に対する最大の優位である体捌きによる立ち回りも奪われた。
目の前には、確実な死を与えるため頭部、額に狙いを定めた様子の大槍。
嗜虐性を失ったその表情には恐怖の色が濃く浮かび、普段の彼女とは思えない様子のそれは明らかに平静を失っている様子だ。
しかしそれは、死への恐怖というよりも、何かを嫌がっているような。そんな少し妙な気配を抱かせる。
「その言葉、我が世界の民を傷つける前に言うべきだったな」
だが、命乞いを聞き届けるほど金星のランサーがこの世界で行った所業は温いものではなく。
そして、ここからの逆転劇など望めるはずもなく、一直線に突き抜かれた大槍は金星のランサーの額に突き刺さり、頭蓋を穿ち後頭部へと抜ける。
一度痙攣し、動きを止める体。
「……終わったか」
それに一度安堵の息をつき、沈泥のランサーは頭蓋を貫いた槍を引き抜くと、他の戦線へと赴くため、背を向け。
――■■が、憎かった。
――投げた槍は、弾かれ届かなかった。
――反撃に放たれた矢は、私の頭を。頭を。頭を。
「私を、殺したな」
瞬間、沈泥のランサーに氷のような冷たさを持った怖気が走った。
底冷えするような、冷淡な声色で紡がれた言葉。
それは、先ほど頭を貫き確実に殺したはずの骸から発せられたもの。
――何らかのスキル、宝具による蘇生。
理由を即座に弾き出し、ならばもう一度殺すまでと沈泥のランサーは判断する。
背後の敵へと振り向くと同時、槍を薙ぎ首を取ろうと動きを組み立て、動こうとし。
「なッ……!?」
足が凍り付き動けない事に、気付いた。
先ほど感じた怖気、それは精神的なものだけではなく周囲の足場が丸々凍結されていたが故のもの。
足を縛り付ける氷を無理やりに引きちぎろうとしたが、遅かった。
距離を取るためバックステップを切ろうとしたのと同時に肩口に黒曜石の刃が突き立つ。
目線だけを動かし、攻撃を受けた肩を見る。
凄まじい凍気が籠っている事が伺える、黒曜石のナイフ。
だが大きなダメージは無いと安堵の息を吐く。
沈泥のランサーの体表を覆う鱗。
最強の生命とまで謳われる神獣の最外部を守る、鎧の如き防御構造。
その強みは、鋼の武器すら通さない単純な硬度だけではなく高い遮断性にある。
強力な凍気ではあるが、そこまでの影響は――
「がっ……!」
そこまで思考を走らせた瞬間、沈泥のランサーの肩から、体内を食い破るかのように無数の氷の棘が一面に花開く。
体内から凍りついた? 何故?
「私に、この姿を晒させたな」
脳裏を掠める相手の疑問に回答する事はなく。
先ほどまであった戦闘の喜悦も嘲笑の笑みもなく、周囲を包む氷のような冷たい瞳で金星のランサー……否、霊基すら変質した金星の神は目の前の敵を虚ろに見つめる。
アステカにおいて厄災の星とされる天体、金星。
金星のランサー、トラウィスカルパンテクトリはこの天体の中でも明けの明星を司る破壊神だ。
だが、そんな彼女の表裏一体となる神がもう一柱。
「殺してやる」
――――太陽に戦いを挑み、殺された。
――――何の奇跡か蘇ったが、己が誇っていた最も輝かしい金星の威光は身には無く。
編み込んだ髪は解け、体の所々は黒く染まり。
その姿は、彼女の眷属である鬼のように底冷えする恐怖を周囲へと振りまく。
「お前の心臓を以て償え」
名をイツラコリウキ。
宵の明星、夜明けの冷え込みを司る、彼女の敗北の証である忌むべき姿。
太陽への憎悪に凍れる、復讐者である。