沈泥のランサーVS金星のランサー(後編)
「くっ……!」
肉薄したイツラコリウキを振り払うため、沈泥のランサーは大槍による迎撃でなく、空いた左腕で相手の首をへし折らんと掴みにかかる。
「遅い」
だが、首をへし折らんとした腕は這うように姿勢を低くする形で回避された。
先の攻防とは別人のように変わった無表情に、微かな獰猛性が入り混じった笑み。
読み勝ったと思ったのだろう。
だが甘い。
沈泥のランサーはイツラコリウキの表情に同じような笑みで返し、背後に跳ぶ。
首を掴みにかかったのはフェイントだ。
本命は、一度距離を取るためのこの動き。
大槍の最適射程に相手を入れるための攻防入り混じった動作だ。
「だから、遅いと言った」
「……!?」
姿勢を低くしたヤツは、自分の下半身のどこか鱗の薄い部位を狙ってナイフを突き立てに来るに違いない。
その攻撃を回避する形で距離を離す。
このように戦術を組み立てていた沈泥のランサーの目論見は、後退したにも関わらず両者の距離が全く縮んでいない事で、外れた事を証明していた。
単純な話である。イツラコリウキは背後に跳ぶという沈泥のランサーの動きを読み、攻撃の代わりに地を蹴って前進していたのだ。
着地直後を狙いすました一撃に、次の回避が間に合うはずもなく。
今度こそ、鱗が剝がれている左の太腿に、黒曜石の刃が突き立てられる。
「ち……!」
それそのものに大きなダメージは無い。
堅牢な神獣の鱗、その内にある高密度の霊基によって編まれた筋肉による耐久性と筋力。
ビームが撃てるわけではない。大規模な自然現象を操れるわけでもない。
だが、槍を振り回すだけで破壊の嵐が巻き起こり、攻撃を受けようとも山のように動じない。
沈泥のランサーの肉体は、生ける要塞といっても過言ではない純粋な耐久性と物理的破壊力を有している。
「愚かな屑星如きが」
しかし、凍える金星の復讐者はそのような相手をものともしない。
筋肉に差し込まれた黒曜石のナイフを媒介として氷の権能が流し込まれ、内部から沈泥のランサーを引き裂き傷口を中心とし氷の棘が一面に花開く。
「屑星、か。知っていたのか?」
もはや言葉は不要。そう思っていたのだが、沈泥のランサーは思わずイツラコリウキに尋ねる。
彼女は海底の泥を司る神であるが、同時に天の星や干支といったものを司る神でもある。
とはいえ、特定の惑星や月、太陽の神ほどの信仰は持っておらず、小さく雑多な恒星を司る神であった。
言った事などなかったはずだが、何故か目の前の相手はそれを知っていたため疑問に思ったのである。
「星の神の匂いだ。下等だが」
返ってきた答えは、納得がいくものだった。
信仰、テクスチャを異にする神性ではあるが、同類としての直観。
自身もそれは相手に名乗られる前から薄々感じ取っていたため、大いにに頷ける。
「……それで、時間稼ぎは済んだかよ?」
返答の代わりに、沈泥のランサーは凍りついたままの脚を振り上げ凍てついた大地に叩きつける。
いくら気になったとしても、無駄な問答を戦闘中にしていたわけではない。
その目的は、体内を巡る霊基から放出される熱で身を縛る氷の影響が減じられる時間を稼ぐこと。
地を揺らす勢いに、イツラコリウキにより先ほど凍てつかされた地面の氷がひび割れ砕ける。
滑らない足場を確保するためか?
イツラコリウキは思考し、即座に自身の考えを否定する。
彼女が回避動作に移ったのと、砕けた氷の隙間から大量の泥が噴出し襲い掛かったのは同時だった。
泥が高く吹き上がり、両者を断絶する。
大波となって襲い来る泥は、厚さ自体はそこまでではない。
退避は悪手だ。
そう判断しイツラコリウキは目の前の泥を自身の権能で凍結させる。
「捉えたぞ」
だが、その判断は誤りであったのだと直後に気付く。
底冷えのする声と共に、氷漬けになった泥を貫き槍の穂先がイツラコリウキの右足を串刺しにした。
強者同士の戦いは一瞬で決まる。
それは互いに一撃で命を奪える牙を持っている事を意味する。
脚に傷を負った。
これ以上回避はできない。
ならば、ここで決着を付ける。
凍てついた泥を素手で突き破り、突貫する沈泥のランサー。
それを迎撃せんと黒曜石のナイフを構えるイツラコリウキ。
両者の影が交差し。
びしゃり、と氷と泥に汚れた地面を血液が塗り替える。
「ご、はっ……!」
腹に深々と突き刺さった拳の渾身の一撃に、臓器を幾つも砕かれたイツラコリウキが膝を付く。
「……」
それを、神妙に沈泥のランサーは見て。
「……届かない、か」
短く呟き一瞬の間を置いて、頭に、心臓に、左足に刻まれた傷から次々と氷の華が爆裂し、その肉体を損壊していく。
衝撃に幾度も体が揺れ砕け、崩れ落ち。
場は、静寂に包まれた。
「どうだ、やってやったぞ!」
これまでの静けさが嘘のように、沈泥のランサーの亡骸を踏みつけにし、イツラコリウキは叫ぶ。
まるで何かの熱に浮かされているかのように。
「やってやった……異邦の神でもこの通りだ! 貴様も、貴様も今に貫いて――」
彼女は空を見上げる。アステカ異聞帯の王、ツィツィミトルが覆い隠している太陽。
それに敵意を剥き出しにして、彼女は声を張り上げ。
「――や、ア……?」
瞬間。
心臓を刺し貫き自分の体を宙へ持ち上げた冷たい感触に、それは疑問と血反吐へと変わった。
それは今しがた殺したはずの相手が突き出した槍。
馬鹿な。確実に仕留めた。何故だ。
頭も心臓も潰した。神核も確かに砕いた感触があった。
「『不死の呪い』ってやつだ。つくづく貴様と同類だと実感するよ」
その疑問に答えるかように、死んだはずの沈泥のランサーは満身創痍の中立ち上がり、弱弱しく苦笑いを浮かべる。
「本当なら私の力だけで勝ちたかったが……ままならないものだな」
『不死の呪い』と呼ばれるそのスキルは、彼女が複合する神性が持つスキルだった。
その神性が属する異教の神によってかけられた、決して死ねなくなる呪い。
霊基の主導権は沈泥のランサーが握っているためあくまでも一度の致死的ダメージを防げる程度に減衰しているその効果は、金星のランサーの『霊基変質』と同じく、本人が望まぬ形で得た一度きりの復活。
どちらが先に一度の戦線復帰を切らされることになるか。
この戦いの勝敗は、それによって決した。
「……こうでもしなければ、隙など見せてくれないと思ってな」
勝者であるはずの沈泥のランサーは、ぽつぽつ語る。
致命の一撃をいかに通すか。
その解答が、自分の一度きりの不死を投げ打ったこのタイミングだった。
1対1の戦闘において相手を殺したと確信した瞬間、いかなる強者といえどごく一瞬の隙は生じる。
それを沈泥のランサー本人が目の前の相手に蘇生からの不意打ちを受ける形で証明してしまったのは、皮肉という他無いが。
「ふ、貴様の言う屑星もなかなかやるものだろ?」
「あ、あ」
そんな沈泥のランサーの声は、既にほとんど届いてはいなかった。
イツラコリウキの脳裏を、屈辱の感情が埋め尽くす。
負けた。
また、負けた。
太陽どころじゃない。私の、金星の輝きに隠れて見えなくなるような屑星に、負けた。
「まあ、太陽に目を奪われずにもう少しこちらを見ていれば、結果は違ったかもしれないな」
とはいえ、これでも薄氷を踏むような戦いの末の勝利だったというのが現実だろう。
沈泥のランサーの体は所々が凍てつき、蘇生してなおその軛は一部が残り続けていた。
相手が太陽への執着によって自身から注意が逸れなければ、この蘇生際の奇襲も回避されていた可能性は十分にあり得た。
そうなれば、自分は負けていた。沈泥のランサーはそう考える。
蘇生を果たしたとはいえ、激しく肉体を損壊された後だ。
自身も相当に消耗した状態である。
その上で戦えば、結果は怪しいだろう。
純粋な戦闘能力、特に技巧の面では、相手は自分を上回る相手なのだから。
「……当たり前だろ。テメエ如きの槍、普通ならアクビしながらでも避けられる」
悪態を付きながら、イツラコリウキは自分の敗因を理解する。
いつの間にか、自分自身がこうなってしまっていたのかと。
自分が目の前の敵を見る姿勢は、憎くて憎くて仕方なかった太陽と同じだったのだと。
「ハ、ハハ」
『太陽は自らを隠す雲は見えていても、自らに隠れる星は見えていなかったらしい。お前は私を見たこともなかっただろう。それがお前の敗因だ。ざまぁみろ!ざまぁみろ!太陽共!!』
かつて殺してやったテスカトリポカに向けた自分の言葉を思い返す。
私も連中と同類に成り下がっていた。
……だから、これは必然だったのかもしれない。
自分の輝きに隠れた星を見ることもせず、足を掬われてしまうのは。
「お前の勝ちだ」
「ああ、私の勝ちだ」
互いにニイと口を歪めて笑い、戦いの結果を確認する。
しかしそこで沈泥のランサーの脳裏に去来したのは、違和感。
自分が相対していた神は、このように殊勝な事を言うようなヤツだっただろうか?
「だがテメエも地獄行きだ! 片道奢ってやるからよォ!!」
その違和感の正体は一瞬で明かされる事となる。
血を吐きながら大声を張るイツラコリウキの行動に、金星のランサーは目を見開く。
一瞬前まで力なく垂れ下がっていたその右手には、輝く槍が握られていたのだから。
別霊基に変質したため使えないはずの宝具、『目覚めの投擲』。
自分は負けたのだろう。その事実は覆しようがない。
だが、道連れにしてやる。
執念はかつての霊基を再現するほどに燃え盛り、宝具を形作る。
ぶわりと魔力が舞い、黒く染まった金星神の霊基がごく一瞬、在りし日の姿を取り戻す。
もはや回避の時間も距離も残っていない。
輝く槍が沈泥のランサーの心臓を捉え、過たず直撃し。
────それは、体を穿つ事はなく消滅した。
「く、そ」
無理やりに本来使えない宝具を使ったためか、魔力を使い果たしたのか。
その体からは、急激に力が抜けていく。
『お前は誰にも勝てない』
ああ、まただ。
あいつらはいつも、私を責める。
おのれ太陽。忌々しい、忌々しい!
……いや、違う。
太陽の神なんかとっくに滅んでいる。
この世界にある太陽も、まがい物だ。
『私は誰にも勝てない』『誰も私など気に留めない』『私はずっと孤独だ』。
必死に否定しようとして、しかしできず、己を責め続けてきた言葉。
薄らいでいく意識の中で、ああなるほどと彼女は自嘲する。
己を苛み続けていたのは、ずっと前から太陽なんかじゃなくて私自身だったのだと。
「……クソッ」
自身の肉体が崩れていくのを感じる。
最後まで、自分には何もない。誰にも勝てない。誰も、誰も見てはくれない。
その表情からは普段の彼女の笑みも自信も消え、ただ虚しさに溢れた表情だけが残る。
「……さんざん手こずらせてくれたものだ」
相手にもはや抵抗の手立てはないと悟り、沈泥のランサーはほっと息を付く。
「母さんに償うため戦うと誓いを立てたにも関わらず、我を忘れて戦う羽目になってしまった」
「はっ、知らねえよカス」
そんな愚痴など自分の知ったことではない、金星のランサーは弱弱しく吐き捨てる。
私を見下した太陽のように、お前もそうなのだろうと目を背ける。
「だからな、本当はこのような事を言うなど、貴様らに殺された民に申し訳が立たないのだが──」
別れの言葉など、金星の破壊神にとっては不要だった。
だがそれは彼女の一方的な感情であり、どうするかの決定権は勝者である相手のもの。
いいぜ、せいぜい恨み言でも何でも吐け、特別に聞いてやるよ。ありがたく思え。
そんな侵略者に、己より輝ける星を墜として見せた、シュメルの守護者は。
「──楽しかったよ、輝ける明星の破壊神」
昔馴染みの友にでも向けるような顔で、笑った。
「────」
ぼやけて映るその表情と音を受け取って、金星の破壊神は目を細める。
呼吸ができない。声が出ない。
力は、戦いで使い果たしたのだから。
破壊の神として、それが正しい在り方だと思っていた。
だからおまえに返す言葉は何もない。
ああ、だったら────
彼を、彼女の人となりを知る者が見たとすれば、酷く困惑するであろう表情だった。
恐るべき凶星の神。
太陽を妬み、不幸をもたらす悪神。
かつて太陽に手を伸ばし、届かなかった。
その末に復讐してやるどころかあんな屑星の神に負けて死ぬなんて、お笑いだ。
でも、あの時と違って。
ほんの少しだけ、かつて叶わなかった何かに手が届いたような気がして。
霊基が崩壊し、その身が無へと溶ける、刹那。
彼女は最期に一度だけ、穏やかに微笑んだ。