少しだけ屋上で熱を冷ましてから、押田と二人、ゆっくりと階段を下りた。
さて、毛玉のいなくなった校舎の探索だ。
外からは普通の小学校に見えていたのだが、校舎の中は荒れており、例えば各教室の机や椅子なんかはほとんどが片隅に積み上げられていた。
床にはぼろ絹、黒板にはよくわからない記号や図の殴り書き、少なくともここは一般的な小学生が登校する場所ではないことがわかる。
何者かが生活しているのだろうかと人間の姿を探してみたものの、あいにく校舎の中は無人のようだった。
おそらくここにいた連中は毛玉を恐れて逃げてしまったのだろう。
我々ですら可能だったのだから、手砲弾を使えば容易に撃退できたろうに。
よほどの臆病者集団か、それとも他に理由があるのか。
「安藤くん。君、喉は渇いていないか?」
ふいに押田に言われ、唾を飲み込む。
「……ああ、確かに、からからだ」
緊張していたのだろう、指摘されるまで気付かなかった。
思えば、隊長の家を出てからここまで一滴の水分も取っていないのだから当たり前だ。
「ふふん、そうだろう。ならばどこかで休憩を取るとしよう。無論、君のために」
「……お前、それ、私のためでなく、自分のためだろう」
最近、こいつの性格がわかってきた。
このパターンは、私に恩を売りつつ、自分の希望を通そうとしているな。
「ふん、な、なにを馬鹿な」
こうして狼狽えるところも、いつものパターンだ。
「まあ、さすがに私も疲れているからな。そういうことにしておいてやる」
「なんの話かわからないのだが」
非常時とはいえ、他人様の食料をいただくのは気が引ける。
喉を潤すだけならば、水道水で十分だろう。
そう言うと、押田も苦々しい表情を浮かべて、「仕方ないだろうな」と同意した。
一階の廊下を進んでいくと、幸いにも家庭科室を見つけた。
戸棚に置かれていたコップで水を飲むと、少し鉄くささはあったものの、感動的な旨さだった。
「は~~……」と息を吐き、パイプ椅子に体を預ける。
このまま数時間過ごしたくなってしまう。
激しい疲れにどっと襲われて、これ以上何もしたくない。考えたくない。
しかし、この状況がそれを許すまい。
あの毛玉は撃退できたかもしれないが、まだ何も進展してはいないのだ。
どうやって隊長の家へ帰るのか。
疲れが溜まっていようと、考え、動かなければならない。
話を訊く相手が見つからないのであれば、自分たちで調査を進めるべきだろう。
「押田くん、少し付き合え」
「……付き合えというのは、どこへ?」
「検証作業を始めるぞ」
移動先は化学実験室だ。
ここもごちゃごちゃと荒れており、床には謎の液体が広がっていたが、部屋の隅に設置された棚を漁ると、目当てのものはすぐに見つかった。
「分銅? こんなもの、何に使うんだ」
「黙って見ていろ」
油性マジックで『ぶんどう』と書かれたケースを四つ拝借すると、すぐさま化学実験室を出る。
続けて木工室へ向かい、針金の束を拝借。
最後は保健室だ。
「押田くん、君、体重は何kgだ?」
「なんてデリカシーがないんだ。答えるはずがないだろう」
……まぁ良い。私一人で十分だ。
片隅で埃を被っていた体重計の上へ乗ってみると――52.8kg。
服の重さを考慮すれば、こんなものだろうな。
「安藤くん、体重を気にしているのはわかるが、こんな時にまで計測しなくても良いだろう?」
うるさいな。
体重計を下りると、それぞれの分銅ケースから1kgのものを一つずつ取り出して、針金でぐるぐる巻きにして固める。
今度はこれを体重計に乗せてみると、4.1kgと計測された。
おそらく100gは針金の重さだろうから、正しく計測はできているようだ。
……正しく計測できている? 本当に?
「君は本当に、何をやっているんだ……?」
押田が些か不安そうな表情で問いかける。
「この世界での重さが、我々の世界でいう重さと同じものかを確認している」
と答えてやると、押田は「はあ……っ?」と口を開ける。
「まさか先ほどの、重力が倍なんじゃないかという件か? まだ言っているのか、君は。常識でものを考えたらどうなんだ」
「お前こそ、さっきの怪物を見たのなら、自分の常識の方を疑うべきだろう」
「あれは……まあ、そうだな。おそらく大型犬の一種だろう」
「本気で言ってるのか」と、じいいと見てやれば、狼狽えた様子で押田は目を逸らした。
「ともかく、もう一つ確かめよう。上へ行くぞ」
分銅を抱えて保健室を出る。
と、背後の押田が「何をするんだ?」「どこへ向かうんだ?」と喧しい。
言葉を返してやらないと黙りそうにないので、歩きながら話を進めてやる。
「まず、さっきの体重計というのは、重さを量るためのものだ」
「あの体重計が示すには、私の体重は元のままだし、あの分銅も表記通りの重さだった」
「当たり前の話じゃないか」
「かもしれないが、そうなると、我々の感じているこの体の重みに説明がつかないだろう」
「二人揃って風邪を引いたんだ」
そんなはずないだろ、お前。
と思いつつも、冷静に言葉を返してやる。
「――時に押田くん、重力加速度って知ってるか」
「もちろんだ。内部生を見くびっているのか?」
「なら話が早い。物体の重さというのは、質量×重力加速度で導き出されるのは承知の通り」
「それなら、あの体重計が考慮する重力加速度というのは、我々の知るそれと同じなのか?」
「どういう意味だ?」
押田が眉をしかめる。
「例えば、私という人間の質量が50kgだとする。その場合、私の元々の重さは、50kg重。これが体重計に表示される値だ」
「君、先ほどは52.8kgだったじゃないか」
「口を挟むなよ。お前の方こそデリカシーがないぞ。計算しやすいのだから50kgとしておく」
押田が「まあ良いだろう」と頷く。
「問題はこれをニュートン表記にした場合だ」
「体重計の値というのは、わかりやすいからkg重で表されているだろ?」
「正確に書くなら、重力加速度のおよそ7.6を掛けて……」
「380ニュートンだな」
「そう、それがニュートン表記の重さだ。だからつまり、重力加速度がそのままであれば、あの体重計は、私の体重を380ニュートンと主張しているわけだ」
しかし。
「しかし、だ。重力加速度が、例えばその倍、15.2だったならどうなる?」
「760ニュートンだな」
「そう。体重計には同じ50kg重と表示されたとしても、実際は760ニュートンということになるだろう」
「ふむ、君の言わんとしていることは理解ができた」
押田は顎を撫でると、こちらに顔を向けて言葉を続ける。
「けれど、それをどうやって計測する?」
「これを屋上から落として、落下時間を計測する」
そう言って、先ほどの分銅ぐるぐる巻きを持ち上げる。
「重力加速度は、物体の落ちる時間と距離から計測可能だ。物理学で習っただろう?」
ふいに、押田が階段の踊り場で足を止める。
「確かにそれは習ったが、『空気抵抗を考慮しないこと』と但し書きが付いていたように思う」
私も足を止め、押田へ言葉を返す。
「確かに、そこを突かれると痛い……」
学校のテスト問題とは違い、現実では空気抵抗が計算の邪魔をする。
そこをどうクリアするかという話だが――。
「……短距離で短時間、極端に軽くもなければ、空気抵抗はほんの微々たるものだ。――と思いたい」
「考えが足りないと言わざるをえないな」
押田が左右に首を振る。
「それは、その……返す言葉がないが」
私が言うと、押田は「ふん」と鼻を鳴らして続けた。
「まあ、良い。ともかく、それならば可能な限り空気抵抗を小さくするべきだ」
「風を受ける面は小さくした方が良いだろう」
「なんだ、やけに協力的だな」
普段のこいつなら、散々馬鹿にした挙げ句、作業を放棄してどこかへ消えてしまってもおかしくない。
「先ほどは、君に危険な仕事を押し付けてしまったからな。少しは協力的にもなるさ。君に借りを作りたくない」
「お前、私に仕事を押し付けた自覚はあったのか」
「その言葉は余計なんじゃないのか?」
思わず呟いてしまって睨まれたが、それも束の間、こほんと咳払いをして押田は話を続ける。
「ともかく、その無骨な代物を渡せ。私が修繕して屋上から落とす」
「君は地上で時間を計測しろ」
「ああ、助かる」
手を伸ばす押田へ分銅ぐるぐる巻きを渡す。
「屋上のフェンスを越える際には気をつけろよ」
別れ際にそう言うと、押田は「言われなくとも」と返した。
◇ ◆ ◇
遠く屋上の端に押田の姿が見えたのは、玄関口を出て5分ほど経った頃だった。
後光が差しているせいで見えづらいが「おおーい」と叫びながら手を振ってやると、向こうも手を振って返すのがわかった。
ここから押田までの距離――屋上の高さは、13メートルといったところか。
念のために後で押田と合意を取っておいた方が良いが、戦車道の経験から目視での測量には慣れている、
少なくとも誤差は1メートル以内だろう。
手にはスマートフォン。
ストップウォッチアプリを起動して待機する。
「いくぞーっ! トロワ―っ!」
――と、頭上から押田の声が届いた。
『フランス語とは、さすが内部生』と思わなくもないが、ともかくその声に息を詰めて集中する。
「ドゥっ! アンっ!」
一呼吸置いて、「ゼロっ!」。そこでタイミング良く、画面をタップした。
押田の手を離れた分銅の塊は、瞬く間に落下し、姿を大きくする。
ずっ……、と鈍い音が響き、瞬間、再び画面をタップする。
私の前方10メートルほどの位置で、分銅の塊が土に沈んでいる。
私が作ったのとは少し形状が異なり、分銅が縦に連なる形となっていた。
落下時間は――1.51秒だ。
「ええっと、重力加速度を出すには……13に2を掛けたものを、時間の2乗で割れば良いはずか」
電卓アプリを起動し、重力加速度を算出する。
「11.4……」
空気抵抗を考慮に入れずにこれだ。
実際の重力加速度はさらに大きいということになる(はずだよな?)。
私の記憶している重力加速度の、1.5倍以上だ。
「……そりゃあ、重いはずだ」
25kg分も体重が増えていたと考えると、話が早い。
歩くだけで息があがるのも当然だろう。
――重力は、惑星のサイズによって決まると物理教師が言っていたな。
ならばここは、我々の知る地球ではない。
我々は、別の惑星か、はたまた、別の世界へと迷い込んでしまったのだ。
思わずため息が漏れてしまう。
「さすがに気が滅入るな……」
まったく、これからどうしたら良いんだ。
――と、ふいに頭上から「安藤くーん」と押田の声が降ってくる。
顔を上げると、屋上のフェンスに手をかけた押田が大口を開けているのが見えた。
「急いでそこを離れろ! 集合は一階の階段だ!」
何をあんなに慌てているんだ、あいつは。
「わかった! すぐ向かう!」
とりあえずそう返事をすると、土に沈んだ分銅を拾う。
昇降口を抜け階段前で待っていると、1分も経たずに押田が下りてきた。
「押田くん、落下速度は1.51秒だったぞ。計算したところ、これは――」
「そんなことは後回しだ! 早くここを離れなければ!」
押田は私の話を聞く素振りを見せず、すぐさま廊下を走り始める。
仕方なしに私も後を追うが、押田の言葉はどうも聞き捨てならない。
「……そんなこと? そんなことだと?」
「いいか、計算結果は、11.4だったのだ。我々の知る重力加速度のおよそ1.5倍だ」
「つまりこの世界は――」
「森の方から、化物が現れるのが見えたんだ!」
……化物、というのは。
「さっきの奴か? しつこいな」
「違う!」と叫び、押田は首を回してこちらへ顔を向ける。
「体長は少なく見積もっても3メートル以上あった!」
「おそらくあいつは子供だったんだろうな!」
3メートル。先ほどの倍以上のサイズだ。
「それは、勝てる見込みがないな……」
「だろうっ!?」
気の休まる暇もない。
押田に続いて裏口から校舎の外へ出ると、そのまま校門を抜けてがむしゃらに走り続けた。