俺が昨日作り過ぎたお菓子は、生徒会の皆にもそれなりに好評だったらしい。
それだけ配って尚余っていたお菓子で、日持ちしなさそうな物は部室に冷蔵庫に置いていたのだが……ついさっきそれらもクラスメイト達にも配って回ったところだ。そっちも……まァ悪くない反応をもらえた。素直に嬉しいの一言だ。
配り終えて旧校舎に戻ってくると、オカ研の面々がギャスパーの引きこもっている教室の前で立ち往生しているのが分かった。
向かってみると、部屋の外から声をかけている。
……祐斗先輩とアーシア先輩、ゼノヴィアはまだお菓子配りから戻ってきていないようだ。
「――何事?」
ゆっくりと近づき尋ねる。
「僕は! こんな神器はいらない! 皆停まっちゃうんだ!! 怖がる!! 嫌がる!! 僕だって嫌だ!!」
小猫が振り向いたが、口を開くより早くにギャスパーの叫びが耳に入ってくる。
ほぼ同時に教室内で何か倒れるような、落ちるような音が響いた。物に当たり散らしているのかもしれない。
「部長さんはゼクスと打ち合わせだろ? 時間は?」
「……少し延ばしてもらうようにお願いしてみるわ」
ギャスパーのすすり泣く声を聞き、部長さんは言い切った。が、俺が首を横に振る。
「部長さんが言えば延ばしてもらえそうだけど、だからこそ駄目だろ」
俺が少し話すわ、と続ける。
部長さんは僅かに迷いを見せたが、すぐに「お願いね」とだけ言って副部長さんを連れて歩いて行った。
三大勢力のトップ会談の打ち合わせだ。言うまでもなく重要な仕事である。
俺が部長さんと話している間にも小猫やイッセー先輩はギャスパーに優しく声をかけているが……。
「――僕は先輩とは違うんだ! 欲しくもない大きな力を、制御できないんだから……!」
イッセー先輩に向けられた言葉。これには先輩も口を閉ざした。
何故なら先輩の力は暴走などしたことがないから。当初とは比べものにならない精密な扱いを可能としたから。
俺から見ても先輩の伸び方は破格だ……ムラはあるけど、ここぞって時の爆発力は異常とも言える。
「ギャスパー……俺、黒上涼夜だけど」
扉に近寄ると、中から小さな悲鳴が聞こえた。
お菓子自体は喜んでいたらしいが……それと人見知りは……他人に対する恐怖心は別の話か。
「あ……貴方も先輩と同じです……僕の気持ちは、わからない……」
拒絶の言葉に「かもな」と短く返す。俺とて簡単に「お前の気持ちが分かる」などと言うつもりもないし、逆に言われたくもない。
俺は深く息を吐き出しながら扉に寄り掛かるように座り込み、小猫とイッセー先輩にも座るように促す。
二人はそれぞれ俺を挟むように腰を下ろした。
「――日本の一般家庭にな、一人の男の子が生まれたんだ」
「……え?」
ギャスパーが困惑の呟きを漏らしたのが聞こえたが、構わずに続ける。
「母も父も人間で、男の子は何不自由なく育っていた」
だが……あの日の夕方。父が帰ってくる直前、家に強盗が入った。
天気も悪く、その時間は既に暗かったんだ。強盗がどこまで考えてたのかは知らないが、とにかくそう。
それで……自分の母が乱暴に扱われるのを見て、幼いながらに男の子は頭がカッとなった。
ここで一度、男の子の記憶は途切れる。
次に男の子が気が付くと――辺りは血の海だった。
男の子は泣き喚く母を呼ぶ。
「化物!!」
母からその言葉が向けられたのは、男の子だった。
訳が分からず、男の子は母に手を伸ばして……気が付く。
左腕が、異形のものになっていることに。
白と黒で形取られた禍々しい腕だ。誰がどう見ても人間のそれじゃない。
そしてその状態は、父が帰ってくる時にも変わりはしなかった。
父はさぞ驚いたことだろう。
帰宅すると部屋が荒らされていて、母が叫いていて、床は血だらけ、しかも見知らぬ連中が倒れているんだから。
父は錯乱する母の肩を抱きながら男の子を見る。平気そうに立っている男の子を見て安心したのも一瞬だ。すぐに異形の腕に目をやった。
そこで母の叫ぶ「悪魔」や「化物」の意味を悟った。
「男の子は父に小さな部屋に入っているように言われる……決して出てはいけないのだと」
その部屋は本が高く積まれてるような物置小屋で、男の子の背よりかなり高い位置に窓が一つだけあるような小部屋だった。
父は男の子に対しても優しかった。……それが得体の知れないモノを刺激しないようにするためなのか、純粋な愛なのか、当時の男の子には分かりやしない。ただ、優しいということが嬉しかっただけだ。
そんな理由もあって、男の子は大人しくしていた。
幸いにも朝と夜には父が食事を用意してくれたし、部屋の横はトイレだった。家の構造上一階と二階に水回りがあって、二階に物置部屋。恐らく母は一階で過ごすようになっていたんだろう、鉢合わせることもなかった。
だがそんな父も……ある日を境にいなくなった。
「そのまま父は蒸発。家に取り残されたのは少年と母の二人になる」
少年の監禁された部屋に食事を運んでくれる人は……いなくなった。
少年は空腹に耐えかね、扉に手をかけると鍵は掛かってない。簡単に開けることができるのは、少年も知っていた。……もともと軟禁って表現が正しかったな。
が、少年の腕の魔人化は解けていなかった。父は少年に余計な刺激を与えたくなかったのかもしれない。
けどそんなこと、五歳にもなってない子供には知り得るはずもない。
少年が部屋から出てリビングに行くと、母が座り込んでたんだ。
気の利ないガキは、空腹感があったこともあって母に話しかける。
ゆっくりと少年の方を見た母の目は、汚れた雑巾でも見るような目で――憎悪の籠もった目だった。
母は父がいなくなり、壊れていたのかもしれない。いや、或いはもっとずっと前からだったのか。ただでさえ精神的に参っていたはずだから。
そこに元凶が現れて、恐怖より憎しみが勝った。
「始まったのは暴力の日々」
少年は体中に切創、刺創、裂創、挫創を付けられた。
本来ならすぐに消えるはずの傷なんだが、少年自身が幼かったからか、母の憎しみの念が込められているせいか、どっちかは分からないが傷は消えない。
「あァ、念の話は知ってるか? 迷信じみたことなんだが、何かしらの強い念を込めてつけられた傷ってのは消えにくいらしいぞ。……で、なんだっけか? ああ、そう、最後の日だ」
少年は母によって焼かれた。
眠っているところにガソリンを浴びせられて、火を点けられた。
その苦痛は凄まじく。目を覚ますのと、意識を落とすのを繰り返した。
それがどれだけ続いたのかは分からない。
一時間なのか、一晩中だったのか、それとも十分だったのか。
最後に意識を失って、気が付くと少年は全く知らない場所にいた。
所謂、研究所だ。
どこで話を聞いたのかは忘れてしまったけど、研究員が言うには少年は金で売られたんだそうだ。
研究内容は、初めのうちは採血とかレントゲンとか。
そのうちに戦闘だな。
基本は人間で、たまに人外。その頃は区別が付きにくかったけど、なんだかんだで魔物、悪魔、堕天使とは戦わされていたんだろう。
「少年は相手の命を奪うことはしなかった。命は尊いものだと、父に強く教えられていたからだ」
それは無意味だったが。
あァ、結局みんな……殺されていたんだ。
少年にストレスを与えるためか、反応を見るためか。はたまた別の理由か。
少年はまざまざと死体を見せつけられた。
こうなりたくなかったら、相手を殺せと言われた。
……戦った相手には子供もいた。どういう経緯で研究所に連れてこられたのかは知らない。でも、殺された。
それでも頑なに命を奪わなかった少年は、またしても監禁され、水も食べ物も与えられずに放置された。出る条件なんて決まってる。自身の口から「殺す」という言葉を出し、実行することだ。
結局、少年はその言葉を言わなかった。
どれくらいの期間だったかはわからない。
だがある日、研究所の電源が落ちてドアのロックが開いたんだ。
少年は逃げ出して……研究員が誰一人として生きていないことを知った。
そいつらも殺されていた。
少年はかろうじて残っていたスナック菓子を食べて、適当に布を拝借して両腕に巻き付けた。……その時点で、両腕が魔人化していたからだ。
「そして少年は晴れて自由の身に! そして平和に過ごしました! ……なんてことにはならないのが現実でな」
場所が海外だったんだ。
言葉も通じなければ、当然金だってない。
そんな連中が集まるのはスラム街だ。少年も例外じゃない。ただ流れるように行き着いた。
そこからがまたキッツイ日々でな。
食い物がないからゴミ箱漁ったりしてどうにかしようとするんだが、皆同じようなことをするんだよ、スラムの連中なんてのは。
しかも無法者ばかりだ。
ガキだろうが容赦なく暴力を振るわれる。
警官にも憂さ晴らしと称してリンチにされる。
他にも子供はいたみたいだけど、向こうも余裕なんてないから……余り関わることはなかった。
「ただ……少年の幸福はスラムで拾われたことだ」
どれだけスラムで過ごしたのか、正確には把握出来てない。けど――魔人の両手を持ったガキを拾う物好きが一人いた。
その男に連れ去れた少年はそこで漸く知る。
自分の腕……いや、自分がどんな存在なのか。そして宿してしまった力の扱い方を。
だが魔人化の制御は決して容易いことではない。
実際に十六歳になった時点でも、一気に最大レベルでの魔人化は危険が付き纏う。魔人化を段階で分けて、少しずつ上げていくなんて手法で騙し欺しやってはいるけど……。
「……どうなんだなろうな」
自分の話を他人の話をするように語っていた俺だったが、ついつい弱音を吐いてしまう。
あの頃と比べて強くはなったんだろう。けど、魔人化の制御は? 上手くなっているのか?
「……」
隣の小猫が自分の手で、俺の右手の拳を包んでいたのに今気が付いた。イッセー先輩は拳を強く握りしめている。
俯いている俺は、二人の表情を見ることはない。
「――魔人化を多用して身体に慣らしてる……けどそれは、人間の身体から……人間であることからの乖離でもある」
師匠達は父であり、悪魔であったスパーダの力を持っている。だが俺は……俺の身に宿っているのは何者なのかを知らない。
俺が仮に
「恐く、ないんですか……?」
扉の向こうからギャスパーの声。
不安を孕み、震えた声だ。
「自分が自分じゃなくなるかもしれないってのは、恐いよ」
喉がガラガラに渇く。
長く話したからではない。
こんなこと。師匠達にも言ったことはない。いや、あのひと達なら俺の本音なんて……気が付いていても不思議はないのだが。
「気が付かないうちに、大事なものを自分で壊してしまうかもしれないのも……やっぱり恐い」
今のところはそんなこともなく、上手くやれている。だがそれも、いつまで続くのか。不安は尽きることがない。
「でもだから、自身の力の制御しようとしてる。
誰かを護れる可能性があるのにそれを諦めて、いつか自分が……仲間が危機に陥った時、あの時にもっと努力していればなんて……護りたいって思った時に、護れない……そんなの、嫌だ。
お前だってそうじゃないのか?
語るに語った俺は最後にそんな言葉を呟いて、その場を小猫とイッセー先輩に任せて来た。
任せた、というか逃げてきた……ってのが正解か。
旧校舎の下駄箱まで下りてきた俺の足取りは重い。
「……」
深く溜め息を吐く。
少し、後悔した。
何が手札なんて使い用だ。
何がお前だってそうじゃないのか、だ。
押しつけがましいにも程がある。
逃げたっていいはずだ。
投げ出したっていいはずだ。
なのに、どうして俺は――。
「――あァ、同族嫌悪か」
強大な力を持ち、それを制御しきれないという点に於いて、俺とギャスパーは同類だ。
自分がギャスパーのようになっていたかもしれない。そんな姿がありありと想像できてしまう。
きっと彼は、俺がなっていたかもしれない姿の一つなんだ。
自分とダブってしまって、苛立った。
立ち上がってほしかった。
抗ってほしかった。
戦ってほしかった。
前を向いてほしかった。
だって――
使い方次第なんて……俺が俺に言い聞かせてるだけだろうに。
「つくづく最低だな、俺」
ここ最近でストレスが溜まっていたのだとしても、あんな八つ当たり染みたことをするなんて。
責めるような言い方しなくたっていいだろうに……。
苛立ち混じりに靴を履き、乱雑につま先を地面で叩く。
「破壊しかできないなんてことはない」
背後からの不意打ちのように浴びせられた言葉に、体が大きく震えた。
「イッセー先輩からの伝言です」
「小猫……」
いや確かに俺とお前は家ですぐに会うことになるけどよ。
そこはもう少し俺に気を遣ってもらえないだろうか。
一人の時間は大事だろうに。
「……今日は卵がお一人様一パックまで安いから付き合ってくれ、そう言ったのは?」
「あァ……俺だな」
今朝にお願いしてたんだった。
悪かったな、と謝罪する。
素っ気ない言い方になってしまったが、小猫に気にした様子はない。
「ギャスパーは?」
「イッセー先輩が話してます。先輩もなんだかんだで面倒見が良いので……問題ないかと」
近くまで来た小猫と、並んで歩き始める。
足取りはスーパーへと向かっていた。
「寧ろ問題は涼夜の方では」
こともなく言い放たれた俺は苦笑い。
件の寿命の話以来、俺とオカ研の面々の距離感は遠くなるどころか近くなった感じがする。いや、実際に近くなったのだろう。
俺の秘密を明かした、というのもあるだろうが……これは予想外だ。
皆が昔より近付いてきている。特に同性であるイッセー先輩と祐斗先輩辺りは、俺でも悟れる位に顕著だった。
「言うね。……けどま、そうだな」
ちょうど公園近くまで来ていた俺達は一度足を止めた。
ベンチ付近の自動販売機でジュースを二本買い、一本を小猫に手渡した俺は「ふーっ」と息を吐き、自分の胸の内を吐露した。
それから数分。ベンチに座って黙って聞いていた小猫だったが、話の終わった途端に話し始める前の俺と同じような息の吐き方をする。しかも明らかに呆れを含んでいる。
「似たもの同士だから放っておけなくて、同族嫌悪して、自己嫌悪ですか」
「笑えるだろ?」
「はっ」
自販機横に立っている俺を、小さく……けれど確実に鼻で笑う小猫。
「それは、ひととして当然の反応じゃないの?」
え? と抜けた声が零れた。
いきなりの真面目な声音に困惑したのもあるだろうが、俺自身が虚を突かれたからという理由の方が大きい。
「心配だけど嫉妬してしまって、そんな自分がみっともなかったという話でしょう? そんなの、私はいっつも感じてる」
小猫は俺を見、どこかムスッとした様子だ。
「考えたのですが涼夜は……普通は当たり前に思うことを、今まであまり思ったことがないんじゃないかなと」
「……どう、だろうな」
心配……師匠達にそんなものは不要だった。
嫉妬も……師匠達にしたことはない。俺にとってあのひと達は遥か高みにいるのが当たり前だったから。
けど自分の不甲斐なさは結構感じてる。いやでも、嫉妬して自分が情けないってのは少ないか? そもそも師匠達以外……それこそ同世代との関わりが極端に少なかった俺だ。
言われてみれば、そういう感情に乏しかったのかもしれない。
当たり前……当たり前かァ……。
それがない俺は、さぞかしズレてるんだろうな……。
「こら」
注意するかのような言葉と共に、俺の頬に缶ジュースが触れる。
その冷たさに一歩引いた俺を見上げている小猫。
いつの間に立ち上がっていたのだろうか。
「暗い顔……マイナス思考していたでしょう」
「……言い切るね」
だが間違っていないせいか、誤魔化すように苦笑してしまう。
けど……俺も小猫の無表情といえる表情を読み取れるようになってしまったのだ。向こうがこちらの感情の機微を悟れるようになっていても不思議はない、か。
本格的に距離感が酷い。
こんなにも親しくなるなんて当初は――いや、この思考は良くないな。また怒られる。
でも……そっか。
「俺はもっと嫉妬してもいいし、心配してもいいのか」
「心配させて、が抜けてる。……もうかなりさせてるけど」
鋭くツッコまれた。
俺は苦笑ではなく、「そうだった」と笑ってしまう。
「小猫……俺は部員の皆が心配だ。グレモリーという名。龍。聖魔剣。聖剣。魔眼……それ以外にも、ありとあらゆる要素に不安を感じてる」
俺の独白を黙って聞いてくれる小猫は、まるで一言一句を聞き逃さないとばかりに真剣そのものだ。
「伸び代だったり、逃げても許されることだったり……当たり前のような暖かさに、俺は嫉妬してる」
心配も……かけさせてるんだろうな。
小猫達だけでなく、師匠達にも。考えてみれば、そうじゃないならケロベロスという戦力を送って来ないだろう。……あァ、ケロベロスが俺を試した理由もソレかな。
「そうですか……じゃあ行きましょう」
「あァ。悪かったな、手間取らせて」
俺は自分の中で、何かが軽くなった気がした。
小猫もどこか満足した様子である。
二人揃ってスッキリした顔をしているのだろう。
しかしギャスパーの問題を解決しようとして、俺自身の……小さなことかもしれないけど……問題を解決することになるなんて思わなかった。
でも……卵は一パックしか残っていなかった。