金の華 作:酒池肉林万歳
リ・エスティーゼ王国のとある邸宅、様々な色の装飾品に彩られている応接間に脇に布の巻かれた物品を置いた女性がいた。
艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、腕はすらりと細く、肌はきめ細かく白い。顔立ちは凜とした絶世の美女だった。加えて、黒地に鮮やかな花の刺繡がされた着物と呼ばれる長着を帯で留めている衣服が美貌を際立たせている。
「いやぁ、ダリア殿が扱う美術品は相も変わらず見事ですな」
ダリアと呼ばれた商人の前にはマホガニー調のテーブルを隔て、気品のある男がソファーに腰を下ろしていた。その側に壮年の使用人と年若い少女の使用人が控えている。
男は感心するように部屋を見渡す。この部屋に存在する品はリ・エスティーゼ王国では見ることのない色とりどりの調度品で溢れていたが、そこに俗っぽさはなく、鮮やかさに満ちていた。
「ありがとうございます。クルベルク様」
ダリアは太腿に手を置いて礼をする。それは容姿を損なわない優美な動作であり、目の前に座る男だけではなく、後ろに控える使用人たちも気を取られるほどものだった。
クロード・ラウナレス・ロキア・クルベルクは気を引き締める様に咳払いをするとダリアに尋ねる。
「それで今日こそ、あれを見せてもらえるのかな」
では──と前置きして自身の脇に置いていた物品の布を解く。そこには人の肩幅より少し大きめな絵画が存在した。
「おおっ!」
クロードが感嘆の声を上げる。
何の変哲もない港町を描いた絵画であったが、平面的かつシンプルに情景を描写しつつ、独創的に仕上げられ、その描き方はクロードが今まで見たことのないものだ。
ダリアは興奮しているクロードに直接、絵画を手渡す。
「見事な物だ…………」
クロードは手に取った絵画を間近で見ると、改めて感嘆の声を漏らして絵画に見入ってしまう。貴族としていくつかの絵画も目にしてきたが、この絵の作者は我々とは別の世界観をもっていると感じざるを得ない。
少しして、クロードは絵画を手に取ったまま後ろの使用人を促す。
「ダリア殿に代金の方を」
「かしこまりました」
そう言うと使用人は人の拳大ほどの袋を女性へ渡す。
女性は袋を受け取ると中身を確認する。そこには銀ではなく、白金の輝きがぎっしりと詰まっていた。
「確かに」
交易共通白金貨が詰まった袋をダリアは自身の横、ソファーの空いているスペースへと置く。
クロードは絵画を壮年の使用人に預けると、壮年の使用人は絵画を手際よく布でた覆っていく。その間にクロードは改めて部屋を見渡す。この部屋の鮮やかな色彩の数がダリアの商人としての手腕を現していた。
「しかし、これほどまでの芸術品をいったいどうやって集めたのだ?」
「ふふふ、それは淑女の秘密ということで」
そう言うとダリアは片目を閉じ、口元で人差し指を立てた。下手な人間がしたら、気色の悪い仕草だったが、ダリアほどの容姿をもった人間がすれば、文字通り小悪魔めいた魅力があった。
茶目っ気たっぷりの行為にクロードは追及をやめて、別の下心を出す。
「だが、この部屋の様々な美術品よりも──ダリア殿、貴女の美貌には勝るほどのものではない」
「ふふ、口がお上手ですね」
ダリアは口元を着物の袖で隠して笑う。
熱の籠った視線、と言えば聞こえがいいが、悪く言えば欲を含んだ視線が下から上へと移す。
「どうですか。この後にお食事でも」
「まぁ、魅力的なお誘いですね」
ダリアは頬の前で両手を合わせる。その様は傍から見れば、とても喜色に満ちていた。
「ですが申し訳ございません。この後はとある人物との先約があるので、お食事はまた今度の機会に」
片手を胸に当て、伏し目がちに頭を下げるダリアの謝罪に、クロードは素直に受け入れて頷く。
「なるほど、それでは仕方がない。今度は是非、食事を共にできることを願っています」
「お気遣い感謝致します」
ダリアが芯の通った一礼をすると、クロードが立ち上がる。
「私もそろそろ退席させてもらおうかな」
「ではお見送りさせて頂きますね」
ダリアも立ち上がると、応接間の扉を開けてクロードを先に通し、外にある馬車まで付き添う。
玄関口まで少し距離があるためか、クロードが口を開く。
「それにしても、ラジアータの作品はここ以外でも何度か拝見する機会があったが、どれも独創的で美しい物ばかりだ」
ラジアータ。先程クロードがダリアから買い上げ、壮年の使用人が運んでいる絵の作者である。独特で斬新的な画法を扱っているにも関わらず、万人を惹きつける絵を描くことで貴族や文化人から高い評価を受けていた。
その作品は需要に対して流通している量が圧倒的に少ないことから希少価値が高く、貴族間ではその絵をもつことは一種のステータスでもあった。クロードもこの絵を手に入れるためにいくつもの商会を当たったが、ダリアの商会を除いた全てで在庫がないとのことだった。
「ありがとうございます。私たちの商会も彼と取引できたことはかなりの僥倖でした」
「彼? ということはラジアータ殿は男なのか」
クロードは言葉こそ荒げなかったが、その内心は驚きで満ちていた。
ラジアータはその評価と反比例するように認知されている情報が少ない。素性、経歴の一切が不明の画家だった。一部では既に亡くなっているのでは、という噂が立っているほどだ。
「ええ、ご存知ありませんでしたか?」
「というよりも彼と面識のある商会はあなたのところぐらいかと」
先程の述べた通り、ラジアータの作品を取り扱っていたのはクロードの知る限り、ダリアの商会だった。拝見する機会があったというのも、ダリアの商会から手に入れたという他の貴族の屋敷で見た物だけだ。
むしろ、ダリアがラジアータの作品を扱っているとはいえ、作者本人と面識があるという事実にクロードは驚いていた。
「あっ、この後に会うというのはラジアータ殿のことで?」
その言葉でダリアは扉に手を掛けかけて硬直した。ふと思いついた言葉だったが、クロードは半ば確信的だった。
「さすがクルベルク様、ご慧眼には感服いたします」
振り返ったダリアの微笑みと称賛を受けることでクロードは機嫌を良くする。
「いやぁ、一度でいいからラジアータ殿にも会ってみたいものなんだが」
「申し訳ございません。お会いさせるのは吝かではございませんが、私と会う際には第三者を入れないでくれ、と仰られるので、私の一存では決められないのです」
「なるほど。残念だが、仕方ないな」
少し困った表情を浮かべつつも、ダリアは言葉ではキッパリと断りを入れた。
クロードとしては残念な気持ちだったが、出会ったことのないラジアータの気持ちも理解できた。絶世の美女と一対一で会話する機会があるならば、男であれば誰だって喰い付きたくなるものだ。
「それではクルベルク様」
「うむ」
ダリアが扉を開けると、玄関口の少し先にある馬車へとクロードは乗り込んでいく。
「クルベルク様、本日は誠にありがとうございました」
「こちらこそ、良い取引だった。──では」
馬車の扉が閉じると、馬車が動き始めるとダリアは礼をして見送る。
暫くして、馬車がいなくなったことを確認すると邸宅へと戻り、ダリアは邸宅の広さに不釣り合いなほど静まり返った邸宅の廊下を歩いていく。だが、その様子は先のものとは異なる。
先程までの態度や姿勢が淑女めいたものなら、今の彼女が漂わせているのは蠱惑的なものだ。
また、異様なのは彼女だけではない。邸宅であれば、使用人の一人や二人がいて然るべきだが、ただの一人として彼女の前に使用人の類は現れない。
彼女は応接間の前まで着くと扉を開けて中に入る。
「ダリア殿、貴女の美貌には勝るほどのものではない──だってぇ、アハハハハッ!」
応接間に嘲笑が響き渡った。だが、その声の主はダリアではない。
「いやぁ、アイツ完ッ全にっ、ピエロだったねぇーっ!」
金の短髪にネコ科の獣を連想させる容姿に、胸元と腹回りが露出した軽装を身に付けた女性が腹を抑え、声高らかに笑っていた。
「クレマンティーヌ、声は近所に響かない程度でお願いしますね」
「ハミズさま気にし過ぎー。こんな邸宅から声が漏れるなんてないなーい」
金髪の女性、クレマンティーヌの対面にダリアは座るが、それまで呼ばれてきた名前とは異なる名前で呼ばれたにも関わらず、そこに動揺はなかった。むしろ、当然と言わんばかりの態度だ。
「でも、あそこまで分かりやすく手のひらで踊ってくれるヤツって珍しいよねぇ」
「踊ってくれなければ、それはそれで困るのですけど」
フフフとハミズも笑う。
クレマンティーヌはソファーに体を伸ばしながら身を預け、逆にハミズは背筋を伸ばし、姿勢を良くしてソファーに腰を下ろしていた。
「あー……でも、なんかムカついてきちゃった」
ソファーにうつ伏せになっていたクレマンティーヌの機嫌が唐突に悪くなった。
「どうかしましたか?」
そう言いながらハミズは何もない筈の空間に腕を入れる。魔法に関する知識を有する者であれば、〈
ハミズが腕を引き抜くと織部色の急須と湯吞み茶碗が現れる。
「だってあいつ、ハミズさまのことエロい眼で見てたよーって、話してたら余計イラついてきちゃった」
「そうですか。彼には貢ぐだけ貢いでもらうと考えていましたけど、あなたが目障りに感じる様なら、その内に始末してしまいましょうか」
「あっ、その時は私にやらせてー。あいつには二度とエロい眼で見れないようにやるから」
湯吞み茶碗にお茶を入れつつ、ハミズはクレマンティーヌと話題の主がその場にいたら、顔が真っ青になるような物騒な会話を交わしていく。
ハミズとしてはクロードはいくつもある金蔓の一つなので、切り捨てる結果になったとしても痛手はない。
湯吞み茶碗に口をつけ、一服。一息ついてハミズは改めて口を開く。
「それでクレマンティーヌ、首尾のほどは?」
「あー……ごめーん。やっぱ神器の類は無理だわ」
うつ伏せの状態からソファーに座り直したクレマンティーヌは申し訳なさそうに手を合わせた。
スレイン法国という国家の最奥に存在する六大神の聖遺物。それらに興味を抱いていたハミズはその内の幾つかを盗み出せないか、そうクレマンティーヌに命じて調べさせていたのだが、その結果は芳しくないようだった。
「さすがに彼女が守っていては手出しできませんか」
クレマンティーヌの報告は任務が失敗したというものだったが、ハミズの声には咎める様な感情はない。ハミズとしても無理難題を言っている自覚はあった。
「スルシャーナについて目新しい情報は?」
「そっちも成果なーし。ただ、こっちの方はズーラーノーンとの関係がバレないように慎重になったことも影響してるけど」
「…………そうですか」
今度の報告にハミズは気を落とす。むしろ、こちらの方が本命だったのだが。
その反応に不興を買ったのかと、クレマンティーヌは不安に思う。言葉遣いも態度もハミズに対して軽いが、それはハミズの器量から許されたものであり、両者の関係は決して対等なものではなかった。ハミズが切り捨てようと思えば、何時でもクレマンティーヌは切り捨てられる。
取り繕うようにクレマンティーヌは提案する。
「どうする? 強引に調べることも出来ちゃうけど?」
ハミズは湯吞み茶碗をテーブルに置いて思案する。
「いえ、まだ強引に時を進める様な段階ではないでしょう。急いては事を仕損じる──とも言いますし、じっくりといきましょう」
クレマンティーヌは安堵の息を漏らす。
「了解しましたぁー」
そう言うとクレマンティーヌはソファーの上で仰向けになり、ハミズは急須と湯吞み茶碗を何もない空間へと閉まっていく。
横にある袋から白金貨を取り出すと机の上に並べて、ハミズは溜息を漏らす。
「はぁ……」
「ハミズさま、どうかした?」
苛立ちと嫌気という感情の違いはあれど、先の二人のやり取りが逆になった。
「いえ、この硬貨を数えるという手間をどうにかできないものかと思いまして」
聞く者が聞けば、なんと贅沢な悩みかと羨望の眼差しでハミズを見つめただろう。
ただ、ハミズとしては硬貨という嵩張るうえに重い貨幣の存在はどうにも好きにはなれなかった。
「バハルス帝国であれば金券板が使えるのでしょうけど…………」
「金蔓は減っちゃうよねぇ」
「そうなのですよね」
金券板とは王国に隣接するバハルス帝国の銀行で発行している小切手のような物で、帝国銀行で提示することで現金へと換金ができる。
そんな便利な物が存在するバハルス帝国ではなく、リ・エスティーゼ王国をハミズが拠点にしている理由は一つ、金集めをしやすいからだ。
「聖王国はどおー?」
「乗っ取って使う以外に利点は見受けられませんね」
クレマンティーヌの案をハミズは即座に却下した。クレマンティーヌも本気で言った訳ではないので、だよねぇ。と言って納得する。しかし、ハミズは白金貨を数えていた手を顎に当て、不敵な笑みを浮かべる。
「いえ、この際ですから乗っ取ってしまうのも悪くないかもしれませんね」
国を乗っ取るということをさも、簡単であるかのように言った言葉は常人が聞けば、気でも触れているのではないかと思っただろう。けれど、恍惚とした表情でハミズを見つめるクレマンティーヌは知っている。
「さすが神様、言うことが違ーう」
目の前にいる人の姿をした者がこの世界において神と呼ばれる存在であることを。
自身が所属している国の自分よりも優れている者たちではなく、自分だけが知っているという優越感に浸る。
「どうしましょうかね。聖王国には聖王女、神官団団長といった女性がいますから、貴女の時の様に踏みにじって、犯して、弄ぶというのも悪くないですね」
人を辱しめることを口に出しているにも関わらず、ハミズは笑みを浮かべる。そこに卑しさというものを感じさせないものというのが不気味さを際立たせていた。
「おやおや、どうかしましたか。クレマンティーヌ」
その笑みを見て、クレマンティーヌは自分がされた行為を思い出して、下半身が熱を帯びる。自分の内心など、とうに見透かしているだろうに。
「悪ーい神様」
「フフフ、そうですよ。私は悪ーい神様なんですよ」
心底可笑しそうにハミズは嗤う。
どのような選択をしようか、先を考えるだけで愉快な気持ちになるが、とあることを思い出すと笑みを引っ込める。
「女性といえば、先の話題でも少し触れた神器を守っている女性、絶死絶命ですが────」
その一言で今度はクレマンティーヌが笑みを引っ込める。ハミズもそれには気付くが、気にすることなく続ける。
「あなたから彼女の強さに関することは幾度か尋ねましたが、容姿の方はあまり聞いたことがありませんでしたね。……彼女は美人ですか?」
クレマンティーヌはムスッと顔を顰めるとソファーから立つ。そして、ハミズ側のソファーの後ろへと移ると、ハミズの首へ腕を回してしな垂れかかる。
「目の前にこんなイイ女がいるのに、なぁんで他の女の話するのー?」
「聖王女のことを話している時は特に気にしていない様だったのに、絶死絶命が関わると、途端に不愉快そうになりましたね」
「有象無象ならともかく、私の前でアンチクショウの話をするなんて女心を分かってなぁーい」
ハミズには理解しがたい感覚だった。
聖王国の女王を有象無象と言った感覚が、ではなく────
「女でもない者に女心を理解しろというのは土台、無理があるでしょう?」
「それもそっかー」