金の華 作:酒池肉林万歳
ダリア・ディオナエアは数年前から、リ・エスティーゼ王国を拠点にしている大商人であり、その財力は上流貴族に引けを取らないと噂されている人物である。
取り扱う品は質の高い日用品から芸術品と多岐に渡る。革新的な商品を開発していることでも有名だが、中でも芸術品に取分け定評があり、異国情緒溢れる品々に加えて、ラジアータという高名の画家の作品を取り扱うことのできる数少ない商人だった。
それに加えて〝黄金〟と呼ばれるリ・エスティーゼ王国の第三王女に引けを取らないとされる美貌によって、注目の的となっていた。
そして、そうであるが故に敵も多かった。
日が沈み、月夜が照らす深夜、ダリア・ディオナエアの邸宅に四つの黒い影が忍び込んだ。
それらは身軽な黒い装束に身を包んだ四人の男たちだった。
音もなく、そして迷うことなく、とある部屋の前に着くと四人の内の一人がドアを開けた──
──瞬間に、その男の胸を何かが貫いた。
残りの三人、いや貫かれた男にも理解できなかった。
完全に思考が停止した男たちを尻目にダリア・ディオナエア────ハミズは男から腕を引き抜くと、異形の爪で二人を即座に引き裂いた。
邸宅の廊下は夥しい量の鮮血で染まり、そこに三つの死体が沈み込んでいた。
「やれやれ、思った以上に面倒なことになってきましたね」
【妖異の爪】を解き、最後の一人の首を鷲掴みにすると、男を軽々と吊り上げてハミズはぼやいた。
「取りあえず、誰の手先なのか喋ってもらいましょうか」
【妖艶の魔気・弐】、対象を
ハミズから放たれたオーラを侵入者が浴びるのを確認すると、首を鷲掴みにしていた手を離す。
「さあ、言いなさい。あなた達が何処の誰で、何の目的でここに来た」
男は床に跪くように膝をついて、ゲホゲホと咳き込む。喉に手を当て抑えて息を整えると口を開く。
「ああ、俺たちは八本指の暗殺者だ。ここにはあんたを始末しに来た」
八本指。リ・エスティーゼ王国で暗躍している犯罪組織だ。王国の裏社会を牛耳る存在でもあり、その力は貴族にも及ぶ程でありながら、その全貌は謎に包まれている。
「なるほど、なるほど、それで誰の依頼でここに?」
「末端の人間である俺には分からない」
「でしょうね」
重要な情報を取り扱う人間をわざわざ差し向けたりはしないだろうと、元から期待していなかったハミズは特に思うことはなかった。
「では、八本指に関してあなたの知りうることを隣りの部屋にある紙に全て書き記しなさい。その後はー…………そうですね。人目のつかないところで自害なさい」
男は自身の命を絶てという命令を無言で受け入れると、ハミズの指した部屋へと向かっていった。
「さて、私の方は掃除といきましょうか。新しい洗剤も使ってみたいですし」
日が昇り、朝を迎えたリ・エスティーゼ王国のロ・レンテ城。その一室を覗き見る事ができる者がいれば、そこにいる者たちに目を奪われることだろう。
一人は黒髪黒目の凛とした佇まいハミズ。
もう一人はブルーサファイアのような瞳、桜色の唇、〝黄金〟との呼び名に相応しい腰まである美しい金髪をもつ美少女だ。
ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ。リ・エスティーゼ王国の第三王女である。
ラナーの自室、丸いテーブルでティーカップを前にして二人は朗らかな雰囲気で会話に花を咲かせていた。二人にとっては何気ないお茶会だが、この場に吟遊詩人いれば、必ず歌に残しただろう。
「それでねハミズ、クライムったら顔を真っ赤にして、あたふたして、とっても可愛らしかったのよ」
「フフ……。それは、それは、とても面白そうな場面を見逃してしまったようですね」
黒と白、和と洋、陰のある美しさと
「そういえば、貴女に相談していた紙のことなのですけど、ようやく生産が軌道に乗りそうなので、ここで報告させてもらいますね」
〈
「いい品質ですね。色も肌触りも申し分ない出来だと思います」
王族として質の良い物にも触れる機会が多いラナーのお墨付きに、ハミズは頭を下げる。
「ありがとうございます。貴女の協力なしでは短期間でここまでの品質には至らなかったでしょう」
「そんなことないわ。ハミズなら私がいなくても、近いうちに完成させていたと思いますよ」
ラナーはこう言っているが、自分一人だけでは完成はしなかっただろう。よしんば、出来たとしても莫大な費用がかかるとハミズは考えていた。
ラナーが楽しそうに手を合わせる。
「そうだ、お祝いに前々から話していたあれをプレゼントとして差し上げるわ」
ラナーからの突然のプレゼントにハミズは驚く。
「よいのですか? あれを本当に頂いても」
「構いませんよ。あんなものでよければどうぞ」
〝黄金〟と称され、温和で明るいイメージのラナーにしては冷たい言い回しだったが、ハミズはその言い回しにではなく、話の内容に関心を持つ。
「少し意外ですね。貴女はあれにもう少し、思い入れがあるのかとも考えていましたが」
「私にとってはもう何の価値もないものよ」
「そうですか。なら食べ頃になったら頂くとしましょう」
「はい。おいしく召し上がってくださいね」
紅茶を飲み、一息つくとハミズが口を開く。
「それにしても、夢の実現にはまだまだ程遠いですね」
「ハミズ、こればかりはしょうがないわ。あなたの夢の実現にはまだまだ課題があるもの。でも、あなたなら大丈夫よ。私も出来る限り協力するしね」
「そうですね。ラナー、ありがとうございます」
二人が何気ない会話を楽しそうに続けていると、ハミズが何かに気付いたように声を上げる。
「おや」
対して、ラナーはそれに気付かず、小首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「いえ、先ほどの話題の主が来たようですよ」
言葉の内容を察したラナーの顔が嬉しそうに綻ぶ。
「クライム、入ってきても大丈夫なのよ」
そう、ラナーが告げると一人の少年が入ってきた。
「失礼します」
純白の
「おはようございます。ラナー様、ディオナエア様」
そう言うと、クライムは頭を下げる。
「おはよう。クライム」
「はい、おはようございます。クライム君」
二人が挨拶を返すと、クライムはラナーの右後ろに移動しようとする。
「クライム君。どうせ、ラナーのお願いに根負けするのは目に見えているから言いますが、席に着いた方が良いと思いますよ」
「そうよ、クライムはこっち」
ハミズは席へ着くように促し、ラナーもそれに同意して頷く。
ラナーが自分の右隣の席を指差すと、観念したかのようにクライムが勧められた席へと着く。
クライムの分のティーカップにラナーが
「ラナー、私もお代わりしても?」
「ええ。もちろん」
そう言ってハミズの分の紅茶も注いでいった。
二人の前に紅茶の入ったティーカップが並ぶが、二人はティーカップを手に取らない。それを見たラナーは不思議そうな顔をする。
「クライム。どうかしたの?」
「いえ、ディオナエア様がお飲みにならないので、自分も待った方がよろしいのかと」
それを聞いたラナーは上品そうに笑い、ハミズはばつが悪そうな顔をした。
主人の大切な客人に何か失礼な真似をしたのかと不安そうにクライムが尋ねる。
「あの、申し訳ございません。何かお気に障るようなことを言ってしまったでしょうか……?」
「ふふふ、大丈夫よ。クライムは別に失礼なことは言ったりしていないから」
尋ねた相手ではなく、ラナーが答えたことでクライムはますます困惑してしまう。
「えっと……。それはどういう意味なのでしょうか?」
「この人ね、猫舌なのよ」
「あの、ラナー様。以前、ディオナエア様は淹れたての紅茶を口にしていた様に記憶しているのですが……」
「クライムが覚えているのは冷たい紅茶のときの事ね。ダリアは基本的に熱いものが苦手だもの」
ラナーからの答えをクライムは意外に思った。
クライムにとって目の前の黒髪の女性は何事にも、凛々しく、そして平然と対処するというイメージがあったからだ。
「昔はそうでもなかったのですけどね。体質の変化がこうも影響するとは思いもしませんでした」
後半の奇妙な言い回しをクライムは理解できなかったが、目の前の女性は愚痴るように言うと、溜め息を漏らして紅茶に口をつけ──
「熱っ」
すぐに口を放した。それをラナーは可笑しそうに微笑み、ハミズは恨みがましくラナーを見つめる。
「他人事だと思って……」
「いいじゃない。とても可愛らしいと思うわ。それに子供っぽいところがある方が人間より魅力的に見えるものよ」
ラナーの言葉でとあることを思いついたハミズは意地が悪そうな笑みを浮かべる。
「とのことですが、クライム君。私は魅力的な人間ですか?」
「えっ!?」
自分に会話が向いてくるなど頭に入っていなかったクライムは唐突に話題を振られ、素っ頓狂な声を上げた。
胸に手を当て、下から覗き込むようにクライムを見つめてハミズは尋ねる。
「どうですか。クライム君」
「ど、どうと言われましても」
目の前の絶世の美女に上目遣いに見つめられ、困惑する。
クライムにとって、最も美しい人は誰かと問われれば、それは自身が仕える主人だと答える。しかし、それでも目の前の美女が魅力的であるか否かと問われれば、首を横には振れなかった。かといって肯定すれば主人の機嫌を損なうだろう。
ラナーはクライムの反応を見て、むくれ顔になる。
「クライム。ダリアは目を奪われる程に魅力的ですか?」
「いえっ、そんなことは!」
主人からの拗ねたような声にクライムが慌てて否定すると、ハミズは悲しそうに顔を落とす。
「…………そうですか。私は魅力的な人間ではありませんか」
「いや、あの、とても魅力的かと!」
「そうなの? クライム」
「えっ!? あの、ラナー様。ディオナエア様の美しさとラナー様の美しさは別のものと言いましょうか……。えーと、ラナー様が宝石なら、ディオナエア様の美しさ一輪の花と言いましょうか。なんて言ったらよいのでしょうか……。その、えーと……」
美少女と美女からの十字砲火によって翻弄されたクライムはどうするのが正解なのかと、慌てふためく。
「ふふふ……」
「フフ」
その二人が唐突に微笑み始め、クライムは面をくらってしまう。そんなクライムを愉快そうに見て、先程までのやり取りがなかったかのように会話を始めた。
「ダリア。クライムったら、この前もこんな風に慌てたのよ」
「なるほど、なるほど、確かに可愛らしい反応ではあったようですね」
ここに至って初めてクライムは自分が
この二人と会話するときは何時も振り回されっ放しだと、溜め息を吐く。
「おやおや、容姿端麗な者に挟まれているというのに溜め息ときましたよ」
「まあ。私たちに何か不満でもあるのでしょうか?」
ハミズとラナーが顔を合わせ、わざとらしい口調で言った。
自身の敬愛する王女とその友人に不満など欠片も持ち合わせてはいないが、それを口にしたとしても、二人は自分のことを弄り回すのだろうなとクライムは考える。
「ラナー様もディオナエア様も、もう勘弁していただけませんか」
精神的に疲弊した様子のクライムの様子に二人は満足する。
「まぁ、今日のところはこのくらいにしておきましょうか」
「ふふふ、そうね。ダリア」
『今日のところは』つまり、今度もまたいじられることが確定したであろうクライムは、今度は心の中で溜め息を吐いた。
目の前の客人がいるとき、自身の主人はとても上機嫌で笑顔を見せるのはクライムとしても幸せなひと時だ。しかし、お茶目具合も数段跳ね上がり、自分を振り回すのはもう少しだけでよいから、自重して頂けないかとも思う。そのうち、心労で禿げそうだった。
(贅沢な悩みなんだろうな…………)
王国の中でも最も美しい人たちに挟まれるという状況。世の男性が知れば、嫉妬の眼差しで殺されるだろう。そうクライムは思った。
お茶会も終わり、ハミズは帰路につくと、自身の所有する邸宅の一室にいた。
床にはカーペットがなく、木材がむき出しになっていた。そこにいくつもの絵具の垂れた跡が床をカラフルに彩っていた。壁には木で出来た枠組みや板が立て掛けおり、棚には様々な紙やロール状の布、そして別の棚には塗料が存在する。
ハミズは飾り気のない椅子に座ると、その前にあるイーゼルに載せたキャンパスへと向き合う。
近くに存在するテーブルの上に存在した画材を手に取る。
ハミズが絵を描き始めてから暫くして、その腕が止まる。
「クレマンティーヌ、そんなとこに突っ立てないで入ってきなさいな」
その言葉とともにアトリエのドアが開かれる。
そこには申し訳なさそうに手を合わせるクレマンティーヌがいた。
「ごめーん。なんか集中してそうだったから入るに入れなくてさー」
「別に大丈夫ですよ。本当に集中したいときは立て札でもかけておきますから」
そう言うと手に持っていた画材をテーブルの上に置く。
「それで、何か進展は?」
「それが完全にお手上げでさー、何もないんだよねー」
クレマンティーヌは言葉の上では軽く言っていたが、思ったように結果を出せないことに苛立っているのか、声色はご機嫌斜めといった感じだ。ハミズの方は以前の報告でかなり厳しいことは聞いていたので、特に気にしてはいなかったが。
「そうですか。色々と行き詰まりといった感じになりましたね」
顎に拳を当て、ハミズは思案し、諦めるように溜め息を吐く。
「…………仕方がありません。近々、派手に動くとしましょう」
「えっ、マジで!?」
「マジです」
「でもハミズさま、じっくりいくとか言ってたけどー?」
クレマンティーヌの驚きに理解できる。しかし、あの時とは事情が違った。
「法国とは別のところで少々問題が発生しまして、そこからの動きが法国に伝わる可能性があります。半端に動いて失敗すると後々面倒ですから、多少のリスクは覚悟で派手に動きましょう」
「わっかりましたー」
矢継ぎ早に語られた今後の方針に、クレマンティーヌは軽い口調で了解した。
どんな事情があれ、自分の行動原理に変わりはない。この男に尽くす、ただそれだけなのだから。
一応の報告を終えたクレマンティーヌは興味津々にアトリエ内にある絵を見て周る。
イーゼルの上や、壁に立て掛けあったり、大きな棚に収まっていたりと、所狭しに大量の絵画が存在した。しかも、その絵は様々な画法で描かれていた。文字通り、千差万別といった風で、一人の人物が描き上げたとは到底思えないほどの多彩な絵画の量だ。
「これぜーんぶ、ハミズさまが描いた絵?」
「そうですよ。……芸術に興味でもあるのですか?」
「ううん、ぜーんぜん」
でしょうね。と言ってハミズは納得する。
クレマンティーヌが芸術に興味を持っている方が違和感がある。なお、ハミズはこういうストレートな物言いをかなり気に入っていた。
「なーんで貴族って、こういう絵一枚に大枚はたいちゃうわけぇ?」
「さあ? 私にもさっぱり分かりません」
クレマンティーヌのシンプルな疑問をハミズもこの世界に来る前から抱いている。芸術に携わっていたが、芸術に金銭的な価値を感じる人の気持ちは理解できなかった。
クレマンティーヌはそんなハミズを不思議そうに見つめる。
「でも、ハミズさま美術品の類を売り買いしてるよねぇ?」
「お金になりますからね」
口には出さないが、ハミズが商人として美術品を取り扱うのは他にも理由があった。一つはかさ張らず、単品に高い値がつくこと。二つ目はこの世界に来た時から手持ちにストックがあったからだ。
前者は人員が必要としないことから、後者はそのままである。アイテムボックスに無造作に入れてあったものを適当に売ってみたら、高値がついたのはさすがに驚いたが。
「はぁー……」
唐突にクレマンティーヌは深い溜め息を吐いた。
「おや、どうかしましたか?」
「いい報告をして、ご褒美を貰おうとしてたのにぃ、それができなくてへこんでるのー」
不機嫌だったのはそれが原因か、とハミズは苦笑いをしてしまう。
「そうですか。なら良い報告をしてもらうとしましょう」
良い報告を期待するのではなく、してもらう。という言葉にクレマンティーヌは首を傾げる。今この場で自分が他に報告できるようなことはないのだから。
「ずっと、気になっていた絶死絶命についてじっくりと話してもらうとしましょう」
クレマンティーヌは盛大に顔を引き攣らせた。
絶死絶命。漆黒聖典の最強の存在であり、六大神の血を引く神人。
クレマンティーヌは彼女についての情報で必要なことはハミズに伝えてきた。だが、必要以上の雑多な情報────例えば、以前ハミズに尋ねられた美人であるか、などの情報は伝えてこなかった。
もし、目の前の主人に彼女の容姿などを正確に伝えたらどうなるのか。目の前の主人の興味は自分の鼻っ柱をへし折ったあの野郎へと向かうのだろう。それは、それだけは同じ女として我慢ならない。
そう考えていると──
「クレマンティーヌ」
クレマンティーヌのすぐ隣、いつの間にか椅子から立ち上がっていたハミズが声をかけると、クレマンティーヌを口を交わしながら、抱きしめる。
「────っ!」
突然の行為にクレマンティーヌは驚くが、すぐにハミズへの首に腕を回して受け入れる。
息を荒くして、互いの舌と舌を絡め合う。
何度も、何度も、舌を絡め合うとハミズの方から口を離すと、唾液の糸が引く。
顔を赤くして名残惜しそうにするクレマンティーヌに優しく言う。
「彼女について教えてくれますね」
「はぁーい……」
今度はクレマンティーヌの耳元に口を近づけ、ハミズは囁く。
「そうすれば、ちゃーんと、ご褒美に加えてデザートもあげますから」
「……デザート?」
ご褒美は自分が求めていた行為だが、もう一つのデザートとは何を指しているのだろうか、クレマンティーヌには心当たりがない。
「はい。以前に貴女が要求してきた、あれを貴女にやってもらう時が来たようですから」
ラナー様は友人。それ以上でもそれ以下でもありません。