レース前の前日談みたいなモノ
ちょっとハイペース
男は、その日を稀な日だと言った。
何が稀かと、それは隣に立つ男の育て
レース狂い、努力の魔人、などという妙名は言わずもがな。
本来ならばいつものように、死に物狂いで自身の能力を高めるトレーニングを文句すら言わず行っていたというのに。
そんな彼女が、友人であるミスターシービーのレースを、実際に見に行きたいと聞いた時は耳を疑った。
……とは言いつつ、男にとってそれは可愛い教え子の珍しいお願いのようなものだ。
深く考えることはせず、男はそれを叶えた。
そして、時間は流れてレースは終わり。夕方の帰り道に場面は移る。
「やっぱシービーは強えぇな。速力、体力、レース中の駆け引き、どれをとっても一級品。全く、挑む側としちゃ頭を抱えるわ」
「……そうだね」
誰もいない脇道を、ただ2人は歩いている。
東京競バ場からの帰り道。偶には歩いて帰ろう、と男が吐いた気まぐれな提案を青鹿毛の少女が了承したことで、彼と彼女は眩しく眩む夕日を背にその帰り道を進んでいたのだった。
男は、変わらずの灰色パーカーのポッケに手を突っ込みながら歩いており……
そしてその隣では彼女――アストラルウィングは空を見ていた。
トレーナーである男の言葉は軽く耳に通す程度で、意識の殆どは空に浮かぶ赤と白模様に奪われる。
隣で話してくれている彼には申し訳ないと思いつつも、不思議と居心地がいい感覚だった。
……まあ。
「あー、私
そうしている理由が現実逃避の
虚ろな草原色の瞳をしている彼女に、元気というものは到底見当たらない。
まあ、これがウィングの性格というものだ。
そも、彼女にとっては初めて、意識し合った強者との対決になる。
緊張や先の事への不安に駆られるのも無理はない。
「お前なぁ……そーいう時くらいは『やってやるぞ!』くらいに思っとけ。自信無くすぞ」
「それが出来たら苦労しないって。相手シービーだよ? 私もう既にメンタルボロボロだってば」
「先行き不安だなぁおい。……ま、それも挑む側の醍醐味、か」
目を淀ませ、ウマ耳をへたらせながら歩くウィングの姿。遠目から見れば、自信の消えた受験生みたいだなとトレーナーは内心で思った。……この男も割かし考えることが非情だ。
「ったく、萎れたほうれん草みたいになんなよ。……
「…………ノンデリ!」
「ははは、今のは狙って言ったんだ。カラ元気もそんくらい声張ってりゃ何とかなるってな」
「だっ……! もうっ!励まし方考えてよ! もっとこう……あるでしょ色んな言い方が! そういうのが誤解を生むんだから……!」
そんな教え子の様子を見ながら、カラカラと笑うトレーナー。
突っかかるウィングは、毎度ご活躍のノンデリセンサーをトレーナーに向けたのち、怒気を含みながら言葉を放つ。
ベシベシッ、と男の腰辺りに叩きつける尻尾の音は彼女の気分の悪さを示していた。
しかし本気の怒りを向けないのは、それがトレーナーなりの気遣いだということが分かっているからだ。空虚になった元気を取り戻させるために、わざわざ揶揄おうとするトレーナーの性格はいかがなものだが、それでも彼にとって最大限の気遣いだと、少女は分かっていた。……もっとも、本気で怒っていたのなら靴底で脚を踏み抜くぐらいの真似はしていただろうが。
不器用な気遣い、だからこそ強くは出られないことに憤るウィング。
だが、傍らその気遣いに胸の奥底が温まるのも、どこかで感じていた。
2人はそうして軽口を重ねた。
他愛のない会話。容赦のなさと、心僅かな気遣いが絡み合った会話の数々が、夕日に沈む。
重ねて、重ね続けて、いつものように彼と彼女は、馴れ合いと信頼と親愛な関係を築いていく。
夕日の帰り道、2人の会話を邪魔するものは誰もいない。
その光景はあまりにも不格好で、不器用で、されど綺麗なものに違いない。
「よう、シービー」
「ん、店長さん。やっほー」
「やめい、営業外なんだから今はただの職員だっての」
トレセンの学園内。
丁度昼時が終わる頃だ。
偶然も偶然、トレーナーとミスターシービーが敷地内で顔を合わせていた。
「それもそっか。それじゃトレーナー君、なんでキミがここにいるの?」
「本業の用事だ。そこまで重要な要件じゃないんだがな、
本業――経理処理がメインの用事だと、おもむろにUSBメモリを懐から取り出したトレーナーを見て、シービーがほうほうと興味深く観察する。
彼女が見たことある彼の普段の姿は、大体だらけているか、寝ているか、日も当たらない場所で店長をやってるかの3択だった。だからこうして、しっかり仕事をしている姿を見るのはシービーにとっては珍しい光景なのだ。
そうして珍しさを目に焼き付けると同時、もう一つ彼女の中で疑問が生まれる。
「あれ? それじゃ、いつもトレーナーやってるのは何なの?」
「アレは副業だよ。そんで
「ん~……ああ
「理解が速くて助かる」
小首をかしげて問うシービーにトレーナーが短く答えらしくない答えを返した。
そうすれば後は流れるように、問いをした側がその意図を汲み取り即時に納得する。阿吽の呼吸というのか、やはり趣味人同士でしか分からない感性があるのか、質問は終わって会話らしくない会話はそこで切られた。
「……なあシービーよ、研究所行く途中までだが少し付き合ってくれねぇか? ちょいと仕事ついでに、話がしてながら歩きたいんだが」
「えー、私にも用事があるんだけど」
「さっきまで暇そうに窓から外眺めてた奴が何言ってやがる……」
トレーナーが出した提案に、シービーが若干渋る。
そういう気分でもないのか、単に休み時間にわざわざついてくのが億劫なのか、とにかく面倒そうだ。
だから、男はここで大人の権限を有効に活用することにした。
「ふむ……そんじゃ一つ提案だ。
付いてきてくれりゃお前の次の授業、理由付けで俺が省いてやるよ。教師の
ピクリと、シービーがウマ耳と尻尾を反応させる。
その言葉を聞き逃しはしなかっただろう。現に、ニヤリといたずらな笑みを浮かべているのがなによりの証拠だ。
「……! へぇ、いいの?」
「まあな。こっちはお前の大事な昼の時間を買おうってんだ、そんくらいの見返りは無いと不相応だろ?」
これは魅力をぶら下げた交渉だ。
性格が自由気ままと言えど、シービーは所詮学生。授業というものに囚われている以上、その身を箱庭から動かすのはそれなりのリスクが付きものだ。
だからこそ、トレーナーはその自由を提供しようというのだ。
代わりにトレーナーは道中をシービーと話しながら暇をつぶすことができる、ということだ。
こういうのをWinWinな関係ともいう。
「どうする? お前へのお咎めは無し、数分付き合うだけで後の1時間は自由時間になるお得セットだ。俺が言うのもなんだが、だいぶお買い得だぞ」
「……ふふっ、むしろお釣りが出そう。うん、いいよ。アタシの時間売ってあげる」
一考と微笑と共に、シービーはトレーナーからの交渉を受けることにした。
やはり、授業に拘束される身分というのは不自由で嫌いなのか。
というか、そもそも授業に真面目に取り組むことが少ないシービーにとって、意図しない自由時間というのは魅力的に映ったようだ。
「買い上げありがとさん」
「いいよ、それじゃいこうか」
「おう」
気分屋2人は脚を合わせて歩き出す。
目的地は学内のどこぞの研究所まで。短い距離ではあるが、お互いせっかくの会話だと楽しむ気満載である。
「そういや、お前ウィングに宣戦布告したんだって?」
道中、最近何にハマってるなどと言う他愛ない雑談を繰り広げる中だった。
思い出したかのようにそう切り出したトレーナーに、シービーはあははと苦笑した。
「そんなのじゃないよ。アタシはただ一緒に走りたいって言っただけ」
「ほーん。……ま、お前みたいに強い奴から誘われると、挑む側はあんな感じで受け取っちまうか」
思い耽るようにトレーナーが腕を組む。
つい先日、あの夕日の帰り道の事を思い出していた。
『私、シービーと戦ってみたい』
そう言って、草原色の瞳を燃やしていた自分の教え子の姿を、瞼の裏で再び幻視する。
「ウィングはどう? あれから頑張ってるかな?」
「そらもう、俺が引くぐらい頑張ってるよ。初のGⅠまであと少しだからな。追い込みをかけてるってのもあるが、お前と走るのも楽しみにしてるようだったぞ」
「……ふふっ、よかった!」
幻視した姿を眺める隙も無く、シービーから問われれば肯定的に返すトレーナー。
一緒に走りに誘った友人の様子も知れたようで、シービーは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「にしても、お前がうちのウィングを誘うとはなぁ。なんだ、お前の御眼鏡にでも
「というより友人として、かな。あれだけ一緒に喋ったりしてたんだし、走りたいって思うのは当然だよ」
「そうかぁ? 俺の見解だと、強そうなやつと走りたいっていう考えがうっすら見えてんだが」
「うーん。まぁ、それもあるかな♪」
トレーナーが見解を語ると、否定もせずにシービーが応える。
その足取りは非常に軽い。今にもスキップしそうに跳ねようとする彼女はどこか気分が上がっているようだ、とトレーナーは眺めながらそう思った。
加えて、まるで遊園地にでも行く子供だな、とも感じた。
そして。
男は――アストラルウィングのトレーナーは、彼女に挑戦的な笑みを向けて、さり気なく宣戦布告をする。
「……うちの愛バは強えぇぞ?」
「知ってるよ。ウィングの頑張りは一応分かってるつもりだからね」
「ははっ、いいねぇ。手加減して足元を
「もちろん。ウィングには全力で肩を貸してって言われてるからね。アタシも、全力で
水晶の眼の中に秘めた熱い風が、男の黒い眼と交わり、纏つく。
互いに浮かべる笑みはこの先の楽しみを思い浮かべたからか、それとも目の前に難敵がいることに対しての高揚感からか。
2人の足取りは変わらない。
楽しそうに気分を高めつつある2人の気分屋だったが。
「そういや、昨日いい寝床見つけたんだが」
「ん、ホント? それ、アタシにも教えてよ」
……それはそうとて、会話はまだ続いた。
目的地に着くまでは、2人の会話を止める者はおらず、続く話題は最近の寝床という訳の分からないものになっていくのであった。
「さて……ついぞ
場所と時は変わり、数日後のトレーナー室内。
黒のデスクチェアに座りながら、トレーナーは一枚の紙を見ていた。
それはもう、穴が開くんじゃないかと思うくらいには、ガン見していた。
「初戦GⅠ、相手にシービーとはなぁ……」
それもそのはず。
よりによって先日、担当バに一報もなく勝手に宣戦布告した相手がいるというのだから。トレーナーにとっては苦みな笑顔を浮かべるしかない。因みに確認した当初は冷や汗がにじみ出ていた。
その隣では、なにやら覚悟を決めていたウィングが闘志を燃やしていた。
が、出走表を見た途端、瞬時にトレーニングに行ってくる、と咄嗟にターフへ駆け出た。今もその熱を、燃やし続けているのだろう。
それはそうとて、トレーナーはトレーナーで別の問題に頭を抱えていた。
「連続出走……GⅠまで続けて休み無しでいいってマジで言ってんのかアイツ……?」
ウィングの悪癖ともいえる、レースの出過ぎという問題だ。
現状、ウィングの出走記録は3ヶ月前から続いて
GⅠのレースは2戦後。1戦は休む余地がある。と言っても、半月程度の休みだがそれもバカにならない。言うて半月、されど半月の重要な休養時間が生まれる……というのに――
『温まったこの脚を冷ましたくないんだ』
『……本気か? 言っとくが、お前のそれは根拠のない詭弁だ。正論を言うと、次のレースは絶対に休んだ方がいい。これは……』
『トレーナーとしての忠告、でしょ? うん分かってる。けどね……』
彼女はその提案を否定し、わざわざ危険な道を進むことを決めていた。
……正直、いつ脚が故障してもおかしくない状況だ。こうしてる今もなお、外でトレーニングをしているウィングの身が心配でならないという思いが、男の心境を占めたりしている。
特訓も、コンディションの調整も、何とかして合わせ合わせで頑張ってはいるが……それも完璧ではない。いつかはボロが出る。
それでもウィングを……壊れかけの彼女を止めないのは、それが、
『……けど、シービーに。全力で立ち向かうって決めたの。だから私の……私なりの全力で、彼女に立ち向かいたいんだ。それがどんな、理由も根拠もない自分の身を壊す方法でも――
私は、自分の
彼女の吐いたその願いに、トレーナーは面を食らったことを覚えている。
あの、あのレースに勝ちたいだけのウィングが。勝ちたいだけの頑固者が、レースに勝つという
やりたいことを
『…………そうか。お前も成長したんだな』
『?』
それだけ聞けば、後は何でもよかった。
草原色の瞳に炎を灯した彼女を……覚悟を決めた彼女を、否定する気など男には到底なかった。
過程を成立させるのは、それを支える【トレーナー】の役目で。
――そして、結果を示すのは栄光を駆けようとする【ウマ娘】の主役だ。
だからこそ、男は支えるものとして全力を果たすと決めたのだ。
いつものように、
――絶対に、故障などという締まらない
「さ、て。問題はもう一つあるわけだが」
目を瞑って、高鳴る鼓動と熱くなる思考を冷ました彼は、椅子を回転させ体をデスクへ向ける。
そこには目にも眩しいモニターの数々。白の光で埋め尽くされたその画面の中には、一つ、こう書かれていた。
『異端な連続出走!? 彼女の戦績に隠されたものとは!?』
慣れたように、ずらずらと並べられた文字の羅列。
一片の余地なく、アストラルウィングという選手当てに書かれたそれは、明らかなゴシップ記事だった。
「ホンッット、暇そうにしてんなあのクソマスゴミ共」
苦虫を潰したような表情をする男には、軽蔑と侮蔑と多少の怒りが募っている。
こうも感情を黒く染めるこの男も珍しいものだ。知り合いや親友が見れば、珍しさ目当てに駆けつけてくるだろう。
……ともかく、これがもう一つの問題だ。
彼女の体裁。いうなれば、彼女の世間の見られ方とでもいうのか。
もちろん、こう言ったゴシップネタにされてるのはごく一部に過ぎない。彼の立てる
今まで通り、連続出走しようがこう言ったネタは風の噂になるだろうと思っていたが……
だが、今回に限っては話が変わる。
異端も異端、連続で7戦も走るとなると、その注目度は否が応でも上昇する。
ただでさえ、初めて5戦ほど連続で出た時も一部がニュースに出回ったのだ。それが今回、異例の7戦となれば。
そして、もしも。
もしも――初のGⅠで勝利を収めたとしたら……。
「……クソ」
その戦績を疑われかねない、と男は――ネットの渦に身をひそめるトレーナーは予想していた。
否、もはや確信に変わりつつある。
数々の経験と、数々の(面白)話を聞いてきた男はその疑念を捨てきれずにいた。
「……嫌だよなぁ。アイツも、初めて強い奴と戦った楽しい思い出の後に、クソゴミ共がまき散らす苦い思い出で上書きされるなんて」
トレーナーが懸念しているのはそこだ。
せっかくの楽しみを、楽しんだ後の余韻を、
趣味人として、そして彼女を支える教育者として、最悪の展開だ。そんな事、許されるはずないと内心でマグマのような感情が浮かび上がった。
「…………あ~、やだやだ」
だが、それを防ぐ方法が無いわけではない。
思いついた方法が、確実なものだと考えたトレーナーはまるで、やりたくもないことをやらなければいけないという不満を全開に、子供のように駄々を口に出す。
「
責任は、大人であるトレーナーが負うもの。
そういう考えを常に持っている彼は、考えた方法を実行するだろう。それが自分の愛バの体裁を、ウィングを守るためなのであれば。
……嫌々ながらではあるが、実行するはずだ。
かくして、覚悟を決めた彼は一つ、眼前のPCとキーボードを操作して、ネットで注文をした。
これで一つの問題は解決する……と、男は考え切らず。
しかし、割と
なので。
「保険、かけるか」
ここで彼は、得意げに一つのウィンドウを開いた。
それはいつもの掲示板。
今日はまだ貼っていないため、本日が初の1スレ目になる。
もはや身内スレになりつつある、無礼情け容赦のないスレの住民に向けた掲示板に。
彼はただ一つ、保険として最初にこう文字を連ねたのだ。
『よう。俺、今度GⅠのインタビューに出るかもしれねぇんだが』
こうして、男は一通りの保険を立てたわけだが。
後に、知る者のみぞ知る伝説が生まれるとは、彼自身思いもしなかっただろう。
アストラルウィングを慕うファンも、そこらかしこにいるネットの住民も巻き込んだ大事件に発展するなどとは。
そして、勝負の日が迫る。
男は満足げに、待ち遠しいレースを胸に寝床についた。
いつかの日、失笑しながら見ていた同じ空を眺がめていた彼女ではあったが。
――果たして、高鳴る思いを胸に秘めた彼女が浮かべていた表情は一体どんなものになっているのか。
――手を伸ばした空に、どんな思いを向けていたのか。
少し、口角が上がっていた彼女の思いは、彼女しかわからない。
他ウマ娘との絡みもっと欲しい?
-
くれ
-
いらん
-
どうでもいいからイチャイチャ見せろ