「おはよう世界ッ!!!はーっはっはっはっ!!!!!!!!!」
その日も、テイエムオペラオーは睡眠からの覚醒と同時にこの美しい世界に対して敬愛の情をもって呼び掛けた。世界はオペラオーを生み出した偉大なる存在であり、そしてオペラオーの美しさをあまねく受けるに値するからだ。
「ああ、ジョセフィーヌ……今日も美しい僕をその身に映しておくれ」
オペラオーは愛用の手鏡『ジョセフィーヌ』を取り出すと、それににっこりと笑いかけ髪の毛を櫛ですく。髪の乱れた僕も美しいが、これはもう完璧だ。完璧に輪をかけて完璧だ。美しさしかない。ここに神殿を建てよう。美の神ヴィーナスとアフロディーテ、そしてオペラオーを祀る神殿を建てるのだ。
等とオペラオーが自分に見ほれているうちに時間は過ぎ、そろそろ授業が近づいてきた。一限目は国語であったか。勉強はオペレッタとは違って物語性がなく、展開が平坦でつまらないが国語は物語が読めるのでそれなりに面白い。欲を言えばトゥーランドットやセビリアの理髪師などが扱われればいいのに。
そう考えながらオペラオーはパジャマから制服に着替える。朝食はローズティーとクロックムッシュ、サラダにしようかな……などと考えつつ、ソックスに足を通すときにオペラオーは気づいた。己の右膝が痛みはないが青黒く変色してひどく腫れてしまっていることに……
「これはッ……ああ、どうしたことだろうか? 眠りの精の魔法にかかっているうちにぶつけた……にしてはおかしいね。昨日のトレーニング中に痛めてしまったのだろうか……?」
これは授業は中断して、まず医務室に赴きそれから我が理髪師であるトレーナー君に意見を求めるべきだろう……王とて全能ではない。時には臣下の忠言を聞き入れることも名君の証である。ルートヴィヒ2世になってはならないのだ。
その時だった。
「ゲヘヘ……お嬢ちゃんよォ……びっくりしているようだなぁ?」
「おお、このジョナサン・ワイルドが如き悪辣な声はいったい!?」
男の声。本来、ウマ娘寮は男子禁制でありトレーナーすら立ち入るには特別な許可が必要であることは学園関係者であれば周知の事実だ。オペラオーはその鋭敏な耳を動かし、どこから声が響いたのかを見極めようとした。
「ここだよォ……ケケケ……おまえの『膝』さぁ……!」
「おわあ!?」
その声は自身の腫れあがった膝から響いていた。よくよくみると、膝のあざには顔めいたものがあり、どういう仕組みになっているのか皺を口の様に動かしてなんと言葉をしゃべったのである!
「人面瘦……聞いたことはねえかなあ? お前に憑りついたんだよ!
お嬢ちゃん……ウマ娘ってやつみたいだな……ケケケ……一度憑りついてみたかったんだ。
これから、お前の人生をめちゃくちゃに――」
人面瘦――人間に憑りつく妖怪。あるいは奇病。顔のようなできものができ、それは言葉を話したり飲み食いをしたりして最終的に宿主を殺してしまう事もあるという。
「なんと!!!素晴らしいッ!!!」
「え?」
だが、オペラオーは人面瘦に対して、感激した様子で話しかけた。
「君は美しい僕をうらやむあまり、僕の身体と一体化するほど激しく僕を思ってくれたのだね!?
王は私のもの!そう叫びたまえよ!僕はキャサリン王妃ではない、君を歓迎しようッ!!!!」
「え……何……ち、違うッ! もっとこう、あるだろ!
怖いとか、気持ち悪いとか……!」
人面瘦は戦慄した。この少女は今まで憑りついてきた人間とは根本的に違うタイプだ。完全に話が通じる気がしないし何を言っているのかもよくわからない。
「しかし人面瘦というのは少し名前が言いづらいな……この僕が君のゴッドファーザリエンヌになってあげよう。メフィストフェレス……これも仰々しいか。ギロ……フリッツ……フフフ……何にしよう……」
人面瘦は戦慄した。少女は怖がるどころか、嬉々として。まるでペットか何かのように自分に名前を付けようしている。こんなことは初めてだ。どうすればいいのだ。
「そうだなぁ。イヴァン、シェラスミン、ルイス、ベルトランのうちのどれか一つを選びたまえ!!!!」
「な、なんでそんな事!!!」
「なるほど、どれも選べないというのかい? もしや……君の名は!
そうか! 『愛』だ! 君は『愛』そのもの! この者の名前は『愛』だーーーーッ!!!!」
「イヴァンで……」
憑依してから3分で後悔したのは初めての経験だ。とりあえず人面瘦は『愛』と名付けられるのは死んでもごめんだったので、一番名前が怖そうなように思えたイヴァンにした。
「ではイヴァン君! さっそくだが授業に赴こう!」
人面瘦はさっさとこの宿主を呪い殺してやろうと思った。
◆◆◆ マンハッタンカフェは動じない #014 『昇れ、私の太陽よ』 ◆◆◆
学園の制服はハイソックスであり膝が隠れるため、とりあえず膝の腫れは誰にもバレることはなかった。人面瘦としてもさっさと切除されたりしては困るためこれはむしろしてやったりで、どうやってこの小娘をぎゃふんと言わせるかを授業中考える。
(とりあえず……今はこの小娘の膝で『もっと大きくなる』事が重要だ。その為には飯がいるな……最終的に、そうだこの娘は『ウマ娘』だったな。レース場でわざと転倒させてやるのもいいか……ククク……)
そうこうしているうちに午前中の授業が終わり、人面瘦の鼻にかぐわしい匂いが漂ってきた。どうやら、このオペラオーとかいう小娘は昼食を取るためにカフェテリアかなにかに来たようだ。となれば、食べ物は大量にある。こっそりと呪力で盗み取って……
「イヴァン君! 今日はごちそうだぞ! 購買の超人気商品である焼きそばパンが手に入った!」
と、ソックスが少しめくられて。差し出されたのはビニールでラップされた手製の焼きそばパンであった。なんとこの小娘は自分から食物を差し出してきたではないか。
「な……いいのか? 俺に飯を与えてよォ……だが出されたモンはいただくぜ」
「『王』は『太陽』のようにあまねく臣民を照らさなければならないのだ。たった一人の従者の腹すら満たせぬようでなにが『王』であろうか? 音楽は心の糧だが、腹を満たし、戦いに備えるにはちゃんとした食事が必要なのだね」
「ふーん……何でもいいけどよォ……」
などと食事をしているうちに、人面瘦は気づく。オペラオーは何も食べていない。
「嬢ちゃんは飯、食わねえのか?」
「あいにく、君に渡した焼きそばパンで手持ちが尽きてしまってね。
といっても、ラインの黄金に手を付ける気はない。赤くたぎり、炎の如く熱く、火ではないものが僕の中で燃えているからね。大丈夫だよ」
「なんだそりゃ……」
人面瘦はこの小娘に憑りついてから困惑しきりだ。まさか自分の分を完全に分け与えてくれるとは。言っている意味はよくわからないが。
「それは血潮だよ。イヴァン君」
「は、はぁ……」
ペースをかき乱されっぱなしの人面瘦。だがとりあえず飯を食い、よりこの小娘の身体に食い込むことに成功した。この調子であれば最終的には小娘の身体を乗っ取ってやることもできる……
「フン……不運な娘だ」
(今に見てろよ……)
そうつぶやいた時だった。
「あーーーーーっ!!!! 『泥棒かささぎ』の一節じゃないか!
まさか君がロッシーニを知っているとはね! さすが僕と一体になろうとするほどの者だ!
イヴァン君! もう我慢できない! オペレッタをはじめよう!!!」
「えっ!?」
完全に偶然であったが、どうやらオペラの一節と偶然同じセリフを呟いてしまったらしい。テンションがガンアガリしたオペラオーは……
「主演、僕! 演出脚本、僕! 珠玉の歌劇をいまここに開演するッ!!!!」
「な、なんなんだァ―ッ!?」
こうして、オペラオーはその場でほぼ即興で五時間にわたるオペラを繰り広げた。その間完全に立ちっぱなしで、人面瘦は完全に疲れ果ててしまったが、半分はオペラオーのノリについていけないことが原因であった。
「……おはようトレーナー君ッ!!! すまない、昨日はつい、オペレッタに熱が入ってしまったッ!!!! 今日は真面目にトレーニングするとするよ。ジャパンカップも近い事だしね……」
次の日。完全にトレーニングをすっぽかしてしまったオペラオーは、今日一日をトレーニングにあてることにしたようで、朝から柔軟体操やアップに時間をかけていた。
(しめしめ……トレーニングということは、なにか『事故』が起こっても不思議じゃあない……ブッ殺してやるぜ……)
「まずは、軽く学園の周囲を流すかな……そのあとダッシュと坂路、併走多めで……ウェイトに……座学で他のウマ娘の傾向と対策……ふむ。今日は比較的軽めのメニューだね。レースに向けての調整ってわけか」
そう言って、では行ってくるよ……とまず学園の周囲のランニングから入るオペラオー。しかしそれが、人面瘦の地獄の始まりであった。
「ぜぇーっ! ぜぇーっ! ま、待ってくれ……息が……」
「ダメだ。僕の従者になるということは、最低限僕についてこられなければならない。
これは君のためでもあるんだ、イヴァン君! 僕は心を鬼にしてトレーナー君や、君と共に勝利を掴むぞ! 勝利だ! 勝利するのだ!!!」
「ぎ、ぎえーっ!!!」
オペラオーの体力消耗は、一心同体である人面瘦にも伝わる。これほどの運動をしたのは人面瘦は初めてであり、まだ全体メニューの1/3をこなした程度で、ほとんど拷問めいていた。これを軽いと言っているのだからこの小娘は普段どれだけの練習を積んでいるのか?
それに……
「ドトウ。併走トレーニングもう一度だ。僕を倒すつもりで来てくれ!
メルキシュオに斬りかかるティボルトが如くね!!!」
「ふええ~……ど、努力しますう……」
このオペラオーという小娘は……『天才』だ。その実力はあきらかに他のウマ娘より抜きんでている。併走相手のメイショウドトウという『ウマ娘』も他を寄せ付けないすさまじい実力を持っているが、それをもってしてもなお一枚上手を行くオペラオーは、そう形容せざるを得ない。
(お、俺……もしかして大変な奴に憑いちまったんじゃあねえか……?)
それから数日経った夜。
「はーっはっはっはっ!!! やはり浴場を利用するのは少し遅いタイミングに限るね。見たまえ! このうち沈んだような静寂を! 誰もいない。『王』たる僕だが一人リフレッシュしたいこともあるのさ!」
「メチャクチャうるせえよ! 一人なのに!」
タオルを巻いたオペラオーの声がガンガン響く寮の大浴場。この時間帯は誰もいないため、オペラオーはよく利用するのだ。どばあ。当然の如く、湯船にぶちまけられるバラの花びら。
「ふう……で、どうだね。イヴァン君。覇王の臣下となっての日々は……」
「どうもこうもねえよ! めちゃくちゃだよ! 俺の計画が……」
「またロッシーニかい? ちなみに僕の計画は用意周到だよ?」
もういいです、とばかりに意気消沈する人面瘦。
「……しかし、僕は幸運だ。我が理髪師たるトレーナー君。ドトウ、アヤベさん、トップロードさんという宿命のリヴァルに彩られた歌劇に、更にイヴァン君という従者が加わった。これはもはや運命の力だな。太陽さえ征服できるんじゃあないか?」
「……なんでおめぇ、そんなに他人に気を配れるんだ? 頑張れるんだ?
正直よォ、『降りた』方が、幾分か楽だろ。この生き方」
と、ふと人面瘦は漏らした。あれからオペラオーの生活をずっと見ていたわけだがオペラオーの努力は群を抜いている。たまに抜けたところもあるが、美と才能を磨き上げる努力を怠らず、一見傲慢に見えながらも、自分だけでなく他人を見て、それでいて他人に対しての敬意や称賛を惜しまない。そして、そのうえで……『勝つ』。それは……決して常人にはできない、狂気的なまでの。まさしく『王の道』なのだ。なぜそれを歩めるのか? 人面瘦はそう問うた。
「分かり切ったことを聞くね。何故なら僕は『オペラオー』だからさ。楽だから、なんて理由で人生というオペラから退場するなんてことは到底ぼくにはできない。僕の美しさをあまねく臣民に届け、勇気づけることが僕の宿命なんだよ? ああ、何たる崇高な使命か! そしてそれは『オペラオー』にしかできない!」
普通の人間であれば、冗談で言うところをこの小娘は本気でやっている。まるで歌劇の登場人物の様に。いや、この小娘はある意味では歌劇を演じるついでに人生をやっているのかもしれない。
「……おめえと話すと、こっちまで恥ずかしくなっていけねえや」
人面瘦は、そう言ってぶくぶくと口で泡を立てた。同時に、人を呪い殺すことばかり考えていた自分の矮小さに恥ずかしくなる思いがした。
それから、トレーニング漬けの日々が続く。最初こそ、毎回悲鳴を上げていた人面瘦も多少ならばついていけるようになってきた。
「ぜぇ……はぁ……嬢ちゃんよ、次は何だっけ? 縄跳びか? エアバイクだっけ?」
「次は模擬レースかな。縄跳びとかはその次だ。もうジャパンカップが近い。とにかくレース勘をつけていく」
ジャパンカップ。名誉あるG1レースというモノの中でも最高峰で、競バを知らなくてもその名を聞いたことがある有マ記念よりも格式が高いとされることもあるレースらしい。そんなレースに……オペラオーは出場する。しかも。
「次勝てば、七連勝か……」
一つ勝つだけでも難しく、多くのウマ娘たちがその栄冠に届かないG1を七連勝は異次元の領域。俺も大変な奴に憑いちまったなあ……と人面瘦はそう聞いて改めてその思いを強くした。同時に、自分が何をしたいのかわからなくなってきた。自分は……宿主を呪い殺して生きる怪異だ。つまり、生きるためにはオペラオーに害をなさなければならない。しかし、もっとこの娘の活躍を見たいと思ってしまっている自分がいる。
(どう、すればいいんだろうな……)
人面瘦は、メイショウドトウの方に歩み寄っていくオペラオーの膝に宿ったまま、一人考え込んだ。
そして、ジャパンカップの日。出走前に、オペラオーはトレーナーの前で演説した。
「ジャパンカップが来るたび。今日から世界が終わる日まで、皆が『我々』の事を思い出すだろう。我々、幸福な少数の兄弟のことを。今日、共に汗を流す者は私の兄弟である!」
その言葉を聞きながら、人面瘦は決意した。この娘の行く末を見極めてやろう、と。呪い殺すのはしばらくお預けだ。別にすぐにそうしなくてもいいんだから。
……そうして、レースが始まった。
圧倒的一番人気のオペラオー。しかし、既に敵なしの勢いで進撃してきた王を他のウマ娘は警戒し、ブロックする。中々順位を上げられないスローペースの展開。オペラオーは焦れず、バ群の中であくまで冷静に成り行きを見守っている。
「じょ、嬢ちゃんこんなので大丈夫なのかッ……!」
「ああ……問題はないッ! 『王』は『当然のように勝ってこそ王』なんだからな……!」
実際、すべてのウマ娘が連携しているわけではない。中には掛かりぎみに前に出ようとするウマ娘もおり、それで少しスペースがあいた。
(いけるっ……!)
オペラオーはその空いたスペースに針の穴を通す様な身体コントロールで、滑り込んでいく……が、その時だった! 前方、内ラチ側を走っていたウマ娘がつられてスパートしようとしたものの、やや体勢を崩し、ふらついた。
「嬢ちゃん危ない!」
「うっ……!!!?」
跳ねあがった足がオペラオーの脚部に接触する。だが、不思議と痛みはない。オペラオーはそのままぐんぐんとスピードを上げ、一気にトップに立つ。
「ドトウ猛追!ドトウ猛追!しかしこれは届かないか!ドトウ届かない!またしても!またしてもオペラオーだ!!!オペラオーだ!!!オペラオーだ!!!!強すぎる!!!!七連勝達成ィーーーーッ!!!!?」
ドトウや他のウマ娘も猛追するも、オペラオーはジャパンカップを制した。
「……はーっはっはっはっ!!!この勝利をヴィットーリアと、トレーナー君たち、そして僕の従者たちに捧げよう!!!テイエムオペラ王朝の誕生だーッ!!!」
「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」」」」
オペラオーのパフォーマンスに、観客が湧きたつ。歴史に残る大記録。絶対的強者世紀末覇王。それがどこまで勝利を伸ばすのか、皆が期待した。
「……まったく、幸運な男だなあイヴァン君は。この勝利を特等席も特等席から見られるなんて」
地下バ道で、オペラオーは人面瘦に話しかけた。だが、返事はない。
「…………イヴァン君どうした。勝利の安堵のあまり寝入ってしまったのかい?」
そう言って、右足を確認すると、人面瘦はぽろり、と皮がむけるように地面に落ちた。
「イヴァン君……?」
「へ、へへ……嬢ちゃん、おめでとう……すげえじゃあねえか……
大記録なんだろ……これ……ぐふっ……」
「イヴァン君……!」
人面瘦は、オペラオーのレース中、ふいに起こった接触からオペラオーの足をとっさに守って、衝撃を肩代わりしていた。つまり、全力のウマ娘の蹴りを顔面に受けたも同じである。
「……俺としたことが、つまらんことをしちまったぜ……
だがよォ、不思議と……へへ、気持ちがいいんだ。はじめてだ、誰かを守ったのは……」
「イヴァン君、何も言うな! どうすればいい……どうすれば……!」
オペラオーははがれた人面瘦を拾い上げ、ぎゅっと胸に抱きしめる。
「へへ、あったけえなあ……あったけえよ……
だけど、もう少し、おめえの活躍……見たか……」
ぼろ……と人面瘦の形がくずれ、さらさらと風に乗ってとけるように消えた。指の間から砂のように落ちていく人面瘦の残滓を握りしめながらオペラオーは誓う。
「『王に命をささげる』なんてのはオペラの中だけで十分だよイヴァン君……
僕にまたひとつ、勝たなければならない理由が増えてしまったじゃあないか」
ふ、とオペラオーは自嘲するように笑って。
「君の覚悟は、確かに受け取ったよ。ならば……僕の血を全て捧げよう!」
オペラオーは一人の従者を失い、悲しみに暮れ、また一つ強くなった。
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