マンハッタンカフェは動じない   作:むうん

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#021『ランニングマン』

 知ってよーが、知らなかろーがどうでもいいが、僕の名前は岸辺露伴。漫画家だ。

 

 突然だが、これを読んでいる読者の君たちに一人の人物を紹介をさせてもらおう。彼の名前は『一ノ谷勝』。26歳。職業はフリーのライターで……かつては天才、神童扱いされていたが、よく言われるように20過ぎればただの人。今は主にギリギリ二流って感じのウマ娘系雑誌『ヤジウマ!』に時折記事を寄稿して小金を貰ってるが……実態は情けなく親のすねをかじってるボンクラって感じの男だ。

 

 そもそもの話、この男は『ウマ娘』というものが嫌いらしい。理由は、幼いころから勉強は一番で、なんでもできた自分が唯一『ウマ娘』とのかけっこでは一度も勝つことができなかったから。みみっちい理由と片付けるのは簡単だが、幼少期の軽いトラウマってやつで……誰にでもあるようなものなのだろう。自分が嫌いなものに関わって仕事をするってのはどういう気持ちなのかはよくわからないので興味はあるが……そこは今回の本題じゃあない。

 

 僕の体験談を聞いてきた読者の中には……『橋本陽馬』という人物に覚えがある者もいると思う。あの『走ること』に憑りつかれた男だ。今回の話もそのような『走ること』に憑りつかれた男の話なのだが……断っておくがこれは僕が体験した物ではなく、『親しいウマ娘の友人』――『マンハッタンカフェ』さんから聞いた話である。

 

 つまりこれは、彼女が実際に体験した……『恐怖』のお話なのだ。

 

 

 

◆◆◆ マンハッタンカフェは動じない #021 『ランニングマン』 ◆◆◆

 

 

 

 朝起きて、顔を洗い、髭をそって、歯を磨く。朝食はとらず、それから1~2kmほどジョギング。シャワーを浴びて10時ごろに昼と兼用で適当に何かを食べ……午後は取材と記事の執筆作業に充てる……余裕があれば、夕方にもジョギング……あとは寝るまで自由時間……大抵はゲームやネットサーフィンをして過ごすが近所のジムで汗を流したり仕事の続きをすることもある……それが『一ノ谷勝』の大まかな一日の過ごし方だ。

 

 特に、朝のジョギングは気持ちがいい。月並みだが汗を流す爽快感というのはあまりにも『健全』で自分が『善い人間』であるように感じられるし、冷たい空気が熱を持った肺の中に流れ込み、白い息を吐き出す一挙動の美しさ。これを知らないものは人生を損しているとすら思える。

 

「ふっ……ふっ……はっ……」

 

 一ノ谷勝はその日も、一連のルーティーンの中でジョギングに出ていた。通勤中のサラリーマンや通学中の学生などのように……あくせくした生き方は自分にはできない。だが、今は生きるには困っていないし親は裕福だ。正直言って世間の尺度で『普通』に生きていくぐらいなら、今のままの生活で十分。それにもし金がなくなったとしても……自分には何事もそつなくこなせる器用さがある。焦ることも困ることもない。一ノ谷はそう考えて、日々を生きていた。

 

 だが……そんな生活の中でひとつ、嫌なことがあった。それは日本トレーニングセンター学園。通称トレセン学園の存在だ。一ノ谷の実家は府中にあり、そのおかげでウマ娘はよく見かけるのだが……

 

「おはようございます……」

 

「あぁ、おはよう……」

 

 黒髪で金色の瞳をしたウマ娘。どうやら彼女とは朝のランニングの時間が同じらしく、よく近所の交差点の信号で一緒になるのだ。だが挨拶されたら、こちらも軽く挨拶をするぐらいで別に会話をすることはない。

 

(……朝からムカっ腹だぜ……こっちの気も知らないで)

 

 ウマ娘は人間の3倍以上の足の速さを誇り、すさまじい怪力、スタミナを持つフィジカルの化け物だ。いくら人間が体を鍛えても、ウマ娘に肉体的に勝つことはできない……その事実は、昔から一ノ谷をイラつかせてきた。一ノ谷はその『勝』と言う名前に象徴されるように……『勝つ』ことが好きだった。勉強でも、運動でも、ゲームでも、なんでも。それが自分の宿命であり、なんでもできると……本気で子供のころは信じていた。ウマ娘によって挫折させられるまでは。

 

 最初は小学校の頃の『かけっこ』で……中学、高校に入ってからは『陸上競技』で……同じトラックを使って練習するウマ娘たちのすさまじいまでの速さに、一ノ谷は何度も嫉妬を抱いたものだ。そして、勝ちたい。勝ちたい。勝ちたいと何度も泣いた。だが、果たせなかった。

 

 そのくすぶりを隠すかのように……今はフリーのライターとしてウマ娘に関わっている。本当は男子陸上競技系の雑誌に関わりたかったのだが、府中で陸上となるとどうしてもウマ娘関連ばかりであったからだ。といってもレースの結果などより色恋沙汰だとか有名ウマ娘のプライベートショット狙いのパパラッチみたいな仕事ばかりで、自分の書く記事もそうしたものばかりだ。正直言ってウマ娘のことだって有名な何人かを知っているだけで知識は薄い。業界人としてそれってどうなのか、一ノ谷は自問することもたまにはあるが。

 

(…………チッ)

 

 信号が青になると同時に、駆けだす一ノ谷と黒髪のウマ娘。彼女は軽く流しているつもりなのだろうがそれでもスピードが違う。黒髪のウマ娘の背中はあっという間に小さくなって、一ノ谷の視界から消えていった。

 

「はァ……トレセン学園への一週間潜入取材スかァ? 勘弁してくださいよォ……そんなん俺やったことないですし……」

 

 午後。府中駅近くの雑居ビル2階、煙草の煙が燻る『ヤジウマ!』編集部……その喫煙所と応対所を兼ねたソファスペースで一ノ谷は露骨に嫌そうな声色を隠さず、編集長山内からの提案に難色を示した。

 

「これはうちにとっても滅多にないチャンスなのよ……トレセン学園、どれだけ取材難しいかワカってる? 一ノ谷君。ウチはトゥインクルみたいな信用もないからね。マジで申請が通ったの、奇跡みたいなモンなの」

 

「といわれましてもねェ……」

 

 一ノ谷は困惑した。今回、編集長から持ち掛けられたのはウマ娘にとっての一番の目標と言っても過言ではないトレセン学園に一週間ほど内部に入って取材する企画だった。なんでもウマ娘のトレーニングを体験してみよう……という企画でライター陣の中で最も若く、常日頃からランニングが趣味の自分に白羽の矢が立ったのだという。だが、潜入取材ということはウマ娘だらけのトレセン学園の中に入っていくということでもある……正直言って、断ってしまいたかったのだが……

 

「ホントお願い、原稿料はいつもより弾むから! ウチ今回の企画に賭けてんのよ。十万……いや、十五万出すから!」

 

 …十五万は、正直言ってデカい。無名フリーライターである自分の一記事の報酬の十倍以上だ。カネには困っていないとはいえ、臨時ボーナスとしては悪くない。いや、かなりウマい。当然、肉体的なキツさはあるだろうが。ほんの一週間我慢するだけで十五万。

 

「……わかりましたよ。お受けします」

 

 こうして、一ノ谷は記者としてトレセン学園を取材することとなったのだが……

 

 取材開始の日。まず応接室に通された一ノ谷はトレセン学園生徒会のエアグルーヴと名乗るウマ娘から説明を受けた。そのだいたいは……いわゆる取材上の禁止事項というやつで、ざっくりといえば学園内を移動する際は指定の取材が許可されたエリア以外に立ち入らない事だとか撮影した写真や作成した記事はすべて学園側に事前に提出し、チェックがなされるだとかそのようなものだ。特にウマ娘寮には近寄ることすら許されなかった。

 

「マジでデカいな……第3トレーニングルームってのはどっちだよ……チクショウ…………」

 

 生徒数2000を抱える中高一貫校、トレセン学園は敷地も巨大であり慣れない一ノ谷は、トレーニング衣に着替えたまま校内をうろついていた。今回の取材に付き合ってくれるウマ娘とトレーニングルームで落ち合い、そのままウマ娘のトレーニングを体験……と言う予定だったのだが……。

 

「あの、一ノ谷さんですか?」

 

「あ、ハイ……一ノ谷ですが……」

 

 と、その時声を掛けてきたのは黒髪に黄金の瞳の……たまに朝に信号待ちで一緒になるウマ娘だ。

 

「よかった……時間になっても来られないのでてっきり校内で迷ってるモノだと思って、探していたんです。トレーニングルーム、いくつもあって間違えやすいですから。今回、取材に付き添わせていただく『マンハッタンカフェ』です。よろしくお願いします」

 

「ああ……君が……どうも、ライターをやってます一ノ谷勝です。申し訳ないです、迷ってしまって」

 

 先方がどうやら、迎えに来てくれたようだ。ウマ娘が嫌いとはいえ、さすがに迷惑をかけてしまったのは気が引ける。一ノ谷は素直に謝り、カフェもそれにいえいえ、初めて取材に来る方はよく迷われるんです、と返し。

 

「……あの、よく朝にお会いしますよね……?」

 

 向こうも、やはりこちらの事は覚えていたのかおずおずと声を掛けてきた。

 

「はい、ええ……偶然ですよね。本当に……」

 

 こちらとしてはそんな偶然はいらないんだがな……と内心毒づく一ノ谷。結局そのままそれから会話があまり広がることなく、カフェに付き添われてトレーニングルームへと移動する。そこではやはりかなりの数のウマ娘たちがウェイトトレーニングに励んでおり……

 

(あれ……何kg上げてんだよ……化け物か? あっちは……何km出てんだあれは……)

 

 人間ならばオリンピッククラスであろう重量のバーベルでトレーニングをする者やランニングマシンですさまじい速さで疾走する者など、人間から見たその光景の異様さについては枚挙にいとまがない。

 

「あ、では……本日はウェイトトレーニングで体幹や全身の筋肉バランスを整えていきますね」

 

「えーと……今日は走ったりはしないんです?」

 

 機材を用意しているカフェに、一ノ谷は話しかける。やはりウマ娘と言えば『走る』所を取材したかったのだが。

 

「一応既に軽く10㎞程走ってはいるんですが……今日は重点的にウェイトトレーニングの予定なので……明日は、逆にラン中心のメニューの予定ですね」

 

「へぇ……」

 

 なるほど、まあ……初日が『ウェイトトレーニング』というのは、逆にギャップがあってネタとしていいかもしれない。一ノ谷は専用に用意されたメニュー……当然、ウマ娘と完全に一緒とはいかず『負荷』自体は減らしてあるそれをカフェと同じくこなしていく。普段からトレーニングやランニングを行っている一ノ谷にとっても、キツいメニューであったが……なんとか、ついていくこと自体はできた。

 

「ハァ……ハァ……ハァ……」

 

「お疲れ様でした……」

 

 トレーニングを終え、ベンチで疲労困憊の一ノ谷にスポーツドリンクを差し出すカフェ。なんとかそれを受け取り、口をつけるが、気持ち悪くなり吐き戻しそうになったので飲むのをやめた。

 

(……こりゃあ、明日は筋肉痛確定だな。だが、クソ。涼しい顔しやがって……)

 

 汗をタオルで拭うカフェは、当然一ノ谷ほど消耗していない。むしろ、まだいくらか余裕がありそうにも見える。

 

(……小娘め)

 

 一ノ谷の、ルサンチマンめいた憎しみの籠った視線にカフェは気づかなかった。

 

 それから一週間。一ノ谷はカフェと共に……当然ウェイトトレーニングと同様、負荷を減じたメニューではあったが練習を続けた。走る距離が半分以下でも……カフェに一度たりとも勝つことはできなかったし、ウマ娘並みの重いバーベルを持ち上げる事すらできなかったが。

 

「自信、無くしちまうな……」

 

 学園を去る時には、一ノ谷のプライドは完全に折れ切っていた。自分よりも何歳も下の小娘に完膚なきまでにフィジカルで敗北する。それは、『勝利』が似合う自分とは全く真逆の事だ。何という情けなさ。最後のトレーニングが終わった後、学園の男子更衣室でトレーニング衣を脱いだ一ノ谷は、悔しさから、鏡に映った自分の顔面を殴りつけようとした。

 

「……待て、これは」

 

 以前からトレーニングジムにたまに通い、スポーツ選手並みとはいかなくても体力には自信があった一ノ谷だったが最先端のトレーニング機材でみっちり一週間プロのトレーニングを行った事により……ほんの少しではあるが、全身の筋肉量が増えているのを感じる。割れていなかったはずの腹筋も、うっすらとだが陰影がついているのだ。太ももの筋肉などは、明らかに盛り上がりが見える。

 

「…………俺はまだ、『成長』の余地を残している。いや、鍛えこんでいないんだ。そうだ……『ウマ娘』と勝負をするなら。『おれ自身がウマ娘になればいい』んだッ!」

 

 その日から、一ノ谷の『肉体改造』が始まった。

 

 まず最初に、一ノ谷はたまに行くだけだったトレーニングジムのゴールド会員となり毎日のように『トレーニング』を行い始めたのは言うまでもなく、食事も……低脂肪高タンパクのメニューに完全に変えた。高校で陸上をやっていた時以来、ひさしぶりにプロテインを買いそろえ……とにかく、トレーニング。トレーニング。トレーニング。シューズにはウマ娘用の蹄鉄すら仕込んで走り込んだ。

 

 おおよそ一か月もする頃には……

 

「……完全に体が変わってきた。いいじゃん……いけるぞ、俺は……まだまだいけるんだ。そうだ、俺は本気を出していなかっただけだ。俺が本気を出せば何でもできるんだ」

 

 自宅の鏡で肉体を確認しながら、独り言ちる一ノ谷。原稿報酬の十五万は全額、トレーニング器具につぎ込んだ。家族からは置く場所がないと文句を言われたが、そのようなことは些細なことでしかない。

 

「…………やぁ、マンハッタンカフェさん」

 

「あ……一ノ谷さん。どうも……」

 

 そして……朝のランニングの信号待ちで彼女。マンハッタンカフェと一緒になった。今回は偶然ではない。一ノ谷が狙ってやったことだ。

 

「………………」

 

 やはり今日の軽い挨拶だけで、会話はない。カフェは体を冷やさぬよう、軽くその場でステップをしながら、信号が青に変わるのを待つ。

 

「ふっ……!」

 

 青になると同時に、飛び出したのは一ノ谷だった。ほとんど全力疾走の様に、陸上時代に培ったフォームで走り出す。そう、彼は改造した肉体がどの程度のものかカフェを使って調べるつもりだったのだ! しかし……カフェは流すような軽い感じで、悠々と自分を追い越していく……!

 

 人間の記録した『瞬間』最高速度はウサイン・ボルトの時速44kmであると言われている。ウマ娘は基本的に時速60km程度で継続的に走ることができトップクラスとなると更に速い。当然、肉体改造を一か月行った程度では出せるスピードと言うのはそれに及ばない。

 

(…………まだ、改善の余地がある。もっと早く。腕の振り。足の運び。俺の全盛期は『まだ』なんだ。なるんだ……俺は……『ウマ娘』にな……そうすれば才能は俺の方が上だッ! 同じ『基礎』さえあれば……)

 

 それから……さらに1か月。一ノ谷は体を絞り込んだ。それだけではない。海外からステロイドやインスリンを取り寄せ、それを惜しみなく自分に使った。これは、『自分』を越えるための……一種の決闘だ。『勝つ』ためにはあらゆる手段を使わなければならない……家族は……トレーニングにのめり込む自分を心配し、何かごちゃごちゃ言っている。どうでもいい。ノイズだ。むしろ邪魔でしかない。俺は『ウマ娘』になるのだ。

 

「……どうも。マンハッタンカフェさん」

 

「おはようございます」

 

 やはり、朝のランニングに来た時を狙い、いつもの信号で待ち伏せる。

 

「……マンハッタンカフェさん有馬獲ったんだって? おめでとう」

 

「あ……見ていてくださったんですか? ありがとうございます」

 

 世間話程度に、話を振る。今まで意識はしていなかったがこの少女は一流のウマ娘だ。深夜には何千回と現役トップウマ娘のレースビデオをみた。マンハッタンカフェ。超一流のステイヤー。そのウマ娘に今の自分がどの程度通用するのか? 興味しかない。体調もアップも万全。今のおれならやれる。きっと、今が『全盛期』だ……! 『勝って』、『ウマ娘になる』。一ノ谷は、信号が変わると同時にギアをトップにいれた。

 

……だが、現実は残酷だった。ほんの一分の後、一ノ谷は地面に大の字になり、泣いていた。

 

 ほんの一瞬でも、ウマ娘に勝てると思っていた自分が馬鹿らしくなった。作り上げた体。培った経験を――マンハッタンカフェというウマ娘は軽々と粉砕した。走り始めた一瞬、少し彼女が驚いたような眼をしたが……彼女は『少しだけ』ギアを上げるだけで、自分を置き去りに走り去っていったのだ。もはや勝てない。一ノ谷は……その日からトレーニングを止め、最近顔を出していなかった『ヤジウマ!』編集部に顔を出した。

 

「……一ノ谷くんひさしぶり、例のトレセン学園の取材から肉体改造に凝っちゃったんだって? いいことじゃん。完全に流行りの細マッチョになってさ。女の子が放っておかないでしょ」

 

「ハハ……そうスね。それより仕事、なんかありません? 例のトレーニングのせいで、金欠でして……」

 

 金欠と言うのは仕事を貰う方便だ。もう自分には必要ないトレーニング器具などはすべて売ったし、プロテインは捨てた。なのでいくらかそれで小金がある。だが、何かに打ち込むことで今の『絶望感』を消したかったのだ……

 

「んー……そうだね。今は特にないんだよなァ……」

 

 編集長の山内はぽりぽりと頭を掻いてバカ面を浮かべた。使えない奴だ。一ノ谷は山内が前々から内心嫌いだった。

 

「『スティールボールランを読み解く』っていうの。ウチの読者層とあんまり合わないから、あっためてたんだけどこれでもやってみる……?」

 

 だが、山内はそういうと、一枚のコピー用紙刷りの企画書を取り出す。スティールボールラン。1890年に開催された『史上初のアメリカ大陸横断レース』。名目上は犯罪行為以外なんでもあり……とはなっているが、参加者の大半はウマ娘であり、少数がラクダや当時最新鋭の機械であった自動車での参加を行ったにとどまった。

 

「ウチの主力……ウマ娘たちの色恋沙汰とかスキャンダルでしょ。そんな記事読まれるんスか?」

 

「読まれないと思うよ……言ったじゃん、読者層とあんまり合わないって」

 

 結局それでも……一ノ谷はその仕事を受けた。編集部の本棚の奥で誰にも顧みられず、埃をかぶっていた『スティールボールラン全記録』を借り受け、家に戻ると自室でそれを広げ、適当に見る。総参加者数は3852人。優勝者はウマ娘『ヘイ!ヤア!』変わった名前だ。準優勝は……日本人。『ホノオ』というウマ娘。これは意外だった。自分が今までどれだけ適当にウマ娘と関わってきたかがよくわかる。

 

「総合三位、キャッチ・ア・ウェイヴ……ん? ファーストステージ二十位?」

 

 そこで、ステージと言う文言が目に付く。どうやら、スティールボールランは約6000kmに及ぶ長いレースであるためステージと称された九つのチェックポイントがあり、それぞれでまた着順によって勝者を決めるためのポイントや賞金が支払われていたらしい。

 

「ファーストステージ、ステージ名『15,000メートル』。サンディエゴ・ビーチからサンタ・マリア・ノヴェラ教会までの15kmのショートコース。一着は……『サンドマン』」

 

 どぐん、と心臓が高鳴った。『サンドマン』。本来ならヴァルキリーというウマ娘が一着だったようだが、走行妨害が認められ二十一位に降着という処分を受けたため、繰り上げ一位となった『男』。『人間』。ページをめくる。『サンドマン』という記述を探す。

 

「『サンドマン』……ゼッケンC-990。人間、ネイティブアメリカンの男性。アリゾナ州出身……フィフスステージ『イリノイ・スカイライン』で脱落も、それまでの成績は安定して上位……彼の特異な点は出場者の大半がウマ娘の大会に出場し、その独特な走法でウマ娘と遜色ないスピードで走ったこと……」

 

 その瞬間、一ノ谷は本を開き、他の『サンドマン』の記述を探しながら自身のPCに向かった。もっと『資料』がいる。この『サンドマン』について。なんでもいい。この『走法』を調べなければッ! 望ましいのは『映像』だ……何か映像は残っていないのかッ!? スティールボールランレースはwikiの記述が正しいなら判定用に映写機による撮影がなされていたはずだ。

 

 殆ど祈るような気持ちで、まずチェックしたのはウマチューブ……3時間ほど、英語も使って動画を探したが……ない。当然だ。スティールボールランレースが開催されたのは130年前……そんな前の映像記録が簡単に残っているはずがない。次に、一ノ谷は英語圏のサイトを探した。ウマ娘関係のトピック。幸い、学生時代の成績は良かった。英語は読める……だがダメだ。スティールボールランレースを語るようなトピックはない……

 

 それから三日。日本のサイトにも、英語圏のサイトにも。ありとあらゆる掲示板やチャットサイト、SNSに一ノ谷はトピックを建てまくった。『スティールボールランレース』の『サンドマン』と言う人物についての資料を探している、と。

 

 だが、世間の反応は薄かった。大半の人々にとって130年前のレースなどもはや自分には関係ない歴史上の出来事であり、そんなことに興味はないのだ。一ノ谷はそんなことよりも最新のウマチューバ―の動画がどうとか、何がバズったとかに一喜一憂する世間に対して嫌悪感すら抱きかけた。その時だった。

 

 一ノ谷のメールアドレスに、一通のメールがアメリカのアリゾナ州から届く。それはネイティブアメリカンの『資料館』からのメールで、なんでも館収蔵の資料映像にファーストステージのゴールシーンらしき映像が収められているので、その映像ファイルを送る……というのだ。一ノ谷は……そのメールに添付された動画ファイルを再生し……そして驚愕した。

 

 白黒の上ノイズが酷く、フレームレートも低いが……本当だ。人間の男性がウマ娘と共に走っている。速い、というものではない。フレームの飛びも相まってまるで飛んでいるようにすら見える。だが……

 

「これだッ……」

 

 一ノ谷は、その日を境に両親の口座から金をすべて引き出し、そして姿を消した。

 

 半年後。

 

 いつもの『交差点』。

 

 カフェはその日も朝のトレーニングの一環として、ランニングの途中だった。

 

「……マンハッタンカフェさん」

 

 ふと、声を掛けられる。カフェがそちらに顔を向ければ……フードを目深にかぶった男がいた。初めて会う男だ、とカフェは思った。

 

「僕です。お久しぶりです。一ノ谷って覚えてますか」

 

「え……一ノ谷さん……?」

 

 カフェが彼を識別できなかったのも無理はない。一ノ谷は……完全に別人のようになっていた。筋肉は『走るため』に最適化され、ステロイドの影響で声は低くなっている。髭も伸び放題で髪の毛は乱雑にカットしたもの頭の後ろで縛ってポニーテールのようにしているようだった。どこか求道者めいた……それでいて、危うさすら漂うその姿。

 

「覚えられてないですか……やっぱり……」

 

「い、いえ……あまりにも姿が変わっていたので……お久しぶりです」

 

 カフェはプレッシャーを覚える。この男は……なにか『悪いもの』に憑りつかれているような気がする。霊感ではない。直感で、分かる。何かがヤバイ……そう思った時、一ノ谷の手の中に光るものがあった。ナイフだ。自身の腹部に切っ先が向けられている。男が刺そうと思えば、いつでもさせる態勢。

 

「……カフェさん、僕と『勝負』をしてください」

 

 次の瞬間、一ノ谷はただ静かに言った。フラットな精神から発せられた、凄みのある脅迫だった。

 

「……叫んで人を呼ぶ、と言ったら」

 

「まず、あなたを刺して、近寄ってきた人も殺します」

 

 『おともだち』がカフェを護るように、一ノ谷との間に立ちはだかる。だが一ノ谷はそれが見えない。話し続ける。

 

「……僕と本気の『レース』をしてくれるだけでいいんです。そうすれば満足します。誰も傷つきません。府中競技場トラックで3000m。あなたがかつて制した『菊花賞』と同じだ。トラックは芝ではないですが……そこはもう、ハンディキャップと言う事でお願いします」

 

 その瞳は、殺人者のものではなかった。人にナイフを突きつけるという状況で、異常なまでに澄んで、冷静だった。だからこそ、カフェは空恐ろしさを感じたものの……同時に完全に突き放してしまう気にもなれなかった。それに、挑まれているのは『レース』だ。『レース』だというなら……

 

「わかりました。私もウマ娘の端くれです、『レース』から逃げることはできません……」

 

 二人は……陸上競技場に移動した。ここはウマ娘用のターフではなく、人間用の競技用トラックだ。

 

「アップはもういいですよね」

 

 一ノ谷は、そういうと着ていたフード付きの服を脱ぐ。さすがのカフェも、現れた肉体には目を見張った。ボディビルダーのような見せるための筋肉ではなく、スポーツ――走るために特化した肉体とでもいおうか。そして、足の筋肉のしなやかさ。まさにそれは……ウマ娘のもののようで、かといって足には大量の擦りむけやタコがあり……どういった練習をすれば、ああなる……?

 

「さっそく始めましょう。僕としてもあまりあなたを拘束して、騒ぎになるようなことにはなりたくない」

 

「……わかりました」

 

「あの時計が、八時ちょうどを指したら近くの学校のチャイムが鳴ります。それをスタートの合図にしましょう」

 

 競技場の観客席の最も高い所には、大きな時計があり七時五十八分を指していた。もうスタートが近い。カフェと一ノ谷はトラックのスタートラインに移動すると、そこでいつも通りにスタートの準備をする。ウマ娘と人間。本来なら、勝負にすらならないはずの勝負。おおよそ十秒前……五秒前。四。三。二。一。

 

 学校のチャイムが鳴り、同時に二人が飛び出す。カフェは……走り慣れていない通常のトラックでも関係ないとばかりに、快速に飛ばしているように見えた。いや、違う『飛ばさざるを得ない』のだ。

 

「バカな……!」

 

 凄まじい勢いで『一ノ谷』が後ろから喰らいついてくるッ! まるで飛ぶようなスピード。既に45kmは出ているッ……!

 

「さらに加速したッ……50㎞はでているッ!!!」

 

 瞬間、カフェは理解した。その走法をッ! 彼の走法はかかとが一瞬しか地面に触れず、しかも踏み込んですらいないのだ。着地の衝撃エネルギーを膝方向に逃がし、関節で吸収するのではなく、衝撃自体をつま先から推進力にして『スピード』に変えているッ!

 

(近代陸上史の常識を覆す走法……一体どこでこんな走り方を……ッ!)

 

 1000mを通過した時点で……差はほぼない。一ノ谷はカフェのすぐ後ろを追走するように、ぴったりとくっついて『休んでいる』。

 

「『風圧シールド走法』ですか……!」

 

 いわゆるスリップストリーム……前を進む選手を風防として利用し、スタミナ消費を抑えることは特に長距離陸上競技ではみられるし、ウマ娘レースの戦術の一つにも数えられる。このままでは、相手に脚を温存されたまま後半まではいられてしまう。

 

「クッ……」

 

 カフェは、さらにスピードを上げる。3000m級長距離レースとしては例がないハイペースの展開。2000mを越え、2500m地点で……一ノ谷が仕掛けた。

 

「うおおおおおおおッ!!!」

 

 外差し。と言ってもたった二人だけのレースだ。そこまで側面に膨れ上がらずにスパートをかけてレースを決めにかかる。

 

「俺は……『ウマ娘』でも『人間』でもない存在だッ! だがそれでいい……ッ! 『勝利』のためならば、俺は『悪魔』とでも取引をするぞッ!!!」

 

 一ノ谷は、ある意味では走ることに悪魔的に取りつかれていたのかもしれない。ウマ娘に勝つために、ウマ娘になろうとし、それが叶わないなら忘れ去られた人間の技術も取り入れ、ただ勝つために執着する……。

 

 一瞬。ほんの一瞬であるが。一ノ谷の身体がアタマ一つ分だけ、カフェより前に出た。残り200m。

 

「俺は『何物でもない』ッ……『一ノ谷勝』だぞーーーーッ!!!」

 

――ブチン。

 

 鈍い音がした。同時、一ノ谷の面前に『地面』が『壁』のように立ちはだかり……

 

――グシャアアァアアッ!!!

 

「一ノ谷さんッ!!!?」

 

 激しく転倒する一ノ谷。カフェは、それを見て競争を中止し、彼に駆け寄る。一ノ谷の走法は……本来であれば完全に衝撃を推進力とすることで膝や足裏へのダメージをゼロ化。高速で駆けるだけでなく、その衝撃ダメージすら無とする夢の走法であったが……そんなものが現代まで残っていないのは、単純に『サンドマン』以外に会得できるモノがいなかったからに尽きる。

 

 身長の割に長い足、筋肉のつき方、身の動かし方……長い日常生活そのものがトレーニングだった『サンドマン』が自然にその走法を習得したのに対して、一ノ谷は映像を見て不完全にそれをまねてしまったのだ。当然、近いところまでは行けても完全に同じ走法を会得するのは不可能だった。劣化コピーであるそれは、膝や健へのダメージを完全に殺しきれず……限界を迎えてしまったのだ。

 

「……足の健が切れている……一ノ谷さん、大丈夫ですかッ!? 意識はありますかッ!!! 一ノ谷さんッ! 返事をしてッ!!!」

 

 カフェは、一ノ谷を咄嗟に救護姿勢で寝かせ足を動かさないようにしつつ、心拍を見る。心臓は動いている。呼吸もしている。生きているッ……!

 

「う、あああ……」

 

 呻く一ノ谷。顔面から高速で地面にたたきつけられたことから、まだ安心はできないが……とにかくカフェはすぐさまスマートフォンで救急車を呼んだ。結局、一ノ谷は脳震盪を起こし、膝の健、靭帯の完全裂断と前歯の数本の欠損。鼻、左肩の骨を折ったが、命に別状はなかった。

 

「で……カフェさんは無事この理科室に戻ってきた、と」

 

「……そういうこと、です」

 

「全くはた迷惑な人物もいたものだねェ……私の『おともだち』に危害を加えようとするなんて」

 

 事件の一部始終をカフェから聞き終えた露伴とタキオン。露伴は興味深いな、とメモを取り、タキオンはその一ノ谷と言う人物に対して憤慨した。

 

「……いえ、危害を加えようとしたわけでは。それに……」

 

「まだ気にしているのかい? カフェ。その一ノ谷とかいう男がもう走れるようになる見込みがないってこと」

 

 タキオンがそういうと、カフェは黙りこくって一口だけコーヒーを飲んだ。そう。一ノ谷の左足は完全に使い物にならなくなり、右足のダメージも重篤。今後車いす生活。リハビリで歩けるぐらいにはなるかもしれないが、二度と走ることはできないというのが医者の見立てだそうだ。

 

「その男が勝手に君に入れ込んで、勝手に無理して、勝手に壊れた、という事にしか思えない。言っちゃあ悪いが自業自得で、君が気に病むことじゃあないと思うんだが」

 

「……そう、かもしれませんが」

 

 しかし結果はどうあれ、一ノ谷を止められなかったのは自分の責任でもあるのではないか? レースに夢中になっていなければ、一ノ谷の故障を止められたのではないか? カフェはそう考えてしまって、このところ明らかに意気消沈していた。目の前でまざまざと『故障』の光景を見せつけられたという事もあるだろうが。

 

「カフェさん……その男は『走る』という行為そのものに魅入られてしまったんだ……僕も昔似たようなものに目をつけられたからわかる。その男は君に勝っていたところでもっと『走り』にのめり込んでいた。おそらくは……ろくなことにはならなかっただろう。人の心は時に『怪異』より恐ろしい……」

 

「………………」

 

「むしろ話を聞いている限りその男は『人間の限界』を越えて……『ウマ娘』でもない『なにか』の領域に踏み込んでいた節がある。彼が何になろうとしていたのか? わからないが……今の彼は、すくなくとも『人間』の領域で踏みとどまった……それでいいじゃあないか。高い勉強料だったようだがね……」

 

こうして、カフェさんの身に突如降りかかった災難は終息した。このエピソードは、カフェさんの意向によって漫画にはしない。とある一人の『人間』が怪我をしただけの話で、これは面白がったりするものではない、と言うのが彼女の意志だったからだ。

 

だからこれを語るのは、今聞いている一部の読者……つまり君だけってわけだ。君もこの話を面白がって出版したりとか他の出版社に持ち込んだりするなよな。この岸辺露伴が口の軽いやろーだとは思われたくはないからだ。じゃあ、そういうことで頼んだよ。

 

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