マンハッタンカフェは動じない   作:むうん

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#015『30分だけのシンデレラ』

 4月初旬。桜並木に彩られた杜王町の丘陵地帯を駆け抜けていく黒い影があった。

 

「ふっ……ふっ……ふっ……!」

 

 彼女の名はライスシャワー。トレセン学園高等部所属のG1ウマ娘だ。勝ちレースは名誉あるクラシック級最後の冠『菊花賞』。

 

「ライスさん、さらにスピードアップできますか!? これではあの『メジロマックイーン』さんには勝てませんよ!」

 

「うああああーっ!!!!」

 

 自転車に乗ってライスシャワーを追走するのは、『皐月賞』そして『日本ダービー』を獲った二冠ウマ娘であるミホノブルボンだ。なぜ彼女たちがここにいるのか? それは、もはや間近に迫った『春の天皇賞』に出走するライスの最終追い込みのためである。本来であれば夏期の林間学校として利用されるこの杜王町の施設を特別に申請して、みっちりと特別訓練を行う。ブルボンは現在、怪我からのリハビリ中であり、ライスとの縁もあって特別合宿中のサポートとして名乗り出た格好だ。

 

「ぶはーっ……! はぁーっ! ハァーッ!!!!」

 

 ダッシュで坂を上り切り、肩で息をしながら全身から煙が立ち上るほどの汗を垂らすライス。ブルボンはストップウォッチを止めタイムを確認する。

 

「ライスさん、目標値よりまだ0.5秒ほどの遅延があります。ただ、タイム自体は徐々に上がっていますからこの調子で……」

 

「ブルボンさん、こんなのじゃだめ。もう一本……」

 

 ライスはブルボンの言葉をいつもとは違う、強い言葉で遮って再び歩を進め始める。彼女は……最初、『春の天皇賞』に出るのを渋っていた。ライスがブルボンの『無敗の三冠』を阻止したとき……ブルボンは、初めて悔しいという感情を覚えた。だが、それは伝え聞くようなドロドロとしたものではなく、ただ体の中から湧き上がる純粋で、透明なエネルギーのようで、自分を破ったライスシャワーと言うウマ娘に対する尊敬の念さえ感じたものだが……

 

 あの時のレース場の雰囲気は今でも覚えている。困惑。不満。騒然。半ばブーイングのような雰囲気……世間はあまりにも『無敗の三冠バ』誕生を期待しすぎていた。そしてそれを阻止したライスは……一部では『悪役(ヒール)』のような扱いを受けたのだ。気が弱いところがあるライスはそれにショックを受け、一時は走ることをやめようとすらしていた。それに発破をかけて四の五の言わず、もう一度走れと言ったのは自分である。

 

 だから、ライスが春の天皇賞に出るといった時そのサポートを買って出たのだが……彼女が自分に課したトレーニングメニューは、トレーニング量に関してはそれなりに自信があったブルボンですら驚愕するほどの物だった。これくらいしないとマックイーンさんには勝てない……ライスの言はたしかであったが、これではレースを迎える前に体を壊しかねない……故に、ギリギリまでおいこみつつもライスを監視し事故が起こらないようにする……ブルボンにはそういう目的もあった。

 

「……わかりました、では合宿所に戻りつつもう一本行きましょう。その後はクールダウンしつつ座学で対戦相手の対策、および戦術を練ります。それから再び外回りで……」

 

「はい……!」

 

 ライスは再び、本番もかくやという猛烈な勢いで走り出す……しかしその小さな背には、焦燥と不安がのしかかっているようにも見えた。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 合宿所の部屋に戻ったライスは湧き上がってくる汗をタオルで拭い、スポーツドリンクで水分を補給して……それからほとんど倒れ込むように、なんとか合宿所の机につく。卓上には出場予定のライバルの経歴を事細かに分析した何十枚ものレポート。特に二連覇を成し遂げている前年度覇者……メジロマックイーンのものは何ページにも及んだ。

 

(去年の天皇賞のレース映像……もう一度見ておこう……)

 

 ライスがDVDをデッキに入れているころ、ブルボンはゴミ出しに出ていた。袋の中身はすべて、ライスが履きつぶしたトレーニングシューズと擦り減りへたってしまったトレーニング用蹄鉄である。この杜王町に合宿に来てから二週間ほど。それですでにシューズ6足、蹄鉄に至っては10個以上を交換している。

 

「すさまじいトレーニング量ですね……」

 

 だが、未だそれに見合う成果が出ていない。オーバーワーク気味でパフォーマンスが低下しているのか。それとも努力が足りていないのか? そんなことはない、努力で苦手は補えるはずだ……ブルボンはどうしたものか、トレーニング法を色々と考えながら宿舎へと戻った。

 

「………………」

 

 ライスはパイプ椅子に座ったまま、疲労のあまり寝息を立てていた。TVではリピート再生される去年のメジロマックイーンの天皇賞の映像。まさしく圧巻の走りというほかない。彼女はステイヤーとしてあまりに完成されすぎている。ライスも、ステイヤーとしての素質はある。あるからこそ菊花賞で自分を破ったのだから、勝ち目はあるはず……

 

「たとえそれが1%の可能性でも、私はあなたと共に天皇賞を目指しますよ、ライスさん」

 

 ミホノブルボンは、ライスの小さな体をゆっくりと抱きおこして布団まで運んでやりシーツを掛けると一人、『勝つ』ための作戦づくりを開始した。

 

 次の日。

 

「ブ、ブルボンさん……ほ、ホントに今日、練習しなくていいの? 昨日も途中で寝ちゃったし……」

 

 私服のライスとブルボンはその日、杜王町の駅前繁華街を二人で散策していた。

 

「はい。かなり大胆な策ではありますが、今のライスさんには休息が必要と判断しました。オーバーワークは織り込み済みでしたが、トレーニングパフォーマンスの低下が著しいです。今日一日はリフレッシュにあて、明日から再び追い込んでいきます」

 

「そ、そうなんだね。じゃあ今日は……ら、ライスもゆっくり休むよ……!」

 

 そういうライスの表情には、やはり焦りの色が見えたがライスはブルボンの事をかなり信頼していて、ブルボンの考えなら、と逆に若干ぎくしゃくとした笑みを浮かべて。どんなお店があるのかなあ、などと呟き。杜王町に来て以来、ひたすらトレーニングで自分の身体を追い込んではシャワーを浴びて最低限の食事をとり、倒れ込むように早い時間から寝るという生活リズムだった彼女は、杜王町を観光すらしていないのだ。

 

「既に名所やお店はリサーチ済みです。事務所の管理人さんから『杜王町ガイド』をいただきましたので」

 

 ブルボンはパンフレットを広げ、まず近くにおいしいパティスリーがあるそうなので、行ってみましょう。と先導するようにライスシャワーの手を引く。

 

 まず最初に、二人が訪れたのは駅前広場にあるカフェ・ドゥ・マゴというカフェである。二人は、ちょうどオープンカフェテラスが空いていたのでそこに通され、春の温かい日差しと微かに漂ってくる桜の匂いを楽しんだ。

 

「お待たせしました。チョコレートパフェ、お二人分になります」

 

 それから少しして、供されたのはこのカフェの名物であるというチョコレートパフェである。チョコレートアイスにさらに苦みとコクがあるベルギー産チョコレートソースがかけられ、ワッフルコーンやピスタチオのクリームなどもトッピングされている。

 

「わあっ、おいしそうだね! ブルボンさん!」

 

「そうですね。とてもおいしそうです」

 

 ライスとブルボンはスプーンで一口、パフェを口に運ぶ。チョコレートアイスの甘味をベルギー産チョコソースの深い味が引き締め、甘すぎず苦すぎずのバランスをとっている。おいしい。ウマ娘と言ってもやはり年頃の女の子である二人は、このところ取るのを控えていたスイーツを久しぶりに摂取し、やる気を充填した。

 

「ちなみに、このチョコレートパフェはつきあっている恋人に人気があるそうですよ」

 

「うみゃう!」

 

 瞬間、がちん、とライスがスプーンを思いっきり噛み、顔を真っ赤にした。

 

「?」

 

 ブルボンはなぜ、ライスがそうなったのかはよくわからなかった。

 

 その後、ライスとブルボンはカメユーデパートに寄ってショッピングを楽しみ、恋人岬を観光、さらに靴のムカデ屋という小さな靴店でトレーニングシューズと蹄鉄の補充をした。

 

「まだまだ時間はあります。『六壁神社』という神社があるようですから、必勝祈願にでも……」

 

 と、ブルボンがライスに声を掛けたその時である。ライスは、とある店を見つめていた。

 

「『愛と出逢うメイクいたします』……『シンデレラ』……」

 

 ライスが見つめていたのは一軒のエステサロンであった。『CINDERELLA』という店名が掲げられた軒先にはライスが呟いた『愛と出逢うメイクいたします』の看板。

 

「ライスさん?」

 

「あ、ごめんなさい……ぼんやりしてて……」

 

 ライスは……素敵だな、と興味を持った。というよりは無意識に『愛』に飢えていたのかもしれない。みんなを『幸せ』にするライスシャワー。そんな自分になりたいとあこがれていた彼女は、与えるだけでなく、与えてもらいたいと。それとも、シンデレラに登場する魔法使いに『ダメな自分』を変えてもらう事をある意味では願ってしまっていたのか……

 

「い、行こ……! そうだね、次はちょっと疲れちゃったから図書館とかどうかな……!」

 

「『暗い美人より明るいブス』……フー……まさにあなた、『暗い美人』って言葉がぴったりね」

 

 ごまかすようにブルボンに話しかけたライスの声を遮るものがあった。いかにもこの店の店員と言う風の女医めいた施術用の服に身を包んだ女性だ。

 

「え、あ……ご、ごめんなさい……」

 

 ふいに自分に投げかけられた言葉に、臆したライスは思わず身じろぎして女性に謝った。

 

「あなた……『愛されたい』んでしょう。分かるわ。おはいりなさいな。本当に『自分を変えたい』のであれば……その看板は嘘偽りは書いていないから」

 

「…………!」

 

 女性は、フー、と息を吐いてCINDERELLAの扉をあけ放ち中に入っていく。

 

「……ライスさん、如何にも怪しいですが如何しますか? 私は対応行動、『無視』を推奨します」

 

 ブルボンは、ライスに対してそう言葉をかけたが……

 

「…………」

 

ライスは震えながら、その店の中に入っていった。

 

 

 

◆◆◆ マンハッタンカフェは動じない #015 『30分だけのシンデレラ』 ◆◆◆

 

 

「私の名前は辻彩……このエステサロンのオーナーでエステティシャン……フー……

 低血圧っぽい話し方するけど気にしないでね……」

 

 辻彩と名乗った女性は、二人は施術室へと通した。壁には無数のコンテスト優勝の賞状が飾られており、国内だけでなくパリ、ロンドン、LA、ニューヨーク、ミラノとそうそうたる受賞歴と言ってもいいものだ。だが、ミホノブルボンが気になったのは施術のメニュー表である。

 

「愛と出逢うメイク……1000円、愛を捉えるメイク……1500円、プロポーズさせるメイク……2000円……」

 

 そういった、眉唾物の怪しげなメニューしかなく中には芸能人と結婚するメイク(7000円)というものまである。ちょっとズレているとか言われるブルボンでも、さすがにこれはおかしいと思い怪訝な顔でメニューを見ていると……

 

「エステと言うと美容マッサージを連想すると思うけれど……私のお店は違うのよ。たとえ絶世の美女でも幸せになれるとは限らない……世界三大美女と言われるクレオパトラも楊貴妃も最後は自死に追い込まれ……小野小町は老いゆく自分を嘆く詩をうたっているぐらいですものね」

 

 彩はそういいながら、ライスを施術椅子の上に座らせて。

 

「私はメイクで『幸福の顔』を作ってあげるエステティシャンなのよ……人には『人相』というものがある。『人相』は人の『運』と密接にかかわっていて……『愛される顔』になればおのずと『愛』が集まってくる。そういうものですわ」

 

 自信満々に言い放つ彩に対し、ブルボンは不信感を持った。

 

「あまりにも非科学的です。顔面の形を変えることで、対人コミュニケーションにおいて印象が変化することは否定しませんが……」

 

「みなさん、最初はそういって怪しがるのよね。でも次に『たった1000円、だめでもともと』そう言ってやってみるのよ。そして……好評ですのよ。それに……」

 

 そういって彩は施術椅子の上のライスを見る。ライスの表情は真剣だった。

 

「もし、本当に『変われる』なら……『ダメな自分』が変わるのなら……」

 

「ライスさん……」

 

 ライスは常日頃、かなり自己肯定感が低い印象を受ける。最近では以前よりやや減ったが、それでも自分といると不幸になると言って、落ち込んでしまう事も多い。

 

「メニューにはないけれど……そうね、あなたには『特別』なメニューを施してあげましょう。今のあなたは可愛らしい顔をしているけれど、これは『愛』が逃げていく顔をしているわ……」

 

「………………」

 

 ライスはその言葉を聞いて、震えながら息を吐いた。

 

「図星みたいね。初回だし……フー……お試しで1000円ということにしてあげましょう。もし、運勢が変わったと実感しなければお代はお返ししますわ~」

 

「わかりました、お願いします……」

 

 ライスは、意を決したように言い放って目を閉じる。

 

「ありがとう~。それではすぐ施術を開始するわね。ああ、それとそこのあなた。施術中は外の待合室で待っていてね~。この『技術』は誰にも見せちゃあいけない、『秘密』なのよ……」

 

「…………わかりました」

 

 ブルボンは釈然としなかったが、たしかに施術中にずっといるのも変ではある。一度、待合室に戻り……ライスの施術が終わるのを待った。だいたい、30分ほど経ったであろうか。施術室で驚くような声が聞こえ……それから、扉があいた。

 

 そこにいたのは……

 

「あ…………」

 

 思わず、ブルボンでさえ見とれてしまうような溌溂とした、それでいて儚げな笑顔の美少女。この世のものではないのではないかという妖しさすら纏ったライスの姿であった。

 

「ブルボンさんっ! 彩さんの……シンデレラのエステ、すごいよっ!!!!

 力があふれてくるような感じなんだ! あんなに疲れが残ってた体も軽いし……

 なにより……ライスは『無敵』になったの!!!!」

 

 いつもは引っ込み思案のライスが、そうまでいうほどのエステ。ブルボンはこれほどかわるものなのか、と驚きを隠せず、読んでいた雑誌を思わず取り落とした。

 

「そう……今のあなたは『無敵の運勢』を持っているのよ……すべてが叶う……世界はあなたのもの……行きなさいな。その祝福された顔で、変わった自分を実感してきなさい。ただ……」

 

 彩が、一つだけ呟く。

 

「このメイクは30分しか持たないの……それだけは許してね。フー……その分効果のほどは保証するから。今は16:30ちょうどだから……17:00までね……」

 

「はいっ! ブルボンさん! 行こっ!!!」

 

 笑顔のまま、駆けだしていくライス。

 

「ど、どこに行くのですっ!?」

 

「わからないっ!!! でも、ライス、すっごく走りたいんだ!!!」

 

 そう言って歩道に飛び出したライスは漆黒の矢のように駆けた。ブルボンはその後を必死に追ったが……追いつけない! 私服だからとか、リハビリ中であるとか、そういったものすべてを抜きにして……今のライスはとにかく『速い』のだ。無駄のない足運び、強い体幹から来る効率の良い体の動かし方、強化された心肺、そして……『無敵』のメンタル……すべてが噛み合っているッ! 絶好調の彼女はこれほどまでに速いのかッ! ブルボンはその才能に驚愕した。

 

「あれ……ウマ娘……ライスシャワーじゃあないです?」

 

「おい……本物だよ……ミホノブルボンの三冠を阻止した……」

 

 と、道端で井戸端会議をしていた小柄なヤンキーと大人しそうな高校ぐらいの青年の二人がライスに気づく。

 

「はいっ、そうです! 次は春の天皇賞に出るので、よろしければ応援お願いしますねっ!!!」

 

 ライスの耳にもそれは入ったようで、スピードを落としてヤンキーたちに頭を下げる。

 

「え、ああ……がんばってね……」

 

 そのまま、再びスピードを上げて走り去るライス。

 

「……あのこ、悪役(ヒール)だとか言われてたからてっきり態度とかも悪いのかと思ってたけど、礼儀正しくて可愛らしい子じゃん。応援してみようかな」

 

 

 小柄なヤンキーがそうつぶやくのを後を追いかけるブルボンは聞き取る。

 

(まさか……ただのメイクだけで、こんなに……?)

 

その後も、街を走っているうちに何人もの男女が可憐なライスの姿に振り向き、あんな可愛い子がいたんだなと噂するのをブルボンは聞いた。

 

「ハァ……ハァ……ライスさん、気は済みましたか……」

 

かろうじて公園でライスに追いつくブルボン。ライスが、ようやくそこで立ち止まったのだ。

 

「わああ……ガムふんじゃった……お気に入りの靴だったのに……」

 

 ライスの靴の裏には緑色のチューインガムがべったりとくっついており、これは洗わないと取れない。

 

「あ!」

 

 そういうブルボンも、ぐちゃり、という音が足裏から響く。二人してガムを踏んでしまった……

 

「ふええ……やっぱりライスと一緒にいると不幸になるよぉ……

 どうして? さっきまでライスは『無敵』だったのに……!」

 

 そう言って涙目になる、ライスの顔が一転に注がれる。そこには公園の時計があった。時刻は17:00ジャスト。メイクの効果が……魔法が解ける時間だ。

 

「どうして……30分だけなのーーーーッ!?」

 

 ライスの悲鳴が公園に響いた。

 

 次の日、ライスは朝一番で『CINDERELLA』へと向かった。開店前で、偶然外で花に水をやっていた彩を見つけたライスシャワーは開口一番叫ぶ。

 

「彩さんッ! ライスに、ライスに昨日のメイクを……いいえッ! 昨日のメイクの長続きするものをしてくださいッ! お願いしますッ!!!」

 

「フー……何もこんな朝も早くから来なくてもいいんじゃあない……?

 まだ開店前よ……それに少し落ち着きなさいな……」

 

 彩は眠そうに息を吐きながら、また来なさいといってライスのもとから去ろうとする。

 

「いいえ、ライスは……ライスは昔から『変わりたい』と、思っていました……!

 自分を『変えてくれるメイク』ついに……やっと! 出逢ったんですッ!!!

 お金はいくらでも払います! だからお願いします……!」

 

「ちょ、ちょっと……あなた……やめてくださる……!?」

 

 しかし、ライスはその脚に縋りつくようにして彩に懇願する。それほど、ライスシャワーにとっては切実な願いだった。嫌いで嫌いで仕方がなかった、『ダメな自分』を変えるチャンス……それが訪れたのだから。

 

「ライスさん」

 

 と、背後から冷静な声が響く。

 

「ブルボンさん……?」

 

 そこに居たのは、ブルボンだった。無理もない、今は本来ならトレーニングに出ている時間のはずだ。自分を連れ戻しに来たのだろう。ライスは罪悪感を感じたが、それでもこの自分が変わるチャンスは逃せなかった。それに、『無敵』になればマックイーンさんにも勝てる……そう思えてしまったから。

 

「ライスさん、トレーニングに戻りましょう。今日は砂浜ダッシュからはじめます」

 

「ブルボンさん、ごめんなさい……で、でも、シンデレラのメイクは凄いんだよ。

 きっと、ブルボンさんもやってみれば、分かるよ。このメイクで私は『無敵』に――」

 

「ライスさん!」

 

 ライスの必死な声を、ブルボンの声が阻んだ。

 

「……どうしてしまったんですか、ライスさん! あなたは! そんな『メイク』に頼るような人ではないでしょう!? 今まで、体を削るようなトレーニングをしてきたのは何なんですか!!! それは勝つためです!!! マックイーンさんから、春の天皇賞を勝ち取るためだったのではないんですか!!!!」

 

 ライスはハッと息をのんだ。ブルボンは……泣いていた。

 

「……私の『三冠』を阻んだ『強いライスシャワー』は……努力をやめてしまうようなウマ娘ではない……どこへ行ってしまったんですか! ライスさん! 私の『英雄(ヒーロー)』は!!!」

 

「あ…………」

 

 ライスは雷に打たれたような衝撃を受けた。あのブルボンさんが、泣いている。私の事を、こんなにも思って、泣いている。そうまでさせたのは、自分だ。ダメだ。こんな『弱い自分』は――

 

 ライスはごめんなさい、といって彩の足を離し、立ち上がり、泣きじゃくるブルボンを掻き抱いた。

 

「ごめんなさい……ブルボンさん……ライスは……ライスは、自分の事を信じてくれている人がいることを、忘れていました。心の中の『弱い自分』にいつの間にか負けそうになっていました。ライスは……勝ちます。マックイーンさんにも、そんな『弱い自分』にも」

 

 そう言って、ライスは彩の方を向いて、お辞儀をして

 

「すいません……やっぱりライスに『メイク』はいりません。朝からお騒がせしました」

 

「そうね、今のあなたに私の『魔法』は必要なさそう……」

 

 彩はライスの顔を見て、そう言った。

 

「メイクなんかしなくても、今のあなたは強い女の顔をしているもの……

 ああ、これはエステティシャンとしてではなく女としての経験ね。さあ、もう行きなさい。

 お友達を泣き止ませてあげて。女の子はやっぱり笑顔が一番よ」

 

「ありがとう、ございます……」

 

ライスシャワーは、未だ嗚咽を漏らすブルボンにごめんね、ごめんね、と声を掛けながら去っていく。その後姿を見ながら彩はつぶやいた。

 

「あの子は『勝つ』わ……」

 

←To Be Continued?

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