F県D市山城町。小倉競バ場から少し離れたこの町は鎌倉時代よりかつては朝鮮半島あるいは大陸に対する外交・防衛の拠点が置かれており、旧所名跡も多いことから毎年1000万人以上の観光客が訪れる。
「しかし昨日の水炊きはおいしかったねェ……だがシメの麺……あれがきいたな」
「たしかに……どすんとおなかに来ましたね。トレセン学園に戻ったら少し絞らないと」
などといいつつ、マンゴー味の餡がはいったもなかを齧りつつ坂道を登っていくのはマンハッタンカフェとアグネスタキオン。今回は後輩の応援で小倉競馬場を訪れたついでに、この町を訪れたのだが……
「まったくウマ娘の食欲というのはすさまじいな……
あのあと、中洲でラーメンまで食べてまだ食べられるのか……」
それを先導するのは今回、この町に来たいと熱望した岸辺露伴である。なんでも、以前から九州で取材したかった事があるとかで、2人にくっついてきた形だ。
「露伴先生、『
「たしかに、最寄の駅からえらく歩くね……先方との約束の時間は大丈夫かい?」
「このあたりのはずだが……と、見つけた。こっちだ。『燕子花神社』まで50Mとある」
『燕子花神社』――山城町に存在する小さな小さなこの神社は、全国的には知名度は全くないが勝負ごとの神様が祀られており……菖蒲などの仲間である燕子花の名前がついていることから、特にご利益があるという事で地元のスポーツや武道などを行う子供たちが勝利祈願・健康祈願に訪れたりするらしい。
露伴たちは少し道に迷ったが、先方――燕子花神社の宮司を務める藤田氏と事前のアポイントメント通りの時間帯に会う事が出来た。件の神社は山際に沿うようにして建てられた本当に小さなもので、本殿と小さな土倉があるという風の造りだ。
「ああ、どうも! 私がこの神社の宮司として管理などをしております、藤田です。
露伴先生、よろしくお願いいたします!」
藤田氏は露伴を見るなり、頭を下げて挨拶する。いかにも誠実そうな中年の男で、神職というよりはサラリーマンの方が似合うようにも見えた。
「漫画家の岸辺露伴と申します。こちらは僕の仕事を手伝ってくれている、マンハッタンカフェさんとアグネスタキオン」
「どうも……マンハッタンカフェです」
「アグネスタキオンだ」
挨拶をする前から、藤田氏は嬉しそうだった。それもそのはず……
「いやあ、本当にマンハッタンカフェさんとアグネスタキオンさんに会えるなんて!
タキオンさんの皐月賞、本当にしびれましたよ。カフェさんの菊花賞もすごい走りで……」
藤田氏は興奮した様子で喋りながら、カフェとタキオンに握手を求める。なんでも燕子花神社は勝負事のご利益のおかげで、ごくたまに小倉からウマ娘が勝利祈願にやってくることがあり、そうしたこともあって幼少期からレースに夢中になったのだそうだ。最後には二人からサインまでもらい、大満足の藤田氏は家宝にします! とまで言ってくれたが、面白くないのは露伴である。自分の漫画が世界で一番面白い、と思っている露伴は藤田氏が握手やサインを求める間、少々ふてくされたように、勝手に神社内をスケッチしていた。
「ああッ! 私としたことがつい興奮してしまいました。申し訳ない……
ええと、今回ご連絡いただいた例の『手稿』をお見せしなければいけませんね。
社務所などはないので……申し訳ないのですが、近くにある私の自宅にお招きすることになります」
「露伴君、そう不貞腐れるものでもないよ……フフ……」
「フン、ふてくされてなどいないが?」
「はいはい、そこまでそこまで」
ニヤニヤとふてくされた露伴に声を掛けるタキオン。二人をたしなめつつ、カフェたちは藤田氏の自宅へと向かった。
「こちらになります……神社の土倉が古くなってね。近いうちに取り壊そうと思っていたんですが、整理している途中に隅から偶然出てきまして……」
そういって、藤田氏が手袋をはめて持ってきたのはかなり古い木箱である。痛みがひどいが辛うじて判別できる程度に文字?が残っており……『تحفة النظار في غرائب الأمصار وعجائب الأسفار』とある。全然読めない。
「これは……アラビア語? ですかね?」
「はい、大学の専門家の先生に解読してもらった所『都市の不思議と旅の驚異を見る者への贈り物』という意味になるそうで……イヴン・バットゥータという古代の探検家? の著書のタイトルだそうです。実際、中には同じくアラビア語で書かれた『手稿』と『ウマ娘』の尻尾の毛と思しき毛束が入れられていました」
興味津々、と言う風に見つめるカフェに藤田氏が解説しながら木箱をそっと開ける。中には、言葉通り同じくアラビア文字の記された本のページ数枚と、ウマ娘の尻尾のものと思われる毛をまとめた束が入っていた。
「イヴン・バットゥータ?」
「それについては僕から説明しようか」
カフェが首をかしげると、露伴が歴史的知識について補足をはじめる。やはりこういった文化系の事柄に関しては、漫画家だけあって露伴はかなり強い。
「イヴン・バットゥータは14世紀のモロッコ人の旅行者……冒険家ともいわれるね。だいたい、マルコ・ポーロよりほんの少し後ってくらいの時代だ。元々法学者の家の出で、裕福だったんだろうな。21歳の時にメッカ巡礼を志し……そのまま、アフリカやイスラム圏の各地、果ては東南アジア、元朝支配下の中国東部にまで至る大旅行となり、30年近くをかけて故郷に戻ったとされている……例の都市の不思議と~というのはその間に見聞きした物事をまとめたいわゆる旅行記だな」
「さすが作家さんだけあって博識ですな……!」
藤田氏も、露伴の知識には舌を巻く。
「ですが、なぜそのイヴン・バットゥータさんの旅行記がここに?
この神社はそういうゆかりがあるんですか?」
「いえ……それがわからんのです。この『手稿』も『大学』で翻訳を試みているのですが、まだ全文は解読できていませんでね。しかも、どうも例の旅行記には記されていない記述があるそうなんです。もし、もしですよ。例のイヴン・バットゥータが『日本』……この神社まで来ていたとなれば……それは考古学上の大発見ですよ!」
興奮したように話す藤田氏。今回の露伴の取材の目的は、この謎の『手稿』だった。
◆◆◆ マンハッタンカフェは動じない #012 『700年の旅路』 ◆◆◆
「ふぅン……すごい話になってきたねェ」
「ですね……すごいです。太古の息吹と言うか……」
タキオンは少し、眉唾じゃあないか?という風な視線を例の『手稿』に向ける。だが、カフェはこういうのが割と好きなのか興味津々に目を輝かせながら読めもしないアラビア文字を熱心に眺めている。
「……ようやくデリーを離れることができると安堵した私を襲ったのは、山賊であった。一団からはぐれた私はムトラというウマ娘の少女と辛うじて一緒にいるだけであってその心細さと言えば書き記すにも言葉を持たない。彼女は、元々モザンビークの名家の出身であったが、その堅苦しさに嫌気を覚えて島を飛び出しこの前まで私と同じ、あのスルタンのもとに身を寄せていたのである」
と、ふいに露伴がすらすらとアラビア語の古典文章を読みだした。大学の学芸員さえ、翻訳に手こずっているそれをである。
「え!?」
「露伴君、君、アラビア語が読めるのかい?」
驚いた様子の一行をしり目に、露伴はフン、と鼻を鳴らして答える。
「ああ、読めるよ。『ヘブンズドアー』で僕自身にそう命令を書き込んでおいたからね。
『岸辺露伴』は『アラビア語』を読めるようになると……」
頭上にはてなマークを浮かべる藤田氏をしり目に、タキオンなどはそんなこともできるのか……と興味深げに露伴を見ていた。
「事前に、簡単にイヴン・バットゥータについての資料を作ってきていたんだが……」
そういって、露伴が自身のカバンから取り出したのは分厚いA4のコピー用紙の束だった。それらには様々なサイトや文献からコピーしたと思われる文章が書き連ねられており、無数の付箋や書き込みも入れられているそれを、どこだったかな……と呟きながらページをめくる。
「あったぞ、1347年、バットゥータは当時デリーのスルタンに6年仕えていたが……中国への使節団として送られることになったとある。山賊に襲われたという記述が実際例の旅行記にもこの時期に残っているが……『ムトラ』という人物は初出だな。もしや、この『尻尾の毛束』は『ムトラ』の?」
「じゃ、じゃあこれは……本当にイヴン・バットゥータの手稿?」
「さあな、分からない……とりあえず、読み進めてみよう」
興奮気味に喰いつく藤田氏に露伴はそう言って手稿を読み進めていく。
「ムトラは勝手な人物で、この機にこのまま南洋のパレンヴァンあたりにいかないかなどと私を誘った。その奔放さはまるで子供のようで、ことあるごとに私に対し食事や水を要求しては、駄々をこね私を困らせた。その後何とか私は使節団に合流できたが、もしこれが叶わなければ彼女との二人旅となっていたであろうことを考慮すると、ぞっとする心地がした」
「まるで誰かさんみたいだな……いて! 冗談だよ!」
「……続けたまえよ、露伴君」
露伴が口語翻訳を続けながら、不意にそう漏らすとタキオンは肘でかるく露伴の脇腹を小突く。
「この後、バットゥータはカリカット、そしてコッラムの港に赴き……そこから船路で中国を目指そうとしたらしいが……二隻の船団のうち一隻は嵐で沈み、もう一隻はバットゥータを置いて勝手に出港したと書いてあるな……どうなんだそれは……ええと、読んでみるぞ」
「ムトラのおかげで大変なことになった。彼女は出航直前で宿に家族の肖像が入ったペンダントを忘れたといって、いきなり飛び出した。私はまだ大人にもなっていないムトラを一人置いておけず……それに付き添ったが、港に戻った時にはすでに船は影も形もなかったのだ。おいていかれてしまった。しかし、私がいない事に気づけばすぐに戻ってくる……そう思っていたがその願いは無残にも叶わなかった。数日たっても、船は戻ってこない。おそらくは嵐にあったか、海賊に拿捕されるかしたのだろう。最悪だ。このままではあのスルタンにどう責任を取らされるかわからない……ムトラめ!」
どうやら、バットゥータはムトラと言うウマ娘にだいぶ振り回されていたようだ……
「……で、バットゥータはしばらくインド南部に滞在していたようだが中国への旅を再開し……いやまて、全然関係ないモルディヴに行ってるぞ……読もう」
「またムトラだ! 彼女は、償いに中国への船を用意したと私を言いくるめて、結局南国までやってきた。だが、モルディヴの生活は悪くはない。景色はこれ以上ない美観といってよく、この地の王族はイスラムの教えを民に敷こうとしているばかりで、法学者である私を重用してくれたからだ。ムトラなどはきてよかっただろう? とにやついて私に問いかけながら、日々海で遊んでは椰子の果肉やデーツを貪っている」
「へぇ……完全にバカンスじゃあないか。昔の人もやっぱりバカンスは南の島にいきたがるんだな」
タキオンもそういえば以前、ハワイ旅行券をあてたし暇ができたらいきたいねぇ、などとぼやいて。
「だが……どうやら平穏な生活も長くは続かなかったようだな。続きを読むぞ」
「穏やかな生活が続くと思われたが、私の厳格なイスラム法の施工に島の人たちは反発し始めた。どうやら彼らの自由な気風は私の生真面目すぎると言われる性格ともあっていないらしい。だが、もっと悪いのはムトラだ。彼女は、このところ咳き込み、よく伏せるようになった。本人は大丈夫だというが明らかに顔色が悪く、彼女の無法な性格を知っていた私はその落差にこちらも風邪をひいてしまいそうだった。そろそろ、中国への旅を再開しなければならないがその前に、チッタゴンに寄り、彼女の病状について現地のシャーに導きを求めることにしよう。そうすればきっとよくなるはずだ」
シャーとは元はペルシア語で『王』を表す言葉だが、この時代では『宗教的指導者』や『聖人』……『貴族』という意味でも使われるようになっていたみたいだな、と露伴が資料を見てから解説を入れ翻訳を続ける。
「シャーの言葉は、私を打ちのめすに十分だった。彼女は、頭の中に悪いできものがあり、もう長くは生きられないというのだ。シャーはヨーグルトに香草を混ぜたものを彼女に飲ませ、これで少しは落ち着くといった。実際、数日後には彼女はいつもの破天荒な様子を取り戻していたが……今になって気づいた。彼女は無理に破天荒に振舞っていたのだ。その若い命が燃え尽きる前に、この世のすべての楽しみを知っておくために。彼女は言った。私は、世界の果てが見たくて、あの小さな島を飛び出したのだと。ムトラよ。ならば世界の果てを見よう。東の果てには黄金の国があると私と同じく西方から来た商人が話していたのを聞いたことがある。きっとそこは仏僧がいう極楽の光景が広がっているに違いないから」
それから……少しだけ、『手稿』に記されていた時間軸は未来へ飛んだ。どうやら露伴の資料によるとこの次にバットゥータは現スマトラのサムドラ・パサイを訪れたようだが、その間の記録は散逸したのか、あるいはもともとなかったのか記述がなく、いよいよ中国へと向かったようだ。
「……ついに中国へと入った。ザイトゥーンの街ではその名とは反してオリーヴを見つけることはできなかったが、似顔絵師やプラム、スイカ、そして大きな鶏を見つけることができ、これらをムトラに食べさせた。だが病状は良くない、最近のムトラはもはや立って歩くことができず、食べ物も大半を吐き戻すようになった。時間がない……彼女には時間がない。現地に住み着いたイスラム商人は高度な病院を持っており、そこにムトラを預けることも考えたが……ムトラはそれを拒否し、笑った。そして、何を思ったか、カミソリで自分の奇麗な尾を切り落としたのである。ウマ娘にとって尾とは重要で不用意に触られることを嫌がるという。なぜ? 私はムトラに問うた。すると彼女はこう答えた。もし、私が死んだらこれを私の代わりに世界の果てに運んでほしいと。ムトラ。そんなことを言うな。我々はここまでやってきたじゃないか。中国にはゴグマゴグの侵攻を防ぐ大城壁すら存在するのだ。世界の果てはある。一緒に世界の果てを見よう」
皆が、露伴の訳する物語に聞き入った。最初は興味がなさそうなタキオンなども、早く早くという風にバットゥータとムトラの旅路の続きを聞きたがっている。
「……手稿はあと一枚だ。だが、そこには……メッセージめいたものがあるだけだぞ」
「「「えーっ!!!?」」」
カフェとタキオン、そして藤田氏はそんなあ!続きは?という風に露伴を見るが、そんな風に見られてもな……と露伴は頭を掻いた。
「……そのメッセージを読むぞ」
「私とムトラの旅路の最後は彼女の希望により、二人だけの秘密とさせてもらいたい。だが……もし、心あるものがこの書を読んだなら。願いがある。無理にとは言わないが、彼女の尻尾の毛の一部を彼女の故郷の島にもどしてやってほしいのだ。私も試みるつもりだが、運よくそこまでたどり着けるか、わからないから。彼女は世界の果てを見たがったが、時折寂しそうな表情をすることがあった。それは長い事旅をつづけた私にはわかる。望郷の念だ。彼女は心の奥底では、故郷の両親を懐かしみ、寂しがっていたのであろうから」
「ふぅン……」
「そうですか……」
タキオンとカフェは、続きが聞けずがっくりと言う風に肩を落とす。だが。
「……しかし、この『尻尾の毛』を見るにバットゥータは『日本』に来たんだろうな。
確証こそないが、状況証拠としては……どうします、藤田さん。これはたしかに考古学上の大発見かもしれません」
露伴はあくまで持ち主の藤田氏に問いかける。藤田氏は少しだけ考え込んでから……
「……露伴さん、申し訳ないのですがここはバットゥータさんとムトラさん……の……故人の遺志を尊重したい。本人たちが『黙っておいてくれ』と言うのなら、これを世に広めることはやめましょう。バットゥータさんもそういう考えがあって、例の旅行記からムトラさんの記述を抜いているのでしょうし」
「そうですね……このことは、私たちの心にしまっておいた方がよさそうです」
「そういうものかねぇ……私は発表すべきだと思うが……」
タキオンを除き、その場にいる全員がこのことは心に秘めておこう……と決心する。タキオンも無粋な真似はしないタイプだ。勝手に言いふらしもしないだろう。
「毛の一部については、モザンビーク大使館に相談して送り返せないか提案してみます。
本日は、本当にありがとうございました。露伴さん……」
こうして、取材は終了し古代の隠された、小さな旅行記についての記憶は3人と藤田氏の心の中だけに秘められた……
「そういや、バットゥータさんはムトラさんの故郷に自分で尻尾の毛を返そうとはしなかったのでしょうか? いちおう、やりたい感じは文章の中で述べられてましたけど……」
カフェが、ふと思い出したようにつぶやく。すると露伴が再び例の分厚い資料を取り出して、確認した。
「中国まで旅した後、1349年にバットゥータは故郷のモロッコ・タンジェまで戻っている。
だが、その時の情勢などもあって、彼はすぐにタンジェを出ているようだな。で、1351年に……本格的にアフリカ東海岸の旅を開始した。残っている記録ではモザンビークのすぐ北のタンザニアあたりまでは行ったみたいだな」
「じゃあ、もしかしたら記録に残していないだけで、モザンビークに行ってるかもしれませんね!」
カフェが嬉しそうにつぶやく。
「ああ、それともう一つ。モザンビークには『キマウ』という伝統衣装がある。
主にお祭りのときに着る衣装なんだが……それは日本の『着物』にとても似ているんだ。
もしかしたら、本当にもしかしたらだが……日本に行ったバットゥータが、日本の着物を彼女の
故郷であるモザンビークに伝えた……なんて……それは少し考えすぎかな」
「夢のある話ではあるね。世界の果て、果たしてムトラさんは見えたのか……」
露伴の話をきき、タキオンがふぅン……と置いてから呟く。
「さあね、案外、バットゥータやムトラが700年前にみたのと同じような景色を、今僕らが見ているかもしれないな……」
歴史の中の小さな冒険のおはなしの余韻に浸る露伴たちからはそういって坂の上から、D市の全域を見渡した。
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