1月。シャルル・ド・ゴール国際空港。
フランスと諸外国を結ぶ同国最大の空港であり、花の都と謳われるパリへの空の玄関口。
そのターミナルビルは有名高級ホテルに直接つながっており、そのままチェックインができることはもとより、鉄道を通じてパリ市内に直接アクセスできるほかフランス国鉄TGV、国際鉄道として有名なユーロスターなどを利用し、ベルギーやオランダ、さらにはドーバー海峡の下を通るユーロトンネルを利用してイギリス・ロンドンまでも足を延ばすことができる。
「ふぅン……なんというか。パリというのは思ったより田舎っぽいんだな……エッフェル塔はどこにあるんだい? きみは何回か海外取材をして、フランスにも来たことがあるんだろ?」
Aérogare2。丸いサングラスを頭にかけ、冬にしてはややラフな格好でコンコースの窓から外を眺めているのは、通称『超光速のプリンセス』の異名を持つウマ娘――アグネスタキオンだ。大き目のキャリーケースを片手に引き、もう片手には売店で購入したオーガニック栽培だとかのフルーツジュースを持ち、ストローでそれを飲んでいる。
「……シャルル・ド・ゴール国際空港は、パリ=シャルル・ド・ゴール空港とも言うんだが……実際はパリではなく、その北東。正確に言うとロワシー=アン=フランスというコミューンに位置する。ついでに言うと、コミューンというのは日本でいう市町村みたいなものだな。フランスでは最小の自治体単位がコミューンというワケなんだが……ロワシー自体は規模的には小さな農村に過ぎない。巨大な国際空港が存在するのに、発展せずにむしろ騒音問題で都市計画が中断になったりしたというからなんともいびつと言わざるを得ないな」
「到着早々、なんかヤな情報だな……もうちょっとこう、ないのかい? 私はカフェのためにわざわざフランスまでついてきたんだから」
「いつも言っているが、別についてこなくても良かったんだがね……その様子を見る限り、そういいつつも観光が目的なんじゃあないか?」
「なんだと~!」
そのアグネスタキオンとさっそくやいのやいのとやり合っているのは、漫画家の岸辺露伴である。露伴にとっては二度目のパリであり……今回の取材目的はパリ・ロンシャン競バ場。欧州ウマ娘の最高峰を決する場というだけにとどまらず、世界各国のウマ娘があこがれ、レースの格付レーティングをする組織のそれにおいても『世界最高峰』とされる……『凱旋門賞』の舞台となる場所だ。
◆◆◆ マンハッタンカフェは動じない #034 『岸辺露伴、凱旋門に行く』 ◆◆◆
「カフェ、体調はどうだい? 14時間半のフライトは疲れたろう。まだ疲れがあるなら、今日はホテルで休んでいてもいい……日程には余裕があるんだから」
「いえ、もう大丈夫です。熱も引きましたから……それよりも、早く凱旋門賞の舞台をこの目で見てみたいですね」
翌日。パリ市内へとタクシーで向かいながら、タキオンは自身の親友と言ってはばからない同期のウマ娘、マンハッタンカフェを気遣って声をかけていた。彼女は、元々、体が強いほうではないのだが、特に長距離移動が苦手であり、トレセン学園から離れたレース場に移動するだけでもげっそりとやせてしまうことがあった。今回は海外、しかもロンシャン競バ場に行くとあって、彼女のトレーナーもギリギリまで日程を調整したのだが、他にも担当ウマ娘を抱える関係上、どうしても予定がつかず……親しいうえに、彼女の体質も良く知っているタキオンが(ある意味ではいつも通り)世話役を買って出た形である。そして、やはりカフェは朝早くからの長時間のフライトで、パリに着くなり軽く熱を出してしまっていたのだ。とはいえ、そうした体質を懸念していたタキオンによって到着後すぐにホテルで休むように手はずを整えられていたため、翌日には回復しこうやってパリ市内へと向かっている。
「熱が引いたのは本当によかった。カフェさんは僕がロンシャン競バ場での調査を取材をすると言った当初から、楽しみにしていたようだったからね」
「ええ、もう待ちきれません」
「………………」
今回、露伴はSPW財団パリ支部の発掘調査の取材をするため、パリを訪れた。多少は他の場所も取材するが、メインの取材対象はロンシャン競バ場の敷地内にあるロンシャン王立修道院跡の発掘調査である。よく、露伴の取材を手伝っているカフェだが、今回のパリ行きについては、まさしく『熱望』というほかなかった。既にドリームトロフィーリーグにあがっているカフェやタキオンは、ウマ娘のキャリアにおいて重要とされる最初の3年間ほどはレースのローテーションが詰まっておらず、ある程度融通が利くとはいえ、事前にトレーナーに何度も確認するほどの熱の入れよう。ロンシャン競バ場最大の祭典である『凱旋門賞』は10月であり、冬季にはレースが行われないこともあってその間に調査は行われるのだが、それでも、といって彼女はきかなかった。
「それにしても、ロンシャン競バ場は修道院の跡地に立っているんですね……?」
「ああ、元々はイザベル・ド・フランス。聖イザベルとも呼ばれるカペー朝フランス王家の女性が建設した修道院で、その兄は時のフランス国王ルイ9世。いわゆる『聖王』ルイと言われる人物だ。まあ、彼に対する評価はいろいろあるんだが、そんな異名を持つくらいだからご多分に漏れず、高潔で清廉、そして敬虔なカトリック教徒だったんだ。実際、ルイ9世はこの修道院に対して建築資金の援助もしている」
露伴は、どこか熱に浮かされたようなカフェの質問に、メモすら見ずに答える。取材用メモ帳には、海外文献まで取り寄せて事前調査したルイ9世やその関連人物、事象などの覚え書きがびっしり書き込まれておりタキオンなどはそこまでやったなら別に取材に行かなくてもいいんじゃあないか? と思ったものだが。
「で……ルイ9世は『聖遺物』の熱心な収集家でね。イエス・キリストが磔刑にされたという『聖十字架』の欠片やその手を打ち付けたという『聖釘』。聖人の血や墓石、あげく『ロンギヌスの槍』の穂先や、『茨の冠』などを高値で買い取ったんだ。それらを保管するためにパリ中心部、シテ島にサント・シャペルという礼拝堂兼聖遺物の保管施設を作っているほどだ」
聖遺物とはカトリックにおいて、イエス・キリスト、聖母マリアといった聖人にかかわる由来のある物品、あるいは『聖人の遺体』そのものであり、古来より信仰の対象となってきたものだ。
「ふぅン、つまりだ。だいたい分かった。その聖遺物がじつはロンシャン修道院に隠されていて……とかそういう話だろう? この話の流れは」
と、タキオンが露伴の話を遮った。露伴は少し不機嫌そうにタキオンを見たが、勝ち誇ったような表情をみてやれやれとため息をつき。
「……まぁ、そういうことだな。ロンシャン王立修道院は理由については諸説あるので詳しくは解説しないが、フランス革命期に一時盛り上がった非キリスト教化運動のあおりを受け、破壊されてしまって現存する遺構は風車ぐらいなんだがね。しかしここで、『フランソワ修道士』という人物が出てくる。ソルボンヌ地区の語源でもあるロベール・ド・ソルボン司祭の影響を受けて修道士・神学者の道に入ったという男で、ソルボンヌ大学の資料室に保管されていた写本の中から偶然、この男の書いた手稿が2年前に発見されたんだ。手稿には、フランス革命で失われたと思われていた聖遺物に関する記述があり、慎重に検証と解読がなされたワケだが……」
ソルボンヌ大学は歴史をさかのぼれば12世紀にその起源がある、まさしく由緒正しい大学であり、全く別の調査が行われていた最中に、関係のない写本の中に破れたページが挟まっていたのが見つかったのだとか。露伴の言う通り、真贋含め慎重に検証されたそれは、信ぴょう性が非常に高いと判断された。カフェとタキオンは、露伴の話に聞き入り、キモの部分であろう続きを神妙に待つ。
「『エルサレムの槍を、ルイの妹の修道院へ。隠さなければならない。パリは破壊に満ちている』。記述はそれだけだが、エルサレムの槍と言えば……」
「先ほど露伴先生がおっしゃっていた、ロンギヌスの槍?」
「その通り。今となっちゃゲームなんかでも槍の名前として使いまわされてるが、磔刑に処されたイエス・キリストのわき腹を突いたとされる槍のことだ。ロンギヌスというのはその突き手の名だがこの名前については後世の創作ではないかと言われている。で、ロンギヌスの槍である、とされるものは何個か存在するが、ルイ9世が買い取ったのは東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル、アヤソフィア大聖堂にあったとされるものだ。この穂先はそれ以降、パリで保存されていたがフランス革命期に所在不明となったとされていた。もしそれが、フランソワ修道士の手によって、ロンシャン王立修道院に避難させられていたとすれば……」
「なるほど、もしかしたらロンギヌスの槍の穂先が埋まっているかもしれない……ってわけかい?」
「そういうことだ。手稿の信ぴょう性が高いとはいえ、まぁ穂先が丸々でてくるなんてのは望み薄だろうけどな。漫画のネタとしては面白い。幸い、SPW財団にはツテがあるからね。今回の話に至るってワケさ」
露伴は、ニヤリと笑みを浮かべる。SPW財団はイギリス出身の大富豪ロバート・E・O・スピードワゴンが単身で作り上げた石油掘削企業が母体となって運営している医療や科学を研究する慈善財団であり、その中には、美術品や歴史的遺物の研究・保護も含まれているのだ。今回の発掘作業は、前述の通りそのパリ支部が大学からの委託を受けて当たっているとか。
「まァ、面白そうな題材ではあることは確かだ。月並みな表現だが、歴史ロマンというやつで……本当にロンギヌスの槍が発掘されたなら、考古学上の大発見。文化・宗教的な意味も大きいだろう。案外、私たちが適当に穴を掘ったら偶然見つかったりしてね」
タキオンは冗談めかして言う。露伴はそれに対して苦笑するように鼻を鳴らした。
「もし見つかったなら、試しに世界でも征服してみるか? これは完全なオカルトなんだが、『ロンギヌスの槍を手に入れた者は世界を制する力を手に入れる』という話があり……実際にオカルティズムなどにも傾倒していたと言われるナチス・ドイツはこの『東ローマ帝国のロンギヌスの槍』とはまた別に本物であると主張する『神聖ローマ帝国のロンギヌスの槍』をウィーンのホーフブルク宮からニュルンベルクに移しているという史実がある」
「結果を見る限り、その槍が偽物だったか。あるいは世界を制する力を手に入れるというのがそもそもヨタだったか……そういうことだね」
話をしているうちに、タクシーはロンシャン競バ場前へと到着する。パリ16区、テニス場や遊園地までもを内包する大型自然公園であるブローニュの森の中にあるこの競バ場は世界一美しいとレース場と言われ、数年前に改装がなされたばかりだ。シンボルとされる鉄格子正門やフランス史上最高の国民的ウマ娘とされるグラディアトゥールの銅像などもあり、一行はそれを見学する。
「………………」
露伴はしきりにスケッチを取っていたが、カフェは熱に浮かされたようにロンシャン競バ場をただ見つめている。そして、それをなんとも言えない表情で見つめるタキオン。
(……やはり、何かしらの『方向性』があるのか? カフェ……いや、我々には)
正直言って、タキオンはカフェをこのロンシャン競バ場に連れてくることは反対だった。露伴にはいつもの『カフェに何をするかわからない』という主張だと思われているようだったし、彼は知らないことなので黙っていたが。カフェは……時折、自分の意思とは反するというよりは、何かしらに導かれるような行動をとろうとすることがある。それは彼女についている『おともだち』が導いているのか……とも思っていたが、なにか、それだけでは説明がつかないものを感じるのだ。我ながら理屈に合わないとは思う。しかしながら、最初の三年間で、例えば特定のレースに異様に執着することが何度もあった。特に『凱旋門賞』参戦はその最たるもので、実際にフランス行きを決め、空港まで行ったのだ。直前に彼女のトレーナーが断念を決断し、彼女に提案した際にはトレーナー契約を解除してでも彼女は行こうとした。
……もし、あの時無理を押してフランスにわたっていればどうなっていたのか。
「………………呼んでいる?」
と、カフェはそう言って、ふらりと競技場のように歩みだす。タキオンは、ぎょっとしてそれを止めようとしたが。
「おおい、カフェさん、タキオン君。発掘チームの主任研究員……シルヴィオさんがわざわざ出迎えに来てくれたぞ。君たちも挨拶をしておいたほうがいいだろう」
「あ……」
カフェは露伴に声をかけられ、ふ、と意識を取り戻したように瞬きをする。それから、すぐ行きます、といって声のほうへと歩いて行ったが。
「…………やれやれ、今回は本当に私がカフェの世話をしないといけないようだな。そういうのは、君の役目だろ。カフェ……」
タキオンはその背中を見ながら、そうつぶやいた。
「お初にお目にかかります。SPW財団パリ支部、発掘チームの責任者を務めています。シルヴィオ・ベルッチと申します。お会いできて光栄です」
それから、例のシルヴィオ主任研究員は当然ながら流暢なフランス語で自己紹介をした。といっても、旅行前に事前に『フランス語が理解できるようになる』と露伴に書き込んでもらったタキオンとカフェは問題なくそれを理解できるし、話すこともできる。年齢はまだ40代前半ぐらいだろうか。眼鏡をかけた優し気な風貌の男で、いかにも歴史学専攻の研究者……といった風。
「はじめまして、漫画家の岸辺露伴です。こちらはアシスタントとして、時折取材の手伝いをしてくれているマンハッタンカフェさんとアグネスタキオン君」
「よろしくお願いします」
「よろしく」
みなさんフランス語が堪能なのですね、驚きました。というシルヴィオの世間話もそこそこに、発掘場所へと案内される。さすがに競技場内のターフを掘り返すわけにはいかず、ロンシャン競バ場の敷地の片隅を施設を大幅に壊さない程度に掘り返しているのだとか。だが、発掘開始から既に1か月ほど経っているらしい。
「ロンシャン王立修道院の石壁や、礎石のようなものは既にいくらか出土しています。あとは当時の生活用品などがいくつかとフランス革命期に使用されたアシニア紙幣と思われる、紙の欠片などですね。これだけでも考古学的にはある程度の価値を持ちます」
シルヴィオがそう言って、駐車場の端に設置された発掘研究機材などが置かれた簡易テントに案内してくれた。そこには、朽ちた木製の……なにか。鉄の部品のようなもの。言われなければゴミだと思ってしまいそうな朽ちた布?などがガラスケースに収容されていた。
「ふむ……まぁ、すでに発見されていてもつまらないが、やはり『ロンギヌスの槍』なんてのはない、か……」
「ハハ、恥ずかしながら。とはいえ、『ロンギヌスの槍』は正直なところ、方便のようなものなんです。すでに上に競バ場が建っていることから、ロンシャン王立修道院の発掘は今まで許可されませんでした。しかしながら、もしかしたら『聖遺物』が眠っているかも……そうなれば、センセーショナルさはありますし、許可もやはり取りやすいんですよ。それでも苦労はしましたが」
シルヴィオは苦笑しながら答える。なるほど、と露伴は納得した。
「ここフランスでも日本の『マンガ』は人気だということはご存じですか? 露伴先生に今回、発掘現場への立ち入りを許可したのはじつのところ……もし、フランスでも人気のある露伴先生の『ピンクダークの少年』にこの件が取り上げられれば、さらに発掘調査の知名度が上がり、来年の冬も同じように調査ができるかもしれない……という打算もあります。なにせ、もうすぐロンシャン競バ場はレースのために準備しなくてはなりませんから。我々もいつまでも発掘しているわけにはいかない」
「ふむ……では、こちらとしても漫画のネタをいただきたいところだな。石壁や紙の切れ端だけでは、やはり弱い。ということで、そろそろ本題に入ろうか。『地下礼拝堂』……発掘作業で最大の成果だと聞いている」
露伴は機を見てそう切り出す。地下礼拝堂。言葉通り今回の発掘作業で最も大きな発見……であるのだが、露伴たちの『見学コース』には含まれていないし、まだ情報公開もされていない。そもそも、発掘されたと公表されているここ以外でも見られるたわいもないものを見るだけならわざわざフランスまでこなくてもネットで写真資料なり現地映像なりを送ってもらえば問題はない(し、その程度の物ならばわざわざネタにしようとも思わない)が、例の『SPW財団内のツテ』からその情報を入手していた露伴は最初からその地下礼拝堂を見る事が目的であったのだ。
「ええと……困ったな……どこからその話を? ですが、うーん……調査もまだ完了していませんし、露伴先生は部外者でもあります。事前にアポイントメントがあればまだよかったのですが、やはり上に許可を取らないと……」
困り顔、というよりは明らかに見せたくはない、という態度のシルヴィオ。問題になるのを避けたいのだろう。誰だってそうだ。考古学者ならまだしも、部外者を入れてもし遺構の一部でも誤って破壊されたりしてはたまらない。しかし露伴は、畳みかけるように続ける。
「おいおい、僕たちは別に無礼な観光客みたいにそこに入って『ちょっとぐらい触ってもバレないんじゃあないか?』なんて考えるような人間じゃあないんだぜ。別にさっとはいって、いくらか資料写真を撮ってスケッチするだけだ。30分、いや、20分でいい。君がちょいと発掘チームをランチに連れ出してる間に全部済むさ。自慢するよーだが、僕の漫画は台湾版やヨーロッパ版も出てるし、アニメにもなってる。漫画で取り上げてもらえれば来年も調査できるんだろう?」
「しかし……」
「……私からも、お願いします。少しだけでいいですから、見せていただけませんか?」
そこでさらに露伴に追随して声をあげたのは、カフェだった。いつもはどちらかといえばタキオンや露伴のストッパー役であり、迷惑をかけたりだとかケンカだとかを緩衝材のように防ぐ役目を果たし、こうした場でも無理に頼み込んだりはあまりしない性分の彼女が。
「…………しかたありません、少しだけですよ。本当に」
少女にまで頭を下げられればさすがに気が引けたのか、シルヴィオは頭を掻きながら、ではあと少しで昼休憩なのでその間にお願いします、といって調査メンバーにタブレットでなにやら連絡をしていた。
「申し訳ないです。でも、どうしても……ロンシャン競馬場にまつわるものを。一つでも多く知っておきたい。私の中の、深いところでそう、声が聞こえているんです。魂そのものが、それを求めているかのように」
「………………」
タキオンはやはり、どこか存在感がないというかこの世のものではない、というか……ふと目を離せば、霞のように消え去って別の世界にでも行ってしまいそうなカフェを見て何とも言えない表情を浮かべた。
それから少し経って、露伴たちは一時作業が中断している発掘現場の奥。細い石造り螺旋階段を下りていた。入口までシルヴィオは付き添ってくれたが、チームにバレるとまずい、ということで近くのカフェテリアにメンバーを連れ出すらしく、そこで別れた。といっても、そこまで深くまで降りていくわけではなく、本当にすこし地面の下、という風な場所。
とはいえ、日の光は入らないため持ち込まれたライトによってオレンジがかって照らされるのは、宗教画でもかかっていたような跡のある小さな祭壇跡やタイルで造られた聖書の一場面と思われる壁画、その他、朽ちかけた木の柱がいくつか。ワイン樽のなごりやらビンのかけらがあるあたりワインセラーかなにかを転用したかなにかで造られた急ごしらえのものであったのだろう。
「ふぅン……地下礼拝所、ねえ……いかにも秘密とかお宝がありそうなニュアンスの場所ではあるが……」
タキオンはかがみこんで木くずか何かをのぞき込む。これですら、触れるわけにはいかないのだ。
「カタコンブ・ド・パリ……パリにはそういう有名な地下納骨堂があって、そもそもは、そこも採掘場跡に別の場所から、あまりにも多く埋葬され衛生的問題を発生させるようになった骨を掘り返して移した場所なんだが、物を隠すには地下……というのは昔から変わらないな。お宝があれば、だが」
そういう風に解説を入れつつ、露伴はすさまじい速さで手を動かしている。理科準備室の住人となった露伴のそのスケッチの素早さと正確さはもはや見慣れたものだが、5分と経たずに精巧なスケッチを完成させるのだからやはりすさまじいものだ。とタキオンは思いつつも、しゃくなので絶対に言わないし、ぼんやりした様子のカフェが例の『おともだち』とかに引っ張られてなにか突拍子もないことを行うのではないか、と気が気ではなかった。
「…………え?」
ふと、カフェの耳がピクリと動き、周囲を見回す。
「タキオンさん、露伴先生、なにか……?」
「ん?」
きょとん、とした様子で問いかけてくる。しかし露伴もタキオンも何も発していない。先ほどから聞こえるのは露伴のGペンが紙の上でカリカリと行き来する音と、ライトの明滅する微かなじりじりという音の二つだけだ。
「どうしたカフェ、もしかして、気分が悪いとか?」
タキオンはカフェをこの場から連れ出すべきではないか、と思った。が、カフェはふらふらと祭壇の方へ歩き出す。
「いえ、声が聞こえたんです。『迷ったなら、あなたの内なる声に従いなさい』という声。どこから……?」
呟きながら祭壇を……無視し、その横の石組み壁を見つめる。
「……聞こえる。でも、『そうしなければならない』。私は――『マンハッタンカフェ』であるために……私の本懐を果たすために……」
手を伸ばす。指先が、石壁のとっかかりになりそうな、わずかな欠けへと近づく。そこで、カフェの肩をぐい、と掴むものがあった。
「ぁっ……」
「そこまでだ、カフェ。『戻ってくるんだ』……それ以上、『遠く』に行かないでくれ……追いつけないほど遠くに……」
「……え、ええ……はい、申し訳、ないです、私――っ……」
カフェの目に映ったものは、今にも泣きだしそうな見たこともない、タキオンの顔だった。掴まれた肩に、指が食い込んで少し痛む。
「あ……」
タキオンもそれを気づいたのか、咄嗟に手を離したが黙りこくってしまった。タキオン自身でも何とも理解しづらいことに、自身の感情を言語化できないのだ。強いて言うなら、ただたまらなく不安になり、それ以上見ていられなかった。だから、体が動いた。そうとしかいいようがない。
「カフェさん、どうした……急にふらふらして……気分が悪くなったのなら、今日は一度ホテルに戻ったほうがいい。スケッチも終わったしな……シルヴィオさんのためにもあまり長居はしない方がいいだろう」
露伴はスケッチに集中していたため、カフェが自ら何かに導かれるように歩いたのではなく、気分が悪くなり壁に寄りかかったように見えたのか、タキオンにカフェを支えながら上がってくるように言うと、ホテルへのタクシーを呼ぶついでにシルヴィオに連絡しておくといって外に先に出ていった。
……それから。
「……カフェさんはやはり体調がまだ戻っていないようだな……タキオン君。ここは勝手知ったる君が彼女を介抱してやってくれ。といっても、僕は隣の部屋で控えているから……もし何かあればすぐに言ってくれよ。買いだしぐらいには行って来よう」
「ああ、任せておきたまえ」
「本当に軽い微熱ですから……ええ。でも、大事を取って休んでおくことにします」
3人はパリ中心部のホテルに戻った。カフェはあれからまた軽く熱を出し、この場合自分が一緒であるよりもタキオンと二人である方がいいと考え、言葉通り露伴は自室で待機している。既に日は沈んでおり露伴が既に手配したルームサービスで食事が来る予定だ。
「………………」
カフェは既にベッドに横になりすぅ、すぅと軽く胸を上下させながら寝息を立てている。タキオンはそれを見ながら、自身もどっと疲れたような気がして部屋のソファにもたれた。空き時間に仕上げるつもりだった研究論文なども手を付ける気にすらならない。が、気になるのは……やはりカフェが時折見せるなんらかの『方向性』だ。おそらく、これ自体は別段『良い』ものでも『悪い』ものでもない。善悪などは関係ない概念であり、+に働くこともあるが、この凱旋門賞への執着はカフェに対して『害』になっているように感じる。
(かといって、どうすればいいんだ……? 『方向性』……『執着』……これらに対抗することなど、できるものなのか……)
「タキオンさん……」
「!」
と、カフェが体を起こし、タキオンを呼んだ。
「どうしたんだ? なにか、どこか痛いのか? それとも、欲しいものとか?」
「いえ、何か……『奇妙』なんです。『夢』を見ました。私が凱旋門賞を走る夢。おともだちが目の前を走って、それでおともだちに追いつくんです。あの速い速いおともだちに。でも、おともだちも、私も、どんどん足が動かなくなって、最後には走れなくなってしまう。そんな夢」
「…………」
タキオンはカフェの見た不穏な夢に何も言うことができなかった。それはどこかしら現実味のある言葉だったからだ。例えば、ハードパンチャーと言われたボクサーがそのあまりにも強いパンチ力で自分の拳を壊してしまうように、ウマ娘はその強靭な脚力故に、足や膝関節に負担がかかり、故障してしまう者もいる。おともだちに追いつくほど速くなったカフェが、日本のターフと違う環境……しかもタフでハードといわれる欧州ターフを走れば、足を故障することも十分あり得ることだ。いや、あり得る、というだけで、確実になるわけではない。そんなことを言い出せば日本での通常のレースだって故障するものだっている。だが、それでも。
「それと。左のわき腹に何か……『異物感』というのでしょうか……寝返りを打ったときになにか……」
「ふむ……病院で診てもらった方がいいとは思うが一応見せてごらん。私だってウマ娘の体の研究者なんだ。よくみられる簡単な症例ぐらいは判断できるさ。身を起こしたときに痛みは? さわっても大丈夫そうかい?」
「ええ、特に痛みはないんです。怪我とかそういうのでもなく……たぶん、さわっても問題はないかと……」
タキオンはそういって、カフェの左のわき腹を軽く触診した。たしかに、固いものがある。大きなできものやしこり、と言う風な感触ではなくまるで金属が皮膚の下に入っているかのような硬さ。
「なんだこれ……打ち身だとかにしては妙だな……悪いが、見せてもらうよ。本当にこれは病院にいったほうがいいかもしれない」
「はい……」
カフェが部屋着をまくり上げ、わき腹を見せる。そこにあったものに、タキオンは眼をみはった。
「これはッ……なんだッ!? 明らかにおかしいぞッ! 『こんなもの』が皮膚の下にッ!?」
できものなどではない硬質なものが皮膚の下、皮一枚という場所にあり、その表面に彫られた飾り彫りのようなものさえ見て取れる。明らかに何か金属がカフェのわき腹に入っているのだ。異物感を感じるのも当然だ。こんな大きなものがいつのまにかわき腹に埋め込まれているなど。その形は薄く扁平だが先がとがっているようにも見え、槍の穂先か矢じりのようにも見えた。
「えッ……なっ……どうしたんです!?」
カフェはなまじ痛みがないぶん、それに気づいていなかったのかタキオンの反応に目を丸くして驚いたが、すぐさま患部を自分でも触れてみる。
「これっ……えっ……!?」
「か、カフェ、何なんだこれは。何か感じるか……!? 君の皮膚の下に『金属』が入っているぞッ!」
彼女が何か手術などで金属をインプラントしているなどという話は聞かないし、明らかにこれはおかしなものだ。なにか『怪異』の類ではないのか? タキオンはそう考えて、カフェに問いかける。
「あ……え……そう、ですね……これには、強い力があります。本当に、今まで私が感じたことのないほど、すべてを引きつけて離さないような強い力が……でも……妙なんです。これは『異物』なのに……わたしに『馴染む』んです。これが私の一部であったかのように、まるで私の体に生まれついてあったモノのように……違和感があるのに、違和感がない……これは、一体……?」
「ッ……!」
タキオンは今までにないカフェの言葉を受けて、驚いた反面、どこか出立前の悪い予想があたったようで、自分自身に怒りを覚えた。こうなることはどこか分かっていたんじゃあないか。ならば、もっと手の打ちようは……そこまで考えて、とにかくまず彼女を病院に連れていかねば、と思い直す。これが物理的な異物なら摘出などもできよう。とにかく、何か手を――
タキオンの体がほとんど勝手に動いて、ドアへ。露伴君に車を回してもらわねば。その時だった。
「うおおおおああああ!!!」
「うわあッ!? むぎゃ!」
「えッ!?」
ドアノブに手をかけた瞬間。がちゃん、とドアが開きなだれ込むように入ってきたのは露伴! そして見慣れぬ男で……それは、いかなる故かヘブンズドアーを喰らったのか顔面が本と化しており、その二人がもつれるように背中側から倒れ込んできた! 当然、押しつぶされるようにサンドされてしまうタキオン。カフェも、体をおこしたまま仰天する。
「露伴君! この! なんだァ―ッ!!!?」
「それはこっちのセリフだ! この忙しいときになんでそんなところにいるんだァーーーッ!!!」
露伴と男の下で若干もだもだしつつも、ウマ娘のパワーは成人男性程度の重さなど苦にもしない。ひょい、とタキオンが体を起こすと当然転げ落ちる露伴たち。そして!
――BLAM!
「さっきからなんなんだァ―ッ!!!?」
「こっちにくるんだッ! 敵だッ! 身を低くしろッ! 撃ってくるぞッ!」
ふいに破裂音とともに、タキオンの足の間の床が弾けた。既に部屋の奥へと転がるように駆けていた露伴に続くように、座り込んだ体勢のまま引きずられるタキオン。ヘブンズドアーが体を引っ張っているのだ。
――BLAM! BLAM! BLAM!
「ひえっ!?」
ドアの影から差し込むように伸びる片手。それに握られているのは……拳銃である。オートマチック拳銃というやつか!? 連続発砲! バスン、という音と共にタキオンの私物バッグに命中! 薬品が飛び散る! よくみれば露伴と一緒に倒れ込んできた男の手にも拳銃が握られているッ!
「あーッ!? 高価な薬品も入っているんだぞッ!」
「クソッ! タキオン君暴れるな! それよりカフェさんをッ! 『やつら』は5、6人いるッ! 逃げるぞッ!」
「何ッ!? カフェを動かすのかッ――というか『やつら』!? 露伴君今度は何をしたんだッ!!!」
「知らないよッ! そもそも君らの部屋にも入っていこうとしてたのを止めたんだぞッ!」
露伴がまたいらぬことに顔を突っ込んだのか、と半ば当たり散らしつつも、今。カフェを動かして大丈夫なのかッ!? タキオンは高速思考! 先ほどの感じ、熱などは引いているようだがあの異物ッ! しかし……!
――ズガァッ!
ホテルの部屋の調度品である花瓶がすぐそばではじけ飛んだッ! 謎の襲撃者は、ドアから手だけを差し込み銃を乱射してくるッ! ここにいては……ッ!
「タキオンさんッ……や、ヤバイッ……! 私は大丈夫ですからッ!」
「っ……!」
タキオンは、ややつらそうにベッドから降りようとするカフェの言に後押しされるように、それに肩を貸したが……
「そもそもどうやってここから――アーーーーッ!!!!!!」
しゅうしゅうという異音。見れば、先ほど銃弾が命中したタキオンの私物バッグから明らかに煙が出ている。
「やばいぞッ! あの中には混ざると刺激性のある成分を放出するものだってあるッ! 直ちに健康に害はないと思うが……ギャーッ! 眼!」
「うおおッ! クソ、眼が! 一体何なんだァーッ!!? ゲホッ! す、吸い込むなッ! 呼吸が……ッ」
「ゲホッ……ゲホッ!」
タキオンの薬品はみるみるうちにもうもうと煙を出し始め、ケミカル色の毒々しいそれであっという間に部屋に充満した。刺激性、というだけあって煙の中では目が開けられず、露伴はタキオン、カフェと共に咳き込みながらかろうじて窓にたどり着くとそれを叩き割り……
「う、うわあああああ!!!」「あああああ!!?」
そこから飛び降りた! 2、3階程度の高さだがあのまま室内にいるのはマズイ! そう判断した! そして!
「お、おともだちッ!」
カフェが咄嗟に叫ぶと、例の『おともだち』の不思議な力が自分たちを受け止め……ない。
「ケホッ、ケホッ、あれ……?」
「ゲホオッ……ハァーッ……ハァーッ……多少想定と違ったが……まあ、想定通りだな……概ね……」
気づけば、露伴たちはただ何事もなかったかのように地面に立っていた。おともだちはただ『速い』というだけでなく、タキオンに対して制裁的に研究資料を燃やす『発火能力』やらいつぞやの学園祭でカフェが喫茶店を出した際、それを限られた人だけがたどり着けるようにするような『空間を捻じ曲げる』力までを備えている。『おともだち』は全員を受け止めるのは無理と判断し、『捻じ曲げて』無事に全員を地面に着地させたのだ。
ホテルの館内ではフランス語で火災の疑いがあるため避難を呼びかける放送と警報が鳴り、露伴たちが飛び降りた庭に観光客やホテルの従業員なども逃げてきている。
「とにかく……ここまで騒ぎが大きくなったんだ。じきに消防や警察もやってくる。さっきの『襲撃者』もさすがにここまで人がいる状況で仕掛けてくる度胸はないだろう。奇襲ってのはそう言うもんだからな……やつらの顔も見たし……」
「とにかく……じゃないぞ、露伴君これはどういうことなんだッ!? さ、さっきのは『銃』だろッ!? こんどはなにをやらかした!? フレンチマフィアに喧嘩でも売ったのか!? なんでいつもそうなんだァーッ!!!」
タキオンはさすがに、血相を変えて露伴を問い詰めるが露伴もこれにはさすがにムッとした様子。
「知らないよッ、僕だっていきなり襲われたわけだからな……特に頼んでもないのにルームサービスがきたもんだから、強盗か何かかと警戒してみればいきなり銃を撃ってきた。言っておくけども、僕はフランスで銃で撃たれるような故はないからな。せいぜい、昔ルーブルで絵画の密売犯を暴いてやった程度だがそいつらはもう僕に手出しできない」
「あるじゃあないかッ!? そいつらの残党とかじゃあないのかッ!?」
「ちがうね……やつらは金目当てで繋がってる強盗団だったからそこまで手はだしてこない。仲間の復讐なんて御大層な動機でな……それに、君たちの部屋にも押し入ろうとしていたあたりなにかしら別の理由で……とにかくだ、僕だって被害者なんだ。ヒステリックに怒鳴らず静かにしてくれないか」
タキオンは露伴の態度に文句を言い足りないとばかりに食って掛かろうとしたが、その時カフェが肩を抱いて震えていることに気づいた。
「……わかった。私も少々気が動転していたようだ。こういう時こそ冷静にならなくては。とにかく、カフェ……少し座ろう、露伴君も来てくれ。話がある」
「…………はい」
露伴もカフェの体調がすぐれない様子を見て、近くのベンチへと移動しカフェを寝かせる。そしてタキオンはカフェのわき腹に異物があることを露伴に話した。
「異物。それはどんなものなんだ?」
「……何か金属で、おそらくは微細な彫刻などがある芸術品のようなもの。形状は……矢じりか槍の穂先のように見えた」
「矢じり……あるいは槍の穂先、だと……」
矢じり……それはかつて。露伴の故郷であった杜王町を騒がせた『殺人鬼』事件の元凶であった『弓と矢』を想起させた。そしてわき腹。槍の穂先。それらのワードは今回の渡仏の目的である『ロンギヌスの槍』にあまりにも似通いすぎていて……
「……それは、こういう風なものか?」
「そうだ。これだ。全体のディティールとかはかなり似通っている風に思うね」
露伴はスマートフォンを取り出し、タキオンにいくつかの画像を見せた。それはかつての『殺人鬼』事件の際、東方仗助らが音石明から回収した『弓と矢』の画像であった。露伴は承太郎から当時その画像を資料として入手しており、偶然所持していた格好だが。
「……どういう経緯で『矢』あるいは『穂先』がカフェさんの体内に入ったのかは不明だが……一刻も早く手術で摘出したほうがいいのはたしかだ。警察はまだ来ないのか? 少し遅いぞ……フランス警察は優秀って聞いてたんだがな……」
焦れたように露伴があたりを見回す。その時だ。
「警察は信用できない。彼らも『SPW財団パリ支部』の息がかかっているからだ」
「!?」
「っ!?」
ふいに声。それは露伴の手に握られているスマートフォンから響いた。いつのまにか、どこかの誰かがボイスチャットアプリでこちらに話しかけている。男の声。これは。
「すまないが、こうする他なくてね。いいか、もう一度言うッ! すくなくともパリの警察を信用するなッ!」
「なんだァ―ッ、これはッ!?」
「ハッキングってやつなのかッ!? 露伴君、やばいぞッ、スマートフォンの位置で相手に位置情報がばれるんじゃあないかッ!?」
露伴はタキオンの声にうなづく暇も惜しいという風に、アプリをOFFにしようとするが……
「待て、私は味方だ。空条承太郎に今代わる……」
「何ッ!?」
露伴の手が止まった。空条承太郎。それはかつて露伴が例の『殺人鬼』事件で共に戦った男であり無敵ともいわれるスタンド『スタープラチナ』のスタンド使い。しかしただ強いというだけでなく、その冷静さと胆力には露伴も一目置かざるを得ないし、実際あの事件で大いに活躍した。
「……聞こえているか?」
そして、実際次にスマートフォンから発せられたのは電話口からでも承太郎のものと分かる声だった。別段、露伴も詳しいわけではないがボイスチェンジャーとかの形跡はないように思える。とりあえずカフェとタキオンにも聞こえるようスピーカーフォンに。
「……やれやれ、俺を多少でも信用してもらっていたようで何よりだ。すまない、俺のフランスの友人を通じて連絡を取った。ヘヴィな状況に巻き込んでしまったようだな……」
「承太郎さん……ですか? これは、一体?」
「時間が惜しい、端的に説明するなら……露伴先生。あんたは、どうやら俺がSPW財団のパリ支部を探るために送り込んだスパイ……だとパリ支部のやつらは考えているようだ。つまり襲ってきたのはパリ支部の連中……ということになる」
「スパイ? SPW財団パリ支部!? どういうことです?」
露伴はこのSPW財団パリ支部を取材するにあたって、使ったツテとは連絡先を知っている承太郎を通じてであった。しかし、スパイとは一体? はっきり言って寝耳に水だ。なぜSPW財団パリ支部が我々を襲ってくる?
「これはこちらにとっても先ほど飛び込んできたばかりの情報なんだが……SPW財団パリ支部長『シルヴィオ・ベルッチ』……やつは露伴先生。あんたが俺の紹介でパリを訪れるがいいか、と頼んだ時、最初は渋っていた。それだけならよくあるハナシだが、さきほど急にパリ支部が騒がしくなったワケだ。NY本部にも報告しない人員の動員、本来なら対吸血鬼やスタンド犯罪に対する防衛用装備の持ち出しなんかな……」
SPW財団はもとより、吸血鬼や『柱の男』と呼ばれる存在と戦ってきたジョースター一族を支援する組織の趣も強く、そうした方面の研究もされている、とは聞いていたがさすがに露伴にとってもそれがなぜ自分に向けられるのかわからない。
「……つまり、例のパリ支部長シルヴィオはパリ支部を長い年月をかけて私物化し、『矢』と類似するものであろう『ロンギヌスの槍』を手中に収めようとしていた……で、大方、SPW財団に俺の紹介で、さらにはロンギヌスの槍の発掘中に露伴先生が来たものだから、焦って暴発した……ってところだろう。藪をつついて出た蛇が大騒ぎをし始めた……ということだ」
「おいおいおいおいおいなあなあなあなあちょっと待ってくれッ……完全にとばっちりだろう? 僕らはただロンギヌスの槍を奪おうなんて考えてもいないッ! ただ漫画のネタとして取材をしているだけだッ!」
「……実際のところ、シルヴィオの焦りようもおかしい。別段スパイじゃあないか? と勘繰ったところで、こんなことをすればことは確実に露見する。何故急にここまで性急に動き出したのか……」
「それは、もしかして……」
タキオンは露伴に汗を浮かべながら問いかけ、露伴もその意を汲んだ。
「いいですか、承太郎さん。おそらく『ロンギヌスの槍』は僕がアシスタントとして連れてきたマンハッタンカフェさんのわき腹に、いったいどうやってか今この時も『埋まっている』んです。シルヴィオの一派はこちらを監視するか何かしていて、それに気づいた。だから焦ってなりふり構わず攻撃を仕掛けてきた、ということなのかも……」
「なるほどな……奪われたと完全に勘違いしたという訳か……とにかくこうなっては、時間がない。なんとか『アンヴァリッド』まで来られるか。コンコルド広場の南にあるランドマークだ。そこに信用できる人物を向かわせる」
「はい、わかりました……アンヴァリッドか……」
アンヴァリッドは旧軍病院ともいわれる、革命期から残る宮殿のような外観の病院跡で現在ではその壮麗さから観光地の一つとなっている。ルイ16世が処刑された地であるコンコルド広場のセーヌ川をはさんだ南側にある建物だ。
「タキオン君、カフェさん、きいたね。警察もパリのSPW財団も信用できない以上、ここにとどまり続けるのはマズイ。すぐに移動するぞ……急でもうしわけないが、承太郎さんは信用にたる人物だ。僕が保証する」
幸いアンヴァリッドはここから遠くない。車はないので、メトロ。いや人が多すぎる……タクシーでも拾うしかないか。などと考えつつ、露伴はタキオンらと共に場所を移そうとするが。
「あ……あ……」
タキオンは震えながら、カフェを見ていた。いや、カフェがいたはずのベンチを。
「……バカな!?」
いつの間にいなくなっていた? 露伴がそう発する前に、タキオンは走り出した。
……………………
…………
……
…
「ハァーッ……ハァーッ……」
マンハッタンカフェはターフに立っていた。観客席には人はおらず、ブローニュの木々でパリの街の光もここまではあまり届かない。まさに漆黒の帳の落ちたようなうち沈んだ静寂。
――『迷ったなら、あなたの内なる声に従いなさい』
明確に頭の中で声が聞こえる。誰の声なのか? わからないし、体は重いのか軽いのかもわからない。不快な汗が首筋に流れ、前髪が額に張り付く。熱に浮かされたようだが、どくん、どくんと心臓が動いて四肢の――筋肉に血液を循環させる。
――『迷ったなら、あなたの内なる声に従いなさい』
――『走りたい、という声に従いなさい』
「ッ……!」
今すぐにでも走り出したい。本来私が走っていたはずのこの凱旋門の舞台で、たとえ一人きりであっても。『マンハッタンカフェ』であるために。私が『マンハッタンカフェ』であるために、これは必要なことだ。
――『それだけではない。あなたは世界を制することができる。あなたにはその資格がある』
いや、私には力がある。本来の『マンハッタンカフェ』の力。そして『槍』の力がある。世界を制する力。それらさえあれば『おともだち』に追いつける。追い越せる。
――バスンッ!
走り出した私の背後で、芝が爆ぜた。あのSPW財団がもう、自分に追いついたのか。どうでもいい、私は『おともだち』に追いつく。加速する。風が頬を薙いで、汗で張り付いた髪がさらり宙を舞う。ばす、ばす、しゅん、と私がいる場所にワンテンポもツーテンポも遅れて、銃弾が突き刺さる。怖くはない。それらを置き去りにして、加速していく。おともだちが目の前にいる。いや、追い越せる。その背が近づいて、もう横にいる。これが。そうだ、私は――
「カフェッ……!」
その時、後ろから声がかけられる。振り向かずともわかる。タキオンさんだ。何をしに? 『私』はマンハッタンカフェに、『おともだち』に追いつこうとしている。追い抜こうとしている。なのに。
「カフェ……きみの、きみの『執着』ってのは……そんな『槍』の力を借りないといけないものなのかッ!」
「…………!」
「違うだろッ……!!! 我々は……」
「自分の足でそこにたどりつくんだよッ!!!!!」
瞬間、タキオンはほんの一瞬だけ速度を落としたカフェに向けて飛びついた。賭けだった。このスピードで転倒すれば、それこそ故障しかねないが、このまま走らせていれば何が起こるかもわからない。二人もつれるように抱き合いながら転がり、ようやく止まる。
「げほっ、けほっ、本当に君は、手間がかかるな」
「…………すい、ません」
腕の中で消え入りそうに、小さく呟くカフェ。その長い髪についた芝と土を拭い、体を起こす。カフェがどこに行くかぐらい、わかる。アグネスタキオンはマンハッタンカフェの『おともだち』なのだから。
「さて、後は彼らだが……」
「……まったく、手間をかけさせてくれるな」
シルヴィオ主任研究員以下、数名がタキオンとカフェを取り囲む。その手には銃が握られており、やはりSPW財団パリ支部はシルヴィオの息がかかっていた事を如実に物語っている。
「……どこから我々が『ロンギヌスの槍』を手に入れるまであと一歩であることを嗅ぎつけたのかは知らないが……ジョースターの一族はこういう類には鼻が利くからな。大方、ジョセフ・ジョースター辺りの入れ知恵だろう? 違うか?」
シルヴィオが勝ち誇り、乱暴に銃を突きつけようとする。しかしタキオンは冷静に、ある意味では興味の無いような風に答える。
「違うな……ジョセフ・ジョースター? 誰だいそれは。正直言って、だーいぶ粗暴な計画じゃないか? はっきりいいたまえよ。結局のところ、焦ったんだろ。ラスボスを張るにしてはちょっと格が足りないな、君は……」
むしろ、タキオンは、一種勝ち誇るように。未だ力なくうなだれるカフェを守るようにそれを抱き寄せて、シルヴィオを睨みつけて言う。
「何を言っている。もうそのマンハッタンカフェとかいう小娘が槍をもっていることはわかっているんだ。この俺がお前たちを殺せないと思っているのか。わかった、いいだろう。跳ねっかえりの娘に現実を教えてやる」
がちり、と安全装置が外され至近距離から、カフェの頭部に銃口が合わされた。間髪入れず、引き金が滑らかに引かれ……映画のような大仰な発砲音もなく、ガスの抜ける音と共に銃弾が吐き出される。それは、過たずマンハッタンカフェというウマ娘の頭部に命中する……はずだった。
「え……?」
トリガーを確かに引いたはず……シルヴィオは思わず、自分の銃を確認した。異常はない。が、ミスショットでもない。弾丸が発射されていない。一体。
「ど、どういうことだ? クソッ!」
手動で弾丸をイジェクトし、装填。もう一度、銃弾を引く。乾いた発砲音。今度こそ、小娘どもを殺し槍を手に入れる。
「……どういうことだッ!?」
しかし、まるで繰り返しのように銃弾はカフェをとらえないし、発射したはずが『発射してもいない』ことになっているッ!
「なんとか間に合ったってやつか……いや、僕一人じゃあ拳銃を持った数人と開けた場所でやりあうのは分が悪いからな……『承太郎さんの知人』ってのと合流しておいてよかったよ」
「まったく、ひどい大人ってのは……いくらでもいるもので……僕の母親もそうだったんだ。が、女の子をなんのためらいもなく撃とうとするような君よりはうちの母親はマシだって思いたいな」
「ハッ」
シルヴィオの横には……岸辺露伴と、いつのまにか黄金の髪をたなびかせる少年が立っていた。
「お、おまえはッ」
「SPW財団ってんなら、僕のことは知ってるんだろう……何遍も説明するってのは無駄だから嫌いだ。だから、挨拶ってやつは割愛させてもらうし、君の挨拶もいらない。こちらの岸辺露伴さんと……彼から聞いてるから」
「……まったく、久々にハッキングなりなんなり無理をした。が、日本の古い友人とも話せたし懐かしい時間だったよ。正直、少し楽しかった。ところで岸辺露伴さん、といったか。私の話が漫画になるというのは本当か? 若い頃は自分のテーマパークを建てたいなんて途方もない夢を持っていてね。興味がないとは言えない」
「……吸血鬼DIOとの戦いと、ギャングの王だった『ディアボロ』との戦い。興味しかないッ! ええッ、最高のネタですよッ!」
彼、と言って少年が目を向ける先には奇妙な亀がおり、のそのそと歩んで芝をはんでいるそれからは、どこからともなく人語が聞こえた。露伴などはその亀に向けて熱心に話しかけている。
「……もう決着はついた。君たちはこの少女たちを殺して、ロンギヌスの槍を手に入れるという未来に『たどり着くことはない』。決してね……」
「う、うわああああああああああああああ!!!!!!!!」
シルヴィオの悲鳴が、ロンシャンの地に響いた。
それから。
『完全に無力化された』シルヴィオら数人のSPW財団パリ支部は岸辺露伴に命令を書き込まれ警察に出頭した。そこから芋づる式に汚職が発覚し、パリでは行政のスキャンダルとして大きく取り上げられてはいるが。
シテ島のセーヌ川を見渡すサロンで、静かにカップを傾けるのは露伴、カフェ、タキオン。
「はァ~~~ッ……なんかもう、あんまり観光する気が起きないねェ……」
タキオンは地元の老舗茶店の甘めのフレーバードティーにさらに砂糖をこれでもかとぶち込みざりざりと音を立てて啜っていた。
「…………」
カフェは今でも、ぼんやりとロンシャン競馬場のほうに視線を向けている。
「今でも気になるのかい。ロンシャン競馬場。いや、凱旋門賞が」
「気にならない、といえば……ウソになりますが。一つだけ目が覚めたことがあります。私は、自分の体に宿ったロンギヌスの槍の力があれば、『おともだち』に追いつけるんじゃないかと思ってしまった……それは間違いでした。ええ、大きな力は人を容易く惑わせるのだと、実感できた気がします。私の。私自身の足で……追いつかないと意味がないというのに」
カフェの左わき腹に現れたそれはあの黄金の髪の少年の力によって取り除かれた。なんでも、代わりのパーツを作っただのなんだの言っていたが、原理はどうあれ切除された……ということでタキオンはそれ以上それを追求する気にはなれなかった。
「……まったく、パリに来るたびに面倒ごとに巻き込まれるな。以前、ルーブルに行ったときに、僕は『人間の手に負える博物館じゃあない』と言ったんだが……訂正するよ。このパリという都自体がもう人間の手には負えない魔都ってやつなのかもしれないな……」
「……なんだいそりゃあ」
「さあ、だが……だからこそ面白いんだ。汲みつくせないほどの謎に満ちた都。僕はまたこの都市に来たい」
そういって、流れゆくセーヌに目をやる。
「……私も、次は競技者として凱旋門賞に来たいですね」
「やれやれ、君がそれほどまでに入れ込むなら……そうだなあ。私も一丁目指してみるか。凱旋門賞。ちょうどこういうのも発表されたことだしな」
そういうと、タキオンはプロジェクトL`Arc(仮)と書かれたファイルの表示されたスマートフォンをカフェに見せ、カフェはその内容を確認して……目を丸くした。
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