「トンネルを抜けると雪国だった――なんていうのは月並みか。あるいは、少々気取りすぎかな」
私の横で曇った窓を拭いながら、雪で白く染まった家々を長めながらいうのは私の親しい友人であるアグネスタキオンだ。
「川端康成ですか? 正直……意外ですね。研究論文しか読まないと思っていたのに」
「いや、読んだことはないよ。というかこのぐらいは一般常識だろうカフェ。そんなに私は常識がないと思っていたのか?」
「はい」
私、マンハッタンカフェとタキオンさんは今まさに、北海道を目指していた。東京駅から東北新幹線で青森駅まで3時間と少し。そこからは北海道新幹線に乗り換えて、函館までいくことになる。とはいえ、目的地は北海道の苫小牧にほど近い街、A町にある古い名家だ。そこにある倉から出てきた『あるもの』をぜひマンハッタンカフェさんに見てほしい……そんな手紙を受け取った事から、今回の奇妙な冒険ははじまった……
◆◆◆ マンハッタンカフェは動じない #035 『ぬばたま』 ◆◆◆
「ところでカフェ、君は『ぬばたま』という言葉の意味を知っているかい?」
ちょうど函館駅に新幹線が滑るように入っていくとき、タキオンさんが問いかけてくる。
「……はい。たしか……ヒオウギという花の種のことですよね。『夜』や『闇』のように『黒』く……深い。和歌などでそういった言葉に対する枕詞にもなっていたとおもいます。たとえば万葉集にはぬばたまのという枕詞で黒髪の美しさをうたったものも多いかと。『ぬばたまの我が黒髪に降りなづむ天の露霜取れば消につつ』ですとか」
「ふぅン……」
「聞いといてその興味なさげな返事はないんじゃないですか……」
「だってその辺には興味ないしな……万葉集とか。私が興味があるのはね、カフェ。君。君なんだよ。君のその時折見せる衝動。それが我々ウマ娘における何らかの重要なファクターなのではないかと最近は考えているんだ。たしか『ぬばたま』だろ、その『絵』の題名は」
そう。今回我々が北海道まで足を運ぶことになったのは、『ぬばたま』という一枚の絵画を見に行くためだった。先述の通り……北海道苫小牧から川一つ挟んだA町で代々、米作りを生業にしてきた『楢崎』という古い農家の倉からでてきたそれ。
『急なお手紙を失礼いたします。先日、急死した祖父の遺品を整理していたところ一枚の絵画が見つかりました。『ぬばたま』と題のついた額に入れられたそれには一人の和服姿の女性が描かれており、その女性がマンハッタンカフェ様に非常によく似ていたため、お母様か、あるいはおばあさまの代の肖像画が何かしらの形で我が家に齎され、そのままになっているのではないか……そう思い、もしそうであればぜひお譲りしたく思った次第です』
楢崎美知子という人物から送られた、そのような手紙からやりとりがはじまり、同封されていた――まさしく『ぬばたまの髪』というべき引き込まれるような『黒髪』の私に瓜二つのウマ娘が描かれた絵を見た途端、気づいてみれば私は、北海道行きを決めてしまっていた。なんでも、もし別人であればこちらに迷惑をかけてしまうため鑑定にかけるので、時間が少しだけかかるかもしれない、という事だったが、私はなにか、非常にここには書き記しがたい……時折ある、ある種の方向性のような。『それを見なければならない』という執着めいた衝動に動かされたのだ。先方に無理を言って、真偽に関わらず絵を直接見てみたいのでお邪魔させてもらえないか、と連絡を取り……本来であれば一人で来たいところではあったが、どういう訳かタキオンさんもついてきている。
露伴先生は今回は、別の仕事で来られないとのことで、たまには一人旅もいいかな……などと思っていたが、まあ、ある意味ではこれが『通常運転』というやつなのか……そう考えているうちに、タキオンさんは頭上から実験セットだの茶葉だのがはいったトランクを下ろし始めていた。とっくに、新幹線は停車している。
「お~いカフェ~、引っかかってうまく下ろせないから手伝ってくれたまえ~~~」
「まったく。本当に自活能力が低い……」
本当にトランクには何が入っているのか。まるで海外へ長期の旅行でも行うような大荷物。それを二人して、というよりは割れ物も入っているから気を付けてくれたまえ~などと騒ぐタキオンさんの声を受けながらなぜか一人でそれを下ろし、他の乗客からやや遅れてホームへ。既に外は日が落ちている。一応、学生の身であるうえトレーナーが同伴しているわけではないので遊びまわるわけにはいかず駅前のホテルにさっさと引っ込むとしよう。函館駅前は近くに観光地として有名な赤レンガ倉庫が近く、複合レジャー施設などもあることからホテルが多いのだ。
「ふぅ……疲れましたね……」
「カフェはもうちょっと旅行慣れしたほうがいいと思うが、遠出というのは全く違う気候風土の場所に行くという事でもあるからね。体力をどうしても使うものだよ」
移動に疲れ、ぽふ、とベッドに倒れ込む私を見ながらタキオンさんは窓際の小スペースにあるソファに座り、その窓の奥のまるで見通せない塗りつぶされた闇のような函館の夜の海、そしてそれにささやかに彩を添える星々のような夜景を全く無視して、もうタブレットPCを開いていた。
「……こんなところでも論文作業ですか?」
「時間と言うのは有限で現状、進んだ針を後戻りさせる方法を我々は持たないからね。それに今回の旅に私がついてきたのはありていに言えば君を観察するためでもある。そうだな……『方向性』とでもいおうか。君は時にそれに振り回されてきただろう? 特定のレースに『でなければならない』という強迫観念。それがどこからきているかが……なんとなく見えかけている気がするんだがなあ」
「………………」
たしかに、私は最初の3年間で特定のレースにひどく固執することがあった。たとえば、弥生賞。それに凱旋門賞などの時は特にひどく、トレーナーさんの制止を振り切り、契約の解除を行ってまで出走を強行しようとするほどだった。『方向性』。彼女がそう形容するモノはたしかにある。私は……マンハッタンカフェであろうとする何かなのではないか、と思う時すらある。
「今回の絵画を見る旅だって、言ってしまえばその『方向性』に引っ張られてるようなものだろう? かなりスピリチュアルやらニューエイジな感じもあるんだが、我々は何者か? という疑問に対しての解を君が握っているような心持がしてならないんだよ私は。そして、それは自他を問わない感情がウマ娘に対して強く作用する、という仮説とも似通った部分があると思わないか? 実際、カフェ。きみは方向性によってもたらされる感情を制御できない傾向にある」
「それは……そうですね。そう、だとおもいます」
方向性によってもたらされる感情を制御できていない。言われてしまうと確かにそうでしかない。が、どことなく歯切れの悪い返答をしてしまった。
「ま、そういう事だから。今回の旅で君がなにかしらを見つけることを期待しているよ。例えば例の『おともだち』を追い越すためのなにかとかね。ほら、トレーナーくんたちは日常的なあれそれから我々のトレーニングに活かせるような事柄をすぐ見つけてくるだろ。あれもあれでどうなっているんだ……? 一種の才能だな」
「タキオンさん」
「なんだい?」
「少し寝かせてもらっても?」
「……つれないねえ」
こうして、もはやタキオンさんの語りについていくのもおっくうになった私は、疲れのあまり少し仮眠を取った。彼女のタイプするキーの音が小気味よく、すぐさま私の意識は底が抜けるように夢の中に落ちていった。
それから。結局本格的に寝てしまった私は、少し早い時間に起き、徹夜で作業していたタキオンのあくび混じりのおはよう、に応えると部屋備え付けのシャワールームで汗を流し、インスタントではあるがそこそこおいしい、私が趣味の登山によくもっていくコーヒーを部屋備え付けの電子ケトルでいれよう……としてやめた。
「仕込みましたね?」
「カッフェ~~~~……なんでそんなことを言うんだい? ほら、もう湯がいい感じに沸いているじゃあないか。それでコーヒーを入れてグビッといきたまえ。朝コーヒーだよ。朝コーヒー。目覚めがウワア!!!」
私は不自然にさあコーヒーを淹れて飲め! という風に沸いていたケトルの湯を、タキオンの飲んでいた紙コップの紅茶にいれ、問答無用でそれを彼女に飲ませた。
「ぐえ~~~なんてことをするんだぁ~~~! 気管支に入った! ゴホーッ!」
当然のごとく、転がりまわるタキオンはなぜか目からビームめいて怪光線を出していたので、ため息をつく。
「油断も隙も無い……ホテルの備品なのでちゃんとチェックアウト前に薬剤は洗っておいてくださいね」
コーヒーを飲むまでもなく、完全に目が覚めてしまった私はしぶしぶケトルを洗うタキオンを監視するのであった。そうこうしているうちに朝食(レストランビュッフェ)を取り、いよいよもって駅から室蘭本線でA町へと入る。今回手紙を送ってきた楢崎さんはそこの農家であることはもう説明した通り。
「楢崎さんのお宅は……こちらですね」
「何か見覚えがあるような、ないような。運命的なものを感じるな」
……始めてきた場所なのに、まるで引き寄せられるように。見知った場所を歩くかのように、私たち2人はA町を移動すると、楢崎さんの家へとすぐさまたどり着いた。本当は11時につく予定だったのだが、30分以上早く着いてしまっている。少々失礼になってしまうかもしれないが、A町外れの畑や田んぼばかりのこの場所ではちょっとコンビニによって時間を潰す、などと言うこともしづらく、うだうだやっていても仕方がない。ということで、我々は楢崎さんの家のインターホンを押す。
「まぁ、こんな早くにお着きになるなんて」
我々を出迎えたのは、手紙の差出人、楢崎美知子さんの妹であるという、楢崎美樹という人物だった。例の美知子さんとは1歳違いで、よく似ているとは本人の弁だが。
「申し訳ありません、迷うかもしれないと思ってホテルを早めに出たのですが逆に早く着き過ぎてしまって。申し遅れました、マンハッタンカフェです」
「アグネスタキオンだ。今回、カフェの友人としてまぁ、なんだ、お目付け役として一緒についてきた者だ。故に、お構いなく」
「しかし、困りました。その、ご連絡差し上げようと思ったんですけれど……その、姉は……昨日、急に倒れてしまって。姉がやり取りをしておりましたので詳しいご連絡先がよくわからず……どたばたしておりましたので、トレセン学園様の方には一応、ようやく朝ほどにご連絡させていただいたのですが」
「「え!?」」
「……そのう、今日お見えになるからと、姉は蔵に置いていた例のお見せする絵――『ぬばたま』を出して、居間に飾ろうとしていたんですが、おそらく傷んだ床板に足を取られて、転倒したところにさらに運悪く箪笥が倒れ込んで……ひどい骨折と、内臓まで痛めてしまって絶対安静となってしまいまして……ええ……」
「そんな……あの、一刻も早くご回復するといいですね」
「ええ~、じゃあ何か? 折角北海道まで来たのに収穫無し?」
何と間の悪い。美知子さんに振りかかった不運な事故にカフェは心を痛めたが、同時に困ってしまった。土日休みの間に済ませてしまう弾丸旅行のつもりであったので、正直なところ時間がなかったのだが。とにかく、こればかり仕方があるまい。一度出直した方がよかろう。
「いえ、折角ですし、『ぬばたま』だけでも見ていってください。そのために東京からわざわざ来られたわけですし、埃だらけですけれど、蔵にあるはずですからそれでもよければ」
「…………」
カフェは……やはり悪いです、と断りをいれようかと思ったがそれができなかった。すいません、よろしければ。そのような言葉が喉から出るし、タキオンもそうしたほうがいいだろう、折角来たんだし、と同調する。これでいい。これでいいのだ。これでいいはずなのだ。安心感の反面、すこしぞっとした。これは私の意思なのか? 私って、誰だ?
「これが……たしか……『ぬばたま』、ですね。マンハッタンカフェさん?」
……私は天井に巣を張った、クモを見ていた。いや、いつの間にか夢遊病のように移動して、蔵……おそらく元は米蔵だったものに古い道具やらなにやらが雑多に詰め込まれたそれ。大正かそこらのカレンダーがかかったままの衣装箪笥や来客用と毛筆で書かれた箱類、その他、昔のコメ収穫器具などが置かれたその一角に私は立ち、タキオンさんと、美樹さんが新聞紙につつまれた『ぬばたま』を取り出すところをぼうっと見ていて、ようやく声をかけられて気づいた、と言う風だった。
「カフェ? どうした?」
「いえ……」
……タキオンさんも怪訝で、かつ心配そうに私を見る。私は頭を振り、意識を集中する。いけない。今から私に関係のあるかもしれないものをみるのだ。こんなふうでは。
「……あれ、絵の具が溶けてるのかな?」
美樹さんが新聞紙を広げる最中にぐちぃ、と言う粘着質な音が響いてふと手を止めた。指には、タールのように、そしてタール以上にドス黒い絵の具めいたものがべったりと付いていて……
「あ……え……?」
美樹さんがふいに、倉庫の奥を見た。
「道夫?」
「……?」
道夫。誰だろう。この家に人気はなかったが、別の住人が倉庫で片付けでもしていたのか……?
「道夫。道夫なの?」
「えッ!?」
美樹さんが、名前を呼びながらふらふらと倉庫の奥に歩き出す。足元には、ポタ、と水が落ちた。
「道夫ッ! 道夫だわッ!? 道夫! お母さんよ! 道夫!」
水ではない。涙だ。美樹さんは涙を流し、倉庫の奥の闇に向けて、道夫、道夫と繰り返しているッ!
「道夫ッ! ごめんなさいッ! 私の不注意でッ! 痛かったでしょう……あんな……トラックでッ……」
「な、なんだ……誰もいないぞッ! そっちには……! な、なにかヤバイッ……か、カフェ!」
タキオンさんが危険を感じ取ったが、その前に私はその場で動けなくなっていた。いるのだ、よくないものが。これは……怪異、いや……亡霊? なんだ。しかし分かる。これは危険なものだ。逃げなくては。そうおもっているのに。
「おともだち?」
その奥に、おともだちがいるのだ。『こっちをむいている』。おともだちが。
――ピ―ッ、ピ―ッ、ピ―ッ。
「え……? なんだ、車?」
ふと、機械音が響く。甲高く、一定の間隔で響く、ビープ音。
「ああああッ! 道夫ッ! ゆるしッ! ああああ! あああ!」
グシャアアアア……生々しい肉と骨が潰れる音と共に、闇の中へふらふらと進んでいた美樹さんの足がひしゃげ、そのままパキ、パキと人間の立てる音ではない音と共に倒れた。
「あ……! う、うわあああッ!!! クソッ、なんなんだァーッ!!!」
――ピ―ッ、ピ―ッ、ピ―ッ、バックします。バックします。
「…………みち、お……」
これは……トラックなどの車両がバックするときの警告音!? 無感情なそれと共に、美樹さんの体がッ!
「カフェッ、ここはダメだッ、だっしゅつ、を……」
タキオンが咄嗟に、カフェの手を引いて蔵から出ようとする、しかしカフェは、新聞包みを解き、手を真っ黒にして、見ていた。『ぬばたま』を。
ぞわぞわぞわぞわ。まるでその黒い絵からインクが、一瞬小さな蜘蛛のようにも見えたそれが、粘っこい粘着質の水音をたてながら彼女の手を這い上っている。そして満月のような黄金の瞳は、その『黒い絵』をまっすぐに見据えていた。
「あ……あ……!」
タキオンはどうすることもできない。どうしていいかわからない。今のカフェを。自分に瓜二つな、見たこともないほど美しく、戦慄するほど深い黒で描かれた『カフェにそっくり』の『おともだち』を見ている彼女自身を。そして、タキオン自身も……
「お父さん? いや……」
闇の向こうに、自分の父親を、祖先を、そして、見知らぬ動物を見た。
「なんだ、これ」
逃げようという気は起こらなかった、逃げたくなかった。訳も分からぬまま、目の前に広がる闇の中で増え続けていく過去を。血統を。遡っていくように現れる自分に連なる古い存在に目を見張るしかなかった。これは、理屈は分からないが、自分の『先祖』や『繋がり』をたどっているのだ。そして。
――ピ―ッ、ピ―ッ、ピ―ッ、バックします。バックします。
――ピ―ッ、ピ―ッ、ピ―ッ、バックします。バックします。
――ピ―ッ、ピ―ッ、ピ―ッ、バックします。バックします。
アグネスタキオンの頬を蜘蛛が這った。