M県S市杜王町。古来より風光明媚な避暑地であるこの街の西部、ゆるやかな丘陵地帯に一軒の小さな
正月休みも過ぎた一月初め。そろそろ全国の学校の冬休みも終わろうという頃……そのトラサルディーに現れる二人の少女の姿があった。その少女たちの特徴的な耳はウマ耳と呼ばれる獣のそれにもにた形状の鋭敏な感覚が備わった器官であり、彼女たちがウマ娘――たぐいまれなる身体能力を持ち、こと走力に関しては生物界でも上位という種族であることを物語っている。
「マックイーン、小さいけど段差があるから気をつけてね、っとボクが支えるよ」
「あ……ごめんなさいね、テイオー……」
鹿毛に白い三日月めいたメッシュの入った前髪の少女が、美しい芦毛の少女の手を取りゆっくりと店の中に引き入れる。芦毛の少女は脚が悪いのか松葉づえをつき左足をひいているが、それでもその優雅な所作は様々なところから見て取れた。
二人の名前はトウカイテイオーと、メジロマックイーン。片や皐月賞、そして日本ダービーの二冠を成し遂げ先日も有マ記念で『奇跡の復活』を遂げた不屈の帝王。片や春の天皇賞2連覇を始めとした史上最強のステイヤー、そしてその優雅さからターフの名優の名を欲しいままにする優駿中の優駿であり、ライバルを公言する仲である。
「Ti stavo aspettando. お待ちしておりました。トウカイテイオーさん、メジロマックイーンさん」
からころというドアベルの音を聞きつけて、ちょうど店の奥から現れたのはこの店の経営者・シェフ・ウェイターを一手に引き受ける男『トニオ・トラサルディー』である。二人が座れるように椅子を引き、席に着くように促す。今日は特別営業であり、客はこの二人のみ……
「プリモ・ピアット。パスタ・アル・ペスト・ジェノヴェーゼでございます」
そしてまず、二人の前に供されたのは、もはや日本でもおなじみのバジリコを用いたライトグリーンのジェノヴェーゼソースを用いたパスタである。その名の通り、イタリア北西部ジェノヴァを発祥とするこのソースは『バジリコを砕いたもの』の意味を持ち、オリーヴオイルやチーズ、にんにく、松の実などと言ったナッツ類を加えたものだ。
「わぁ~っ、ボクそういえば本格的なイタリア料理って初めて食べるかも……えっと、こほん。こういうのはテーブルマナーとかが必要だよね。マックイーンのお手並み拝見だね~」
「まあテイオーったら。ですがわたくしもメジロのウマ娘。完璧なテーブルマナーをあなたに教えて差し上げますわ」
きゃいきゃいと料理を前にしてはしゃぐテイオーとふふん、みていらっしゃいなとばかりに張り切るマックイーン。
「フフ、そう形式ばったものでありません。ウチは一部の気取った食通が食べるような料理ではなく、イタリアの家庭でごく普通に食されているような味をご提供しているのでス」
「ほほお~、それではシェフのお手並み拝見……いただきまーす!」
「いただきます」
テイオーとマックイーンはいただきます、と手を合わせた後。フォークでくるくるとパスタを絡めとり、まず一口、それを口に含んだ。衝撃が走った。
「な、なにこれーーーーーーっ!!!!!? ウンまああああああああい!!!!!」
「ほ、本当ですわ……! メジロ家のお抱えのシェフが腕を振るった料理を普段食べている以上、生半可な物では驚きはしないという自負はありましたが――これは、お、おいしい。おいしいとしか言葉が出てきません!」
一口食べただけで強すぎないさわやかなバジリコの香りと、芳醇なチーズの香りが口の中に広がる。そして、ピリッと食欲を刺激する味と香ばしさの多層的なうまみ……なんたる美味。テイオーもマックイーンも、思わず目を見開いて間髪入れず二口、三口目と口に運んでしまう程だ。
「これは……なんでしょう? ナッツ類の香ばしさ……でもアーモンドやカシューナッツなどとは違う……」
「ジェノヴェーゼソースには伝統的に『松の実』がつかわれマス。最近ではおっしゃる通りカシューナッツなどで代用することも多いのでスが……」
マックイーンはそのソースが気になったのかスプーンで掬い、それだけを飲んでみていた。松の実は日本ではあまりなじみがないが、イタリアを始めとするヨーロッパ各地、北米、中国から朝鮮半島に至る東アジア、そして中東などでは食用として煎り豆や揚げ菓子のようにして食べられている立派な食材であり、これを名産としている地域すらあるほどだ。
「『松の実』はオレイン酸やリノール酸、マグネシウム、亜鉛を多く含み、中国では『中薬』という種類の薬膳漢方薬としても用いられマス。これは体を温め、肌を保湿する冬にぴったりの効果があるのでスよ。他にも内臓や脳にも良い効果があると言われています。また、ジェノヴェーゼソースの大本であるバジリコもインド医学『アーユルヴェーダ』では『不老不死』の薬効を持つとされ、大きな役割を果たすモノの一つデス」
「ほ、ほんとだ……なんだか体がポカポカして……」
「ええ、心なしか肌にもツヤが出てきたような気がします……!」
このところ、心が打ち沈みやや肌も荒れ気味だったマックイーンの肌に美しいハリがもどっていることは、チームメイトでありよく一緒に過ごしているテイオーにとっては手に取るようにわかる事柄であった。そう、マックイーンは……秋の天皇賞を直前にして『繫靭帯炎』を発症した。ウマ娘にとって致命的な病ともいわれるこの病気は過去にも偉大な名バたちを長期欠場や引退に追い込み……ご多分に漏れずマックイーンから走る、という行為そのものを奪い取ろうとしていた。いや、それだけならまだいい。無理をすれば日常生活にすら重大な支障をきたすであろうと主治医が見立てるほど彼女の繫靭帯炎の症状はひどかったのだ。
「……あなたの腕前は十分に分かりましたわ。トニオ・トラサルディーさん。医食同源とはよくいったものですし、食事療法を取り入れるというのは理にかなっています。わたくしがこの『杜王町』にいる間のお食事は事前のお話通り全て一任いたしますわ」
メジロマックイーンは引退を撤回し、長期の休養と言う事で別荘地である杜王町を訪れていたのだ。この街の海岸部にある別荘地帯には当然、メジロ家所有の物も存在し都会から離れたよい環境で心身ともに回復を図る……そう言った狙いだ。そして、そこにテイオーがついてきたのは、テイオーたっての願いであり、マックイーンもそれを二つ返事で承諾した。
ボクは奇跡を起こした。だから、今度はマックイーンが奇跡を起こす番……それを見届けるために。
◆◆◆ マンハッタンカフェは動じない#025 『ヒョウガラ列岩』 ◆◆◆
「ふう……! はあ……!」
「がんばれマックイーン、もう少し!」
杜王町中央病院。各種リハビリ施設もそろったこの病院でマックイーンは日々、復帰に向けてのトレーニングに励んでいた。といっても、まずは立って、歩くところからである。既に患部の炎症は収まっているものの、強度の強いトレーニングをするとすぐに再発する繫靭帯炎は様子を見ながら復帰していくことが肝要だ。
今日は、温水プール内で患部に負担をかけないようにしつつの歩行リハビリ。トレセン学園でも心肺強化のためのプールトレーニングはよく行ったものだが、実際アスリートの骨折などからのリハビリでも患部に負担をかけ過ぎず、かといって全身に負荷がかかり決して楽ではないプール内ウォークなどは良く用いられるものの一つだ。
「ふう……! とりあえずこれで今日のプールリハビリは終わりですわね。でも、こんなことではいけません……あともう少し――」
「ダメ。マックイーンは力はいりすぎなんだよー。焦らない焦らない。さ、プールから出て」
「テイオー……はい、わかりました……」
テイオーは肩に浮力サポートのための浮きをつけたマックイーンを傍らでサポートしつつ、彼女が根を詰め過ぎないように様子を見ていく。彼女は名実ともにチームのエースと呼ばれるが、決して才能だけに阿るようなウマ娘ではなくその実力は圧倒的な努力量に裏付けられている。それゆえに自身に厳しく、焦りからオーバーワーク気味になるであろうことはすでに彼女のトレーナーは予見していた。だが、マックイーン以外にもウマ娘を多く抱えるトレーナーは長くトレセン学園を離れられない。故に、ある意味では『リハビリ慣れ』しているテイオーをサポートとして付けたというところもある。
「次はごく軽い筋トレかな。これも筋肉をつけるんじゃなく、あくまで今の筋肉量が落ち過ぎないようにするためだから過負荷は禁物だよ、マックイーン」
「ええ、ですが……」
やはり何か言いたげなマックイーンに、テイオーはバスタオルを被せてやる。正直、マックイーンの脚の調子は思わしくない。主治医も、あの食事療法を提供してくれているトニオも症状がかなりひどいのでまず焦らないことが肝要だ、と言っているが……マックイーンは走りたくて走りたくて仕方がないのだろう。実際、レースから一度離れた彼女はどこかうわのそらで、いつもの気高い覇気を失っているようにも思えた。
(だからこそ、ボクが支えるんだ。『今の』マックイーンを……)
病気やケガからのリハビリは一筋縄ではいかない。実際、今のマックイーンが回復するにはそう、やはり『奇跡』が必要なのだ。だがそれは、ただ座って待っているだけでは訪れない。自ら、そちらに『歩んで』いかなければならないものなのだが……少しくらい『手助け』をしても罰は当たらないだろう。彼女は……いやマックイーン本人も、メジロ家の皆も、トニオも、そしてテイオーも一丸となって本来起こらない事を起こそうとしているのだから。
……テイオーは、次の日。杜王町の図書館を訪れていた。杜王町には長くとどまることになるかもしれない。だからこそリハビリの合間にでも息抜きにマックイーンを連れ出すスポットを探そうというのと、スポーツ医学関係の本をいくらか借りようという二つの目的のためだ。
テイオーは大抵図書館に置いてあるであろう、街の文化施設や催し物のパンフレットをいくつか取り、それからスポーツ医学コーナーに向かい、目についた本を適当に手に取る。どれも繫靭帯炎からのリハビリや回復事例が載った物ばかりだ。
「マックイーンは頑張りすぎてるほど頑張ってる。ボクもそれ以上に頑張らないと……ん?」
と、その時、医学書のなかに違和感のある書籍を見つける。『杜王町の医食の歴史 -ヒョウガラ列岩の海産物について-』と書かれたそれ。確かに医学カテゴリなのかもしれないが、古い装丁もあいまって妙に目を引いた。手に取って、ぱらぱらとページをめくる。
「えーと、杜王町東北部の海岸にあるヒョウガラ列岩では、アワビやタコ、ウツボ、イセエビといった海産物が豊富に取れ、かつてはこの地に避暑に訪れた侍に献上されて……ああこういうのはいいか……」
その内容のつまらなさというか、ご当地の食材紹介めいた内容に関係ないな……と本を戻しかけた、その時であった。
「……を食した走れなくなったウマ娘が、走れるようになったという記録もある……え……?」
ちらと見えた記述に、テイオーの手が止まる。そのページを探し、頁を繰る。あった。
「江戸時代後期のS藩(のちのS市)お抱え医師が日光東照宮で行われる神事に出る予定だったが足の病気によりその役目を解かれそうになっていた神馬役のウマ娘に『ヒョウガラ列岩で獲れたイセエビ』を使った特別な料理を献上したところ、その足はたちどころに治り神事は滞りなく行われた……明治時代にもイセエビを使った料理を食した走れなくなったウマ娘が、走れるようになったという記録もある」
テイオーの本を持つ手が震えた。そして。一瞬後には、テイオーはその場を駆けだしていた。
「マジでトウカイテイオーがウチに来てるゥ!? なんでだよォーッ!?」
東方憲助は困惑した。何故なら、彼が息子である常秀(異様に興奮し、かつ動揺していた)から聞かされたことはあまりにもいきなりすぎたからだ。二冠ウマ娘。そして先日有マで奇跡の復活を遂げた不屈の帝王。トウカイテイオー本人がいきなり東方家を訪問してきたなどと……最初こそ思い込みが激しい所がある常秀の冗談か何かかと思ったが、腕を引っ張られて玄関に赴けば、そこにいたのはにししっ、と笑みを浮かべるウマ娘。どうみてもトウカイテイオー本人。
「父さんッ、写真撮ってもらおうよッ……家族写真ッ! テイオーさんもいれてさッ! 大事件だッ! 大事件だよォ~~~~ッ!!!! そのまえにサインいいですかァ~~~~ッ!?」
「ちょ、お前はちょっと黙れ常秀! なんでテイオーさんがうちに!?」
憲助は、困惑のままテイオーに問いかける。うちは古い名家とはいえ、いきなり今をときめく大スターが訪問してくるなんてのは全く例がない。とっさにTVカメラとかを探す。TVのどっきり企画か何かかと思ったのだ。それでもアポとかそう言うのはあると思うのだが。
「ふっふっふ~。無敵のテイオー様と会えてうれしいのは分かるけれどちょーっとおちつくがいいぞよーっ。あ、この家のお父さんだね。ボク、トウカイテイオーって言います。今回は個人的なお願いがあってきました!」
常秀のテンション上がりっぷりに、テイオーは気を良くしいわゆる『無敵のテイオー様』気分になっていたが、家長であろう憲助が現れると、ぺこり、と頭を下げて。
「『ヒョウガラ列岩』に立ち入る許可をください……!」
そう、『ヒョウガラ列岩』は地主である『東方家』が管理している場所なのだ。当初テイオーは地元の港に直行し、そこでイセエビを購入しようと考えたが……地元漁師は、ヒョウガラ列岩のイセエビはダメだ、と言ってかたくなに売ってくれなかったし、そもそも今はイセエビのシーズンではないらしい。(だがサインはめちゃくちゃねだってきたのであげた)しかし、そうした漁師のうちの一人が、あそこは東方家の土地だから、とこぼしたのを耳聡く聞いたテイオーは、例の本にも東方家と言う記述があった事もあり、電話帳などから住所を調べ上げて直接交渉に来たのである。
「『ヒョウガラ列岩』……」
しかしそう聞いた憲助の目つきが変わった。家長……東方家を束ねる者としての威厳ある目に。
「どこでその名前を聞いたのかはわかりませんが……テイオーさん。『お断り』します。」
ぴしゃり、といい放つ憲助。常秀はなんでだよォー、いいじゃん、などとテイオー側に立っていたが憲助はそれを目線一つで黙らせた。
「あの場所はいわば地元の漁師たちにとっても『神聖な場所』で、部外者の立ち入りはすべてお断りしているのです。過去にTVの取材や大学の研究チームの依頼もありましたがすべて断っています。あの場所は杜王町に存在する『土地のパワー』がある場所の一つ。今風に言えばパワースポットとでもいいましょうか。マユツバかもしれませんが、それは存在する」
「だからこそ軽率に立ち入ってはならない。そこにあるものを持ち出してはならない。もし不用意に立ち入れば……『土地』が牙をむく」
しかしテイオーとしても、このぐらいの難航は想定のうちだ。折れなどしない。憲助の瞳を、テイオーはまっすぐ見つめながら言い放つ。
「お金ならあります。『皐月賞』。そして『日本ダービー』。『ジャパンカップ』。『有マ記念』。その賞金を『すべて』さしあげて構いません。だから、ボクにあの場所で獲れる『イセエビ』を譲ってほしい」
テイオーには『奇妙』な確信があった。ウマ娘の脚を治した記録のあるイセエビ。そしてあのトニオの医食の知識と技術があわされば……必ずマックイーンの脚は完治する。そんな確信が。
「……もう一度言います。『お断り』します。これは、お金の問題などではなく……この『土地』の『ルール』なのです。『土地』と『歴史』に敬意を払わないものは滅ぶ……我が東方一族はそうではなかったから、今まで生き残ってこれた……」
「じゃあ……仕方ないね……」
「お判りいただけましたか」
憲助は何がテイオーをこれほど必死にさせているのかはわからなかったが、その覚悟は十分に感じていた。だからこそ、断るのは心苦しく、少女の望みを叶えてやれない事を――
「『密漁』をします」
「何ィー----ッ!!!?」
テイオーは再び笑みを浮かべて言った。それは、憲助を追い込むための『ブラフ』の笑みだった。
「ナアナアナアナアナアナア、アンタ何言ってんだァーッ!? 密漁だって!? 犯罪行為だぞ分かっているのかァーッ!? 江戸時代なら『死刑』に当たる重罪なんだぞッ!!!」
しかし……そんなことは目の前の憲助には分からない。むしろ勝負事の世界で生きているウマ娘は時に勝つための策やブラフなども求められる。故に堂に入ったその態度は……憲助は動揺させるに十分。
「本で読んだんだ……杜王町には『密漁の伝統』がある。そしてそれは『芸術』にも例えられていたって……『歴史』に敬意を払えと言うなら……『伝統に倣う』のは当然じゃない?」
まあ、密漁されてたのは『黒アワビ』で『イセエビ』じゃあないんだけどね……とテイオーは付け足しさらに本気であることをアピールする。
「いや……だからと言って当然『許可』できないッ! そもそもウマ娘と言っても年頃の女の子だ……そんな子を一人で潜らせるわけにはッ!」
「大丈夫。ボク、小さい頃は海遊びが好きでね。浜のテイオーって呼ばれてたんだから。ま、それはさておき……ボクにはどうしても、『イセエビ』を手に入れなければならない理由があるッ!」
憲助をまっすぐ見据えるテイオー。その瞳に宿った力は有無を言わせぬものがあり、大人一人……動揺した憲助をたじろがせるには十分だった。既に濃密な勝負の世界で結果を出しているテイオーだからこそ出せる、その身に宿った『スゴ味』で憲助を追い詰める。
「わ、分かった分かった……そこまでおっしゃるなら、ヒョウガラ列岩への立ち入りは許可をしましょう。しかし一匹。一匹だけだ。持ち出していいのは。それにこの『私』が同行するッ! いいねッ!」
こうして、テイオーは東方家の許可を取り付け『ヒョウガラ列岩』での漁に挑むことになる……!
………………
…………
……
…
「本当に『潜る』気かい……?」
「うん、こういうのは人任せにしちゃいけないんだ。ボクが言い出したことだ。だからボクが自分でやらなきゃあならない」
既にウェットスーツを着込んだテイオーは、同じくウェットスーツの憲助ににししっと笑いながらピースサインを向ける。ヒョウガラ列岩周辺はおおよそ水深5mほどでさほど海流も早くない。ウマ娘の身体能力と監督者がいればさほど問題はない場所……ではあるはず。
「とはいえ、今は『時期外れ』だ。本当に食用に耐えるイセエビがいるとは限らないぞ」
「見つからなければ……素直に諦めて別の方法を探すよ。でも、なんとなくわかるんだ。これしかないって。あ、おじさん、先行ってるよー」
「お、オジサン……」
浜からゆっくりと水に入って行く二人。一月の海は昼とはいえすさまじく冷たく、長居はできない。列岩沿いにロープを使って進みながらテイオーと憲助は海女の使う水中を覗くための道具なども使いながら……時折軽く水に潜ったりもしつつ、イセエビを探していった。だが……やはり、簡単には見つからない。さすがのテイオーも冷たい海に何度も潜り続けることはできないため、時折浜に戻っては焚火にあたり温かい茶を飲んで体を温めつつの探索行。時間も手間もかかるし、捜索範囲も限定されてしまう。見つけたのは小魚や小さな貝、それにタコぐらいだ。
「おー、さむっ……そろそろ諦めるかい。少なくとも今日はこの辺に……」
「ううん、まだやれます。むしろこんなことに付き合わせてごめんね」
先に憲助の方がネを上げそうになる始末だったが、テイオーは次はあの辺を探してみようと挑みかかるかのように『ヒョウガラ列岩』を見つめるばかりで。憲助はその真剣な横顔をみて、ポリポリと濡れた頭を掻く。
「仕方ないな……『キング・ナッシング』ッ!」
「ん? なんか言った?」
「いや……それよりも、イセエビだが……ヒントをあげよう。ヒョウガラ列岩のあのあたり……そう、ちょうど一つ目の岩の小さな入り江みたいになってるくぼみ……あのあたりを探してみるといい」
「えー! 何か知ってるなら先に言ってよー!!!!」
『キングナッシング』。東方憲助に備わった
テイオーは、ある程度体を温め終えると再び列岩を伝いながら憲助と共にキングナッシングの突きとめた場所を目指す。そこは列岩の中でも大きめの岩のコの字型になったくぼみめいた場所であり……潜ってみると、海底洞窟とまでは行かないが更に海底に人が入れる程度の穴が見えた。そしてその奥。2mほど先にいたのは……イセエビである!
中程度のサイズでこの時期であれば大きいと言っていい。あれなら食用にもできるだろう!
いてもたってもいられず、テイオーは海に潜り穴の中のイセエビに手を伸ばそうとした。しかしその時だ。テイオーはふいに背後から肩を掴まれ、後ろに戻される。ごぼ、と驚いて息を吐くテイオーだが、それは憲助によるものだった。なぜ? テイオーは不満げな視線を憲助に向けるが、憲助は例の穴を指さしてから手でバツ印を作った。なぜなら……
(う、ウツボ……! しかも何匹もいる……!)
穴の中の岩陰からぬるりと姿を現したのは、海のギャングことウツボである。種類によっては毒を持つウツボは意外なことにイセエビと共生関係にあり、その共生相手が捕まえられそうになったからか明らかに口を開けてテイオーを威嚇しているのだ。もし気づかず、無理にイセエビに手を伸ばしていれば確実に襲われていたことだろう。
「ぷはあっ! ウツボなんてきいてないよー!!! ほかにイセエビのいる場所のヒントとか……」
「いや、ダメだ。やはり時季外れで……このイセエビぐらいしかこのあたりには『匂い』が感じられない……ああウツボが大量にいてはさすがに手が出ないな。これはもうあきらめるしか……」
一度、海面に出て息を整えるテイオー。憲助は、流石にここまでやってダメならテイオーも折れるだろうと踏み、陸へと戻ろうとしたが。テイオーはその場で波に揺られながら、少し考え込み。
「いや……あれを獲ってみせるよ。大丈夫、危ない事はしないから」
そう言って、別の場所にいったん潜っていく……。
それから数日後。トラットリア・トラサルディーにて。
「できまシタ。イセエビのビスクスープになりマス」
「すごい……これ、本当にテイオーが?」
「ふふーん」
丸まる一匹、イセエビが使われた豪勢なビスクスープを前にして驚くマックイーンを見て、テイオーは鼻の下を擦りながら得意げな声を上げた。
テイオーは、あれから別の場所に潜り『タコ』を捕まえたのである。ヒョウガラ列岩より南の黒アワビを狙って杜王町近海に多く生息するタコはウツボの大好物であるのだ。そもそもなぜ、ウツボがイセエビと共生するかと言うとイセエビも捕食対象であるタコを逆に狙ってのことであり、テイオーはそのことを文献で読んでいたおかげでタコを捕まえ、オトリにしているうちにイセエビを捕まえるという策を思いついたのだ。
「しかしどうやって、ヒョウガラ列岩に立ち入る許可を? あそこは東方家や一部の人間以外たちいることができないはず……」
「ふっふー。無敵のテイオー様に不可能はないのだ!」
などと完全に調子に乗っているテイオーの前にも、クリームオレンジのスープが供される。
「あれ、これはマックイーンのための料理じゃ……」
きょとんとテイオーがトニオに顔を向ける。しかしトニオは表情を変えずにこう言い放った。
「テイオーさん。あなたにも『食事療法』が必要です。あなたの脚は……既に3度の骨折を経ていますが、おそらくこのままであれば確実に『4度目』がありマス。そうなればさすがにあなたは立ち直れないダメージを負う」
「え……?」
「ボクが……?」
たしかに、骨折は癖になりやすい。一度痛めたり骨折した場所が再度同じ症状に見舞われるという事はウマ娘に限らずスポーツ選手にはよくあることだ。そして、テイオーはトニオの言うようにもう『3度』骨折している。そのたび不死鳥が如く復活してきたが……もう次はないということはテイオー自身が否定できないほどよくわかっていた。
「正直、マックイーンさんとテイオーさん……二人をはじめて見た時からどのようにしたものか、かなり私でも悩むところではありました。しかし、ヒョウガラ列岩の質のいい『イセエビ』を手に入れたとなれば状況が変わってくる。イセエビは日本ではハレの日の料理……縁起物とされているのはご存じデスね? ある時は神に捧げられ、ある時は勝利、長寿を祝うイセエビはいわば『神聖』な食べ物なのでス。それそのものに『パワー』がありマス」
マックイーンのためを思った行動は、図らずしもテイオー自身をも救う行動となっていたのだ。他人を思う心は、自分にも帰ってくる。因果は巡り巡って自分に帰る。なんとも古風な考え方だが……古来より神に捧げられる神聖な食材をめぐる冒険の結果としてはなんとも似合いのようにも思えた。
「さ、冷めないうちに料理をドーゾ。ビスクスープは、エビの殻まですり潰したクリームベースソースを使う、いわば食材のすべてを最も無駄なく摂取できる調理法の一つでス」
「じゃあ……いただこうか、マックイーン」
「ええ、テイオー」
二人は手を合わせてから、そのスープをゆっくりと喉に通した。
それから3か月後。東京都府中市日本トレセン学園。そのターフの上に、二人の姿があった。
「さって、病み上がりだからって容赦はしないよマックイーン。今日はボクが勝つ」
「そんな冗談をいつまで言っていられるかしら。以前より短い3000mと言っても、完全に私の距離ですから。あとで半べそ掻いても知りませんわよ」
ふふ、と両者笑みを浮かべながらもまるでG1レース前めいた闘気をバチバチとぶつけ合う。マックイーンはあれから、ご多分に漏れずテイオー、それにトニオの料理やメジロ家全員による万全のサポートもあったが全員が驚愕するほどの速度で左足を完治させ、レースと言う勝負の世界に戻ってきたのだ。だが、トレセン学園は春休み中であり、今日はちょうど練習を行っているものすら皆無であった。
「んじゃ、ボクがコインを投げて……それが地面に落ちたらスタートね」
「いつでもいいですわ。今ならまるで天まで駆けていけそうな心持ちですもの」
「ならボクは地の果てまで走っていくよ! よーい……ドン!」
桜舞う春のトレセン学園。3000m。二人だけのマッチレース。
きみとゆめを、かけるよ。