マンハッタンカフェは動じない   作:むうん

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#終『ウマ娘プリティーダービー』

「ふぁ~あ……」

 

 その日、岸辺露伴は東京都府中市内のトレセン学園にほど近いホテルの一室で目を覚ました。時間は六時半過ぎ……顔を洗い、服を着てホテルのルームサービスで適当な朝食をとる。今日はベーコンエッグとサラダ、ホテルと提携している近所のパン屋から毎日焼き立てが朝に送られてくるとか言うパン……そして、それを食べ終わると最近の取材場所……トレセン学園へと向かうための荷物をチェックする。といっても、大抵の道具は既にいつもの理科室に置いてあるため入校許可用の首にかける名札さえあればいい。

 

「さてと……」

 

そして露伴は部屋を出る直前におもむろに両手を上にあげ、手首の角度を直角に曲げる。ただし指は曲げずに真っすぐを保つ。そのまま、肩を回すように掌を胸の前に。肘は曲げない。手の角度はやはり直角90度を保つ。そのまま、指を一本ずつ折り……開いていく。

 

「準備運動、おわり」

 

ここまでが概ね、岸辺露伴の毎朝のルーティーンだ。気持ちの良い……とまでは行かないが、いつも通りの朝。

 

 

 

◆◆◆ マンハッタンカフェは動じない#終 『ウマ娘プリティーダービー』 ◆◆◆

 

 

 

 府中周辺を朝早く通ると、そこかしこで朝のジョギングをするウマ娘の姿を見つけることができる。その手のマニアにとっては垂涎の光景だろうが、府中市民にとって、もはやそれは日常風景であり、また地域ぐるみでウマ娘への理解度も高くトップクラスのG1ウマ娘レベルであっても迷惑にならぬようすれ違う際に奥ゆかしく会釈する程度で、その対応はこなれている。露伴もトレセン学園へと向かう30分ほどの間に数度ウマ娘たちとすれ違った。

 

「おはよう……」

 

トレセン学園校門……といっても数か所あり、露伴が使っているのは最も大きな正門だ。ただしここは寮から離れているので生徒はほとんど使わず、メディアやそのほかの来訪者たちがもっぱら学園に入る場所になっている……露伴はほとんど、流れの様に首に下げた入校許可証を守衛に見せると、いつものように理科室へ向かおうとしたが。

 

「あー、あなたちょっと待ってください。許可証、ちゃんとみせてくれます?」

 

「ん……あぁ……」

 

 守衛はいつも顔を合わせている人物であり、特段の会話はないがこのところはもう『顔パス』で入れてくれる程度には露伴に慣れ切っていた。それが今日になっていきなり、どういう風の吹き回しだろうか? 理事長かたづなさんあたりにたしなめられでもしたのか? とりあえず露伴はそれが正当な決まりであるため、立ち止まって守衛に入校許可証を見せてやる。

 

「岸辺……露伴さん。漫画家ですか……なるほどね。取材?」

 

「もう行っても?」

 

「ああ、ハイ、大丈夫です」

 

(……ずいぶんとまじめに仕事してるな。まぁ、これが本来正しいんだ。いいことだろう)

 

 露伴は、その時は別段気にも留めずに、まず理科室へと向かったのだが……

 

「………………」

 

 『いつもの』理科室はがらんとしていた。完全に物が片付けられており、マンハッタンカフェの私物やタキオンの実験道具が見当たらない。そして当然、露伴の仕事道具もだ。

 

「な、何ィ―ッ……ど、どういうことだこれはッ……僕の執筆道具が全部なくなってるぞッ!

 気に入って手元に置いてたド・スタールの画集までないッ! ゲホッ!? クソ、なんなんだッ!?」

 

 血相を変えてずかずかと理科室へと入る露伴だったが、そもそもここ数カ月は人が立ち入っていないのか埃が舞いあがり思わずせき込んでしまった。おかしい、何かがおかしい。昨日だってこの部屋で作業をして、仕上げた原稿をたづなさんに頼んで編集部までバイク便で送ってもらったのだから。この『手つかず』さは……!

 

 その時だった。

 

「こ、この人ですッ!!!」

 

 誰か見かけないウマ娘が、たづなさんを引き連れて自分に指をさしている。よくわからないが、たづなさんなら何かしら知って――

 

「あなたっ! 許可証を偽造してまで、学園に入り込むなんてッ!」

 

「ッ!?」

 

 学園に入り込む? ……偽造とは一体? 露伴は思わずびくりと体を震わせ、驚愕した。たづなさんには別段嫌われていなかったとは思うが……何か粗相をしたか? それとも、学園のルールを何か破ってしまったのか?

 

「あなたを不審に思った守衛室から連絡がありました。岸辺露伴という人物が取材名目で入って行ったが大丈夫か、と。急遽確認したところそんな許可、理事長も許可した覚えはない、とおっしゃっています! 当然、私も書類をチェックしていて岸辺露伴なんて名前が出てきたところは見たことがない!」

 

「な、何だってッ!?」

 

許可が下りてないだって? どういうことだ!? 昨日までカフェさんとタキオン君をあれほど密着取材していたのに、今更何かしらの不備……いや、この敵意はッ!!! まさかッ!?

 

「ヘブンズドアーッ!」

 

「ああっ!」「きゃあ!」

 

 露伴は、なんらかの『スタンド』攻撃ではないかと考え、先手を打ってたづなと女子生徒にヘブンズドアーを発動させた。ばらばらと音を立てながら、本と化したたづなと女子生徒がその場に倒れる。

 

「ハァーッ……ハァーッ……申し訳ないね、何かしらの攻撃を受けているとするなら……『記憶』の中に何かあるはずだ。失礼ッ!」

 

 有無を言わさず先手必勝……能力さえ叩き込んでしまえば、なんとでもできるのが露伴のヘブンズドアーである。そのまま、とりあえず、何かヒントはないかとたづなの記憶を読んでみる。

 

「駿川たづな。誕生日5月2日。スリーサイズはB83・W63・H84、嬉しい事があった時は土鍋でご飯を炊く……クソ、今はこういうのはいいッ!」

 

 そのままペラペラと最近の記憶を漁るが……特に変わった物はない。スタンド攻撃ではない……?

 

「警備員さんッ! あそこです!」

 

「コラーッ、なにをやっとるかーっ!!!」

 

「クソッ!!!」

 

 今度は学園の警備員だ。とにかく、今は逃げるしかない。露伴は身をひるがえし、走る。幸運は二つあった。露伴は日ごろからジムに通うなどして運動をしており、十分に体力があった事。そして、学園側もウマ娘に『不審者』を捕まえさせるようなことはせず警備員や守衛などの『人』に任せたことだ。露伴はなんとか警備員を振り切ると空き教室に飛び込み、そこから雨どいを伝ってグラウンドへと降りる。今は……午前中の座学中心の時間帯のため、グラウンドやトラックにもほとんどウマ娘たちがいない。

 

 ……露伴は、とりあえず倉庫めいた手近なプレハブ小屋へと逃げるように転がり込んだ。

 

「おや……」

 

 先客。若い女性の声。ウマ娘か。

 

「……失礼、少々立て込んでいるが僕は『正式』な『入校許可者』で――」

 

そこまで言って、露伴は気づく。栗色のショートヘア。一房のハネた毛、ハイライトのない瞳。

 

「タキオン君か……?」

 

「ふぅン……?」

 

 露伴の目の前のウマ娘は、興味深いという風に声を出した。それだけなら、見知った腐れ縁のイヤミな女子生徒であったが、彼女は『車いす』に乗っていた。

 

「タキオン君どうした、怪我をしたのかい? ずいぶん重症そうじゃあないか? 何があった。大丈夫なのか……?」

 

「……タキオン君とはずいぶんと私に慣れ慣れしく話しかけるね。何者だい、君は。まず名乗りたまえよ」

 

「…………」

 

 露伴は、その『車椅子の少女』の顔を見て確信する。タキオンで間違いないが……やはり彼女も様子がおかしい。彼女もたづなさんと同じように露伴と初対面のようにふるまっている。さすがに先ほど警備員を呼ばれた以上、手の込んだドッキリと言う線はないだろう。これは一体。いつも取材先でお目にかかるような何らかの怪異か? 何もつかめないまま周囲が激変しているという状況にしては、いつぞやの藪箱法師の一件が思い当たるがさらに周囲の記憶から自身が消えているのはより悪い状況かもしれない。

 

「僕の名前は岸辺露伴。漫画家だ。この学園に取材に来たんだが……少し迷ってしまってね」

 

 とりあえず露伴は、目の前のタキオンを警戒させぬよう妙な心持だが自己紹介をしておいた。

 

「……岸辺? 聞いたことのない名前だが……。それに取材か。災難だね……まァ、私には関係のない事だ」

 

 タキオンはそんな露伴に特段注意を払う事はなく、どこか無気力にぼんやりと暗闇で佇んでいた。今思えば、倉庫かと思ったがここはどうやら『部室』――スカウトされたウマ娘たちに与えられるチームごとの部室……の残骸のような物に見えた。例の理科室のようにろくに掃除されていないようで埃が酷く、壁に貼られたポスターはへにゃりと剥がれかけており、ホワイトボードには目指せ凱旋門賞という文言が消されずに残っている。

 

「……一つ聞くが、君はなぜこんな場所にいるんだい。もう使われていない部室のようだが」

 

「…………いや、特に深い理由はないんだ。放っておいてくれ……もっというとここは私のお気に入りの場所なんだ。一人で浸りたいときってあるだろ?」

 

 言外にさっさと出ていけ、という風な色をにじませながら捨て鉢な様子でタキオンは言う。それがどうにも露伴には違和感を感じさせた。気に入らない女生徒だったが、理知的でそうした物とは無縁の性格をしていたし、その点については一定の評価はしていたものだが。

 

「『ヘブンズドアー』」

 

 露伴は、タキオンに『ヘブンズドアー』を発動させた。彼女は眠りにつくように静かに車いすの上で『本』と化す。露伴はそのページを何枚かめくり……内容を読んで、驚愕した。

 

「バカな……アグネスタキオン……阪神競バ場での新バ戦、ホープフルステークス、弥生賞、皐月賞を4連勝し……三冠馬確実と目されながらも脚を故障し引退……その後はトレセン学園の研究科に転入……だと……」

 

 露伴の知っていたアグネスタキオンは、皐月賞の後、日本ダービーはジャングルポケット君、菊花賞はマンハッタンカフェさんに阻まれて逃したものの秋の天皇賞などを勝ち鞍として今はドリームシリーズに挑戦していたはずだ。

 

「……これは……オイオイオイオイ……待て、そんな……」

 

露伴を驚愕させる記述はそれだけではない。タキオンの記憶の中にあるマンハッタンカフェの記述はこうだ。

 

「菊花賞、有マ記念、春の天皇賞を制覇。秋にはフランス、凱旋門賞に挑戦するも大敗……その後、脚を故障して引退に追い込まれる……すまないカフェ。私のエゴに君を巻き込んでしまった。私が君に『プラン』を押し付けなければ。君はこんな結末を迎えることはなかったはずだ。結局、私は大切な『おともだち』を巻き込んで使い潰してまで『果て』にたどり着くことはできなかった。いや、そもそも『果て』なんてものはなかったのかもしれない。ウマ娘は生き物だ。限界はある。すまない、カフェ……すまない……私の責任だ。すまない。すまない。すまない。すまない……」

 

露伴は延々と刻まれたタキオンのカフェへの謝罪と後悔の記憶を直視できず、そこで読むのを止めた。……これは露伴の記憶にも似ているが、凱旋門賞は記憶にないし、カフェさんもタキオン君と同じくドリーム・リーグに挑戦していたはずなのだ……本人の記憶を読む『ヘブンズドアー』に対して『嘘偽り』はつけないはず。となればこれは。

 

「……わかったぞ……僕は『別の歴史』に紛れ込んでしまったんだッ……タキオン君はトラサルディーを訪れて『脚』の不調を解消したと聞いた。ここは……『そうならなかった歴史』なんだッ! クソ……他に何が変わっている? 反応からして、少なくとも『僕』は『この歴史』には存在していないッ!」

 

 それから、スマートフォンで露伴はいくらかの事柄を検索する。例えば自身の事。以前ならば気まぐれに『エゴサ』してみれば岸辺露伴に対する批評は簡単に見つかった。だが、いくらネットを探してみようと岸辺露伴と言う人物に対する情報は存在しない……それどころか杜王町という都市すらないのだ。当然、そこにトレセン学園の合宿所が立ったなどという事実もない。

 

「まずい……どうする? 僕のいた世界とは別の世界に来てしまったとしたら厄介だぞ……どうにかして戻らなければならないが……方法は……いや、そもそも『なぜ』僕はこの世界に居るんだッ?」

 

 ふと、露伴は思い立つ。『異世界』に転移するということはなんらかのトリガーがあるはずだ。普段の生活でそんな大それたことが起きるはずがない。そして露伴がそれを忘れているとしても……『ヘブンズドアー』で記憶を読めば、なにかしらのヒントがあるかもしれないッ! そこで露伴は『自分自身』にヘブンズドアーを発動させた。

 

「ぐ……」

 

 露伴は強靭な精神で負荷に耐え、『ヘブンズドアー』の眼を通じて自分の記憶を読んでいく。すると……

 

『2021年2月、ウマ娘プリティーダービーというゲームアプリがリリースされる。スマホゲームに興味はなかったが、流行っているので最新のトレンドを知っておくためにもプレイしておいた方がいいという理由で担当の泉君に無理やりインストールさせられる。フレンド登録とサークル登録やらもさせられた。靴を投げ合うらしいがどういうゲームなんだ?』

 

『執筆も一息ついたので、何かネタはないかと探すうちにふと、ウマ娘の事を思い出す。あまりやる気は起きないが、こういう暇な時間にやるのがスマホゲームという物だろう。とりあえず後で起動もしていないというと泉君がうるさいので少しだけ遊んでみることにする。なんだ? 馬を擬人化してレースをするというのは分かるが何故レースの後にライブをするのだろうか……』

 

『なるほど、最初は面食らったがなかなか面白いゲームだ……シナリオもこの露伴の漫画には劣るがなかなか書き込まれていて、設定にも息遣いが感じられる……飽きるまでプレイして最近の流行りと言うのをいくらか頭に叩き込んでおくのもいい経験になるだろう』

 

『30分後、泉君が打ち合わせにやってくる。それまでにサクッとデイリーの育成でもやっておくか……』

 

「……なるほど、そもそも『僕』の存在自体が『イレギュラー』ってわけか……」

 

自身の記憶を読み、露伴は理解する。この世界はそもそも『ウマ娘』というゲームの世界なのだ。タキオン君が時折、言っていた通り『ウマ娘』は科学的に解析しようとするとどうしても説明できない事象に突き当たる。それにも説明がつく……

 

「……では、『脱出』させてもらうとするか。僕には僕の世界がある。僕の仕事があるからな……」

 

 露伴はそう言うと、『空』に向けてヘブンズドアーを発動させた。

 

「正直に言うと、楽しかったよ。カフェさん、タキオン君……」

 

 ぷつん、とそこで露伴の意識は一瞬途切れ――

 

「ハッ!」

 

「もう、スマホゲームしながら寝落ちなんて……露伴先生、だらしないですよ。と言うか露伴先生もそういうことするんだなぁって感じです」

 

「おいおい、僕だって人間なんだぞ。その言い草はちょっと酷いんじゃあないか?」

 

 露伴はふわあ~と伸びをしながら、執筆机の上に置いてあったスマートフォンを見る。そう、露伴は『打ち合わせ』にやってくるであろう担当編集の『泉京香』にヘブンズドアーで画面越しに命令し、『ウマ娘プリティーダービー』のアプリを終了させたのだ。

 

「じゃあ、お疲れのところ悪いですけれど打ち合わせ……って、露伴先生、何また『ウマ娘』やろうとしてるんですか!」

 

「ん……あぁ、ちょっとね……今、いいところなんだ……あと10分待ってくれるかね」

 

「もうー!」

 

 泉はいつも以上に勝手な露伴にもう慣れたとばかりに、適当にコーヒーを入れて飲んでいた。その間にも露伴は手慣れた様子で画面をタップし、育成を進めていく。

 

「あちゃあ……SS+ランクどまりか。調子がいいときはUGまで行くんだがなあ……」

 

 露伴は画面の中で手を振るマンハッタンカフェの育成結果に、少し不満げな言葉を漏らしたが。

 

「……これはゲームなんだ。ゲームの中くらいは……最果てなんてない、ということを証明してやるぞ、カフェさん、タキオン君。この岸辺露伴がな……」

 

 泉に聞こえないよう、そうつぶやいて打ち合わせにようやく席を立つ露伴。

 

「……ありがとうございます、露伴先生」

 

「ま、私たちをうまく使ってみたまえよ……期待はしてるさ」

 

 その背後で、そんな声がスマートフォンから聞こえたような気がした。

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