ストライク・ザ・ポゼッション   作:風呂敷マウント

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誘い

 店員によって運ばれてきたミートスパゲティを雪菜が咀嚼しているのを見ながら、古城は口へハンバーグを運びながら考えていた。

 

『姫柊。なに考えてるんだ?』

『すごい分かりやすい表情してるねぇ。多分、自分や一部の関係者しか知らなかった獅子王機関三聖からの命令を知っている暁先輩のお兄さんは何者なんだとか考えてるんじゃないの?』

『なんで具体的なんだよ……』

 

 辰成が口にしたことは完全に当たっており、まさに雪菜が考えていることをそのまま言い当てたのだ。因果関係は不明だが、雪菜はくしゃみをしそうになるのを堪えた後、スパゲティを食べ続けている。口の中に入っているものを飲みこんだ雪菜は古城に聞いた。

 

「もしかして、お兄さんは凄腕の国家攻魔官だったりするんでしょうか?」

「あいつ――Cカードだっけ? 資格は持ってないからフリーの便利屋だったかな」

 

 古城からの即答に雪菜は自分の予想が外れたことに頭を悩ませているかのような表情に変わる。だが、そんな彼女の様子に気づいていない古城は言葉を続けた。

 

「まぁ、本人はバイトって言ってるけどな」

「バイトですか?」

「あぁ。たまに那月ちゃん――うちの担任に手伝わされてるみたいだけどな。その、ノーギャラで」

 

 料理と一緒に頼んだアイスコーヒーをストローで啜る古城。その表情を見て、雪菜は古城が嘘をついている様子はないと判断したのか、納得したかのような顔をしている。フォークでスパゲティを絡め取り、綺麗に食べる雪菜を古城の中から見ていた辰成がまた余計なことを話し始める。

 

『いまの雪菜ちゃんをスマホに撮ってくれませんかねぇ』

『無理だろ。ていうか、この状況で写真撮ったらまた変な誤解されるだろうが。少しだけ打ち解けたってのに』

『ちぇ……』

 

 わざとらしく、つまらなそうな声をあげて辰成は引き下がった。流石にこれ以上しつこくしてくることはないだろうと、古城は残っているハンバーグ定食をナイフとフォークを使って食べ進める。手早く食べている古城に雪菜は思わず、

 

「先輩。ちゃんと噛んで食べてますか?」

「あ、やべっ。少し前に辰成と山籠もりしてた時の癖が……」

「く、癖?」

「家では凪沙がいるから注意してるんだがなぁ……」

 

 島と外との出入りすることさえ厳しいこの島の住民から、山籠もりなどという言葉が出て来たことに雪菜は一瞬だけ訝しんだ顔を浮かべるが、そんなどうでもいいことは気にしないことにした。

 

「噛んで食べないと駄目ですよ」

「わ、分かった……」

 

 雪菜に諭されるように古城は叱れてしまう。中学生である雪菜に怒られる、高校生であるはずの古城。そのような状況に辰成は思いっきり吹き出し、腹を抱えて笑っている。辰成の笑い声が脳内に響き渡り、流石に五月蠅いと感じた古城は辰成に苦情を言う。

 

『辰成、うるさいんだが』

『ごめんちゃい』

 

 相変わらずのふざけた調子で謝る辰成。これ以上言っても真面目に謝ろうとしないのを分かりきっていた古城はそこで辰成に話し掛けるのをやめる。唐突に辰成の大きな欠伸が聞こえた。

 

『少し休むわ。夜は那月に呼ばれてるし』

『……分かった。夜になったら起こしてやるから、大人しく寝ろ。いいな、大人しくだぞ』

『あいあい。じゃあ、あとは頼むわ』

 

 言い終わると、辰成は古城の中で眠りについた。やっとうるさいのが黙ったので、古城は心の中でほっと息を吐く。その所為で余計早食いに拍車が掛かったのか、あっという間にハンバーグ定食を平らげてしまう。

 

「先輩……」

 

 雪菜がジト目で古城を睨む。注意した傍からこのザマである。近くの席で魔族連続襲撃事件がどうのという話をしている集団がいたが、雪菜と古城は右から左へと聞き流していた。程なくすると料理を食べ終わり、料金を払ったファミレスを出た古城は自宅へ帰る為に歩き出すのだが、

 

「何で尾いてくるんだよ」

「私は先輩の監視役ですから。当然です」

 

 古城はげんなりとした表情を浮かべる。一緒にファミレスを出た雪菜の所為だ。雪菜は、なぜそんな顔をされるのか分からないといった顔をしていた。今日のところはこれくらいで監視するのは諦めてくれるかと期待していた古城の思いは、あっけなく打ち砕かれてしまった。

 美少女である雪菜が隣を歩いている。それだけでも周りからの視線が集中するのだから、古城の胃は痛みに支配される一歩手前になっていた。辰成の所為で以前から蓄積していた胃へのダメージが限界に近いのか、古城の胃は堪え切れそうもなかった。

 

「い、胃が……」

 

 隣にいる少女に監視されるストレスと、いま感じている視線たちをこれからも雪菜と共にいると起こるのかと軽く絶望しそうになる古城。辰成は眠っている為、手助けしてくれる人物などいない。

 

「せ、先輩? だ、大丈夫ですか?」

 

 古城は先程食べた料理が逆流しそうなのを我慢する。胃の部分を押さえて、道端に座った。そんな古城を心配した雪菜が声をかける。

 

「だ、大丈夫だ。鞄の中に胃薬が――ない」

 

 自分の鞄を漁り、中身を探すが鞄に入れていたはずの胃薬が入っていなかったのだ。

 

「マ、マズい……」

 

 絶望に染まった顔に早変わりである。古城はムンクの叫びにも引けを取らない表情をしている。見かねた雪菜は古城の腕を取り、その場に立たせると古城へと肩を貸した。それが古城へのトドメになるとは知らずに。周囲からの視線が先程よりも強くなり、古城の胃へと多大なダメージを与えた。

 

「ちょ!? ま、待て、姫柊! 俺の胃が! 俺の胃があああああああああああああああ!」

「だからこうして、肩を貸してるんじゃないですか!」

「ちょ、待てえええええええええええ!」

 

 少年の悲痛な叫びが近辺に木霊したという。雪菜に連れられ、自宅付近まで戻ってきた古城の胃はすでにボロボロだった。古城は軽く白目を剥いていて、話す気力もほぼなかった。古城に心配そうな声をかける雪菜の後方から、別の少女の声が響いた。

 

「あれ? 古城君と、雪菜ちゃん?」

 

 白目を剥いて意識朦朧としている物体とその物体を支える少女を見た部活帰りの暁凪沙が、自然と声をかけていたのだ。古城へと近づいた凪沙は、彼の表情だけで何となく察してしまった。

 

「また胃がやられたんだね……。辰成君の所為だよもう」

 

 自分の兄である古城の顔を見ただけでそう判断した凪沙。頭に手を当てて、軽く溜息を吐いていた。溜息を吐き終わった彼女は雪菜から古城を預かる。

 

「雪菜ちゃんはもう帰っていいよ。もうホントに古城君は駄目だよね。女の子に家へ運んでもらうなんて。辰成君の方がその点まだちゃんとしてるよ。なんで白目を剥いてるかな、古城君は」

「お、お前。ほ、本人がいるのにそういうこ――」

 

 古城は僅かながら残っていた気力で凪沙からマシンガンの銃弾の如く放たれる言葉にツッコミを入れようとするが、途中で力尽きてしまった。雪菜は傍に居た凪沙の言葉に圧倒されたのだろうか、ぽかんとした表情を浮かべている。雪菜の表情を見て、何を勘違いしたのか凪沙は雪菜に心配そうな声をかけた。

 

「雪菜ちゃん、大丈夫? あ、まさか古城君に何かされた?」

「い、いえ! 大丈夫です! な、何もされてませんから!」

「本当に?」

「わ、私はこれで。先輩にはお大事にと伝えておいてください」

 

 雪菜はそう言い残すとそそくさと古城のマンションから逃げて行く。残されたのは呻いている古城とその妹である凪沙であった。

 その事を夜になって起こされた時に聞いた辰成は彼を笑う事はせず、慰めるような目で見た。自分の胃を弱くした張本人である辰成にまで気遣われた所為で、古城は余計に落ち込んだのであった。

 

 その夜。未だに胃へのダメージが残っていることを気にしながら就寝した古城と入れ代わり、辰成は眠っている凪沙に気づかれないようにマンションから出て行った。ちなみに辰成と古城は入れ代われば、体へのダメージは共有しないので古城の胃にダメージがあろうとも、辰成の胃が痛くなる事はない。エレベーターを降り、目的地まで徒歩で歩いて行く。

 指定された場所の近くまで来る。そこは大きなビルの前だった。辰成はふうと小さく息を吐き、ビルの中へと入る。指定されたフロアまで来ると、そこには小さなブリーフケースを足元に置き、右手に畳んだ日傘を握っている那月が仁王立ちで待っていた。

 

「悪いな。こんな時間に」

 

 申し訳なさそうに言う那月。だが、本当に申し訳なく思っているのか疑いたくなる彼女の表情に辰成は心の中で苦笑した。

 

「いや、問題ないさ。どうせ俺はお前の言う事を聞かなきゃいけないんだからな。取引の所為で」

 

 そこで一旦言葉を止め、辰成は那月の目を見た。辰成でなければ分からなかったであろうその視線。罪悪感に苛まれているかのようなその瞳を見た辰成は言う。

 

「だけど、そうでもしなければ連中は俺が体に戻ったら、永遠に刑務所かお前の監獄結界へぶち込んでいたはずだ。こうしていられるでも俺はありがたく思ってるよ」

「……そうか」

 

 那月は辰成の言葉に短く返事をする。辰成が言わんとしていることを即座に理解したからだ。

 

「で、今度の仕事はなんだ、那月?」

「場所が悪い。私の家――というか、隠れ家みたいなのに移動しよう」

 

 足元のブリーフケースを手に取った那月が消える。空間制御の魔法を使ったのだ。高位魔法使いや魔女でなければ使用するのは難しいと言われている魔法である。気配を辿り、ビルの屋上に那月の気配を感じた。辰成は同じようにその場から姿を消す。魔法ではなく、自分自身の能力で。

 空間掌握。彼は自分の力をそう呼んでいた。一応、辰成は過適応能力者と呼ばれる存在である。那月の隣へと空中から辰成が急に現れ、地面へと着地する。那月はそのことを事前に知っていたかのように堂々としていた。同じ空間を操る者同士、お互いの能力は把握しているのだから。

 

「相変わらず、私の一歩下を行く能力だな」

「ひでぇ。本人がここにいるのに貶したよ、こいつ」

 

 他人からすれば、幼女に高校生の男子が小馬鹿にされているようにしか見えないが、本人達にとってはいつも通りである。

 那月が再び消える。辰成もそれを追って消えた。夜の街を、空間移動を繰り返す。そして、那月宅の前に二人は出現した。家を視界に入れた辰成はちょっとした違和感に気づいた。

 

「ん? もしかして、ここの空間を弄ってあるのか?」

 

 試しにスマホを取り出し、常に機能を停止させている位置情報を使用する。起動させ位置を特定しようとした辰成だが、スマホの位置情報はエラーを起こして、正常な位置が分からないようになっていた。スマホをスリープ状態にしてポケットにしまう。

 

「やはり気づくか。当たり前だ。私を狙う者も少なくはないからな」

「ホテルは……何処から誰が襲ってくるかも分からんから却下だよな、うん。あとお前、警備とか嫌いだろうし」

「あぁ、その通り。ホテルに泊まるよりは自分で決めた家や部屋の方がまだマシだ」

 

 玄関の鍵を開けると、入れと那月は言う。彼女の言う通りに辰成は家へ入る。廊下を歩き、リビングへ繋がると思われる扉を開けた。眼前に広がるリビングを見た辰成は、思わず呟いた。

 

「なんですかこれは? なんで無駄に高そうな家具ばかりあるの? 俺みたいにどっさり置いてるじゃん」

「お前の場合は、自分の部屋に入りきらないアニメグッズで埋め尽くしているだけだろ。一緒にするな」

 

 リビングへの入り口を防いでいる辰成の腰を、那月は邪魔だと言わんばかりに日傘の柄で小突いた。体を動かし、辰成がリビングに入る。それに続き、那月もリビング内へ入室した。辰成を椅子に座らせると那月はブリーフケースを椅子に置くと、すぐさまポットに保温しておいたお湯でインスタントコーヒーを入れて、彼に出した。自分の前には紅茶をそっと置いた。それを見た辰成は驚嘆したかのような声で言う。

 

「お前が人に飲み物を出すとは……」

「私だって客にはこれくらいするぞ」

「客に茶を注がせてるのかと思った」

「どうやら、私と肉体言語で語り合いたいようだな? いや、お前の肉体年齢的に補導がいいか?」

「補導は勘弁してください」

 

 その言葉を聞いた瞬間、辰成は反射的に頭を下げて謝っていた。面白くなさそうな顔になる那月。

 

「全く。どうしてこんな性格なってしまったんだ、お前は」

「時の流れかな?」

「あの辰成は何処へ行ったのか……」

 

 那月は腹立たしそうな顔をしながら、左手で米神を押さえる。頭痛もするのか、痛み止めはどこだと言い始めている。辰成が日頃から女への変態的な言動を発するようになったのがどうしても理解出来なかったからだ。人生を変えるような出来事の所為で、彼の性格が豹変したのだとしても。

 

「さぁ、どっちが本当の俺なのか分からんよ。自分でもどっちが本性なのか。那月は前の俺の方がいいか?」

「それを決めるのは私ではないさ。私は、お前がこうして暁を介してでも生きていてくれるだけで十分さ」

「……那月。ありがとう。昔からの付き合いでそう言ってくれるのはお前だけだよ」

 

 辰成の混じり気の無い感謝の言葉。何故、平気でそういうことが言えるのか。再会して数か月は経つのに、那月は分からなかった。辰成に聞こえないように小さく深呼吸する。

 

「何故そんなことが言える? お前は私の被害者だぞ。私に仕返ししてやりたいとは思わないのか?」

 

 辰成はすぐに答えない。しばし考え込むような仕草をしてから言葉を口に出した。

 

「お前をぶん殴ったり殺したりしたところで、あの日々は戻ってこない。それに、あれはお前だけの責任じゃないだろ。ちゃんと気付けなかった俺にも非はある」

 

 自分の所為だと言い張る那月とお前だけが悪いんじゃない。自分にも責任があると言う辰成。二人の意見は噛み合わない。そんなことなどすでに分かりきっていた辰成は両手を上げて降参の意を示す。

 

「それより仕事の話をしようぜ? そのことで俺を呼んだんだろ?」

「あぁ、そうだ」

 

 那月は紅茶を一口飲むと、自分の隣にある椅子に置いていたブリーフケースから書類を何枚か取り出す。その書類を、コーヒーに口をつけている辰成へ手渡した。コーヒーの入ったカップを邪魔にならないようにテーブルへ置くと、辰成は書類をペラペラとめくっていく。一通り見終わった辰成は書類を無造作にテーブルへゆっくりと置いた。

 

「この事件か」

 

 書類に書かれた事件のことを知っていた辰成は顔を右手で覆いながら、小さく首を横に振る。それ最近この島で横行している魔族狩りに関するものだった。そういえば那月もこの事件を担当していたなと、コーヒーが入ったカップに触りながら辰成は得心した。

 

「どうかしたか?」

「俺の所に依頼が来ててな。荒事関連で俺を贔屓にしている企業があってさ、そこの副社長の息子が襲われたんだと」

 

 敢えて企業名を出さず、そう説明する辰成。那月から手渡された書類に挟んでにあった被害者の写真。そのなかの一枚を取り出して、那月の手元へと突き出した。

 

「この少年か。確か今も危篤状態で入院中のはずだが……」

「あぁ、だからその敵討ちして欲しいんだとさ。ま、小難しい依頼よりそっちの方が手っ取り早くて助かるが。でもやめてほしいんだよなぁ、別の依頼もあるってのに」

 

 そこで一旦言葉を止め、

 

「はぁ、俺は一応、無闇にそういうことが出来ないはずなんだけどね」

 

 強調するかのように一応の部分を力強く言う辰成。その言葉を聞いただけで那月は分かってしまった。目の前にいる幼馴染である男がまた闇に一歩近づくつもりなのだと。依頼であろうがなんだろうが、また荒事に介入するということを。

 

「お前……最初から取引の内容を守るつもりはなかったということか」

「いや、守ってるよ。あくまでも取引の範囲内でヤバいことをする必要性が出てくるって話なだけ。それなら連中も納得するだろ? そうすれば、この島の治安は守られるんだから」

 

 那月は黙っていた。自分よりも権力を持っている者がそのような行動をとることを、ある種の契約の範囲で許可しているのだ。彼が非合法な事を行うのを。自分が言ってもどうにもならないというのを、イヤになるほどに分かっていた。だから、余計なことは言わないのだ。

 リビングに設置してあるテレビさえつけていない静かな部屋に、二人の呼吸音が一際大きく聞こえる。二人の間に流れる沈黙はほんの数秒のことだったが、本人達にとっては数分にも及んでいたかのように感じられた。那月が切り出す。彼女の小さな唇が揺れる。

 

「お前はそれでいいのか?」

「闇に浸かるのは得意だからな」

 

 そうきっぱりと言い切る辰成に那月は再び黙った。彼女らしくない態度に辰成は首を傾げる。言い方は悪いが、独特である那月から発せられるいつもの雰囲気がいまの彼女からは感じられなかったのだ。

 

「おい、いつもの傲岸不遜っぷりはどうしたよ?」

「お前の前でそれが出来るなら苦労はしない」

 

 那月は再び紅茶を口にする。それに合わせて辰成もコーヒーを飲む。小さな溜息が那月から漏れる。彼女が溜息とは珍しい。先程のらしくない態度に続いて、辰成は心の中でそう呟いた。

 

「はぁ、少し気にしすぎだと思うぞ」

「いつもなら気にしないんだが、お前が絡むとなるとそうもいかん」

「そんなに俺の事を思ってくれているなんて、黒髪美少女愛護冥利に尽きるな」

 

 古城が起きていたなら「キモイ」と突っ込みを入れていたであろう笑みを浮かべる辰成。那月はその笑みを見ながら表情や目つきを微動だにせず、虚空から戒めの鎖(レージング)を出現させて彼を絡め取ろうとするが、

 

「お前さ、俺にこれが効かないってこと忘れたのか?」

「ふん」

 

 戒めの鎖の出現方向を空間の僅かな歪みから探知した辰成は、片手で那月が出現させた鎖を叩き落したのだ。なんともないといった風に辰成は那月に出された飲み掛けのコーヒーに再び口をつけた。神々が鍛えた鎖をいとも簡単に落とされたにも関わらず大したリアクションも見せない那月は、辰成の反応を見て戒めの鎖をしまう。

 

「なんだよ。褒められるのがそんなに嫌なの?」

「お前のその見るに堪えない気色悪い笑みさえなければ、十分嬉しかったさ」

 

 ひでぇ、と小さく呟いた辰成はカップに残っていたコーヒーを全部飲み干した。座ったまま、書類を纏めて那月に返す。

 

「俺の呼んだのは、その事件の捜査を手伝えってことだったんだろう。お前の指示には従うが、行動する時は俺一人で動かせてもらってもいいか?」

「よかろう。お前の場合、単独の方が色々とやりやすいだろうからな」

「ありがと、なつちゅきちゃん」

「気持ち悪い」

「ありがとうございます」

 

 真面目な雰囲気から一転、辰成の所為でふざけた雰囲気になってしまった。那月の罵倒に笑顔でお礼を言う始末である。その表所を見て怒る気力さえ湧かず、呆れ顔になった那月は溜息を吐いた。

 

「全く……」

「んじゃ、俺はこれで帰るわ。コーヒー、ごちそうさん」

 

 那月にそう言い残すと、リビングから出て玄関へと向かう。その後ろを那月はついて来て、辰成が帰るのを見送ろうとする。靴を履き終わり、那月の家から出ようとした辰成に那月は声をかけた。

 

「辰成」

「なに?」

「気を付けて帰れよ。それと暁には明後日は学校だから、絶対に遅刻するなと言っておけ」

「あいよ」

 

 辰成を心配した那月の言葉。その言葉に対して、振りながら辰成は那月の家から去って行った。

 

 

 空間掌握で夜の街を移動している辰成はある地点まで来たところで地面へと足を付けた。だが、周りを見渡した辰成は頭を掻いている。

 

「あれ? 着地する位置ミスったかな……。仕方ない、歩くか」

 

 足を一歩、前へ踏み出したところで辰成は僅かな異変に気付いた。風に運ばれた鉄の匂いが辰成の鼻を突いたのだ。眉を顰め、臭いが漂ってくる右方へ体を向ける。嫌な予感を覚え、隠し持っていたオートマチック式のハンドガンを取り出し、それを左手に持った。万が一の為に妨害術式を発動させる準備をする。

 

「――おいおい。まさかとは思うが、冗談じゃねえぞ」

 

 先程まで那月の家で話していた魔族狩りの話が、辰成の脳内をちらついていた。自分の感が外れていることを祈りながら、視界の先に居る人影の方へと近づいていく。一人は大柄な男で右手に武器を持ち、風が羽織っていると思われるマントを靡かせている。もう一人は小柄な子供のようだった。隣の男と比べれば、かなり小柄だと素人目にも判断出来るほどだ。

 

「あれは……」

 

 その二人の足元に何かが倒れている。倒れている何かはピクリとも反応しない。雲に隠れていた月が姿を現し、いま居るこの場所を照らす。

 そこにあったのは血に濡れた二つの物体だった。片方は肩から腰にかけて体を引き裂かれ、呻いている獣人。もう一方は左腕があり得ない方向へと曲がり、激痛に喘いでいる男だった。辰成は彼らに見覚えがあった。昨日、あのショッピングモールで眷獣を召喚した吸血鬼とすぐ傍で気絶していた獣人だったからだ。

 辰成の予感が当たった。本能が告げる。いま自分がいるのは件の魔族狩りが行われている現場なのだと。そして、視界にいる二人の人影が倒れている二人を襲撃した張本人だと。息を吐いた辰成はわざとハンドガンのコッキング音を大きく鳴らし、彼らを見下ろしている大柄な男と子供――少女の体を自分の方へと向かせた。

 

「テメェら、そこで何してやがる?」

 

 粗暴な口調に早変わりしている辰成。彼の登場に、男の方は予想外だったと言わんばかりの顔で彼を見ている。少女の方は無表情のままだ。

 

「これは思わぬことが起きましたね。日本語で言えば、飛んで火に入る夏の虫といったところでしょうか。私達のことを陰から見ていたのでしょうが」

 

 そこで一旦言葉を止めて、

 

「少年、気配から察するにあなたは魔族に近い存在ですね」

 

 丁寧な口調で男が言う。獲物を見つけたといわんばかりのギラついた目付きで。辰成は男の表情だけで即座に分かった。こいつは自分を殺す気なのだと。空間掌握を使えば、追いつかれずに逃げるのも簡単だ。だが、一度犯人と対峙しておいてすぐに逃げるという選択肢を、辰成は取るつもりなどなかった。辰成の意識が左手に集中する。すでに妨害術式の準備は完了していた。

 一番の優先順位は襲撃の容疑者である男と少女の捕縛。プランBとして、捕縛は出来なくても、せめて撃退だけでもすると計画を即座に立てた。依頼は捕縛した後で果たせばいいと、頭の隅に追いやる。少し離れた位置に立っていた少女が半月斧を右手に構えている男の隣へ来る。辰成は彼女の顔を見た。

 機械的な少女。それが彼女を見た辰成が抱いた第一印象だった。男の服装に何処か見覚えがある辰成は思い出そうとするのを一旦やめ、目の前のことに集中する。

 

「もう一つ実験といきましょうか? 少年、得物はどうします?」

 

 スポーツバックを辰成の前へと男は放り投げた。眼前にスポーツバックが転がる。中身を見た辰成は中身に顔を顰めた。中に入っていたのは大量の武器だった。なんでこんなものをという疑問が湧いたがすぐに答えに行きついた。視線の先にいる獣人の近くに武器が転がっているからだ。

 ――こいつ、襲撃した相手にわざと武器を持たせているのか。胸糞が悪くなる嫌な事実に行きついた辰成は舌打ちをしながら武器を選ぶ。辰成は迷わずに両刃の西洋剣を持ち上げた。それを右手だけで構え続ける。

 

「ほう。それだけでいいのですか?」

「あんたこそ、そんな斧一つで大丈夫かよ?」

 

 男に対して、高圧的な態度でそう言ってのける辰成は、那月のアレが移ったかなと心の中で少しだけ息を吐いた。

 先に動いたのは辰成だ。右手で西洋剣を引き摺りながら、右薙ぎで男を引き裂こうとする。男の戦斧がそれを防ぐ。右手に力を入れた男は剣を弾き、態勢を崩させてから辰成へと戦斧を振り下ろす。直撃したと確信した男だったが、

 

「なにっ!?」

 

 辰成の姿はそこにはなかった。空間掌握で消えた辰成が男の後方から襲い来る。辰成の気配に気づいた男は振り返り、戦斧で西洋剣を薙いだ。西洋剣を握っていた辰成の右手に、男の攻撃の重さにより痺れが走るが一時的なものだったのですぐに治まった。

 男との剣戟により辰成の中にある記憶が蘇った。西欧領域にいるある者達のことが脳内を駆け巡る。その人間たちと目の前にいる屈強な男が重なって見えたのだ。

 

「今のは空間制御の魔術――否、これは魔術ではない」

 

 男の値踏みするかのような表情に対する返答として、剣の柄で男の腹を小突こうとするが男が身に着けていた金属製の何かに阻まれてしまう。その隙をついた男が戦斧で辰成の胴を寸断しようと振りかぶった。だが、素早く反応した辰成には効かず、空間掌握により再び躱されてしまった。

 男が間合いを一気に詰める。戦斧を水平に薙ぎ、辰成の首を切断しようと迫る。咄嗟に上半身を逸らして斬撃を回避した。距離を取り、地面に着地した辰成は息のリズムが少しずつ乱れて来ているのを感じ取っていた。それはこれ以上の戦闘は危険というサインでもあるのだ。古城の身体能力が辰成のスペックとうまく適合できていないのが一番の原因ではあるのだが、ここまでラグが出てくるのは予想外だった。

 

「良い腕だ。流石は西欧教会の祓魔師といったところか」

「ほう、私の正体を僅かな時間で見抜くとは。貴方、只者ではありませんね?」

 

 辰成の口から出た言葉にそんな感嘆を述べる男は、自分の顔は勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。

 

「アスタルテ!」

 

 名を呼ばれるまでずっと辰成と男の戦闘を眺めていた少女が動き出した。男の前まで来ると目を見開き、静かに言葉を発した。

 

命令受託(アクセプト)

 

 少女がそう小さく呟いた瞬間、魔力の異常を感知した辰成を魔力痛が襲う。苦悶の声を上げ、その場に立っていられなくなった辰成は敵の前で膝を付いてしまった。だが、隙だらけになっている辰成に対して男が襲ってくる様子はない。少女に手を下させる気なのだ。

 

執行せよ(エクスキュート)

 

 少女の背中から虹色の巨大な腕が二本、体内から這い出てくるかのように出現した。少女は表情を変えず、そのまま歩き続け辰成へと近づいて来る。少女の背中から這い出てたものを睨んでいた辰成はそれが何なのか、本能的に悟った。

 

薔薇の指先(ロドダクテュロス)

 

 ――眷獣。本来なら吸血鬼のみが保有できる強大な力。それが今、辰成の前に居た。昨日のD種が放った眷獣とは比べ物にならないほどの魔力濃度に頭痛は激しさを増していく。古城は寝てしまっている為、古城の魔力による頭痛の中和は不可能である。激痛に苦しむ辰成へ巨木と見間違わんばかりの両腕が迫る。

 

「クソが……!」

 

 辰成は苦し紛れに指を屈伸させ、左手に握っていたハンドガンから事前に準備しておいた対力弾を射出した。眷獣の右腕に銃弾が直撃する。直撃した部位から眷獣は崩壊を起こしていき、消失した。眷獣を無理矢理消滅させられた少女はその衝撃を直に受けたのか、苦痛の表情をしている。自分の眷獣をいとも簡単に消失させられたという異常な状況に後退せずにはいられなかった。男の隣に接近し、現状を報告しはじめる。

 

実行不可(エラー)。眷獣の即時再顕現は不可能。顕現過程に致命的な欠陥(バグ)があります」

「なに……?」

 

 アスタルテから告げられた言葉に殲教師は驚きの表情を浮かべた。眷獣を消滅させただけではなく、今すぐに再顕現すら出来ないほどの何かを少女に叩き込んだ辰成に警戒のレベルを上げる。

 魔力痛から解放された辰成は立ち上がり、殲教師の男に対して右手に握っている西洋剣の切っ先を向けた。対力弾の再チャージも忘れずに行う。

 

「さぁ、どうする? いまの弾を俺はまだまだ撃てるぜ」

 

 (フェイク)だ。また対力弾を撃てたとしても、現在の状態で撃てるのは精々一、二回が限度。見破られれば、相手の攻撃により辰成はこの場で眠っている古城を残して消滅する。殲教師と辰成は、お互いに何かを隠し持っていることは分かっていた。緊張が走る中、先に殲教師の男が声をあげる。

 

「……いいでしょう、ここは引くとします」

 

 そう言い残し、殲教師の男は少女と共にその場から逃げて行った。残されたのは男に重傷を負わされたD種と獣人、息切れ寸前の辰成だけだった。地面に尻がつきたい衝動を抑えながら辰成はD種と獣人の傷を確かめた。人間であれば間違いなく即死であっただろう傷が辰成の目に飛び込んできた。幾ら生命力の強い種族であるからといって、このまま放っておけば彼等は死んでしまう。

 治癒能力などという力を持ち合わせていない辰成は右手でズボンのポケットのチャックを開けて、中から仕事用の携帯を取り出して警察に匿名で電話を掛ける。

 

「もしもし、警察ですか!? 男性二人が誰かに襲われて、場所は――」

 

 わざとらしい声をあげて現在の場所を告げると急いで電話を切り、仕事用の連絡先である別の番号に連絡を入れ始める。二、三回の呼び出し音が鳴った後、相手が電話に出た。

 

『辰成。どうした、家に帰ったんじゃなかったのか?』

 

 電話の相手は那月だった。辰成は簡潔に今しがた起こった出来事を告げる。

 

「件の犯人に遭遇した。捕縛は出来なかったが、なんとか撃退した。他に被害者が二人いる、重傷だ。警察にはもうすでに通報してある」

『なにっ!? ……怪我はあるか?』

「ない。……っくそ」

 

 魔力痛の影響により、急な頭痛に襲われた辰成は左手で頭を押さえた。辰成の苦しそうな声に那月は心配したかのように声をかける。

 

『大丈夫か?』

「いや、魔力痛で頭が吹き飛びそうになった挙句に、今度は普通の頭痛が襲ってきただけだから問題ない。本当なら今すぐにでも説明しにいきたいとこだが、この頭痛じゃ無理そうだ。明日、時間あるか?」

『少しなら』

「じゃあ、そん時に説明するわ。わりぃ」

 

 気にするな、という那月の言葉を聞いた辰成は、いま自分がいる場所を伝えて救急車を寄越すように告げると通話を終わらせた。気が抜けたのか、地面へと座り込んでしまう。体感では十分ほど経った頃、四方八方から救急車と特区警備隊のサイレン音が鳴り響いているのに辰成は気づいた。

 これ以上この場に居られないと、辰成は頭痛を我慢しながら立ち上がる。空間掌握でその場から消え、移動を繰り返して自宅マンションの前まで戻って来ていた。

 

「やっぱり、自分の体じゃないと駄目だな」 

 

 無理な連続移動により、陸酔いに似た体調不良に襲われた。頭痛と吐き気、嫌なダブルパンチに見舞われながらも深夜帯に外出をしていたことがばれないよう、自宅のドアを凪沙にバレないようにこっそりと開ける。自室のベッドへとダイブした辰成はそのまま寝間着に着替えることもせず、戦闘による疲れからそのまま寝てしまった。

 翌日の朝。気怠さと頭に残っている痛みに耐えながら、辰成は何とか起きていた。状態異常などは共有が出来ないので、古城には何の影響もない。頭痛薬などを飲んだり朝食を食べていた際に学校まで行く許可を古城から貰い、体を一時的に借りることとなった。那月へ昨日の出来事を教えに行くことになった。自分が寝てる間に何があったのかという古城の問いに辰成が閉口して答えないまま、マンションの一階まで下りてきた。そこへ、

 

「おはようございます、先輩」

「おはよう、雪菜ちゃん」

 

 雪菜は自分を呼んだ声に違和感を感じ、辰成へ下げていた頭を上げた。雪菜の鈴を張ったような目が揺れる。眼前に居たのは古城ではなく、瓜二つの顔をした少年。一昨日、自分に妹になれと逮捕ものの発言をした男だったのだから。

 

「し、失礼しました。暁先輩と見間違えました……」

「まぁ似てるからね。俺と古城」

『似てるっていうか、俺の容姿を借りてるだけだろお前は』

 

 あの時の嘘を貫き通そうとしてる辰成は古城の発言に対し、それは言わんでいいとツッコミ役に回った。もちろん心の中で。辰成にツッコまれたことに古城は不服そうな声をあげる。そんな古城は蚊帳の外へと追いやり、辰成は雪菜との会話を続けることに決めた。

 

「いや~、一昨日はゴメンね。あんなところで魔力ぶっ放したアホの所為でついキツイ言葉をぶつけちゃって。イラついてたのよ、あの時」

「い、いえ、謝らないでください。私が軽率な行動をしたのは事実ですし」

 

 嘘偽りなく本当に反省してる様子の雪菜を見た辰成はそれ以上余計なことを言わないようにした。やはりと言うべきか、雪菜はまだ辰成の方を若干警戒している様子も伺えた。当の辰成は何食わぬ顔で雪菜と会話を続けようとする。

 

「それで、雪菜ちゃんはここで何してるの? やっぱり古城の監視?」

「はい。それもありますけど、来る予定になってる引っ越しの荷物を待ってるんです」

「引っ越し……あっ」

 

 完全にこの後に起こることが予測できた辰成は歓喜しそうになるが、古城にとってはたまったもんではないので表情には決して出さなかった。そんな二人の近くに一台の引越し業者のトラックが止まった。トラックを見た古城が疑問の声をあげる。

 

『なんでまた?』

『お隣の山田さんが引っ越して行ったし、それにほら隣にいるでしょ。荷物を待ってる子が』

『……おいおいおい、冗談だよな? 冗談だって言ってくれ。こいつだけでも大変なのに隣に姫柊が越して来たら……でも待てよ。四六時中女の尻を追っかけてる辰成より、姫柊の方がまだマシなんじゃ……』

『おい、さり気なくディスんじゃねぇよ。いつ俺が四六時中女の尻を追いかけたよ』

『え?』

『え?』

 

 二人がアホな会話をしているうちに、引っ越しの業者は雪菜の荷物を彼女の部屋まで運んで行っていた。段ボール三箱という荷物の少なさに思わず辰成の目を通して見ていた古城は首を傾げた。辰成はそれほど気にしている様子はない。自分で荷物を運んで部屋に行こうか、このまま辰成に聞きたい事を問いただそうか考えている雪菜に辰成は声をかけた。

 

「俺でよかったら荷解き手伝うよ」

「い、いえ。一人で大丈夫です。それにお兄さんは何か学校へ用事があるんじゃないですか?」

 

 辰成の服装を見た雪菜はそう返事をした。今の辰成は古城の制服を借り、待ち合わせ場所である彩海学園に向かおうとしていたのだ。

 

「いや、別にそんな急ぎの用でもないからいいよ」

 

 時計を見て、まだ予定の時間まで余裕があることを確認した辰成の言葉に雪菜は甘えることにした。とりあえず、彼女の部屋までエレベーターで行くことにした二人は一緒に中へ入る。そしてエレベーターが古城と雪菜の家がある階層まで上ったことを告げた。

 エレベーターから降りた二人。雪菜に先行してもらい、先に部屋の鍵を開けてもらうことにした。

 

『マジでうちの隣かよ』

『いいじゃん、これで雪菜ちゃんにエンカウントする確率上がったようなもんだし。嬉しくないのか?』

 

 喜んでるのはお前だけだと、古城はまた溜息を吐いた。もう一生分の溜息を吐いたんじゃなかろうか。先程はああ言ったものの、自分を監視する為に派遣された少女がお隣になってしまい、頭を悩ませ始める羽目になった。彼女自身のことを別に嫌っていない古城だが、流石に近くでこれからも監視し続けられるとあっては堪ったものではない。

 

「……家具、なんにもないね」

 

 だが、そんな古城の心情を知ってか知らずか。辰成は彼の言葉に何も返事をせず、雪菜の部屋を見渡した感想を口に出した。

 

「その、前までは寮に住んでたので」

「高神の杜か。まぁ、あそこに住んでたなら家具は要らないよね」

 

 何でそんなことまで知っているんだ、と言わんばかりに雪菜は振り返り、彼を見ていた。自分の素性を辿らせるヒントをあまり残したくなかった辰成だが、どうも雪菜の前ではそういう意識が弛んでしまうことを自覚した。この話を掘り下げたくない辰成は、

 

「食器とかはどうするの? あと食材とかも。まさか毎日レトルトやカップ麺ってわけにはいかないでしょ」

「必要なものは出来るだけ買いに行きたいんですけど、その……」

「古城の監視があるからいけないと」

 

 大変だなと、辰成は他人事であるかのような感想を抱いた。実際、彼にとっては他人事なのだからそう思うのも必然である。だが、困っている彼女を放って置くほど冷徹ではない辰成は彼女の荷解きを手伝いながら提案をした。

 

「じゃあさ、俺が帰ってきたらまだ寝てるあの馬鹿を叩き起こしてあげるから、アイツを引っ張り回して買い物につき合わさせるってのはどう?」

『おい辰成! お前、勝手にそういう事を決めるなよ――っていうか、馬鹿ってなんだよ! 馬鹿って!』

 

 古城が抗議の声をあげるが辰成がその意見を聴くわけもなく、

 

「え? でもそれって、暁先輩に迷惑なんじゃ……」

「なんでそこで遠慮するかな……。いや良いんだよ。監視し続ける身なんだから、監視対象に買い物に付き合わせるくらいしてもバチは当たらないよ」

『なんだその無茶苦茶論は』

 

 もうどうにでもなれ、といった感じで古城は本日二度目の溜息を吐いた。辰成に何を言っても無駄な気がして来た古城は奥に引っ込んでいってしまった。少々やりすぎたかと辰成は頬を掻くが、そんなことはすぐに右から左へと動いてしまう。荷解きを手伝い終えた辰成は立ち上がり、雪菜の部屋を出ようと玄関まで足を動かした。雪菜はそんな辰成を見送ろうとあとをついていく。

 

「じゃあ、また後でね」

「は、はい。ありがとうございます」

 

 勝手に話を決められてしまったと思う雪菜だったが、辰成の良心を無碍にすることも出来なかったので提案を受けて入れた。雪菜に軽く手を振って部屋から出て行く辰成。ご満悦といった表情を顔に出しながら出て来たその姿に奥に引っ込んでいたはずの古城が戻ってきてツッコミを入れた。

 

『キモい』

「分かってるよ」

『ったく……。ほら、早く那月ちゃんのとこ行かねぇと。遅れたらあの人ブチギレるぞ』

「大丈夫だろ、問題ないよ」

『大問題な臭いしかしないんだが……』

 

 辰成が放った言葉に一抹の不安を覚えた古城は、本気で大丈夫なのか真顔になった。辰成はそんな古城の心配を余所に、那月に会うため学校への道を歩き出した。

 

 

 雪菜は自分でも理解出来ない感情に唸り声を上げた。古城の兄と名乗る男。獅子王機関の関係者でもないのに自分が言い渡された任務の内容を知っていたり、得体の知れない相手であるはずなのに何故か心を許してしまいそうになっていたのだ。あんな台詞を直接言われたにも関わらず。

 

「一応、式神に見張らせておきますか」

 

 古城と凪沙の家、そして辰成自身を見張る為に式神を飛ばそうと術式を発動させるが、声が喉から出なかった。急に心臓を鷲掴みにされたかのような衝撃が雪菜の体に走ったからだ。息も上手く出来ず、息苦しさに喘ぐしかない。膝を床に付けた雪菜は咄嗟に発動させていた術式を解除した。

 

「……あ、あれ?」

 

 途端に彼女を襲っていた苦痛が、まるで最初からなかったかのように掻き消えたのだ。早鐘を打っている彼女の心臓の鼓動が休ませることも出来ない。部屋の中に何かがいる気配がするのだ。まるで部屋に押し込まれた人間達が無数の目で雪菜のことをじっと見つめている、そんな吐き気がする感覚に彼女は陥っていた。今まで感じた事のない邪悪な何かに雪菜は険しい目つきになる。

 誰かがいる。そのことを本能で察した雪菜は声を張り上げた。

 

「何者ですか……!」

 

 返答はない。同時に大多数の視線に晒されたかのような感覚はいつの間にか無くなり、唯一残っていたのは不気味なほどの静けさだけだった。

 妖魔か悪霊の類かと雪菜は推測したのだが、それにしては何かが決定的に違っていると即座に判断した。すぐに答えを出す事は出来ないと判断した雪菜は自分の部屋から立ち去るかのように出て行き、そのまま辰成が向かった彩海学園へと足を運ぶことにした。




前回がピークだったような気がしてきた。
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