そうこうしているうちに、二人は住んでいるマンション近くまで来ていた。エントランスをくぐると、二人はそこで一人の少女と鉢合わせた。右手には部活の荷物が詰め込んであるスポーツバック。左手には大量の高そうな食材ばかりが入った買い物袋が握られている。
「あ、凪沙ちゃん」
「ありゃ、辰成君。今日は古――んんんっ!?」
『ちょ、辰成!?』
辰成はいつもの調子で凪沙のマシンガントークが炸裂しそうになる彼女の口を右手で押さえた。彼女に向かって「ちょっとこっちに来てて」と言うと、凪沙を雪菜から遠ざける。古城が戸惑ったような声を上げているが知った事ではない。彼女に自分達の会話を雪菜に聞かせないための処置である。凪沙の口から手を離すと、辰成は小声で彼女と会話を始めた。
「雪菜ちゃん、俺と古城が入れ替わっているのを知らない、姿が似てる兄弟だと思ってる。OK?」
「辰成君、教えてないの?」
「言えるわけ無いでしょうが、一人の人の中に二人の人間がいるなんて。それにまだ知り合って一ヶ月も経ってないのよ」
『まあ、確かに……ん?』
そんなこと言って信じる人間が何処にいる。そこまで考えたが、目の前の凪沙、自分達の母親でもある深森。そして、簡単にその話を信じそうな雪菜の計三名がいる。そのことに気付いてしまった古城は思考を中断すると口を閉じてしまった。
「というか、辰成君って雪菜ちゃんと知り合いだったの?」
「うん、まあ色々あってね。と、ともかく。もうちょっと仲良くなるまでその話は禁止でお願いします!」
「むー。分かったよ、辰成君のお願いだから聞いてあげるけど――」
『凪沙の奴、なんで辰成のお願いは簡単に聞くんだよ……』
小言を言い始めた凪沙と何故か呆れた様で途方に暮れた声を出している古城を尻目に、辰成は雪菜へと近づいて行き謝った。
「ごめんね。ほったらかしちゃって、凪沙ちゃんが普段買わない食材買わないから何事だと思って話し込んじゃってさ」
「は、はあ……」
「でさ、なんで高そうな食材買ったのか聞いたらさ、歓迎会するんだってさ」
「歓迎会ですか? それって……」
そう雪菜ちゃんの歓迎会だよ、と辰成は言い切った。あれだけの食材を買う理由などそれ以外にないだろうという辰成の予想だったが外れてはいなかったようで、凪沙が辰成に続いて彼の言葉を肯定する。
「そうそう! 雪菜ちゃん、越してきたばかりで今日はご飯の支度なんて出来ないでしょ?」
そういえば、と辰成は自分が持っている雪菜の荷物に少しだけ目をやる。確か彼女が買った物に調理器具類はなかったはずだ。もちろん食器もだ。そんな状態でもピザだの出前を頼めば済むだろうが、辰成はそんな食事をしている女子中学生の姿など見たくないし、想像するのも嫌だった。凪沙からの誘いは助け舟に他ならない。その所為か辰成には一瞬、彼女が天使に想えて仕方なかった。
『人の妹を簡単に天使扱いするのやめてくれないか……』
別にいいじゃんか、と辰成は古城に反論するとエレベーターに近づき、エレベーターの横のボタンを押す。二人に手招きをすると三人で一つのエレベーターに入った。閉鎖空間に女子中学生二人と一緒に入った事にテンションが上がりまくってる辰成だったが、喜びの声を心の中で叫ぼうものなら古城にキレられることは確定的なのでその思いは内に秘めたまま、エレベーターボーイに徹することにした。
凪沙や雪菜の自宅がある階へと到着する。凪沙と雪菜を先に降ろして、辰成は最後にエレベーターを降りた。
「じゃあ凪沙ちゃんは鍋の準備しておいて。俺はこれを雪菜ちゃんの部屋に運んでくるからさ」
「うんわかったよ。あ、でも辰成君、雪菜ちゃんに変なことしちゃ駄目だよ? 相手は中学生なんだから」
「わかりましたから早く鍋の準備をしてください」
凪沙にそう言われて軽く涙目になっている辰成は凪沙を自宅に押し込むと、自分は雪菜と共に彼女の部屋へと入る。雪菜にそこでいいと言われたので、荷物をリビングに置くと二人で古城の自宅へと向かう。中に入るとそこにはすでにエプロンを身に着け、料理の支度を始めていた。こんな夏日に冷房をガンガン効かせた部屋で寄せ鍋とか正気かと考えもしたが、まあそれもそれで乙だから問題ないと片付ける。
何気なく雪菜を古城の部屋に招き入れようとするが、即座にこの行動は不味いと判断する。中に肝心の古城はいないのだ。このまま室内に一緒に入ろうものなら、色々と面倒臭いことになる。まだ彼女に正体を明かすのは早すぎる。仕方ないと、辰成は雪菜の方を向く。
「雪菜ちゃん、俺は古城を起こしてくるから凪沙ちゃんとお話しでもしててくれる?」
「はい、わかりました……」
彼女の言葉を背に、辰成は古城の部屋の中へと入る。もちろんそこには誰もいない。古城に変わる前に部屋に張り巡らされたトラップを弱めるのを辰成は忘れなかった。これで相手を発狂させる効力は失ったものの、盗聴への防備は以前と変わらなく効力がある。辰成がこのトラップにわざと雪菜が監視しやすいように、彼女の力を感じるとトラップの効果が弱くなるという仕掛けを仕込んでいることに古城は全く気が付いていない。
「古城。変わるぞ」
『はいよ』
辰成と古城が入れ替わった。いつもどおり、髪の色が黒から白に戻っている。
『とりあえず、服は着替えた方がいいぞ』
「……だな」
辰成の意見にそう返事しながら、古城は私服の着替えを引っ張り出す。と言っても、代わり映えしない白地のパーカーとズボンなので今着ている服と大差ないのだが、何とか誤魔化せるだろう。着替え終わり、部屋を出た古城は洗濯機にそれらを突っ込むとリビングへと向かう。
「先輩、こんばんは。ギックリ腰は大丈夫ですか?」
「ん……ああ、もしかして辰成から聞いたのか? 心配してくれてありがとな。まあ大丈夫だ。少し横になったら良くなったよ」
雪菜が小さく声を掛けてきたので、古城は同じ様に小声でそう返した。実はギックリ腰になんてなっていないし、ずっと辰成と一緒にいたという事実が罪悪感を増幅させているのが何とも言えないが。そんな二人を後ろに鍋の準備中である凪沙が言う。
「ねえ古城君」
「なんだ?」
「宿題終わったの?」
「浅葱たちとファミレスに寄った時、とっくに終わらせた」
何気なく言う古城。そう、もう宿題はあの時に終わらせてある。辰成の目があった為、サボるわけにも行かなかったのだから。
「やっぱ辰成君のお蔭だよね」
「まあ、な」
否定はしなかった。事実、彼のお蔭で助かっていることもある。なんだかんだ言って感謝している。このまま凪沙の手伝いをしてもよかったが、自分よりも彼女の方が料理が上手い。ここは凪沙に任せるべきだろうと、リビングのテーブルに座りながらそんなことを考えている古城の横から雪菜が話しかけてくる。
「そういえば先輩、お兄さんは……」
「あ」
ヤバい、と古城は直感した。辰成は古城と入れ替わってしまった為、すでに古城の中だ。ゆえに辰成の存在はすでにこの家の中にはない。どうするかと頭を悩ませていると、辰成が俺の言う通りに言えと言ってきた。その内容を聞いた古城は呆れ返るが、他にアイディアも浮かばないのでそれに乗る事にした。
「辰成なら那月ちゃんに呼ばれて、「那月からラブコールが来たぜ! ヒャッハー!」とか言いながら窓から飛び出してったわ。止める暇もなかった」
口にしておいてアレだが、何だこれはと古城は頭を悩ませる。明らかに自分の口から出してはいけない単語が飛び出た気がする。後でシメると辰成に向かって呟くと、奥の方で「ヒッ!? まさか、地下駐車場に呼び出すつもりか!」などと、辰成が意味不明な事を言っているが古城はいちいちツッコんでいたらキリがないと思い、無視することに決めた。やはりこいつには一回鉄拳制裁しなければならないと、古城が決意を固めていると雪菜はちょっと理解しがたい事を聞いたのような声音で訊いてくる。
「あの先輩、ここって何階でしたっけ?」
「……一応、五階以上はある」
その高さから飛び出して大丈夫なのでしょうか、と雪菜は困惑気味に言う。彼女がそう思うのも無理からぬことだろう。だが古城はそれくらいで辰成が死ぬとは思っていない。多分あいつは核爆弾を頭上に落とされようが、猛毒液で満杯に入った水槽に突き落とされようが、空中で飛行機からパラシュートなしでスカイダイビングしようが、宇宙が消滅しようが生きているイメージしかない。
というか、辰成は本当に死ぬのだろうかという疑問が湧いてくる。精神体だけでこうして生きているのだ。これは完全に魂レベルで消滅させなければいけないレベルであろう。
「大丈夫だ。あいつはアメーバレベルに分解されても死なないから」
『お前、そんなに俺の事が嫌いか……』
辰成の涙声と雪菜の乾いた笑いが聞こえた。普段、あんなことしておいて嫌われない方がおかしい、と古城は無慈悲なツッコミを入れると、辰成は古城の言葉に反論することなく黙まってしまった。タイミングよく、凪沙も鍋の具材を切り終えたらしい。これで五月蠅いのに気を回しつつ飯を食う必要がなくなったと、古城は安堵した。
七、八人分はあった食材は食べ盛りである古城たちによって全て駆逐された。最後はおじやまでして食べる始末。料理の後片付けをしていた凪沙は薄いキャミソール姿でソファに寝転がっている。後片付けを手伝うと言った雪菜を強引に自宅に返し、台所を綺麗にしたところで力尽きたようだ。
「ったく、こんなところで寝てんじゃねえよ。風邪ひきたいのか」
ぶっきらぼうに言いながら、古城は玄関へと向かう。彼の背中に向かって凪沙は声をかける。
「古城君、どこ行くの?」
「コンビニだ。なんか飲み物でも買ってくる」
「あー、だったらアイス買ってきて~。こないだと同じやつ」
「……太るぞ」
そんな言葉を吐いた古城に向かって、凪沙は「そんなことを言う古城君は嫌いだよ」と頬を膨らませていた。そんな凪沙をスルーした古城は財布を持ったことを確認すると、靴紐を結んで外へと出る。
「――先輩、こんな時間に何処へ行くつもりですか?」
古城は思わずビックリして変な声を出してしまう。それはそうだ。扉の前でお隣に越してきた美少女が、それも不意打ちになる形で立っていたのだ。驚くなと言う方が酷であろう。
「なあ、姫柊」
「なんですか?」
「お前、その格好でついてくるつもりか?」
恐らくシャワーを浴びていたか、お風呂にでも入っていたのだろう。雪菜の髪は濡れ、素肌の上に制服のブラウスを引っかけた状態だった。このまま彼女が自分の後ろをついてきたら、間違いなく変態扱いされる。最悪の場合、お縄につく可能性だってある。
『雪菜ちゃん! なんて格好してるのあなたは! けしか――らん!』
言い切ったよこいつ、と古城は心の中で呟く。あれだけ食事中はだんまりを決め込んでいた癖にいきなり出てきたことにはビックリしたが、何かもう通常運転に戻っていた。
「俺はここにいるから、さっさと髪とか乾かしてこい」
馬鹿を無視しつつ、古城はそう言うと雪菜は「逃げないでくださいね」と言い残し、自分の部屋へと戻っていく。逃げねえよ、と口の中で呟く古城。
『ところで古城』
いつになく真面目な辰成の声音が響いた。辰成が真面目な雰囲気になるということは、何かこれから起こるのだろうかと眉根を寄せる。
『何かが起こるかもしれん。一応、気を張っていろよ』
おう、と短く返事をする。ここは素直に辰成の忠告を受け入れることにした。あいつがあの普段のアホ態度を見せていないのだ。それだけで否応にも警戒心が芽生えるに決まっている。そこへ雪菜が身なりを整えて戻ってきた。きちんと制服に袖を通し、いつものギターケースを背負っている。
「それでどこに行くつもりだったんですか、先輩は」
「コンビニだよ、コンビニ。まさかコンビニを知らないとか言わないよな?」
「はい、それは流石に知ってますけど、その……こんな夜中に入ったことがないので」
期待と不安が合わさったような弾んだ声で雪菜が言う。コンビニにそんな期待されてもと、古城は苦笑しつつ、
「あー、その、なんだ……。さっきは悪かったな、疲れたろ?」
古城が発言した意図が分からず、雪菜は首を傾げている。
「夕飯の時のことだよ。凪沙のやつ、騒がしくてさ」
「いえ、そんなことありませんよ。お鍋も美味しかったですし」
照れたように言う雪菜に対し、古城は「それはよかった」と返した。少なくとも凪沙に対する雪菜からのイメージは悪くないようだ。むしろ良いほうだと言ってもいいだろう。
「でもいいですよね、兄妹って。私には家族がいないので、憧れます」
何気ない口調で言った雪菜に反応し、辰成が一瞬反応したのを古城は感じ取った。
「家族がいないって、どういうことだよ」
「高神の森にいるのは全員、孤児なんです。全国から資質のある子達を集めてきて攻魔師を育成する組織ですから」
「そうなのか……」
雪菜に家族がいないとは思っていなかった古城は、完全に言葉を失っている。古城の中にいる辰成も余計な口は挟まずに黙っていた。そんな古城の様子を見た為か、雪菜は慌てて高神の森のスタッフはみんな優しいし、剣巫の修行も嫌ではなかったと補足を入れる。
「剣巫か。辰成が言うには剣術を収めた巫女って聞いたけど、マジなのか?」
「ええ本当です。実は私もあまりよく解っていないんですけど」
はは、と頬を掻く雪菜。ふと、疑問に思った古城はそんな雪菜に対して訊いてみることにした。
「巫女ってことは、姫柊は祈祷や占いも出来るのか?」
「ええ、一応は。形だけですけど……その、あまり得意ではないので」
恥ずかしそうに言う雪菜を見た古城は「そうか」と納得した。雪菜はどっちかというと、儀式的なモノは苦手な性質なのだろう。自分の本能やら直感で動くタイプだ。儀式的なものより、そっちの方が本来の巫女の資質なのかもしれない。
「先輩、失礼なことを考えていませんでしたか?」
「は? いや、そんなこと一ミリたりとも考えてないぞ?」
「私、霊感霊視はそれなりに使えますから、嘘をついても無駄ですよ」
「やっぱり動物っぽい……」
そんなこと考えていたんですか、と笑ってない目で雪菜はこちらを見てくる。古城は彼女の視線に表情を引きつらせるしかなかった。
雪菜と会話している古城を眺めつつ、辰成は考える。彼女のような者を何度見て来た。家族はいない。でも、高神の森で育った仲間やスタッフ達がいる。だから寂しくないと言ったのを。だが、やはり血のつながった家族が欲しいと心の奥底で叫んでいた者がいたのも事実だ。
さて、彼女はどっちかな。今の状況に満足するか、血の繋がった家族が欲しいと叫ぶか。それとも――。いや、と辰成は首を振る。それを決めるのは彼女自身だ、と自分に言い聞かせた。
――それにしても、雪菜ちゃんの恋人や旦那になった男は嘘がつけなくなるな。
面白いものを見つけたかのような笑いを浮かべる辰成。さて、彼女の旦那様や恋人になるのは一体どんな男なのかねえ、と呟きながら辰成は今夜の二人の行く末を見守ることに決めた。