まだ肌寒さの残る季節。ここトレセン学園では、新しく入学したウマ娘たちが、輝かしい未来を夢見ていた。
トレーナー達はこの中から、自分にとって最もいいと思える優秀なウマ娘をスカウトしなければならない。そこでスカウトしたパートナーとともに、トゥインクルシリーズ、果てはその先を走り抜ける。
その新入生の中には私もいたのだが、私は正直トレーナーというものには興味がなかった。ただ自分の研究を、自分の求めるものを突き詰めたい。それだけで私はトレセン学園に入学したのだから。
初めはそう思っていたのだが、色々あって彼にスカウトをされて、今は彼の担当ウマ娘となっている。
あんな目を見せられて、あんな風にスカウトされてしまえば、もう彼と共に走る事以外考えられなかった。
私はこの時から、彼に惹かれていたんじゃないかと思う。
あの狂気に満ちた目は、次第に私を狂わせていった。
「失礼、入るよトレーナーく…なんだい、寝ているじゃぁないか…これじゃ午後の練習はお休みだねぇ…まぁ、私としては願ったり叶ったりなんだがね」
研究にひと段落がついたからと彼に会いに来たのだが、彼は寝てしまっていた。
「珍しいねぇ…君がこの時間に寝ているなんて…」
今は午後の3時ほどだが、この時間に彼が寝ているのはほとんど見たことがない。
「おーい…トレーナーくーん、おーきーろー」
何度声をかけても起きない。いつもならこの時間はトレーニングメニューを組んだり、書類を書いていたりするのだが。
私のトレーナーはとても優秀、今までも二人ウマ娘を担当して、二人ともG1を勝利している。
トレセン学園でも、優秀な若手トレーナーとして、将来を皆に期待されている。
彼は決めた約束は守り通すし、私のためならと無茶な実験にも付き合ってくれる。ただ、少し根をつめすぎていると感じる時もあった。自分の限界を見誤って、体調を壊す事もしばしあった。
そんな彼だから、さすがの私も彼を無理矢理起こそうとは思わなかった。
「トレーナー君が予定を守れないなんてねぇ…。君は無理をしすぎなんだよ。もう少し休んでくれないと…私が心配してしまうじゃないか」
私自身も研究に没頭し、実験を繰り返すうちに気づいたら朝を迎えていたなんてよくある事だ。しかし私の場合は彼がうまく調整してくれるし、私が疲れていると分かるとすぐさま予定を変更、休む時間を作ってくれるのだ。
正直ウマ娘がトレーニング以外で体力を削るなんて、普通のトレーナーからすればいい迷惑だ。実際、前に私をスカウトしてきたトレーナーは「実験なんてする暇があったら俺とURAファイナルズを目指そう!」などと言っていた。
私が何のために研究をしているのかもわからないのに大層な言い草だねぇ。実験なんて、と言ったかな?丁度いい、私が何をしているのか、君の体に直接教え込んであげよう。勿論…モルモットとしてね。
そう言って薬を飲ませようとしたら、怯えながら逃げていったよ。
まったく。
何故彼は私の研究に文句も言わず協力してくれるのかねぇ。
自分で言うのも何だが、自分の身に何か起こるとわかっていて薬を飲むなんて普通は怖くてできない。
私にもそれくらいの良心はあるさ。現に実験台は誰でも良かったわけじゃない。
彼は正に理想的な実験台だった。平均的な身長、平均的な体重、普通に過ごしていれば病気にはならないだろう健康な身体。
私は彼に出会えた事はとても幸運だった。だってこんなにいいモルモットが手に入ったのだから。
…まぁモルモットにしては、少々狂気に満ちた目をしていたがね。
背筋がゾクっとする快感のようなものを覚えながら、トレーナー室のソファーで彼の寝顔を見つめ続けていた。
「うーん、ん〜…、ん?はぁ、寝てしまっていたか。…あぁ、タキオン来てたのか。起こしてくれればよかったのに。」
どうやらやっとお目覚めのようだ。しかし、もういつものトレーニング時間は大分過ぎてしまっている。
「おはようトレーナー君、とは言ってももう夜だがねぇ。君のせいで午後のトレーニングも実験もできなくなってしまったじゃないか。罰として明日は倍の薬を試させてもらうよ。」
そういうと彼は時計を確認して、「えっ、もうそんな時間なのか…」と暗くなりはじめた外を窓越しに一瞥した。
「悪かったよ。タキオン、せめてストレッチはやっておこう。あと、薬は優しい物にしてくれると助かる」
「えーっ、今日はもう動きたくないよ、トレーナー君。それに実験は優しくは約束できないね。効果は試してみないとわからない。」
「せめて脚はストレッチしておこう。これはタキオンのためだ。薬はいいとしても、これだけは譲れない」
そういうとトレーナーは物置からマットを取り出して、ソファーに寝転がってる私をお姫様抱っこで抱き抱え、無理矢理寝かせる。
「っ!?ト、トレーナー君、きゅ、急にそういう事はやめたまえ。君はまだ寝ぼけてるんだ、休んだ方がいい」
「いつもこうでもしないと動かないだろ…それに今日はトレーニングしてないんだ。俺のせいとはいえ、これだけは絶対してもらうよ」
「むぅ…仕方ないなぁ。んっ…と」
そうして一通りストレッチを終えた後、彼はおもむろに私の足をマッサージし始める。
以前、私が脚の違和感がとれないと思った時、彼にマッサージをしてもらうと楽になった。それ以降、トレーニング終了後は彼にマッサージをしてもらうのが日課になっている。
初めはただ楽になっていただけだったのだが、最近は彼の指使いが上手くなったのか、少しだけ気持ちいいと感じる。
「…んっ、ふぅ…はぁっ、ん」
声を出さないようにはしているが、こればかりはどうしても抑えられない。しかし彼はお構いなしにマッサージを続ける。
「はうっ、んんっ、ふぅあ、はぁっ…」
「終わったぞ、タキオン。今日もお疲れ様。といってもトレーニングはしてないんだがな…今日は本当にすまなかった。埋め合わせは明日するから、今日はゆっくり寝てくれ。」
「…ばーか」
「?どうしたんだ、痛かったか?」
「なんでもないよ。しかし、今日のような事を繰り返すようなら、少し強めに薬を配合させてもらうことになるが。また発光したくなければ、ちゃんと予定を守る事だね。…トレーナー君、何か困っている事があるのなら相談したまえよ。よく眠れる薬なら、いつでも配合できるから」
「もう発光だけはしたくないな。ありがとう、タキオン。その時はぜひ頼むよ。じゃあ、門限もあるし、寮まで送ろうか」
そう言って私を寮まで送り届けてくれるのだが、彼はこの後も仕事を続けるのだろう。私は彼の部屋が夜遅くまで明かりを灯している事を知っている。恐らく彼は無理をしているのだろう、だけど彼はそんな素振りは一切見せない。
だから私は、そっと帰り際、彼の背後から腕を回して、
「おやすみ、トレーナー君…。また明日」
そう言って抱きつくのだが、彼は
「おやすみ、タキオン。また明日」となんでもないような、いつもと変わらない態度でトレーナー室へ帰って行く。
…折角勇気を出したのに、どれだけ鈍感なのかねぇ。私では癒しにすらならないのかい。いくら担当とはいえ、少しはドキッとしてくれてもいいんじゃないのだろうか。それとも君にとって私は、本当にただの担当ウマ娘なのかい?
少なくとも私は、違う。これがなんと言うものなのかは知らないが、一生私には縁がないと思っていたものだ。
少しだけ胸の疼きを感じながら、今日は実験もする気にはなれなかったから、ふて寝をする事にした。
「…ばーか。トレーナー君のばーか。」
タキオンに抱きつかれた時、理性を保つことに必死だった。
その前のマッサージも、決して邪な事は考えまいと、マッサージに集中する事で精一杯だった。
だがタキオンから甘い声が聞こえ、タキオンの柔らかい脚を触っているとどうしても我慢が効かなくなってしまう。
タキオンの事はずっと前から好きだった。だが、タキオンはそれを望まないだろうし、ウマ娘の果てを研究する彼女の邪魔にはなりたくないと、この気持ちは押し殺したはずだった。だけどどうしても、この気持ちが暴れ出そうとしてしまう。また明日タキオンに会うまでには、この気持ちを押さえつけなければいけない。俺はあくまで彼女の担当トレーナーだ。彼女には誠実に、これからも向き合っていかないといけない。
明日も彼女のお弁当をつくらなければ…材料は何にしようかな。そんな事を考えながら、また長い夜を過ごすのだった。