「なぁ、タキオン」
「なんだい、トレーナー君。私は見ての通り忙しいんだ。要件があるなら手短にいいたまえ」
「いや…タキオン、いくらなんでもくっつきすぎじゃないか?腕が使えないんだが」
あの一件以来、タキオンとの距離が近くなった気がする。
いや、物理的な意味で。
あれから暇さえあれば抱きついてくるようになり、何か色々なデータを取られるようになった。
書類をまとめている時も練習メニューを組んでいる時も、タキオンは俺に抱きついてくる。
ターフに出てトレーニングを開始するまで、ずっとタキオンは俺から離れない。
トレーニングが終わった後すぐには、何故か抱きついてこないけど。
何のデータを取っているのかというと、タキオン曰く、人の体温とウマ娘の体温の差異の測定、及びトレーナー君の心拍数、感情の起伏、変化の測定だそうだ。
「私は今とても大事なデータを収集しているのだよ、トレーナー君。それに君はモルモットだろう?私の研究に協力するのは当然じゃないか」
「今更俺のデータなんてどうするんだ?もうタキオンに計測され尽くされている気がするんだが」
「おかしな事を言うねぇ、トレーナー君。4年も付き添ったトレーナー君のデータなんて、そう簡単に手に入る物ではないだろう?それに、これだけの信頼関係を結んだ状態の感情の変化は、とても興味深いよ。即ち、君から取れるデータほど貴重な物は無い。だから、今君を測っているのさ」
「あんまり変わらないと思うけどな。まぁ、程々にしてくれよ。周りに見られてしまうと、上層部からお叱りを受けてしまうんだ」
「フゥン…まぁ、私は周りの目なんて気にしないがね。それに注意されるだけだろう?これは研究のためだ。何もやましい事はないさ」
そう言うとより一層、タキオンが自分の身体を寄せてくる。
正直理性がキツイ。いくら自分の担当とはいえ、ウマ娘は皆容姿端麗。誰もが可愛いと思う娘に抱きつかれて、正気を保てる成人男性なんてそうそういないだろう。
俺はなんとか自分と格闘しながら、仕事を進めていく。
タキオンは実験という名目で抱きついてきてはいるものの、特別何かをしている様子はない。俺の仕事をぼんやりと見つめ、時折誤字や脱字を指摘してくるだけで、どう見ても忙しくは無さそうなのだが。
「…と、そろそろ会議の時間だ。タキオン、悪いが離れて……」
「何故だい?離れる必要なんてないだろう。私もこのまま会議に連れて行けば済む話さ」
「いや、トレーナーと学園側の大事な会議なんだよ。そこは第三者の参見は禁止されているんだ、だからタキオンは連れて行けない。それにタキオンは授業があるじゃないか。学業は疎かにしてはいけないぞ」
「学業なんぞに私の研究を邪魔はされたくないなぁ。どっちにしろトレーナー君、君から離れるという選択肢はないぞ。拒否権は無しだ。ほら、大人しく私を連れていきたまえよ。ほら、はーやーくー、はーやーくー、連れてってくれよー」
「駄々こねても連れてはいけないんだよ…。しょうがないからここで寝ててもいいし、俺が帰ってくるのを待っててもいい。だから今だけは離れてくれないか?午後からは特にトレーニング以外の予定はないからさ」
「待たされるのは嫌なんだ。とにかく、君は私から離れ…っておい、トレーナーくん!?何処へ行くんだい、まだ実験は終わってないんだぞー」
駄々を捏ね続けるタキオンをなんとか引き剥がし、会議室へ向かう。
後ろからは何か凄い圧を感じるが、この際無視するしかない。
それにしても、タキオンがいつもの調子に戻って本当に良かった。
死なない程度とはいえ毒を飲んだのだから身体が無事なわけがなく、二週間ほど入院を余儀なくされた。
その間毎日お見舞いには行ったが、入院している間のタキオンは元気が無かった。
自分のせいでカフェや俺、その他にもかなり心配をかけた事、研究室を自分の手でダメにしてしまった事がかなり響いたらしい。
「研究機材や薬品の類はなんとかなるんだけどねぇ。あの部屋にはトレーナー君との積み重ねが幾重にもあったというのに、それを自分の手で壊してしまうなんてね……それに、後先すら考えず、自分の命まで軽んじてしまうとは……。本当に、感情という物は恐ろしいよ」
悲しそうにそう言っていたのを思い出し、俺も胸が痛くなる。事の原因が俺にあるため、尚更心が痛い。
だが退院したタキオンはいつもと変わらない様子で、いつものように話しかけてきた。
「やぁ、待たせたねトレーナー君。早速退院祝いといきたい所だが、少々やらなければいけないことがあってね。研究室の清掃、手伝ってくれるかい」
そう言ってタキオンと研究室を清掃したのだが、終始タキオンは辛そうにしていた。
「……こんな風にしてしまったのは私の責任だ。失った物は戻って来ない。だけど私は、諦めたわけではないよ」
タキオンは、また一から研究を再開させるつもりだと言っていた。
そして何故か、その一からの実験として俺に抱きついてきているのだ。
何故そうなるのかはわからないが、タキオンのためなら仕方ない。…最近特にめちゃくちゃ良い匂いがするから、ちょっと危ない時もあるけど。
それと結局、タキオンの誕生日は祝えなかった。
入院中に祝うのも嫌だし、かと言って適当に祝いたくもない。タキオンの誕生日は毎年必ず、ちゃんとお祝いとしてやってあげたい。
今度、カフェか早川さんにでも相談してみようか。
早川さんは今回のタキオンの件でかなりお世話になった。感謝も込めて、今度ラーメンでも誘ってみるかな。
そうこう考えているうちに、会議室に到着した。
またタキオンの事で注意されるのかと思うとやる気が下がるが、まぁ仕方ない。タキオンの為だ、大人しく怒られてやろう。
「はぁ…トレーナー君、早く帰ってきてくれよ…」
トレーナー君が出て行ってから数分後、早くも彼に会いたくて仕方がない。
先程まで抱きついていたのに、彼が私の腕の中にいないだけでこんなにも寂しくなるとは。
トレーナー君に対する誤解が解けてからというもの、私の中で何かが狂ってしまっていた。
今まではそんな事はなかったのに、今では隣に彼がいないと落ち着かない。
研究室にいても彼のことばかり考えてしまい、全く手につかない。授業も頭に入らない。こんな事は初めてだ。
……依存、と言うやつかな。ウマ娘特有の大きすぎる嫉妬心、それが影響しているのはまず間違いないだろう。だがあれほどの嫉妬と焦燥を抱いていたにも関わらず、トレーナー君と共にいるだけでどうでも良くなるとは。本当にこの身体は、この心は興味が尽きないな。
この心を満たす為、彼に色々理由をつけては抱きついている。そうする事で心が満たされ、とても落ち着く。
トレーナー君。本当に文字通り君無しではダメな身体にされてしまったようだ。
今の私の願いはただ一つ。君が欲しいよ、トレーナー君。
トレーナーとしての君はもう私のだ。誰にも渡さない。
けど、君の心までは私のではない。君の心が欲しい。君の全てが欲しくてたまらない。
これは独占欲というものだろう。
こんなにマーキングしておいたんだ。彼はもう私の匂いが濃く染み付いている筈。他の娘にお手つきされる事は殆どあるまいよ。
私は君のせいで更に狂ってしまったみたいだ。全部君が悪い。
責任、とってくれたまえよ、愛しの愛しのトレーナー君。