「…」
ふと、椅子に背中を預けバランスを取りながらとある席を覗き込む。私の席からはそれくらいしないと見えないその席の主は、先日退職し旅立ったばかりだ。
静かな事務所内は私以外の人がおらず、昨日から続く雨音だけが響く。椅子を元の位置に戻し、目を閉じる。
思い出すのはあの人との想い出。仕事や逃走逃走助けてもらったり、飲み会だったり、汗水たらしてイベント現場で走り回ったり、本当に色々あった。そして直近の、彼女の退職日を思い出す。
3ヶ月振りにあった彼女の顔色は、以前より良くなっていただろうか。そんな些細なことすら思い出せない。既に分かり切っていた事だったのだ。入院する程過労気味であった事や、小さな人の優しさにすら大きな感情が動いていた様に。
あの日、SNSで退職する事を知らせた日。私は家で転がっていた。彼女の痕跡を追いかける様にアーカイブを漁っていたのだ。陽射しをカーテンで隠し、ただひたすらに画面と向き合った。既に知っていた事実から目を背ける様に。
誰かが言った『推しは推せる時に推せ』とはこういうことなのだろう。棚に広がる彼女のグッズを、静かに眺めた。
「行かなきゃ…」
本日は夜勤、もうすぐ入院していたホロメンが復帰配信を行うのだ。それを見守る為に出社しなければならない。
思い出を仕舞い込み目を開き、時計に目をやる。既に丑三つ刻は過ぎ、間もなく本日の日の出がやってくるだろう。
既に配信しているホロメンはいない。海外勢ですら何か別の事をしているであろう時間帯に1人、事務所の入ったビルの屋上を目指す。既に鍵は守衛さんから借りている為、問題なく最後の扉を開く事が出来た。
曇天の空から光が漏れ始め、少しずつ雲が割れていく。
雨は止み、雲は風で流れていく。
そんな風が心地良かった。
分かっていた。人一人がどうなろうとも世界は回っていく。この何処までも残酷で、美しい世界は常に変化と共に有り人間もその一つでしかないのだと言う事くらいは。
それでも、その変わりゆく
「あついな…」
直射日光に苦しみながらもあの人に貰ったモノを思い出す。
去って行った者達から残された者達は引き継ぎ、それを未来へと繋がなくてはならない。それが人間であり、これからも必要な事柄だから。
すっかり晴れたソラは青く染まる。
別に、もう会えないって訳でもないのだ。仕事とか関係なく、唯の友人としてこれからも、私達の日常は続いていくのだから。
事務所内に戻り、机の上に置いてあるアクスタを取り替える。
「これで良し、っと」
背筋を伸ばし、液晶と向き合う。
私の今日はまだ終わらない
箱推し君
推し活しつつ仕事を熟す。机の上のアクスタは『残業中』のまま変えられていない。