辺り一面が雪に覆われ、さらに空の曇天まで合わさり、ともすれば天と地の境界線が曖昧に見え、全てが白く見えるここは雪山のエリア6。
普段ならポポやファンゴ、ギアノスやブランゴといったモンスターたちが熾烈な生存争いをしているであろうその場は、しかし静寂に包まれていた。
ただでさえ乏しい命の気配は、たった一つを除いて、
見るがいい。白き雪景色を彩る悍ましい血の海を。そしてその中心で、身動ぎする影を。
それは俺たちが想像する恐竜という生き物に酷く酷似した顔つきをしていた。が、それはあくまで顔つきだけの話で、その他の要素は似ても似つかない。
嘗て太古に生息していた飛竜種の始祖と言われる古代生物の要素を色濃く残した風貌。黄色の外殻に青い縞模様の体躯と、歩行に適した形状に発達した前脚が外見的特徴で、その見かけの通り陸上での運動に特化している。
『絶対強者』、『大地の暴君』、発見されてから日は浅いが、それを呼び示す恐ろしい異名は数知れず。
轟竜『ティガレックス』。よそからのこのこやって来て、ここら一帯を縄張りにする生き物を残らず食い尽くし、暴君はただ満たされた腹の赴くままに微睡んでいた。
物陰に身を隠し、弦に矢をつがえ、引き絞った状態を維持しながら、俺は血走った目で奴を凝視して、オトモたちが罠の準備完了の報告を待ち続けていた。
ぎりぎりぎり──―。
瞬きすらせずに一瞬たりとも視線をティガレックスから逸らさず、いや逸らせずに、俺は奥歯が割れ砕けんばかりに噛みしめて、ただひたすらその時を待っていた。
……この衝動は分っている。これは怒りだ。あるいは憎しみと言ってもいいかもしれない。
奴の姿を一目見た瞬間に、俺は全てを理解した。
──―あぁ、何十年の時を経て、お前もここに戻ってきたんだな。
あいつが何を思いここに戻ってきたかは分からない。
モンスターの考える事など俺には徹頭徹尾わからぬ。興味も無し。
正直な話、これで死ぬかもしれないと思ってここへ来た。今までG級に近い相手とは戦ったとはあるが、完全にG級と呼べるべきモンスターとは戦ったことは無かったからだ。
だが、相手がこいつなら、こいつであるのならば、俺は死ぬわけにはいかなくなった。
何が何でも殺す。捕獲などしてやらない。絶対に息の根を止める。絶対に同じ場所になんか行ってなどやらない。お前だけ死ね。
戦いに長く浸っていると、一目見ただけで相手の力量というものがなんとなく分かってくる。さらに年月を重ねれば、話を聞いただけで直感が疼く様になり、依頼を受けるか受けないかの判断もつくようになった。
だから俺は依頼達成率を100%に維持出来た。自分にできる依頼しかしてこなかったから。
この依頼の話を聞いた時に、頭の内に湧いて出た声は2つだった。
〝 死ぬぞ、止めとけ〟〝後悔したくなけりゃ、行け 〟
直観というものは面倒だ。何せ根拠と呼べるものは無い癖に、それが正しいと思い込むことが出来るのだから。
他人に説明を要求された際も根拠が無いから、ただ直観だ、としか説明できないのだ。
直観の源は己の莫大な経験や体験が蓄積したもので、故に直観とはそれに類似する経験が起きた際に即座に回答が出てくるカンニングペーパーみたいなものだ。
で、俺のカンニングペーパーから出力された答えはその2つ。
俺が選んだのは、後者だった。
理由はこれまた直感で、その2つの声の他に、胸の内で微かに身じろぎする何かを感じ取ったからだ。
その何かは、ずっと昔に、記憶の中に埋没した色褪せた記憶。原初の記憶。全ての始まりの記憶が発した、産声にも似た何かだった。
思い出したのは、つい一瞬前。暴君の姿を視界に収め、矢をつがえた直後だった。
矢をつがえ、視界にティガレックスの姿を収めた時だった。
視界に映る奴に奇妙な既視感を覚え、その直後に、視界の奴と記憶にあるティガレックスとの姿が重なった。
ほんの一時の間呼吸が途絶え、心臓が鼓動を止めた。
世界が静止していた。体を流れる血流の音が、濁流のように聞こえた。
〝ごめんね〟
耳元で聞こえたその声を皮切りに、世界に音が戻り、静止した世界は動き出した。
「ハァーッ! ハァ──ッ!」
弓を握った掌から、ビキビキという音が聞こえた。呼吸が荒くなっている。整えなければならないと、頭で分かっているのに、収まらないどころか今にも飛び掛って行ってしまそうなほど、体の内から荒れ狂うマグマのように、熱が暴れた。
ぎりぎりぎり──―。
熱を押さえつけるように、されど逃がさぬように、俺は奥歯を噛みしめた。その時が来るまで、正しく熱を向ける先を間違えぬように。
まだか……まだか……まだか。
時間にしてたかだか数分の事だろうに。俺はもどかしくて仕方が無かった。
早く奴の傷一つない厚鱗に穴を、皹一つの無い奴の重殻に亀裂を。とにかく奴を血祭りにしてやりたくて仕方が無かった。
……復讐なんてガラじゃない。勝算の薄い相手に戦いを挑むなんて馬鹿げている。
頭の冷静な部分は、今もなお退くように促している。
それは正しいことだ。生き物として。人として当然の事だ。
この熱を見て見ぬふりをして退けというのか?
……そうだとも。そうであるのだとも!
分かっている。馬鹿げている。何をやっているんだ俺は!?
退けよ。逃げちまえ。何が悲しくて勝てないと分かり切っている相手に戦いを挑もうとしている?
うるせえ! 分かってるっつってんだろ! じゃあ退けよ!
だが
死にたくねえんだろ?! 碌に面識のない血縁なぞのために俺が苦労しなきゃいけない理由はなんだ! ふざけるな! んな事は分ってるんだよ! そうだよ馬鹿げてる! だったら!
しかし
畜生死にたくねえよ! 死にたくない! こんな事で死ねるか!
俺は!!!!!!
それでもなお 進もうとするのならば
「グオォオ!?」
目の前で微睡んでいた暴君が、突如として悲鳴を上げた。
暴君は体を動かそうとしたが、全身の筋肉が痺れ、動けないようだった。
マサムネが仕掛けたシビレ罠である。
「グルォオオオオオオオオオオオオ!!!」
それを皮切りに、俺は溜めていた力を開放した。
レベル4拡散矢が、まさしく散弾めいて広がりながら、空気を割いて猛然と突き進む。
流星のように放たれた矢は暴君の傷一つない厚鱗を割り、その内部の肉を裂いて深く突き刺さり、更に矢に宿った雷の力が、痺れて動けない暴君の肉体をさらに焼いた。
「ガォオ!?」
身動きの出来ない暴君は突如として身に走った無数の激痛に堪らず悲鳴を上げた。
「ニ゛ャア゛ア゛ア゛ア゛!!!」
「ヨーソロー! てな! わっはっは!」
続いてヨシツネが大タル爆弾Gを、マサムネが上位のドスランポスの尖爪を加工して作った貫通ブーメランを次々投げ放った。
「グオオ!? グオオ!?」
暴君は身に起きた激痛に理解が及ばないようで、シビレ罠で体を痙攣させながら唯々俺たちの波状攻撃を受け続けていた。
俺たちは暴君に理解が及ぶ前に全てを終わらせるつもりでいた。
俺たちはただ只管攻撃を続けた。途中でシビレ罠が効力を失い、あわや暴君が自由の身になりかけたが、マサムネのブーメランには麻痺毒が塗ってあり、再び暴君は拘束された。
「ニ゛ャア゛ア゛ア゛死゛ね゛よ゛や゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
「ゴア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ン゛!!!」
「おうおう! いい加減死んでくれや!!!」
俺たちは示し合わせるまでも無く、最後の攻撃に入っていた。
俺はあらん限りに引いた矢に憎しみを籠めて、ヨシツネは支給品ボックスの中に入っていた支給用対巨龍爆弾を、マサムネは上位のショウグンギザミの尖爪を加工して作った巨大貫通ブーメランを投げ放った。
「グオ──────」
暴君の悲鳴は、続く爆音と閃光が塗りつぶした。
瞬間、目も眩む閃光が放たれ、爆音と獄炎が俺たちの目と耳を焼いた。
堪らず後退り、衝撃に耐える。
「「やったか(ニャ)……?」」
俺たちは同時に呟き、その中心、蒸気と黒煙に遮られた視界の先を見ようとした。
「くそ、良く見えん。やつは死んだのか?」
ざっと、一歩踏み出す。
その時だった。
「ガァアアアアアアアア!!!」
黒煙を割いて、傷だらけの暴君が勢い良く姿を表した。
瞬間、体中の肌が粟立ち、血流が異常に加速。世界のほぼすべてが動きを止めた。
静止したその世界で動く者は、目の前の暴君ただ一人のみ。
暴君は凍り付いた時の中をゆっくりと、だが確実に、眼前の愚か者を終わらせるために、四肢を動かした。
不味い不味い不味い!!!
俺は焦った。暴君は死んでいない。傷を負ってはいるが、致命傷じゃない。
しかし焦る心に反して、俺の脳味噌は的確に、かつ無慈悲に状況を判断し続ける。
暴君の傷一つなかった肉体は、今や大量の矢で剣山じみた有り様になっていた。自慢の厚鱗は爆弾により焼かれ、重殻は鎌蟹の爪や鳥竜の爪によりすっぱりと切断されていた。
どれもこれも大きな傷だ。だが、命を脅かすほどの傷では無かった。
俺は戦慄した。思いつく限り、最高の一撃を加えたつもりだった。怒りと憎しみによる一撃は、過去最高の一矢であったと確信した。しかし暴君を終わらせるほどでは、無かった。
マサムネの渾身のブーメランによる一撃も、ヨシツネの狙いすました投擲も、すべて。
暴君が、顎を開いて、放物線を描いて、迫り来る。
──―やはり挑むべきでは無かったのだ。
意識が途絶える直前に、脳裏に閃くのは、やはりどこかで聞いた、謝罪の声だった。
視界一杯に広がる暴君の口内。
破砕音。
衝撃。
悲鳴。
暗黒。
──────。
──―我が子よ。
正直2ndGでG級のティガレックス相手に拡散矢とか狂気の沙汰だと思う。(訓練場のティガレックス相手に拡散矢を撃ちながら)