通常弾ぺちぺちマン   作:三流二式

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飄々としたお姉さんは好きですか?私は大好きです!


路傍の太陽

 記憶に残っている一番初めの記憶は、さびれた路地裏のかび臭い空気と、蠅と蛆のたかる腐乱死体の山だった。

 

 

 死体の山の中には私の父と母と兄と妹と弟も含まれていて、人間非人間問わず様々な死体と混ざり合い、まるで奇怪な一個のオブジェのようだった。題名をつけるならば、そうだな『生命の神秘』だろうか。ははは。

 

 

 死せる者たちは皆一様に目を開けたまま死んでおり、生ける者たちへの憎悪で白く濁っていた。

 父と母と兄と妹と弟の目も同様に見開かれていて、生き残った私を糾弾していた。

 

 

 お前もこっちへ来い。

 

 

 父と母と兄と妹と弟は声なき声で叫んだ。

 

 

 筆舌に尽くしがたい悪臭の中で、私は、笑った。この村と同じ、酷く乾いた笑みだった。

 

 

 空には輝かしい太陽が私達の頭上に燦燦と君臨し、からからに乾き、ひび割れた大地に、そしてその上に立つ私たちを容赦なく焼いた。

 

 

 私は空を見上げ、あまねく全ての者を無感情に照らす太陽を睨みつけた。

 

 

 まだこの世に降り立ってほんの数年しかたっていない私はこの村を、この村に住む村人を、この村に住むアイルーを、世界を、太陽を、何もかもを呪った。

 

 

 学も無く、言葉も知らなかった私は、爆発する感情の赴くまま、呪詛を吐いた。

 

 

 呪われよ! 呪われよ! 世界よ滅べ! 太陽よ地に落ちよ! なぜ私がこんな目に合わなくちゃいけないんだ! 呪われろ! てな具合だ。分かる? そう……。

 

 

 尤も言葉を知らない当時の私はそんな複雑な言葉など吐けなかったから、口から出たのは野を走るモンスターめいた、ぐるぐるとかごろごろとか、とにかく栄養失調の子アイルーの絶叫と思ってくれ。分かる? そうか……。

 

 

 絶叫する私を、近くを通り過ぎたどこかの家の使用人アイルーが、鼻で嗤いながら通り過ぎた。

 

 

 正午の太陽が照り付け、無感情に光りながら、見放された地上を見下ろしていた。

 

 

 私が生まれ落ちたのは神に見放され、救いが無く、後は乾き、朽ち果てる定めの、無味乾燥な、ありふれた地獄だった。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

「お、お姉ちゃん……!」

 

 

 目が覚めると、私はゴミ捨て場に大の字で血を流して倒れていた。

 なぜこんな場所にいる? 生じた疑問に、全身を焦がす痛みが答えてくれた。

 

 

「アバーッ!」

「お姉ちゃん!」

 

 

 痛みでのたうちながら、私の脳裏に気絶する前の記憶がフラッシュバックしていた。

 

 

 同じ路上生活をしている一匹の老アイルーを背後から忍び寄って石で頭をカチ割り、持っていた物資を奪っていたクズメラルーをこれ幸いとばかりにしこたまぶちのめして物資を総取りしようとしてたんだ。

 それを見咎めた通りがかりのアイルーが私を糾弾した。

 

 

 売り言葉に買い言葉。私たちはすぐさま言葉での掛け合いから殴り合いを始めた。

 

 

 騒ぎを聞きつけた自警団アイルーが数匹こちらに駆け付け、こちらの言い分も聞かずに私を袋叩きにした。薄汚い浮浪アイルーが! 親無しの屑! くたばっちまえ! そう罵りながら。

 

 

 勿論私は反撃した。だが多勢に無勢。すぐに地面に引き倒され、殴られ、蹴られた。

 

 

 痛みに霞む視界で、襤褸布を纏っただけの服の懐をまさぐるが、案の定私の物は全て奪い取られていた。

 

 

 とんだくたびれ儲けだった。物資は得られず、それどころか所持品すら奪われて。

 

 

「お、お姉ちゃん大丈夫?」

 

 

 何もかもどうでも良くなって脱力していると、不躾な声が再度聞こえた。

 瞬間、プッツンいった私は痛みを無視して起き上がり、その声の主を視界にとらえると反射的に殴り飛ばしていた。

 

 

「うわあ!」

「テメェこら!」

 

 

 頬を押さえてひっくり返るそいつを蹴っ飛ばしながら、私は怒鳴った。

 

 

「いったいいつになったら学習するニャ! ()をお姉ちゃんって呼ぶなっていつも言っているだろうが!」

 

 

「で、でもボク、ボク……」

 

 

 頬を押さえ、無様な上目遣いで小ジョンソンが私を見上げた。

 

 

 こいつとの付き合いは1年程前に遡る。小さくてのろまなこいつは他のアイルー共にいじめられており、ある時物資が心もとなかった私はそいつらから物を奪うためにいじめの現場に乗り込み、叩きのめした。

 

 

 それを自分のために救ってくれたと思い込んだこいつは私をお姉ちゃんと呼び、以来度々私の前に現れるようになった。

 

 

「くそ……」

 

 

 口の中に残った血の混じった唾を吐くと、私は恐る恐るといった手つきで差し出された回復薬を奪い取り、がぶりと飲み干した。

 

 

「ぺっ、で、何の用だ? ……いや、言わなくて良い。どうせまた屑共にいじめられたんだろ?」

「え!? ち、ちが……そうじゃなくって!?」

 

 

 慌てふためきながら否定する小ジョンソンを殴りつけた。

 

 

「お前がへなちょこなのは今に始まった事じゃないんだ。今更否定すんじゃねぇニャ!」

「うぅ……」

 

 

 小ジョンソンはぽたぽたと涙をこぼしながら項垂れた。こぼれた涙は乾いた大地に染み、すぐに乾いて消えた。

 

 

 私はため息を吐きながら首を振り、喉奥から迸り出そうな罵詈雑言を飲み込みながら口を開く。

 

 

「泣くなよ。例え連中がお前をどう言おうが俺はお前が優しくて気のいい奴だって事は知っている。お前にだって良い所はあるんだ。正直連中がどうしてお前を小突くのか不思議でならないよ」

 

 

 私がそう言うと、小ジョンソンは堪え切れずにおいおい泣いた。

 

 

「な? だからこんなとこに来ないで、お前なりに何とかやってみろ。そうすりゃ、何かが変わるかもしれないぜ」

 

 

 私が言いたいことがどれだけ伝わったかは知らないが、小ジョンソンはこくりと頷くと私から背を向け、とぼとぼと歩き去った。

 

 

 その頼りない背中ときたら! きっとまた私のもとに泣きついて来るんだろうなということが確信できた。

 

 

 私は唾を吐き、自分の寝床へと向かった。今日はもう何もやる気が起きなかった。

 帰り際、私が前を通った店の店主が私を見るなり顔を顰め、持っていた箒を振り回して私を追い立てた。

 

 

「ざけんじゃねぇ! 薄汚い野良アイルーが! 俺の店の前に立つんじゃねぇ!」

 

 

 私は怒鳴る気力もなく、いつもならしゃにむに突撃していった物だが、先程も言ったように何もやる気がしなかったから、中指を突き立てて大人しく通り過ぎてやった。

 

 

 この対応は何もこいつばかりじゃなくて、()()()()()()()()()()()()()全員がこんな態度だった。

 今考えればおかしな話だ。どいつもこいつもみすぼらしく、ドンドルマやココットのようなまともな場所からすれば皆同じに見える程に違いなど無いのに。

 

 

 私達は獣だ。腐肉を喰らい、汚泥を身に纏うやせ細った死にかけの獣。なのに彼らは()()()()()()()()()()()()()()。こんな場所に生れ落ちた時点で人としての生など望むべくもないのに、そう思い込んでいる。いや、おそらく()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 だから私たちの様な負け犬の負け犬を、彼らはこぞって叩きのめした。それは自己を何としてでも肯定するための、彼らなりの妥協案だったんだろう。私たちからすりゃあいい迷惑だが。

 

 

 この村は乾いている。人も、アイルーも、資源も。水源は遠く離れた井戸のみで、その井戸も直に枯れる。特産と言えばサボテンだけで。彼らは日がなサボテンを育てるか、あるいは砂漠に生えるサボテンを求めて砂漠へと旅立ってゆく。

 

 

 この村は乾いている。誇れるものなど何も無く、潤すための娯楽も話題も無い。一日一日が経つごとに、魂が乾いていく。

 

 

 私たちは雨粒。砂の上に足らされた水滴。遅かれ早かれ、地に染みて綺麗さっぱり消え去ってゆく。

 

 

 そうならないためには抗う外ないものだが、救いがたい事にこの村の者は例外なく排他的かつ保守的だった。だから衰退こそすれ肥える事は終ぞなかった。

 何もしなかった私たちは、処刑前の囚人の心境だった。いつとも知れぬ処刑の日を、絶望と虚無に蝕まれながら延々と生きてゆく。

 

 

 彼らはもしかするとその日を望んでいたのかもしれない。惨めな生を終わらせてくれる終末の日を。

 

 

 殴り、罵り合いながら日々を過ごしていると、その日は何の前触れもなく訪れた。

 

 

 突如として村のど真ん中の大地が裂け、一本角の悪魔が建物瓦礫や石礫をまき散らしながら姿を現したのだ。

 そこからはあっという間だった。

 

 

 初めは悲鳴や怒号で溢れていたが、ほんの数分そこらで声を上げる者はいなくなっていた。

 

 

 一本角の悪魔は煩わしい蠅が消えた事に満足すると、悠々とサボテン畑の方へと消えていった。

 

 

 あぁ、私? 

 

 

 こういう言葉がある。君子危うきに近寄らず。あるいは、ヤバそうなやつに目をつけられたら媚び売っとけ! 

 

 

 結局生き延びたいのなら、ヤバそうな兆しをいち早く見つけられるか否かが生存への道なのだ。

 

 

 私達に目もくれずにサボテンを貪る悪魔を背に、一人、また一人と歩き出し始めた。私もそれに続き、当てのない旅が始まった。

 

 

 照り付ける太陽、果ての見えない砂漠、陽炎で霞む彼方を見据えながら、生き残った虫けらたちの行進は続く。力尽きた虫けらの屍を後に残して。

 

 

 力尽きた虫けらの体は残った虫けらにすすられてそれは無残な物だった。でもしょうがない。私たちは結局屍を喰らい命を紡ぐ獣でしかないのだから。それ位は許容してほしいものだ。

 

 

 しかしいくら命を繋いだところで、当てのない旅に終わりはない。一人、また一人と力尽きて倒れ、気が付けば残ったのは私一匹だけ。

 

 

 干からびて朽ちた竜骨を杖代わりに砂の海を歩き続けたが、それももう終わりが近い。最後の一人が消えてからもう3日になる。途中で見つけた枯れかけの湧水を飲めたとはいえ、それももう遠い記憶だ。

 

 

 霞む視界の中、私は身に覚えのある地響きを聞いた。それは村の中心を割いて現れた悪魔が近づいてくる振動に、とてもよく似ていた。

 

 

 目と鼻の先で地面が爆発した。

 

 

 ガリガリにやせ細り、体重の無い私は衝撃で木の葉のように宙を舞い、砂の上に叩きつけられた。

 

 

 もはや体力は底を突き、立つ気力すら失った私は頭だけを上げ、それを見た。

 

 

 天を突く赤い角を高々と振り上げ、高らかに吠える悪魔を中心に、私の視界は徐々に狭まってゆく。

 

 

 全く、最期に見る光景がこれとは、つくづく度し難い……。

 

 

 あの時と何一つ変わらず天に座し、無感情に私を見下ろす太陽を睨みつけながら、私は笑った。この砂漠の砂と同じ、酷く乾いた笑みだった。最早何かを呪う気力すら湧かなかった。何もかもが尽きて果てていた。

 

 

 視界はどんどん暗く、黒くなってゆく。私を見下ろす太陽も、私の涙を無慈悲に飲み干す砂漠も、悪魔の姿も、どんどん消えてゆく。

 

 

 

 薄れゆく意識の中で、私は見た。

 

 

 狂ったように光る太陽の下で足を掻く悪魔の前に、もう一つ現れた太陽の姿を。

 

 

 あれはなんだ? 

 

 

 そう訝しむ私の意識は、その一瞬後には闇に飲まれて消え去った。

 

 

 で、気が付けば私は布団にくるまって眠っていた。

 

 

 私は目をしばたたいた。そりゃそうだろ? だってどう考えても死んだだろあの場面じゃ。

 私はしばらく自分はあの世にいるんじゃないかと信じて疑わなかった。

 

 

 だってこのベッドの寝心地ときたら! 絹のように滑らかで引っかからないシーツ、ふかふかの枕。死後の世界じゃなかったら、このベッドの心地のよさをどうやって説明すればいい? 

 

 

 そして何より私が死後の世界と思い込んだ理由は、常に私を襲っていた飢餓感や、絶えずこさえていた生傷がすっかり無くなっていたことだ。

 

 

 私は恐る恐るといった手つきで布団を剥ぎ、ベッドから降りた。部屋はひんやりとしており、私はブルリと体を震わせた。

 

 

 何せ今の私は裸一貫。襤褸すら身に着けていない。だがどこの誰とも知らぬ家の中でじっとしている事なんかできなかった。

 

 

 物音を取立てない様に抜き足差し足で部屋を横切り、ドアノブに手をかけようと手を伸ばした。

 

 

 その時、私が触れるよりも前にドアノブが捻られた。私は息が止まり、阿呆のように手を伸ばした姿勢のまま硬直した。

 

 

 そしてドアが開かれ、そいつは、私と同じか少し下くらいのアイルーは、ヨシツネは私を頭からつま先までをじろりと見て、つまらなそうに鼻を鳴らした。

 

 

「何ニャ生きてたのニャ。そのまま野垂れ死んでいればよかったのに」

「あぁ?」

 

 

 瞬間プッツンいった私は目の前の糞生意気なガキを相手に殴りかかっていた。舐めた奴はぶっ飛ばす。そういう心持さ。分かる? そう……。

 

 

「テメッコニャ―!」

「ナンニャオマエドグサレッニャー!」

 

 

 私達は互いが誰かも分からずとにかくしゃにむに殴り合った。あいつが一発撃ち込んできたら、私は二発あいつに撃ち込んだ。そしたらあいつは三発殴り返したから、私は四発返した。

 

 

「「ハァーッ! ハァーッ!」」

 

 

 お互いに肩で息を吐きながら睨み合った。ヨシツネは口をもごもごさせ、それから血の混じった唾を吐いた。私も同じようにつばを吐き、拳を構えた。不退転の意思だ。もうムカつくからとか、そういう理屈の話ではなくなっていた。これは魂を賭けた決闘だった。

 

 

 ヨシツネもそれが分かっていた。何を言うまでも無くアイツも拳を構えた。

 

 

 荒くなった息が整うまで、私達は円を描くようにじりじりと動き、牽制し合った。

 

 

 長い睨み合いの末に息も整い、今まさに殴り合わんとしたその時、再びドアが開かれた。

 

 

 私達は同時にそちらを見やった。

 

 

 私の呼吸は止まった。

 

 

 私の目の前に、太陽があった。

 

 

 太陽はその闇色の瞳で私を見下ろし、形のいい顎に手を当てて、そして一言。

 

 

「ふぅ~ん、元気じゃん」

 

 

 その後恐らく体の事とか、何で助けたのかも言ったのだろうけど、私の耳には何も入ってこなかった。ヨシツネの手酷い罵倒も何一つ。

 

 

 私は目の前の銀の太陽から目を離すことが出来なかった。

 

 

「てな感じだ。分かった? ……おい」

「ニャッ!?」

 

 

 声を掛けられ、びくりと身を震わせて太陽を見上げた。闇色の瞳と目が合った。

 

 

「だから分かったかってんだよ」

「へ? あ? な……何がだよ」

「また一から説明させる気か?」

 

 

 腰に手を当て、太陽は心底呆れたように息を吐いた。

 

 

「ねえ旦那さん、考え直した方が良いニャ。こんな薄汚い浮浪アイルー雇うよりネコばあのアイルーの方が何倍もマシニャ」

「へ、雇う?」

 

 

 目をしばたく私に、太陽は頷いた。

 

 

「あぁそうだ。丁度もう一匹アイルーを雇おうと思ってな。あの婆さんに紹介された奴でもいいと思ったが、借りを作るのは嫌じゃん?」

 

 

 それでどうする? 

 

 

 太陽は私の目を見て、その目で問いかけた。

 

 

「お……俺……俺は……」

 

 

 私は両掌を見つめた。それから体を見る。

 

 

 ごわごわの毛並み。ガリガリの躰。

 

 

 正面を見る。

 

 

 太陽の如き銀の頭髪、雪みたいにきめ細やかな肌、そして何よりその顔ときたら! あぁ! クソッタレ! 

 

 

 私は震える体を押さえつけ、ぎこちない足取りで一歩一歩、太陽のもとへと近づいて行く。

 

 

 旦那に聞いた話じゃあ、分不相応な者が不用意に太陽に近づくとたちまち焼き尽くされ、滅ぼされるという。

 その話を聞いたのはずっと後だったけれど、この時の私は、きっと本能で理解していたんだろうな。目の前の存在と自分との圧倒的なまでの格の違いを。

 

 

 長い旅路の果て、ついに太陽の眼前へとたどり着いた私は、己を強いて、その手を取った。

 

 

 つるつるのすべすべで、雪みたいにひやりとした手の甲に、私は亀みたいにのろのろと顔を近づけ、そして畏れ多くも口づけを落とした。

 

 

 太陽を恨み、憎みさえした私は、この日、太陽に永遠の忠誠を誓ったんだ。

 

 

 雪の降りしきる、静かで、誰しもが眠りこける、ありふれた夜の出来事だった。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 それからの生活は今までと180度違うと言っていい程激変した。

 

 

 まず場所。砂漠から雪国へ。寒いったらありゃしない。だけどここには人の温かみってもんがあった。あの村には暑いくせに凍えるような絶望と失望しかなかった。けどここは正反対。誰しもが他者を慈しみ、分け隔て無かった。まさにこれこそが人の住む場所だと、私は思い知った。

 

 

 次に帰る家がある。それも隙間一つなく、完璧で、暖かい。

 

 

 次に身なり。ガリガリだった体は旦那の作る飯や薬でみるみる回復し、ごわごわだった毛並みは旦那のブラッシングでこの通りよ! 衣服は襤褸でなく加工屋の奴にわざわざ採寸させた私専用の物だ。着心地もいいし、何より暖かい。

 

 

 次に、これが一番重要な物だが、家族が出来た事だ。正しくは仕えるべき主と口やかましいガキだが。

 

 

 大変な事もそれなりにあった。特に料理と戦闘面。これを覚えるのは堪えたよ。

 

 

 旦那はスパルタでな、ブーメランを教えるのも勉学を教えるのもそりゃあもうボロカスにしてくんのよ。

 

 

 でも、楽しかった。一つ覚える度、自分が過去の自分よりましになっていくと実感できた。地面をはいずる蟲からアイルーになれたんだ。

 料理はネコばあという竜族の婆さんから紹介されたキッチンアイルーに師事して覚えた。これも信じられないほどきつかったけど、苦じゃなかった。

 

 

 心身ともに充実した私はいつの間にか『俺』から『私』へと変わっていった。衣食足りて礼節を知る。至言よな。

 

 

 やがて旦那が上位の依頼を受ける事が多くなったころ、私の仕事はオトモアイルーでは無く専らキッチンアイルーとして働くことが多くなった。

 ま、それでもたまに一緒に行くこともあるがね。この前のティガレックスみたいに。

 

 

 全てが満たされていた。乾いていた荒野のような心に、土砂降りの雨が降って一気に肥えたみたいな。ていうか過多だな。うん。幸せの過剰摂取。

 

 

 ただ、そんな中でもどうしようもないこともあり、ワイン樽の中の淀みのように、少しずつ私の心に沈殿して言った不満が、一つある。

 や、世界への恨みも憎悪も未だ変わりないんだけどさ、その中でも特に理不尽に感じた事なんだわ! これが! 分かる? そうか……。

 

 

 なあ旦那。あんた神様なんだろ? だから私のこの疑問にも答えられるはずだ。そうだろ? だって神様は何だってお見通しで、何にだって答えて下さるって言っていたのはあんたなんだからな。

 

 

 なあ神様(だんな)、教えてくれよ。何で私は人間じゃないんだ? 

 

 

 月明かりだけが光源の真夜中の寝室の中で、眠る旦那に私は問いかける。

 

 

 どうして私は人間じゃないんだ? 何でこんな苦しいんだ? なあ教えてくれよ。答えろよ、旦那(かみさま)

 

 

 返答はない。そりゃそうだ。眠ってる人間が、答え何か返してくれるわけがない。だからこれは私のただの自己満足だ。

 

 

 どうしようもない事は世の中に腐るほどある。戦争が無くなること。いじめが消える事。飢餓が無くなる事。……私が人間になる事。

 

 

 そう。これはただのどうしようもない事で、これはただどうしようもない程不可能なことなだけだ。

 

 

 この瞬間だけ、この時だけは、私の心は昔に戻っていた。あの荒れ果てた荒野のような、ただ絶望と失望だけが、私の心に砂嵐の様に吹き荒れていた。

 

 

 気付けば私は笑みを浮かべていた。あの時の砂漠のような、酷く乾いた笑みだった。

 

 

 笑みにはやがて嗚咽が混じり、震え、跪き、声にならぬ声で、私は慟哭した。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

「~♪ ~~♪」

「ニャ……」

 

 

 初めて聞くが、しかしどこか懐かしさを感じる鼻歌で、私は目を覚ました。

 

 

「~♪ あ? 何だ、寝ていたのか。お前が寝るなんて珍しいな」

 

 

 歌っていた鼻歌と、ブラッシングの手を止め、旦那が物珍しそうに私を見下ろした。

 

 

「……へへ、それだけ旦那のやり方が上手いってこった」

 

 

 私は今しがた見た夢を悟られぬように、旦那の膝の上で誤魔化すように笑って見せた。

 

 

「あ、そ。で、何か変な夢でも見たのか?」

 

 

 だが旦那にはお見通しのようで、形のいい眉を顰めながら、そう言った。

 

 

「な、何だってそんな」

「目元見てみろ目元」

 

 

 言われるがまま目元を拭う。湿っていた。

 

 

「……何でもないさ。うん。何でもないよ。()は平気さ」

「あ、そ」

 

 

 それだけ言うと、旦那は私のブラッシングを再開した。私はされるがままにされ、信じられない程の幸福感の中で、再び目を閉じた。

 

 

 どうしようもないこと。手の届か居ない物。自分じゃ出来ない事。他人にはできない事。

 

 

 そんな事ばかりさ。この世界はそんな事ばっかりだ。

 

 

 でもそんな世界でも、愛を叫ぶことはできる。口をふさぐ手をどけ、恋しい人の名を呟くくらいの自由はあるのだ。有る筈だ。そうでなきゃ困る。

 

 

 だから私は、せめて、心の中で偽る事だけはしない。

 

 

 愛してるぜ旦那。後ヨシツネも。

 

 

 顔で笑って、心で泣いて。

 

 

「へへっ」

 

 

 旦那は私の頭を撫でた。あの時の砂漠の砂の残りを払うかのような、酷く雑な手つきだった。

 

 

 




仮にマサムネ=サンが人間だった場合、黒髪美乳飄々系距離が超近い誰にでも気さくなお姉さんが爆誕します。武器は双剣あたり。つまりトチノキ君が手取り足取り教えられる武器種ってことですね。
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