吉良吉陰は東京に暮らしている 作:餅羊羹
八階建ての地域の交流センターの中に居たのはとある高校生の集団だった。彼らは地域でのボランティア活動として、この交流センターで毎月行われるフェスのお手伝いに来ていた。
外の晴れた日差しは容赦ないが、建物の中は空調がよく効いており、快適だった。
「突然のことではあったが、何とかなりそうだな」
六階にある大会場、フェスで最も人が集まるその場所でボランティアの学生たちが周りの指示を聞きながら動く最中、大会場の隅ではそんなことを呟きながら淡々と集まったゴミの片付けを行う青年がいた。
青年は黒い学生服を着ており、どうやら他の学生同様ボランティア活動でここに来ていたようだ。
「しかし、いくら周りから不審に思われないとはいえ、わざわざこんな形で来る必要があったのだろうか。考えものだ」
青年の名は吉良吉陰。彼はその冷えた瞳で周りを見渡す。
「午後四時まで続くのか。面倒な………」
彼がここにいる原因はボランティア活動に参加したから。しかし理由は違う。本当の理由、それはとある人物の殺害であった。
吉陰が依頼を受けたのは数週間前。依頼はメールで届き、ターゲットに関する必要な情報は全てあった。
「今の時刻は午後一時十五分。標的が来るのは一時半らしいが」
ターゲットは女性、というか少女だ。吉陰には今さら子供を殺すことに対して特に罪悪感はない。むしろ、長い時間人が大勢いる場所に拘束されるそもそもの元凶ともいえるその少女に対して苛立ちすらあった。
「おーい、吉陰!」
後数分先のことを脳内で確認していた吉陰の耳に声が入ってきた。それで一旦思考を中断する。声のした方向を見れば、同じクラスの同級生の何名かがこちらに来ているのが見えた。
「何?どうしたの?困ったことでもあった?」
吉陰は表向きは温和な性格で通しているため、そのキャラに合わせて話す。
「いや、そのさ、このフェスって六時までやるだろ?せっかくだから仕事終わったら、皆で一緒に遊ぼうかと思ってさー」
そう言って吉陰を誘ったのは、サッカー部に入っていた男子生徒だ。性格もルックスも良く、典型的なモテるタイプと言える。誘った理由は転校して未だに誰とも友達になっていない吉陰のことを気にして善意であった。
「ああ、わざわざありがたいけど祭りが終わった後は行かなくちゃいけないところがあるんだ」
吉陰は財布を懐から取り出し、中から一枚の茶色のカードを取り出す。
「和菓子屋のポイントカード。やっとスタンプが全部溜まってね、一袋無料になるんだ。売り切れるとは思えないけど念のため早めに行って買っておきたいんだ」
吉陰の表情には、馴染みある羊羹がタダで買えることへの喜びが映し出されていた。それを見て、同級生のほうも諦めたようだ。
「そっかー、んじゃ、仕方ないか。また今度な」
「うん、ありがとね。また今度ね」
吉陰は申し訳そうな顔をしながら、別の仕事をしに会場を出て行った。それを見届けた後、同級生たちは話しだす。
「残念だったなぁ、秀一」
「せっかく一緒に遊べるかなって思ったんだけどな」
「吉陰くん、色々と手伝ってくれるし優しいし仲良くなりたかったんだけどね〜」
そこに一人の男子学生が入ってくる。
「やめとけ!やめとけ!アイツは付き合いが悪いんだ」
半笑いでどこかのっぺりとした顔立ちをしていた。
「『何処かに遊びに行こうぜ』って誘っても、嬉しいのか嬉しくないのか。用事をつけてそれとなく躱される」
「吉良吉陰。十七歳。色々とクラスメイトの手伝いをしてくれて気の利くが、いまひとつテンションが低い。これといって特徴もなくて影の薄い奴さ」
◆◆◆
「全く、どういうことだ?いつになったらターゲットは現れるんだ?」
八階にある屋上への階段に腰を下ろしながらため息をつく。持ってきた仕事用のスマホを誰にも見られず、一人で確認するため来たはいいが、冷房がないため大分暑い。
「とっとと終わらせたいものだ。何やらきな臭いからな」
今まで仕事をしていたら必ずといっていいほどいたはずのリコリスが一人もいなかった。もちろん、今回のターゲットは今まで連中が護衛していたターゲットとは違い、ただの一般人だ。だが、仮にも殺し屋『キラークイーン』に暗殺を頼んだ存在がいたからには何かしら深い事情があるはず。DAがその裏事情を嗅ぎ付けることができないということがあるのか。
「依頼人のプライベートをあまり聞かない癖が裏目に出たな。頼んだ理由ぐらい聞いておくべきだったか」
嫌な予感がする。そして、残念なことにこういう予感は今まで外れたことが一度もない。
「一度戻るか。もうターゲットも来ているかもしれない」
首筋を伝う汗を手で拭きながら降りようと立ち上がる。階段を降りながら、ターゲットがいた場合といなかった場合、どうするべきかを考える。
しかし、それが不味かった。
「っと!」
「ウオ!」
しっかりと前を見なかったせいだろうか、踊り場まで降りた瞬間、下から登ってきた誰かとぶつかってしまった。多少の苛立ちを覚えながらその姿を見ると、そこには二十歳になったばかりのように見える若者の男が尻もちをついていた。耳や鼻にはピアスの光があり、おそらく染められた金髪といい、着崩された服といい、あまり柄の良い人物には見えない。
「ああ、すみません」
できる限り穏便に済ませたい。そんな考えを持って、一応申し訳なさそうに謝る。手を差し伸べたりはしない。なんだか汚そうだったから。人を見た目で判断するなとはよく言われる事だが、あいにくと潔癖性な部分があるため、無理なものは無理だ。誰だって道端に落ちているものを不用意には触らない。僕だって触らないのだ。責められる筋合いは無いはずだ。
このまま去ってしまおうと考え、倒れた男の横を通り過ぎて下に降りようとした。
「ああ?おい待てコラァ」
後ろから声が聞こえたと同時にいきなり肩が勢いよく引っ張られた。
「………何でしょうか?」
男の手が学生服に触れる。無遠慮に無作法に汚いかもしれない、何があるか分からない手が、僕に触れる。
「何がじゃねえよ。テメエ、人にぶつかってきたくせして何だその態度はよぉ?」
後ろを振り返るとそこには、顔を怒りで歪ませながらこちらを睨みつける、いわゆるガンをとばすというのだったか、それをする男がいた。
「すみません。前をしっかり見てませんでした。わざとじゃありませんので」
男は依然として肩に力を込めたままだが、冷静に返事をする。
「わざとじゃねえだ?知るか、んなことはよ!テメエのせいでこっちはぶっ倒れたんだよ!危うく怪我するところだったぞ!アァア!?」
知らない。そんなことに興味はない。というか怪我はしていないならそれでいいだろう。なのに何故怒る。怒るということは不快になることだ。余計ストレスが溜まり、体力だって消耗する。無意味な行為だ。そんな事をするより、心の平静を保ち、ストレスのない状態を心掛けるべきだ。
「そうですね、本当にすみません。ですが、これから急用があるので」
「そっちの事情なんか知るかつってんだろ?耳腐ってんのか、え?」
少なくともお前の脳みそよりは機能している。頭の中でそう言う。
これがヤンキー、半グレ、DQNと言われる人種か。今まで仕事で殺してきた連中は殺されるに足るだけの理由はあったようで気品やら一般人とは違う風格もあったが、この男は違うようだ。接したことのないタイプだ。
「なあ、弁償しろよ」
「はい?」
「慰謝料だよ慰謝料、こっちは怪我しそうになったんだよ。払うのが筋だろ」
そう言って、男はニヤニヤと笑いだす。
「持ってる有り金で勘弁してやるから、早く出しな」
困った。ここまで住む世界が違うとは思いもしなかった。よくそんな暴論が通じると思った。初めから成立しようもない論理をあたかも常識のように自慢気に話すぐらいなら、最初から無言で奪おうとしてくれたほうがまだ清々しいと言える。実に見苦しい様である。
「申し訳ありません、ボランティア活動で来ているので財布は持ってきていないです。行き来も学校負担なので………」
「嘘ついてんじゃねぇぞ、ゴラ!」
男の怒声と共に腹に衝撃が入った。
「ウッ………」
「財布出してんのコッチはさっき見てるんだよ、クソガキ」
男は肩を引っ張ることで僕の体を下にやり、同時に膝で蹴りを入れた。
どうやら先ほど同級生にカードを見せた場面を目撃されていたらしい。男は胸ぐらを掴むと粗雑に学生服の懐に手を突っ込み、財布を奪う。
「たっくよォ、初めからそうしてりゃ、痛い目は合わなくて済んだのになあ?バカな奴だぜ」
「ウ、グゥ……」
いきなり入れられた鈍い痛み腹に手をやる。
「は、本当に陰気くせえな。周りのガキどもと一緒に仲良くしてたら良かったなのになぁ?」
この男、いや、クソ野郎、学生狙いのカツアゲ目的でこのフェスに来ていたのか。だとしたら、僕はそれで運悪く目を付けられたということ。全く、なんて災難だ。さっそく嫌な予感が当たった。
「ア?二千円しかねえのかよ?クソが、すくねえんだよ、ぺッ!」
頭に何かがかかった。
「ん?」
気になって手をやるとベトリとした感触と気持ちの悪い生温かい温度が伝わる。男の唾だ。どんな生活をしてるかも分からない、まともな衛生管理もできていなさそうなクソ野郎の雑菌だらけの汚れ。どんな成分があるかも、病気があるかも分からない粘液。無作為に口の中で回され続けた、想像するだけで吐き気のする塊。
「………」
ダメだ。耐えろ。いくら人目が無くとも荒事は避けるべきだ。まだ依頼だって残っている。きな臭い状況だ。下手なことをするべきじゃない。
「あーあ、無駄骨だったぜ」
「……………」
必死で頭で理性的に考える。自分は、目の前の人間失格の汚物生産しかできない日本の義務教育もマトモに受けているように思えないカスとは違うと、そう言い聞かせる。
その時、頭の上から声が聞こえた。
「たっく、しかし気持ち悪いガキだぜ。いきなりブツブツ言いだしたと思ったら『ターゲット』だの『依頼』だの。高校生のくせして中二病かよ。ま、そんなのだからボッチでこんな隅っこにいたのか。ハハ!」
その言葉を聞いて、今まで抑えていた何かが切れた。
「なあ、君」
「ア?」
「ありがとう、おかげでちゃんとした理由ができた」
目の前の男に対してお礼を言うと、上を向く。見ると男の顔があったので、笑顔を浮かべた。
「んだよ、テメエ、気持ち悪」
男が言い終わる前に、その首が男の足を地面から浮かすほど大きく
「──ガ!?」
「うん、君みたいなカスに見下されるのは不快だが、こうしてるぶんには下から見上げるのも悪くない」
自分よりも体重の重いであろう男が空中に浮かんでいるのを見ながら、穏やかな口調で言いながら立ち上がると、ハンカチを取り出して髪についた唾を拭き取り、ハンカチを爆発させる。汚物にはこれ以上触れたくないから。
男は突然起きた現象に驚いているようだ。目を大きく開いてまるで陸に叩きつけ上げられた魚のようだ。自分の常識では考えられないことが目の前で突然起きると人間そんなものだ。
「今の君の様子を見ていると、昔の人々の間で公開処刑が娯楽になっていた理由も良く分かるよ。これは実に気分がいいね」
「──!──!?」
「やめておきなよ。しっかりと声帯は押さえている。意地でも声は出ないよ」
男の顔色が段々と青くなっていく。手に持っていた財布が落ちて、僕の後ろにある下りの階段を転がっていき、下の床に落ちた。まあ、後で拾えばいい。ここは八階で人も来ない。
「さて、それじゃあ、これから君にはとある話をしようじゃないか。もちろん聞いてくれるね?」
「───!──!」
「ははは…………聞け」
目の前にある男の腹目掛けて思いきり鳩尾に拳を喰らわせる。受けた男は体をビクビクと振るわせて痙攣する。
「懐かしいなぁ。祭りで掬った金魚を思い出すよ。あれも今の君みたいに指で思いきり腹を押してやったらすごい反応をしたよ。まあ、その後、潰れた内臓やらが口から飛び出て片付けがしんどかったけどね。手袋しておいて正解だったよ」
あの時はストレス解消のために仕方なくしたが、やはり汚いのは嫌いだ。
「ああ、それで、君に話をするところだったね。いや、ごめんごめん。まあ、簡単なことだよ。何で僕は君にこんなことをするか、その理由さ」
男の方を見ると、青褪めた顔のまま必死で体をバタつかせている。話を聞いていないようだ。
「ハア………」
まあ、初めから期待はしていなかった。しかし、この男に自分の仕出かしたことを自覚させないままというのは腹が立つ。そう思うと少しだけ、声が出ないよう調節したまま、男の首にかかる力を弱めた。すると、男も少しは落ち着いたのか、こちらを怯えた表情で見下ろす。
「よし、落ち着いたね。もし聞いてくれたらこれ以上痛めつけない。約束しようじゃないか」
そう言うと男は首をブンブンと上下に振る。素直なのはいいことだ。
「よろしい。それじゃあ話をしよう」
「まず初めに言っておくと、僕が君にこんなことをしたのは、君に酷いことをされたからじゃない」
「僕はね、イラついたからといって人に暴力を振るう野蛮な人物じゃないんだ。もちろん、その気になったら簡単に殺せるけどね」
「でもそうしないんだ。僕が人に手を出すのはあくまで仕事の都合だけと決めているんだ」
「これは言うなら、うん、品性の問題さ。僕は良識と節度を持った善良な一般市民だからね。もう一度言うが野蛮な人物じゃないからね」
「自身の怒りを周りの目を考えずにぎゃあぎゃあと犬が吠えるみたいに表に出さない。平穏に生きる上でも、周りの赤の他人に見下されるのを避ける上でも大切なことさ。だから、いつだって僕は誰に対しても敬語を使うし、穏やかな人物として通すんだ」
「生活の安定は日頃の努力で保たれる。そうだろう?」
当たり前のことだが、重要な事実。それを目の前の猿程度の知能しかなさそうな男に丁寧に教える。人に反省を促すには時としてこういった遠回りが必要だから。もっとも男の方は怯えた表情の空中で締められた首に手をやってままだ。一応、こちらを見てこそいるが、ちゃんと話が頭に入っているか怪しい。
「ああ、それでだ。君にこんなことをしようと決めた理由だったね。まあ、今までの話を聞いていたら分かると思うけど、まあ、仕事の都合さ」
「君には、僕の聞かれちゃ不味い仕事に関する独り言を聞かれたからね。いやはや、日頃から独り言の多い身だったが、これからは気をつけるよ」
本題に入れば意外と早く終わった説明。気分が高揚すると話が脱線してしまうのは昔からの悪い癖だ。
「さて、それじゃあ、話を長々としてしまったね。悪かったね。もう解放してあげようじゃないか」
そう言うと、男の目が大きく開き、希望と安堵の色が浮かぶ。首にかかった手の力も少し小さくなる。段々と空中に上げられていた男の体が下に下がっていき、踊り場の床に足がつきそうになる。僕はそれを見ながら、右手を前に持っていき、握りこぶしに親指でスイッチを作る。
そして───
──カチッ
「そら、これでもう痛くないだろ?恐怖からも、これから先の特に価値のない人生からも解放してあげたよ。お礼はいらない、無償の善意ってやつさ」
空中に上げられていた男が消えて細い煙を残る空間を見ながら、僕はため息をついた。愚かな奴だ。まさかな今までの内容から生きて帰れるとでも思ったのか。
「まったく、家に帰ったら早くシャワーを浴びよう。頭の汚れが気になる」
今度こそ下に戻ろう。早くターゲットを見つけて殺さなければいけない。今まで依頼を受けて失敗したことないのだ。それが訳のわからないチンピラに絡まれて挙句、失敗に終わったとなっては、ストレスで今夜は熟睡できない。
「今日は厄日だな」
もう一度深くため息をつき、階段を降りようと後ろを振り向こうとした。
──カチャ
「動くな」
その時、振り向いて降りようとした階段の下、背後から少女の冷たい声とそれより更に冷たい鉄の音がした。
「…………」
ゆっくりと、相手を刺激しないように、首だけ曲げながら横目に背後を見た。
「動くな、そう言ったはずよ」
そこには少女がいた。白のワンピースに肩から斜めに栗色のポーチをかけている。歳は女子高校生ほどか、腰まで伸びた黒髮にどこか幼い顔があった。
「そのまま、ゆっくりと手を上に上げなさい」
だが、注目すべきは少女の外見などでは決してない。問題は両手に持ち、そしてこちらに構えて向けているその存在であった。
「さもないと、撃つわ」
黒い殺意、現代ではありふれた、しかし東京では本来見ることはないはずの対人兵器。拳銃であった。
「…………」
下の階で行われているフェスの客にしか見えない普通の私服の少女が、軍人や警察などしか持っていないはずの銃を持つ。その異常な光景を、自身に向けられている怒りの混じった殺意の瞳を見ながら、僕は思った。
──やっぱり今日は厄日だ
『吉良吉陰』
落ち着いた物腰と、
これといって変わった性癖を持たないことから、
オリジナルよりはマシな人格と思うかもしれないが、
開き直っているあちらに比べて、開き直るどころか素で自分は善良な市民と本気で思っているこちらのほうが頭はおかしい。