吉良吉陰は東京に暮らしている 作:餅羊羹
交流センター七階の階段付近で、魂乃アヤメは目の前の一面窓からの日差しを浴びながら、白いワンピースの首元を少し伸ばして熱気を外に追い出す。
「ふう………流石に暑いです」
手を団扇代わりに仰ぎながら周囲を見回すその姿は、端から見れば、友達と待ち合わせをしている少女に見えることだろう。
『おい、アヤメ、ちゃんと見張りできてるよな?』
「うぐ、ちゃ、ちゃんとしてますって」
『アヤメさん、アヤメさん、先輩怒らせると怖いんで真面目にやっといた方がいいですよ〜?』
「いやだから、してますしてます!勘弁してくださいよ!」
アヤメはワンピースの首元を上に引っ張ると、周囲の人目を気にしながらコソコソと服の内側に向けて声を出して喋りだした。
『分かってるだろうが、これ以上の失敗はできないんだ。何としてもあのクソったれを見つけ出すんだ。いいか?』
「ッ、分かってます。先輩こそ気を付けて下さい。もしターゲットが逃走した場合には先輩たちが一番接敵する可能性が高いんですから」
『先輩目つき悪いっスからね〜、顔見たら一発で裏側の人間ってバレちゃうかもですし、逃走するついでに襲われるとかは全然ありそうっスよね!』
『フン!』
『グボァ!』
アヤメは服の内側に付けた無線機から、腹にボディブローが打ち込まれる鈍い音と苦しい呻き声を聞いた。
「そっち本当に二人で大丈夫ですか!?」
それは、戦力的な意味ではない。チーム的な意味としてだ。もっとも、このままでは戦力的な意味での問題も起きてしまいそうではあるが。
しばらくすると無線から、先ほどボディブローを決めたであろう少女の声が聞こえてくる。
『あー、とにかくだ、アヤメ。今、お前一人だろ?そろそろそっちにも助っ人が二人来るから、あんま無理はするなよ。分かったな?』
「はい!分かりました!アヤメ、一生懸命頑張ります!」
『ほんとに大丈夫か?』
無線越しから聞こえた先輩の心配を他所に無線を切ると、アヤメは改めて周囲を見渡す。
どこを見渡しても人は一人もいない。七階はフェスの会場からも離れた場所であり、今日は誰も借りていないからだ。そしてここに来るまでの間でアヤメは他の階でも不審な人物と言えるのは一人として見なかった。居たのは一般人だけのように見えた。
だが、それは彼女が、そして彼女たちリコリスが油断する理由にはならない。何故なら彼女たちは知っているのだ。本当の脅威とは見えない、そうとは一目で悟らせない存在だと。彼女たちリコリスもそうだから、分かるのだ。その身に女子高校生の制服を纏い、普通を装って人知れず獲物を狩る。彼女たちは暗殺者としての経験があるからこそ、普通に紛れる獲物の恐ろしさを実感しているのだ。
そして今回の場合は、その獲物の正体がまだ分かっていないときた。それは彼女たちが所属するDAが総力を挙げて、なお正体を隠し通している殺し屋。殺し方は爆殺の一つ。しかしその方法は未だ解明されておらず、死体が塵一つ残さず消えるその異常性から、監視カメラに映った映像がなければ、殺しそのものが発覚しない。
DAの情報部の見解では、確認されていないだけで殺された人数は確認されているそれの数倍に上るのではとも考えられている。
まさに正体不明。まるで幽霊か死神か。人なのかを疑う前代未聞の数々。DA史上間違いなく歴代最悪の敵である存在。
それの裏社会での通り名はキラークイーン。
「………いけない、いけない。緊張しすぎないようにしないと」
DAが用意した偽の依頼。もしキラークイーンが依頼の裏に気づかなければ、そろそろ指定した暗殺決行の時間であり、リコリスから選んだ暗殺の標的役である少女が現れ、必ずキラークイーンは尻尾を見せるはずだ。
「しかし、普段紺の制服だったぶん、白のワンピースというのは落ち着きませんね。色もそうですが、こう、服そのものが………」
本来リコリスは銃と殺人許可証を持つとはいえ、公の存在ではない。そのため制服を目印として、万が一の時にも警察などに捕まらないようにしている。しかし、今回はそれがない。
既にキラークイーンによってリコリスは十人以上殺されている。ここから相手にリコリスの存在は既に割れており、その状況では、目印となる制服を着るのは余りに馬鹿馬鹿しいことである。
そのため、DAは今回のフェスで、この交流センターとその周辺から警察を外させ、センター内にいる警備員もDAが用意した人間である。もっとも、キラークイーンに勘付かれないように、その数は増やせなかったのだが。
ともかく、DA側によって徹底的に用意されたこの盤上によって、現場のリコリスは全員、普段の制服ではなくカモフラージュ用の私服を着ている。
「ここまでする以上、本気の本気、なんでしょうね」
時刻は午後一時二十五分。予定時刻まで後五分。直前となって改めて状況を脳内で再確認したアヤメだが、その背中からは妙な冷や汗が流れていた。日光を浴びて出ていた先ほどまでの汗とは少し違う。今の汗は緊張と不安の味がする。
「というか、まだ来ないんですか?助っ人とやらは。もう五分切ってるんですが…………!」
ただし、その不安には作戦が始まることへのものだけでなく、一向に現れない先輩の話す助っ人に対するものだったが。
「大事な任務なんですから遅刻とか勘弁して下さいよ………」
アヤメがそうため息をついたその時だった。
──ダン!
「ッ!今のは!」
アヤメは突如聞こえた物音にいち早く反応し、音のした方向を見た。その先には確か八階の屋上へと続く上り階段があったはずだ。
「まさか、キラークイーン!?」
アヤメは自分たちの標的であり、仲間の仇でもある殺し屋の存在を予感し、大急ぎで向かった。
──ここでアヤメはミスを犯した
それは発生した事態を無線で仲間に教えなかったこと。そして一人で物音のした場所に向かったことである。
何故なら、彼女がそこで出会う超常は、一人の少女が背負うには余りに重すぎた。
■■■■
「………………え」
その衝撃はなんと言ったらよいだろうか。夢か幻か。もしくは催眠術か。しかし、そのどれもが正しくはない。そこには『凄み』があったから。それが目の前で起きている現象が現実のものだと教えたくれた。
階段の隅に隠れて下から見上げた踊り場、七階と八階の中間であるその場所には異様な光景が広がっていた。
青年がいた。
「よろしい。それじゃあ話をしよう」
「まず初めに言っておくと、僕が君にこんなことをしたのは、君に酷いことをされたからじゃない」
「僕はね、イラついたからといって人に暴力を振るう野蛮な人物じゃないんだ。もちろん、その気になったら簡単に殺せるけどね」
下りの階段を背にして悠々と話し続ける青年と、空中に浮いている若い男。明らかに重力という概念を無視した現象。
浮いている男の方はどことなく不良の雰囲気が伝わってくるが、それも怯えた表情のせいか、ほとんど消えている。
それに対して青年の方はどうだろうか。
外見はいたって普通の一般人。太すぎず細すぎずの平均的な体型に特に目立つことのないある程度の長さで揃えられた黒髮。服装はこの地域にある高校の黒い学生服だ。人混みで見かけても、いや、人通りの少ない場所であっても、すれ違って数秒としないうちに記憶から消えてしまう平凡さである。
そんな人物が、目の前の光景を前にして相手の返答も待たずに話を続ける様は歪という他ない。
「……………」
空中で藻掻き始めた男に視線をやりこちらに気が付くことのない青年を見ながら、無言で肩にかけた鞄から拳銃を取り出した。
まだ、明確な根拠もない。しかし、この光景を見て直感的に理解した。この青年こそがキラークイーンなのだと。
その瞬間、身体中を憤怒の炎が駆けめぐった。脳裏にはリコリスのかつての仲間たちの姿が思い浮かぶ。
知り合いがいた。友達がいた。先輩もいれば後輩もいた。もちろん中には大して縁のない人物もいたが、みんな仲間だった。
リコリスの仕事は危険が多い。誰もがやりたくないことを、見たくないことを、関わりたくないことを若い頃からし続けるのだ。
けれど、それを悲観したことはなかった。
例えそれが組織の用意したレールの上のものであろうと、幼少期からの洗脳の結果だと言われようと、大勢に認められることのないものであろうと確かに誰かの為になるのだと思っていたから。
少しでも人々の平和の役に立てるように仲間と一緒に努力し、時に笑い合った日々は決して悪くはなかったのだと。
だからこそ、思った。少なくとも、あんな死に方をしていい人たちではなかったと。
いや、実際に死んだか確認は取れていない。けれど、分かってしまった。
爆発音を最後に服も装備も痕跡も何もかもを消して分からなくなった行方。それが意味することが遺された側には容易に想像がつく。
素直に死亡が確認できたほうがまだマシだった。毎日もしかしたらの生還を何処かで期待しながらも、同時にもう二度と会えないと思い知らされる日々はどれほど苦痛を伴うものだったか。
ある日のことだった。
キラークイーンによる暗殺がDAによって阻止されることなく実行されてしまった四回目のことだった。
フキ先輩が手を強く握りしめて震わせながら言った。
『何も残すことも許されないで、跡形もなく消されて。ふざけんな!あいつらの命はそんな軽く済まされていい訳ないだろが!』
DAの任務でリコリスは多くの人間を殺す。それはライセンスと共に許されることではあるが、人殺しは変わらない。となれば、任務で死亡してしまうのはある種の罰なのかもしれない。
しかし、それでも思う。
遺された人々をああまで苦しめ、そしてそれを慰めることも何かを託すこともできずに、まるで最初からいなかったように、存在を消される死に方。
本当に彼女たちはそこまでされなくてはいけなかったのかと。
──否、断じて違う
リコリスに戸籍はない。法律上は存在しない。だが、彼女たちは生きていた。その心は、かつての日常のなかにあった。
「これは言うなら、うん、品性の問題さ。僕は良識と節度を持った善良な一般市民だからね。もう一度言うが野蛮な人物じゃないからね」
それをこの青年は軽んじた。冒涜した。そして今、何処までも傲慢に振る舞い、生きている。
亡くなった彼女たちがその命を懸けて守ろうとした人達、今も自分達リコリスが守ろうとしている平和の中で生きる人々、自分はその一人だと身勝手に言い放った。
「…………」
両手に握った拳銃をより強く握りしめ、足を一歩踏み込む。このまままでは浮いている男の方が危ない。目の前の殺し屋はきっと目撃者を逃がすことはないのだから。
──カチッ
けれど、それが遅かった。
「そら、これでもう痛くないだろ?恐怖からも、これから先の特に価値のない人生からも解放してあげたよ。お礼はいらない、無償の善意ってやつさ」
浮いていた男は一瞬で消えてしまった。粉々に崩れて、何も残さず、空気に溶けていった。
突然の超常現象の連続を前にして、心は昂りながらも頭はまだ冷静だった。気が動転することなく、目の前の状況を把握する。
おそらく、彼女たちもこうして消されたのだろう。今まで殺しの瞬間は映像で何度か見たことはあったが、実物を見て確信した。
この殺し屋の暗殺は事前でも事後でも誰にも証明できない。
何せ殺す瞬間は普通の学生を装っていればいいうえ、殺した後も証拠が一切残らない。やられる側からすればたまったものじゃない。
「まったく、家に帰ったら早くシャワーを浴びよう。頭の汚れが気になる」
誰かが止めなくてはならない。コイツは法の外側にいる。ならば、それを止められるのは同じように法の外にいる私たちだ。
「動くな」
いつか、この殺し屋が見境なく人を殺め、殺人鬼に堕ちるその前に、止めなくてはならない。そう思いながら、声を掛けながら拳銃を青年に向ける。
「…………」
青年が首だけこちらにゆっくりと向けた。そして、今まで後ろを向いていて一切分からなかった顔が見えた。
整ってこそいるが美麗と言えるほどではない高校生の顔。しかし、一見なんでもないように見えるその無表情な顔には、ドス黒く悪意に染まった黒い瞳があった。
その悍ましさに背筋が凍りそうになりながら、もう一度警告を出す。
「動くな、そう言ったはずよ」
「そのまま、ゆっくりと手を上に上げなさい」
「さもないと、撃つわ」
『魂乃アヤメ/こんのあやめ』
白のワンピースを着ているが、セカンドのリコリス。
戦闘能力は特別高くはないが、
高水準かつメンタル面を高く評価されている。
チームこそ違うが、フキのチームとは何度も共同で任務をするため、結構仲が良い。
『キラークイーン』
この時点で既にリコリスの幾人も葬っており、死体も遺品も見つからないため、
DA内では死んだ彼女たちがもしかしたら生きているのではと虚しい希望を抱いて毎日苦しんでいる子も多い。