いろはくん短編置き場 作:放浪するモキュ侍X
月のきれいな夜のことだった。
夜空など、どの街でもあまり変わらないものかと思いきや、心が変わればそうでもないな、と呆けながら冷えた廊下を一歩一歩と温めていると、あきらは庭に面した廊下で魔法少女になった美雨を見つけた。
巧夫をしているのだろう。脚を開いたまま背筋は伸び切り、しかして震えなく地を摺って歩き、滑らかに掌を運ぶ。
凪いだ水面の如く緩慢な動きをしながらも、一切体幹が乱れていない。空手と中国拳法の違いはあれど、技の練りは素肌で理解できた。
そのまま、月から目をこぼして美雨を見物すること、星が動くよりは短し。
汗一つかかず、一呼吸も乱さぬまま鍛錬を終え変身を解いた美雨に話しかけるまで、あきらはずっと廊下に座りこけていた。
「どうしたの」
「あの二人がけだものになってたヨ」
ああ、とあきらは納得した。どうして美雨がここにいるのかと思ったが、美雨の部屋はななかの泊まっている離れから近い。常人ならまだしも魔法少女には目と鼻の先だ。
出歯亀になるのが嫌だったのだろう。
「今生の別れいうワケでも無いのに、あんな盛れるもんかネ」
「ボクに聞かれても……」
女のななかと男のいろはとの、男女のイロハなど聞かれても答えようはない。
かといって「今頃お尻とか使ってるのかな」なんて似合わない猥談を振って仰天させる悪巧みをやる気も、聞かなかったことにして寝屋に戻る気も起きず、やり場のない気まずさを抱えたあきらは困って苛立つしか無かった。
それでもななかの心境を慮るなら、神浜から慣れない街に逃げてきて弱っているのだろうと考えるしかない。
「まあ、疲れてたんじゃないかな、心とか」
「心、カ」
ふんと鼻を鳴らして、美雨は柱にしなだれかかった。
「魔法少女いう僵尸か尸解仙かになって魂魄の容れ物“ここ”にあるのに、まだ心は体の方かネ。それともあれか、乳房撫られた熱を心というカ」
月明かりにソウルジェムを照らし、らしくもなく忌々しげに毒づく美雨は、つまりそうなのかと、あきらは思った。
「もしかして、美雨も混ざりたい?」
「阿呆んダラ」
美雨は短く返事をすると柱の影にあったヒョウタンの栓を抜き、中身をあおった。
何が入っているのか気にかかったが、あきらは尻も鼻も口も動かそうと思わなかった。耳だけがひそひそとうごめいた。
「毒ヨ」
美雨の横顔は月を見ていた。
更に一口、一息吐いて一口と飲み、美雨は飲んだ分だけ思いの丈を押し出しているようだった。
「まだるっこしイ毒ネ。飲み込まずとも、一口含めば一生の友、一夜一升浴びても飽き不。心に溜まるか思うたラ、心溶かしてザルに為ル」
中央の魔法少女が教えてくれたことだが、魔法少女に毒と薬は効くらしい。
飲む毒はこうして効いた、では言葉という薬はどうか。
ここにいるのが自分ではなくエミリーであれば、きっと快刀乱麻に一言で断ち切ってくれるのだろう。その想いは■で、その吐露は嫉妬なのだから、可愛くなってみないかと。
だがあきらにはそうと言い出すことが出来なかった。実を言うと、美雨と同じ心の淀みを抱えていた。
いっそ自分も毒を飲んでみようか、そうしたら、ボクも美雨と同じものが出るかもしれない。
やるせないキモチの代わりに大きく空気を吸って、あきらはがんじがらめになった心を押し出した。
「……ボクはその、ボーイッシュなヤツだから、女の子に告白されるばっかりでさ、実のところ思春期に男の子とそういうことすることはまず無いだろうなって思ってたんだよね」
「だろうナ」
あまりににべもない返事にとっさに突き出しかけた拳を抑えて、今度は怒気の混ざりかけた息を吐く。
「でもこうして魔法少女になって、特別な一人にしてくれるわけじゃないけども、僕たちに頑張って寄り添ってくれる男の子と懇ろになって、よく考えると今のところはそう悲観する立場じゃないって気がしてるんだよね」
男をシェアするという暴挙にでたことについて、世間や親への後ろめたさが無いわけではない、自分も止り木の一本かもしれない。
しかし、そうやって止まってくれる間だけは、魔法少女は化け物ではなくただ少女へと戻れる。
自分勝手な魔法少女たちの作った森を飛び回っている桃色の雄鳥が居ることは、間違いなくそれだけでささやかな救いなのだ。
「だからまあ、たまには美雨も胸襟を開いて素直になってみるのも一興じゃない?」
「お断りネ」
「そうやって即断せずにさ、ちょっとはボクの気遣いに報いるべきじゃないかなあ」
「オマエに気ィ使エなんて云うた覚え無いヨ、そもそも……」
ぶらぶらと振ったヒョウタンはひゅうひゅうと空の音を立てた。
「先ず気を使うのはワタシやオマエじゃなくて、体使わせて遣るんだからアッチの方ネ。そしたらワタシもオマエも気を使ってヤればイイ」
――いつもいつも、守ってくれるから守るように。手を握ってくれるなら握ってやろうか。■してくれるなら■そうか。嫉妬するから、嫉妬して欲しいナ。
最後の最後、何も飲まずとも吐き出した言葉をしゃっくりで打ち消して、美雨はゆらりとあきらに背を向けた。
「興が乗った、ななかだけじゃ足りなかロ、ワタシもコゾーを搾ってやルヨ」
「大丈夫? 派手に運動したら吐かない?」
「このヤサじゃなくてみふゆの蔵にあったノだからそこまで強いの飲んじゃいないネ、ジャアナ」
ギシギシと乱暴に音を立てて歩いていく美雨を見送ってから、あきらは取り残されたヒョウタンの匂いを嗅いだ。
おそらく、これは薬の香だろう。
明日はかこも誘ってボクも混ざろうかなどと、ふざけたことを考えてしまういけない薬だったのだ。