いろはくん短編置き場 作:放浪するモキュ侍X
~みふゆさん大作戦1~
『7時1分、7時1分、本日も中央区サテライトスタジオ神浜より提供、神浜ポップアップトップ……はいっ神浜のみなさんおはようございます』
ラジオを時計代わりに、いろはは一人朝の片付けを始めた。もう他の皆は出かけてしまっている。
家事当番の日、いろははみかづき荘で一番早く起きて、一番遅く出るのが通例だった。最初にゴミ袋を持って出勤するのはやちよ。次にフェリシア・さな・ういが途中まで同じ道を行って駅近くで分かれる。いろはは鶴乃やレナが泊まった時は揃って学校に向かう。
炊事・掃除・洗濯・月水金にゴミ出し、放課後は買い物。大家族は忙しい。食器洗い機と洗濯乾燥機がなければ目が回っていただろう。
『7時21分、7時21分、今日朝一番の目覚ましソングはラジオネーム「合計100点」さんのリクエストで「マカロン♪」』
どこかで聞いたような、甘ったるい声の甘ったるい歌詞が甘ったるい曲を作る。みかづき荘に来てから、こういう日常の流れを作る時にラジオ番組というのは思ったよりもよく働いてくれると知った。
あとどれくらいで終わる、次は何をすればいい。そういう思考さえも半自動で動かす事ができて、疲れが和らいでいく。
いつもどおりの朝、違いは仕事の前だからやちよさんと布団が遠かったことくらい。
「ねー、まだ終わらないんですか-? 早く出かけましょうよー」
いやもう一つ、昨日から彼女が客間に泊まっていた。
いろはの背後からあろうはずもない声がする、時間と義務の縛りから開放されて、色々と開き直った浪人生みゆふの戯言だった。
『7時45分、7時45分、本日の神浜の天気は東西ともに快晴。夕方には海から冷たい空気が流れ込むでしょう。お出かけの際はご注意を』
(ソシャゲ特有の唐突な戦闘パート)
「あの、もう学校行くんですが……」
「ふーん」
キュッと蛇口を捻ったいろはの返事にそっけなく返事をして、みふゆはぐびぐびと色のついた水を飲み干した。
中身は確認している、流石に普通の麦茶だ。この時間からやるほど脳は溶けていないらしい。ただシンクまで洗い終わったのに洗い物を増やさないで欲しかった。
「その服で学校に?」
いろははまだ部屋着のままだ、前は不精して制服に着替えてから家事をやっていたのだが、袖口などが汚れてしまうことがあって、手間だが忙しい朝は後で着替えるようになった。
そういうみふゆこそ、上着はだらしなく肩紐が見える半袖と、下着の上からスパッツを履いた簡素な部屋着なのに、といろはは内心目のやり場に困っていた。
「制服着るに決まってるじゃないですか」
「あらあら、何を着るって?」
クスクスという声がした瞬間、いろはは異変を察し慌てて洗面所に飛び込んでいった。
「あー!?」
洗い物をしている時は水音で気づかなかったが、洗濯機がごうごうと音を立てて回転している。
入っているのが寝間着やタオルだけなら良かった。だがしかし、洗濯機の透明な二重蓋の中で回っているのは自分の制服だ。
「いろはくんの部屋にあったジャージと予備の制服も全部入れておきましたよ」
「なんてことを……!」
いらんことしいが洗面所のドアにもたれて無意味にポーズをキメている。みふゆは用意周到だった。
洗濯機には帰ってから洗う分の洗濯物を含めて限界まで詰め込まれ、洗剤も十分な量が入れられていた。買い替えて間もない洗濯機が突然の抜き打ち耐久テストに悲鳴を上げるのを尻目にいろははみふゆに憤った。
「学校あるんですよ!」
「いろはくんいろはくん、確かにあなたには学校があります」
みふゆはすっといろはに体をすり寄せて、どこか色気のある声で囁いた。こんな時でなければ少しドキリとしたかもしれない。
いや、次に言った内容が内容なので、それはないなといろははトキメキを否定した。
「でも私には授業も宿題もなぁい」
「灯花ちゃんの補修終わったんですか?」
「もうこんな時間です、そろそろ出かけないと」
後日聞く所によると、みふゆのスマートフォンには二人から大量の着信があったそうだ。最初はそっけなく機械的な文面が徐々に苛立ちと殺意を熟成させていく脅迫のお手本のような名文だった。
あれこれしているうちに始業時間だ。カバンの上に置かれたいろはのスマホがレナや鶴乃からのメッセージを知らせる色で点滅している。
窮地にあって頑丈ないろはの心は、折れるのではなく萎えかかっていた。みふゆの策略にハマり、なんかもういいやと学校に行く気を削がれてしまっていたのだ。
しかしまだ、怒られるが私服でも学校には行ける。いろはは意を決してみふゆに面と向かった。
「今からあなたを倒して何が何でも学校に行くっていったらどうします」
そう言うことは先刻承知と言わんばかりに、みふゆは胸を張って宣言する。
「もし私が勝ったら、力いっぱい抱きしめながら謝るまで心地いい幻覚の中に閉じ込めてあげます。あれ、スケベな非童貞少年はひょっとして出かけるよりソッチのほうがいいですか~?」
「あ、着替えてくるからみふゆさんもちゃんと準備してくださいね、外に出られる服着てくださいよ」
「………はいはい、分かってますよーだ」
一瞬で拗ねたみふゆを置いて――急かしたのはそっちだろうに、そういうことはもっと雰囲気とか――言いたいことを全て飲みこんだいろはは着替えるため部屋に戻った。
今日一日、いろはは魔女退治でもないのに学校をサボることになった。
~みふゆさん大作戦2~
出かける段になって、みふゆはスマートフォンをみかづき荘に置いていくよう言いだした。
一応何故とは聞いてみると、今日はそういう機械に頼らずこの神浜を歩きたいらしい。
おかげでいつもより軽くなったズボンの感触に戸惑いながらも、いろはとみふゆは連れ添って歩き出した。
「今日のおでかけにはもちろんゴールがあります。しかし、制限時間と道ゆきは自由」
「ですがゴールテープが張られるまでの待ち時間とかはありまして、時が来るまで一緒にデートでもしないかと、そう思ったわけです」
「浪人生は暇なんです。出すものは出しますから時間つぶしに付き合ってください」
真昼の神浜はいろはの知る街ではなかった。
朝に聞くラジオの人々がいる向こう側、声よりも車輪の音が響く、誰かが働いている空間とそこに流れる温度のない空気。時間が変わるだけで全てがいろはには新鮮だった。
さぼり・逢い引き、警官に見つかろうものならしょっぴかれる真似をしているのだけど、それでも止めどない好奇心が横にいるみふゆにもはっきりと伝わっている。
「あ、そこ巡回ルートだから迂回しましょう」
一歩大通りに踏み込もうとしたいろはの手をみふゆが握る。
みふゆは警官の動きにも詳しかった。なんで知ってるのかと聞くと、魔法少女の嗜みだそうだ。
「魔女を探してうろつくと、時間帯によってはどうしても警官に補導されかかることがありますからね。覚えておいて損はありませんよ。あなたなら蒼海幇の方々に聞けば喜んで全区域のを教えてもらえるでしょう」
あらゆる意味で非常におっかないことを言って、みゆふは手を握ったままガンガンと進んでいく。
やちよや鶴乃とは並んで歩く。ういと歩けば手を引く、さなと出かければ透明な彼女が傷つかないよう気を配る、フェリシアと一緒なら後ろから見守る。
時には走り、時には歩き、立ち止まり、いろはの知らない神浜がゆっくりと消えていく。故郷から離れ、慣れてきたと思った街をこうして手を引かれて歩くのは未知の感覚だった。
大橋を渡ると水名区に入る。そのまま真っすぐ行けば『覗き見城下町のウワサ』が居た遊郭街を右手に臨む道が続く。
水名の様相は新西とは随分と違ってくる。新西は学生とコンビニ、モノを運ぶトラックが目立つが、水名ではそういうものが目立たない。
神浜の中で小京都という別称をつけるなら、この水名区がそうだろうと古めく街だ。
職人とおぼしき作務衣の老若やカバンを引く観光客の団体が道を行き交い、テレビや芸能事務所の車が止まって取材している。
そんな中で、2人は道路に向いた茶屋の縁側に座って砂糖菓子をつまんでいた。
「魔法少女は健脚ですけど、さすがに休憩入れないと疲れますねえ」
「あの、近くに警官とかいますけど、大丈夫なんですか?」
顔を向けた道路をタクシーや社用車に混じってパトカーが緩やかに走り、その向こう側では自転車に乗った警官が顔見知りの老婆と談笑している。今も悪いことをしている身としては肝が冷える状況だ。
しかしそれでもみふゆは平然としており、にこやかに笑いながらいろはの口にお菓子を入れた。
「むぐっ」
「ここは新西と違って観光地なんです、いろんな人がいるから堂々としていたら逆に怪しまれないんですよ。だからいろはくんもほら、私にお返しをしてください」
あーんと可愛らしく口を開くみふゆに、いろはは少し照れてしまった。
いろはとみふゆは並ぶといろはの背が少し低い。もしかすると姉弟に見られているかもしれない。
そうでなければ、それこそ恋人か。
魔法少女というのは緊張の続く生業だ、心をほぐすため女の人と肌を重ねる事はある。放課後と休日は基本魔法少女の仲間とあるがままに過ごす。
しかしこうして、平日に白昼堂々とデートをしている事実はいろはの挙動に初々しさを与えていた。
道路の向こうか、車の中か、誰かが自分たちを見たらどう思うか――よりも、いまはみふゆさんを見ておこう。
つまみ上げた砂糖のカエデをみふゆの口ににそっと差し出す。指を擦った唇越しに砂糖の味が伝わってくるようだった。
「さあ、そろそろまた歩きましょうか。もう昼です、次にお腹が空く前に良いところを探しましょう」
遊郭街の前、地元放送局のスタッフたちがゲストと案内役を囲み、幾度と繰り返された言葉遣いで水名の歴史を語っている。
それを横目にまた2人は東へ東へと歩き出した。
(ソシャゲで何故か挟まる本編に関係ない戦闘)
お昼時と言ったが、水名の東にある中央区は端々で食欲の欠けた街だ。歴史博物館前で小道に入り、パズルタイムロックや名無しさんに近い道をひたすら歩いているとそれが分かる。
炊事の匂いはどこからともなくほんのりと漂うが、全てが社会という形に飲まれてしまっている。夜は酒場になる食堂は入りづらいし、チェーン店の中には働く人ばかりで気後れする。
つまりはどこもかしこも、スーツ姿の群れに私服の男女は否応にも目立つ。フェリシアの通う学校もあるし、ここから2人はまたコソコソとしなければならない。
薄暗い路地裏、ビルの上、電波塔、芸能事務所の屋上、突如現れる古い団地。人と人の営みが作り出す迷宮の中に潜む魔法少女のための道を、時に幻覚をまとい、時に休みながら2人は手を取り合って駆けていった。
「あっちの通りを行くと記憶ミュージアム行きですねえ」
時刻はもう二時を回っているだろう。神浜TVに近い、東央線の中央側始発となる駅、その駅前にあるカレー屋で2人は少し遅い食事を取ることにした。
環状線が通る隣の駅ならまだしも、東に用事があってもめったに来ない駅だ。そんな馴染みのない場所も、時間が変われば見知らぬ人で溢れている。
水名の時と同じで、こうも人が多いと魔法少女さえ紛れてしまうのか。
「どうです? スマートフォンを置いた散歩って楽しいでしょう?」
カレーの後のフルーツジュースの優しさを味わいながら、辺りを見渡す。
窓の向こう、店の中、人間、魔法少女、子供、大人、オトコ、おんな。あるいはペットたちさえも頼る道具を自分たちは持っていない。
奇妙な孤独感だ。そしてその孤独が、みふゆとの距離をいっそう縮めようと後押ししているようでさえある。
対面に座るみふゆの顔を見て、いろはは何故か今すぐ横に座ってみふゆの体温を感じてみたくなった。
いろはの思いを知ってか知らずしてか、いろはのズボンを温かいものが撫でた。
窓の側、靴を脱いだみふゆの左足がいたずらに自分の脛を触っていた。
懐かしい感触ではあった。宝崎に居た頃、適当な店で休んでいると、ある変態がいつの間にか忍び込んで足を触っていた案件が幾つもある。
めくりあげて吸ってこないだけ大人しいなと、いろはは壊れてしまった常識のままに動く足を自由にさせる。
すると何故かみふゆは一段と機嫌を良くしていった。
空になった食器の光沢、エアコンの作る快適さ、みふゆの見たこともない気ままなしぐさ。
時に無言で、時に話し、互いに満足し合うまでの時間だけを遣ってから、二人は店を後にした。
「行きましょう。そろそろゴールですよ」
~みふゆさん大作戦3~
みふゆに導かれるままいろはは歩いていく。ここに来て、ようやくみふゆは目的地を教えてくれた。
ここまでくるといろはでも推測はできた、やはり工匠区に用事があるらしい。
天気予報の通り、少し肌寒くなる気配を感じた頃合いで、二人は取り壊しの進む廃墟群を抜けた。大魔女ワルプルギスの爪痕だった。
中央区の中心部と栄の繁華街は迅速に復旧したが、工匠の西側はまだ瓦礫・工事現場などの痕跡が目立つ。
工匠学舎歴史研究部が巻き起こした大騒動に奔走させられた時からも、工匠区は滅多に訪れない場所だったが、少し歩いた限りだと相変わらず物寂しい街だった。
新西から中央、そして今日は訪れなかった栄。西に比べると店は1階建てとシャッターが立ち並び、道行く人は子供と老人が多い。車通りも少なく、すれ違ったのは神浜競馬場と神浜オートレース場を通る中年満載のバスくらいだ。
みふゆによると、東に暮らす人は中央と西で働くことが多いという。
どうしても東部には働き口が見当たらず、高い就職率を誇る工匠学舎を通じて、人材が西と他の都市圏に流れてゆるやかに活気を失っていく。そして西のものは東に仕事を奪われたと怒りの矛先を向ける。
誰かが富めば誰かが窮する止めどない悪循環の流れにあって、馬券と車券の売上で必死に“職人の町”というアイデンティティを奮起しているのがこの工匠区であるそうだ。
「おかげで和洋問わず衣服は良品が揃っていまして、私の実家でも工匠の品は評判がいいんですよ」
工匠学舎と鉄道車庫を結ぶ通りの中頃にある駅の南側、家屋や商店ではなく小さい倉庫の目立つ区画にみふゆの言うゴールはあった。
看板のないその店は、傍から見たらドアが数個ある普通の民家と倉庫のミックス。
待っていたのは老夫婦だった。みふゆの姿を見るとうやうやしく一礼し、みふゆもそれに返す。
わけが分からずきょとんとしていたいろはの足を見て老婆はしきりにうなずくと「恋人さんに無理はさせちゃいけませんよ」と言って、二人を家の横の倉庫へと手招きした。
すたすたと先行して顔を見せてくれないみふゆに続いて一歩踏み込むと、強いハッカと白檀の臭いが鼻いっぱいに広がる。ういと七五三の準備をした時に嗅いだ、古い呉服屋の香りがした。
土埃よけだろう、外の土台も高かったが、そこから更に階段のある土間だった。
靴を脱いで上がると、中は雑然としていた。棚を埋め尽くす布の巻物、ハンガーにかけられた無数の衣服、ダンボール、木箱。今日見つけた神浜以上に不思議な空間。
そこにはいろはにはハサミと巻き尺程度しかよく分からない道具が所狭しと並ぶ目盛り付きの机に、頑丈そうな木の椅子が何個も並んでいた。
「この卸問屋はお得意さんで、私の実家に工匠区の品を卸してくれているんです。まあ今回は仕事が終わるまで待っていたんですけど」
本人が前に何度か言っていたが、そういえばみふゆさんは呉服屋の娘さんだったな、といろはは思い出した。
「みっちゃん、寸法は?」
「今から測ります、お借りしますね」
え、といろはが呟くと、そこには老人から道具を渡され準備を終えたみふゆが居た。エプロンに巻き尺・コンパス・ピン・チョークなどの採寸道具を身に着けた、いろはの知らぬ呉服屋の娘としての姿だ。
このご時世、いくら歴史があろうと着物だけで食っていけるわけではない。学校へ制服を降ろすなどの安定した仕事を請け負っている中で、店の仕事を手伝うため自然と身に着けた技能だった。
「さ、測ってから試着もするんでちゃっちゃと脱いで着替えてください」
まずいろはに真新しい下着が渡された、白シャツとブリーフ、体育の時間に着替える時にからかわれてしまいそうな清潔感の白に気圧されながら、いろはは言った。
「あの、後ろ向いてくれません?」
(どこで戦ってるのかさっぱりわからない戦闘)
「ぼんず鍛えとるねえ」
「はあ……」
ダヴィンチの人体図のように十字架の態勢をとるいろはの二の腕を見て、関西のなまりが残る老人は面白そうに評した。
肌を晒すとそうやって驚かれる事が多い。マギウスとの戦いと魔女退治で鍛え上げられた体に女性的で幼気な顔が乗っているのは自分からしても多少なりアンバランスだ。
「運動とかやっとる?」
「その、弓や山歩きとかを」
「ええ趣味しとるねえ、若いと山も飛び回れるんかな」
「じっさん、あんた一昨年に腰いわせとるし真似せんでよ」
「せんわ」
「いやあ、どうでしょうねえ、かぶれて北養までひとっ飛びするんじゃないですか?」
「ようせんようせん」
「あら、きっとしよるわこの人」
ゆるゆると喋りながらも、テキパキと尺を動かすみふゆと、みふゆから手渡された数字を元に倉庫からダンボールと衣紋掛けを何個も運んでくる老人を置いて、老婆は氷を浮かべた冷えたお茶を用意してくれていた。
立ったまま体を測られるだけというのも一苦労なことかと思ったが、二人の仕事の手さばきは鮮やかであり、時計の長針がまったく動かないうちにいろはが自分でも知らない自分を表す数字を抜き取っていた。
ああでもない、こうでもないと言い合う二人を尻目に、下着姿のままのいろははお茶を口にする。美味しい、今日一番の味がした。
「この子は華奢やけどがっちり鍛えとるさけ、首も肩も足もしっかりしとるしスポーツ選手用のやないと合わんね」
「だからこちらに伺ったんですよ。うちでサイズ探したけどいいのが無いんですよねえ」
「若い子はダボダボなん選びよるからねえ、メーカーもそんなん勧めよるし、若い子でもピッタシのやないと肩腰壊すのに難儀やわ。そんで桃色に合うの言うたら茶色か浅く茶混ぜた黒かなあ」
「ブルーは印象が若すぎますし、サラリーマンとしての好印象を求めてるわけじゃない。いっそカーキ……」
うんうんと唸る二人を見ていると、なんだかここにいるだけで難題を押し付けている気がして気後れしそうになる。
不安がるいろはの様子を見た老婆は「気にせんとき」とだけ言って笑った。
「ああやって楽しんどるんやから、気ぃ揉むだけ損やし」
「これにしましょう!」
「な?」
さあさあといろはに差し出されたのは中学生向けの礼服だった。
白いカッター、艶が少なく程よい赤さのチェック柄ネクタイ、グレーとベージュ2つの三つ揃え。
片方の色の組み合わせは市立大付属の制服そのものだが、配置を変えるとこうも印象が違うのか。
袖を通したそれらは驚くほど快適な着心地だった。手を上に伸ばしても、体を捻ってもある程度は追随する。裾合わせこそしなければならないが、これほど着心地の良い服は着たことがないと感嘆した。
「本格的に選ぶならあと二時間はかけていくらでも試したいのですが、初めて着るならこのくらいが妥当でしょう」
「ええ仕事さしてもろて。靴の方は婆さんが用意しとるし、わしは仕立て直してからやっちゃんとこに包む準備するわ。お代はどうするん?」
連れられるまま歩き、戸惑いながらこの問屋に入り、流されるままに服を拵えてしまったいろはは困惑した。
チョット待って、これ凄い高い買い物をしているんじゃないか。あとお婆さんが今並べてくれている革靴も、普段履いているスニーカーとは比べ物にならない品だと見て分かる。
「一括で大丈夫です、今回はスポンサー付きですから」
「はい?」
その疑問に対するみふゆの答えに瞠目した。つまりこれは、どういう意図のデートだったんだ?
疑問符で頭が埋め尽くされるいろはにみふゆは答えた。
「実はこれ、やっちゃんと灯花に頼まれていたんですよ、いろはくん」
~みふゆさん大作戦ファイナルラップ~
先程合わせた革靴と一張羅、今履いているスニーカーと私服。その格差にかくしゃくとしながら、いろはとみふゆは老夫婦に丁寧な別れを告げた。
別れ際に何を言われたのだろう、夕焼けで顔が隠れたみふゆを追うように歩き出す。途中、後ろでただいまと老夫婦に声をかける子とすれ違う。
日は赤々と夕暮れを告げ、南凪から吹き込む湿った風が二人の体を包み込んだ。
この時間帯になると徐々に放課後の学生も増え始める。友達で帰るもの、兄妹で帰るもの、ぽつんと一人歩くもの。西と比べれば小ぢんまりとして年々治安が悪化しているという東部も、和やかな光景は変わらなかった。今頃、ういたちはどうしているのだろう。
東の領域まで来てみて改めて分かったことだが、みふゆは聞き上手で話し上手だ。
問屋からさらに東南へと向かいながら、あちこちにある店、意味ありげな家屋、紛れているモノリスについて語る。みふゆの頭には詳細な地図が入っているようで、いろはからすれば見分けのつかない神浜の諸々を丁寧に教えてくれた。
そしてなにより、みふゆは東にも知人が多いと実感させられた。
「こんにちわみふゆさん、見回りご苦労さまです」
「はいこんにちは。ソウルジェムの浄化を忘れてはいけませんよ」
そこそこ歩くたびにみふゆはそうやって声をかけられる。
サボり、野外学習、塾通い、部活帰り、浮浪児など、全員魔法少女であり、その少女たちに遭遇するようになってから、みふゆは手を握ることを止め、さながら中央区に居たサラリーマンたちのように、いろはに付き従う構えを見せた。
少し驚き、どうしたんですかと尋ねたが、みふゆは無言でじっとこちらを見つめるだけで何も言ってこなかった。ただテレパスで胸を張って堂々と挨拶をするようにとだけ伝えられた。
「僕は神浜マギアユニオンのいろはです、初めまして」
相手によっては初対面で腰が引けそうになるが、みふゆがそれを許してくれない。少しでも姿勢が崩れたら死角から背中・腰・お尻を触って姿勢を正してくる。
真面目にするのかセクハラするのかどっちかにしろと言いたくなるのをぐっと堪え、次はあちら、次はこちらとみふゆからのテレパスの誘導にまかせていろはは先立って歩いていく。
人もはけた頃、路面電車の警笛が響いていくのを耳にしながら、みふゆは彼女たちのことを話し始めた。
「彼女たちもかつての羽根です。開放とかはわからないけど、とにかく大勢の仲間と居たくてマギウスに入ったくちですね」
「ええ、ええ、人並みの幸福も、秀でた何かがあるわけでもない。才能と戦う心を持っていなくて、それでもただ死にたくないから魔法少女をやっている子達です」
「羽根の社会復帰ってどうしても難しいんです。魔法少女は元々問題を抱えた子が多いんですが、そんな中でも羽根としての活動に時間を割いたせいで勉強が遅れたり友達と疎遠になったりして、大勢が家庭や学校でも更に孤立してしまいました」
「そして何が起こるかと言うと、社会からのドロップアウトですね。こうなるとどうしようもありません、誰かが救ってくれるのを待つしかないんです」
沈む夕日を背に、今日の用事を全て終えた二人は何も言わず佇んでいた。
ゴールテープの先で高い買い物をすることになり、きっとまだ顔も覚えきれていない魔法少女たちと面を通し、そして今は沼を見渡せる道に立っている。大東区と工匠区の端境、対岸に観覧車草原を臨む場所を見渡せるところだ。
いろはは聞きたいことがあった。どうしてあの服が要るのとか、それでやちよと灯花がなんでお金を用立ててくれたのかとか。
終わってみると不思議なデートだった。異性と一緒にカラオケや映画館、プールに行ったことは、何故かかなりある。しかしこうして普段暮らす街の別側面を見ながら大人の買い物をするという経験は無かった。
体ではなく、心が少し背伸びしたような心境だ。
「いろはくん」
風の弱い小高い道路、誰も居ないバス亭で二人帰り路を待つ。
沼の方を見下ろすとカエルや季節の虫たちがけたましく泣いている。戦いの日々を心から喪失した心地に染み入るいろはに、みふゆは声をかけた。
「あの老夫婦のお孫さんも魔法少女です」
「え――」
「他愛ない苦しみを消すために安易な願いを望み、戦うのが怖くて引きこもりになって親に見捨てられて、関西から慌てて戻ってこられた老夫婦に引き取られました。羽根を通じて魔法少女の仲間ができてからは学校にも通えていますが……」
真っ直ぐと真摯に、詫びるようにこちらを見るみふゆを、いろははじっと見つめ返した。今はまだ意味有ることを言うべきではないと思った。
「いろはくん、あなたは羽根からマギウスという救済を奪いました。ぶっちゃけ土壇場のアリナのワガママが原因じゃないかとも思うんですが、大勢いるあの子の仲間ではなく、ただ一人自分の妹を選び、結果皆とこの神浜を救うことが出来ました」
「はい」
「そしてあなたはここに残った。いっそみかづき荘から出て宝崎に帰っても良かったのに、神浜の魔法少女としての道を選んだ。いろはくん、今日のことで色々と聞きたいのはそっちかもしれませんが、私も質問があります」
みふゆの聞き方はどこまでも弱々しかった。いっそのこと、あの子達の苦しみの一部はお前のせいだと責められたら楽なのだろう、でもそういう聞き方ができない。みふゆからすれば、イヴに囚われていたういも守るべき対象だからだ。それを死なせればよかったなどと口が裂けても言えない。
もし仮に魔法少女として弱らなくても、つい弱い側を気にかけてしまうのがみふゆだった。
「何があってもあの服に袖を通してくれますか? 彼女たちを、生きることに精一杯で助けても何も返すことの出来ない魔法少女たちを、あなたは助けてくれますか?」
白熱した電灯が塵を灼く音がする。ここはみふゆ以外のなにもかもが暗い。
いろはは理解した、ここにあるが本当のゴールテープだ。
みふゆは不安だったのかもしれない。ふらりと現れた自分は、今日出会った他人達からすれば妹を助けた以上神浜にいる理由がない。いくら灯花とねむがいるとはいえ、例えばういのためにただの魔法少女として明日にも宝崎に帰ろうというのを誰が咎められるというのだ。
だから自分たちと同じように神浜を知ってほしかった。ここはいい場所だ、あなたを必要とする見知らぬ人達がいるのだと、自分たち東西中央の顔となった魔法少女がうっかり背負ってしまったものと同じ呪いを与え縛ろうとした。
「助けます、出来る限りは」
迷いは忘れて、淀みなく答える。歩道と車道を分ける掠れた白線を踏み越え、みふゆの方に歩み出した。
「私に気を使わなくてもいいですよ」
冗談めかした言い方だった。いろはは何も冗談のつもりはなかった。
「僕がういを助けられたのは、ワルプルギスを倒せたことも含めてきっと理由のわからない奇跡のおかげです。でもその奇跡に巡り合うまで、僕は神浜の皆に助けられました。だから僕は神浜の皆を助けたいんです」
それがいろはの本心だった。だからこそみかづき荘に残った。そして今日、見知らぬ神浜の中で、それは間違いじゃなかったと思う。
助けてくれた人とともに在る人たちもいる。魔女という厄災はある意味女達の自業自得だ、しかしそのせいでその人達まで泣くことを見過ごして良いわけじゃない。
魔法少女だって人間で、人間なら、誰かと生きているはずなのだ。その誰かが居なくなる空虚が嫌でここ神浜に来た少年は、喪失の苦しさから眼をそらせなくなっていた。よく分からないものに助けられたのだから、よく分からなくても助けなければいけないと思った。
みふゆは破顔していた。ようやく一つ荷が降りた。そういう顔だった。たまらなくなって、いろはは昼間と違い遠慮せずみふゆの横に座った。
「ええと、あとその、弱い人だけじゃありません。みふゆさんたちも楽ができるように、僕自身ももう少し強くなります」
「やだもう」
いろはの体にみふゆの重さが加わる。みふゆの影がいろはの顔を隠す。みふゆは確りといろはを抱きしめ唇を舐めた。
「ああ、駄目です、駄目、本気で甘えてしまうから、そういう事はあまり言わないで」
今度はいろはもみふゆの体に触れる。その姿勢のままで、二人はアスファルトが震えるまで待ち続けた。
(微塵も空気読まないW3くらいの魔女とか出る戦闘)
バスは北に向かって進む。そこから大東と栄を結ぶ路線を西に行く電車に乗り、環状線へと乗り継いでいけば水名の中央駅。そこから新西への電車が続く。東西の対立とはいうが、人の流れとはそれでもなお止めようがなく世知辛い。
みふゆを家に送るため水名で降りた瞬間、いろはは猛烈な悪寒に襲われた。みふゆも肩を抱きぶるりと震えた。
おかしい、何かが。まるで虎の狩場に迷い込んだ鹿になった気分だ。
辺りはすっかり暗く、駅から歩いて橋へ向かう道に人通りはない。ソウルジェムをかざして使い魔と魔女の気配を探っても同様だ。しかし、代わりに強大な魔力の流れを感じ取った。
あ、とみふゆが声を上げる。人気のない闇の向こう、閉じた観光地の冷たさに紛れながらこちらを伺う蒼い人影があった。
他の誰でもない、七海やちよが膨大な魔力を滾らせ、氷のような眼光でこちらを見据えていた。
「みふゆ」
怨嗟の響きにビクリとみふゆの体が震える。思わずいろはの影に隠れると、その圧力はいろはの方にまで向けられた。
「みふゆ、みふゆ、みふゆ」
「その、どうしたのかなーやっちゃん、なんて……」
一歩一歩と近づくほどに、闇に隠れたその表情があらわになる。内側に殺意を塗りたくった能面、つまり感情が死んだ無表情だ。
テンションがいろはが仮装したマミに拉致された時のものにまで戻っている。
「ええ、ええ、私は頼んだわ。たまにはいろはと二人きりでいい所にお食事に行きたいけれど、仕事柄男の洒落着なんて選んだら事務所にも迷惑がかかるから、あなたなら服の審美眼も確かでしょうし“放課後に”見繕ってあげてと。」
ちょっと待て、確かにスポンサーらしいが、放課後ってなんだ。いろはが振り向くと、隠れたままのみふゆは手を合わせてウインクしていた。
いろはは色々と乗せられたコトを察した。そして自分とみふゆが今非常に危険な状況に置かれていることも。
「それで、なに? どうしてあなた達は一日中デートしているわけ? 水名の観光案内中に車の外を見たらお茶屋であーんして、中央に戻ってスタジオで休憩中の私の上を手をつないで駆けていく。あげくテレビ神浜近くのカレー屋で食事中にイチャイチャ。わざわざ私に見せつけていく理由は?」
見ていたんですか、すれ違っていたんですか、そこに居たんですか。思わず後ずさるいろはの体をみふゆが押し止める。
「あの、みふゆさん。強くなるとか言いましたけどね、こういう時僕を盾に使っていいとかではなく」
「さあ行きましょういろはくん、いまこそあの青い戦神を打倒し一人前の魔法少年として成長する時です」
「早く答えなさいみふゆ、返答によってはあなたのソウルジェムが真っ二つになるわよ」
「みふゆさん! 謝りましょうよ!?」
「無理です! やっちゃんは本気で怒ってます!」
なんだかとても酷い有様だった。唾を付けた若手を盾にするベテランは必死に逃走経路を探していた。
――いくらなんでも電車までは追ってこないだろうし、乗り継いで八雲家に逃げ込めば大丈夫か。
やったことを考えるならバレた瞬間に嫉妬で拷問オペを執行してきそうな人を頼ろうとする辺りみふゆも正気ではない。
逃げ道はないかと来た道を振り返ると、その鼻頭に突きつけられたのは日除け傘、そして愛用している赤本だった。
「この期に及んでお兄様の背中に居座るとはいい度胸だねー、殺す?」
「賛成だ、この咎人には適当な処罰が必要だね」
「みふゆさん、後ろからねむちゃんと灯花ちゃんの声がするんですけど……」
「どうやら皆さんおそろいのようで……」
声どころか、そこにいるのは本人たちだ。
爆発寸前まで気を悪くしてマギウス時代に精神が逆行した天才少女たちが各々の得物を構え、制裁を加えるべく待ち構えていた。
銃口を向けるように、変哲のない傘の石突きをやちよの心臓へ定める。とんと突かれたみゆふの胸が揺れてやちよの瞳孔も揺れる。
いつでも気軽に引き金を引けるんだゾという可愛らしい脅し声で、灯花はとつとつと語りだした。
「少し前に政治の心得があるっていうから美国織莉子とお話したんだけど、お兄様にマギアユニオンの代表と顔役を立派に勤め上げてもらうなら、まず見た目と心構えから磨いた方がいいって話になってにゃあ~……そこの落第女にお願いしちゃったんだあ」
そこで残されていた疑問が氷解し、ようやくいろはは話の全貌を見通した。
やちよはいろはと良いところに出かけたいから洒落着を求め、灯花はいざという時いろはの立場に適した服を求めた。その折衷案があの三つ揃えだった。
問題は、それ以上のことをみふゆが求めた点にある。
デートをしたかった、いろはに神浜のことを知ってほしかった、実はいろはに甘えたかった。
その思考を基軸に練られたのが今日のデートプラン。バレたら邪魔が入るからやちよが発信機を付けていそうな服を洗濯し、ハッキングによる逆探知を警戒してスマートフォンを置いた瞬間から、みふゆの大作戦は始まっていたのだ。
「それで、買い物のために日中デートして最後にロマンチックなキス? もしかしてフザケてるのかなあ? 今ちょっと爆発する覚悟で魔法を使いたいんだけど~?」
「当然、学業を放棄したいろはお兄さんも後でたっぷりお仕置きだよね。むふ、僕楽しみだよ」
「ちょっと待ってなんで知って……あ!?」
工匠区に入ってから、誰か知り合いとすれ違った記憶がない。ただそこで自分の知り合いたちの固有魔法のことを考えれば、何があったかは一目瞭然だった。
どうしても誰かを追跡したいなら、行動を探る人、ベストショットには必ず遭遇する人、心を読める人が手を組めばいい。
「江利さんと観鳥さんと和泉さん?」
「ぴんぽーん! お兄様ったら鋭ぉい! 電話が通じなかったからもしかして事件かもって言ってあげたんだあ!」
「彼女たちには感謝しているよ、十七夜はキスの瞬間の思考を読んで興奮の余り錯乱したらしいから、二人に介抱してもらっているけどね」
見られていた、いや撮られていたという事実に顔が熱くなる。一方その顔を覗き込んだ灯花は満足げな顔で頷いていた。
「カッコいいお兄様の写真もあるから許してあげてもいい……くふふっ、やっぱだーめだにゃー」
「お兄さんアルバムに記念すべき数点が加わったのはいいけど、功績と功罪は別だからね。残念ながらお兄さんとみふゆは司法に従ってもらおうじゃないか」
「司法?」
「そうよいろは、桜の樹の下でもやったでしょう……出ませい陪審員たち!!」
気がつけばみふゆの首を締め上げているやちよの合図で隠蔽の魔法が剥がれる。隠れていた者たちが姿を表す。
さなが盾の後ろからこっちを睨んでいた、フェリシアは二人で遊びに行ったことをズルいと怒っていた、ういは不真面目な真似をした兄に憤っている。朝に馬鹿なリクエストをしていた鶴乃はやちよの手でリタイア済だ。
レナは今にも泣き出しそうだ、かえでは来週にもいろはをオシャレなデートに誘おうかと別な事を考えている、ももこは顔を真赤にしながら写真を注視してこっちに関わるどころではない。十七夜の代理で来たひなのは「リア充は破裂せよ」と中指立てて息巻いている。
桜子がウワサを代表して「│ぱぱ、ふりょうになっちゃだめ│」とメッセージを伝えてきた。それを聞いて次に自分をママと呼ばせるプランを組み立てようとしていたねむの車椅子を灯花が突く。背中の重しは捕獲された宇宙人のようにやちよの手で連行されていく。
残されたいろはは全てを諦め辺りを見回し、深々とお辞儀した。
「この度は多方面にご迷惑をおかけしてまことに申し訳ありませんでした。深く反省しております」
こうして彼は、今日も大人に近づいた。
●環いろは、礼服絆ストーリー、完
いろはの礼服を入手
神浜という街、神浜で過ごす日々、まだ何も知らなかった新たな故郷の、なにげない一日の記念。男として戦うための戦闘服。
「みっちゃん、あの子が大きゅうなってまだ仲ええんなら、紋付きと角隠し用意しとくからまた二人で来や」