憧れだった念願の部署に配属が決まった。
警察の花形と言っていいだろう捜査一課は、殺人や強盗などの凶悪事件を管轄とする。そこにいるのは相応に評価されている優秀な刑事ばかり。まだまだ半人前の自分では力不足だろうけれど、精一杯尽力したいと思う。
きゅっとネクタイを締めて、よし、と気合いを入れた。
「俺が教育係の伊達だ。よろしくな」
「た、高木と申します! よろしくお願いいたします!」
教育係として紹介されたのは、刑事という職を絵に描いたような強面の男性だった。大柄で威圧感があるが、にっと笑う目元は優しげで。元気がいいな、と僕の肩を叩いた伊達さんは、いかにも頼り甲斐がありそうだった。
「まあ、気負わずいこうや」
これから僕は伊達さんについて、刑事のいろはを勉強することになる。
*
配属されてしばらく。
ようやく職務について基本的な事柄をおさえ、たまに事件にも同行させてもらえるようになった。目の当たりにする現実の事件は、やはりフィクションとはくらべものにならない。冷静に被害者のご遺体と向き合い、現場や証拠を調べることに慣れるにはまだまだ時間がかかりそうだ。
「まあ、誰も最初はそんなもんだ。初めて事件現場を見て吐かねえ奴の方が珍しいんじゃねえか」
「そ、そういうものですか……?」
「普通、見る機会ねえからな」
そりゃそうだ。
誰かの手によって命を奪われるのと病気や寿命でお亡くなりになるのでは訳が違う。無理やり命を奪われた場というのは、何とも言い難い陰惨な空気があった。
現場を思い出して少し気が重くなりながらも、コンビニで買ってきたパンを警視庁のまずい珈琲で胃の中に流し込む。
「報告も終わったし、午後は聞き込みいくからな」
「はい」
午前中に現場検証を行い事件性が認められたため、午後からは現場周辺の聞き込みだ。伊達さんの聞き込みの仕方をよく見ておかなくては。何より、少しでも早く手掛かりをつかんで犯人を逮捕し、被害者の無念を晴らさなくてはならない。
む、と気合をいれる僕を見て、伊達さんはふと笑った。
「お前、意外と根性あるな」
「? そうですか?」
おう、と伊達さんが頷いたとき、後ろから伊達さんを呼ぶ声が飛んできた。
「伊達、ちょっといいか」
「松田。どうした?」
伊達さんの同期だという、松田さんだ。
癖のある黒髪とサングラスがトレードマークのワイルドなイケメンで、元機動隊という珍しい経歴をお持ちだとか。その経歴にそぐわず、細身ながらしっかりと鍛えられた体躯をもち、犯人確保においては非常に有難い戦力なのだと噂を聞いている。先日腕相撲したら延々と勝負がつかなくて引き分けになった、と伊達さんが笑っていた。
「ふたりとも休憩中なのに仕事の話~? 真面目だねぇ」
そこにひょいっと乗り込んできたのは特殊犯係の萩原さん。
この人もおふたりの同期だと伺った。普段はのんびりとマイペースに振舞うが、ひとたび事件となれば人が変わるというのがもっぱらの評判。前にあった事件で懲りたから仕事中は気を抜かないことにしたんだよね~と笑って言い、伊達さんと松田さんに当たり前だと頭をはたかれていた。
伊達さんと一緒にいるせいかよく話しかけてくれて、係こそ違うがとても話しやすい人だ。
「ハギお前ニンニク臭えぞ」
「マジで? ごめんごめん、ラーメン食べたんだよね。後で煙草吸って消してくるわ」
「それは消してねえ、上書きだ」
呆れた顔で言う松田さんに大して変わらないって~と萩原さんは笑った。
この人たちの気安い会話は、年上の先輩に対して非常に失礼ながら、仲が良いのが伝わってくるので微笑ましい。
「相変わらず仲が良いですね」
僕の思いを代弁するかのように、近くにいた白鳥さんが言う。周囲の諸先輩方も、苦笑を浮かべつつどこか微笑ましげだ。
「何度言わせんだよ、腐れ縁だ」
「やだ陣平ちゃんたらつ・れ・な・い、いでっ」
「うぜえ。殴んぞ」
「いやもう殴ってるだろ」
悪ノリする萩原さんに容赦なく拳を振るう松田さん、そして苦笑しつつ見守る伊達さん。それを見て、僕の同期たちもどうしてるかなと少し懐かしく思う。もう少し落ち着いたら連絡をしてみるのもいいかもしれない。
「ここに柊木監察官が加わったらどうなるのか、見てみたい気もします」
「……わしにはうまく想像できんな」
白鳥さんの言葉に、目暮警部は苦笑した。
柊木監察官、初めて聞く名前だ。つい好奇心に駆られて聞き返した。
「柊木監察官というのは? 監察官って、あの監察官ですよね」
警察官の不正を取り締まる、警察の中の警察。エリート街道のひとつで警察庁からの出向の人が多く、優秀かつ将来有望な人が配属される部署だとか。身内のあらを探すという職務上、あまり好かれない立場だというのも聞いている。
僕の言葉に、周囲にいたいろんな人からぽんぽんと答えが返ってきた。
「伊達たちの同期なんだと。異例の引き抜きで若くして監察官になった人だ」
「エリートですさまじく頭が切れるとか。腹が立つレベルのイケメン」
「ばっさばっさと上層の不正を暴いて査問会でいたぶってるって評判だよ。品行方正な優男に見えるんだけどな」
「ああ、最初はただのエリートの優男だと思ってたんだけどなぁ?」
にやり。そう音がしそうなくらい先輩方が笑ったとき、松田さんがぎくりと肩を震わせた。伊達さんと萩原さんもにんまりと悪い笑顔になる。
「例の事件は、もはや伝説だよなぁ松田?」
苦虫をかみつぶした顔というのはこういう顔を言うのだろう。サングラスの奥の瞳は心底嫌そうな色を浮かべている。そのまま松田さんは自分のデスクにあった煙草の箱をさっと掴み歩き出そうとしたが、萩原さんと伊達さんが松田さんの両肩にぽん、と手を置いて阻止した。
「自分の黒歴史の話になりそうだからって逃走することないんでない?」
「まあ煙草吸いに行くのは後にしとけや。せっかくだから可愛い新人にお前と柊木の伝説的事件の話をしてやろうぜ?」
「お前ら……!」
さっと萩原さんが羽交い絞めの体勢にうつる。ばたばたと松田さんは暴れているが、確か萩原さんも元機動隊、松田さんと言えど逃れられないらしい。
「ま、俺もそんときはまだここにいなかったから聞いた話なんだけどな」
「伊達テメッ、オイこら離せ萩原ァ!」
「はいはい落ち着こうね~」
伊達さんが話してくれた事件の話は、僕が今まで見てきたフィクションよりもずっとドラマチックで、そしてリアルだった。
*
かつての事件を話して聞かせている間、高木の目はずっと輝いていた。ヒーローものを見る子どものような、純粋な憧れを浮かべた顔。これは話し甲斐がある。
後ろで殺気立った獣がとんでもない目つきでこっちをにらんでいるが、軽く無視をして事件の流れをたどっていく。萩原が重傷を負った爆破事件の話から、例の観覧車と病院の爆破未遂事件、そしてその後の査問会の話まで。
特に松田の暴走と柊木の拳一発の件については事細かに語った。爆笑した萩原に十回は聞かされたので詳細まできっちり頭に入っている。
「す、すごい、本当にドラマみたいな話ですね!」
「そうだろそうだろ」
「事件は刑事ドラマみたいですけど、暴走する友人を拳で止めるところはまるで青春ドラマ、」
「マジでやめろ!」
耳を真っ赤にした松田が叫ぶ。いまだ羽交い絞めの腕を緩めない萩原は音もなく爆笑。周囲の同僚たちも皆笑っていた。
たまにこうやって事件の話をしては、皆で松田をからかっている。それは最初のうち勝手な言動から反感を買っていたという松田が皆に受け入れられた証拠とも言えるだろう。あの事件以降、人が変わったように真面目に職務にあたるようになった松田を誰もが認めていた。まあ根は真面目な松田だ、こちらからすれば元に戻っただけなのだが。
「あの事件以来、まあ松田も変わったわけだが」
「うるせえです」
「はは、柊木監察官もなぁ。かなり印象変わったというか、なあ?」
エリートという立場を鼻にかけることなく、謙虚で、礼儀正しくて、誰に対しても敬語で、どんな状況でも笑顔を崩さない、完璧を絵に描いたような男。しかも超がつくイケメンで、若くして監察官に引き抜かれたということもあり、警視庁内でも有名人だったらしい。
中身を知っている俺たちからすれば笑えることこの上なかったが、柊木なりの世渡りなのだろうとその本性を言うようなことはしなかったし、同期であることすらもあまり公にしないようにしていた。別に言いふらすことでもない。
しかしこの事件で柊木へのイメージはかなり変わったと言っていいだろう。もちろん良い方にだ。
『一発で松田を沈めたぞ』
『機動隊あがりの奴を、内勤のエリートが?』
『あいつら同期で友人だってよ。想像つかねえ』
『しかも偶然爆弾見つけて松田に解体させたって』
『それ監察官としてまずいだろ……』
『でも、そのおかげで特殊犯係の萩原が助かったらしい』
松田を一発で沈めた腕っぷしも、その容赦のなさも。病院で
刑事ドラマにあるような現場とキャリアの確執は実際あれほどあるわけではないが、やはり現場の人間には自分たちこそが実際に事件を解決しているのだという自負がある。現場を走る人間だという、誇りがある。だからこそ、柊木の行動は衝撃だったのだろう。
そして、事件の詳細を知れば知るほど柊木が何を思ってそういう行動に出たのかが理解できた。人命を最優先し犯人の思考を読んだ結果、職務に反してしまったのだと。現場を知り尽くした人間だって、爆弾を目の前にしてそこまで冷静に判断ができるか怪しいものだ。
『現場を知らん若手だと思っていたが、大したもんだ』
これが話を聞いた大半の人間の感想だろう。
しかも査問会においては自分の行いについてろくに言い訳もせず、自ら厳重な処罰を求めたらしいというのも噂になっていた。どれだけ正しいことをしていても、ルール違反に違いはない。そう態度で示した潔さも、見た目に似合わない男気も、柊木の評判を高めるのに一役買っていた。
さらにこの直後に諸伏の件で大きな不正を暴いてみせたのだから、その後の柊木の評判たるや、言うまでもない。
「すごい人なんですね、柊木監察官て」
「うんうん、旭ちゃんすごいんだよね~」
本性アレだけどね、と萩原が心の中で付け足したのが察せられて思わず笑った。実際すごい奴でいい奴なのだが、何せたまに魔王でたまに鬼でたまに暴君なのでこちらとしては素直に褒め難いところがある。あの笑顔の裏に隠されたものをいつか話してみたいものだが、多分誰にも信じてもらえないだろう。あいつの擬態は完璧だ。
「監察官の方に恐れ多いですけど、いつかご挨拶してみたいです」
「やめとけ、本来監察官なんてやばいことしねえ限り関わらねえ奴なんだからよ」
けっ、とようやく羽交い絞めから解放された松田が不機嫌そうに言う。さんざん暴れる松田を押さえつけていた萩原はいたーい、と軽く腕を振っていた。
「まあどっかで見かけたら挨拶したらいーよ。警視庁内でも有数のイケメンだからすれ違ったらすぐわかるんでない?」
「そんなに格好いい方なんですか」
感心したように言う高木に、萩原はすっと真顔になって言った。
「柊木が制服着て立ってるだけで、防犯相談や道案内を頼みたがる女の子が集まって長蛇の列ができた」
「……それは冗談でなく?」
「冗談だったら良かったよね」
実習から戻ってきた柊木が学習室に入った瞬間号泣したことをよく覚えている。仕事の時間は堪え切れたが、気が抜けるとだめだったらしい。もはや無意識で涙が流れるらしく、音もなく泣き続けた柊木はとにかく哀れだった。
ただ、俺たち六人で使う学習室に入ると気が抜けるという事実がちょっとだけ嬉しかったのは秘密の話。
「……それ本人的には相当な黒歴史だからやめてやれ」
「あーごめんごめん。皆さんも秘密にしといてやってくださいねー? さすがに本人本気で落ち込んでたんで」
軽く萩原が言うと、皆苦笑して頷いてくれた。
こうやって好意的に噂話をされるようなエリートはなかなかいない。徐々に柊木の味方が増えてきているということだろう。監察官という立場上、癒着を疑われる馴れ合いはよろしくないが、味方が増えること自体はきっと柊木にとっていいことだ。
「ま、そんなんだからぐいぐい来る女基本的に嫌がるんですよねえあいつ」
ぴく、と近くにいた女性たちの幾人かが動きを止めた。
なるほど、萩原の奴、それを言いたくてその話をしたのか。同じく察したらしい松田も、さりげなく続く。俺も乗っておこう。
「露骨なアピールは萎えるだろうな」
「仕事場で言い寄ってくる奴も眼中にないだろ。それに応えるそぶりでもみせようもんなら即刻左遷だ」
だから、下心で柊木に近づくのはやめろよ?
言外にそう言えば、どことなく女性陣がしょんぼりしていた。悪いが諦めてほしい。
「俄然お会いしてみたくなりました」
好奇心を全開にした高木が意気込んで言う。
今のところ紹介する気はあまりないが、どこかですれ違ったら教えてやるくらいのことはしてやろう。松田も言ったが、本来あんまり馴れ合ってはいけない奴だ。
その後、俺が知らないうちにどこかで柊木とすれ違ったらしい高木は、芸能人と遭遇したがごとく興奮していた。本当にびっくりするくらいイケメンさんですね、と男の後輩にまで言われるあいつの顔面の出来栄えはいっそ恐ろしい。
まあすれ違ったくらいならいいかと軽く流していたのだが、後日心底不思議そうな柊木の言葉を聞いて俺は綺麗にビールを噴き出すことになる。
「何かお前の部下だっていう……高木巡査? に挨拶されて握手求められたんだけど、いったい俺のことどう説明したの?」
高木お前、挨拶もあれだが握手はねえだろと。
肩を落として頭を抱えた俺の横で、柊木はひたすらに首をひねっていた。