「苦手なんだ。自分でも困ってるんだけど」
眉尻をゆるく下げ、それでも柊木は笑った。
そんなことを言うときまで笑う必要はないというのに。
*
それは、規律正しい警察学校の生活にも慣れてきたころ。
幼馴染の
柊木は能力だけでなく人格も申し分ない。頭に血が上りやすいところがある自分とは違い、いつも穏やか且つ冷静に物事の判断ができる。正直なところ本当に同い年なのか疑わしい。
しかしそんな柊木も、たまに挙動不審になることには気づいていた。それについて本人に確認するべきか、それとも知らないふりをしておくべきか、少しばかり悩んでいる。話したくないことを無理に言わせるつもりはないが、話してくれればサポートできることだってある。たとえお節介でも、力になれるならなってやりたかった。
「……降谷、何かあった?」
と、思っていたのを本人に見破られてしまったのだから気まずい思いは否めない。最近何か考え込んでるだろと図星を刺され、情けなく思いながら苦笑いで誤魔化す。
「いや、何でもない。少しぼうっとしていただけだ」
「ふうん?」
そっか、と柊木は一旦受け止めた。それから一瞬だけ視線を落とし、すぐに顔をあげて困ったように笑う。誤魔化せなかったか、と反射的に思った。
「気になってることがあるんだろ? 後で話そう」
何となく、何を悩んでいるのかまですでに見通されているような、そんな気がした。
*
「……僕の思い過ごしだったら悪い。あと話したくなかったら話さなくていい」
なに、と返した柊木の声は穏やかだった。
「柊木は、……女性が苦手なのか?」
数が少ないとは言え、警察学校にも一定数の女性は存在する。もちろん同期にもいるし、先輩や教官、それに出入りの職員。決して警察学校は男だけの場所ではない。
柊木は、女性とすれ違うときはなるべく距離をとるように道をあける。会話をするときはすっと表情が消え、言葉少なに切り上げていた。その外見ゆえに女性の視線を集めることもあるが、そっと隠れるように誰かの影にまわる。要領のいい柊木だから注視していないと気づけないが、ひとつ気づいてしまえは芋づる式にすべてに気づいた。
柊木は、明らかに女性と関わることを避けている。
「……まあ、うん、気づくよな。そのうち言うつもりではあったんだ」
そして、冒頭に戻る。
僕だけではなくほかの四人もやはり、という顔をしている。どうやら柊木の様子に気づいていたのは僕だけではなかったらしい。
柊木は言いたくないというよりは少し困った様子で、何から話せば良いのやら、とゆらゆらと頭を揺らしている。
「えーと、……ひとにも言われたことがあるんだけど、俺、どうも死ぬほど女運というものが悪いらしく、……この顔、自分で言ってなんだけど、」
「イケメンだよな」
「イケメンだよ謙遜すんな」
「うんうんイケメンだから自信もって!」
「……ありがとう」
即座に肯定されてしまい、何とも言い難い顔の柊木は肩を落とすしかない。それだけ整った容姿をもちながら謙遜するほうが嫌味だと柊木は知ったほうがいい。
「……とにかく、言ってなんだが、うん、モテる。好意をもってくれるぶんにはありがたいと思うんだけど、……好意が過剰になってしまうひとに好かれることが多くて」
「ストーカーでも大量発生したか?」
「陣平ちゃ~んお口チャック~」
「ああ、いいよ萩原、うん、そういう感じ。被害者的な意味で警察の皆さんのお世話になったことも一度や二度じゃなくて、……三度でも四度でもないというか」
はは、と乾いた笑いが静かな学習室に響いた。笑っているのはもちろん柊木ひとりだけ。三度や四度でも足りないとは、いったい今までどれだけ被害に遭ってきたのか。
「ストーカー以外にも、まあ、いろいろあって」
「……詳細聞いたらまずいやつ?」
「詳細話して皆が女性不信に陥っても俺は責任取れないけど」
「すまん言わんでくれ」
「うん、彼女さんがいる伊達の前では特に言いたくないし聞かないほうがいい」
もちろん女性が全員そうだなんて思ってないけど、と慌てたように付け加えるが、伊達はわかっているから気にするなと言わんばかりに首を振った。僕も長くご両親の事件を引きずっている
「具体的にいうと、手が届かない程度の距離はほしい。極力会話も避けたいし、過度な視線を感じるのもちょっと辛い。近寄りすぎると貧血起こすし、若干の接触でも震えが止まらない。抱きつかれようものなら号泣、嘔吐、下手すれば失神」
「それはちゃんと病名つけてもらったほうが」
「自己暗示かければ仕事中は何とかもつから」
「実際、これでも少しはマシになってるんだ」
「……それで?」
「俺の女性苦手は小学校入る前から始まってピークは高校だった。ひどいときは女性が視界に入るだけでパニック起こしたから」
あまりに歴が長すぎる。いったいどれだけ不憫な生活を送ってきたのかと目頭が熱くなる。外見については僕もいろいろあったが、柊木ほどではない。
そんな僕たちの様子を見て、柊木はまた眉尻を下げて笑う。
「いや、頼むから笑ってくれ。むしろ笑い飛ばせよ。妙に同情されるほうが俺は辛い。もうネタとして使え。事情知ってるやつにネタにされるぶんには俺は何とも思わない」
その、少ししょんぼりとした情けない顔。そんな顔をさせたいわけではない。何か言おうと口を開きかけたが、萩原がなるほどと膝を打つほうが早かった。
「つまり柊木ちゃん、その顔で童貞?」
「よし萩原そこになおれ」
ごき、といい笑顔をした柊木の指が鈍い音を鳴らす。
即座に萩原を押さえつけた松田に、天を仰ぐ伊達、頭が痛そうな目元を隠す
ぎりぎりと萩原を締め上げる柊木の笑顔に、もう暗さはない。いつもの調子で僕も軽口を投げた。
「大声はまずいから静かに頼むぞ、柊木」
「それは萩原次第かな」
「助けてはくれないんだ⁉ 同期が薄情で俺哀しい!」
すまないが
*
そんな柊木のカミングアウトからすぐ、逆に言葉を選んだように見事に柊木の地雷を踏みぬいた目の前の同期を俺は真剣に殴りたかった。
「どうせそのお綺麗な顔で華々しい生活送ってきたんだろ!」
警察官になるのに顔は関係ないからな、今日は俺たちが勝つからな、と言葉を投げ続けるそいつは、どうも気づいていないらしい。柊木がその言葉を聞いた瞬間、笑顔のまま硬直したということを。
今日行われている教場対抗の体育祭では、日頃の鬱憤を晴らすように白熱した勝負が繰り広げられている。特にうちの教場ととある別の教場が僅差でトップを争っており、しかもうちの教官とその教場の教官が積年のライバル同士ということで、ついつい皆熱くなっているところがあった。
目の前のそいつもどうやらそのライバル教場に所属しており、しかも自称その教場のエース、らしい。根っから性格の悪いやつというわけではなさそうだが、いくら勝負事が好きで盛り上げたかったといってもそんな言葉を吐いていいはずもない。
さすがに無神経が過ぎる言葉に前に出ようとするが、硬直を解いた柊木の腕がそれを阻んだ。
「……ああ、顔は関係ないな。こっちも負けないように頑張るよ」
俺よりいくらか背の低い柊木の顔は見えないが、声色的にはいつも通りの笑顔を浮かべているのだろう。そして満足そうに頷いた馬鹿が自分の教場の集合場所へ戻っていったのを確認すると、柊木はそのままゆっくりとこちらを振り返る。
「なあ、伊達班長」
「……お、おう」
いつもと何ら変わりない笑顔と声が、何故だか今はものすごく怖い。
「休憩後の競技、確か騎馬戦だったよな」
「そ、そうだな」
「トーナメント方式だったと思うけど、あの教場と当たるのはいつだっけ?」
「……確か決勝まで残らないと当たらないんじゃなかったか?」
そっか、と一言呟いた後、柊木の足はゆるやかにうちの集合場所へと戻る。
柊木は確かにいつも通りだ。いつも通りの穏やかな笑顔と声を保っているが、それでも俺にはわかった。まだ柊木とは数か月の付き合いだが、嫌というほどわかる。
「おーい、騎馬戦に出るやつ、ちょっと来てくれー」
呑気そうな声で、いかにも自分はいつも通りですという顔をして皆を集める柊木。なんだなんだと気づかない仲間たちがわらわらと集まってくるが、正直逃げろと言ってやりたかった。言えない俺をどうか許してほしい。
にこにこと笑顔を絶やさない柊木は、仲間に向けて口を開く。
「俺の事情で悪いんだけど、皆に協力してほしくて」
「柊木がそういうこと言うの珍しいな」
「何、どうしたんだよ」
「ああ、ちょっと叩き潰したいやつがいてさ」
は、と誰もが柊木の口から出た言葉が信じられずに硬直する。無謀にも聞き直そうとした勇者は、柊木の絶対零度の視線を受けて凍り付いた。何人かの視線が助けを求めるように俺に向くが、俺はただ首を振るしかない。
「手伝って、くれるだろ?」
完全にブチ切れた鬼の姿が、そこにはあった。
*
「真ん中、騎馬の堅い組を配置してあったよな。先陣きって飛び込んでくれ。ただし横並びは絶対に崩さずに、後ろはとられないように注意な」
「左翼は一旦様子を見て、正面の敵がまっすぐ突っ込んでくるなら少し退き気味で。だけど敵が二の足踏んでるようなら思いっきり飛び込んでいい」
「右翼、真ん中で突入してる味方の背後を取られないように防御メインで動こう。もちろん狙える隙があれば躊躇わずいってほしいけど」
「俺が後ろのほうから全体を見て指示を飛ばすよ。……ごめんな、偉そうなこと言ってるのはわかってるんだけど、従ってくれるかな」
少し申し訳なさそうな顔を作っているが、副音声で「従わなきゃどうなるかわかってるよな?」と聞こえたのはおそらく俺だけではない。全員がひきつった顔で柊木の指示を頭の中に叩き込んでいるのがわかった。
俺は自前の癖毛をくしゃりとかきわけて、ひとり遠い目をしている伊達にそっと近寄った。同班の連中も気になったのかこっそりと近づいてくる。
代表して俺が柊木に聞こえないよう小声で尋ねた。
「……おい、何があった」
「松田……いや、俺も無神経な言葉だと思ったんだが、俺が思う以上に柊木にとっては地雷だったというか……」
「なんだよ歯切れ悪いな」
そして伊達から事情を聞き、全員でうなだれる。
馬鹿か。馬鹿だ。馬鹿なのかな。馬鹿なんだろ。馬鹿なんだろうなぁ。見事なほどに意見が一致した。馬鹿の五段活用。
そいつもまさかその「お綺麗な顔」をしたやつがその顔のためにさんざん苦労してきて女性恐怖症まで抱えているとは思いもしなかったのだろう。とはいえ、知らなかったから許されるわけでは決してない。
本当に余計なことを言ってくれた。背中に冷たい汗が流れる。
「……誰がブチ切れた柊木の騎馬やると思ってんだよ」
これで俺がしくじって騎手の柊木を落としでもしたらどうなるか。あれだけキレた柊木を見たのは初めてだ、何をされるかわからないところが逆に恐ろしい。
「……生きて帰ってね陣平ちゃん……」
「他人事みたいに言ってんじゃねえぞ
幸か不幸か、この騎馬戦にうちの班全員が出場する。そして柊木は俺たちのことを認め、能力を買ってくれていることくらいは理解している。普段なら照れ臭くも嬉しいことだが、今はその事実がひたすらに重い。
柊木は「やればできる」やつが「やらない」ないし「失敗する」ことに厳しいのだ。
「……絶対に柊木は落とさねえ」
「うわ~。気合い入れますか」
「俺らもハチマキ取られたらアウトだな」
「いや、生き残っても敵のハチマキ取ってないとアウトな気がする」
「柊木だからな。求められるハードルも低くはないだろう」
ぼそぼそと話す俺たちのところに、作戦の説明を終えた鬼がひょっこりと顔を出した。
「何してんのお前ら。ちゃんと話聞いてたか?」
にこ、と張り付けたような笑みを浮かべる柊木だが、まるで猛獣に睨まれたように背筋が凍った。いつもならあざとくすら見える首を傾ける仕草でさえ、恐怖をあおるものでしかなかった。
「まあ、お前らなら大丈夫だよな」
信頼という名の脅迫に、俺たちはひきつった笑顔で頷くしかない。
「――ああ、言い忘れたけど俺の言う勝利は『全員がハチマキを死守』し、『敵のハチマキをすべて奪取する』ことだから。万が一ハチマキ取られるやつがいたら、そいつら次の逮捕術の授業で俺とペアな。敵のハチマキの取り逃がしは、その近辺にいたやつら……そうだな、俺の決め技の稽古に付き合ってくれ」
わかるよな、と鬼は柔らかな笑顔で続ける。
「完全勝利以外は勝利じゃねえぞ?」
騎馬戦の開始直前にそう言い放った柊木の目は、少しも笑っていなかった。全員の頬に冷たい汗がつたっていく。
「じゃあ皆、頑張って優勝しよう」
そして俺たちは、騎馬戦最強の教場として警察学校の歴史に名を刻むことになる。数々の若い警察官を見送ってきた教官たちですら「騎馬戦最強の」と言えば通じてしまうほどに語り継がれることになるのだが、それがひとりの鬼による私情だらけの恐怖政治の結果であることは知られていない。知らないほうがいいこともある。
*
勝負に負けた悔しさなのか、ぶちぶちと独り言を垂れるそいつを呼び止めた。一応伊達に目線をやると、こくりと頷かれる。そいつで間違いないらしい。
「……何だよ。勝利宣言でもしにきたのか?」
「まあ、間違ってはいないな」
煽るような降谷の言葉に、そいつはぐっと眉を引き上げた。
怒りのオーラをまとわせてはいるが、さっきまでの柊木の怒りに比べればほんの僅かも怖いとは思わなかった。所詮はガキの癇癪、そんなもの付き合う暇はない。
「残念だったな、『お綺麗な顔』したやつにボロ負けしてよ」
「ね、今どんな気持ち? 『お綺麗な顔』で『華々しい生活送ってた』なんて言っちゃったやつに負けちゃってさ」
俺の言葉に、
「な、んだよお前ら……!」
「ああ、ごめんな、別に嫌味を言いに来たわけじゃないんだ」
たださ、と諸伏は言葉を切る。すっと細められた瞳は刃のように鋭く、その表情は氷のように冷たかった。
「警察官になるなら、その無神経さは何とかしたほうがいいって忠告したくて」
「ああ。顔だの過去だの、デリケートな部分に土足で踏み込むのは感心しねえな」
何がそいつの地雷かわからねえだろ、と言葉を選んではいるが、伊達も拳を強く握り込んでいる。言葉を聞いたときはつい殴りそうになったとは言っていたが、どうやら誇張ではなかったらしい。
そしてとどめのように、ライバルへの侮辱を許せなかったそいつが前に出る。
「相手の気持ちも考えられないようなやつが、警察官なんて目指すなよ」
言葉を投げつけられたそいつはまだいまいち意味をわかっていない様子だったが、こちらの怒りだけは伝わったらしい。何を言い返すでもなく完全におよび腰になっている様子を見ていると、ひたすらに馬鹿らしくなってきた。もう時間を費やすのももったいなくて、戻ろうぜ、とさっさと後ろを向く。
言いたいことは言わせてもらった。後のことは知らん。
*
「ああいたいた、お前らどこ行ってたの?」
両腕にたくさんのペットボトルを抱えた柊木は、だいぶいつものテンションに戻ったようだった。騎馬戦で優勝した後、誰もがこいつの顔色を窺っていたが、本人だけはけろりとしていた。恐怖政治の結果を見て「まあ、こんなもんかな」と言い放っただけ。完璧な指揮で優勝を勝ち取った感想がたったそれだけかよとは思ったが、たぶん柊木にとっては至極当然のことだったのだろう。というかお前の憂さ晴らしに巻き込んだ俺らにまず感謝と謝罪を言えよと思う。言わねえけど。
「ちょっとな。お前こそ、そのスポドリはどうしたんだ?」
「ほら、騎馬戦も完全勝利したし総合優勝もうちの教場がもらっただろ? 教官がたまにはってご褒美くれたんだよ。はいひとり一本」
「やりい!」
「でもどうせなら甘いものが良かった!」
「スポドリ一本てケチ~!」
そうやってげらげら笑う時間が、実は妙に楽しかったりする。汗まみれ砂まみれの身体を引きずりながら飲むスポドリが不思議なくらいに美味い。
「誰がケチかお前らァ! 口を慎め腕立て百回!」
と、油断したところで罰則というものは飛んでくる。反射的に返事をしてその場で腕立てを始めるのももはや慣れたもの。体力を使い切ったあとの身体にはなかなかきついものがあったが、それでも俺たちの口元は緩んだままだった。まったく、こいつらといると退屈することがない。
ただしケチだと口に出した