これは、夢だ。
目の間にはいつも通りの日常がある。いつも通りでないのは、俺の目の間には何故か透明な壁があるということだけ。熱くも冷たくもない、透明なのに触れば存在は確かにある、そんな壁だ。軽く叩いてみたがなかなかに硬そうだ。
目の前の日常が色を変えていく。見慣れた五人の姿が映った。少し幼い気がして、よくよく見れば制服を着ていた。ああ、これは警察学校にいる時の。
いつも通りじゃれあう彼らを見つつ、ふと違和感を覚えた。これは、―――俺がいない。学習室には五人分しか椅子がなく、降谷の隣の部屋では知らない顔が寝起きをしていた。
夢だとわかりながらも何となく不審で、嫌な予感がしながらも呑気に笑うあいつらの姿を見ていた。
と、場面が切り替わる。機動隊の隊服を着た、萩原がいた。どうやら仕事中らしい。……おい、待て、解体は終わっていないのに、何故。
轟音と、目もくらむ光、そして黒煙に、燃え盛る炎。
それが何を意味するのか、わかってしまった。はぎわら、と俺の口が動く。言葉になったのかはわからない。
そして続く、あいつらの「その瞬間」。観覧車と、松田。拳銃と、諸伏。トラックと、伊達。―――やめろ、夢でもそんなもの見たくない。
また場面が切り替わる。雑踏の中に独り佇む降谷がいた。ああ、良かった、お前は無事か。少し安堵した瞬間、気づく。その瞳にある、絶望と諦念、そして安堵。はっとして、降谷の視線の先を追った。
そこには、俺がいた。誰とも知らない女性と、手を繋いで。
その時、唐突に理解した。あいつらが揃って見たという悪夢、そうかこれが。激情が胸の中で暴れだす。ふざけるな、と勝手に口が動いた。
力任せに世界を阻む壁に拳を叩き込む。何を呑気に笑っているんだ、何で自分だけ幸せな顔をしているんだ、あいつらを、 なせておいて、降谷にあんな顔をさせておいて。殴っても殴っても壁はぴくりともせず、俺の声は届かない。
また場面が切り替わる。今度は、見慣れた自分の家だった。ただいま、と目の前の「俺」が言った先にいたのは、―――何の冗談だ。
聞き覚えのある「おかえり」と、聞き覚えのない「おかえりなさい」。悪趣味にもほどというものがある。
そこには、俺の知らない「三人家族」の姿があった。
一心不乱にその「幸せな世界」に拳を叩きつける。やめろ、そんなに幸せそうに笑うな、何で、やめろ、俺は!
「俺は、」
お前はそれでいいのかもしれない、けど、俺は。
少なくとも、「現実」を生きる俺は。
「俺は、……そんなもの、望まない!」
世界に、ひびが入った。
*
乱暴に肩が揺らされる。馴染んだ声が、耳に届いた。
「……起きろっつってんだろ柊木!」
「……松田?」
目を開けると、訝し気な松田の顔があった。その後ろで他の奴らも心配そうにこちらを見ている。
「珍しく転寝していると思ったら、魘されてたぞ」
「疲れてんじゃないの? なかなか起きなかったし」
「無理はしない方がいいぞ。眠いんならせめてベッド行け」
萩原や伊達も声を掛けてくれた。諸伏の手にはブランケット。俺のために引っ張り出してきてくれたのだろう。降谷は湯気の立つマグカップを差し出してくれた。珍しい、この家にハーブティなんかあっただろうか。
「……ありがと」
まだどこか頭がふわふわしている。いったんマグカップをローテーブルの上に置き、近くにあった松田の顔に手を伸ばした。
「あ? ……いっ!」
「……良かったやっぱり夢か~」
「そういうのはてめえで試せこの野郎!」
松田が仕返しと言わんばかりに容赦なく頬をつねってくる。いたいいたいと笑いながら、溢れそうになる涙を誤魔化した。
あれは、夢だ。父さんも母さんも、もういない。それで、―――それで、いいんだ。そう思ってしまう親不孝な子供でごめん。
どうか、ふたりは俺の希望と共に逝ってくれ。俺は、ふたりの死と共に生きていく。あったかもしれない幸福で残酷な夢より、今目の前にある残酷で幸福な現実を選ばせてほしい。
よく伸びるな、といっそ感心しながら俺の頬をつねる松田に苦笑しながら、俺は罪悪感を心の奥にしまい込んだ。