18
数か月に一度、いつも要領よく仕事をこなす同僚兼後輩が、いつになく熱心に仕事を片づけ帰る日がある。決まってその日の次は休みか午前休を取り、また元気そうな顔をして仕事場にやってくるのだ。
同時に彼の幼馴染だという俺の上司も、急な案件は端から片づけて時間を空けている。何をしているのかは知っていた。
「よく休めたか」
「風見さん。はい、お陰様で」
にこりと人好きのする笑顔を浮かべたそいつは、機嫌も体調もよさそうだった。
一時期の消耗具合を知っている身としては、その顔を見ると安心する。警察学校を卒業してすぐに危険な組織への潜入を命じられ、果ては身内の裏切りで死にかけたひとつ下の彼とはそれなりに親しい。自分の上司と彼が個人的に親しいというのも大きかった。
「それは何よりだ。ではこれが追加の書類」
ぱさりと紙束をデスクにおいてやると、笑顔を崩さないまま目だけ遠くなった。ずいぶん器用なことをする。
そっとその書類を手に取って目を通すと、あちゃーと目元を覆った。
「……今度はビル壊したんですか……」
「……状況的に、仕方がなかった、とは思う」
「上司だからって庇わなくていいんですよ風見さん。どうせ何の躊躇もなく壊したんでしょ」
うわーこれ徹夜だな、とその紙束を未処理の書類の山に乗せた。
危険な組織に顔がバレている以上、諸伏はあまり表だって動くことはできない。それゆえ警視庁に閉じこもり、降谷さんの書類仕事のほとんどを肩代わりしている状況だ。その仕事量も内容もどれだけのものか知っているだけに、うずたかく積まれた書類を見ると本気で同情してしまう。
「……手伝うか?」
「ありがたいですけど、風見さんだって寝てないでしょう」
「まだ一日徹夜しただけだ」
「徹夜してんじゃないですか。いざというときにひっぱわり回されるのは間違いなく風見さんなんですから、体力は温存しといてくださいよ」
それを言われると反論はできない。黙ってしまった俺を見て諸伏は面白そうに笑った。
「大丈夫です、昨日しっかり休みましたから」
「……飲み会は楽しかったか?」
「あれ、オレ飲み会だって言いましたっけ」
「お前が定時で上がって次の日休むときはたいてい飲み会だろう。決まってその日は降谷さんも仕事いれないようにしているしな」
それは確かにバレバレですね、と諸伏は笑い、楽しかったですよ、と続けた。
「学生のとき並みに馬鹿騒ぎできるので、何も気兼ねせずに済んでありがたいです」
「それはいいな。しかし、そんなに仲が良い同期も珍しい」
「そうですか? まあ気は合うんですかね」
その同期の話は聞いている。
諸伏、降谷さんと、警察学校時代に同班だったという彼ら。
警視庁刑事部捜査一課強行犯係の伊達刑事、松田刑事、同じく特殊犯係の萩原刑事。そして、警務部人事第一課の柊木監察官。それぞれ優秀と聞いているが、この柊木監察官に関しては特に公安内でも評価が高い。
何せ、諸伏の情報を流した犯人を突き止めたのは彼だからだ。
『降谷さん、諸伏の情報を流した犯人については……』
『そちらは別の人間が動いている。しばらく様子見だ』
『別の人間? 我々公安以外の人間ということですか』
『ああ。……心配するな、あいつならやってくれる』
『……というと?』
僕がもっとも信頼する仲間のひとりが珍しく本気で怒っていてな、という電話口の降谷さんの声音は、少し笑っていた。
『そういう職務に就いている人間が調べている。問題ない』
『……わかりました』
降谷さんにそこまで言わせる人物がいるとは、とそのときは驚いたが、それからひと月も経たないうちにその件で査問会が開かれたと聞いたときにはもっと驚いた。
たったそれだけの期間で犯人を探し当て、逮捕の段取りを立てたというのか。しかも、警視庁内でも地位のある人間を査問会に引きずり出した結果が。
『……懲戒どころか、逮捕、送検……?』
警察上層部の主だった人間に十分すぎる根回しを行い、ありとあらゆる証拠と証言を揃え、犯人と癒着していた者の妨害など意にも介さず握りつぶし、犯人に一言の反論も弁明すらも許さなかった。逮捕する捜査員まで待機させていた彼の手腕には舌を巻かざるを得ない。何という徹底した潔癖すぎる正義だろう。
後から彼が降谷さんと首席を争った同期だと聞いたときには、いっそ納得するしかなかった。俺が心から畏怖している上司のライバルならば、なるほど優秀に違いない。
「諸伏」
「何ですか?」
「前々から気になっていたんだが、柊木監察官はどういう人物なんだ?」
「柊木ですか? うーん……」
諸伏は少しだけ視線を彷徨わせて、口を開いた。
「魔王?」
「……ん?」
「鬼とか悪魔とかいろいろ言ってるんですが……いや、暴君? あ、しっくり来た。暴君ですね」
「……柊木監察官のことを聞いているんだが?」
「だから柊木の話ですよ」
確か聞いた話では、容姿端麗品行方正、常に敬語で謙虚な姿勢を崩すことなく、笑顔を絶やさない好青年だったはずだ。確か、完璧が服を着て歩いているような男だと。
「ああそれ
さらりと諸伏は言ったが、それは俺が聞いていい話なのだろうか。
風見さんは言いふらしたりしないでしょう、と諸伏は軽く笑い、続けた。
「いい奴なのは本当ですけど、親しくなればなるほど一切の遠慮をしなくなる奴で。隙あらば俺たちをこき使う暴君です。自分のテリトリーに入れた人間は全員好きなように使っていいと思ってますねきっと」
「……それでも『いい奴』なのか」
「いい奴ですよ」
全力でこき使う代わりに、自分のテリトリーに入れた人間に手を出すのは許さないんです。
そう言った諸伏の顔はどこか嬉しそうで、自慢げで、なるほどいい友人なのだと察せられた。口ではあれこれ言っているが、やはり信頼しているのだろう。
「あ、警察官的な部分を言うなら正義感は人一倍です。特に不正の類やらかす奴に対しては慈悲も容赦もなく蹴落として高笑いしますね」
「高笑い……」
「デスクワーク中心の内勤のくせに腕っぷしも強くてですね。見た目からは一切想像つきませんけど降谷と並ぶゴリラです」
「ゴリラ……」
俺の中にあった「柊木監察官」が音を立てて崩れていく。
「……なかなか、……愉快そうな同期だな」
「いつか紹介しますよ。きっと風見さんには懐くと思うので」
柊木の言うことなら降谷も聞くから味方につけとくといいですよと軽く笑う諸伏にさすがに頭を抱えた。
降谷さんに、お前に、柊木監察官、そして未だ名前しか知らない彼ら。さぞ彼らの教場を担当した警察学校の教官は大変だったことだろう。心の底から同情する。
「あはは、それはもうたくさん正座させられましたね」
「そこは一回で懲りろ」
*
「……ああ、柊木の話か」
「諸伏曰く、『暴君』だと」
警視庁に登庁した降谷さんへの報告を一通り終え、たまにはと缶コーヒーを渡された。ありがたく受け取って軽い雑談を交わす。ふと、降谷さんにも柊木監察官のことを聞いてみようと思って話を切り出すと、降谷さんは少し噴き出し、なるほどと笑った。どうやら異論はないらしい。
「まあ、信頼故の言葉だろう。いい奴だよ」
「そう伺っています」
「能力的にも人格的にも非常に頼りになる。いっそ引き抜きたいくらいだ」
多分、そう簡単には引き抜かせてくれないだろうが。
そう言う降谷さんは、本気で残念そうだった。彼がいてくれれば、降谷さんの仕事も少しは楽になるのだろうか。そうであれば是非とも来ていただきたい。
「性格的には監察官という職務が合っているんだろうが、そもそもあいつの一番の特性は群を抜いた作戦立案能力だ。そういう意味でこちらの仕事もあうと思うんだがな」
「作戦立案、ですか」
「自ら現場で走るよりは人を動かして目的を達成する方が向いている奴なんだ。警察学校の運動会で、騎馬戦があるだろう?」
「はい」
「うちの教場は柊木が全指揮を執ってな。誰ひとりハチマキを取られることなく、敵の騎馬全員のハチマキを奪って優勝したよ。何回戦かあったが、全てだ。いまだに語り継がれているらしい」
「それは……」
たかが騎馬戦、されど騎馬戦。運動会の一種目のことであろうと、それほどの完全勝利はそうやすやすと掴めるものではない。
ちなみに僕は先陣を切ってハチマキを取った、と降谷さんは得意げに笑った。
「目立つことが基本的に嫌いな奴だし、ゼロでも十分やっていけるだろうに」
「……十分目立つ方のように思いますが」
「本人的には不本意なんだよ。今、警察のイメージを上げようと広報課が躍起になっているのを知っているか?」
「ああ……はい」
このところ活躍している、難事件をいともたやすく解決するという探偵たち。
ずば抜けた頭脳に加えてかなりのイケメン揃いで、事件を解決してくれるのは有り難いと言えなくもないが、完全に警察の立場がない。しかも成人した大人ならまだしも、最近は未成年の高校生探偵とかいうのも話題になっているとか。メディアも喜んで取り上げていて世間も完全に芸能人扱い、そして我が物顔で現場に乗り込んでくるのだから頭が痛いことこの上ない。
彼らが重んじられるにつれて、警察はどんどん軽んじられていく。警察とはそもそも社会における犯罪の抑止力でなければならない。イメージ悪化は致命的だ。
「上層もイメージアップに頭を悩ませていると」
「ああ。そこで考えられた案のひとつに、警察の広告塔を立てるというのがあったらしい」
「広告塔?」
「顔のいい探偵がもてはやされるなら、こっちも顔のいい警察官を出せばいいんじゃないか、という安直な案だよ」
そこで柊木に白羽の矢が立ったらしいが全力で断ったそうだ、と降谷さんは堪え切れないと言うように笑いだした。
「飲み会で延々愚痴られたよ。断っても断っても食らいついてくる広報の連中に辟易していたところに、とうとう上層からも半分命令として広告塔になるよう要請されて、そこまで言うならパワハラで査問会開いてやるとブチ切れたところを上司に止められたんだと」
「……本気で嫌だったんですね」
「初めて辞表を書くことを考えたと真顔で言っていた」
「結局どうやって断ったんですか?」
「彼の上司が口を利いてくれたそうだ。何とか穏便に断ったらしい」
そのまま放っておいたら本当に柊木が辞めると思ったんだろうな、と降谷さんは軽く笑う。しかし、そこまで広告塔に推されるという彼の容姿はいったいどれほどのものなのだろう。ここまでくるといっそ気になる。目の前にいる上司も相当に顔が整っている方だと思うが、柊木監察官はそれより上なのだろうか。
「しかし、その話を一緒に聞いていた刑事部の同期たちは渋い顔をしていたよ。よほどその名探偵たちに手を焼いているんだろうな」
「刑事部にとってみれば、彼らの活躍は自分たちの無能の証明も同然ですからね。それなら探偵より先に事件を解決しろという話ですが」
「まあ、そう言ってやるな。実際、必要な捜査手順を守っている刑事部にとってみれば、それらをすべて無視して勝手に動く探偵より早く事件を解決するのは至難の業だ」
必要な捜査手順を守って得た証拠でないと、証拠能力は認められないんだけどな。
そう言って、降谷さんは空になった缶をゴミ箱に落とした。
「……ああ、話がそれた。柊木や刑事部の同期についても機会があれば紹介しよう。彼らは僕の『協力者』という扱いだ、顔くらいは知っていた方がいいかもしれない」
「わかりました。素性だけは把握しておきます」
「そうしてくれ」
同期のことを語る降谷さんの顔には、いつもの厳しさが一切なかった。
代わりにあったのは、確かな信頼と、友愛。諸伏と同じく警察学校を出てすぐに潜入任務に就いた降谷さんにとって、彼らの存在がどれだけ大きいものなのか、その表情だけでわかったような気がした。俺は降谷さんの右腕として、彼のサポートを任されている。彼らが降谷さんにとってかけがえのない存在ならば、俺もできる限り彼らを気にしておくことにしよう。
公私のすべてを国に捧げていると言っても過言ではないこの人が、これ以上「私」を捨ててしまわないように。その両肩に国を背負うその背中を見つめながら、そう思った。
「ところで風見」
「はい」
「先日差し入れたたこ焼き、あれは柊木の手作りだ」
「……冗談ですよね?」
あの美味さは絶対に老舗の店のこだわりの味だと思ったのに。