「まず、これを見てくれ」
珍しく降谷に警視庁の会議室に呼び出された。
何があったのかと来てみれば、顔をそろえた同期たち。スーツに身を包んだ降谷に渡された書類にざっと目を通し、なるほどと膝を打つ。
「安室透の生い立ち設定か」
「ああ」
降谷が潜入に使っている『安室透』。
諸伏曰く降谷とは似ても似つかない性格だそうだが、降谷としてはそれなりに使いやすく、重宝しているという。
「これから僕は、『安室透』として毛利小五郎に接触し、しばらくはその近辺で潜入を続ける」
「毛利小五郎って、あの毛利探偵か」
思わずと言ったように、伊達が口を挟んだ。
最近高校生探偵が鳴りを潜めたと思ったら、急に台頭してきた名探偵「眠りの小五郎」。卓越した推理力で次々と難事件を解決し、その推理ショーのスタイルがまるで眠っているかのように見えることからそんな風に呼ばれているらしい。
伊達と松田は面識があるようで、あのおっさんかと少し困った風に零している。
「ああ。間違わないでほしいのは、僕が潜入している『組織側の立場』からさらに毛利探偵の付近に潜入するということだ」
つまり、組織側が毛利探偵に目を付けている、と。
どういう関係なのかは知らないが、民間人の立場であんなに派手に立ち回っているんだ、相応に恨まれたり変な情報を握っていたりしてもおかしくない、が。
「つまりその組織的に、お前が毛利探偵の付近に潜入することによってメリットがあんの?」
「詳細は言えない」
へえ、ととりあえず頷いておくと、苦笑した諸伏が一応と言う感じで口を挟んだ。
「別に毛利探偵が黒だと言っているわけじゃないからな? ちょっと周囲に気がかりがあるだけだよ」
「別にあのおっさんが黒だとは思っちゃいねえよ」
「まあ、いろいろ言いたいことはあるが、悪い人じゃねえんだよなあ」
不満そうに言う松田と、苦笑する伊達。
以前騒がれた高校生探偵に比べれば、きちんと公安委員会に認可された職業探偵である毛利探偵に活躍された方がまだマシといつぞや漏らしていたのが思い出される。民間人は民間人だし推理ショーは頂けないが、それ以外は比較的にまともな人だと伊達も言っていた。
それで、と萩原が口を開いた。
「毛利探偵の付近に潜入って、具体的にどうすんの?」
「いくつか候補はあるんだが、話の流れもあるからな。確定したらまた連絡するが、この設定は基本的に変わらないからしっかり頭に入れておいてくれ。というかその書類は回収するから今ここで覚えろ」
「うえ、マジで?」
「しっかり頼む。何せ、」
失敗したら僕が死ぬからな。
冗談になってない冗談を言う降谷の頭を、すっぱーんといい音をさせて諸伏がひっぱたく。
「笑えない冗談はさておき、よろしく頼むな?」
「ヒロ……!」
「何?」
にこっと笑う諸伏に、降谷はうっと言葉を詰まらせた。今のはお前が悪い。苦笑しつつ目を通した書類を降谷に返した。
「もういいのか?」
「ああ、覚えた。で、肝心の俺たちとの関係性はどう説明する気なんだ?」
「数か月前に僕の『探偵の仕事』の関係で遭遇した、で十分だろう。そうすれば守秘義務が発生するからお互いに詳細は言わずに済む。それで友人関係に発展した」
「表向きはそれで充分だろうが、お前の潜入してる組織的に大丈夫なのか?」
松田の指摘に、軽く降谷は首を振って答える。
「組織には『日本警察の情報を手に入れるため』とでも言えば済むさ。組織内での僕の立ち回りは情報収集役だからな。むしろそういう意味では、警察官の友人をもっていることはメリットにすらなりえる。……まあ当然、僕の正体がバレればお前たちにも危険が及ぶ可能性はあるが」
「何をいまさら」
「同感」
「お前がバレなきゃいい話」
「そういうことだな」
何の気なしに揃って答えると、降谷も諸伏も笑った。お前たちの所属を聞いたときからとっくに覚悟はできている。
「また、詳細が確定次第連絡する。頼むから本名で呼んだり、僕と『安室透』のギャップで笑わないでくれよ。特に萩原」
「何で俺だけ名指しなのよ降谷ちゃん」
「お前は気分で僕たちの呼び方変えるから」
「そりゃそうだけど間違わねーわ! ねえ旭ちゃん!」
「はいはいそうだな」
何やら訴えてくる萩原を片手で止めながら、今後のことを考える。毛利探偵は確か元刑事という話だ。軽く調べておくことにしよう。
『安室透』潜入成功の連絡が飛んできたのは、それから二週間後のことだった。
***
この喫茶ポアロで一番お客様が少ないのは、ちょうどティータイムが終わる今くらいの時間。もう少し時間がたつと、少し前に入ったイケメンスタッフを目当てに立ち寄るJKの皆様が来店されてまた賑やかになる。
今のうちに店内の片づけを済ませておかなければとテーブルを拭いていた時、かららんと来店を告げるベルが鳴った。
「あ、いらっしゃいま、せ」
お客様に目を向けて、思わず一瞬固まった。
無造作ながらも整えられた黒髪に、すっと通った鼻先。意志の強そうな瞳はよく見れば長い睫毛に縁どられ、ゆるく結ばれたうすい唇が理知的な印象を与えている。手足も長くスタイルもいいが、何より姿勢と所作の美しさが品の良さを感じさせていた。
まさに安室さんに並ぶイケメン。何この人すっごいかっこいい。
「……?」
初めてのご来店なのか、店の中を軽く見渡して不思議そうな顔をされていた。何とか頭の中を仕事モードに切り替え、笑顔でお客様をお迎えした。
「一名様ですか? カウンターにどうぞ」
「……どうも」
少しそっけない声で返事を返し、目が合わないままカウンターに座った。そのままブレンド、ホットで、とぼそりと呟き、持っていた鞄から文庫本を取り出す。
そんななんてことない動きまで様になるってイケメンすごい……とつい感心しながら、ご注文をお受けしてポアロが誇るイケメンに声をかけた。
「安室さん、ブレンドひとつお願いします」
「はーい」
倉庫から補充の珈琲豆を持ってきてくれた安室さんの愛想のいい返事が響く。ひょいとカウンターに顔を出し、お客様の顔を見て笑みを深めた。
「いらっしゃいませ。来てたのか」
「ああ。お疲れ」
どう見てもお知り合いであるようで、なるほどイケメンの友達はイケメンなのかと奇妙なほどの納得感。ついおふたりを眺めていると、安室さんと目が合った。
「?」
どうかしましたか、と言わんばかりの態度で首をかしげる安室さん。そうだ、お客様がどんなにイケメンだろうといつもと変わりなく仕事しなくては。
無理やりふたりから視線を外し、気になる心をおさえながらまたテーブルを拭く作業に戻る。
結局そのお客様は、小一時間ほど珈琲を片手に読書をされてお帰りになった。
時折一言二言安室さんと言葉を交わしていたようだけど、できる限り耳に入れないように心掛けたので内容はわからない。お客様の話を聞こうとするなんて店員失格。いつもと同じように働くよう心掛けたけれど、ちゃんとできていただろうか。
「すみません梓さん、お掃除お任せしてしまって」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
「さっきの、友人なんです。僕が働いていることを聞いて、来てくれたみたいで」
「そうだったんですね」
安室さんがどことなく嬉しそうな顔をしているので、きっと本当に仲の良いお友達なのだろう。あまり私生活の見えない人の意外な一面を見たようで、少し嬉しい。
「特定のお客様にこういう言い方、あんまり良くないのかもしれませんけど……ものすごいイケメンでしたね……」
真剣な顔でそういうと、安室さんも真剣な顔で答えてくれた。
「多分、僕が人生で出逢った中で一番のイケメンだと思います。正直、芸能人やモデルも目じゃないですよね」
「むしろモデルと言われた方が納得します」
「ははは、彼、あれでも公務員ですよ」
「公務員」
あのルックスに公務員なんて、さぞおモテになることだろう。そんな考えが顔に出ていたのか、安室さんは苦笑して言った。
「いろいろお察しの通りだと思います」
「あ、ごめんなさい。……けど、この時間帯で良かったですよね。もう少し遅かったら安室さん目当てのJKたちが……」
「ええ、だからこの時間に来たんだと思いますよ。彼はあまり騒がれることが得意じゃないので」
安室さんの言葉に、確かにと頷く。あまり愛想のある人ではなかったし、女の子に囲まれてにこにこするタイプには見えなかった。
「……最初、あまりのイケメンに動揺してしまって……店員失格です」
「そんな。しっかりお仕事されていたじゃないですか」
「イケメンは安室さんで慣れていると思っていたのに……!」
「はは……光栄ですが」
彼も気にしていませんでしたよ、という安室さん。
「多分また来てくれると思うので、その調子でお願いしますね」
「はい! 次は絶対『いらっしゃいませ』をどもったりしません!」
「さすがは梓さんです」
む、と決意表明をすると、安室さんはどことなく嬉しそうに、安心したように笑った。
***
やはり、この人は真面目で仕事熱心な女性だ。おおよそ予想通りの展開に、内心安堵する。
あえて柊木には、このポアロに女性の店員がいることを伝えていなかった。あの女性恐怖症がどれだけひどいものかはよく知っていたが、梓さんは(自分で言ってなんだが)僕の顔の良さを理解しながら特に興味をもたない稀有な女性だ。仕事熱心で、勤務中に特定の客に何かしらのアプローチを起こすこともまずない。
つまり、柊木のリハビリにちょうどいい相手なのだ。
『……せめて心の準備くらいさせといてくれないか……』
小声で泣きごとを漏らした柊木に、「安室透」の顔を崩さないまま何のことかわからないという風に笑顔を向ける。不貞腐れたように唇の端を下げた柊木が面白い。何とか微笑みは保ったまま珈琲を差し出したが、内心で笑っているのを察したのか柊木はさらに苦い顔。気を抜いた柊木の表情筋は、実はわりと素直だ。
『心配するな、俺の顔にも動じない珍しい女性だよ』
『自分で言うか。……まあ、きゃーきゃー言う人じゃないのはわかったけど』
『そのあたりは保証するよ』
そう言うと、柊木は自身を落ち着かせるように珈琲を口に含んだ。そして少し驚いたように瞬きをひとつ。どうやらお気に召したらしい。
『まあ、ゆっくりしていけよ。店が賑やかになるまでもう少し時間があるから』
『……そうさせてもらう』
少々居心地悪そうにしながらも、柊木は持っていた本を開いた。
家の外で安らげる場所が少ない柊木も、とりあえず僕がいる間はこの店に通ってくれるだろう。お節介は重々承知で、自身の女性恐怖症を治そうと細々と努力を続けている柊木の助けになればいい。柊木にポアロのことを教えたのは、そういう思惑もあってのことだった。
「あ、安室さん、そろそろJKの皆さんがいらっしゃる時間ですよ! ハムサンドの仕込みお願いします!」
もう柊木から頭を切り替えて仕事のことを考えている彼女に感心しつつ、わかりましたとカウンターに引っ込んだ。