あれ以来安室さんのお友達だという超絶イケメンさんはふらりとポアロに来てくれるようになった。決まって安室さんが出勤の日の、人の少ない時間帯。ブレンドを一杯だけ頼んで、本を片手にのんびりと過ごされている。
相変わらず少しそっけなくて目も合わないけれど、決して邪見にはされないし使った後のカウンターはいつも綺麗。それにお帰りになるときは必ず「ごちそうさま」の一言。ちゃんと話したことはないしお名前も知らないけれど、間違いなくいい人だと思う。
もちろんお客様に対して個人的に親しくなりたいなんて思わないけれど、ここまで来たらファンというか目の保養。ご来店されたらちょっとだけ嬉しくなるのは仕方がないと思う。
仕事の帰り道にそんなことを考えていたら、思い浮かべていたその人によく似た後ろ姿が視界の端をよぎった。
「……あれ……?」
スーツを着たその人のすぐ傍には、見知らぬ女性の姿があった。
***
かららん、と軽やかな音が店内に響く。
入ってきたのは梓さん曰く「目の保養」の同期だった。
「いらっしゃいませ」
「あ、いらっしゃいませ!」
僕の声に続いて梓さんも柊木に入店の挨拶をする。
いつもなら目も合わせないままブレンド、とだけ言ってカウンターに座るのだが、今日は違った。意を決したように梓さんに目を向けて、口を開く。
「……先日は、ありがとう」
あの、「あえて言うなら好みのタイプは俺に興味をもたない人」「俺を合コンに巻き込んだ瞬間本気で縁を切る」と真顔でほざいていた柊木が。
ここで手に持っていた皿を落とさなかった僕は偉いと自分で思った。
「そんな、お気になさらないでください。カウンターどうぞ」
「……ブレンドで」
「はい!」
どこか嬉しそうな梓さんに安室さんお願いします、と言われてやっと僕は正気に戻った。今見ていた光景はなんだ、夢か。
「は、い。……梓さん、彼と何か?」
「大したことではないんですけど、先日偶然外でお会いして」
「いえ、大したことないわけがないんです。僕は彼がプライベートで女性に笑いかけるのを初めて見ました」
「そんなに?」
梓さんが驚いた顔を見せるが、事実だ。
もちろん何とか取り繕わなくてはならない事態の時は別だが、柊木が自分の意志で女性に笑いかけたのは僕が知っている限り初めてだ。
気まずそうな顔をした柊木は、拗ねたように口を開く。
「……情けないことに助けられたんだ。礼儀くらい心得てる」
「助けられた?」
「………………逆ナン」
項垂れるようにうつむいた柊木に全てを察した。普通の野郎相手であればそれくらい自分で何とかしろと思うが、柊木なら仕方がない。
「……友人がご迷惑をおかけしたようで、すみません、梓さん」
「いえ! こういう言い方するのもなんですけど、結構……その、しつこい人だったみたいですし。お酒も飲んでたみたいで、なかなか諦めてくれなくて」
「それで見かねて助けてくださったんですね。……だったら菓子折りのひとつくらい持ってこないか」
「もう、安室さん! こうしてまた来てくださっただけで十分ですよ!」
気まずそうな顔をしつつも、柊木の顔に嫌悪感は見えない。
なるほど、梓さんとの接触はリハビリになるかもと思っていたが、本当に良い方向に進んでいるらしい。それならここらでネタ晴らしをしておいた方がいいだろう。
「梓さん、改めて、僕の友人の柊木旭です。ちゃんと紹介していませんでしたね」
「……柊木です」
「あ、榎本梓です。柊木さんて仰るんですね」
「ええ。以前柊木について、騒がれるのが苦手、とお話したと思いますが、正しく言うと女性が苦手なんです」
え、と固まる梓さんに、安室、と慌てる柊木。
騒ぐ柊木を無視し、僕は「安室透」の笑顔のまま続けた。
「ナンパの類は特にダメでして。助けて頂いてありがとうございました」
「そ、それはいいんですけど、それじゃ私あんまり接しない方がいいんじゃ……!」
「いえ、梓さんはちゃんと店員とお客様としての距離を考えてくださるでしょう? だからリハビリにもなると思って、彼をポアロに呼んだんです」
勝手なことをしてすみません、と頭を下げると梓さんは頭をあげてください、とわたわたと手を振った。
「私は構いませんけど、むしろ何かご不快なことを……!」
「それはない。……安室」
「何か失礼がある前に伝えておいた方がいいと思わないか?」
「……せめて伝え方ってあると思うんだが」
苦々しい顔の柊木を笑顔で黙らせる。
「柊木も梓さんにはだいぶ慣れたみたいです。懐かない犬だとでも思って気軽に接してやってくださいね」
「誰が犬だ」
「えええええ……」
「榎本さん、ごめん、安室の言うことは気にしないで」
おっと、また柊木から梓さんに話しかけた。これは経過も上々、あとであいつらにも連絡しておこう。
「あの、本当にご不快じゃありませんか?」
「不快だったら店に来てない。……あんまり距離が近かったり、触れたりしない限りは、大丈夫。苦手なのは……たとえば安室目当てに通ってるっていう学生さんたちとかの、そういう感じだから」
「ああ……」
納得したように、そして少し同情したように梓さんは頷いた。
モテすぎるのも考えものよねとか考えているんだろう。大正解です。
「……目を合わせるのも、得意じゃなくて、……申し訳ない」
「いえそんな、お気になさらないでください。……でももし何か不手際がありましたら、遠慮なく仰ってくださいね」
「そんなことは今後もないと思うけど……お気遣いありがとう」
とりあえず次の課題は、そのぎこちない笑顔を取り繕うところだろうか。
ちなみにこの後、柊木が誤解を生む連絡を回したらしく、俺のスマホには四人からのメッセージが届いていた。
『柊木から降谷がいじめるってメッセージ来たんだが、お前何やったんだ?』
『いじめかっこ悪い』
『せんせー! れいくんがあさひちゃんをいじめてまーす!』
『いくら疲れてるからって柊木に八つ当たりはよくないよ?』
どうやら俺が今日のことをこいつらに報告することを見越して先手を打ったらしい。若干苦笑を漏らしつつ、俺は返信のメッセージを打ち込んだ。
『断固として無罪を主張する』
後で詳細を伝えれば、多分こいつらも面白がって柊木をポアロに引きずってくるだろう。女性とまともに会話をする素の柊木なんてレアすぎる。
他の同期たちがポアロに乗り込んでくる日も近そうだと笑みをこらえつつ、俺はスマホをポケットにしまい込んだ。
***
「梓さん! 何で教えてくれなかったの?」
「ど、どうしたのいきなり」
店に飛び込んできた元気なお客様に、思わず後ずさる。
その後ろに常連のお友達と、いつもの男の子。ポアロの上の階に住んでいる彼女たちはよくこの店にも顔を出してくれる。その親友だという彼女もすでに顔見知りだった。
「もう、園子、迷惑でしょ!」
「だって蘭!」
いつも元気なお客様ではあるけど、今日は何やらあったようで。教えてくれなかったって、いったい何のことを指しているのだろう。
「ほら梓さん、これ見て!」
ずい、と目の前に出されたのは、彼女のスマートフォン。
表示されているSNSには、誰ともわからない呟きがひとつ。
『ポアロに超絶イケメンがふたり! 店員さんは知ってたけど、お客さんらしきもうひとりも超イケメン! 店員さんと仲良さそうに話してたし、友達かな?』
さすがに写真はついていなかったが、誰のことかすぐにわかった。
さあっと血の気が引くのを感じる。柊木さんがいらっしゃるのはいつもほとんどお客様がいないときだったけど、もしかしたら店の外からでも見ていたのかもしれない。
おそらくこれこそ、柊木さんが本気で嫌がる類のもの。
「これ、誰のこと? 梓さんなら知ってるでしょ?」
「え、えっと……。……と、とにかく、お席にどうぞ?」
園子ちゃんは決して悪い子ではないのだが、イマドキの子らしいというか、イケメンが好きでミーハーなところがある。暴走しがちなところもあるから、うまく誤魔化さないと柊木さん目当てで店に通いかねない。
何と説明したものかと考えていたところ、安室さんが休憩から帰ってきた。
「ああ、皆さん。いらっしゃいませ」
「安室さん! こんにちは!」
「はい、こんにちは。今日もお元気ですね」
にこりと安室さんが笑うと、園子ちゃんはまたきゃあきゃあと歓声を上げる。
ここは私よりも安室さんに何とかしてもらおう。柊木さんの友だちならきっとベストな対処もわかっているはず。
「あ、安室さん……!」
「? どうしたんですか?」
「ねえ安室さん、これ見て!」
またずいっと突き付けられた呟きを、安室さんの目が辿る。そして納得したように苦笑した。
「なるほど」
「安室さんの友達?」
「多分、そうだと思います。参ったな、こんな風に情報が出回るなんて」
「……へえ、本当に安室さんのお友達なんだ!」
それまで興味なさそうにしていたコナン君が、驚いたように声をあげた。抑えきれない好奇心が顔に出ている。
「酷いなコナン君、僕にだって友達くらいいるよ」
「えへへ、ごめんなさい」
まあコナン君の気持ちもわからなくはない。
安室さんは探偵という職業もあってか、自分のことはあまり語ろうとしない。いつもにこやかでスマートに仕事をこなす姿を見ているだけに、柊木さんと親し気に話している姿を見るのは何だか新鮮だった。
「その友達って本当にイケメン? ポアロにはよく来るの?」
「まあまあ、落ち着いてください園子さん。顔は整っていると思いますよ。ポアロにもたまに来てくれます。けど、いつも人の少ない時間帯を見計らって来るので、なかなか皆さんと会うことはないかもしれませんね」
「そんなぁ……!」
がっくりと肩を落とす園子ちゃんに、蘭ちゃんはもう、と少し怒った顔をする。
「ダメだよ園子、ポアロにもその人にも迷惑になっちゃう」
「だって超絶イケメンって気になるじゃない……!」
「……そんなにかっこいい人なの?」
ぽろりと零れたコナン君の疑問に、思わず安室さんと目を見合わせた。そんなにかっこいいというか、何というか。そんな言葉で片づけていいのか疑問だというか。
「……安室さん」
「ええ、正直に言って構いませんよ」
「下手な芸能人やモデルなら目じゃないくらいかっこいいの」
ええっと園子ちゃんと蘭ちゃんは声を揃えた。
彼女たちの好奇心を煽るようなことは言わない方がいいのだろうけれど、安室さんの許可も得たから! 正直に! だってあんなイケメン絶対そうそういない!
「正直、安室さんとあの人がお店にいるだけで絶対ポアロの売り上げが違うと思うんです。 絶対ご本人には言えませんけど」
イケメン相乗効果ですさまじい客数になるに違いない。いやでも、皆テーブル占領してお店の回転が悪くなるからむしろ売り上げダウンか。難しいところ。
「まあ、もし機会があれば紹介しますよ」
そう苦笑する安室さんに、園子ちゃんは絶対だから、と鼻息を荒くしている。柊木さんに遭遇したら大変なことになりそうだ、と少し頭が痛い。
「ねえ梓さん、その安室さんのお友達って、どんな人なの? お仕事は?」
「うーんコナン君、あんまりお客様のことはお話しできないなぁ」
「あ、そっか。ごめんなさい」
ごめんね、と笑いかけると、コナン君も僕もごめんなさい、と笑ってくれた。
お客様の個人情報を簡単にお話するのは店員として失格。というか私も公務員ってことしか知らない。
「気になるのかい? コナン君」
「え、あ、……う、うん!」
「じゃあ特別に教えてあげよう。彼はね、」
警察の人だよ。
安室さんがにこりと笑いながらそう言った瞬間、コナン君がぴたりと固まった気がした。
「警察の人って、刑事さんですか?」
「いえ、彼はあまり現場には出てこない部署の人なので、蘭さんたちとも面識はないと思いますよ」
「そうなんですね」
イケメン警察官か~会ってみたい、と叫ぶ園子ちゃんに苦笑しつつ、私はすっかり取るのを忘れていたオーダーを尋ねた。
***
梓さんが持ってきてくれたオレンジジュースに口をつけながら、考える。
ベルツリー急行の一件で、安室さんが黒ずくめの組織の仲間、バーボンだということはわかっている。その安室さんの友人と言うだけでも怪しいのに、まさかの「警察の人」。どこまで本当のことかわからないが、調べる価値はある。
「せっかくの手がかり、逃してたまるかよ……!」
ぼそりとそう呟くと、ささやきを拾った蘭に聞き返される。何でもないよと子どもらしく笑って、俺はその人に接触する術を模索し始めた。