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それを目にしたとき、あまりに鮮やかな思い出が蘇った。
あの騎馬戦はなかなか楽しかった。個性のはっきりした奴らだったから作戦も組みやすかったし、皆も指示通りに動いてくれた。あの完全勝利は皆の協力あってこそだった。
ああ、そのすぐあとには全員が俺の家に泊まりにきたこともあったっけ。よくあんな言い訳で教官も許可してくれたものだが、まあ降谷と俺がいかにもそれっぽい顔してそれっぽいこと言ったのがよかったのだろう。みんな買い物も掃除も模様替えも手伝ってくれて本当に助かった。遠慮なくこき使ったからへとへとになってたけど、そのお詫びとお礼にと思って大学時代関西で仕込まれたお好み焼きとたこ焼きを振舞ったんだっけ。どこの掃除機かと思うほどのすさまじい吸引力だったな。何枚何個焼いても全然足りなかった。俺も意地になって作り続けたが、結局どれだけ作ったんだろう。相当量の小麦粉を消費したことは覚えている。ことあるごとにまた作れって言われたけど、結局振舞ったのはあれきりだった。
皆で少し遠くに買い物に出たときは、降谷と並んでたせいか逆ナンにあって目を回したのも最早いい思い出……ではないな、あれは情けない思い出だ。伊達が貧血起こした俺を支え、萩原が上手いこと言って女の子たちを追い払い、諸伏が飲み物を買ってきてくれた。かっとなって女の子たちを怒鳴りつけそうになった降谷に松田は「もっとうまくやれ」なんて説教をしていて、説教するポイントが違うんじゃないかと思ったが口を出す余裕もなかった。面倒を掛けてしまったと謝る俺にあいつらは「気にするな」と笑い、遊び慣れてない俺をゲーセンに連れ出してくれた。シューティングゲームで最高点をたたき出した諸伏はさすがだったし、リズムゲームでは松田無双。降谷とエアホッケーで接戦を繰り広げた後負けたことは、未だ悔しい記憶として残っている。いつか絶対リベンジしよう。
術科大会では、運動会で叩き潰したアイツに再度喧嘩を売られ……あれはまあいいか、大したことではない。三回目はないことを教えてやれたと思うのでよし。
それから、―――それから。
「―――柊木君?」
「、はい」
「どうした、呆けていたようだが」
「失礼いたしました。いえ、自分の警察学校時代を思い出しまして」
気持ちはわかるよ、と懐かしそうに上司は笑う。
警察庁の窓の外に真新しい制服の集団が見える。警察学校の生徒が見学に来ているのだろう。俺もかつてはあの中にいたのだと思うと少し感慨深い。
あの日々は、本当に楽しかった。たぶん、俺の今までの人生のなかで、一番。
「君は警察学校でも優秀だったんだろう?」
「真面目には取り組んでいたつもりですが、そこそこいろいろやりましたよ」
「ほう? 気になるね」
「おっと、失言でした。もちろん真面目に学んでいましたとも」
後ろ暗いことでもあるのかい、と言う上司に、まさか、と笑って見せた。ただいろいろと
いい同期にも恵まれましたしね、と心からの言葉を口にすると、上司は微笑ましそうに頷いた。しかし、だからといってゆっくり休憩させてくれるほど生やさしいひとではない。
「さて、思い出に浸るのもそのあたりにして、仕事に戻るとしようか。ああ、その書類の山の整理と処理、それからそちらの過去の警備記録も目を通して頭に入れておきなさい。午後の会議までには終えておくように」
「承知しました」
うーん、容赦がない。もちろんそう思ってもおくびにも出さない。
警察庁警備局警備課に配属されてまだ二年ほど。まだまだ新米として雑用をする一方、少しずつ仕事も任されるようになってきた。
警備課のやることは主にディフェンスのサポートだ。機動隊が動くような犯罪や災害への対策や緊急事態発生時の指揮、大規模なイベントでの警備、そして要人の警護などの業務管理が管轄になる。全国の機動隊の上役と言っていい。
もともと現場に出るよりはその指揮管理をする方が向いている自覚があるだけに、やりがいがあった。過去の機動隊の警備記録を見るのも非常に勉強になる。
配属が決まったとき、上司だ敬え、と伝えたときの機動隊二人の顔を思い出すと今でも笑えてくる。あいつらに無茶をさせないように、あいつらに危険を押し付けることがないように、しっかりと勉強しなければならない。
「柊木君、こっちの書類も頼む」
「はい」
「これもついでに」
「じゃあこれも」
「……喜んで」
感傷に浸る間もないほどの仕事量だが、これもまた勉強か。ひとつ苦笑を零してから、目の前の仕事に気合いを入れた。
*
定時をだいぶ過ぎた時間に上がり、帰路につく。
いい加減車買わないととも思いつつ、駅からの夜道を歩くのは嫌いではなかった。デスクワークがメインの現状、多少は身体を動かさないと鈍る。
女性苦手はまだ健在なので公共交通機関は好きではないが、完全に女性に近づかないままでいてはいつまでも治らない。リハビリも兼ねてなるべく人の少ない時間帯に利用するようにしている。さすがにこの歳になるとストーカーに狙われることもなくなったのか、この数年はとても平和だ。
なるべく早く克服しないと、と考えていたとき視界の隅に知った顔を捉えた。
「……お前らまたうろついてたのか」
「げっ」
「うわ、見つかった」
警察庁勤務になってから今日のように帰りが遅くなる日も増えた。そういうときに見つけてしまった、深夜にうろつく未成年たち。自分の職分でないことは重々理解しつつも、時には小言、時には強制的に家まで送還しているうちに交流をもつようになった。
「いい時間だぞ、早く帰れ」
「まだ十一時じゃん」
「もう十一時、だ。そろそろ見回りも来る時間だろ」
こういう者だ、と警察手帳を見せた当初は警戒されたが(警視庁か警察庁かの違いなんて一般人には関係ない)、懲りずに話しかけているとだいぶ懐かれたと思う。
一度は殴り掛かられたことも今では笑い話だ。鍛えてもないガキの拳などに殴られる俺ではないし、ましてこいつらは深夜にふらついてはいるだけで喧嘩とは無縁の平和主義なアウトローだった。マメやタコのひとつもない綺麗な拳にそう指摘してやると、彼らは気まずそうに黙った。
「ひーらぎさんこそ、またこんな時間まで仕事してんの」
「今日は立て込んでてな。ほら立て、全く明日も平日だってのにこんな時間までうろつきやがって」
「どうせ学校いってねえし」
「行けよ。勉強はしといて損はねえぞ」
ひーらぎさんまでそういうこと言うのかよ、と拗ねる子どもに苦笑を返した。
「勉強は出来なくても何とかなるが、出来た方が得なのは確かなんだよ。損得の問題」
「……ひーらぎさんて変な説教の仕方するよな」
「なんだよ。上っ面の説教してもお前らは聞く耳持たないだろ」
「確かにそうなんだけどさ」
ホント変な人、とけらけら笑うそいつらを帰路に追い立て、その後ろ姿にまたひとつ苦笑を零す。根は素直で可愛い奴らなのだ、伊達あたりと引き合わせてみれば懐くかもしれないなんて考えながら、俺もまた帰路についた。
*
帰宅し、適当に食事と入浴を済ませて寝る支度を整える。
明日も早いのだ、早めに睡眠をとらないといけない。そう思ってマグカップを片手にベッドに座ると、ふと写真立てが目に入った。昼間見た警察学校生たちの姿が脳裏に浮かぶ。
警察学校卒業の日、六人で撮った写真はベッドサイドに大切に飾られている。あいつらとの生活は、本当に楽しかった。基本的に友達の少ない俺にとって、あれほど気心知れた友人が出来たのは初めてだった。こんな気の抜けた顔で笑う自分を初めて見たかもしれない、とその写真を見て思う。
「……また、酒でも誘ってみるか」
酒は強くないが、別に全く飲めないわけではないし嫌いでもない。こいつらとなら多少の酒の失敗も許されるだろうという甘えもある。
警視庁の花形、捜査一課を目指して走る伊達に、希望していた機動隊でおもに爆発物処理に当たる松田と萩原。諸伏と降谷は―――忙しいのだろう、滅多に連絡は取れないが。
最近なかなか会う機会も作れなかった。明日にでも連絡を入れてみようと決めて、俺はベッドにもぐりこむ。
その日、久しぶりに警察学校時代の夢を見た。あまりに懐かしく、心地よく、夢が覚めるのが惜しかった俺は、―――これまた見事に寝坊した。
「遅刻ギリギリとは珍しいね」
「夢見が良すぎまして……申し訳ありません」
「本当に焦ってきたんだな。寝癖がとれてないよ」
「……。……鏡を見てきてもよろしいでしょうか」
「いや、面白いからそのまま仕事してなさい」
その日一日、上司先輩にからかい通され、俺はなかなかに恥ずかしい思いをすることになる。
「たまにはそうやって間の抜けたところ見せた方が可愛げあるよ?」
「ははは、嬉しくないです」