いつも人が少ない平日のランチ終わりのこの時間、今日もまた最後のひとりのお客様を見送って、フロアが無人になった。……む、こういう日は、たいてい。
そう虫の知らせが伝えてきたとき、いつものようにベルと共に入店されたのは、最近たまーに目が合うようになった、内心ちょっとだけファンのお客様。いつもと違うのは、少しだけ気まずげな顔をされていて、その後ろに楽しそうな一団がついていたこと。
「いらっしゃいませ」
「……今日はテーブル席、いい?」
「はい、どうぞ! ええと、五名様ですね?」
そうでーす、と軽く返事をしてくれた少し長い髪を後ろでくくった方に、喫煙席で、と付け加えたサングラスが似合う方。それから猫目を面白そうに細め、本当に柊木が成長してる、と呟いた方と、良かったなあ、とそれに同意して頷く大柄な方。
それぞれ個性のある方々だけど、とにかく思うのは。
「いらっしゃいませ。本当に来たのか」
「よ、安室。仕事ご苦労さん」
「こちらの方々も安室さんのお知合いなんですか?」
「ええ、柊木を通して知り合った友人です」
なるほど、やはり。
「やっぱりイケメンのお友達はイケメンなんですね……!」
数秒沈黙の後、柊木さんを除いた四人は揃って噴き出した。それを見てようやく、内心を口に出してしまったことに気づく。すみません、と慌てて伝えると、柊木さんは小さくため息をついて後ろの四人に向かって口を開いた。
「……お前ら、少しは堪えろ。店の中で騒いだら迷惑だろ」
「い、いや、わかってんだけど、」
「悪い悪い、なるほど、柊木が通うわけだな」
何とか笑いを堪えながら猫目のお兄さんが零すと、柊木さんには珍しい少し拗ねた顔をして、黙ってテーブル席の方に歩き出した。
あら、いつもの穏やかな顔はとにかくかっこいいけど、ああいう表情をされるとちょっと可愛いかも、なんて思いつつ、お冷の用意を済ませる。
安室さんにそれを差し出すととゆるく首を振られ、梓さんが行ってあげてください、と背中を押された。お友達なら自分で持っていけばいいのに、と不思議に思いながら、ちゃんと接客の笑顔を作ってお冷を運ぶ。
「お冷どうぞ」
「お、ありがとな」
手前に座った大柄のお兄さんが気を利かせてコップをそれぞれに配ってくれる。さすが柊木さんのお友達と言うか、親切な人だ。
「いきなりごめんね。お姉さんが『榎本梓』さんだよね?」
「え、はい、そうですが」
「安室や柊木から話は聞いてるよ。こいつのリハビリに付き合ってくれてるって?」
髪を後ろでくくったお兄さんが、こいつ、と柊木さんを指しながら言う。柊木さんは若干眉間にしわを寄せて、躊躇いなくその指を掴み本来曲がらない方向へぐぐぐと引っ張った。
「いでででで痛いって旭ちゃん! 何だよ照れることないだろ!」
「うるさい、仕事の邪魔だ」
「か、構いませんよ柊木さん! リハビリに付き合ってると言われても、私は本当に何もしてないんですけど」
「このご面相を前に普通に仕事してくれるだけで十分『してる』んだよ」
サングラスのお兄さんは、面白そうにそう言って紫煙を吐き出した。
その横で頬杖を突きながら、猫目のお兄さんは続ける。
「言ってなんだけど、柊木相手に普通に接してくれる女の子、そうそういないから」
それは、まあ、そうだろう。
詳細は知らないけれど、先日園子ちゃんがとうとうやらかしてしまったと聞いている。柊木さんのルックスのレベルは本当にモデル顔負けというか、そこに座っているだけで絵になるような人だから今までもさんざん騒がれてきたはず。それこそ、女性が苦手になってしまうくらいには。
「だからつい俺たちも気になって、ついてきちゃったんだよ。柊木が普通に女の子と会話するなんて、今まで本当になかったから」
「地道に努力してきた甲斐はあったじゃねえか。なあ、柊木」
大柄なお兄さんの言葉に、柊木さんは唇の端を思い切り下げながらも、お陰様でと、小さく返した。さっきと同じ、その拗ねたような表情には皆さんへの感謝と信頼が確かに感じられて、何だか微笑ましい。
「アンタもありがとなぁ。これでも本人、相当感謝してるんだぜ」
まだうまく会話ができない分、ちゃんと伝えられてないみたいだがな。
そうお兄さんに言われ、え、と固まる。思わず柊木さんを見ると、やっぱりまだ視線は上手く合わないけれど、少し迷いながらも口が動いた。
「……いつも、ありがとう」
恥ずかしそうにというよりは、少し申し訳なさそうに紡がれた言葉。
大したことはしていないのだからお礼を言う必要なんてないのにとも思いつつも、接客業においてお客様から頂く「ありがとう」ほど嬉しいものはない。
「……こちらこそ、いつもありがとうございます」
そんな気持ちを込めてそう返すと、ようやく柊木さんと目が合い、まだ少しだけぎこちないながらも、そっと微笑んでくれた。
「……あ、ごめんもう無理……俺ブレンドで……」
「あ、はい! ごめんなさい!」
さっとメニュー表で顔を隠した柊木さんに、旭ちゃんそこはもうちょい頑張ろ、と一つ結びのお兄さんが柊木さんの肩をぐらんぐらんと揺らし始めた。さすがに公の場で卒倒したくない、とメニューの裏からか細い声が聞こえてきて、思わず笑う。
「ったく、締まらねえな。……ああ、俺もブレンド。いやもう全員ブレンドでいいぜ」
「ふふ、はい、ブレンド五つですね。少々お待ちくださいませ」
サングラスのお兄さんに言われた注文をさっと書き込み、一礼して席を離れた。
後ろからはまだわいわいと賑やかな声と、約一名分の弱弱しい声が聞こえる。柊木さんには申し訳ないと思いつつ、やっぱりまた笑ってしまった。
「すみません、うるさくて」
「いえいえ、そんなことないですよ。安室さん、ブレンド五つお願いします」
「はい」
安室さんも穏やかに苦笑しつつも、やっぱり微笑ましげにテーブルを見つめている。この人のそんな表情もなんだか珍しくて、何だか羨ましくなってきた。男の友情っていう奴? そういうのもいいかもしれない。
「良いお友達なんですね」
そう言うと、安室さんはその大きな目をぱちくりさせ、もう一度彼らの方を見て、それからまた笑った。
「ええ、楽しい人たちなんです」
その言葉はいつも通り安室さんのものだったが、そのときの表情はいつもと違っていて。何だろう、ちょっとだけ安室さんらしくない、いたずらっ子のような顔をしていた。
***
「……何だ、本当に春到来の気配なし? つまんね」
「萩原、本気でその指折るぞ」
ゆらりと距離を詰めると、萩原は冷や汗をかきつつヤダヤダ冗談じゃ~ん、とホールドアップ。お前は本当に何を期待してんだ。
「でも確かに、本当にいい子みたいだな。だけど……いやホント柊木が普通に女の子と話してるのすっげえ違和感」
「わかる」
いつもと変わらない笑顔のまま言い放たれた諸伏の言葉に、松田が深く頷いた。俺は苦い顔をしつつも、今までが今までなだけに言い返せない。
まあまあと伊達が苦笑しながら言う。
「素直に成長を喜んでやれよ。とりあえずひとり、ちゃんと話せる相手ができてよかったじゃねえか。柊木にとっては大進歩だろ?」
「ま~今まで考えればすごいことだし、ぼちぼち行くしかないよね~」
俺なんか食べようかな、と萩原は俺の手元を覗き込む。何かおすすめあるかと聞かれて、ふと思った。
「……そういえばブレンド以外頼んだことない」
「そうなの?」
「普段から長居はしてないから」
ああ、と皆が納得したように頷いた。
店が混み始めそうな気配が出たらすぐに退散したいので、いつでも出られるようにフードメニューは頼んでいない。
「俺も腹減ったな、何か食うか」
「……この、メニューに書いてあるハムサンドって、もしかして?」
「ああ、そうらしいよ。前柊木の家で作ったやつ。ゼロにレシピ渡したんだ」
「確かにあれは美味かったよなぁ。手が込んでたし」
思い出すのは早朝に全員がうちに乗り込んできたあのときの、サンドイッチ。
確かにあれは美味かった。確か味噌だのオリーブオイルだの使っていたし、きっとこだわりがあるのだろう。
「でも、作るのが安室ならいつでも食べれるね。他にしよ」
「頼んでくれていいんだよ? いつでもは作ってあげられないからね?」
気配を消して近づいてきたそいつに、萩原はぎくりと肩を揺らした。降谷は「安室」の顔を崩さないまま、にこにことブレンドをテーブルに並べていく。
「それで、ご注文は?」
にっこりとどこか圧を感じさせる降谷に、萩原はメニューの後ろからハムサンドにします……と小さく答えた。かしこまりました、と答える降谷は満足げだ。こいつ本当にプライド高いよな、知ってた。
「他はどうする?」
「あー……俺、カラスミパスタ。確か他の班の誰かが美味いって言ってたな」
「ああ、梓さん特製のカラスミパスタは刑事さんたちの間で大人気なんだよ。柊木もたまにはどうかな?」
伊達の言葉を受けて、梓さんも喜ぶよ、とにこりと笑った降谷。何となく断りづらい。別に、彼女を喜ばせたくて頼むわけじゃないけれど。
「……じゃあ、俺も」
何となく気まずいままそういうと、降谷の笑みが濃くなる。何か癪。
松田も松田でくつくつと笑いながら、俺も食うわ、とカラスミパスタを追加。その横で、じゃあ俺は安室特製の方にするかなーと諸伏が朗らかに笑った。
「それでは、カラスミパスタ三つとハムサンド二つだね。少々お待ちくださいませ」
にこにこと笑いながらテーブルを離れる降谷に、ようやく萩原は安堵の息をついた。わかってんだけど調子狂うわー……というつぶやきに、苦笑する。あんなに大人しくて礼儀正しい顔の降谷なんてそう見られないので、その気持ちもよくわかる。
「それはそうと柊木、ここで子供を盾にして女の子かわしたって?」
「その話をするなら俺は今すぐ帰るぞ」
「顔こっわ」
確信犯で愉快犯の諸伏がけたけたと笑う。あれは落ち込みが過ぎて、一週間ほど引きずった。いや、今でも思い出すだけで死にたくなる。子どもを盾にするくらいなら自分が卒倒したり号泣したりする方がどれだけかマシだ。
降谷から連絡がいったらしく、あの後同期からもからかい交じりの慰めのメッセージをもらったが、諸伏からは慰めついでに「ゼロがイケメン崩壊するくらい笑ってた」という密告ももらったので、降谷のことは許さない。とりあえず道路交通法を無視する白いRX―7を最近よく見かけると交通部にチクっておいた。どうせ偽造した免許くらい持っているだろう。「安室透」として罰金食らえばいい。
「子どもってあの坊主だろ? ホントに連絡とってんのか」
「そんなに頻繁にじゃないけどな。一応反省はしてくれたみたいだよ。ああ、少年探偵団の方も大人しくしてるらしい」
まだたまに暴走しそうになるが、そのたびにあの茶髪の女の子がちくりと「ズル、するの?」と言うとぴたりと止まるとか何とか。そう言うと、萩原は少しだけほっとした顔をした。
「そりゃ良かった。慣れないことした甲斐があったわ~」
「まさか萩原が人に説教する日が来るなんてなぁ。しかもちゃんと子供たちに言うこと聞かせられるとは」
「頭ん中がガキのまんまだから同じ目線で説教ができたんだろ」
「やだ陣平ちゃん、聞き捨てならな~い♡」
うんうんと感心したように頷く伊達に、松田はさらりと言った。萩原はひくりと頬を引きつらせ、俺結構頑張ったんですけどと言葉を重ねる。
その言葉に苦笑しつつ、俺も口を開いた。
「相手の目線に合わせて話ができるのは萩原のいいところだよ、松田」
「旭ちゃん……!」
「たとえ説教の中身が『お前それいいのかよ』と思う内容でも、伝わればいいんだ」
「何この上げて落としてくるスタイル」
説教は内容よりも結果って言ったの柊木なのにと萩原はさめざめと泣いてみせる。あれ、俺は普通に褒めたつもりだったのだが。
「お待たせいたしました」
そのタイミングで、降谷が頼んだ料理を順番に運んできた。相変わらず楽しそうだね、と言葉をそえて。
「楽しそうに見えんの? 俺いじめられてるんだけど!」
「うん、皆で萩原をいじめるのが楽しそうだ」
「あれ安室ってもっと優しい性格じゃなかった? もっと言葉選んでくる奴じゃなかった?」
「やだなあ、何を言ってるんだい? 僕はずっとこうだよ」
設定若干ねじまげてでも萩原をいじめることをやめない降谷にいっそ感心する。
俺の味方なんてどこにもいない、と涙を流す萩原に、松田は吹き出し、諸伏は遠慮なくけたけたと笑った。
「今日はこの後、また柊木の家?」
「そのつもり。安室も来る?」
「どうしようかな……少し仕事もあるし」
「柊木が車買うっていうからいろいろ店見てカタログもらってくる予定なんだが」
「行く」
一瞬で降谷の目の色が変わった。予想通りの展開。
「つまりこれからディーラー巡りかい?」
「ああ。こいつ、見張ってないと適当に目についた軽四で済ませそうでな」
面白そうに松田が言うと、すっと降谷の笑顔が濃くなった。
オイそれ「安室透」じゃなくて「降谷零」の笑顔だろ、やめろ仕事中に。
「……軽四。いや、軽四が悪いとは言わない。最近のは形も性能もいいのが多いし、小回りが利くのも素晴らしい利点だと思う」
「……安室」
「だけど致命的に柊木には似合わないんじゃないかな? ルックスや地位との釣り合いも大事だと思うよ?」
今晩、僕もカタログをもってお邪魔するね?
圧を感じる笑顔で言われて、もうどうにでもしてくれと頷いた。致命的に似合わないってなんだ、軽四の何が悪い、どうせ家族つくって乗せる予定もないし、車なんて動きゃいいじゃねえかといろいろと思うことはあるが、口に出すと絶対面倒なので言わない。
スポーツカー買わされないように気を付けよう心に決めつつ、カラスミパスタを口に入れた。あ、美味い。
「そういや柊木、何で車が必要になったんだ?」
「だってお前ら出世して前より忙しくなっただろ」
「? ああ」
「荷物持ちに使えなくなっていろいろ不便でな」
バイクだと積載量に限界あるしと何気なく付け加えると、一拍おいて俺が特によく「使う」三人、松田萩原諸伏が真顔になった。
「すぐに車買え」
「今日中に車種決めよう」
「次の休みには買いに行けるようにしような」
そんなに荷物持ちから逃れたかったのだろうか。
俺そこまでこき使ったっけ、と首を傾げると、三人からジト目で見つめられた。
「柊木ってそういうとこあるよな」
「うん、もう諦めてるけどさ」
「素で暴君なんだもんなー」
「暴君? 俺が?」
別にお前らを配下なんて思ってないけど、ときょとんとすると、三人は一斉に溜息をつき、伊達と降谷は苦笑した。え、何で?
苦笑した降谷がそうだ、と思い出したように口を開いた。
「そういえば最近なんだけど」
「何?」
「犬を飼い始めたんだ」
「お前どこにそんな暇あんの?」
降谷のおかげで連日寝不足の諸伏の表情が、すっと消えた。