六花、欠けることなく   作:ふみどり

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「ゼロ、俺はな、何も犬を飼うなと言ってるわけじゃないんだ。ただ、お前はいくつも顔を使い分けて大変な生活を送っているわけだろ? そこにわざわざ犬の世話って仕事まで加えなくてもいいんじゃないかっていう話でな? 命を育てるんだ、適当な世話なんか許されないし、犬だったら散歩とかも必要だろ? 俺としては、その時間をちゃんと自分の休息のために使ってほしいんだよ。そのために俺は毎日身を粉にして書類をさばいているわけだしな? いや、犬を飼うことで癒しになるっていう考え方もあると思うし否定はしないよ。だけど、そのために世話に手間のかかる犬を飼うくらいなら、登庁して書類の一枚も片づけてほしいっていう俺の気持ちもわかってほしいというかな?」

 

 最近あんまり見なかったな、この光景。警察学校時代はたまに見たけど。

 何となく懐かしい思いを抱えながら、降谷に正座をさせ、その目の前で仁王立ちをして笑顔のまま言葉を重ねる諸伏を見る。なんだかんだでお互いに甘い奴らなので滅多にないが、ごく稀に降谷が諸伏を怒らせると見られる光景だった。

 外野から下手に横やりを入れると巻き込まれることをよく知っているので、俺たちは遠巻きにそれを見ながらビールを呷る。

 ちなみに降谷の横にはちょこんと小さな白い犬が行儀よくお座りしている。お目見えしようと思ったのか、わざわざキャリーバッグにいれてうちまで連れてきていた。

 

「の、野良犬だったんだけど、懐かれて……離れてくれなかったんだ」

「情が移ったのはわかったけど、別に自分で飼う必要はなかったんじゃないか?たとえば交友関係の広い萩原に言って、貰い手を探すことだってできたはずだろ?」

 

 諸伏のもっともな言葉に、降谷がう、と口ごもる。

 完全に犬を拾ってきた「子ども」と元居た場所に返してきなさい、と叱る「母」の図だ。諸伏ママは滅多なことでは怒らない代わりに一旦怒ると怖い。

 降谷が返す言葉を必死に探していたその時、座っていたわんこが立ち上がり、とてて、と諸伏の足元に駆け寄った。

 

「あ、こら、ハロ」

 

 きゅうん、と諸伏を見上げ、尻尾を振るわんこ。ぴくり、と諸伏が震えた。まるで遊んで、とでも言うように首をかしげてみせる。また諸伏はぴくりと震えた。

 

「……ヒロ、……可愛いだろ?」

「いや、あのな……」

「可愛いだろ?ハロっていうんだ」

 

 名前を呼ばれてハロくんは嬉しそうに一声鳴いた。ぱたぱたと振り続ける尻尾は止まらない。ダメ押しとばかりに降谷はハロくんを抱き上げ、あざとくその前足を振ってみせた。

 

「可愛いだろ?」

「……可愛いけどさぁ……!」

 

 はい陥落。諸伏は膝をついて項垂れた。くっそ可愛い……という声が聞こえてくる。それを見た降谷は勝ち誇った笑みを浮かべた。

 ほぼほぼ予想通りの展開に俺たちも苦笑。そもそも諸伏は動物好きで犬好きなのだ。降谷の勝利は最初から目に見えていた。

 

「卑怯だぞゼロ……そのためにわざわざその子連れてきたんだろ……!」

「何の話だ? 僕はうちの子自慢がしたかっただけだ」

 

 ふふんと笑って見せる降谷に、諸伏が歯噛みする。

 そろそろいいかと、俺はふたりに声をかけた。

 

「その辺にしとけよ、諸伏」

「だけどな柊木!」

「気持ちはわかるけど、その子も完全に降谷に懐いているみたいだし、今更引き離すのも可哀想だろ」

「う……」

 

 再び床におろされたハロくんは、見慣れない部屋に来たにも関わらず、特に怯えた様子もなく降谷にくっついている。それだけ降谷を信頼しているということだろう。

 

「降谷だって、お前の気持ちをわかっていないわけじゃない。きっとこれからお前にまわされる書類の量だって減るはずだ、そうだろ?」

 

 頷けよ、という念を込めて降谷を見ると、降谷は一瞬硬直しつつも頷いた。すまなかった、ちゃんとお前に無理させないように考える、とはっきりと言う。降谷は言ったことは守る奴だ、これで少しは諸伏の生活も改善されるだろう。

 

「……俺はお前に無理をしてほしくないんだ」

「わかってるよ。心配かけてすまない、ヒロ」

 

 降谷が苦笑を返したところで、とりあえず説教は終了。結局のところ諸伏は降谷が心配なだけなので、ある意味ひどい痴話喧嘩を見せられた気分だ。やれやれと手元のビールを呷る。

 

「諸伏、説教終わったんならお前もカタログ見るの手伝えよ」

「旭ちゃんたら本当にどれでもいいとか言うしさー。全く、未来の警視総監様が適当な車とか乗ってたら爆笑通り越して泣けてくるってのに。せっかくだから格好いいやつ買おうよ格好いいやつ!」

「……え、何、未来の警視総監て」

「一課でのお前の呼び名。期待されてるぞー?」

 

 伊達の言葉に何て返したらいいかわからず、ただ苦笑する。できるだけ出世は頑張るつもりだが、警視庁のトップとはまた気が早い。

 そのとき、ぽてっと膝に軽い感触。ん、と下を見ると、ハロくんが俺の膝に両足を置いていた。

 

「柊木は動物平気だったよな?」

「ああ。しかし都内に野良犬なんて珍しいな。しかも人懐っこい」

 

 わしゃわしゃと頭を撫でてやると、気持ちよさそうに耳を倒してくれた。白い毛並みはふわふわとしていて、日ごろしっかりとブラッシングされていることがよくわかる。降谷が抜かりなくシャンプーもしているのだろう。

 

「賢い子なんだ。柊木のこともすぐ覚える」

「……だからって、お前が面倒見れないときに預かる気はないからな?」

 

 うっと降谷は詰まった。やはり。

 諸伏の御説教から逃れるためだけでなく、俺の部屋に慣れさせて、仕事が忙しくて帰れない日は預けようとでも思っていたのだろう。いくら俺が内勤で、ある程度勤務予定が予測できるからって人を当てにして生き物を飼うのは良くない。

 

「拾ったからには自分で面倒見ろよ」

「わかってる……」

 

 気まずそうに頷いた降谷は、それはともかくと鞄から分厚いファイルを取り出した。嫌な予感。

 

「で、これが僕のおすすめの車のリストと詳細だが」

「お前この短時間にどうやってそれ用意したんだ」

 

 お前は夕方までポアロで勤務、その後そう時間を置くことなくうちにやってきたはずだ。こんな分厚いデータファイルをまとめる時間なんてあるはずがない。

 えっなに見せて見せてと車好きの萩原は目を輝かせているが、頭の痛そうな顔をした諸伏は苦々しく言う。

 

「……ゼロ、風見さん使ったな?」

 

 その低い声に、降谷は顔色を変えることなくしれっと言い返した。

 

「印刷だけ頼んだ。データ自体は俺が趣味でまとめていたものだ」

「仕事以外のことで部下をこき使うなよ……あの人だってお前のせいで結構寝てないんだからな?」

 

 そう目を吊り上げる諸伏の言葉に、ん、とファイルを開いていた萩原が反応する。

 

「その『風見さん』って、公安部の風見裕也警部補?」

「何だ萩原、知ってるのか?」

「ちょっと前に臨場した爆破事件、テロ容疑があるっつって公安に引き継いだんだけど、その時に顔だけ見た。エリート然とした嫌味っぽい奴だと思ったけど、降谷にこき使われてる部下さんなのか。急に気の毒になってきたわ」

「常日頃振り回されている可哀想な人なんだ。邪見にしないであげてくれ」

 

 萩原の言葉に深く深く諸伏は頷いた。確かに俺も降谷の部下とか絶対なりたくないもんね、と萩原も頷く。カタログから目を上げた松田と伊達も、そりゃ気の毒だと同意した。その様子に降谷は憮然として言い返す。

 

「お前ら僕を何だと思ってるんだ。僕だってちゃんと『上司』やってるぞ」

「ちゃんと『上司』やってる奴は部下を寝不足にしたりしねえと思うぞ」

 

 うりうりとハロくんの顎元をくすぐりながら俺が言うと、降谷はうっと言葉に詰まった。部下に無理をさせないのも上司の仕事だよなーと話しかけると、ハロくんはこてりと首を傾げた。可愛い。

 

「……それはともかく車選びだ、柊木。人任せにしすぎるのは良くない」

「無理やりな方向転換」

「都合が悪くなると逃げるのは良くないぞ、ゼロ」

「うるさい」

 

 とにかく、と降谷は萩原の手からファイルを抜き取り、俺に押し付ける。うわ、おっも。これ全部読む気がしねえんだけど。というかこれ趣味でまとめてたってお前本当に仕事しろよと思う。

 

「今後現場にまわされる可能性がないとは言えないだろう。そういうとき、もしかしたら自分の車で犯人を追わないといけないかもしれない。だからちゃんと車は選んだ方がいい」

「カーチェイス前提に車選ぶのやめよ? 俺もっと平和に出世するはずだから」

「絶対にそうだと言い切れるか?」

「真顔やめろ、怖くなるだろうが」

 

 脅しにかかる降谷にやれやれと首を振りながらファイルを開く。中の資料は確かに見やすくまとめられているが、量が量だけにやはりげっそりとしてしまう。

 

「お前ならこれくらい一時間かからず読めるだろ」

「仕事じゃあるまいし、一時間もかかるような車の資料読みたくねえよ……降谷、おすすめ上位三点をプレゼンしてくれ。一車種あたり五分な。萩原も言いたいことあったら補足して」

 

 おっけー、と萩原は上機嫌で手を上げる。諸伏も俺の隣で聞く姿勢に入り、ちゃっかりハロくんを抱き上げてわしゃわしゃと撫でていた。

 

「上位三点、一車種あたり五分だな。しっかり聞いてろよ」

 

 いきなりのプレゼンに特に怯むこともなく、むしろ嬉々として話し始める降谷に、まるで水を得た魚だな、と少し苦笑した。ちなみにプレゼンは八割方聞き流すつもりだが、とりあえずそれがバレないように車種名だけ覚えておこう。

 

 

 *

 

 

 熱のこもったプレゼンを聞き流し、終わっただろうところで拍手を送る。降谷はやりきったと言わんばかりの笑顔で、萩原と固い握手をかわしていた。

 萩原の車好きは以前からだが、いつのまに降谷もこんなにハマってしまったのだろう。諸伏に視線を向ければ、RX-7見て以来ハマったみたい、と耳打ちされた。降谷もわりと影響を受けやすいところがある。

 

「それで、どうするんだ柊木?」

「とりあえずお前のおすすめ三つを次の休みに試乗してみるよ。それから決める」

「そうか! また相談に乗るからな!」

「何だったら試乗も付き合うからね!」

 

 ありがとう、と笑顔を返すと、ふたりは満足げに頷いた。よし、聞き流したことはばれてない。まあ一応乗るだけ乗ってみよう、それから決めればいい。

 

「じゃあちゃんといい車買うんだぞ柊木、もう荷物持ちしねえからな」

「そこまで念押さなくても……ちゃんと荷物持ち頼んだ後は飯作って埋め合わせしてただろ」

「確かにいつもリクエストしたもん作ってもらえたのは嬉しかったけど~」

 

 米の大袋と調味料の大瓶持たされるのはさすがにちょっと勘弁かな……と萩原が遠い目で続ける。諸伏と松田も全力で頷いた。残念。

 

「というか何でいつも俺らなんだよ、降谷と伊達にさせた話は聞いたことねえぞ」

「降谷は純粋に予定が合わないし、あんまり外で接触するのもなと思って。あと伊達は婚約者さんとの時間優先したいかなと」

 

 俺もさすがにお前らに彼女ができたら遠慮するんだけど。

 そう続けると、三人そろって項垂れた。お前らモテそうなのに何で彼女できないんだろうな、と追い打ちをかけようかと思ったがさすがに殺されそうなのでやめた。ドンマイ。

 

「あー、まあ、俺は予定が合えば付き合うぞ、柊木」

「助かるよ、伊達」

 

 苦笑する伊達に笑顔を返す。こういうところが彼女できる奴とできない奴の差なのではないだろうか。そうかもしれない。

 そのあとも車のカタログをぱらぱらと見たり、ハロくんとじゃれて遊んだりしているうちに時間は過ぎていく。いつものように空のビール缶が山になるころ、俺は食べ散らかしたつまみの皿をキッチンで洗っていた。酔っ払いたちがハロくんとじゃれる声がリビングから聞こえてくる。

 

「柊木」

「ん? ああ、まだ皿あったか。ありがと」

 

 リビングにいたはずの降谷がいつの間にか背後に立っていた。見逃していた空の皿を持ってきてくれたのだろう、濡れた手でそれを受け取る。

 再び洗い物に戻るも、降谷はその場を動こうとはしなかった。

 

「降谷? どうかしたか?」

「……柊木」

「ん?」

 

 深く考えずに聞いてくれ。

 飲み会の夜に似合わない真面目な声に、思わず手を止める。

 

「警戒する相手から情報を聞き出す場合、お前ならどうする?」

 

 そういうのはどう考えてもお前の方が詳しいのでは。そう思いつつも、とりあえず真面目な質問らしいので真面目に答えておく。

 

「心理的に揺さぶって、プレッシャーをかけた後に一旦油断させる。そんで情報を守り切ったと相手が安心した時に罠を張るかな」

 

 二段構え、あるいは三段構えで口を割るように誘導する。監察官としてもたまに使う手だ。

 俺の答えを聞くと、降谷はそうか、と頷いた。安心したような、少し申し訳ないような、変な顔をしている。

 

「……何だよ」

「何でもない。特に意味はないから気にしないでくれ」

 

 とてもそうは見えないが、言わないからには言わないだけの理由があるのだろう。そう思ってそれ以上質問を重ねることはしなかったが、確かにその時の降谷は、何か決心したような顔をしていた。

 平和で穏やかなはずの夜が、静かに更けていく。

 

 

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