それは、工藤邸に乗り込む前夜のこと。
仕事を終えて帰ろうとしていた柊木を警視庁の一室に呼び出した。
「……いきなり何なんだよ」
仕事後で少しくたびれた様子の柊木は、俺とヒロのほかに誰もいないことを確認して首元のネクタイを緩めた。いつもの品行方正な態度が崩れ、素の柊木が顔を出す。
「俺だけ呼び出すって、何かトラブルか?」
「いや、ちょっと雑談がしたくなったんだ」
「意味わかんねえんだけど。諸伏、降谷寝てねえの?」
「うーん、確かに昨日は俺も降谷も徹夜だったかなぁ」
そう苦笑するヒロをよそに、呼び出しといて雑談って何なんだよ、俺帰りたいと、遠慮なく文句を言う柊木に少し笑う。ああ、早く帰りたいというならさっさと済ませてしまおう。
「柊木、昔よく戦略立てて遊んだの覚えてるか」
「警察学校の時の? ミステリーにあった事件とか実際にあった事件を題材にして自分ならどう対応するかって言い合ってた奴?」
「ああ」
一番最初のきっかけは、確か有名な刑事ドラマの話になったことだったと思う。銀行での立てこもり事件を、ドラマの中の刑事たちは鮮やかに解決していた。しかしフィクションはフィクション、まだ卵だったとはいえ警察官を志していた自分たちからすれば、その制圧には抜けも多かった。
『あれじゃ人質が危険だよな』
『ああ、拳銃を所持している犯人に対してあの行動は無謀だと思う』
『犯人側との会話も成立してんだから、もう少し粘ってもいいと思うんだよ』
『確かに、交渉の余地があるなら時間をかけてでも安全策に出るべきだろう』
ああだこうだと話し合い、いつの間にか白熱して、それから他のミステリーや事件においてもそんな話をするようになった。時には他の同期たちも巻き込んで議論を重ね、そのたびに感じる、柊木の作戦立案能力の高さ。
日ごろの見せる優しさとは裏腹に、どこまでも冷静に冷徹に容赦のない策を練る柊木に、正直なところコイツの本性はどこにあるんだと、二面性を疑いもした。だが、いつだって被害者だけでなく制圧にあたる警察にも被害が出ない策を考えるコイツを見て、やっぱり優しい奴なのだと反省したことを覚えている。
「あの遊びを、もう一度やりたいんだ。柊木」
そうにこりと微笑んで見せると、全てを察した柊木はすっと表情を消して立ち上がろうとした。それを柊木の背後に立っていた景光がさっと押さえつける。
「まあまあ柊木、ほら遊びだから。ちょっとだけ付き合ってやって?」
「どう考えても遊びじゃねえだろそれは。俺は警務部の人間だぞ、そっちの仕事はそっちでやれ。越権行為と情報漏洩も承服できない」
「遊びだよ柊木、俺が警務部の人間を公安の事件に巻き込むわけないだろ?」
「その嘘くさい笑顔をやめろ。……何だよ、作戦ならお前だって立てられるだろ」
「だがお前には劣る」
そうすっぱりと言うと、柊木は驚いたように瞬きをした。何だよ、俺が敗北を認めるのがそんなに珍しいか。悔しいが事実なんだから仕方がないだろう。
「これは遊びだ、柊木。お前はただ、これから俺が説明する作戦について、思ったことを言ってくれればいい。個人名や地名、詳細を言うつもりはないし、作戦自体にお前を巻き込むことは決してない。フィクションの話だとでも思ってくれ」
そこまで言い切ると、柊木は苦虫をかみつぶしたような顔になって、座りなおした。結局、柊木は俺たちの「お願い」に弱い。
ごめんな柊木、お前が断らないのを知っていて頼んでいる。
「……フィクションの話なんだよな、降谷」
「ああ、フィクションだよ」
柊木の背後でヒロが親指を立てる。
それに笑顔を返し、俺はあのいけ好かない赤井秀一確保の段取りを説明し始めた。
***
ゼロが作戦の流れを説明する間、柊木は遮ることなくじっと話を聞いていた。時折指が何かを辿るように動き、頭がゆっくりと左右に揺れる。柊木が考え事をするときの癖だ。
全ての説明が終わったとき、柊木は十秒ほど目を閉じて考え、またゼロを見据えた。
「概要は把握した。敵組織とはまた別の、第三者的組織の一員である『対象』を確保したいってわけだな」
「ああ。この作戦、どう思う」
「別に悪くはないんじゃないか。作戦自体はシンプルだが、その方が動きやすいし。……ああ、一応大前提確認しとくけど」
「何だ?」
この作戦やお前が「対象」の変装に確信をもったことを相手にバレている可能性は。そう問われ、ゼロが数秒考える。今までの行動を振り返っているのだろう。
「……そういえば、バレている可能性もあるな」
「じゃあダメだその作戦、抜け道がある」
あっさりと柊木は切り返した。え、とゼロとふたりで硬直する。
「その変装がどれほどのもんなのか知らねえけど、もとの『対象』の本来の姿とは全く違う、別人レベルなんだろ?」
「ああ、変装としては相当なレベルだと思う」
「完璧な変装であるという前提で考えて、正体がバレたことを悟った『対象』はどうするか。俺なら中身を入れ替えるね」
時が止まった。変装の「中身」の入れ替わり。赤井と別の死体をすり替えて死亡偽装までやってのけた奴らだ、有り得る。声も見た目も変えてしまう完璧な変装であるがゆえに、中身が入れ替わっていても気付けない。
しかもおそらく赤井の変装は赤井自身の技術によるものでなく、変声機や特殊なマスクに頼ったもの。それなら、他の誰にだって「沖矢昴」になることは可能だ。
「中身に誰使うかは……微妙だな、同じ組織に属する仲間か、また別の協力者か。潜伏に外部の協力者の存在は不可欠だし、そこらへん調べてみればいいんじゃねえの」
外部の協力者、そう言われて浮かぶのはやはりあの小さな探偵。いやしかし、彼では体格が違いすぎる。他の協力者と言われれば―――たとえば、あの家を貸している工藤家の人間。
同じことを思い至ったのか、その瞬間ゼロと目が合った。
「……ヒロ、彼らの所在を確認してくれ。出入国の記録も含めてだ」
「了解」
スマホを取り出して連絡をまわした。確か息子である工藤新一は行方が知れないらしいが、工藤夫妻は海外に生活拠点があったはず。最近の帰国の状況についても調べておこう。
「あとはそうだなー……お前本当にカーチェイス好きな」
「別に好きと言うわけでは」
「カーチェイスを追い込み漁的に使うのは悪くねえと思うけど、とどめと言うか保険は別に用意しておいた方がいいんじゃねえか」
カーチェイスだけで何とかしようと思ったら、追いかける側だって無茶しかねないだろ、大事故になるぞと呆れた様子で言われ、む、とゼロは黙った。
「ちなみに保険ってたとえば?」
「お前自分の特技も忘れたの?」
ちょっと口を挟んでみると、柊木はさらに呆れた様子で、疑問に疑問を返された。えっ俺の特技ってまさか。
「地理的条件にもよるけど、ある程度カーチェイスの場所が絞り込めるなら狙えるスポットはあるはずだ。数でこちらが勝るなら、足さえ潰しちまえばこっちのもんだろ。自分たちの車ぶつけて止めるよりは平和的だし安全なんじゃないか」
お前の言う「平和的」って何だろうと頭の片隅で思いながら、来葉峠の地理を頭の中に思い浮かべた。道は入り組んでいるが、確か途中でストレートの道がある。俺は赤井のようにロングレンジを正確に的に当てる技術はないが、そこそこの距離であればたとえ動く対象相手でも外さない自信はある。昼間のうちに下見しておけば、決して不可能な策じゃない。
ゼロに向かって頷いてみせると、同じように頷きを返された。
「ま、その辺踏まえて練り直せば何とかなるんじゃないか」
こき、と柊木は肩を鳴らす。めんどくさいと言わんばかりの顔に、思わず苦笑した。ゼロの策を受けてそれだけの指摘をさらりとできるのに、柊木的には大したことをしたつもりはないらしい。ゼロからすれば、そういうところも含めてなかなか柊木に勝てないのが悔しいのだろう。
「ああ、悪いな。『フィクション』の話に付き合わせて」
「本当だよ。まあ、その『フィクション』の作戦が成功するよう祈っておくよ。ようやくお前らにも手足ができるようで安心した」
その言葉にえ、とゼロは固まった。柊木もきょとんとする。
この作戦の成功後については、ゼロと俺とでは意見が分かれていた。赤井を組織に売ることでより深く組織に食い込もうとするゼロに対し、それは早計ではないかと俺は止めていた。別に情で赤井を助けたいと思うわけではないが、FBIはどうやらCIAからの潜入しているキールとコネクションを持っているようだし、赤井自身も相当に優秀な捜査官だ。みすみす餌にして捨てるには惜しくないかと、俺はそう主張していた。
「何、そいつ捕まえた後は使わねえの?」
「使うって……」
「敵組織に売ろうとでもしてたか? それも悪くはないけど、もったいなくないか」
「もったいない?」
焦りすぎるのはお前の悪い癖だぞ、と柊木はさらりと言って、言葉を重ねた。
連日徹夜をしてしまうほど人手が足りてない現状で、わざわざ使えそうな手足をさっさと売ってしまうなと。情報収集なり荒事なり、使って使って使いつぶして、それ以外の使い道がなくなったときに売ればいい。
そう笑顔で言い放った柊木に、きっと悪魔はこういう顔で笑うんだろうな、と俺は思った。俺公安でわりとヤバイこともそれなりにやってきたけど、コイツの発想の方が怖い。
「……なるほど」
そして確かに、という顔で頷かないでほしい。確かに、確かに理には適っているけども。
とりあえず赤井を売ることはやめてくれたらしいので、もうそれだけでいいかと遠い目になった。
感謝しろよ赤井、この悪魔のおかげでお前命拾いしたぞ。多分死んだ方がマシってくらい使いつぶされるけど。そこは違法捜査含め数々の犯罪行為を繰り返した代償として甘んじて受け入れてもらおう。
「んじゃ、もういいか?」
「ああ、いきなり呼び出して悪かったな、柊木」
「別にいいけど。もうこんな『遊び』は勘弁だぞ」
「ああ、もちろん」
柊木の言葉に、ゼロはにこりと笑顔を見せた。その笑顔に少し違和感を覚える。これは、何か隠している時の顔に見えるのだが。
「……降谷?」
柊木も何かを感じ取ったのか、少しけげんな顔でゼロを見つめた。ゼロは笑顔を崩さないまま、何だ、と軽く返事をする。
「……。……俺にできることなら手伝うし、言えないことは聞かないが」
「助かる」
「けど、何か企んでんなら俺が怒らない程度のレベルで頼むぞ」
「それはどの程度のレベルだ?」
「オイ真顔で返すな」
冗談だとゼロが笑い、柊木も苦笑を返す。
じゃあな、と帰っていく柊木を見送り、俺たちもデスクに戻った。
「作戦を立て直す。諸伏は夜が明け次第、スポットの下見に行ってくれ。それまでは仮眠でいい、明日に向けて万全に体調を整えろ」
「了解」
「風見、工藤夫妻の所在は?」
「こちらに出入国の記録が」
渡された書類に、ざっと目を通す。一瞬でゼロの唇の端が上がった。先に記録を見ていたのであろう風見さんが、不思議そうな顔で言う。
「明日は確かマカデミー賞の授賞式がアメリカであるはずです。もう出国していないと間に合わないはずですが……」
「間に合わせる気がないということだろう。当たりだな」
「さすがあいつだな。じゃあ俺は心置きなく仮眠してくる」
ひらりと手を振って仮眠室へ足を向けた。
背後からはゼロが矢継ぎ早に指示を飛ばしているのが聞こえてくる。明日の作戦に向けて明らかに高揚している幼馴染に、ふと苦笑した。
「……しかし、何を企んでるんだ、あいつ」
さっきのゼロの顔は、確かに何かを企んでいる顔だった。しかも、柊木に対して。今回のこと以外でも、何か柊木に頼み事でもする予定なのだろうか、と首を傾げつつ、俺は仮眠室の狭いベッドにもぐりこんだ。
そして俺はそのちょうど二十四時間後、完全に柊木の読み通り、赤井の手にあった拳銃を弾き飛ばし、その車のタイヤに鉛玉もぶち込むことになる。うんうん、最終的に誰も怪我してないんだから、これは「平和的」の範囲、のはず!
そう無理やり自分を納得させて、俺は肩にライフルケースを担ぎあげた。
***
初めて向かい合った初老の捜査官は、到着した段階で覚悟を決めた顔をしていた。こちらが迎えをやった理由も、到着した先が警察庁だった理由も、もうとっくにわかっているのだろう。
「……うちの捜査官のことはいい、協力してくれた彼は無事だろうか」
彼と言うのは、コナン君のことだろう。おそらくこの捜査官は、この夜の詳細を知らない。工藤優作氏が関わっていることを知らないから、「彼ら」と言わず「彼」と言ったのだ。
開口一番に確認するのが協力者の無事だったことには、素直に感心した。
「ご心配なく。危害は加えていませんし、今後もそのつもりはありません。もちろん、罪に問うこともしないつもりです」
「……ご恩情に、感謝する」
すっと綺麗に頭を下げた彼に、国は違えど確かに「警察」なのだと実感した。だったら最初から法に則ったやり方で動いてほしかったものだが、それをしなかった理由、できなかった理由もだいたい察している。
「そちらの捜査官も、拘束はさせてもらっていますが無事ですよ。無傷です」
「……日本警察は、随分と優しいようだ」
「そうでしょう? ……日本警察に捜査協力を求めなかった理由は、こちらの内部に鼠がいる可能性を考えていたからですね?」
ジェイムズ・ブラックは一切の顔色を変えず、そっと目を伏せた。そして、ゆっくりと頷く。
「……FBIも長く例の組織を追っているが、未だに実態を掴み切れていない。ただわかっているのは、世界各国にまたがる犯罪シンジケートであり、おそらく相当に地位の高い……たとえば資産家や政治家といった、影響力の強い人物とつながりが考えられるということ。そして、何かと日本と言う国と縁があるということくらいでね」
日本にいる、「影響力の強い人物」が組織とつながっている可能性が、否めなかった。その「人物」が、日本警察の動向や情報を得られる立場にいないという保証がなかった。
「だから日本警察を避けたんですね。こちらに捜査協力を持ち掛けることで、何らかの情報が組織へと伝わってしまうかもしれないことを危惧した」
随分と舐められたものだ、と思う。しかし半面、組織と直接関わりのある人物ではなかったにしろ、確かに日本警察にも鼠がいたのも事実だ。そのせいで景光の潜入は失敗に終わり、今だって堂々と顔を晒せない生活が続いている。
「……しかし、そちらのしたことは違法捜査に他ならない」
「承知している。私のことも拘束し、FBIに正式に抗議を送ってもらって構わない」
謝罪の言葉が出ないのは、間違ったことをしたとは思っていないからだろう。彼らの目的は、ただ「組織を壊滅させること」。その目的に向けて彼らは彼らの最善を尽くし、この国で捜査を続けた。そしておそらくはそれが発覚した時、どうなるかも理解していた。少なくともこの人は、その覚悟をもって日本に来ていたのだ。
「……国が違えば文化が違い、主義が違う。正義や捜査に対する考え方も当然異なるでしょう。そういう意味で、貴方方のやり方を肯定こそできなくとも否定はしません」
そう言うと、彼は初めて驚いたように目を瞬かせた。どうやらこの展開は予想していなかったらしい。少しだけ唇の端を上げて、微笑んで見せた。
「取引しましょう、Mr.ブラック。正式に日本警察と捜査協力の協定を結んでください。そうすれば貴方がたはFBIからお叱りを受けることもなく、今後も日本で捜査を続けることができる。捜査協力の協定開始の日付を誤魔化せば、今までのことも不問にできます」
本国への強制送還は、貴方方も本意ではないでしょう?
そう微笑むと、彼もまた数拍おいて苦笑し、肩をすくめてみせた。
「そちらの要求は?」
「FBIがもつ、組織に関わる全ての情報を。キールとの繋がりもあるでしょう、そちらから得た情報も共有していただきます。また、捜査における指揮権は我々がもちます」
「君たちの手足になれと」
「何か不服でも? ここは我々の国だ、これ以上の好き勝手は許さない」
「ちなみに、断った場合はどうなるのかね?」
面白そうに尋ねた彼に、そうですね、とあえてもったいぶって見せた。
「もちろんFBIからのお叱りは受けて頂きます。それから違法捜査の対価として、……『赤井秀一』の身柄を頂きましょうか」
ぴくり、と彼の肩が揺れた。ああ、動揺を見せたな。強がってみせても、やはり仲間の身は心配らしい。交渉事において動揺を見せることは、急所を晒すことに等しい。
「彼を組織に売り渡します」
そして俺が組織での地位を固めるための、犠牲になってもらう。もちろんそのあとは、責任をもって組織を潰すので是非安心していただきたい。
そういう気持ちを込めて笑って見せると、彼はすっと両手を上げた。
「取引に応じよう。我々は君たちの指揮下に降りる」
「ご英断に感謝します」
ではさっそくその用意を、と腰を上げると、降参の意志を示した彼は苦笑した。
「君の話は赤井君から聞いていたが……話に聞くより、ずっと恐ろしいな」
ずっと有能で、ずっと冷徹だ。うちの捜査員たちにも、見習わせたいほどに。
その素直な賞賛に、僕は少し考えて、改めて笑った。
「ええ、恐ろしいでしょう? 僕
優秀な人間は、決して僕ひとりではない。