FBIとの正式協定の話も終えて、そろそろ夜明けも過ぎ、朝の出勤ラッシュが始まろうかと言う時間になった。ヒロや風見に少し休んではと勧められたが、そんな暇はない。というより、とんとん拍子に進む事態に高揚して眠れそうにない。
FBI、そしてCIAの情報を得られるようになったことは非常に大きい。しかも、かなりこちらに有利な条件での協定も結べた。何年もかけて進めてきた捜査がこれで一気に進むかもしれない。そう思うと、少々の疲労や睡眠不足など気にもならなかった。
さて、次の仕事に取り掛かるとしよう。僕はノックをして面会室代わりに使っている会議室の扉を開けた。
「おはようございます。その様子だと、あまりよく眠れなかったようですね」
そこに座っていたのは、工藤優作氏、江戸川コナン君、そして阿笠博士と灰原哀さん。後者ふたりはコナン君たっての頼みで連れてきていた。彼女はひどく不安そうな顔でこちらを見ている。彼女を保護してほしいというその事情も、まだ聞けていなかった。
「降谷さんこそ、寝てないんじゃないの?」
「仕事が詰まっていてね。……さて、先に君の懸念事項を片づけておこうか、コナン君」
椅子に腰かけながらそう言うと、ぴくりとコナン君の肩が震えた。少し不安げな瞳が、それでも精一杯強がりながら僕の顔を見る。
「赤井秀一を組織に売り渡すことはしないよ。FBIと正式に捜査協力をすることになった」
そう言った瞬間、コナン君は大きく安堵の息をついた。その様子を見て、工藤先生と阿笠博士が苦笑する。
「……ねえ」
しかしひとりだけ、彼女だけが不安そうな顔を一転させひどく険しい表情を浮かべていた。地を這うようなその声に、コナン君と阿笠博士はぎくりと肩を揺らす。
「確認させてもらうけれど、『沖矢昴』は『赤井秀一』の変装だったということで、間違いないのかしら」
「? そうだね。君は知らなかったのかい?」
コナン君と一緒に来た時点で、彼女も共犯なのだろうと思っていたのだが。そう思いつつ返事をすると、彼女は恐ろしい目つきでコナン君たちを睨んだ。
「ええ、知らなかったわ。隣の家にあの男が住んでいたことも、盗聴器をしかけられたりスマホをハッキングされたりして逐一行動を監視されていたこともね!」
「だ、だからそれはオメーの護衛のために仕方なく……」
「仕方なく? 仕方なくって言ったの貴方。百歩譲らなくてもストーカー、犯罪よ!」
昨晩のうちに念のため、阿笠博士の許可をとって一応彼の家を調べさせてもらったが、いくつもの盗聴器が見つかった。事情を聞いていなくてもコナン君が彼女を保護してほしいと言った以上、彼女は組織に狙われる何らかの理由があるのだと推測していた。
その彼女の家に盗聴器があったのだから、もしや組織の手が、と考えていたのだが、最悪な方向で違ったらしい。
「……これで赤井をいつでも逮捕できるな」
「被害届を出すわ! 捕まえて頂戴!」
「落ち着け灰原! 降谷さんもとりあえず待って!」
これは確実に逮捕できる。赤井を脅す材料が増えたことに内心ほくほくとしながら、改めて俺は胸ポケットから警察手帳を取り出した。
これを出して自己紹介するなんてどれだけぶりだろうか。
「改めて、警察庁警備局警備企画課、通称『ゼロ』所属の降谷と申します。これより皆さんの身柄は公安で預からせていただく。指示に従っていただけるようであれば手荒なこともなく、できる限り早く元の生活に戻って頂けるよう尽力することをお約束します。よろしいですね?」
一瞬で空気が切り替わる。
工藤先生はす、と目を閉じ、阿笠博士は驚きつつも真剣な顔で僕の言葉を受け止めた。灰原さんはきゅ、と唇を結び、コナン君は決意したように口を開く。
「俺たちにも自己紹介させてください、降谷さん」
「自己紹介?」
「俺の本当の名前は、工藤新一。ここにいる工藤優作の息子で、帝丹高校二年生、十七歳です。それと……」
「……私は宮野志保、組織でのコードネームは『シェリー』。貴方とはベルツリー急行で話したわね、バーボン」
「……詳しく話を聞こうか」
それが君の真実なら、僕はそれを信じよう。そんな決意と共に頷くと、彼らはゆっくりと今までの経緯を話し始めた。一言も聞き漏らすことのないようじっと耳を傾け、僕は脳内の情報を整理していった。
*
長い長い、話が終わる。概要だけかいつまむという話ではあったが、概要だけでも優に数時間を必要とした。それだけのことを彼らは経験してきたのだ。
「……概要は理解したよ」
「……信じてくれるの?」
「そんな調べればすぐバレるような嘘をつくほど君は馬鹿じゃないだろう。形式上、指紋とDNAは提出してもらうけどね」
「DNAって……」
そう言い淀んだ灰原さん―――宮野志保さんを、僕は正面から見据えた。確かに、よく似ている子どもだとは思っていた。明美にも、―――エレーナ先生にも。
蘇る懐かしい思い出にそっと蓋をして、僕は「公安」の顔のまま続ける。
「宮野明美のDNAのデータがある。それと照合させてもらうよ」
「! お姉ちゃんの……」
彼女の遺体は無縁仏として秘密裏に葬られた。もし、いつかそれを許されるときが来たら、お墓の場所くらいは教えてあげたいものだ。明美も、きっと妹に会いたがっている。
「そのデータも踏まえて、君たちの存在については機密情報という扱いで報告を上げる。この事件に関わる公安の人間、それから……まあFBIにも共有することになるだろう。現状外に漏らすつもりはないから安心してほしい」
「現状、というのは?」
さっと工藤先生が口を開いた。こういった説明においてよく使われる「現状」という言葉だが、さすがに見逃さなかったか。さすがにそのあたりは経験値が違う。
「現状と申し上げた理由は二つあります。一つは、『現状』外にもらす必要がないからしないというだけで、今後もしその必要が出ればその限りではないということ。もう一つは、『現状』私が実質この案件の指揮を執っていますが、今後もそうだという保証がないということです。もし別の人間が指揮を執り、その人間が必要だと判断すればその限りではありません」
特に感情を込めることもなくそう説明すると、工藤先生はまたも思案するように目を閉じ、阿笠博士は焦ったような表情を見せた。対象ふたりもぐ、と唇を噛む。
僕たちは公安だ。日本国家のために動くのであって、子どもふたりのためには動けない。彼らの犠牲で国が守れるのであれば、躊躇なくそれを実行しなくてはならない立場なのだ。
僕は一度立ち上がってドアの外にいた風見に飲み物を頼み、また席に戻った。
「では、ふたりの身柄は今後どうなる?」
「監視下に置くことにはなりますね。私としては我々の監視から逃げようなどと考えないこと、要請に対しては素直に応じることを確約頂けるのであれば、基本的には今まで通りの生活で構わないと思っています」
「あら、随分優しいのね」
犯罪者である私を捕まえないの、と皮肉気に笑った彼女に、呆れた顔を返した。この子は自分の立場をそんな風に理解しているのか。
「勘違いをしているようだが、我々から見た君は『保護対象』だよ、宮野志保さん。君は確かにいくつかの法律に反してはいるが、そもそもの出生や育ってきた環境が悪すぎる。君の罪を問おうにも、『無理に犯罪に協力させられた被害者』として捉えられる可能性が高いだろうね」
この答えを想定していなかったのか、彼女はその目を真ん丸にして呆けた。
ああ、その顔の方が子供らしくていいな。たとえ本来の年齢が十八歳であろうと、未成年であることに変わりはない。子どもは子どもらしくなんて言うつもりはないが、あえてひねくれた視点で世の中を見ることもない。
そう教えてくれる人が、彼女にはいなかったのだろう。
「ただ、君の持っている組織の情報は我々にとって得難いものだ。その情報の提供を約束してくれるなら、という話にはなるが。そうすれば阿笠博士ともども、今まで通りに生活してもらって構わない」
監視はつけるけど、赤井のように盗聴器をつけるつもりはない。そう付け加えると、志保さんはきゅっと唇を結んで俯き、阿笠博士は苦笑してその頭に手を置いた。
今までの経緯を話してもらった中で、阿笠博士の家が彼女にとってどれだけ大切な場所なのかは察したつもりだ。できることなら、それを奪いたくはない。
「どうだろうか、宮野志保さん」
「……私の知っていることは全て話すわ。できる限りの協力も約束する。ただ、ひとつお願いしたいのだけれど」
「何だい?」
「アポトキシン4869の研究は続けさせて。何としても解毒薬を完成させなければならないの」
そう言った彼女の瞳には、強い意志が浮かんでいた。これまで自分がしてきたことへの罪悪感、償い、そしてそれ以上に、研究者としての意地だろうか。自分の決めたことを貫こうとするその姿勢は嫌いじゃない。
「許可しよう。解毒薬が完成した暁には、薬を必要とする人への投与も認める。もし投薬実験にモルモットが必要だったら言ってくれ、赤井を派遣しよう」
「貴方が話の分かる人で本当に嬉しいわ。よろしくね降谷さん」
「ちょっと待って!」
そう志保さんと握手をしたところでコナン君、もとい新一君が叫んだ。
もしかして赤井のこと素で嫌っていないかと新一君は言い募るが、仕事に私情は挟まないにしても僕だって人間だ。
「特に理由なくこいつだけは無理っていう奴、いない?」
「わかるわ。生理的に無理なのよね」
「嫌いな理由もあげようと思えばあげられるけど、結局言葉にできない部分から無理なんだよ」
「お姉ちゃんの元彼でなくてもあの人は無理」
もう一度志保さんと目を合わせて頷き、堅い握手をかわした。エレーナ先生の娘さんだとか明美の妹だとかそういうことを抜きにしても、彼女とは仲良くなれそうだ。
そんな僕たちを見て阿笠博士は苦笑し、新一君は頭を抱える。
「良かったのう、哀君」
「……ええ」
安心したように笑う博士に、志保さんも淡く微笑んだ。その笑い方はエレーナ先生によく似ている。いつか彼女と、そんな昔話をする日が来れば嬉しい。
「工藤新一君、君が今後も毛利探偵事務所にいるつもりなら、それでも構わない。ただし工藤先生、貴方については……」
「わかっている。私も当分は生活拠点を日本に戻し、自宅で生活しよう。妻も明日には帰国するだろう、彼女にもそうしてもらうよ」
「結構です。一応念押しさせて頂きますが、ご子息をつれて逃亡などとは考えないように」
公安警察の恐ろしさは理解しているつもりだよ、と工藤先生は苦笑した。正直なところ哀さんよりも、この人の方が何を考えているかわからないという点で面倒だ。今までが今までなだけに、捜査に横やりを入れてきそうでつい警戒してしまう。
「私としても、二度と故国の土が踏めなくなるようなことはしたくない。息子の身の保証さえ頂けるのなら、大人しく自宅で仕事をしているよ。この件に関して他言することもないと誓う。妻にもきちんと言い聞かせよう」
思ったよりも殊勝な返事が返ってきて拍子抜けした。はっきり言って逆に胡散臭いが、今はとりあえずその言葉を信じるとしよう。彼も人の親だ、是非ご子息のためにも賢明な行動をとって頂きたい。
「今までが今までだから信用されてないのは理解しているさ。好きに監視をつけてくれて構わないよ。新一、お前はどうする?」
「俺は……」
少し考え込んだ新一君に、そっと目線を合わせた。彼の今後について話す前に、これだけは確認しておかなくてはならないと思っていた。
「新一君、君はベルモットと関わりがあるね?」
「え? ええ、さっき話した通りです」
「ベルモットはなぜか、君と蘭さんには手を出すなとうるさくてね。心当たりはあるかな」
「ベルモットが?」
む、と彼は考え込むが、どうもピンと来ていないらしい。あの魔女が君たち以外の人間に対してどれだけ非情で容赦がないのかを知らないのかもしれない。それだけベルモットにとって、新一君と蘭さんは特別なのだ。
「……俺にも、よくわからないです。幼児化のことも知っているのに、組織にバラしてもねえし……確かに母さんとは仲が良いみたいだけど」
「……なるほど?」
工藤有希子さんが帰国されたら、彼女からも話を聞く必要があるだろう。できる限りの情報を集めること、情報を集める手段を増やしておくこと、それが今、僕がやるべきことだ。
「―――工藤新一君。君には我々の『協力者』になってもらいたい」
すべては日本国家の安寧のために。そのためなら、何だってしてみせる。
俺の言葉を聞いた新一君は目を丸くし、工藤先生は眉をひそめた。
(書いたの数年前なので20歳で成人ということでお願いします……)