自分なりに正しくありたいと思って生きてきた。正義を掲げる職を志すなら、その職に就いたなら、それに相応しい人間でありたいと。
だから、罪悪感はないかと聞かれたらあると答える。こんな手段しか選べない自分の未熟さが恥ずかしい。手段を選ぶ余裕もないことが情けなくて仕方がない。
だけど、迷いがあるかと聞かれたらないと答える。こんな手段しか選べないけれど、それでも俺が思いつく中ではこれが最適解。だったら、やるしかなかった。
「じゃ、捜査員の紹介頼む」
新一くんと宮野さんの話を一通り聞き、状況と闘うべき敵の姿はとりあえず把握した。それなら次は、自分の持っている武器の確認だ。
そう言うと降谷はひとつ頷いて口を開いた。
「公安の人間で、この件メインで動いているのは俺と風見と諸伏の三人。もちろん必要とあればそれに適した人間を公安または別部署から見繕って動かすことになる。この件の重大さは上も理解してくれているから、ある程度の融通はきかせてくれる」
そこでああ、と思いついたように降谷が風見さんを見た。
「ちゃんと紹介してなかったな。彼は風見警部補、警視庁公安部で直接俺と接触できる数少ない人員かつ、俺の直属の部下と言っていい」
「風見裕也です。よろしくお願いいたします」
「ああ、そうだった」
さっと俺も立ち上がって、風見さんにまっすぐ向き合った。昨日から会って話しているのに、ちゃんと挨拶もしていない。正直それどころじゃなかった。
「柊木旭です。降谷や諸伏からお話は伺っています。よろしくお願いします」
すっと頭を下げてみせると、風見さんは慌てたように言った。
「あ、頭を上げてください! 自分は下の立場です、どうぞお気遣いなく」
「柊木、威厳というのも大事だぞ」
「そういうもん? 今まで部下とかいなかったから……そのうち慣れますので、風見さんもご容赦ください」
すると風見さんは何とも言えない顔をして、はい、と頷く。
威厳と言われてもどうやって出せばいいのか。うーん、と首をかしげると、赤井さんは軽く笑って言った。
「随分と謙虚なんだな、君は」
日本人らしいというか、何というか。
そう言われて、きょとんと赤井さんを見返した。謙虚、俺が? そしてようやく気付く。今までは監察官という地位こそあれどそんなに権限があったわけでもないし、周囲から余計なやっかみが来ても面倒なのでトラブル回避のために猫をかぶっていた。だが、もうその必要はないのだ。
「……俺、猫かぶりが癖になってたのか……」
「ああ、正直気持ち悪い」
「真顔で頷くな殴るぞ。言っておくが『安室透』のが数倍気色悪いからな」
ぺちぺちと自分の頬を叩き、もとの調子を取り戻す。もう謙虚の仮面はいらない。自分の実力を隠すよりも示していかなければならない立場だ。特に赤井さんをはじめとするFBI捜査官の前では強気なくらいでちょうどいい。
「ちなみにお前が鬼で魔王で暴君だというのはすでに公安内で広がっている。今更取り繕っても腹の底を疑われるだけだからやめておけ」
「へえ、その噂の大元は誰だ?」
「諸伏だ」
「わかった」
よし、やっぱり期待に応えて全力でこき使おう。
笑顔でそう決心すると、風見さんがそっと目を背け、頭の痛そうな顔をしていた。なるほど、彼も俺の噂は諸伏から聞いているらしい。
「他の捜査官については今その諸伏が、」
降谷がそう言いかけたとき、こんこんとノックが響く。すぐに諸伏です、失礼します、と聞きなれた声。何故かそのとき、赤井さんの肩がぴくりと震えた。
入ってきたのは、諸伏と初老の紳士。初老とはいっても身のこなしは相当に鍛えられたもので、油断のない目線の配りからもその洞察力の高さが伺える。
「貴方が新しい指揮官だろうか。私はジェイムズ・ブラック、FBIだ」
「ええ、柊木旭です。よろしくお願いします」
顔に笑顔を乗せて、握手をかわす。
なるほど、彼がFBI捜査官のリーダーか。少しの隙も見せないその様子は、確かに歴戦の猛者というに相応しい。こんな人まで使わなくてはならないとは、ますます油断はできない。隙を見せた瞬間に指揮権を奪われそうだ。
「……降谷くん」
続けて話をしようとしたとき、口を挟んだのは赤井さんだった。嬉しいような悔しいような、なんだか不思議な顔をしている。反対に、話しかけられた降谷はほんの少しだが、楽しそうに見えた。あれは多分、内心ざまあみろとか考えている。
「何か?」
「彼について、説明はもらえないのか?」
赤井さんが親指で指し示したのは俺の後ろに立つネイビーのスーツ。諸伏自身も、顔を背けて肩を震わせていた。これはひょっとして。
「……生きてること知らなかったんですか?」
俺がそういうと、赤井さんは押し黙る。
事情を知らないらしいMr.ブラックや新一くん、そして宮野さんがきょとんとしていて、風見さんはほんの少しだけ唇の端を上げていた。
その様子に、俺も苦笑して続ける。
「諸伏、改めて自己紹介したらどうだ」
「はいはい。初めまして、警視庁公安部所属の諸伏景光です。三年前まで組織に潜入していて、コードネームは『スコッチ』。『バーボン』や『ライ』と組んで仕事に当たったこともあります」
面白そうに諸伏が言うと、新一くんはえっと声を上げた。その横で宮野さんが、貴方がと驚いた顔をしている。どうやら諸伏のことは知っていても、「スコッチ」のことまでは聞かされていなかったらしい。
「……そんな気はしていたが、本当に生きていたとはな。来葉峠のスナイプは君だろう。相変わらずいい腕だ」
「ライに言われると悪い気しないな。おっと、今は赤井か」
「……死ぬには惜しい男だと思っていたよ」
「光栄だ」
お前より死んだふり上手かっただろ、と諸伏がにやりと笑うと、赤井さんは降参と言わんばかりに両手を上げた。降谷は当然とでも言いたげな笑みを口の端に浮かべている。
「なるほど、降谷君以外にもコードネームをもらえるほど深く潜り、生き残った捜査官がいたということか。やはり日本警察は侮れんな」
いっそ感心したようにMr.ブラックは肩をすくめた。そう褒められれば悪い気はしないが、残念なことに談笑を続ける余裕はない。眠気が来ないうちに話を進めようと口を開いた。
「メインで動いているFBI捜査官は四人のはずでは?」
「あとのふたりは目を付けていた組織の関係者に張り込ませている。ジョディ・スターリング捜査官とアンドレ・キャメル捜査官だ。申し訳ないが紹介はまた次の機会にさせていただきたい」
「なるほど」
必要とあればこちらも本国から追加の捜査官を派遣させると彼は続けるが、現状ではさほど手勢は必要ない。必要なのはただ、情報だ。
「そちらの捜査資料も拝見したいのですが。出来ればCIAのも」
「FBIのものに関しては今追加データを含めて送ってもらっている。CIAは難しいだろう、キールと協力関係を結んでいるとはいえ、CIAと組んでいるわけではないのでね。CIA側は未だ大きく動くつもりはないということだろう」
「CIAは、この捜査協力のことをすでに?」
「知っていると考えていい。FBI本部から情報が流れていてもおかしくはない」
ふうん、と小さく息を漏らす。
全てが終わるまで静観していてくれるならそれはそれで構わないが、こちらの捜査が俺の考えている通りに進んでいけば、捜査協力を持ち掛けてくる可能性もあるかもしれない。無視できる相手ではないだけに、面倒だ。
「それで、今後の方針をお聞かせ願いたい」
ソファに座り直したMr.ブラックの目が、すっと細められた。
その様子に、もはや懐かしさすら覚える。これは、あの時と同じ。俺を呼び出し、監察官になることを持ちかけてきたときの大河内さんと、同じ。俺という人間を見定める目。
俺はひとつ微笑んで、まっすぐにその目に応えた。
「そう特別なことをするつもりはありません」
定石通りの手を使っていく。ひとつひとつを、確実に。
「組織の情報網の確認と、組織に所属するスナイパーの所在と顔の割り出しです」
「定石だな」
「ご不満でも?」
「とんでもない」
俺が苦笑して言うと、赤井さんはさらりと返した。
情報網については言うまでもないだろう。こちらの動き、何よりも「バーボン」「キール」の素性だけは守らなくてはならない。どこにどんな鼠が紛れているのか、組織がどうやって情報を得ているのか、その確認がまず必要だ。
また、どんな手段で組織を潰すにしろ、スナイパーと言う存在は本当に厄介だ。日常の中でこちらが狙撃される可能性も否めないし、もし本当に彼ら相手に掃討作戦を仕掛けるようなことになった場合、向こうに腕のいいスナイパーがいるというだけで危険度は跳ね上がる。邪魔な存在だからこそまず把握し、排除を考えたい。
「降谷、しばらくは組織の中核よりも情報網と腕のいいスナイパーの存在の洗い出しに注力してくれ。あえて幹部を探る必要はない」
「……情報網とスナイパーの確認が必要なのはわかるが、幹部を探る必要がない、というのは?」
組織のボスを探らなくていいのかと、青みがかった瞳が問う。視界の隅で宮野さんの肩がびくりと震えた。どうやら彼女はボスのことを知っているらしい。
とりあえず今は見なかったことにして言葉を続ける。
「あらゆる諜報機関が長い年月をかけて幹部に探りをいれ、捜査を進めてきた。それでも尚、ボスの正体どころか側近のラムの正体も明らかにならないまま、今に至る」
「……何が言いたい」
「怒るなよ。潜入捜査官の腕が悪いと言ってんじゃない、あまりにも用心深すぎる組織だって話」
俺がそう言うと、降谷は少し眉を顰め、赤井さんはフム、と顎に手を当てた。Mr.ブラックは腕を組んだまま、じっと俺を見据えている。
「何故この組織がここまで危険視されるのか、それはその徹底した秘密主義故だ。日本警察が調べただけでも、あらゆる諜報機関が幾人もの潜入捜査官を送り込み、失敗している。組織の実態は限られた古参の幹部のみが把握していて、許された者以外がその秘密に近づこうものなら即処分。潔癖が過ぎるな」
だからこそ。そう、だからこそだ。
「逆に言えば、組織の実態―――ボスやラムの正体、それに組織の目的さえわかればほぼクリア。正体さえわかれば相手はただの物騒な反社会的組織だ。何も怖がる必要はない」
「……つまり?」
「回りくどい言い方はよせよ柊木、どういう手段をとる気なんだ?」
焦れた降谷は今にも噛みつきそうな様子で、困った顔の諸伏は続きを促した。FBIのふたりは静かな顔を崩さない。
「回りくどく調べてまわるから時間がかかるんだ。そんな面倒なことしなくても、答えを知ってる奴に直接聞けばいい」
あっさりとそう言うと、部屋にいた全員が固まった。
ああ、これはわかる、何言ってんだコイツって目で見られている。あまりにも簡単なことだと思うのだが、俺はそんなにおかしなこと言っただろうか。
「……柊木……それは……いや、お前が冗談を言うわけないな……本気で言ってるんだよな……」
「ああ、わかるだろ降谷、俺は仕事で冗談は言わないし、負け戦には挑まないよ」
勝算があって言ってる。
そうにっこりと笑うと、老練の捜査官の眼鏡の奥の瞳がきらりと光った気がした。
「詳細を聞かせてもらいたい」
「申し訳ありませんが、それはそちらの捜査資料を拝見してからにさせてください。今はただ、情報が必要です。俺の策の成功率を上げるためにも」
この策を説明したところでFBIに実行できるとは思えないし、きっとする気にもならないだろうが、邪魔もされたくはない。
余裕の笑みを浮かべ、彼と数秒間にらみ合った。先に折れたのは彼の方だった。
「……明日には捜査のデータが送られてくるはずだ。届き次第共有しよう」
「ええ、お待ちしています」
それからいくつか今後の確認をし、その場は解散とした。すぐに動けるものでもないのでとりあえず睡眠をとりたい。さすがに疲労を感じる。
ひとつあくびを漏らすと、真剣な顔をした降谷が話しかけてきた。
「柊木。一応確認しておくが、お前の策で組織の正体がわかるから、俺はその次の段階……組織を探るのではなく潰すために、組織のスナイパーと情報網を探ると思っていいか」
「ああ」
「わかった。そのつもりで調べる」
「よろしく」
ひとつ頷いた降谷は、そのまま風見さんを従えて会議室を後にした。さっそく捜査に向かったのだろう、相変わらず元気なやつだ。俺は眠い。Mr.ブラックも、一旦状況を本部に報告すると言って席を立つが、赤井さんはソファに座ったままだった。何か用でもあるのだろうか。
特に気にした風もない諸伏は、空気を変えようとしたのか、少し明るい声で言った。
「柊木はどうする?」
「帰って飯食って寝る。明日またここ来ればいいか?」
「そうしてくれ。送るか?」
「車買ったの知ってるだろ、いいよ。……ああ、ふたりとも送っていこうか?」
じゃあお願いしますと新一くんは頷き、居眠り運転はしないでねと宮野さんはさらりと言った。
一晩の徹夜くらいで居眠り運転するほど柔ではないが、結局買ってしまった降谷と萩原おすすめの車は油断するとスピードが出すぎる。同乗者もいることだしいつも以上に安全運転で帰ろう。
「じゃ、お先に」
「ああ、……柊木」
「うん?」
「これからよろしく頼むな、指揮官殿」
そう言って、諸伏はにこりと微笑んだ。念押しのようにプレッシャーを掛けてくる諸伏には、もう笑うしかない。
「そっちこそよろしく頼むぞ補佐。こき使うから」
「もちろん」
笑顔の諸伏と紫煙をくゆらす赤井さんを残し、俺たちは会議室を後にした。
***
「……随分と、仲が良いんだな」
柊木たちを見送った後、ぽつりと赤井が言葉を漏らした。別に皮肉を言っている雰囲気ではない。本当に思ったままの感想なのだろう。
「そうだろ? いい奴なんだ」
「ただの『いい奴』に指揮官が務まるとは思えんが」
「そりゃ、ただの『いい奴』じゃないからさ」
お前だってわかっただろ、と言うと、赤井は唇の端だけで笑った。どうやら異存はないらしい。
「本来は温和な人間なんだろうな。だが、仕事となるとどこまでも感情を排して冷徹になれる。そういう人間は珍しくもないが、彼はかなり極端なようだ」
「面白いだろ」
そう言うと、赤井は少し黙った。すうっと煙草の煙を吸ってから、そうだなと小さな声で呟いた。―――ああ、やっぱり赤井は根が甘い。
「お察しの通り、あいつは公安に向いてないよ。工藤新一に忠告をしてしまうくらいにはね」
「それをわかっていて引き抜いたのか」
「それくらい、あいつの頭脳はずば抜けてるんだ」
俺たちに、どうしても必要な人材だった。
最初こそ俺も反発してしまったが、わかっている。柊木は公安に全く向いていないのに、相応しすぎるくらい相応しい。
出来ることならここには来てほしくなかったなんて、それは俺の私情に過ぎない。
「……付き合いは長いのか」
俺の言葉から何かを察したのか、赤井は軽い声になってそう投げかけてきた。赤井なりに気を遣って何でもない話題を振ったつもりらしい。
少し苦笑しつつ、珍しい気遣いなのでありがたく乗っておくことにした。別に秘密にすることでも何でもない。
「警察学校の同期だよ。降谷もな」
「なるほど、それであんなに親しいのか」
「ああ、すごかったんだぜあのふたり。入校当初から降谷と柊木ですさまじい首席争い繰り広げて、最初から最後までずーっとデッドヒート。お互い認め合ったライバルってわけ」
「それであのプライドの高い降谷くんが協力を求めたのか。……諸伏くん」
改めて赤井にそういう呼ばれ方をすると違和感がひどい。何、と聞き返すと、赤井は面白そうに言った。
「そのデッドヒートは、結局どちらが勝ったんだ?」
おっと、そこを聞いてくれるのか。俺はにやりと笑って、続ける。
「……どっちだと思う?」
すると赤井もく、と笑って、どっちと答えても痛い目を見そうだ、と煙草を灰皿に押し付けた。それに正解と答えつつ、俺はまた軽く笑った。
最終的にどちらが首席だったのかは、是非本人たちに直接聞いて確かめてほしい。きっと面白いものが見られるだろう、尋ねるのが赤井ならなおさら。
その場面を想像しているうちに、ほんの少しだけ心が軽くなるのを感じた。